出会った二人
草むらの中にモンスターの気配がある。
見た目にはなにもないけど、僕の直感がそこに誰かが隠れていることを知らせていた。
レベル1の僕は最弱モンスターのミニゴブリンにすら負けてしまう。
だから見えない敵の位置を察知する感覚は鍛えてあるんだ。
どんなに巧妙に擬態するモンスターでも必ず感知できる自信がある。
そんな僕だからこそ気がつけたようなかすかな気配。
こんなに巧妙に隠れられるなんて、確実に高レベルのモンスターだ。戦って勝てる相手じゃない。
いつもなら回れ右をして一目散に逃げるんだけど、でも、なんかいつもとは違うものを感じるんだよね。
僕は他の冒険者のように強敵を倒したり、ダンジョンに入って稼ぐといったことはできない。
そのかわりに薬草の採取や、素材集めとかをして暮らしている。
だからモンスターなんかにはちょっと詳しい。
そんな僕でも初めて感じる気配っていうのには、ちょっと興味があった。
それにモンスターの気配はあるけど、敵意は感じられない。襲われる心配はなさそうだ。
そーっと手を伸ばして草に触れる。
すると、草がまるで生き物のようにぶるるっと震え、黄金色に輝く不定形のモンスターになった。
「こ、これは……!」
現れた姿を見て思わず声が漏れてしまった。
見るのは初めてだったけど、黄金よりも黄金色といわれるその姿を見間違えるはずがない。
千年以上にもなる歴史の中で、目撃されたことがあるのは十数回程度。
退治されたのはたったの二回という超激レアモンスター。
ゴールデンスライムだ。
倒せば全ステータスがカンストするほどの経験値が手に入り、素材からは最強の金属であるオリハルコンが手に入る。
目撃情報だけでも一生暮らせるほどのお金が手に入るくらいだ。
あらゆる魔術を無効化する完璧な擬態能力と、百万の軍隊で包囲した状態からでも逃げきれるほどの逃走スキルを持つため、傷ひとつ付けることすら奇跡といわれてる。
そんな幻のモンスターが目の前にいた。
しかも怯えたように震え、逃げる気配がない。
どうやら怪我をしてるみたいだ。
だから擬態も完璧ではなくなり、僕にも見つけられたんだろう。
怪我のため逃げることもできず、隠れるもののない場所でプルプルと震えている。なにこれかわいい。
……いやいや、そんなことを思っている場合じゃない。
どう見てもチャンスだ。今なら貧弱な僕でも退治できる。
このモンスターを倒せば莫大な経験値が手に入り、レベル1の僕でも伝説に残るほどの勇者となれるだろう。
知らないうちに唾を飲み込む音が聞こえた。気が付けば手も震えている。
当然だ。目の前にいるのはそれほどの存在。
次の瞬間に隕石が僕の頭にピンポイントで落ちてきてもおかしくないくらいの幸運なんだ。
ゴールデンスライムを刺激しないようにできる限りゆっくりと手を動かし、腰のポーチからアイテムを取り出す。
それはいま受けているクエストのために三日三晩森の中に張り込んでようやく手に入れたアイテムだったけど、まったく気にはならなかった。
そんなクエストなんかよりも、目の前にいる存在のほうが重要だ。
手にしたのはポーションだった。もちろん普通のやつじゃない。
一角獣の角を使って作る万能薬。
これひとつで家がひとつ建つほどの高級品だけど、僕は迷うことなく栓をあけた。
指先をナイフで少しだけ切り、血を一滴垂らす。
僕の血が入ったことで、万能薬は誰かが怪我をしたのだと勘違いして、傷を治そうと輝きはじめた。
一角獣の万能薬はあらゆる病を治してくれる薬だけど、こうやって使えばあらゆる傷を治してくれる治癒薬にもなるんだ。
それを目の前のスライムに振りかけた。
プルプルと震えていた体が止まる。
どうやら怪我も治ったみたいだ。
よかった。スライムにも人間と同じ物が効くという自信はなかったんだけど、うまくいったみたい。
傷の治ったゴールデンスライムはその場で僕を見上げていた。
いやまあ、スライムの目がどこにあるかはわからないんだけど、不定形の体が少しだけ僕のほうに盛り上がった気がしたから、僕のほうに意識を向けてるんだと思う。……たぶんだけど。
「それじゃあね。誰にやられたかわからないけど、気を付けて帰るんだよ」
スライムに別れを告げて僕も家に帰ることにする。
倒せば莫大な経験値が手に入り、一生遊んでも使いきれないほどのお金が手に入る。
世界中の冒険者が一攫千金を夢見て探している幻のレアモンスター。
でも、そんなのは僕には必要ない。
レベル1でも十分生きていけるし、お金は多くないけど、今の生活に満足してる。
それになにより、いくらモンスターとはいえ、目の前で怯えてる子を放っておくほうができるわけないよね。
一角獣の薬を使ったことでクエストに失敗しちゃったのだけが心配だけど……。
せっかく依頼を回してくれたのに、セーラはきっと怒るだろうな。
謝って許してくれればいいけど、どっちにしろクエストはやり直しだ。
また取りに行かないとなあ。
一度帰ってまた準備しないと。
そんなときにふと、さっきの子はどんな毎日を送っているんだろうと思った。
世界中の冒険者から追われているのというのは、僕なんかには想像もできないけど、きっと大変なことだよね。
やっぱり家も誰にも見つからないように偽装されているのかな。あの子の家もここから近いといいけど。
