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魔法迷宮  作者: 戦夢
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四章前半


どれだけの距離を歩き続けたのだろうか。破壊と砂漠化により荒廃した地底を歩き続けたエグザムは数時間ぶりに歩みを止めた。

「機械の残骸だよな」

エグザムは目の前の残骸に対しそう言葉を投げかけ帰ってくる筈無い答えに沈黙を続けるだけでなく、自身より大きく箱型の残骸を赤い槍の先端で突き古代の遺物か只の瓦礫かを判別しようともした。

(汚染物質で劣化してないところ、やっぱり旧時代の機械の一部に違いない。それにしても随分硬い板だな。これを剥がさない限り内部が解からないままだ。)

本物の槍に例えるなら石突部分に相当する尖ったドリル状の先端を突きたて、エグザムは二又に分かれた槍先を握って理力を流す。すると石突先端が回転し始め、先ほどまで硬い金属板だった黒い壁を簡単に砕いてしまった。

「ほんと大した破壊力だよ」

エグザムは縁に蜘蛛の巣状の亀裂が入った穴へ顔を近付け内部の構造を調べる。

(歯車を使った動力伝達装置の一部品らしい。案外簡単な造りだから近くの廃墟に在った物だろう。)

エグザムはその場に尻を着き体の向きも変えると、残骸に背中を預けて来た道を眺めることにした。

「随分歩いたのにまだ丘の中腹だ この調子で歩くのなら地底の壁に辿り着くのは二日後になりそうだ」

白い砂丘の様な段差と窪み。かつて建造物が在った筈の基礎跡。そして満遍なく振り掛けられた様に見える地表の死滅灰。それらが不気味な赤い光により濃淡を色濃く浮き上がらせていて、エグザムの探索意欲と生存本能をも文字どうり彷徨わせている訳だ。

(地下世界に魔素が殆ど無い所為で飛行液の回復が遅い。このままだともう一度飛ぶ前に俺が餓死してしまう。かと言って助けが来るとも思えない、結局自力で脱出経路を探さないとな。)

エグザムは腰の小袋から飴玉だった黒い残骸を取り出し、口に含まずそのまま白い地面に捨ててしまう。元から僅かだった食料がたった数時間の間に全滅し、飲み水の代わりに水筒に入れた赤い液体で喉の渇きを潤す他無い。謎多き赤い液体が害の無い物だと断言できないエグザムにとって、激しい汚染環境に晒されている自分がまだ生きているのに疑問を感じずには居られなかった。

「それよりどうして体が無事なままなんだろう ユイヅキの補助が無いと保護膜すらまともに維持できないのに まるで体が汚染物質に馴染んでいるみたいだ」

エグザムは赤い空に浮かぶ白い霧を見上げ、地底世界だった大空洞に充満している汚染物質の正体を推測してみる事にした。

(魔素と相反する性質の存在と言えば、やはりアメノシスの様な純結晶物質しか思いつかない。アメノシスは汚染物質を浄化する数少ない特効薬の一つ。もしこの水筒の中身がそれと同じ存在なら居住区に大きな庭付きの邸宅を買える位の価値があるだろう。ただし本当に浄化作用が有るなら、魔素を利用する理力も使えないはずなんだが。)

そもそも魔素とは何か。現在に至るまでに得た知識とメルキオルの分身から託された情報を振り返り、エグザムは独自の解釈で考える。

(普遍的に存在し世界を構築する主成分だとか習ったが、メルキオルの情報によると厄災以前から存在する目に見えない物質であり定理の一種。少し前に流行った三大価値観の小さき存在であり、全ての魔導技術の基礎と成る物理現象に相当するらしい。もっとも、あらゆる現代知識が不足している俺にとって理力の元となる存在だと言われても何の事だかいまいち解からん。)

エグザムは起伏が激しい地平に並ぶ古代文明の遺跡とその残骸を見つめながら盛大な溜息を吐いた。落下地点の人口池らしき湖から直線を描き歩いて来たので、なだらかな丘陵に蟻の行列の様な足跡がくっきり残っている。

(汚染物質が堆積し充満している中で生きられるのも、魔法迷宮の浄化作用が俺の中で機能している証拠なんだろうな。たぶん俺固有の耐性だけだと赤い湖から脱出した辺りで死んでいたに違いない。)

胡坐を掻く足の上に置いた螺旋状の奇抜な槍に視線を移し、もう一度変形機能を試そうと理力の使用法についてあれこれ考え始めたエグザム。そのまま思考に(ふけ)るあまり座った体勢のまま寝てしまった。

赤い光に瞼を開けると多くの白い物体が空間を泳いでいるのが判る。それらは攪拌され液体に溶けていく砂糖とは違い原型を留めたままだ。驚いたことに黒い残骸に背を預け座っている状態でもそれらの物体に手が届き、エグザムは本でしか知らない発光生物の様なそれ等に意思が在ると理解した。

(これが意識集合体。蟲の王の眷属なのか?確かに一つ一つの個体に多くの想いが詰まってる。まるで)

エグザムの両手のどちらかが白い光の玉とぶつかり、周囲で流される事なく漂っていた物体が一斉に遠ざかる。そして、刹那の出来事に後悔や戸惑いすら感じる間も無く意識が覚醒する。

「なんだ夢か」

エグザムは右手で首裏を擦り大きな欠伸と共に体を伸ばす。自身がどの程度眠っていたのか知る術は無いが、おかげで体の疲れや思考の停滞感は全く感じない。

エグザムは立ち上がり再び歩き出す。目指す場所こそ明確でないが、とりあえず予定どうり真っ直ぐ歩いて大きな丘陵を突破する事にした。


死滅灰。汚染物質により分解された有機物の残骸で、火山灰より粒が細かく大地の栄養と成らない死の灰。微量でも粉塵を吸入すると数分で肺が炎症を起し、一時間以内に心臓が止まるかショック死する。

故に一般的には忌むべき存在として認知されているが、分厚い死滅灰の地層奥深くから多くの魔石が採れるので、鉱業に精通する者なら誰もが知ってる白い金鉱脈とも言われている。


「その者 失われた世界に墜ちて裸同然の状態に心を削り 汚れた大気と土で身を静めんとただ歩く ついに青き正常な地平を思い起こし ただ自らの墓穴を掘ろうと考えた」

頑丈な革靴の底にヒビが入り、腕や上半身を覆う皮の羽衣も表面から朽ち始めた。急激に装備が劣化していく最中でも歩みを止めないエグザムはとある詩に自らの境遇を重ねつつ、緩やかな斜面を登っている。

どれだけ時間が経過したのか、どれだけの距離を歩き幾つの丘を越えたのか。手掛かりとなる体内時計や狩人の勘が全く効いてないので、エグザムは草木が無く岩などが少ない赤い荒野を独り歩いている訳だ。

「独り言が多くなったな この気持ちが狩りの時に感じた絶望感と少し違うのは俺が成長したからか それとも体力が減って頭が混乱している所為か 飲まず食わずでもこんなに歩けるとは思わなかった」

エグザムは軟らかい地面の砂に片足を突きたて、標高数メートル程度の丘上に立ち止まった。

「やっぱり建造物だった 落下中に見えた白い線はアレだったんだな」

周囲に見渡せる物は起伏に富んだ荒野に散らばる死滅灰の堆積地と白い霧。そして長らく歩き続け待ちに待った壁らしき白い構造物の輪郭が見える。峠の最上部から壁の麓まで三キロ程度の間に横たわる様に立ち昇る白い霧が壁の輪郭をぼかしているが、遠くからでもその壁が高さ一キロ近くあるダムの様な構造物だと判別できる。

(どうやら地底世界中に広がっている霧は外周の壁から発生している。それにこの辺りは中心部より明るい、まるで霧が光を発しているようだ。もしそうなら、天井が暗いのに赤い光だけが地上に満ちている理由もわかるかもしれない。)

エグザムは標高百メートル未満の山に挟まれた峠道を歩き続けた。峠道と言っても人為的に整備された道とは違って、蛇の様な枯れた川底をひたすら歩き続けただけだ。

やがてエグザムは外周の壁を隠すように充満している霧内部へ入った。谷底は相変わらず川底のままだが、不思議な事に堆積している筈の死滅灰や遺跡の残骸などと出くわさない。なにより空気中の水分の影響か砂が粘度の様に靴底に纏わりつく。

「なんだこの砂は 砂岩から削られた砂のようだが粘度とは違うな」

靴底にこびり付いた砂を取ろうと右足を上げて靴底を見ると、何故か固着した砂の固まりが帯状の隙間に無かった。それどころか乾いた砂粒が僅かに付着しているだけで、エグザムは不思議に思って右足で体を支えて左足の靴底を調べる。

(今確かに砂が落ちたよな。泥を踏んでいるような感触なのに、足を上げると砂が綺麗さっぱり剥がれる。いったいこの砂は何だ?)

エグザムは片膝を突き足元の砂を両手で掬う。まだ幼い頃に庭先の砂場で作った泥団子より一回り大きな物をこしらえようとするが、どちらかの片手を離した瞬間に必ず崩れてしまい砂団子にすら成らない。

「この辺りの土は赤くない川砂のようだ 川砂は鋳物の金型によく使われると聞いたことがある もしかしたら赤い砂が水に流されて均一な粒だけが残ったのかもしれない」

エグザムは左手の皮手袋から零れ落ちる細かい砂粒を見ながら立ち上がった。これまで歩いている途中で何度か地面を掘り返していたが、黒砂糖と小麦を混ぜたような色の川砂を手に取ったのは初めてだ。

「綺麗な砂粒だ 何処かの国の砂漠地方には着色した砂で絵を描く風習があるらしい この細かい砂を持ち込んだら高値が付くかもな」

霧で視界が悪く十数メートル先が見えない中、エグザムは歩みを再開した。相変わらず視界は霧に包まれ悪い。しかし午後の太陽の下に居ると錯覚できるほど周囲は明るい。

静寂と湿気が適度な温室として大気を暖めていて、どれだけ川底を歩いても蒸し暑い空気が体に纏わりつく。数分ほど歩きそろそろ退屈しそうな蒸し暑さに嫌気が差し始めた頃、周囲が急激に変化し始める。

(この音は水が流れる音だ。近くに小川でも在るのか?)

