刹那の攻防
「なんにしても、相手にケガをさせるようなことだけはしないでね」
男は俺の方を見ようともしない。
金髪女のことを心配している、という雰囲気でもなかった。
まるで女が俺に怪我させるのを心配しているかのような態度だ。
それどころか奥にいるニアまでもが、慌てる様子もなく事態を静観していた。
それは、つまり……。
「この俺が負けるっていいてえのか!」
怒りにまかせて剣を抜き放った。
そのまま切っ先を男の喉元に突きつける。
剣のしなりを利用して、抜きから最高速に達する剣の奥義、抜刀術だ。
鞘に収まった状態から放つため虚を突きやすく、知らなければ対処は不可能。
この状態からの奇襲を失敗したことはなかった。
どんな強敵相手でも先制で首を切り飛ばせばそれで終わる。
十年以上にわたって磨き続けてきた俺の必殺の一刀だ。
だが……。
剣の切っ先が男に突きつけられることはなかった。
なぜなら、柄から延びているはずの刀身が、根本からきれいさっぱり消滅していたからだ。
な、なにが起こった……!?
混乱する俺をよそに、周囲には弛緩した空気が流れていた。
「おいおい、刀身がないじゃねえか、ずいぶん手の込んだ脅しだな」
「最初からやる気はなかったってことかよ。それにしては迫真の演技だったな」
「演技の腕もSS級ってか」
どうやら俺が最初から刀身のない剣を持っていたと思っているようだ。
だが、俺だけはわかる。
剣をつかんだその瞬間までは、確かに鉄の重みがあった。柄の先に刀身は付いていたんだ。
だが抜くと同時になくなった。
そして刀身は今も鞘の中に残されていることが重さからわかる。
この瞬間にたまたま刀身が柄からはずれてしまった、なんて馬鹿げた偶然がある訳ない。
考えられるとすれば、鞘から引き抜いたほんの一瞬のあいだに……。
「……っ!」
事実に気がつくと同時に、ぞっとするような冷たさが背筋を凍らせた。
目の前の女を見る。
弛みつつある空気の中で、そいつだけは笑みを見せることもなく、一切の感情を浮かべない視線を俺へと向けていた。
ただじっと、獲物を見定めるように……。
俺だって遊びでSS級になったわけじゃない。
いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた。
だからわかる。
こいつはまともな目じゃない。
その目を見て確信した。
嘘だろ……。
この女、俺が剣を抜いた瞬間に切り落としやがった……。
剣をつかみ、抜いた瞬間に根元から刀身を切り落としやがったんだ……!
いつどうやったのかなにも見えなかった。
もしその早業が俺の首に向けられていたとしたら……。
「……ッ!」
想像してゾッとする。
俺が気がつくのを待ってから、女が静かに口を開いた。
「わたしとしてはカインさんを傷つけようとする人間はすべて皆殺しでいいと思うのですが、カインさんがダメだというので許してあげます」
先ほどまでの無表情が嘘のように消え失せて、ニコリと笑みを浮かべた。
「でも、次はありませんからね」
気圧されて冷や汗が流れる。
こんなことはじめてだった。
この俺が、しかも女相手に気圧されるなんて。
「……お前、いったい何者だ」
どうにか絞り出した声は震えていた。
女はあっけらかんと明るく答える。
「わたしですか? ライムです。カインさんに付けてもらった名前なんですよ!」
「ライムか……。やはり知らない名だな……」
そもそも偽名だろう。
これだけの実力を持ちながら、その素性がいっさい知れない。
まず間違いなく暗部の人間だ。
そして、カインとかいうあの男は、その名付け親だという……。
「……ふん。今日のところはこのくらいで許してやる」
そうとだけいうと、協会をあとにした。
俺はとてつもない地雷を踏んでしまった。
そのことに足を震わせながら。