せめて今日くらいはゆっくりと休んで欲しい。
僕も早く帰って、久しぶりのベッドでゆっくり眠りたいな。
☆☆☆
彼女にとって人間は敵だった。
常に命を狙われ続け、少しの痕跡でも見逃さずに追いかけてくる。
あぶり出すためだけに山に火を放ち、かすり傷を負わせるためだけに草原が荒野に変わるほどの魔法を放つ。
巻き込まれた動物たちの数は計り知れないだろう。自分のせいでどれだけの命が犠牲になったのかもわからない。
家族も散り散りになり、今では生きてるのかどうかさえわからなくなっていた。
安らげる場所なんてどこにもない。眠る時間さえ許されない。少しでも気を抜けば殺される。
いっそ死んだほうが楽だったかもしれない。
だけど彼女たちは強かった。
生半可な攻撃ではダメージひとつ与えられず、多少の傷なら無意識のうちに自己再生してしまう。
聞いた話だと、昔捕まった仲間は今も生きたまま捕らえられ、その体から取れるオリハルコンのために解剖と再生を繰り返しているらしい。
死ぬこともできないまま、永遠に切り刻まれる毎日。
考えただけでゾッとした。
もし捕まったら自分も同じようになるとと思うだけで気が狂いそうだった。
一睡もすることができない逃亡の旅と、絶え間なく襲う恐怖に駆られて、彼女は泣いた。
それでも声だけは出さなかった。人間たちはわずかな音さえ聞き逃さずに追いかけてくる。
だから、ただ静かに、小さな涙を流しただけだった。
それはほんのわずかな時間。
眠るよりも短く、安堵の息すらつけない一瞬の時。
たちどまり、涙を一滴こぼす、それだけの行為。
そんな一瞬の油断すら許されなかった。
人間たちの無差別攻撃がついに彼女の体を捕らえた。
なにをされたのかわからなかった。すさまじい痛みが体を貫く。まるで全身の神経を引きちぎり、無数の針が血液中を巡るかのような、この世の物とは思えない痛みだった。
彼女は走った。
泣き叫びながら走った。
痛みでなにも考えられなくなった頭で、もう嫌だと狂い叫びながら走った。
気がつけばどこかもわからない森の中にいた。
全力で逃げたためどれだけの距離を移動したのかもわからない。
だが少なくとも人間たちの追跡は振り切ったようだった。
ほっと息をつく。
とたんに忘れていた痛みを思い出した。
体中を無数の針で貫かれているかのような、激烈な痛みだった。
無理をして走り続けたため、傷は思ったよりも悪化している。自己再生の力もうまく働かなかった。
きっと力を封じるような魔術的ななにかをされたんだろう。
このまま放置していたら治るだろうか。
それとも一生このままなんだろうか。
気が狂いそうなほどのこの痛みが一生消えないのだとしたら……。
恐怖に体が震えたそのとき。
人間の足音が聞こえた。
心臓が音を立てて縮みあがった。
まさかこんなところまで追いかけてくるなんて。今の自分ではろくに逃げることもできない。
とにかく草に擬態して隠れることにした。
人間の足音が近づいてくる。
こっちにこないで……。
思いが通じたのか、足音が止まる。自分のことを見失ったのだろうか。ほっとため息をつく。
そのとき、人間の手が彼女の体に触れた。
捕まった。
逃げないと、と思うことすらできないほど、心が恐怖でいっぱいになった。
体が震えるのを止められない。擬態が解けていることさえ気がつかなかった。涙が滴となっていくつも地面に落ちる。
自分は人間に捕まるのだ。生きたまま何度も解剖され、そのたびに再生を繰り返し、永遠に切り刻まれ続けるんだ。
絶望に心が黒く染まる。
生まれた頃からいいことなんてひとつもなかった。
ただ人間に怯え、逃げ続けるだけの毎日だった。
思い返しても幸せな瞬間なんてひとつもない。
家族を失い、友達も作る暇もなく、わずかな休息さえ許されない一生だった。
必死に逃げ続けた挙げ句のこの結末がわたしの生まれてきた意味だというのなら。
それが神様が定めた運命だというのなら。
それでもいい。その運命を受け入れよう。
だから神様、お願いです。
わたしにも幸せをください。幸せだと思える時間をください。
一度だけでいい。一瞬でもいい。それ以上は望まない。それさえ叶うのならばこの先どうなってもかまわない。
だからわたしにも、生まれてきてよかったと思える思い出をください。
わたし、文句なんて一度も言いませんでした。
どんなに過酷な運命でも受け入れてきました。
ずっといい子にしてたでしょう。
だから、だから一度くらい……。
一生に一度のわがままくらい、叶えてくれてもいいじゃない!
ぽたり、と。
彼女の体に水滴が触れた。
優しい光が傷を癒していく。
「……え?」
見上げた先に人間がいた。
今まで見てきたどの人間の表情とも違うあたたかな顔で何かを告げた。
人間の言葉はわからない。
だけど、どくんどくんと体中が脈打つのを感じる。
なにが起こったのかわからなかった。
どうして助かったのだろうとか、人間はすべて敵であることとか、そんなことがすべて頭から消え去ってしまうくらい、全身が熱くなっていった。
そんな気持ちになるのは初めてで、だからどうしたらいいのかわからず、ただじっと去っていく人間の背中を見つめ続ける。
自分に向けられたあたたかな表情が、いつまでも記憶にこびりついていた。
優しい光が心までも癒していく。
全身の鼓動は鳴り止むことがなく、いつまでも高鳴り続けていた。