エグザムは足元を見るが干乾びた川底に水の輝きは無い。視線を水平に戻し進行方向から聞こえる音源へ目を凝らすと、白い霧の中に湖面よ様な輝きが見えた。

「あれはまさか温泉なのか そんな馬鹿な」

正体を確認しようと駆け出したエグザム。僅か十メートル程走っただけで直に足を止めてしまう。

「この匂いは湧き水を茹でた匂い 間違いないぞ」

天空樹水系と周囲の山岳地帯に火山は無い。そもそもセフィロト内で本物の鉱泉が湧き出す場所すらなく、人々は硬水や雨水を煮沸して生活に使用している。当然エグザムも白く濁ったお湯など見た事が無く、浜辺で揺れている水際から更に一歩踏み出す勇気は無かった。

「おいおい嘘だろ これは本物の温泉に違いない 温度も丁度いいのになんて場所に在るんだ」

エグザムは中腰姿勢で皮手袋と革手袋を外し、そのまま両手を湯で清める。聞いたとうり肌に感じる僅かな刺激に思わず吐息が出てしまい、濡れた手に付着した液体の匂いを嗅いだ。

(なんとなく包装紙の匂いに似ている。皮をなめす時に薬品を使うが、確か紙製品の製造過程で混ぜ合わす液薬にも使われているはず。あれなんだが、なんて言ったかな思い出せない。)

着色液の名前を思い出しながら衣服を脱ぐエグザム。狩人が好む皮装備を外してから内側に来ている麻や動物性繊維の下着と革の服を纏めて脱ぎ捨てユイヅキと赤い槍に被せた。

「水底も川砂だ これなら汚れてもすぐ乾くだろう」

エグザムは水際からどんどん深くなる斜面の途中で立ち止まり、腰まで白い湯船に浸かった状態でしばらく待機する。細身のエグザムでは熱が血管を伝いやすく、自分の汗で古い角質を落とし易い体質だからだ。

(なんか眠たくなってきた。落ちた場所から一日分以上歩いたから体の疲れが溜まっているはず。体を洗ったら湯船でから上がって寝よう。)

大きな欠伸を吐きながら両腕を頭上に伸ばし、爪先立ちして体を数センチ沈めたエグザム。首まで浸かってから顔と髪を水際の川砂で洗い、衣服を枕に寝転がるとそのまま寝息を立て始めた。

下半身に熱を感じエグザムは瞼を開ける。どうやら手に何も持たないどころか全裸で赤い湖に腰まで浸かっていて、目と鼻の先の浜辺に立つ狩人装束の自身に気付いた。

「此処は落ちた場所か 何時の間に戻ったんだ」

考えるより先に自然と本音が口から漏れた。しかし多くの疑問に頭が混乱して次の言葉を話せない。

「此処はお前の夢の中 時間が少ないから手短に説明する お前が居る地の底は分解途中の汚染物質を貯蔵する放棄区画 万物に存在する原子と同等の存在である魔素が限りなく少ない本来の清浄な世界だ」

エグザムは脂肪が少ない体に感じる熱を忘れて、五メートル程離れて相対する自身の言葉に耳を傾ける。

「もう気付いている筈だエグザム お前は人の身でありながら生物の根本的な部分から逸脱してしまった存在 言うなれば新しい浄化天使とでも言うべきか 皮肉な事に死神の名を与えられただけの少年が本物の死神に成ってしまったんだからな」

渦中の少年はただ黙って話を享受するエグザムではない。獣人から狩りの業を盗んだ若い狩人でもある。

「そんなこと一々言われなくても分ってる それより用件をさっさと話せ 時間が足りないんだろ」

エグザムの怒鳴り声に若い狩人の転写体は担いでいたユイヅキを乱暴に投げて寄越した。エグザムは放物線を描き顔面に衝突する前にユイヅキを捕まえ、もっと大切に扱えと大切な相棒を乱雑に扱った影に怒鳴った。

「只の消耗品を相棒呼ばわりか そんな事より今は与えられた知識と情報から活路を見い出す事に集中しろ 私には解るぞエグザム この不浄の地にはお前を救う手掛かりが必ず在る筈だ まだ天井を根が支えている内に脱出しないと必ず崩壊に巻き込まれる 案外兆候が始まっている頃かもな」

若い狩人を模した転写体はそう言いながら頭上の一点を見続けている。エグザムは反論しようと口を動かそうとして思い留まった。

(死都の制御中枢カスパーの初期化。今思えば到底独りで達成できそうにないのに、どうして俺はあの時素直に計画へ賛同したんだろう? 今頃メルキオルは本体との融合準備に取り掛かっている筈だから、俺が失敗しても計画の第二段階は必ず始まる。そうなれば此処も崩壊に巻き込まれるだろう、平野に天空湖より大きな穴があくだろうな。)

自身の生き写しが語った内容に停滞していた思考が加速する。すぐに話を理解し何処かへ置き去りにしていた使命を思い出したエグザム。怒りが休息に萎え真剣な表情で口を動かす。

「誰かさんが強引な方法で俺に情報と能力を移植した所為で頭がこんがらがる一方だよ それにあの浄化天使を突破しなければどうにも成らない 残り時間が少ないのは理解してる ただ今は悪戯に動く時ではないだけだ」

エグザムはユイヅキの握り手を左手で握りながら青紫色の水晶体の状態を目で確認した。どうやら汚染物質に晒されて発生する分子結合の劣化と見られる兆候は無く。必要量の魔素さえ有れば理力で水晶体を復活させれる筈だ。

「それに所詮俺と同じなのは姿だけか 狩人はどんな消耗品だろう大切に扱うよう努める 己を律する事さえ出来ない奴に狩人を語る資格は無い」

エグザムは手元から再び己の生き写しへ視線を戻す。目の前の転写体はその場から一歩も動いておらず、相変わらず落ちてきた穴の遥か上を見つめていた。

「状況を理解しているのか なら今後命の危機を助ける必要は無いな お前が何を成し何を壊すかお前の中からじっくり見物するぞ だからせいぜい足掻け死神 中途半端な行動で私を失望させるなよ」

若い狩人の影は最後に自嘲気味に笑うと、瞬く間に足元の白い砂で出来た砂像に様変わりした。エグザムが待てと声をかける間も無く崩壊が始まり、そのまま浜辺の砂に還ってしまう。

「いったいアイツは何者なんだ 俺の姿を真似やがって 命の危機と言っていたな」

エグザムはそう言いながら浜辺に上がろうと足を動かそうとしたが、両足が何かに固定されたかの如く動かない。赤い液体の透明度では下腹部すら見えないので足がどうなっているか目で確認できない。エグザムは前屈みになり腕を液面下に潜らして触覚で状態を確認しようとした。

「な なんだ 体が沈んでいく」

底なし沼や流砂に飲まれたのか足がどんどん底へ沈み始める。エグザムは慌ててユイヅキを底に刺して抵抗しようとするが、両手を潜らせた際握っていた左手からいつの間にか消失していた。

(こんな所で終われるか。まだやることが残っているのに。)

そのまま何の抵抗も出来ず湖面に沈み行く体を動かそうと腰に力を入れたエグザム。頭が混乱して体の制御が覚束無ず、そのまま背後に倒れて湖面に沈んでしまった。

「うはぁ」

白い温泉に沈んだ体のうち上半身を起こし、何度も咳を繰り返して肺に入った白い液体を吐き出すエグザム。寝ている間に水位が上昇して浜が完全に水没している光景を視界の隅で確認し、枕代わりにした衣服や装備を液中から慌てて回収する。

「あぶねぇ 危うく全部流されるところだった」

下着と衣服そして皮装備と探索備品を濡れた体に纏ったエグザム。原初の翼を装備から両手に相棒と槍を握ると、少しずつ水位が上がっている温泉から遠ざかり始めた。

(それにしても夢にしては現実そのものだった。俺を対面させて何かを伝えようとした存在が俺の中に居るとして、例えるなら集合意識とか言う生命体が俺に危機を伝えようとしたのか? まぁお蔭で溺死する前に目が覚めたから助かった。こんな所で無様に死ぬ訳にはいかんからな。)

衣服が水分を蓄えて体が重い。それでも確かな足取りで水場から遠ざかり周囲を観察し始めたエグザム。直に寝る前より霧が濃い事に気付いた。

「これじゃあ水蒸気と大差ないし霧から出ないと服も乾かない まったく面倒な事になった」

エグザムはユイヅキを振って付着した白い液体を最低限量落とす。皮装備は殆ど水を弾いていたが下に来ている衣類はびしょ濡れのままだ。早急に乾かさないと温泉の独特な臭いが染み付いてしまうと考え、狩人は増水した温泉に目もくれず走り去ってしまった。

川砂が靴底に付着し来た時より若干抵抗が増している。さらに厄介な事に霧が蒸気雲に変わった影響で峠全体が白い(もや)に包まれてしまった。エグザムは足元の感触を頼りに蛇行している枯れた川底を走り、確実に峠の坂道を登り続ける。

「こんなに曲がり道が多かったっかな 行きと帰りで全く違って見える」

谷間の峠はなだらかな崖沿いの地形で、晴れてさえいれば赤く塗装された山肌が両側に見える。エグザムは川底から周囲を見渡しやけに明るく(かす)(もや)の向こう側を確認しようと目を細めたが、やはり水蒸気の塊らしき雲に邪魔されて諦めた。

(アイツはこの大空間が浄化途中の汚染物質を貯蔵する為に放棄された場所だと言っていた。その話が確かだとすれば、おそらくこの雲を構成する水原子に汚染物質で構成された分子が混ざっている筈。当然あの濁った硬水じみた白い液体も汚染物質が溶けた溶媒だ。アイツの言うとうり俺はメルキオルと接触した瞬間に人としての何かを事実上放棄した。そして強烈な毒沼でも生きられる別種の存在に変わってしまったんだな。)

温泉に浸かった所為か体に力が漲ってくる。骨の髄まで変わってしまい容姿や身体的特徴も変わったのかもしれない。エグザムは手元に鏡や代替となる代物がない事を悔やみつつ、脳内で峠を越えてからの予定を組み上げて行く。

「まず遺跡を探索しながら地形と構造物の位置を把握 それから魔素が残っている場所を探して飛行液とユイヅキを復活させる 今頃探索街はメルキオルから送られた新しい調査結果で慌ただしく成っている頃だ  金に目が眩んだ猛者がこの場所まで降りて来る前に死都中枢に辿り着かないと俺の計画が全部台無しに成ってしまう」

エグザムは焦る気持ちを抑えて走る速度を少しだけ速める。こうしている間にも本体と融合したメルキオルを介しマギが天空樹に大規模な監視網を構築し始めている頃だ。管理中枢が天空樹を止める最終手段を実行する前に、死都の中枢であるカスパーの核を奪取しなければエグザムに未来は無いのだから。

(力の代償に余命の宣告。マイ・フリールが俺に何をさせたかったのか聞く為にも、必ずこの魔法迷宮から生きて脱出してやる。だから今は他人の(てのひら)で踊っていてやろう。狩人は好機を絶対逃さないと証明してやろう!)

