5.魔女との遭遇
ハッと目を覚ます。
――朝だ。
火を保たずに寝てしまったことを思い出し、ミンネは身体のあちこちをさわる。
無事だ。
周囲の獣のいた形跡もない。
しかも、火はまだ十分に元気よく燃えている。
ミンネは驚いた。誰かが――? いや、もしや魔女が? それとも、竜が?
「まさかな」
自分の想像を、わざわざ口に出して否定し、ミンネは笑う。
しかし身支度をしているうちに、やはり火竜のおかげだろうか、とも思った。
なんといっても、ここは火竜に祈りを捧げるための神域だ。
不思議なことのひとつやふたつ起きかねない。
ミンネは火口に向かって手を振った。
「火をありがとう! 助かった!」
偶然だろうが、尾がぞろりと動いたような気がする。
ミンネは笑顔で手を振り「ありがとう!」ともう一度、今度はもっと大きな声で言った。
竜と心が通じ合ったようで嬉しい。
その嬉しさを励みにして、ミンネは二日目の行動を開始した。
まずは、三日月湖周辺の捜索をはじめる。
あたりをさぐるうち、ミンネは足元に生える草に気づいた。
(これは……トーブテだ)
葉をひとつつまむ。プチ、と切れたところから、独特の香りが立ち上った。
島の南部に見られる草だ。
獣の心臓に形が似ている。主に薬草として用いられ、乾かしてから煎じて飲む。
染料としても使われており、染めれば鮮やかな萌黄色になる。
モラーテの巫女たちが着ている布は、このトーブテで染められたものだ。
このトーブテを求めて、魔女が姿を現すのだろうか。
ふと、黒いものが目に入った。
にぶく光を弾いている。
ミンネは、引き寄せられるように、近づいた。
岩に埋め込まれたようにあるそれは、扉のように見えた。
ミンネが軽く腕を広げたくらいの大きさで、トーブテの紋章が刻まれている。
(魔女の扉か!)
いよいよ、魔女の存在を裏付けるようなものがそろい始めた。
ミンネは興奮のままに手で触れ、開こうとしてみた。
重い。
いくら力をこめてみても、ビクともしなかった。
魔女にしか開くことのできない扉なのだろうか。
何度開こうとしても、無理だ。ミンネはいったん扉から離れた。
こうなれば、待つしかない。
水場か、トーブテのしげみか、どちらかを目指して姿を現すだろう、と期待して、岩の上に陣取った。
わずかな音も聞き逃すまいと耳を澄ませ、あたりを見渡す。
(ん?)
湖の方を見ていたミンネは、ハッと振り返った。
声だ。
人の声が聞こえる。
「あー、もー、どうしてないの? あり得ない!」
(もしや、魔女か?)
期待に、胸が高鳴る。
魔女の存在は、残された唯一の希望だ。
「ヤバいヤバい、これヤバいやつ!」
呪文だろうか。
声は子供のものだ。
魔女は子供の姿をしているという。
期待はますます高まった。
髪は黒いだろうか?
真っ赤な火竜の皮の袋を背負っているだろうか?
「早く目を覚まさなきゃ。今日の塾、テストなのに!」
姿が見えた。
子供だ。髪も黒い。
背負っているのは、四角い形をしたものである。
袋かどうかはわからないが、色は真っ赤であることは間違いない。
伝説によれば、命を失った火竜の皮に触れることが許されたのは臼山の魔女だけであったという。
さらに目をこらせば、皮にトーブテの葉の刻印がある。まさしく魔女の証だ。
「とにかく、出口探さなきゃ。もう、出口が見つけるとこから毎回スタートって、マジでカンベンしてほしいんだけど」
ミンネは、驚かせないように、そっと木の陰から出た。
魔女はハッとこちらを見る。
そして、二人は同時に叫んでいた。
「「魔女!」」
と――
(……どういうことだ?)
