4.作戦会議
「それ飲んだら、上で休む? 本もあるし、DVDもあるよ。リノが帰るの、夜になるし」
店に客がいなくなったのを機に、達郎が階段の上を指さした。
二階に部屋があり、そこで待つようリノは言っていた。「お願いします」とミンネは達郎に頼んだ。
階段の上には、いくつか部屋があった。
奥の部屋に達郎はミンネを案内した。
「ここ、リノが泊りに来るときに使ってる部屋。好きに使っていいよ。そこに本もたくさんあるし。あとは……テレビ、使い方、わかる?」
テレビ、といって指さしたものが、そもそもなんなのかがわからない。
ミンネは「まったくわかりません」と答えた。
「えぇとね、ここをこうして……」
赤い『ボタン』が『電源オン』。『チャンネル』はここで変えて……とわかるようなわからないような説明を、ミンネは首を傾げつつ聞いた。
カランカラン、と下で扉が鳴る。
「ごめん、お客さん来たから、戻るね。わかんなかったら遠慮なく呼んで」
達郎は階段を急いで下りていった。
言われた通り、箱に向かって『電源オン』。パッとは箱が明るくなる。
『本日お勧めいたしますのは、こちら! 高級羽毛布団!』
『わー! ふわっふわ! それにとっっても軽いです!』
箱の向こうに人がいる。そして、喋っている。
『今ならなんと! ふとんカバーがセットで、お値段変わらず!』
『えー! 変わらないんですかー?』
おそるおそる、箱の裏をのぞく。箱というより、薄い板だ。到底人が入れるはずがない。
『しかも! 今から三十分以内のお電話で、夏場にしまえる収納袋もプレゼント!』
『これは便利!』
(どうなっているのだ?)
まったくわからない。
魔女の街の文明は、人の子の理解を超える。
もう一度『電源オン』を押すと、画面から人は消えた。
どっと疲れた。
もうテレビはあきらめ、別のものをさがす。
この紙を綴じたものを、達郎は本、と呼んでいた。ずっしりと重い。卓の上に置いて開いてみるが、字が読めないので、なにが書いてあるかさっぱりわからない。
いくつか開くうち、絵が描いてあるものを見つけた。
様々な魚。植物。それぞれに説明がされているようだ。おそらく種類によって分けられているのだろう。実にわかりやすくまとめられている。
ミンネは夢中になって本を読んだ。
時折、カランカランと客の出入りする音が聞こえていた。
少し日がかげった頃、またカランカラン、と音が鳴った。
「ただいまー」
客ではなく、リノが塾から帰ってきたようだ。
ミンネは本をしまって、部屋を出た。
「お帰り、リノ。お疲れさま。ミンネちゃん、上にいるよ」
「ね、パパ。今日泊まってもいい? ママにはこれから聞いてくる。明日のお弁当も頼んでいい? ミンネの分も」
「僕は構わないけど、ご両親と連絡とれたの?」
「うん。飛行機はちゃんと飛んだって。明後日にはちゃんと親御さん来るから。ほんとに困ってるの。助けてあげて」
「わかった。明後日までね。上でよければ使っていいよ」
ミンネが階段を下りている途中で、リノがこちらに気づいた。
「ミンネ、大丈夫だった?」
「おかえり。オダサンにはよくしてもらった。ご厚意に感謝している」
ミンネが達郎に向かって頭を下げると、達郎はにこにこ笑って「どういたしまして」と言った。
「ね、ミンネ。ちょっと出れる? 一回、家に戻りたいから。行こう」
リノはおいてあった杯に入った水をぐいっと飲むと、すぐに扉に向かった。
カランカラン
店から出た途端、ミンネは手をつかまれた。
「そっちじゃない。こっち」
「きた時は、この道を通ってきたぞ」
リノの家を出て、近道だ、という神社の横を通り、ポカポカ商店街を通ってきた。
北からきたのだから、南へ戻るのはおかしい。
しかしリノは、ちょっと困り顔で首を横にふった。
「夜になったら神社には近づいちゃダメなの」
「オオカミでも出るのか? こんな人里の近くで」
「そうじゃないよ。日本のオオカミなんて、とっくに絶滅してる。オオカミよりも、悪いヤツが出てくるの」
リノはきた時とは逆方向に歩き出した。遠回りでも、危険を避ける道を通るようだ。
「店の二階、なにもないけど、つまんなくなかった?」
「いや、いろいろと参考になった。トトリは、親を失った子や、親と異なる道を選ぼうとする子、怪我や病でこれまでと同じ仕事ができなくなった者たちに、土器や織物を作る技術を授けている。情報を伝えるのにはどこも苦労をしているが、ああした図説があれば、口で伝えるよりも、効率的にできるのではないだろうか」
「図鑑読んでたんだ。……っていうか、ミンネって日本語って読めるの?」
「魔女の字はまったく読めん。だが、絵の説明を文字でしているのはわかる。あれは図鑑、というのだな」
