表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法迷宮  作者: 戦夢
7/15

三章後半 

【電子機器への粒子透過に失敗。対象の装甲表面を中心に超電圧の電磁障壁が発生しています。強制的に汚染物質の魔導粒子を分解する汚染防護機能と思われます。】

エグザムが手探りで伸ばした理力による干渉攻撃は、機動兵の装甲から発生する蒸気の様な薄い膜遮られてしまった。

(問題無い、この隙に此処から逃げるぞメルキオール。奴の稼働時間は無限じゃない。この汚染濃度では生身の体にも影響が生じるはず、途中で追跡を諦めて離脱するはずだ。)

エグザムは壁伝いに走り、隣の区画へ繋がる入り口へ理力の力で一気に加速する。思惑どうり機動兵の防護装置は予期せぬ干渉によって電磁障壁が乱れている。搭乗者を汚染物質から守る筈の防護膜が何か別の物と干渉しているのだ。機動兵はその干渉している蛇の様な何かを取り払うまで追跡はおろか得意の高機動すら出来ない。

機動兵が全身の装甲に内蔵されていた何等かの装置を展開。眩しいマズルフラッシュが壁にエグザムの影を連続して映し出す。

【対象を中心に局地的な魔導粒子による熱暴走を確認。このままでは魔導粒子を形成する原子核が臨界点を越えます。隔壁を閉鎖させるので遠くへ逃げてください。】

エグザムが隣の区画に駆け込むと同時に閉まった隔壁。背後の隔壁は壁と同一の構造らしく、隣の区画に退避してもメルキオルの警告表示は脳内で警鐘を鳴らしたままだ。

「なんてふざけた奴だ 俺ごと地面に生き埋めにする気か」

エグザムは区画内の壁に在るゴミの投げ込み口を発見すると、一目散に駆け込んで体を勢いのまま放り込んだ。

【素粒子干渉エネルギー増大。衝撃が来ます。】

暗く何の光も無いゴミを投げ捨てるだけの下り坂を滑るエグザム。己の無事を祈る神とやらを持ち得ない若者は、ただ理力による干渉障壁を展開して無事に逃れたいと願う。

次の瞬間、エグザムは己の体を浸透する何かのうねりの様な衝撃を体験じた。重力に引きずられる質量体を吹き飛ばすような衝撃ではなく、空間ごと別の何かへと書き換える様な絶対的な不条理だ。

直後尻を擦らせながら滑っていた下り坂が激しく振動し始める。まるで巨大な音響装置に接続されたかのような揺れは耳にも伝わり、エグザムは耳を押さえながら音に負けじと絶叫する。

「ああああぁ メルキオォル どうなってるぅ」

メルキオルによって脳内に構築されたユイヅキとの擬似的な神経遠隔接続に応答が無い。エグザムはもしやと思いユイヅキの弓にはめ込まれた紫結晶を手で触れて確認する。

【生体接触により同時接続状態が回復しました。状況の解析を再開します。】

機動兵が震源と思われる謎の衝撃波により、エグザムとユイヅキ内のメルキオルを繋ぐ生体導力接続が遮断されていた。しかし直接エグザムが指で触れることにより、敏感な生体接続を強引につなげたのだ。

エグザムの視界。つまりゴーグル越しに見えていた景色が、暗闇から回復して薄暗く四角い枠の下り坂が表れた。

【予定経路から逸脱しており、現在地は地図化出来ない未踏領域の何処かと推測。現状では現在地の把握が出来ません。】

思考を介してメルキオルに処理機能の状態確認と回復を命じたエグザム。長い下り坂の先に、小さな出口が見えて減速を行う。

「やっぱり空調用の配管じゃないな ゴミ捨て場の汚染状況が気に成る」

エグザムは手足を壁と天井に押し当て、下り坂から更に傾斜して真下へ向いている穴を見下ろす。鼻には生臭さや火災現場の焦げ臭い匂いは感じない。配管の出口が在る区画は光源が少ないのか、メルキオルによる解析を待つ必要があった。

【魔導粒子の強制分子分解作用により地下空間の大部分は浄化されています。問題の劣化微細機械が生成した変移型魔導粒子が大量に蓄積されていますが、現在の空気中に汚染源の人工分子結合構造を成す物質は含まれてませんね。】

やがて配管が下に一メートル程伸びた先の入り口から見える風景画鮮明化し始める。メルキオールが伝えた空気が汚染されてない事を示す手掛かりは無さそうだが、配管越しにゴーグルに投影された区画の立体図は今まで通った区画より大きい事を示している。

エグザムは配管内で未成熟な体を動かして頭の位置を逆に変えると、足から落ちて配管から脱出した。

(此処は何だ。機械類と言ううより何かの装置が部屋中に在る。まるで区画自体が何かの地下施設のようだ。)

ゴーグル越しに補正された赤い光によって映し出された区画内の構造物。箱状の物から円柱型の容器の様な物まで雑多に配置されており、人が通るための作業用通路が迷路の様に張り巡らされている。