エグザムは理力を獲得する代償として身体の成長を犠牲にした。成長が止まると言う事は凡人より緩やかな死の訪れが早い事を意味している。それでも熟練の探索者を犠牲にして成り立つ魔法迷宮から手っ取り早く逃げ出せ、尚且(なおか)つ成功すれば想像すらしなかった可能性が手に入る。不運が重なるなら幸運も重なると言う理を信じエグザムは走り続けた。


魔素。五千年前の厄災以前から仮説として存在が定義された不可視の物質。目に見えず高精度な顕微鏡でも確認出来ない特定の分子と同様、様々な魔導反応を形成する大いなる存在として語り継がれている。

大気中や無機物と有機物に独自に干渉する媒体と認知されていて、厄災以前に栄えた多くの魔導技術が復活してからも様々な理論実証に活用されているエネルギー源。その変換効率は技術し次第で化石燃料の百倍以上、自然エネルギーの三百倍に匹敵する。


峠の高台に登るとちょうど霧の境目に出れた。エグザムは頭上の天井近くを中心へ流れている雲らしき霧の塊を見上げ、地底世界の外周から発生した霧が赤い光の光源だと一つの仮説を立てた。

「光は波長の塊だ 所詮俺の目が赤い光と捉えているに過ぎない ただ光源が霧だとすると本物の霧とは全くの別物に成るな」

エグザムは赤い地平の輪郭に浮かぶ赤い荒野を眺めていると、明らかに人に近い輪郭の物体が遠くの砂丘に埋まっているのに気付く。

「何だあれ 明るくなったお蔭で想定より早く手掛かりが見つかった」

エグザムは本能的にそれの正体を思い浮かべ駆け出した。距離にして二キロメートル前後、方角は不明なので左手斜め前方の方角を目指し峠の下り坂からどんどん逸れて行く。

(情報では俺が落ちた縦穴は廃棄物を棄てる為の処理施設だったらしい。きっと天空樹が育つ以前の遺物や放棄された代物なら汚染環境にも耐えれる筈。これまでに落ちていた残骸の中で完全に埋まっていたのは古代遺跡の廃墟だけだった。なら閉ざされた地底に放棄された物は当然危険な代物に限られる。)

エグザムは死滅灰が積もった丘を越え赤い液体が乾いた赤原(せきげん)を走る。途中で大きな岩が大地から顔を覗かせている岩場を通り人為的に加工された岩山の階段を駆け上がった。すると赤い原野が真紅の砂漠に変わるなだらかな斜面に出くわした。

(でかいな。石像や化石化した巨大生物の死骸じゃない。まるで身長八十メートルくらいの機動兵だ。)

砂山の一部に高く積もった砂丘の斜面に腰掛ける黒色系の巨人。膝の関節部を除いて腰から下が砂に埋没しているが、空間ごと明るくなったお蔭で沈黙し頭を垂れる状態がはっきりと見える。エグザムは岩場から飛び降りて砂上を駆け上がり、体の横へだらしなく横たえている右手の傍に立つ。

「塗装は青黒色じゃなく紫だ それに掌は外装と違うらしい 機動兵や強化外骨格にここまで正確に人を模した規格は無いはず それに胴体も細いからかなり細身の巨人じゃないと装着できないな」

興奮してか声色が安定しないエグザム。遠方から発見した時に輪郭が姉弟の人造天使と似ていたのを思い出し、目の前の人型の何かが浄化戦争で投入された浄化天使だと一瞬考えた。

(可能性としては有り得るかもしれない。今のところ厄災以前の古代遺跡やその残骸ばかりを目にしたから、捨てられたゴミを混同してしまった可能性もある。それにこいつは腰までしか埋まってない。俺が落ちた穴が天井の中心に在ると仮定してもこの場所から随分遠い。自力彷徨った挙句ここで力尽きたのか?)

伝説上の巨人と見紛う紫の人型は頭部と胸部から肩を含めて背中に独特な装甲形状の鎧を纏っている。エグザムは周囲を調べつつ別の角度から巨人を見上げ、メルキオルの分身から与えられた情報を思い出そうと歩き回る。

(表面装甲や胸部の隙間に死滅灰が積もってる。無風に近いこの環境で流されてきたとは思えない。それに周囲に散らばっている赤い石ころも怪しい。災厄以前からこの場所に在った事を物語る証拠になりそうだ。)

エグザムは斜面を少し下り埋没した巨人の股間の上に辺りに立った。間近から見上げると開いた口元に並ぶ獣の歯と装甲の断面がよく見える。流線型状で海に住む魚類や魔物の頭部に似た兜から突き出た角らしき大きな突起を見て、エグザムはホモリスが装着した強化外骨格の頭部に在った槍先の様な突起を思い出す。

「たぶんあの突起物は検知装置か電波発信機の類だろう 汚染環境で活動出来るよう外部と完全に遮断された種類の外骨格を着ていた 耳と口の代わりだったとしても間違いとは思えない」

紫色に緑の線が施された棒状の突起物から視線を少し下げて、再度巨人の顔を下から拝んだエグザム。体が細く胸が平らな巨大女性像を彷彿とさせる図体と対照的な頭部に人とも獣でもない何かを感じた。

エグザムは更に視線を下げて胸部装甲の下に位置する菱形に違い楕円状の装甲に焦点を当てる。

(おそらくあそこが搭乗口だ。固定装置が壊れて少しだけ隙間が開いてる。多分理力で結合部に干渉すれば、非弱や俺の力でも装甲ごと剥がせる筈。問題は腹の装甲帯の隙間を登れるかだ。)

エグザムは腰から胸部装甲の下側に配置された胴を保護する稼動装甲に触れると、岩の様に硬い紫の壁上目掛け跳躍した。

「はぁ 何とか届いた こいつが猫背じゃなかったら届かなかったな」

腕の力で体と槍を含めた装備品を引き上げるのは難しい。エグザムは両腕の肘を装甲同士の隙間に置いて体を固定し、両足を動かして体を時計の針の様に持ち上げる。

(ロープの類が有れば傾国槍に結んで打ち出せば良い。そうすれば上まで簡単に昇れるのに。)

背中の固定帯に差し込んだ長い二又槍が背骨の動きを阻害し、奥行きが一メートル足らずの狭い窪みで体勢を整えるのに苦戦したエグザム。何とか場所を右側にずらして装甲の角に立つと、また体を縮めてから大きく上の段へ跳躍したのだった。

それからエグザムは三段構造に別れた腹部装甲を昇り終え、最上部の装甲前部に跨って少しずつ菱形に見える楕円状の装甲開口部へと近付いている。

(こうして下から見るとこの装甲が肋骨と背骨に見える。流石に向きが反対側なのは違和感しか感じないが、確かにこの構造なら人と同じ動作が出来る筈だ。)

腹部装甲は上半身を人間同様の動作を行う為に外殻装甲の中でも隙間の面積が大きい。特に前へ突き出した装甲の突起部が縦に三段並んでいるので、見方によっては背骨に見えるかもしれない。

エグザムは滑り易い装甲表面の足場に跨り、股間を絶えず刺激しながら何とか鳩尾の辺りまで辿り着いた。下から見えた装甲の隙間は確かに開きかけた開口部の隙間で、エグザムは幅二十センチ程度の隙間に顔を近づけて内部を調べる。

「何だこれ 硝子の類にしては向こう側が全く見えないぞ 内部から操縦するとして内側からしか外が見えない造りなのか」

エグザムは隙間から腕を肩まで差し込んで辛うじて届く距離に在る球状の凸面を見つめながら、数十センチ以上ありそうな分厚い装甲の裏側も調べた。隙間が開いた隔壁らしき開口式装甲には窓の類がない。必然的に搭乗者は内部の映像装置か何かでで周囲の状況を把握する必要があるが、エグザム自身もその類の知識が十分に備わっているとは思ってなかった。

(いつまでも此処から見ていても埒が明かない。さっさと邪魔な装甲を剥がして内部を調べよう。幸い体内魔素は有る程度回復してる。理力を集中させても枯渇を心配する必要は無い。)

エグザムは足場に成りそうな場所が幅十数センチしかない平面に右足を残し、左足と左手を開口装甲に押し当て力を入れながら体内魔素を活性化させる。すると髪の毛や肌の色が変化しながら発光し、その明度に応じて若干半開きの装甲が下へ少しずつ開いていった。

「まさか錆付いてるのか 汚染環境下で酸化するはず無いだろっ」

三十度ほど開いてから急に抵抗が増し、エグザムは体の位置を変えて両腕と両足をそれぞれ胴側と開口装甲側に押し当る。体自体を楔とし理力を体から装甲を伝い開閉部へ送り続けた。

金属が変形する鈍い音や金具が弾け跳ぶ様な異音が響き、エグザムの体力が大幅に削られる。あと少しの所で完全に開ききると考えたエグザムだが、魔素の大幅な消費に気付いて慌てて理力を断ち切る。

するとその直後に何かが落下して硬い何かにぶつかりくぐもった音が響く。それは開閉装甲が欠落した音ではなくエグザムが装甲の蓋の内側に頭と体を激しく打ちつけた悲鳴だった。

「あぁ痛かった 受身を執る暇も無かった」

エグザムは額や右腕の付け根を擦りながら傷の有無を確認した。幸いな事に滑らかな装甲表面に接触したお蔭で、出血や打撲にまで至ってない。

開閉装甲内側は乳鉢の様に湾曲している。内部に埋め込まれた大きな赤い球体を保護する為に外側へ余分に湾曲しており、どうやら弾性によって鳩尾を衝撃から守る為に設計されたようだ。

エグザムは開口装甲の付け根に立ち自身より若干小さな赤い凸面を素手で擦る。二種類の手袋越しだと決して感じれない滑らかに滑る感触が心地良い。しかし硝子細工や陶器を磨くに磨いた冷たい表面を叩いても音が一切しない。

(指が痛い、なんて硬さだ。革手袋だけでも手に填めておくべきだった。)

右手に二種類の手袋を填めたエグザム。右手指の第二関節の痛みを考慮して別の方法で調べる事にした。

「出番だぞ傾国槍ロンギヌス お前の矛でこの覆いを貫いてしまえ」

傾国槍ロンギヌス。それは本来第一次浄化戦役で死都を破壊した巨大砲弾。現代で言うなら対都市用破壊ミサイル。南方の地上勢力が技術を結集して建造した巨大砲台から打ち出されたとする伝説の兵器だ。

エグザムは残りの体内魔素を考慮し、集中を保ちながら両腕で振り上げた槍を前方に叩きつける。二又の槍先が赤い凸面に触れる前に理力を槍に伝播させ尖った二つの先端を凸面に打ち付けた。

すると細長い槍先が若い小枝の如く曲がり、反発した力が槍ごとエグザムを弾き飛ばす。理力を槍だけに伝播させていたエグザムは螺旋状に曲がった槍を両手に持ったまま、再び開閉装甲の内蓋に背中を打ち付けてしまった。

「くそ どうして貫けない 今まで苦も無く岩や遺跡の石材砕けたのに いったいどう言う事だ」

エグザムは潰れた弾丸の様に歪曲した赤い槍に理力を通して形状を戻す。その間に判明した槍の性質を思い出し、目の前の赤い凸面が何なのか理解しようと試みる。

(ロンギヌスは魔素を含むものやその影響下に在るものなら何でも破壊する。俺の理力と同じく魔素の制御により分子結合に干渉出来る訳だ。その矛が通らないのなら、おそらく覆いに使用された材質に魔素は無い。魔素が無い存在と言えば、やっぱりこの巨人は汚染物質そのものなのか?)