「うん。図鑑。……こんなにきちんと日本語しゃべってるように聞こえるのにね」
商店街を抜け、住宅街を歩く。川の上を渡る橋を越え、さらにもう一度別の橋を渡った。たしかに、遠回りである。
リノは家の前までくると「ちょっと待ってて」と言って、庭の端にある納屋のような場所を指さした。
隠れていろ、という意味だろう。
ミンネは素早く納屋の横に身を隠した。
リノは「うわ。忍者みたい」と感想を言っていた。
ピンポーン
呼び鈴が鳴り、中からトントンと足音がする。
カチャ、と音がした途端、ドキリと胸が鳴った。
納屋のかげにいるので、姿は見えない。
だが、そこに、リノよりも強い魔女がいると思えば、ひどく緊張した。
「おかえり、リノ。おつかれさま」
「ただいま。あのね、ママ、お願いがあるの……」
パタン、と扉がしまり、中の会話は聞こえなくなった。
様子はわからないが、リノのことだ。うまくママと交渉をすることだろう。
しばらくして、扉が開いた。
リノはパタパタと走って、納屋にいたミンネの横に並んだ。
「お待たせ。あー緊張した!」
「母親と話すのに、それほど緊張するのか?」
ミンネも緊張はしていたが、それは強大な魔女の存在を感じていたからだ。実の娘まで緊張するとはどういうことだろう。
「うちは、ママが圧倒的に強いの。今はパパとママはケンカ中で、パパは家から閉め出さてるわけ。私は絶対にママ派だから、パパのとこに行くのは気まずいの。わかんないかもしれないけど」
わかるといえばわかるし、わからないといえばわからない。
ミンネにわかるのは、リノが両親の板ばさみになって、気をつかっている、ということだけだ。
ここは下手なことを言わないほうが親切というものだろう。
「それで、話はうまくついたのか?」
「うん。明日はポカポカ商店街のお祭りなんだ。パパの店も露店出すから、手伝いに行きたいって言ったの。友達とも約束したって言ったし、ばっちり」
リノは手に持っていた荷物を「よいしょ」とかけ声とともに背負った。荷はずっしりと重そうだ。
「店に戻ろう。ご飯終わったら作戦会議ね」
「あぁ。――その荷物、重そうだな。持ってやろう」
リノの方に手を伸ばすと、リノは「平気」と答えた。
「しおれたヤギのようだ」
「もうちょっと言い方なんとかなんないの?」
口をとがらすリノから、ひょい、と背の荷を奪う。そう重くはなかった。
「わぉ。腕力ゴリラ」
「……あなたが私をほめていないことはわかる」
「腕力すごいね、って言っただけ。さっきのミンネが、荷物重そうだねって言ったのと一緒」
そうか、と簡単にミンネは返事をした。
あたりに灯りがともっている。
高い場所から道を照らす外灯は明るく、松明がなくとも足元が危うくならない。
また、橋を二度渡り、ポカポカ商店街に向かう。悪いヤツがいる、という神社のある丘の方を見たが、この場所からは夕暮れの中に沈んでいくのが見えるばかりだった。
二人はぽつぽつと会話をしながら、『タツロー』へと戻った。
『タツロー』に戻り、達郎が作ってくれた夕食を食べ、風呂に入った。風呂は大きなたらいに湯を張って使うもので、リノは入る前に丁寧に使い方を教えてくれた。
床に二つ並んだ布団に入り、横になろうとしていると、リノは小さな卓を自分たちの布団の間に持ってきた。
「さ、作戦会議。ささっとしちゃうよ。私、宿題あるし」
リノは、机の上に紙を何枚か置いた。
ミンネはごろりと布団に横になって、投げやりに「なんの作戦だ?」と眉を寄せた。
結局のところ、魔女から宝玉を授かることはできなかった。
自分は失敗したのだ。帰る手段さえ、わかっていない。
「戻ったところで死ぬだけだ。作戦など必要ない」
「あきらめないでよ! 絶対、なんとかなるから」
しかし、リノはここにきて熱意を見せはじめた。
塾がある。
忙しい。
魔女じゃない。
わかんない。
ここまで逃げに逃げてきたというのに。
どういう風の吹き回しだろうか。
ミンネは片眉だけを上げ、ひじまくらでリノの方を見た。
「なんともならない。魔女の証が、最後の頼みの綱だったのだ。希望は断たれた。今できることと言えば、帰る手段を見つることだけだ。もし、南部の長に連絡がいき、ダーナムの暴挙を止められたとしても、そう遠くない未来に、竜の呪いで島は滅びるだろう」
淡々と説明をして、ミンネは枕に頭を投げ出した。
「私だって、力になれるならなりたかったよ。どうぞ、これが宝玉です、って渡せたらどんなによかったかと思う。でも、ほんとにわかんないの」
「……あなたを責めているわけではない」
リノは、はぁ、とため息をついた。