ミンネは、戸惑った。
自分を見るなり、魔女が「魔女!」と叫んだからだ。
だからミンネは「いや、私は魔女ではない」とはっきり言った。
しかし魔女は「私だって魔女じゃないよ」と言いだした。
年齢は、ミンネよりも二つ三つは下に見えた。
身長はミンネより頭ひとつ小さい。
大きな目と長いまつげが印象的だ。しかし、目鼻立ちよりもずっと強く人の目を引きつけるのは、話に聞いていた通り、髪ばかりでなく目まで闇のように黒いことだ。
ミンネがこの島で生まれ育ってきた中で、一度も見たことがない色だった。
それに構造のよくわからない、謎の服。
――魔女だ。
「魔女にしか見えん」
「どう見てもそっちの方が圧倒的に魔女でしょ」
黒髪の少女は、ミンネを上から下まで見て言ったあと「どっちが魔女に見えるか、百人にアンケートとったら、百人全員、あなたに票を入れると思うけど」とよくわからないことを言った。
ミンネは全身黒い服を着ているが、自分の格好を魔女のような出で立ちだ、とは思わない。
黒い狩り装束は、トトリの者の証だ。
「それは、魔女の証ではないのか?」
「え? どれ?」
「その、トーブテの葉の紋章だ」
ミンネが火竜の皮の袋を指で示すと、少女は自分の背を振り返って「これ?」と確認してきた。
「ブテ? いや、これハートだから。ハート。わかる? 心臓」
少女は手で、トーブテの葉と同じ形を作って左胸の前に当てた。
「魔女に捧げるべき、獣の心臓を表しているのか?」
「違うって。獣の心臓、ランドセルにつけるってキモすぎだってば」
「では、人の――?」
「違うってば。キュートなの。かわいいの。ファッション。おしゃれ」
なにを言っているのか、ところどころ聞き取れないが、おおよそわかった。高度なまじないのようだ。
「さすが魔女だ」
「全然通じてない気しかしないけど……」
黒い髪の少女は、こちらをまじまじと見ている。そういえば、まだミンネは名乗りもしていない。
(うっかりしていた。礼を失してはいけない)
これから、魔女に宝玉を授る立場だ。ミンネは胸に手を当て、頭を下げた。
「魔女よ。私は、青き血の女神イシュテムの娘。オラーテの子。ミパの子。トトリ村のミンネ」
「……それ、どこまで名前?」
「ミンネだ」
「ミンネね。了解。私はリノ。織田リノ」
「オダリノ」
「リノでいいよ」
「リノデイイヨ?」
「いやいや、リノデイイヨ、じゃなくて、リ・ノ! リノ。リノ。わかる?」
「リノ。覚えた。魔女らしい、よき名だ」
「少しも嬉しくないんだけど」
少女――リノは目を細くして、唇をへの字に曲げた。
「すまない。本心からの言葉だ」
「全然フォローになってませんけど。……まぁ、いいや、それは。私、今忙しいの。それじゃ、お元気で」
くるり、とリノは背を向け、トーブテの葉をお構いなしに踏んで歩いていく。
「待ってくれ」
ミンネは走って、リノの前に回りこんだ。
「うわ! 速ッ、なに! なんなの!」
リノは気味の悪いものを見る目でミンネを見、あとずさった。
「すまないが、事情があって、あなたを探していた。このまま手ぶらで帰るわけにはいかない。時間がないのだ」
「私も急いでるの。そこを通して。塾に行かなきゃ」
機嫌をそこねるわけにもいかず、ミンネは道を譲る。
「人の命がかかっている。どうか、話だけでも聞いてくれ」
ずんずんとリノは先に進みながら、ぶっきらぼうに「話すなら話してよ」と言った。そこでミンネは歩きながら事情を説明した。
自分は、トトリ村の長の娘である、というところからミンネは話しはじめた。
このままでは米は実らず、冬には多くの民が飢えて死んでしまうこと。
再び火竜との絆を取り戻すには、魔女の力が要ること。
「へぇ。すごい大変そう」
一通りの話を終えたミンネに、リノは気のない相づちを打った。
「宝玉が要るのだ。魔女よ。かつて蒼き血の女神イシュテムにしたように、宝玉を授けてくれ」
ガザガザと草の間を通りながら、リノは振り返った。黒い大きな目が、ぱちぱちとまばたきする。
「……私? もしかして、それ、私に頼んでる?」
「あぁ。そのために私はここまで来た」
またリノはきょろきょろとあたりを見ながら歩き出した。
「えぇと、四日かけて、お兄さんを殺したヤバいヤツに監視されながら、島の端から遥々ここまで来たんだよね?」
それほど熱心に聞いていた風でもなかったが、リノは話を理解していた。ミンネは「その通りだ」と答える。幼い子供だと思っていたが、頭の回転は速い。
「で、三日以内に魔女から宝玉を授けてもらえないと、島の人がたくさん死ぬ。で、あなたは生贄にされて殺されちゃうし、逃げて戦に備えるには、義理のお姉さんを身代わりにしなくちゃいけない。で、基本的に向こうが準備万端で攻めてきてるし、情報も遮断されてるから、こっちには不利だってことだよね?」
「あぁ、そうだ」
「南部の村に連絡がつけば、そのヤバいヤツを好き勝手させずに済む。っていうか、そもそも宝玉があると、この暗い空もスッキリ晴れて、島の南北で極端な温度差ができたりもしなって万々歳ってことね」
「まったくその通りだ。魔女よ」
「読解問題得意なの。塾の国語の偏差値、六十五あるから」
またよくわらかないことを言って、リノは足を止めた。
腕を組み、近くの岩に腰を下ろす。
「なんでもする。村に帰ると約束はしたが、島を救うためならば、皆も許してくれるだろう。たとえこの心臓を捧げよと言われても、断りはしない。――宝玉を授けてくれ、魔女よ」
うーん、とうなってから、リノは火竜の皮の袋をさぐりはじめた。
「食べる? アメ」
銀色の袋が出てきた。
どのように加工されたものか見当もつかないが、恐らく魔女の技術に違いない。




