地上最強の生物再び
突如として現れたドラゴンを前にして、騎士団はパニックに陥っていた。
「た、た、隊長! ドラゴンが、ドラゴンが空に!」
報告に来た騎士も声が震えている。
シルヴィアはドラゴンから目を離さないまま、抑えた声でつぶやく。
「わかっている、撤退だ。すぐに撤退の準備をしろ……!」
「しかし今更撤退をしたところで逃げられるわけもありません。ならば戦うしか……」
「馬鹿者! 見てわからないのか。あの濃密な魔力……、ただのドラゴンではない。始祖竜に連なる系譜の一族、エルダードラゴンの末裔だ!」
「……ッ!」
ドラゴンの中にもさまざまな種類がある。
トカゲなどとの交配により竜の血が薄まったワイバーンから、地脈の中に住むといわれるエレメンタルドラゴンまで様々だ。
もちろん竜の血が濃いほうが元の力を受け継いでいるため強い。
そして、エルダードラゴンは始祖竜の血を継ぐ純血のドラゴンであるとされている。
その強さは言うまでもない。
「では隊長も我々と一緒に……」
「私は殿をつとめる。お前たちはすぐに撤退の準備をはじめろ」
「し、しかし、それでは隊長が……!」
「心配するな。この中で一番強いのが私だ。そう簡単にやられるつもりはない」
「隊長一人にはさせません! 私も……!」
報告に来た騎士の他数名も声を上げる。
だけどシルヴィアはそれらを制止した。
「ダメだ。戦えば万にひとつも勝ち目はない。私たちは全滅するだろう。しかし、撤退すれば何人かは生き残れるかもしれない」
「シルヴィア隊長……」
「敵に背を向けるなど騎士道に反する軟弱者とそしられるだろう。だが無駄死などなんの意味もない。生きて国を守ることこそが私たちの使命だ。その崇高な使命に比べれば、私たちのプライドなどちっぽけなものだ。
忘れるな。私たちの命は国のためにあり、市民のためにある。ここで無駄に散らせることこそ騎士の恥と知れ。だからお前たちだけでも生きて帰るんだ」
「隊長、どうして、そんな……」
「どうして、か……」
王都にいたころの私なら、生き恥を晒すくらいなら死を選んだかもしれない。
だが今は騎士としての本当の在り方を知っている。
騎士の本分は戦うことではなく、戦わないことなのだ。
「さあお前たち、もういけ。もし私のことを案じてくれるのなら、なるべく早く撤退の準備をしてくれ。私とて負けるつもりはないが、いつまでも保つものではないからな。なるべく早く撤退してくれたほうが助かる」
「ですが……」
「さっさと行け! これは命令だ!」
「……っ!!」
一喝すると、騎士たちの背が反射的にびしっと伸びた。
そのまま敬礼をすると、きびすを返して走り去っていく。
それでいい。
死ぬのは私一人で十分だ。
剣を構えて、空を泳ぐ巨体を睨み上げる。
すさまじい迫力に全身が震えた。
見た目の偉容よりも、全身から発せられる魔力がすべてを圧倒している。
まさしく、生物としての格が違うとしかいいようがない。
どれほど鍛えたとしても、蟻が象に勝てないのと同じだ。
このドラゴン相手に勝ち目なんてあるわけない。やつがその気になれば私は一秒と保たないだろう。
今こうして立っていられるのは、皮肉にも私が弱すぎるからだ。
敵として認識されていないからこそ、やつは攻撃を仕掛けてこない。
そのとき、私の横に誰かの立つ気配があった。
「大丈夫? シルヴィア」
「カイン殿……!」
こんな危険な時に真っ先にとなりに来てくれたことに、思わずうれしくなってしまう。
そんな軟弱な思考をすぐに振り払った。
「助けに来てくれたのはありがたい。だが、これは私たちの問題だ。カイン殿を危険な目にあわせるわけにはいかない」
「それなら大丈夫だよ」
私に向けてそう言う顔には、少しも怯えがなかった。
まるで本当に何でもないと思っているような表情だ。
瞬間。
空を覆いつくす影が濃くなった。
竜の巨体が私たちの前に着陸する。
地面が揺れ、砂埃が舞い上がり、衝撃波が周囲を薙ぎ払う。
ただ着地しただけなのにこの破壊力。
まるで隕石だ。
竜が両足を地面につけ、首をもたげる。
全生物の頂点ともいわれるその威容に、全身が震えるのを感じた。
「……カイン殿、ひとつお願いがあるのだがいいだろうか」
「うん。どんなこと?」
「手を握ってくれないだろうか」
「手を?」
「ああ。それだけでいい」
「えっと、こうかな」
かすかに震える私の手を、そっと握る感触があった。
こんな時でさえ、その手は優しくてあたたかい。
それが私に勇気をくれた。
たとえここで死ぬとしても、カイン殿だけは絶対に守る。
決死の覚悟を決める私に向けて、ドラゴンがその口を開いた。
そして想像を絶する咆哮が轟く。
かと思いきや。
「やあ、久しぶりだね。やっぱりキミだったんだ」
どこか飄々とした声がカイン殿に向けられた。