周囲が汚染により崩壊し分解されたのにまだ完全な状態を保っている紫の巨人。いったい誰が何の目的で造ったのか全く解からない存在を前に、エグザムは尻を装甲裏側に押し付けたまま考え込む。

「もし汚染物質の塊なら理力も通用しない筈 俺は自分の筋力だけで開閉装甲を開けたのかもしれない そもそも魔素が浸透しない物体が存在するのなら それは厄災以前に作られた物だけだろ そうとしか考えれない」

エグザムは槍を背中に戻して両手から手袋を外すと、もう一度装甲の接合部に立ち赤い凸面の中心に素手を当てた。

(本当に魔素が無いなら理力による干渉を受け付けない筈。本当はこんな事したく無い。そうだ、あの時油断した俺が悪いんだ。)

再び体内魔素を活性化させ僅かだが理力による直接干渉を行うと、その理力を浸透させた瞬間に大量の情報が何処からか送られて来た。たった一秒にも満たない間に五感に焼き付き、エグザムは荒廃した世界と赤い海。そして巨大な十字型の墓標らしき建造物が刺さった大地に横たわる知り合いの顔を見て、条件反射的に両手を赤い凸面から離す。

「ハッ」

すると赤い凸面に皹が入りエグザムの目の前で砕け始めた。本来なら触れた物体に手形が残ったり内部の構造が手に取るように判ったりするのだが、どうやら今回は何時もと違ったようだ。

「アレはナギサ姉弟の姉の顔だったな さらに色素が抜けたような面だったが間違いない 嫌なものに魅せられた気分だ」

エグザムは砕けた球体が埋め込まれていた内部から足元へ流れ落ちた破片の一つを拾う。片手で握るには少し大きい真紅の結晶で、少しばかり赤い湖や赤い海の色と似ている。

(操縦席じゃないなら何の為の球体なんだ? もしかしたら導力増幅装置の一種かもしれない。これは今後の為にも持って帰ろう。どこぞの専門機関で調べれば何か解かるはずだ。)

目の前に開いた穴には人が操縦するような機材が入っておらず、球体を保護する為の骨組みが露出している。エグザムは腰の小物入れに大小三つの破片を入れるとその骨組みをしばらく調べた後、十メートル程度の高所から飛び降りて巨人の亡骸を後にした。


傾国槍(ロンギヌス)。第一次浄化戦争末期に使用された決戦兵器と言われているが、正確な形状を記した資料が残ってないので詳細は不明。現在でも同国南部の旧グロリアーノ領に残る古都ベルス近郊の廃墟、現在でも「牙龍砦」と呼ばれている観光資源の七つの塔に守られた巨大遺跡に壊れた砲台が残っている。


自身が残した足跡を辿り湖に向かう途上のエグザム。道ならぬ一筋の足跡に戻ってから数時間が経過し、狂った体内時計を気にせず荒野を歩いている。

(カスパー初期化の際に地上からメルキオルとマギが介入する手筈だったな。天空樹の意思に逆らって俺を障壁内の聖域に入れるのだから、当然免疫系が異物を排除しようと動く。縦穴を上がり姉弟や浄化天使を突破する前に気付かれる可能性は低いが、それでも無いと言う訳でもない。原初の翼だけで辿り着けるのか?)

確実に障害を突破する方法を考えていると、急に胸が熱くなり激しい吐き気を催したエグザム。足を止め上半身を前のめりに傾けると、直に吐き出した赤い液体が砂地を黒く染めた。

「やれやれ 完全に消化出来ない物を飲むのは辛いな」

エグザムは胃液で汚れた咥内を舐め回すと、腰から外した水筒の蓋を開けて赤い液体を飲む。この液体は落下地点の赤い湖から採取した液体で、微量だが魔素を含む貴重な飲料だ。

(不思議だな。ここ数日これを飲んでは吐きながら歩いているのに空腹を感じない。確かに俺の体は魔素さえあれば生きられる体に変わってる。)

淡い薄紅色の髪の毛はすっかり赤く染まり、急激に伸びてそのまま放置していたら今頃前髪で前が見えなくなっていただろう。エグザムは手持ちのナイフで邪魔な髪を切りながら歩みを再開させる。

(師匠は命の水だと思えばどんなに苦い酒でも飲めると言っていた。あれは同じような体験をした者にしか解からない話だと思っていたけど、どうやらこの事を指しているようだ。)

エグザムは歩きながら水筒の中身について思いを馳せる。メルキオルの分身から与えられた情報にもない高濃度汚染液。乏しい知識と頼りない情報を何度も思い出した結果、エグザムは一つの仮説を立てていた。

「酒と同じ様にコレを濃縮した液体が何処かに有る筈 おそらく汚染されてない魔素が大量に流入して天空樹が吸収しなかった余り物だろう それを飲めば飛行液だろうが理力だろうが使いたい放題使えるはず」

エグザムはナイフを鞘に戻し、乱雑に切った髪の毛を逆撫でる。獣の様な心地よい肌触りとは無縁な感触だが、脂ぎった角質等が付着した髪の毛よりマシだった。

(そう言えば姉弟の羽は動物と言うより植物の葉の様な羽だったな。あれも傾国槍と同じく理力で展開操作しているようだった。俺も髪の毛を伸ばして羽ばたけたりして。)

独自の飛行理論を妄想していると、右手前方に広がる死滅灰の丘陵地帯の輪郭に大きな遺跡らしき建造物が見えた。まだ輪郭しか見えないが、天井の穴へと流れる謎の雲のお蔭で以前より明るく鮮明に見える。

「あんな所に遺跡が在ったのか まぁ調べるだけ損は無いだろう」

かつて森が広がっていたであろう広い大地は、今や死滅灰の黒い砂地と大小無数の赤い丘が遠くまで続く不毛な土地へ様変わりしていた。水より比重が重い事で知られる死滅灰の上に堆積した赤い砂は決め細やかで、川砂と違い靴底の跡がしっかりと残っている。

エグザムは進路を変えて僅かな台形状の輪郭しか見えない遺跡へ向かう事にした。長い年月で元の地表部が極めて少ない地底世界で遠くから見えるという事は、堆積した死滅灰や赤と白色系の砂に埋もれてない地下施設が残っている可能性が有る。

「せめて飛行液を回復させる何かさえ見つかれば助かるかもしれない まだ体が動くうちに見つかる事を願おう」

それからエグザムは片道だけで三十分以上の時を費やして、見覚えのある酷い有様の円形遺跡の縁に辿り着いた。

外殻ドームの外装を剥がして骨組みを露出させたような壁。天井はやはり無く日差しを気にする必用がない地下独特の建築様式。そして以前階段を登った時に調べた銀色の人工石材の基礎。それらは隔離された虚構世界で見た面影を残しながら砂に埋もれていて、崩壊した壁の一部から内部まで赤く染まっている場所が見える。

(前来た時は周りを回って入り口を探したな。一応残っていると思っていたけど予想以上に損傷が激しい。)

建物の崩壊が経年劣化や汚染による構造崩壊か、もしくは破壊の痕なのか素人のエグザムには判らない。しかし大きな基礎の高台は完全に埋まっていて、エグザムはそのまま砂の高台から広範囲に広がった斜面を滑り遺跡内へ進んだ。

「壁の中は通路だけか 壁の内側に在った段差は客席だったのかもしれない」

エグザムは尻を使い赤い砂の斜面を滑らかに滑る。崩壊し崩れた壁の残骸が方々に散らばっているが、大半は砂に埋もれてしまったのか滑走の妨げにはならなかった。

虚構世界からエグザムを転送した大掛かりな装置が在った中央の池は、完全に川砂の様な白い砂の下に埋まってしまったようだ。中央の池の周りを周回していた物体の姿も無く、大理石のように均一に舗装されていた足場も所々崩壊して陥没している。

エグザムは足元が崩れても助かるように敢て後ろ向きで中央へ進む。堆積した砂が何処から運ばれて来たのか未だに解からない状況なので、この遺跡にその謎を解き明かすヒントでも在ればとエグザムは考えた。

一歩ずつ後ろへゆっくり歩いていると、下ろしたばかりの左足が柔らかい何かを踏んだ。エグザムは右足を踏み込み左足を浮かせ、左半身に移ろうとしていた重心を慌てて前側に戻す。

「ああ怖い怖い 危うく落とし穴を踏み抜くところだった」

左足を上げた瞬間から背後で何かが崩れるような音が連続して発生しだした。エグザムは足元の安全を確認しつつ振り返ると、池の周囲に開いていた環状の窪地の底が抜けて砂埃が巻き上がっていた。

(どうやら基礎の高台より更に下まで構造が続いてる。何処かに降りれる場所が在る筈だ。)

エグザムは周囲を見回し階段を探した。しかし陥没して崩壊した穴と砂に埋もれた床しか見えない。不用意に探し回れば今度こそ落とし穴に嵌まるのは明白だったので、崩壊で開いた通路の断面から外壁通路内に入る事にした。

「暗くて当然か 何も見えんわ こんな時にユイヅキが使えればな」

手足を伸ばし真っ暗な通路内を時計回りに進むエグザム。外壁は三階建てなので以前通った時に階段を見かけたのを覚えていたのが功を奏し、すぐに上と下へ続く階段を発見する。

(やっぱり此処に下り階段が在ったな。階段が通路と並行してるから裏側にも階段が在るんじゃないかと思ったんだ。この遺跡は俺が知る劇場よりしっかり利用者を意識して設計された娯楽施設のようだ。)

エグザムはそのまま階段を数えながら下り、足の感覚を研ぎ澄ませながら下の階に降り立った。階段は十段までで十一段目が階層の廊下。上の階と違い皮靴が砂で滑らず平面を靴底のゴムがしっかり捉えている。砂や埃等の堆積物や汚れが無い。靴底で床を数度叩くとしっかりと足の筋肉に反動が返って来る。

(崩壊は表層だけか。上の穴とこの通路が繋がってるなら光が届いてる場所も在る筈だ。とりあえず今は階段を確認しよう。)

更にエグザムは階段から廊下に出て右に少し進み、壁伝いに新しい角を発見して頬を吊り上げる。手探りで角の奥を壁伝いに一歩だけ進むと、エグザムの想像どうり地下へ下りれる階段が在った。

(集合住宅、或いは塔型の収容施設。刑務所や監獄の様な場所だったのかもしれない。多くを収容すると混雑するから区画構造を統一するのは今も昔も同じと言う訳か。)

エグザムはそのまま階段を下りずに通路を進み、右へ歪曲した通路の先に何が在るのか調査して行く。同時に壁を皮手袋越しに触りながら皮手袋に付着した粉の有無を定期的に嗅いで確める。

(どうやらまだ鼻は使えるようだ。どんな痕跡でもいいから必ず見つけてやる。)

同階層に降りてから鼻を刺す刺激臭がエグザムの嗅覚を邪魔しようとする。雨水や土壌から漏れたガスの匂いに敏感な鼻はアンモニア臭に弱い。エグザムはすえた臭いに有毒成分が含まれてない事を祈りながら、一歩ずつ通路の壁沿いを進んだ。

外見上では遺跡の基礎部分にあたる同階層。外壁の真下に在る事から頑丈に作られているようで、部屋の数が少ない代わりに部屋自体は広かった。しかし全ての部屋を調べる事はできず、エグザムはスライド式の扉が開いている部屋だけ入り、手と足を交互に伸ばして何か落ちてないか調べ続けた。結論から言えば目立った収穫は無かった。全てが持ち去られたのかそれとも初めから空だったのだろう。エグザムは同階層に階段が三箇所と内側へ続く隔壁が閉じられた通路を二箇所発見した。

「これは長丁場になりそうだ この様子だと上の階は全滅だな」

エグザムは現在階層を一周して下りてきた階段の十段目に腰を下ろして休んでいた。途中で遭遇した隔壁や扉を勝手に命名した槍で壊そうかと考えながら、また魔素を回復させる為に水筒の中身を一口だけ飲み干す。

「そろそろ中身が減ってきたな 今日中に調査を終わらせて湖に帰らないと」

まだ体は動く。最後にそう一言だけ呟き立ち上がったエグザム。地下への階段を下りて初めて地下一階に到達した。すると。

(少しだけ周りが見える。やけに赤く見えるが、休んだから体力(魔素)が回復して目が適応したのか?)

