ドラゴン対ワーウルフ
「ボクも竜に変身していいかな」
エルが急にそんなことを言い出したので僕は驚いた。
「エルがいいのなら僕は別にかまわないというか……。でも、そういうのって隠しておかないといけないんじゃないの」
「じいちゃんのときはそうだったんだけど、今はボクの好きにしていいっていってたし。だからいいんじゃないかな」
そういうものなのかな……。
部外者の僕がどうこう言うようなことじゃないんだろうけど。
「でも、どうして急に竜になりたいだなんて思ったの? もしかして僕を守ってくれるためなら、無理にしなくても一応方法はあるから平気だけど……」
「あ、ううん。そういうわけじゃないんだ。もちろんキミを守りたいっていうのはあるけど、たまには元の姿に戻って体を動かしたくてね」
「やっぱり人間の姿になってると疲れるの?」
エルが言葉を探すように少しだけ首を傾ける。
「疲れるというか、思いっきり体動かしたいって感じかなあ。人間の体でずっと狭いところにいると、なんだか体を思いっきり伸ばしたくなるけど、それに似てる気がするよ」
その気持ちはちょっと分かるような、でもドラゴンと同じスケールで考えていいのかちょっと迷うような……。
どっちにしろ、エルが元の姿に戻りたいというのなら、僕がダメだなんて言えるわけはないよね。
だからいいよと答えると、エルがワクワクするように瞳を輝かせた。
「それに、竜の姿になると人間はみんな怖がるけど、あのワーウルフなら一緒に遊んでくれそうな気がするんだ」
エルの遊ぶっていうのが、どのくらいのことをいうのかわからないけど……。
なんだかやっぱり心配になってきたなあ。
「エルが本気を出したらこの辺り一帯が壊れちゃうだろうから、あんまり無茶はしないでね。あ、でも、元の竜に戻ると大きすぎて闘技場からはみ出ちゃうかも」
「それなら大丈夫だよ。大きさはある程度調整できるから」
「それなら平気かな」
「ありがとう」
エルがそういうと、その体が光に包まれて、やがて大きく膨らんでいく。
人間の姿だったものはその形を崩しながら長く伸びていき、背中からは巨大な翼が生え、手足は丸太よりもさらに大きくなっていく。
やがて光が晴れると、そこにはワーウルフとなったハウンドさんよりもさらに倍以上も大きなドラゴンが現れていた。
もっとも、それでも本来のエルよりは一回りくらい小さいんだけど。
突如現れた竜を前にして、会場中がしんと静まり返った。
直後に爆発的な歓声が響きわたる。
「なんだよあれ、まさかドラゴンか!?」
「ワードラゴンってことか!? ドラゴンに変身する奴なんて聞いたことないぞ!」
「こんな間近でドラゴンなんてはじめて見た……」
さっきの数倍も大きな歓声だ。
ざわめきというより、もうほとんど悲鳴みたいなものだった。
それは対戦相手も同じだった。
魔導師のハマーさんが呆然とエルを見上げている。
その顔は血の気を失って青白くなっていた。
まあそりゃそうだよね。
誰だって目の前にドラゴンが現れたら驚くし、逃げ出したくなるに決まっている。
その場で気絶したっておかしくない。
でも、この会場内でただ一人だけ、真逆の反応をする人がいた。
「ははははは! まさかドラゴンと戦える日が来るとはな!!」
ワーウルフ姿のハウンドさんが哄笑を上げる。
牙をむき出しにする好戦的な笑みだった。
「この俺様の手が震えてやがる! なるほど、こいつが恐怖ってやつか。最高じゃねえか!」
ええ……。
恐怖して喜ぶ人なんてはじめてみた……。
どうやら根っからの戦い好きな人みたいだ。
「ボクもこの姿で運動するのは久しぶりなんだ。少しつきあってくれるかな?」
のんびりとしたエルの声が響く。
巨大なドラゴンからそんな声が出ているなんてあまりにも場違いで、なにかの冗談みたいだった。
「もちろんだ。てめえが嫌だといっても俺が許すわけねえだろう」
「よかった。ありがとう」
どうやら二人のあいだで心が通じ合ったみたいだ。
きっと二人にとってこれは試合じゃなくて、遊びの延長みたいなものなんだろう。
試合開始の合図はなかった。
そんなものが鳴るのを待たずに、ハウンドさんが地面を蹴る。
後ろの地面が爆発するほどのすさまじい力だ。
直後にエルが前足を振り下ろした。
空気が破裂するような衝撃音と共に地面が陥没する。
エルが振り下ろした前足の下で、直撃を受けたハウンドさんが膝まで地面に埋まっていた。
「ぐ、あ……」
超スピードで走るハウンドさんを正確に踏みつけたエルもすごいけど、それを耐えたハウンドさんもすごかった。
なにしろ地面が陥没するくらいの一撃だ。
僕だったら骨ごとぺしゃんこにされていたはず。
そして、さらにとんでもないことが起こる。
「……ああああああああああああああああああああああッッッ!!」
「うわわっ」
なんと、ハウンドさんがエルを押し返したんだ。
「はあっ……、はあっ……。伝説のドラゴンなんていわれても、しょせんはこんなもんかよ……」
ハウンドさんが地面に埋まりながらも、血走った目でエルを睨み上げた。
「まさか今のが全力ってわけじゃねえんだろう……。本気でかかってこい。俺はまだまだこんなものじゃねえぞ……!」
あの状況で強がれるのは本当にすごい。
ドラゴンが怖くないのかな……。
エルも驚いたみたいだった。
「本当に? すごいなあ。じゃあ次はもうちょっと強めにするね」
もう一度前足を振り下ろす。
先ほどよりもさらに大きな轟音が響き、割れた大地の亀裂が観客席にまで届いて悲鳴が上がった。
闘技場の地面はもう半分以上が陥没している。
まともな地面の方が少ないくらいだ。
エルも容赦ないなあ……。
だけどその中心で、すごいことにハウンドさんはまだ倒れることなく立っていた。
「くくく……。これが、ドラゴンの一撃か……」
「キミもボクと一緒に遊んでくれてありがとう」
ハウンドさんが血塗れの顔でニヤリと笑う。
「なあに、気にするな……。ドラゴンの攻撃を生身で受けきったとなれば、それだけで伝説になれるだろ……。負けても箔がつくってもんさ……」
「そうなの? 人間のことはまだよくわからないけど、一緒に楽しんでくれたらうれしいな」
「ああ、最高に楽しいぜ……。だけどよ、てめえはひとつ間違えてるぜ」
「えっ、なんのこと」
「勝負はまだ終わりじゃねえ。なにもう勝ったつもりでいやがるんだ……。俺はまだ貴様の前に立っているぞ! この二本の足が折れねえ限り、俺は負けちゃいねえ!」
血塗れの顔で、会場中に咆哮を響かせる。
エルもうれしそうに首を持ち上げた。
「そっか。じゃあ次は本気でいくね」
「ああ、こい! てめえの全力を見せてみろ!!」
ハウンドさんが頭の上で腕を交差させる。
エルは両足で地面に強く踏ん張ると、天高く持ち上げた頭を下に向け、巨大な火炎を吐き出した。
陥没した大地の中心に、炎の柱がそびえ立つ。
爆発が地面に無数の亀裂を作り、轟音で大地が激しく揺れた。
遠くで建物が崩れたような音が聞こえたけど、大丈夫かなあ……。
やがて炎の柱が消える。
焼き焦がされ焦土と化したそこには、立ったまま気を失ったハウンドさんの姿があった。




