2.オダサン
「……ごめん」
リノは、小さな声で言った。
ミンネはうつむいたまま「あなたが謝る必要はない」と伝える。
「私も、ミンネの力になりたいとは思うんだ。ちょっとは責任感じてるし。いや、関係ないっていえば関係ないけど、まったくないかっていうとそうは言い切れないし」
子供に気を遣わせてしまった。
うなだれていたミンネは、頭を上げる。
少しは微笑もうと思ったが、顔が動かない。泣き笑いのような顔になった。
「引き留めてすまない。……私に構わず、ジュクに行ってくれ」
「これからどうする気? ミンネは蒼の国に戻るの?」
戻る? ミンネはふと、現在の自分の置かれた状況について考えた。
まず、きょろきょろと、あたりを見る。
天井を見上げても、なにもない。
ここは蒼の国ではない場所だ。
どうやって帰ればいいのだろう。徒歩で? 馬で?
「……わからん」
どうやって臼山に帰ればいいか、まったく見当がつかない。
そもそも、ここはどこなのか。
たとえ宝玉を手に入れられずとも、明日の昼には臼山の麓にいなければならない。フィユが殺されてしまう。
「マジで」
「帰る手段を探さねば」
「えぇ? 待って、家にママいるし、ここに置いておけないよ。私がいない間……うーん、どうしたらいいかな。とりあえず……うーん……どうしよう。ちょっと待ってて。そっから動かないでよ?」
リノは部屋を出ていった。
ミンネは言われた通り、その場から動かずにいる。
どうすれば、蒼の国に戻ることができるのか。やはり、あの扉を探すべきだろう。臼山で、リノは言っていた。いつも扉が見つからず苦労するのだ、と。
「お待たせ」
リノが戻ってきて、服らしきものを寝台の上に置いた。
「私の服じゃ全然入りそうにないし、ママの服はママの部屋にあるし。他になかったの。うちのパパ、あんまり大きくないから、ちょうどいいかと思って。あぁ、パパっていうのは、私の父親のことね」
寝台の上に広げられた服は、リノが着ているものと似ている。
白い服に、青い服。白いのは上衣で、下は袴の類のようだ。
「これを、着ろと言ってるのか?」
「そう。日本、っていうか札幌っていうか、とにかく、この辺……あぁ、もう、いいよ、魔女の街で。魔女の街では、こういう格好してないと浮くの」
「浮く……?」
「いや、いや、浮きません。絶対悪目立ちするから、魔女のフリをしてもらいたいって言ってるわけ。いい?」
「なるほど、理解した」
着替え終わったら教えて、と言ってリノは椅子に座って背を向けた。
ミンネは、魔女の装束に袖を通す。手首も出てしまうし、足首も出てしまう。
腰周りは、布が余る。この服の持ち主は、ミンネよりも手足が短く、少し太っているようだ。
着た、とミンネが合図すると、後ろを向いていたリノがくるりと振り向く。
「これで、合っているか?」
「うわ。ズボン、アンクル丈になってるし。シャツも七分なんだけど。……モデルみたい」
リノは呪文のような感想を述べていたが、着方は間違っていないようだ。
来て、と言って、リノはミンネの手を引いて部屋を出る。部屋の外は細い廊下になっていた。
館と同じように、敵をいっきに踏み込ませないための工夫がされているのだろう。
「見事な建築技術だな」
「静かにして。ママに気づかれる」
シッとリノは人差し指を唇にあてた。
視線を廊下のつきあたりに送ったので、そこが『ママ』のいる部屋なのだろう。
足音を殺して階段を下り、食堂のような場所に入る。
鍋も置いてあるので、厨と食堂を兼ねた場所のようである。
「ママ殿は、ご多忙なのだな」
「作家なの。〆切三日前だから、睡眠時間ひっどいことになってる。邪魔したくない」