地下一階に下りた直後から周囲が僅かに見え、エグザムは驚きつつ周囲の様子を観察する。地下通路は上の外壁通路と同じ構造らしく、やはり円形の建造物外周を沿うように内側に湾曲している。しかし階段の直ぐ左隣に地下区画の中心へ続く通路が在り、隔壁が下りておらず闇の口へ通路が延びている。

エグザムは逡巡した後、奥へ続く通路から探索する事にした。相変わらず目は赤い光だけ捉えている。明るい色の床は磨かれた大理石程綺麗ではないが、病院の床の様な大きなタイルが敷かれていてとても清潔に見える。

「部屋が在るのは後ろの通路だけなのか それとも区画を通路で仕切っただけだろうか」

闇の中へ一直線に通された地下通路。闇の先が口を開けた怪物に見えるような事は無く、エグザムは突き当たりの丁字路で立ち止まり左右へ続く内側の周回通路を交互に見比べた。

(この遺跡も静かな廃墟だな。他のは崩れてたり埋もれて入り口が見つからなくて散々な思いをした。荒野を歩くよりこうやって古代の遺物を肌で体験する方が楽しいな。)

エグザムは赤く染まって見える通路を今度は反時計周りに進むことにした。通路自体に真新しい物は無く、ただ幾つかの扉が外側の壁に在るだけだ。その扉も僅かに浮き出た枠だけの簡素すぎるスライド式扉で、取っ手や開閉操作する機器が見当たらない。その代わり上部の枠内に黒い穴が開いていて、エグザムは豆電球が入りそうな穴目掛けて軽跳びはね手を振りかざした。

(反応が無い。只の穴だ。)

保存状態が良い遺跡なので何かしらの動力が生きているかもしれないと考えたエグザムだったが、天井に等間隔で設置された黒い照明が機能してない以上、期待するだけ時間と労力の無駄だと理解する。

それから閉じた扉を全て無視しながら歩いていると、通路の先に幅四メートル程度の道幅を半分塞いでいる箱状の物体を発見した。エグザムはようやくまともな発見をしたと内心で喜び駆け寄ったら、なんと箱状の物体は出合って反対側側面が頑丈な隔壁扉で塞がれているではないか。

「なんだ箱じゃないのか それでも回し取っ手が有るだけマシか」

エグザムは圧力配管や水道管等に幅広く普及している旋回式解放機構であるバルブを回す。バルブは運搬用導力車特有の大きな高トルクを生み出すハンドルの様な形状で、回し手が想像したより簡単に回せた。

(さてさて下には何が在るのかな。)

重い隔壁扉を開けて内部を確認すると、内部には真下へ下りれる梯子状の取っ手が丸い縦穴の壁に並んでいる。いわゆる後付された通り道の類を前にし、エグザムはいつも以上の慎重さで対処する。

(空気が少しだけ吹き上げている。臭いは下のほうが少ないようだ。とりあえず空気が入れ替わるまで少し待とう。)

それから三分ほど箱状に覆われた金属製の上蓋(覆い)に背中を預け、床に寝転がって考え事をしていたエグザム。考えに熱中するあまり危うく寝てしまいそうになり、立ち上がってから誤まって額の汗を皮手袋で拭ってしまった。

「あぁ痛たい これで肌を擦ると皮が剥けるんだよな」

エグザムは革に加工した皮手袋の指先で額を擦り、生傷が無い事を確認した。こんな場所に細菌が居るとは思えないが、地上と同じく空気中に汚染物質が充満している。

(下は暖かいだろうから空気の流れで酸素が行き渡った筈。そろそろ降りても問題無い)

エグザムは金属棒を差し込んだだけの取っ手に足を掛け、強度を確認してから下に降りて行く。縦穴内は暗く手元だけが僅かに見える程度で、足の下から真っ暗でどれ程下まで延びているのか見当もつかない。

(行き止まりで引き返す事にならないといいけど。どう見ても通常の通り道には見えないから、もしかしたら未完成のまま放置された場所だったりして。)

そんな心配をよそに足運びは軽い。どんどん下へ降り続け奈落の底を待望したエグザム。縦配管は当人が危惧した様な場所とは繋がっておらず、梯子から降りるのを遮る蓋の類さえ無かった。

配管状の縦穴はその配管よりやや広い通路の行き止まりまで続いていた。上から下りたエグザムは左手側へ一直線に伸びた狭い通路を見据え、暗い通路の奥へ耳を澄ませる。

(俺の足音が少し反響していたから十メートルも歩けば反対側に着くだろう。それより見えたり見えなくなったりする理由は何だ?)

エグザムは足音を忍ばせながら確かな足取りで暗い狭い通路を進む。念のため両側の壁を両手で触りながら、人口石材にしては少し荒い表面を皮手袋で擦りつつ歩いた。

やがて暗い視界に真っ暗な影が浮かんだ。それは精巧な四角い形で、エグザムは影の中央に焦点を当てる。すると視界に赤い大きなハンドルと頑丈そうな隔壁扉が現れた。それ等は上の縦穴を塞いでいた隔壁扉と同一の規格らしく、この先に何かが有る事を物語っている。

「またハンドルを回すのか 手間が」

エグザムはハンドルが生暖かい事に気付き口を閉じた。造りが頑丈で分厚い人口石材の壁が熱を通すとは考えれず、扉を開けた先の空間から噴出した熱風で肌が焼けるかもしれない。もしこの通路が非常用の通路ではなく防護服等を着用して通るよう設計された危険な通路なら、果たして火傷するだけで済むだろうか?

エグザムは迷う。両手で握っているハンドルを回そうともせず、ただ開ける開けないの選択を繰り返す。頭がたった一つ回答を出すまでしばし時間がかかり、エグザムはようやくハンドルを回した。

固定用の結合部が扉が開放された手応えを感じ、扉を少しだけ開けて隙間から内部を調べようとする。すると暗闇に慣れた目に眩しい夕焼けの様な光が届き、エグザムは直に扉を閉じてしまう。

(まさか生きている導力炉が在るのか?こんな地下の吹き溜まりに?)

エグザムは瞼を何度も瞬かせて網膜に焼きついたオレンジ色の痣を消そうとする。まさか地下に光で満たされた場所が在ると想定すらしてなかったので、ハンドルから手袋越しに感じる熱さで体が暑く火照った。

(今から装備を用意できるはずない。ここは覚悟を決めるべきだ。)

エグザムはゴーグルと使い古した緑の手拭で目と呼吸器を保護する。はっきり言って応急処置にすらならない杜撰な対処法だが、染み付いた汗の臭いが狩人の精神を強制的に安定させる効果を発揮しそうだ。

意を決して重い隔壁扉を開く。開け放たれた隙間から大量の熱風が狭い通路内へ入って来たが、圧力差が均衡に成り空気の流れが直に止んだ。エグザムは分厚い敷居を跨ぐと、廃墟のベランダや屋上に見られる手摺と足場が人口石材で成型された通路に出る。

通路は円柱状の空洞内の高所に設置されており、エグザムの直ぐ上は白い人工石材で固められた真新しい天井で覆われている。さらに通路内の壁には今しがた開いた隔壁扉が隣り合って並んでいて、エグザムはこの区画がハンドルが無い一方通行の終着点だと理解した。

「閉じ込められないよう何かで扉を固定しないとな」

そう言いながらも肝心の光源を探そうと手摺の壁から下を見下ろすエグザム。数メートル下に在るのは丸い縁に満ちオレンジ色の光を発する水面だけで、周囲には装置の類すらない床と階段が在るだけだった。

エグザムはユイヅキを仕方なくつっかえ棒として隔壁扉の開口部に挟み、通路を回って壁と一体化した階段を下りて立ち止まった。いざ間近で空洞内を明るく照らす光を直視すると、何故か隔壁を開けた時に感じた赤い光には見えない。エグザムは目が光に慣れなくて幻を見てしまったんだと自身を納得させ、そのまま槍を携えながら静止した水面に近付くと、眩しくて底が見えない液面に二又槍先を突き入れた。

すると槍の先端が一瞬にして膨張し果実の様に膨らんだ。エグザムは慌てて槍を水面から引き離すが、螺旋状の槍を持つ右手から途方もない量の何かが自身の体に流れ込んで来る。

「なんだこれ こんなのっ」

心臓が高鳴り体内で大きく脈打つ。体中の汗腺(かんせん)から大量の汗が噴出し、視界がぼやけて立っていられなくなった。

(この何かが送られて来る感覚は覚えがある。あの時は頭だけだった。でも体中が、息が詰まりそうだ。いや食いすぎて胃が膨れすぎた感覚だ。)

エグザムはその場に両膝と左手を着くと胸の辺りに右手を添える。そんな事をしても解決には成らないと頭では理解していたが、体中を駆け巡る活性化した魔素を鎮めようと無我夢中で胸を締め付ける。

「フハァッ 槍から逆流するほどの魔素 飛行液や理力に使うより濃度が高い 合成油をがぶ飲みした様な気分がする」

胸を締め付ける嫌悪感が静まると、体内の魔素と融合して大量の魔素が体に馴染み始めた。エグザムはこの好機を逃さず背中に装着した原初の翼へ同化した魔素を送る。

(驚いたな。まるで体の中から源泉が溢れて来る様な感覚だ。常に不安定な魔素が結晶や石から液化するはずない。いったいどんなカラクリだ?)

