1.扉さがし
ちゅん、ちゅん、とスズメの声がする。
目が覚める一瞬前――
ミンネは淡い期待をした。
ここがトトリ村の屋敷で、父が元気で、兄もいて。
フィユやパチュイもいる。
そうして外には、日が明るく射す世界が待っているのではないか、と。
しかし、違う。
他でもない自分の記憶が、期待を打ち消す。
戻ることができたとしても、臼山までだ。
父の病は防げない。
兄の死もくつがえせない。
目を開く。――明るい。
(眠るだけでは、ダメだったか)
ゆっくりと身体を起こし、ミンネは重いため息をついた。
パジャマに、柔らかな布団。隣にはリノが寝ている。
つまり、ここは蒼の国でも、トトリ村でもない。
魔女の街。そして、ここはポカポカ商店街にある『タツロー』の二階だ。
「おーい、朝ごはんできたぞー」
下から、達郎の声が聞こえる。
「リノ」
ミンネは、横で寝るリノの肩をゆすった。「うーん……」とリノは蚊のなくような細い声を出したあと、また眠ってしまった。
「リノ。起きろ。朝に宿題の続きをやるのだろう?」
返事らしきものはあったが、身体は少しも動かない。
「おい、リノ」
もう、返事らしきものさえなくなった。
「リノ!」
まったく、起きる気配がない。
念のため呼吸を確認したが、健やかな寝息を立てているので、ただ眠っているだけのようだ。
コンコン、と扉が鳴った。
「ミンネちゃん、おはよう。リノ、起きた?」
扉の向こうから、達郎の声が聞こえる。
「おはよう、オダサン。リノは一向に起きる気配がありません」
「あー、そうなんだよねぇ。朝弱いんだ、うちの子」
達郎は、明るく笑っている。この状態はリノの日常の一部らしい。
「昨日も遅くまで宿題をしていました。朝に続きをやると言っていたのですが……」
「中学受験も大変だよね。悪いけど、がんばって起こしてくれる? たぶん、相当がんばらないと起きないと思うけど」
トントン、と階段を下りていく音がする。
リノは眠ったままだ。リノを起こす件は、ミンネに一任されたようである。
さすがに、川に放り込むわけにもいかないだろう。
そもそも、それほど近くに川もない。
(あぁ、あれがいい)
しゃきっと目が覚めるもの、といえば、あれだ。
ぽん、とミンネは手を打って、一度階下に降りた。
達郎からあるものをもらい受けると、笑顔で部屋に戻る。
そして――
「うわああああ! すっぱい! えぇ? ちょ、なんなの? なんなの?」
リノの大声が、『タツロー』に響き渡った。
ガバッとリノは布団から飛び起きた。口をおさえ、目をまんまるに大きく開いている。
「あぁ、起きたか」
ミンネはレモンを一切れ手に持ったまま、笑顔で「おはよう」とあいさつをした。
「なにこれ、すっぱ! ちょっと! すっぱ!」
「目が覚めてよかった。水をかけるか、レモンを口につっこむか、迷ったのだ」
「どっちもヤダよ! フツーに起こして!」
水、水! と叫びながら、リノは階段を下りていった。
達郎が、大笑いしている。「これから毎日、ミンネちゃんに頼もうかな」と言って、リノに「あり得ない! あのゴリラ止めてよ!」と怒られていた。
朝食に、牛の乳で作った酪――チーズというそうだ――が載ったパンを食べた。
北部の乳酪はヤギの乳で作られたものが多い。牛の乳をふだん口にすることはないが、このとろりととろけたチーズは、味が濃厚でとてもおいしい。
加工の技術が優れているのだろう。カリッと音がするパンも香ばしくて、ミンネはあっという間にたいらげた。
「あぁ、そうだ。サナエさんが、今年も浴衣レンタルこないかって誘ってたよ。ミンネちゃんと一緒にどうかって」
食事の途中で、達郎がリノに話しかける。サナエさん、というのは昨日の着物の女性のことだろう。
最後の一口を飲み込んでから、リノはミンネをちらりと見た。
「ごめん、パパ。今年はちょっと忙しいから。あのね、ミンネも今日は用事あるの。浴衣着たりとか、無理だと思う」
答えるリノは少し寂し気だった。晴れ着を着るのを楽しみにしていたのかもしれない。
「そっか。無理しなくていいよ。サナエさんにも言っておくから」
ごちそうさまでした、と手を合わせてリノは席を立った。
食事の前後のあいさつは魔女の街もトトリ村も変わらない。ミンネもあいさつをして、リノに続いた。
厨房の流しに食器を下げながら、リノは「一緒に出よう」と言った。
「私が塾に行ってる間、このあたりで扉探しするといいよ」
「そうだな。そうさせてもらう」
とにかく、扉が見つからないことにはなにも始まらない。
臼山で会ったリノは、そこらへんにある扉を探さないと戻れない、と言っていた。きっと、そう遠くはない場所に扉があるはずだ。
カランカラン
いってきます、と元気よくリノが外に出た。
ミンネも挨拶をしてから続く。「いってらっしゃい」という達郎ののんびりした声の最後は、途中で扉に消されてしまった。
チカテツエキまで一緒に行こう、とリノは先を歩き出す。
「私、夕方には戻るから。そしたら、一緒に扉を探そう。あまり遠くに行かないようにね。扉は、そんなに遠いところにないと思うし」
「あぁ。リノの家の近辺を探すことにする。そうそう見つけにくいものだとも思えん」
「だよね。ちょっと昼寝してる間に探せるくらいのものだもの」
リノは足を止めて「ここでいいよ」と言った。
「じゃ、いってくる」
「健闘を祈る」
「ありがと。そっちもね」
リノは手を振って、地下へと続く階段をおりていった。
まるで、地面にもぐる火竜の子のようだ。まったくもって、魔女の街は不思議に満ちている。
さて。扉探しだ。
今朝、達郎がくれた精密な地図を片手に、ミンネは注意深くあたりを見ながら歩いていく。
太陽の位置が変わるくらいまで、リノの家の周辺を地道に探して歩いたが、一向に見つからない。
ひとまず『そのあたり』と呼べる場所だけは一通り探さねば。ミンネは、最後に残していた神社の階段を上っていく。
この神社を探したあとは、リノの帰りを待つべきかもしれない。
リノの家の捜索が残っている。
ミーン ミーン
セミの声が聞こえてくる。階段を上るごとに木々が密度を増し、影が濃いものに変わっていった。
上のほうで、なにやら人の声が聞こえてくる。
(なんだ?)