〆切、とは年貢を納める〆切だろうか。
「魔女の暮らしも、楽ではないようだな」
「まぁ、それなりに過酷だよ」
リノは、四角い大きな箱を開け、中から透明な筒を取り出した。
魔女の厨だけあって、不思議なものだらけだ。
「麦茶、飲む?」
「いただこう」
透明な杯に盛られた茶を飲む。喉を通る水は、驚くほど冷たかった。
「冷たい……!」
「『さすが魔女だ』はナシね」
ミンネは、言いかけた言葉をのみ込んだ。
リノは、自分も麦茶をごくごくと喉を鳴らして飲んでから、あたりをウロウロしだした。
「ママが仕事忙しい時は、友達を家に入れないってルールだから、ここにはミンネを置いていけない。でも、私は塾に行かなくちゃ」
「ママ殿の邪魔にをするのは、私も気がとがめる」
「うん。とにかく、ママの邪魔だけはしちゃダメ。なんていうかな……ものすごく恐ろしいことになりかねないから」
「ママ殿も、魔女なのだろう?」
「あーうん、そう。すごーく、すごい魔女。えーと、ほら、火竜と同じで、世界の未来を左右しちゃう系の、強い魔女なわけ。だから、邪魔だけはしちゃダメ。ママの邪魔をしないことが、蒼の国の平和に一番重要なことだと思う」
「心得た」
ミンネはうなずき、杯の麦茶を飲みほした。
「だから、ちょっとの間、別な場所にいてもらいたいの。いい?」
「わかった。私も帰る手段を探しておく」
「よし。じゃ、行こう」
厨房から出て、リノは注意深く二階の様子うかがってから、そっと足音をたてないように廊下を歩く。
玄関には靴が置いてある。
リノは靴のかわりに、サンダル、という単純なつくりの靴をミンネに勧めた。なかなかに快適な履き物だ。
扉が開く。――明るい。
太陽に、青い空。白い雲。さわやかな風。
懐かしさと慕わしさに、涙が出そうになる。
「ちょっと急いでもらえる?」
感慨に足を止めるミンネを、リノは少し速足になってせかす。
ミンネは歩幅を少し大きくしただけで、うしろを悠々とついていった。
リノはひどく重そうな荷を背負っているせいか、歩くのが遅い。
あたりは住宅街のようで、どこの庭にも美しい花が咲いている。
家屋は、なんの素材でできているのか、まったくわからないものばかりだ。
「私が塾の間、パパのとこにいて。パパは喫茶店で働いてるの。二階に部屋があるから、そこにいてほしい。塾が終わったら、すぐに迎えにいくから。あぁ、もう、時間ない。走るよ!」
リノが走りだし、ミンネも続いた。
近道だ、というので、丘の坂道をのぼる。ゆるやかな坂の上には社があった。
「これは、魔女の長の住まいか?」
「神社。カミサマが住んでるとこ。それが出入り口。鳥居」
リノがトリイ、と言って指さしたのは、柱が縦に二本、横に二本で作られた赤い門のようなものだ。鳥居をくぐり、細い階段を下りていく。
「あんまり、余計なこと喋らないでね? 蒼の国とか、トトリ村とか、絶対ダメ。パパには、根掘り葉掘りミンネにあれこれ聞かないように、釘さしておくから」
「釘を……?」
魔女の儀式か、と思ったが、どうやら違うらしい。
リノは振り向いて、鼻にシワを作ってみせた。
「だから、それ、比喩。たとえ話。そういう、おっかないことしないから。魔女もフツーの人だってば」
「わかった。私は極力、口を聞かぬほうがよいのだな?」
「そういうこと。あと、パパ殿はなしね? 名前は達郎。織田さん、か、リノのお父さんって呼んで」
「オダサン、殿?」
「織田さん、で敬称も含んでるから。織田さん、だけでOK」
「オダサン、だな。わかった」
丘の階段を下りて、店らしきものの並ぶ道を歩いていく。