原初の翼は大量に送られて来る魔素を飛行液に変換する為、空気を圧縮吸入しながら強制的に内部の魔核を活性化させる。当然ながら翼の開口部から余剰分の魔素が空気と共に圧縮して排出されるのだが、空気中にも大量の魔素が含まれているので、赤と青の混合炎が背中から噴出して室内の気温がどんどん上がっていく。

(まずいな。このままだと俺の方が危ない。)

このままでは酸欠するか脱水症状で死んでしまう。飛行液の充填を諦め手早く原初の翼を脱ぎ捨てたエグザム。赤い槍を拾って消失した先端を戻そうと理力を浸透させたが、手元で暴れるだけで二又の突起は一向に復元しない。

エグザムは復元せず魔素が無駄になると悟り槍を原初の翼の横に置いた。同時に体を襲った過剰な免疫反応が落ち着いたので、槍を調べる前に謎の液体を調べようと水槽の縁へ数歩進む。

(天井や壁には液体が流れて来た痕や排水口が一つも無い。隔壁扉は俺が開けた分以外前部閉じていた。となるとこの液体は下から溢れて来たのか?)

オレンジ色に揺れる発光液の光が天井や周囲の壁を乳白色煮染め、先ほど水面を槍で乱してから波模様が円形の地下室で揺らめいている。もし大量の魔素が無ければ今頃この場所から逃げていたであろう元凶の液体に両手を翳した。

エグザムは瞼を閉じ余計な意識を排除させつつ、体を液体に負けじと輝かせる。更に自らを中心に理力で周囲の構造の探査を始め、脳内に再構築した立体図を少しずつ大きくしていく。

(こんな広範囲まで調べれるのか、凄いな。これだけの魔素が有れば時間が多少掛かっても地下構造の全てを調べれそうだ。)

瞼の裏側に投影された風に観える(感じれる)立体図がどんどん広がり続け、大きな円柱状の塔の形に少しずつ輪郭が定まっていく。驚く事にこの塔は逆さまの塔で、最低でも現在位置から百メートル以上下まで似た様な構造の区画が重なっているようだ。

エグザムは真っ直ぐ下へ伸びた塔から枝分れした地下道を探したが、側面に探査不可能な領域や隠された通路は一つも無かった。塔状の地下構造物はおよそ百二十メートル辺りで途切れていて、自身の探査限界より大きな柱だと思われる。

(中央の空洞から此処まで液体が上がってきている。間違いなくこの下に何か有るな。もし魔素を液体に閉じ込める装置か何かなら、間違いなく有史以来の大発見だ。この液体を使えば星海(せいかい)進出どころか、伝説の箱舟だって動かせる燃料に成る。星海開発事業だけでなく衰退傾向の鉱業や探索業だって復活する筈だ。)

圧倒的なエネルギーを生み出す富の象徴が目の前に在る。そしてエグザムにはそれを調べ活用する術が有った。

「これだけ調べれば十分だ 後は実践あるのみ」

エグザムは大きな縦穴水槽の縁にしゃがみ、まず皮手袋越しに右手でから液体に触れてみる。謎の物質を螺旋状に成型した槍だと膨張して崩壊してしまったが、分厚い皮手袋は形状を保ち液体を荒い表面で弾いている。

「元は別の液体だったんだろう それが周りから浸透してきた魔素を取り込むように成って 時間をかけて少しずつ変質した 基本的に原理は魔石や石油と同じだな」

今度は手袋を外した右手をそのまま液体に浸けて見る。理力により過剰な魔素の流入を阻害する事で、右手から生暖かくて少し纏わりつく液体を掻き混ぜる様な感覚だけを感じれた。

エグザムはその場で全ての衣服と装備品を脱ぎ全裸になると、その場から跳躍して放物線を描き頭から液中へ飛び込んだ。

元から細くしなやかな体がここ数日の間で痩せてしまい、筋肉が減って一段と輪郭が女性体系に近付いてしまったエグザム。同年代でも平均よりやや小柄な体格が合わさり、伸びた髪を切ってなければ少女と間違われても不思議ではないだろう。しかしそんな他者の目も存在しなければ問題無い。そう体で表現しながらエグザムは揺れた液面に顔を出す。

「鉄の匂いがするから元は潤滑油だったのか」

暖かくて気持ち良い。そう言いながら縁へ手を伸ばし体を液中に浮かばせるエグザム。下りて来た目的を忘れて、自身が泳げるように成ったと独り嬉しそうに笑った。

(俺の血を一滴たらして魔素を同化させれば、多少時間が掛かってもこの水槽内の魔素を独り占めできる。まぁそんな事しなくても浮かんで居れば体が勝手に魔素を吸収してくれる。体が満たされるだけ利用手段が増える訳だ。)

エグザムは水面に仰向けで体を浮かせつつ、鼻から肺の空気を抜いて少しずつ体を沈めていく。当然直に口が水面下に沈み、鼻の穴から液体が気管を通って肺胞を満たし始めた。しかしエグザムは苦しみもがこうとせず、頭上に伸ばした両腕の先でしっかりと水槽の縁に体を保持していた。

鼻先が沈むと同時に足の爪先も沈み、両手を支点に緩やかに体が液中の壁へ傾く。緩慢な動きで弛緩した両足が液体の抵抗を受けて左右に広がるが、エグザムは体に力を入れる事無く壁に背中を預ける。

(なんとか上手くいった。想定どうり細胞がしっかしと魔素を吸収している。これなら潜っている間も酸素を必要としない筈。問題はどの位潜れるかだ。)

エグザムは肺でも鰓でもなく、皮膚や髪の毛から魔素を取り入れ直接細胞の生命維持に充てている。魔素のあらゆる物質に浸透し干渉する作用を理力の干渉で導いてやれば、魔素を活性化させると言われている魔導因子を介し細胞を維持し続けれるのだ。

(メルキオルの分身は細胞内に癒着した魔導因子が魔法操作や魔力干渉の触媒に成ると言っていた。虚構世界と同一化した生命は自らの魔導因子を消費しながら自我と肉体を維持する。だから迷宮探索に期限が設定されていて、探索中は絶えず魔導因子を吸われ続ける訳だ。現実に戻れば数時間で回復するからと言っても、以前の俺の様に毎日潜り続ければ回復量も落ちてしまう。もしこの事実を知らず無理な探索を続けていたら、遅くても数年後には探索者人生が終わってしまう。そして崩壊する天空樹から経済的にも逃げれず、これから後悔する敗者と一緒に瓦礫の下だ。)

エグザムはゆっくり瞼を開けて光る液中越しに大きな縦穴を見下ろす。液中だと透明度が高く、円柱状の縦穴深部まで鮮明に見える。あれだけ眩しく見えた赤みがかった光も殆ど収まり、縦穴深部と側壁に開いた穴が揺れて見える意外気にならない。

(滅ぼした筈の魔導細胞に有った魔導因子を受け継いだ結果がこれか。マギは死神伝説を再現する為に実験を繰り返していたのかもしれない。いずれせよ管理存在の真意を確める必要がある。この下を調べれば交渉材料の一つや二つくらい見つかるだろ。)

肺に残った空気を全て吐き出すと両手を縁の角から離したエグザム。当然比重が重い体は足元から沈んで行き、地表から大深度に位置する深い穴の底へ下りて行った。


星海開発事業。現在この単語は死語として認知されている。九十六年前の衛星網崩壊によりばら撒かれた破片と残骸がロケットの打ち上げ軌道を塞いでいるからだ。

この事件を契機に新型の往還機計画も頓挫してしまい、現在では赤道近辺で流れ星が頻繁に目撃される原因として語り継がれている。かつて世界中の国が総力を挙げて星海に新しい覇権構造を求めた代償として、現在でも通信機器は海中や地底に敷設された汎用ケーブルや通信用塔台(電波塔)が担っている。


水圧から体を守る為に展開した障壁がまた少し縮む。上下からの衝撃に強いとされる朝鳥の卵をイメージした楕円状の膜を展開したのだが、二百メートル程度の水圧で簡単に変形してしまった。

エグザムは浅知恵や付け焼刃の情報に頼るのを止め別の手段を考えていると、脆い膜より確実に水圧から身を守れる渦潮を思いついた。早速頭で思い描く理力の構築図に反映させて干渉防壁を変更する。

(水を制するのではなく、流れを治めると言う事か。先人の知恵は馬鹿に出来ないから凄い。)

本気を出して大量の魔素を利用すれば、縦穴を縦に裂く巨大な渦を生み出せる。その気になれば何かしらの方法で空気を底まで届ける事も出来たが、慎重と万全を規すエグザムは最低出力を維持しながらゆったりと沈んでいたのだ。

(そろそろ三百を超えのに下がまだぼやけて見えない。いったいこの塔はどれだけ深く造られたんだ?)

エグザムは卵の殻を上下から押し込むように周囲で渦巻く乱流を横へ広げる。すると圧縮した液体から蒸気らしき泡が発生して乱流の殻が白く濁りだした。

(少し塩分を含んでいるが、主成分は水素と酸素だ。これなら息が出来る。)

次にエグザムは周囲に発生した気泡を自らへと集めつつ乱流の殻を広げていく。するとエグザムの小柄な体を包む大きな気泡が形成され、エグザムはシャボン玉の様に揺れる気泡の中で咳を繰り返した。

「くっさ なんて臭いだ 森の匂いに慣れ親しんだ俺にこの臭いはきつい」

更にエグザムは干渉域の内側に臭いの元を浄化するフィルターを展開した。最後の転送時にメルキオルの分身から与えられた理論構築型の演算能力を駆使し、新しい理力の利用法を思いつく。

「この液体から魔素だけを抽出して魔素の球体を作れば もしかしたら邪魔な液体を分子ごと排除出来るかもしれない」

一般的に魔素は質量を伴わない存在とされている。物質として定義されない最大の理由だが、エグザムは魔素を用いた理力の結界に閉じこもる方法も妥当だと考え始める。

丁度その頃、白く濁って見える下の風景から霞が消えつつあった。相変わらず縦穴の大きさや形状に変化は無く、等間隔に開いた壁の穴が下まで不規則な配列で並んでいた。

エグザムは揺らぎつつある平らな空気の境界を補強しようと足下を見て、初めて縦穴の底部を視認した。底には一度だけ見た事がある白い粒の様な塊が無数に泳いでいて、液中を魚や鳥以上に自在な動きで動く物体に注意が引かれる。

「しまっ うボボボォ」

誤まって体勢を崩し足で膜を踏み抜いた事で、空気の塊が一瞬にして気泡の塊に変わってしまった。水圧に押し潰されないよう展開した分厚い乱流層も内側から押されて脆くなり、細い体では耐え切れない怒涛の水攻めがエグザムに迫る。

エグザムはやむ終えず理力による物理干渉で過剰な水を排斥する。球状の結界ではなく円柱状の障壁に変更する事で無防備な状況を防ぎ、同時に内部の水圧の微調整に専念した。

(危ない危ない。意識を失っただけであの世行きは嫌だ。さっさと目的を果して地下からおさらばしよう。)