ミンネは、眉を寄せる。ひとりやふたりではない。大勢の人の声だ。まだ、山賊の類が来たのだろうか。
「やっぱりここだ! 動画の場所!」
「どうせインチキだって。本物のわけないし」
「でも気になるだろ? 夜まで待とうぜ!」
木の陰から、様子をうかがう。
大勢の若者たちが、神社の前に集まっていた。
柄が悪いということもなく、魔女の国で見かける標準的な服装だ。
とにかく数が多い。
階段の下にまで人だかりができている。
これでは、扉を探すどころの騒ぎではない。
あちこちで、人が板――スマホを掲げている。
ミンネの知るポカポカ商店街は、昼間でも人の姿が確認できない場所だった。年に一度の祭りといっても、それほど人は来ない、と達郎が言っていたのを聞いている。
(オダサンは、のんびり準備をすると言っていたな)
しかし、目の前の状態は、聞いていた話とずいぶん違う。
きっと達郎はこの事態を把握していないはずだ。達郎に報せるためにミンネはいったん、『タツロー』に戻った。
朝のうちに準備をしていたのか、ポカポカ商店街には、あちこちに提灯のようなものがかかっていて、多少は祭りらしい雰囲気になっている。
角をまがったところで、朝にはなかった天幕が見えた。
「あぁ、ミンネちゃん。お帰り」
達郎は、本人の言葉通りのんびりしていて、準備が整っているようには見えない。
「オダサン! 人が、大勢きています」
まさか、と言って達郎はゆったり笑った。
「神社に人がたくさん集まっています。階段を下りることができないほどでした」
「こんな古い商店街だよ? こんなこと言いたくないけど、化石みたいなシャッター通りだし、お祭りのポスターだって、回覧場と公民館くらいにしか貼ってないし……花火大会までは、ほとんどお客さんも来ないよ」
のんびりと、達郎は台を拭いている。「そりゃ、たくさん来てもらえたら、助かるけどね」と小さくつけたした背中が、少しさみしそうだ。
そこに、昨日店にいた客がやってきた。
小柄な男性だ。「マスター。おつかれさん」と笑顔で手を振っている。
「いらっしゃい。佐藤さん。いつものでいいですか?」
「今日はアイスで頼むよ。……しかし、マスター。今日はすごいね。こんなに人がいる商店街、久しぶりに見たよ。神社の下の露店もだけど、肉のイトウさんとこ。コロッケに二十人くらい並んでた」
達郎は、まだ「まさか」と言っている。よほど人がくるのが信じられないらしい。
客は達郎に、様子を見るようすすめた。
「百聞は一見にしかず、だよ。マスター」
「まさか」
通りの真ん中をしばらく歩き、右を見、左を見てから、達郎は「わ!」と声を上げた。
やっと現状を理解してくれたようだ。達郎は慌てて戻り「大変だ。準備しなきゃ!」と台やイスを運びはじめた。
「手伝おう」
ヒョイと、ミンネは台を軽く持ち上げた。
指示された場所に運ぶと、達郎は「ミンネちゃん、力持ちだね!」と感心していた。これは恐らく、リノの言う『腕力ゴリラ』と同じ意味だろう。
「ありがとう、ミンネちゃん。申し訳ないんだけど、一瞬だけ店番できる? 奥からサーバー取ってくるから。はい、これエプロン」
「こちらの通貨がわからない」
「あぁ、そうかぁ……すぐ戻るから、注文だけ聞いてて! わかんなかったら『少々お待ちください』って言って! あ、髪、しばってもらっていい? エプロンのポケットに、髪ゴム入ってるから!」
バタバタと、達郎は店の中に入っていった。
ミンネは手渡されたエプロン、という名の前掛けを身に着つける。やや小さいので、リノが使っているものなのかもしれない。
ポケット、というのは、エプロンに縫いつけられた袋のことだろう。
たしかに髪をとめるための輪が入っている。
リノが使っているのを見ていたので、使い方はわかった。
「すみませーん」
ひとまず準備ができたところに、ひとりの背の高い青年が、台をはさんでミンネの前に立った。




