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蒼の勇者と赤ランドセルの魔女  作者: 喜咲冬子
第一章 蒼の国の少女
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1.弔い




 蒼の国は、火を司る竜の加護を受けた島である。


 かつてこの竜は、荒ぶる炎竜であった。


 炎竜が吠えれば、南の山は火を噴き、溶岩が地を焼く。灰が太陽の光を遮り、森も木もやせた。

 その度に人は家や森を失い、灰に埋もれたわずかな土地で生きるしかなかった。


 島の北には、海の色を身体に宿す女神イシュテムが住んでいた。


 遠い大陸から渡ってきた美しい女神は、炎竜の怒りを鎮めるために、臼山の魔女の力を借りた。

 魔女から宝玉を授かったイシュテムは、荒ぶる炎竜と言葉を交わし、絆を結ぶことでその怒りを解いたのである。


 以来、炎竜は火竜となり、蒼の国の守り神となった。

 火竜は南の山の火口を住まいとし、毎日のように島を巡る。火竜が島を巡ることで、南の山は穏やかに鎮まり、季節が生まれ、人に恵みをもたらしたという。





 時は流れて、千年――


 トトリ村は、蒼の国にあるいくつかの村の中で最も北にある。

 

 蒼き血の女神イシュテムの血を引く者が、このトトリ村を代々治めている。

 火竜との絆を持ち、不思議な力を持った蒼き血を引く者たちは、島中から敬われてきた。


 この村は、二つの大きな川、五つの小さな川、広い田畑、果実のなる森をいくつも持っている。

 そればかりでなく、染色や織物、土器の技術も、島中で最も優れていた。


 十日に一度の市の立つ日はことさら賑やかである。

 日の傾きかけたこの時間でも、村大通りには人が行き交い、窯から煙が立ち上り、人の声が絶えることはない。


 だが、今日ばかりは、様子が違っている。


 大通りに人はなく、丘に集まった人々は、誰しもが不安そうに肩を寄せあっていた。


 ドン ドドン カン トン


 太鼓の音が辺りに響く。


 丘の頂上には、かがり火に囲まれた祭壇があった。

 周りを回っているのは、死者をとむらう葬者そうじゃたちだ。

 真っ黒な布を頭からかぶっており、遠目には影が揺らめいているように見える。太鼓をたたく者。松明たいまつを手に踊る者。白い山羊の毛の房がついた棒を振る者。


 祭壇にはたき木が組まれ、棺がのっている。

 葬者たちは、この棺に入った青年の魂を天に送ろうとしていた。

 

 ドン ドン カカン ドン


 太鼓は、魂を天に送るために叩く。

 房は、悪霊が空の肉体に入るのを防ぐために揺らす。


「エンジュ。――エンジュ。――エンジュ」


 葬者たちが声をそろえ、棺に横たわる青年の名を三度呼んだ。


「オラーテの子。ミパの子。蒼き血の女神イシュテムの息子。その魂は、天となり、地となり、海となり、風になる」


 丘を、一人の少女が上ってくる。


 静かに村人たちは道を開けた。


 黄と白の花の刺繍が施された赤い衣をまとい、手には白い花を抱えている。

 かがり火が、腰まで届くハチミツ色の髪を明るく照らしていた。


 名はミンネ。


 海の深いところの色の瞳を持つ十三歳の少女だ。

 この村の長、オラーテの子であり、この棺に横たわる青年の妹である。


 弔われようとしている青年の名はエンジュ。


 まだ十九歳の若者だった。

 本来、この場に立つべきは、エンジュの父親であるオラーテだ。

 しかし、オラーテは息子の亡骸を目にした後、胸を押さえて倒れてしまった。

 今は床についている。青年の母親は八年前に世を去っていた。


 だから今、ミンネは祭壇の前にひとり立っている。


「蒼の国一の勇者が、惜しいことだ。よい長となっただろうに」

「どうしてエンジュは、火竜の子を殺したのだろう。ドラド村の子など、放っておけばよかったのだ。オオカミの子など助けても、オオカミが育つだけではないか」

「怒った火竜は村を滅ぼすだろうか?」


 丘を囲む人々のささやく声が、たきぎが弾ける音に混じる。


(どうして……こんなことに)