今度は右腕を上に翳したエグザム。右手を中心に新しい乱流を発生させて体を包むよう広げると、再び展開した乱流層を操作して降下方向を調整、底の中心に聳える堆積物が積み重なった山の裾野に降り立った。

(なるほど。此処から液体が噴出していたのか。可笑しな塔だと思ったけどまさか地下水脈と繋がっていたんだな。)

目の前に在るのは白と黒のゴミ袋が積み重なったゴミ山と酷似した熱水口だ。地上に出来る天然の物と違い瘤が塔の様な形状に仕上がっている。そして図鑑でも見た事が無い様々な色の鉱物の頭上を白いクラゲのような生物が泳いでいる。

エグザムは水圧から身を守る乱流層が熱水の層に触れないよう噴射口から距離を置きつつ、理力を使用する過程で重宝する魔素吸収と浄化作用の別の活用法を試そうと目を泳がした。

(何故熱水が吹き上がるのかは、とりあえず後で考える事にして、問題は始めてやる意識接触の相手があいつ等なのが問題だ。不用意に刺激して襲われましたなんて事にならないといいが。)

その生物は不法投棄された肥料や化学物質に汚染された土を積み上げた様な小山から噴き出る気泡や熱水、そして塵と同じ大きさの白い物質を先端に開いた取り込み口で漉し採っている。果たして軟体生物なのか微生物の集合体なのだろうか。

エグザムは目の前を通り過ぎようとした一匹を理力の檻に閉じ込めた。そのまま対象の魔素を解析する為に少量の魔素を送り、理力を介して生物の構造から遺伝子に至るまで全ての情報を記録していく。

(これが遺伝子の波形か、まるで精巧な落書きだな。比較対象が無いからこれを解析するにはかなりの時間が掛かる。とりあえずこいつの魔導因子を少しだけ採取してみよう。)

不可視の壁の中で洗濯物と同じ扱いをされぐるぐる回る浮遊生物。比較的大きい個体なのに十センチにも満たない軟体が方位磁石の針の様に回り、排泄物か消化途中の餌なのか判らない白い粉を大量に吐き出していた。

エグザムは貴重そうな生物の細胞片から魔導因子を抜き取る事に成功し、用が済んだ浮遊生物を檻から解放してやる。ついでに理力の水流()で熱水の方へ流してやったら、すぐ群れの方へと泳いで行った。

(これでようやく考えうる理力の使い方を全て試せた。これだけの事が可能ならわざわざ天空樹を停止させなくても異常だけ取り除く事も出来る筈。それだけあいつ等は人間を信用してないと言う事か。)

エグザムはそんな事を考えながらも、再び瞼を閉じ底の構造解析を始めた。直に視覚野へ情報が送られ、瞼の裏側に横へ広がる巨大な地下茎図が投影される。

(これは天空樹の根じゃないな。未完成のトンネルか坑道の類だろう。間違い無く地底の更に下で大規模な採掘を行っていた跡だ。意識集合体は地の底が大好きなのか?)

全長だけで数百キロは有りそうな坑道の迷路には、この縦穴と同様に高濃度の魔素を内包した液体で満たされていて、液中の魔素を伝い従来の認識範囲を超えて探査する事ができた。エグザムは更に体内の魔素を活性化させ干渉領域と解析幅を広げる。すると視界に表示された立体図が何かの形を成し始めた。

(これは図形か?魔方陣の様な幾何学模様と少し似ている。)

円や多角形が複雑に重なる図形へ何やら文字らしき線が大量に描かれ始めた。エグザムがその場所へ意識を集中させようとした瞬間、展開した干渉波長が理力ごと押し流されて妨害される。

エグザムは突然の事態に困惑する。自身の能力限界までまだ余裕が有ったにも係わらず探査が失敗したからだ。明確な妨害とも思える事態に動揺してもう一度探査を実行しようか迷っていると、頭に直接語りかけて来る存在を認知した。

【聞こえているかエグザム。聞こえているなら感応波を同調させろ。】

認識できたのは年配の男性の声で、抑揚がすくなく聞き取り易そうな命令だった。エグザムは抗おうとせず指示に従い、理力を魔導検知に集中させ全ての同調回路を開く。

【これでいいのか。お前は何者だ。何処から語りかけている。】

エグザムの問いかけに謎の声の主は短く、隣からだ、とだけ短く答えた。エグザムは驚きつつ瞼を開けて周囲を目視で確認しようとしたら、目の前の斜面に見覚えのある実像が浮かんでいた。

【まだ力の制御に慣れてないようだな。それにいつの間にか我々の領域に侵入して、よりにもよって侵蝕までしようとした。私が気付くのに遅れていたら今頃廃人に成っていた処だったぞ。】

正体を知らなければ大半の者が巨大な闇虫だと認識してしまうだろう輪郭。色素が抜け透明に近い半透明の甲殻と複眼。そして器用に二十関節を曲げて腕を組む仕草。数日ぶりに対面した蟲の王は不機嫌そうに頭を棘が並ぶ前足で擦っている。

【蟲の王か、いやすまなかった。ここ数日の間脱出する為に単独活動ばかりしていたから、ようやく光明が見つかったと思って夢中になってしまった。】

エグザムは話を続け蟲の王に隔離領域を出てから体験した事を全て話した。そして知り合いが纏う強化骨格が荒野に朽ち果てず残っていた巨人と少し似ている事と地底からの脱出方法、そしてこの遺跡の正体について情報を求めた。

【そうかあの記念碑はまだ残っていたのか。やはり神兵の鎧は逸話のとうり朽ちぬ存在なのだな。せっかく再生前にもう一度会えたのだから、お前が不思議に思っているであろう疑問に答えてやる。ただし少し長話になるぞ。】

蟲の王はエグザムに意識集合体の楽園が成立する仮定とその後について、全ての始まりでもある異変から語り始める。エグザムは明かされる星の真実に耳を傾け、驚愕の事実を忘れないよう情報野に刻み込んでいく。


聖都オデッサ。同国の首都にして、セフィロト北部沿岸沿いの湿地流域を含めたオデッサ平野に在る十一の都市から成る複合都市。人口はおよそ二百万だが、大半は遺跡観光に向かう旅行客や東大陸から冬を越すために滞在している観光客ばかり。定住している者は土地柄か五十万程度と推計されている。

都市はそれぞれ道路や高架そして鉄道で接続されているが、都市自体は隣接してない。何故なら南の山岳地帯から流れ出る雪解け水と雨季の雨水により川が増水して、毎年十月に入るまで地上は泥地と沼だらけになるからだ。これにより陸路が使えなくなるので、今の時期各都市を結ぶ公共交通機関は絶えず混雑している。

現在は「オデッサ」とだけ呼ばれる事が多い。古い遺跡が残っている南の山岳区域の改築が進み、かつての面影を残す地区が減ったからだ。もしかしたら聖なる都の名もいつか廃れてしまうのかもしれない。


ここで時間を数日前まで巻き戻す。場所はセフィロト首都である「聖都オデッサ」の大陸間鉄道駅構内。時刻は丁度正午を過ぎた辺りで、最も人ごみが混み合う時間帯だ。

大陸の東西及び南方へ延びた鉄道が合流する場所であるこの駅は、そのまま大陸間鉄道駅と呼ばれており、引込み線を含めて全部で九本の軌道が東西に重なって並んでいる大きな駅だ。

私が居るのはその軌道の中で最南端に位置し南へ向かう貨物列車を駐機させる為大きく造成された南側プラットホーム。丁度貨車に載せる貨物箱が積み上げられた壁の直横に在る長椅子に座り、同じく駅構内で売られている新聞を読んでいた。

新聞には十月中旬から天空樹で解禁される大規模な探索者受け入れと、およそ五百年ぶりに見つかった新しい魔鉱石の鉱脈について大きな活字で紹介されている。探索者の件は専門違いなので詳しい事情は解からない。しかし様々な魔石の総称でもある魔鉱石については、そこら辺を歩いている労働者より何倍も詳しいと自負している。

私ことジャッカス・バロードは、この歳に成るまで考古学の道を貫いてきた学者だ。若い頃に諦めた星海開発の代わりを探して、行き着いた遺跡研究分野で三冊の研究論文を世に送り出した実績が有る。例えその実績が多くの書籍と同様に情報の掃き溜めに埋もれようとしていても、私が南大陸文化財保全委員の末席に連ねている事は変えようのない事実だ。

そろそろ駐機場から大量の貨車と客車を連結した最新式の導力者が構内へ来る時間だ。私は導入されてからまだ十年も経ってない国家縦断鉄道に乗り、終着駅が在る古都ベルスに向かうついでに天空樹の探索街に寄る予定だ。

実は私はこの新聞に載っている探索街の時事情報を六日前から知っていた。六日前に依頼していた調査報告が届き、手紙には聖典政府及び探索街の各組合の下請けが労働者と鉱業技術者や研究員を募っている詳細が書かれていたからだ。

知人の伝手を使い現地の探索者を調査に起用して正解だった。と手紙を読んだばかりの私は、オデッサ東地区の大学で教授をしているその知人に合い。元探索者として募集に部外者が選ばれる方法と調査を代行してくれた探索者に接触する方法を聞いた。

結論から言えば発見されたばかりの鉱脈調査に参加する為、知人は私に魔石学者として推薦状を書いてくれた。勿論調べた内容を報告する契約を結んだので、推薦状を探索組合の窓口に提出しても怪しまれずに済む。

天空樹の街は出入りこそ自由だが何らかの活動をするにも許可が必要とされている。推薦状を持たず探索街に入ったとしても、今回の募集に考古学者として参加するのは不可能だ。魔石の知識なら入門書より多くの情報を知っているので、知識量を武器に長年謎とされている天空樹の秘密を暴きたい。

もし神の実を偶然にでも発見できれば、天空樹周辺から魔石が出土した理由が解かるかもしれない。あの辺りは千年と二百年前まで完全に水没していた。現状では天空樹から溶け出した魔素が老廃物と共に結晶化したと言われている。それを確めるには今も昔も掘ってみるしか方法は無い。

私は聞きなれない導力機関の駆動音に新聞から目を離した。どうやら赤い円筒状遠心分離機関が代名詞の導力機関車が構内へ入って来たようだ。

そろそろ乗車前の列に並ばないとトイレ近くの自由座席が取られてしまう。なにせ保全委員の給金は活動実績次第で変動するが、元々副業目当てに知識や技術を提供する専門家の集まりにすぎない。ここ数年短期的な活動を繰り返してきた私の財布は万年金欠気味の研究者と大差ない。研究論文を纏めた学術書は一冊辺りの単価こそ高く設定できても買う者は限られていて収入源としては乏しすぎる。向こうでも情報を売るのに時間を取られ、満足な研究や調査が出来ないかもしれない。

今の私の財産は箱型の旅行鞄に入れた資料用の魔石や希少鉱石。そして売れば高額で買い取られる本物の保全委員証明書だけだ。もし旅の途中で財産を失ってしまったら、まず間違いなくゼノンの自宅に帰れないばかりか、道端で干乾びたミイラに成ってしまうのだろう。伝説に伝わる神の実が大きな魔結晶だと今度こそ立証してやろう。


南大陸文化財保全委員会。壁画の修復から旧式魔導機関の管理運営、資産化された文化財の管理が目的で結成された組織。有志の資産家から提供された資金で運営されているので、「資産保全委員会」の呼び名の方が一般的。


第九話「死神の名は」

背中を押されながら緩やかに浮上する感覚が心地良い。広げていた両手足を動かし寝返りをうつように体だを傾けると、体がうつ伏せに引っくり返り髪の毛が耳や頬を擦ってもどかしく感じる。エグザムはもう少し寝ていたいとぼんやり考えつつ、瞼を開け覚醒の時を迎えた。

【肉体の(ことわり)から解放された気分はどうだ? 世界が広がって見えるだろ。】

エグザムは己でしか認識できない声に対し、同様の声で肯定の意思を送った。すると何者でもない声の主はエグザムに、直接二つの目で体の状態を確認するよう促した。

エグザムは縦穴から光が消えつつある光景に両手を伸ばし、細い腕も含めて全身に刻まれた不規則な幾何学模様を発光させる。

【髪の毛の先端から足の爪先まで個を認識できる。触ってもないのに体の形や動きがはっきりと解かるから驚きだ。これが集合意識の器に変化した印なんだな。】

髪の生え際から足の裏まで全ての幾何学模様が線で繋がっている。エグザムが少し体を動かすだけで緑の輝き増減し、まるで筋肉を動かす血流を可視化しているようだ。

【そうだ。かつての我等は同じ集合意識や別種族と交流する為、生体痕(せいたいこん)で触れ合って情報の交換やこの特定に役立ててきた。広い星の海を船で行き交い、多くの星に我等の思いと技術を伝えたてきた。そしてその進化した生命体は再び大地に返り咲く事を望んでいる。解かっているなエグザム、もう後戻り出来んぞ。】

深い深い穴の底から時間を掛けて浮上したので、淡い光を発する溶液の底はもう見えない。それでもエグザムは後悔しておらず、交わされた契りを果す為にこれから戦場に赴く。

【任せろ。お前達を残さず大地に帰してやる。今の俺なら汚染物質で封じられた場所だろうと突破してやる。】

エグザムは体に力を入れて液中で体勢を整えると、理力の力で縦穴内を急浮上していく。上を見上げた時には既に最上部の開口部が見えていたので、勢いよく液体から飛び出し体を空中で翻させ着地した。

「物理的に体が細くなったのに以前より力が増してる これなら誰も僕をエグザムと呼ばないだろう」

細くなった処か骨格から変わっていて、必然的に顔の容姿や声色も変わっている。そして何より変化した差分を理解できるエグザムは、新たに獲得した能力の一部で誰かの声を再現した訳だ。

「アンタ誰 男にしては小さい体ね しっかりと私を覚えときなさいよ」

エグザムはその聞き慣れない音を耳で拾い、リアルタイムでノイズや体を伝って変化した音を省いた声真似を続ける。その間に衣服を着て皺が目立つベルトを何時もよりきつく締めた。そして原初の翼を装着して飛行液の充填を行いつつ、槍とユイヅキを回収する。

【これがお前の相棒か。中古の複合弓にしては魔導母体の水晶体が新しいようだが、本当に骨董品なのか?】

分厚い隔壁扉と枠組みのと間に挟んでいたユイヅキを右手に握ったエグザム。そのまま背中の低位置に戻さず、メルキオルの分身が出て行ってから紫色に戻った水晶体を解析する。

「あの若くして引退した技巧師から譲り受けた物だ 確か売れ残りのガラクタだった筈 なにせ今も昔も水晶体を交感する金なんて無いから手入れしかしてない」

理力により演算装置である水晶体を解析したら、制作年代を特定する劣化が全く進んでない事実が判明した。小物でも一個数万はくだらない水晶体は、どんなに高性能でも経年劣化で質と能力が低下してしまう。それでも魔導具の中では寿命が長い部類で、平均して五十年は継続して使えると言われている。

多くの疑念を拭えない中、エグザムは紫色の水晶体を触れて理力の光を灯した。本来都市機能を存続させる為の存在が、状況次第で住人を道連れに都市を殺そうとしているのだ。もしエグザムの死亡か崩壊までの猶予が無くなれば、天空樹は汚染物質を対消滅させる為の爆薬にされてしまう。

【とりあえず蓄積記憶と魔素を活性化状態で封じた。これでもし俺が死んでもあなた達を芽吹かせる種は残る。第一段階が終わったかどうか確認してくれ。】

エグザムが理力で監視している水晶体に蟲の王が入っていく。数秒ほど待つと水晶体から信号が届き、無事に集合意識の移植が完了した。

エグザムは背中の原初の翼に飛行液が溜まったのを確認し右肩にユイヅキを担いで階段を降りる。そして再び丸い側壁が見える大水槽の縁で立ち止まると、体内の魔導路に始まりの火を灯す。

【おお。まごう事無き命の輝きだ。今我等に光が戻った。この小さき輝きに祝福を!】

エグザムは体がざわつくのを無視して槍を右手から放し、そのまま槍先を真っ直ぐ天井に向け両手の先で滞空させる。

【今こそ我等の安息を守りし楔を解き放つ。私が一族を代表して引き金を引こう。】

槍は水槽の中央へ水平位置を保ったまま移動していく。エグザムは蟲の王の願いに答えるよう槍に理力を送りながら、背中の水晶体と魔導回路を同調させて仲介役を務める。

槍が理力の干渉を受け魔素を求めて振動し始めた。本来なら所持者の魔素を直接吸収するのだが、肝心の魔素が何処からも送られて来ない。

「成るほど 所詮出来損ないの固まりか この傾国槍は伝説の槍達とは違う 紛い物以下の存在だ」

余剰理力を使い同時並行して槍の解析を進めていたエグザム。勝手に名付けた傾国槍が魔導物質から魔素を抜き続けて製造された永久機関の出来損ないだと知った。

「それにしてもあの巨人の結晶が本物だとは思わなかった とんでもない物を拾ってしまったな」

槍が螺旋状の軸を中心にして回転を始めた。触れてもないのに魔素が充満する液体から魔素を吸い上げ始め、液面が泡立ち不可視の光が実体化する。

エグザムは槍が紅く輝き始めたのを見届け、最後の総仕上げを蟲の王に託す。

【障壁準備完了。ああ任せろ。】

エグザムと蟲の王の思考が合わさりエグザムを不可視の壁が包んだ。実体化した赤い光が天井と液面を照らし、槍を中心に急激な魔素の活性化が始まった。

エグザムは両腕を胸元で組み、紅い光柱が無音のまま天井を掘削していくのを見守る。時折風景が水面に石を投じた様に揺らぐが、小刻みに揺れる体とは違って不可視の壁は微動だに動かない。

「二人の槍から放たれた圧縮型の魔導砲は単なる分子振動を共鳴させただけの指向線だった訳だ あの時は破壊の痕に驚いて飛び上がってしまった 戦いに冷静さを欠いた結末がこれか」

意識集合体と融合した代償に、エグザムの思考が無自覚なまま口から漏れてしまう。人と精神体では思考速度や容量が違う。劣っている方が自我を保つには、自発的に口を動かすのが最適だと器が勝手に解釈したようだ。

そうこうしている内に魔素の活性エネルギーが槍の耐久を超え、一際眩しく輝くと赤い柱に溶けて消えてしまった。活性化の媒体を失い天井を掘削していた光の柱も消え、穴が開いた地下空間内に冷たい空気が流れ込んで来た。

【目論みどうりにいったな。予定どうり翼の制御は任せろ、なにせ三千年数百年ぶりだが我等の手で死都の玄関口まで送ってやる。ただし契約を忘れるなよエグザム。同胞によって造られた浄化天使を今度こそ確実に葬ってくれ。あれはこの世界に在って成らぬ存在だ。】

原初の翼から七位色の光が噴き()で、予備動作も無くエグザムを宙へ舞い上がらせる。そのまま下から穴を上昇して行き、エグザムは綺麗に削られた天井の断面を無視して赤い大地の空へ向かう。

「この地の底に落ちてから何日経過したのか分らない それに俺は同化している間どれだけ寝ていたんだ」

エグザムの長い独り言に水晶体の新しい住人は、エグザムがまる三日間眠り続けていた事を明かした。その事実にエグザムは言葉をなくし。誘導飛行状態のまま瞼を閉じ集合意識に没入する。

【蟲の王。やはり経路を変更したい。一度街に戻って会わなければならない人が居るんだ。例の抜け穴を探そう。】

唐突な提案により水晶体や体内の血に流れる集合意識が一斉にざわつく。まるで肌を通す様々な喧騒が耳障りなほど五月蝿く、エグザムは劇場に詰め掛けた大衆を前に演説している気分を味わった。

【それで良いのか? 伝えたとおり高空の都市跡へ往復するだけの飛行液しかないぞ。途中で魔素を補充しても足りるかどうか解からんぞ。】

エグザムはざわめきを鎮める為に強く肯定の意思を示した。目的を完遂し無事に生き残っても、そのまま残るだろう疑問が精神を少しずつ削っていくかもしれない。集合意識と同化した体で心労を背負う事がいかに危険か、それは蟲の王ならすぐ理解できる話だった。

【よかろう。これより進路を変更して壁を目指す。目的の抜け穴は行き止まりまで進まんと地上に出られるかどうか判らん。それまでお前の魔素を我等の維持に使うぞ。】

エグザムは静かな口調で頼むと答えた。そして瞼を閉じたまま体内の魔素だけを活性化し、衣服や体を汚染物質から守っていた障壁を極限まで薄くする。

地底世界は壁から壁まで長さ二十キロ以上は有る。高度も高所へは六キロ程度まで上らないと天井に届かない。澱んだ空気も地表から離れると複雑に流れていて、緩やかに滑空を始めた翼が何度も揺さ振られた。

それでもエグザムは、天井を支える天空樹の根が地中奥深くから方々へ延びている白い壁の先を目指す。遠目から見ても地を囲う防壁の様な壁からはみ出た根は見えない。まだ中央上空から少し離れた空間を飛んでいても、紫水晶越しに瞼の裏側に映し出された風景は全てが遠くに見えるほど大きかった。


集合意識体。群体を形成した鉱物生命体が特有の液体鉱脈を介し一つの形を成すのと同じで、菌類や海洋生物にも見られる体中に張り巡らした神経回路内の電気信号の集まり。

厳密に言えば量子力学を魔導反応によって再現する事で機能する巨大な思考装置。その正体は星暦以前に星海を渡って来た精神生命体と謳われている伝説上の知性体。まさしく虚構世界の魔物と似て非なる存在だ。



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