 ミンネは両手いっぱいに持った白いノテリの花を、エンジュの顔の横に置いていく。


 今朝、狩りに出るのを見送ったのが、最後になった。

 昼を過ぎて戻ってきた時、兄はもう、動かなくなっていた。

 一緒に狩りに行った者たちは『エンジュは火竜の子を殺した。ドラドの子供を救おうとしたからだ。火竜の怒りに触れて、背を焼かれて死んでしまった』と言っていた。


 六つ年上の兄は、ミンネの誇りであった。


 いや、ミンネだけではない。

 この村の誰もが、勇敢な若き勇者を誇りに思っていたはずだ。

 誰よりも強い弓を引き、誰よりも獣の動きに聡かった。

 このトトリの村をいずれ率いる者になるだろう、と望まれていたのだ。


 ミンネの長いまつ毛が、三回上下する。白い花の上に、涙がふた粒こぼれた。


 他の少女たちのように刺繍をせず、馬で駆け、狩りをすることを好んだミンネを、一度もとがめなかったのはエンジュだけだった。ミンネが望めば弓を教え、馬を教え、風の読み方を教えた。おかげで今では同い年の少年たちの誰よりも強い弓を引き、速く馬を駆ることができる。


 ノテリの花の最後の一本を、ミンネはぐっと握りしめた。


 なぜ? ともう動くことのない兄に、心で問いかける。悲しみは胸を押しつぶすように迫ってくるが、ミンネはそれ以上に、怒っていた。海の一番深いところの色をした瞳は、静かに燃えている。


 いくら隣村の子供を助けるためとはいえ、なぜ火竜の子を殺してしまったのだろう?

 竜は神だ。神の子を殺した者が、いかなる罰を受けるかを、ミンネは正確には知らない。これからきっと、恐ろしいことが起きる。そんな予感がしてならなかった。


 ドン ドドン ドドン カン カカン


 太鼓の音が、激しさを増す。エンジュ、エンジュ、と悲痛な声が、背の方から聞こえる。


 ミンネは最後の一本をエンジュの胸に置き、振り返った。

 肩を震わせ泣いているのは、昨年の秋の終わりにエンジュと結婚したばかりのフィユだ。二人は幼馴染で仲の良い夫婦だった。淡い夜明けの色の髪とスミレ色の瞳を持つ女は、蒼ざめた美しい顔を涙に濡らしている。細い腕が抱えている壺は、火葬にした骨を入れるためのものである。


 すぐ後ろでフィユを支えているのは、パチュイだ。彼らは姉と弟で、よく似かよった顔立ちと、髪と瞳の色をしていた。パチュイはミンネよりも二年年長の幼馴染で、弓で競い合う仲間でもある。


「火を」


 松明を持った葬者が棺に一歩近づき、周りを囲む葬者たちが、白い房をいっそう強く揺らす。

 棺の下に組まれているのは、獣の脂をまぶした木だ。

 火をつければ瞬く間に燃え上がる。


「あぁ、エンジュ……!」


 ミンネは、フィユの横まで下がった。

 かけるべき言葉が見つからない。

 せめて、と震える細い背を撫でたが、そんなことで彼女の悲しみが癒やされるとは思えなかった。


 いよいよ、葬者の長が松明を下ろす。

 別れの時だ。


 ――その時――


 ごおっ、と炎の燃え盛る音が、頭上に響いた。


 紅蓮の鱗を持つ、火竜だ。


 ミンネはキッと空を見上げ、うすい唇を引き結ぶ。


「あぁ!」

「火竜だ!」


 人々は悲鳴を上げた。

 夕陽をさえぎるのは、明々と燃える巨体の竜である。


 蒼の国の空を巡る火竜は、季節を連れてくる恵みの神だ。

 姿を見ること自体は、決して、珍しくない。ミンネも、今年だけで三度は目にしている。


 火竜を見れば誰もが手を合わせ、豊作を祈るものだ。

 だが、今、人々は間近に迫ったその姿を恐れ、戸惑い、逃げまどっていた。


「逃げろ!」

「火竜の報復だ!」


 丘にいた人々も、葬者らも、悲鳴を上げて逃げていく。

 すぐに悲鳴は遠ざかり、丘の上に残っているのはミンネだけになった。


 火竜の顔が、こちらを見た。

 ぎょろりと大きな虹色の瞳と、紺碧の輝く瞳がぶつかる。


 ぐわ、と火竜の大きく口が開き、どぉ、と炎が吐かれた。

 轟音と共に、炎の柱が立つ。エンジュの眠る棺は、祭壇ごと炎に包まれた。


 それでもミンネは、目をそらさずに火竜を見ていた。

 火の粉が舞い散り、赤い衣のすそが、じり、と焼けた。


「危ない! ミンネ! 下れ!」


 ミンネの腕を引き、炎の柱から遠ざけたのはパチュイである。


 しかし、ミンネはその腕を振り払い、火竜に向かって叫んだ。


「火竜よ! どうか兄を許してくれ! 私はミンネ! 蒼き血の女神イシュテムの娘! あなたと話がしたい! 私に、あなたの声を聞かせてほしい!」


 千年の昔、蒼き血の女神イシュテムは、魔女の力を借り、火竜と言葉を交わしたという。

 怒れる炎竜はその声を聞き、荒ぶる神から、島の守り神になった。


 父のオラーテは、蒼き血を引く女を妻としていたため、妻の死後、長の地位についた。

 母のミパが死んだあとは、エンジュとミンネの兄妹の他に、蒼き血を引く者はいなくなった。

 エンジュが死んだ今は、ミンネ一人だけだ。


 しかし、すでに火竜と言葉を交わす力は失われていた。

 魔女から授かった宝玉も、村には伝わっていない。

 実際、ミンネは一度も竜の声を聞いたことがなかった。


「火竜よ! どうか怒りを鎮めてくれ! 兄はあなたを心から敬っていた!」


 届かないとわかっていても、ミンネは叫ばずにはいられない。


 無情にも、うねる竜がミンネの声に応えることはなかった。


 目を焼くほどに激しい竜の身体が色を変えていく。

 このような火竜の姿を見たことはない。

 火竜の腹は明るい炎の色から、赤黒い焼けた石のような色になっていた。


 伝説に、語られている姿そのままだ。その姿を、人々はこう呼んだ。


 ――怒れる炎竜、と。


 夕焼けにさえ、まだ早かったはずの空は、みるみるうちに厚い雲におおわれ、あたりは真夜中のように暗くなった。


 恐怖に足がすくむ。


 ごぉ、と音を立て、竜の腹がうねった。火竜の――いや、炎竜の強い怒りに、空も大地も、震えているかのようだ。


 それでもミンネは足を踏ん張って、まっすぐに炎竜を見上げている。

 髪は乱れ、頬は焼けるように熱いが、ミンネは退かなかった。このままでは、村ばかりか、島そのものが千年の昔の有様に戻ってしまう。

 人は飢えて死に、生き残ったわずかな人たちもやせた土地にすがって生きる他なくなる。


「ミンネ! 下れ! 焼かれるぞ!」


 パチュイが強く腕を引く。

 ミンネも同年だの少年たちに、力で引けは取らないが、相手はエンジュに次ぐ剛力の少年だ。

 祭壇の端まで引きずられるように下がる他なくなった。


 火柱が、いっそうふくらむ。

 逃げるのが一瞬遅ければ、ミンネの身体も炎にまかれていたかもしれない。


「竜に謝らねば!」

「死んでなんになる! 人はもう、竜と話すことはできない!」

「このままでは、蒼の国はまだ人の住めぬ土地になってしまう! 私が……あッ!」


 なおも祭壇に留まろうとしたミンネの身体が、ぶわりと浮いた。

 次の瞬間、ミンネは米俵のようにパチュイの肩に担がれていた。下から兵がミンネを助けるために駆けつけてくるのが見える。


 ミンネは首をひねり、赤黒い炎竜の腹に向かって「火竜! 怒れる炎竜! どうか話を聞いくれ!」と叫ぶ。


 しかし、やはり炎竜が声に応えることはなかった。


 ごぉっと再び火柱はふくれ、抱えられたまま丘を下るミンネの、乱れたハチミツ色の髪を一束焦がした。


 祭壇の上を焼き尽くした炎竜は、三度上空で身体をのたうたせた後、南に向かって消えていった。






 

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