【感知領域に機会兵の固有駆動周波数は検知出来ず。どうやら無事に逃げ延びるのに成功しましたね。】

機動兵の戦闘により損耗したのは自分だけではなかったと、今更ながら痛感したエグザム。高い天井を支えている複数の支柱に渡された橋へ上がれる階段へと踏み出す。

(現在位置の把握と状況の整理が必要だ。例の何たら回路だかの侵入口も見つけないと。俺の体力も良好とは言えないから、この場所の解析に時間と労力を費やす余裕は無い。)

区画内の構造物には真新しい電力線や光線通信網が敷設されている。階段を上がり格子状の金網が設置された高所通路から区画内を見渡しても、天空樹の生きている設備とは何から何まで違って見える。

エグザムは高所通路を歩き、死んでいるのか機能が停止している設備を見下ろしながら長い区画の反対側へと移動した。

【機器は全て並列接続されているので何等かの大規模な装置の電源か蓄電装置ではないでしょうか。私の記録情報は現代の技術系統に疎いので、残念ながら解析しても有用な情報は提供出来ません。しかし】

メルキオルは放棄された地下区画を何者かが秘密裏に改築し、わざわざ汚染物質を除去してから天空樹の生体処理に介入する何かを建造していると推測した。その何者かとは探索組合の下請けの「知恵の葉」や行政府に関わりがある貿易機構、そして世界中の迷宮に独自に介入出来る迷宮探索機構だった。

天井にせり上がった隔壁を通過して道なりに進んだエグザム。高所通路が渡されている高台まで辿り着き、制御回路が内臓された配管網が集中している大きな縦屋の前で立ち止まる。

「何だこれ 噂の高性能な魔導機関を内蔵している導力炉の試作機か何かか」

視覚補正により赤く塗装された大きな箱。高さは二十メートル以上で幅は形状からして十メートル丁度だろう。縦屋の周囲に構築された三階建ての足場には制御機器らしき操作盤が設置されているが、大掛かりな制御端末から伸びている筈の通信ケーブルが無い。

【震度計に反応あり。何かの装置が作動しています。】

メルキオルの意図を理解する前に足元の床が大きく揺れた。エグザムは咄嗟にその場から前に飛び跳ねて場当たり的な対処を行う。

【この足場は大型の昇降装置です。何等かの質量を自動的に検知する機械系の制御装置によって反応動作したのでしょう。理力による戦闘態勢への移行を推奨します。】

エグザムは小さく舌打ちし、呼吸を落ち着かせながら緩やかに垂直上昇を続ける足場の上で理力の障壁を展開した。先の戦闘による疲労と負荷の蓄積がまだ回復してない。現在地すら解からない不透明な状況で白い機動兵との再戦は絶対避けねばならない。

(メルキオル。ユイヅキの矢の準備は終わってるよな。もしかしたら例の奴を使うかもしれない。状況に保険を賭けたいから一つだけ用意しろ。)

エグザムの問いに肯定したメルキオルはユイヅキの紫水晶を光らせ、理力による変態化の応用で分子結合を破壊する矢を構築し始める。

【転送情報に基づき充填済み魔導粒子を活性化。分子崩壊用の一番飛翔体 破魔の矢 を構築中。】

光始めてから数秒と経たない内に、白く輝く水晶表面に突起の様な物体が浮き出てきた。エグザムはソレに己の理力障壁を接続させると、ユイヅキの紫水晶から引き抜く。

「分子結合に欠かせない魔導粒子を変化させて対象を分子崩壊させる破壊の一撃だったか なあメルキオル やっぱり名前を変えるべきだと思う 対魔導粒子弾とかの単純な方が呼び易いと思うが」

そう言いながらも右手に持つ紫色のやから目を離さないエグザムに対し、メルキオルは記録情報の操作を許可してないとだけ述べた。つまり虚構世界ごと打ち砕く危険な破壊魔法の名称は、誰かが付けた名前から変更できないのだ。

昇降台が高い天井に近付くと、天井に見えていた隔壁がスライドして開いていく。昇降台がそのまま通れる縦穴らしき空洞が拓かれ、まるで分厚い階層壁が上から下りて来る様に見える。

「議論するつもりもない事は解かったから 上の階の解析を始めてくれ」

エグザムは腰の鞄の革帯に矢を差し込むと、分厚い階層壁の下に隠れて見えなくなる謎の縦屋に別れを告げた。間も無く昇降台は真っ暗な天井しか見えない上の階に到達する。もしこの動きが追跡側に察知されているのなら、昇降台が止まる前に身を隠さなければ成らない。

エグザムは昇降台の上を前に進み、手を伸ばせば分厚い隔壁を仕切る謎の合成版に届きそうな端で止まった。

(機械式の昇降台なんて物が在るんだ。たぶん長時間無人の状態で設備を稼動させる前提で区画を改築している。生きている設備は監視装置と電源くらいだろう。もしかしたらメルキオルの記録に有る別の区画への抜け道が在るかもしれない。)

油圧をかけて歯車を回す一般的な昇降装置と違い、機械式の昇降台は一軒やが載りそうなほど大きいのに可動音が静かだ。エグザムは赤く補正された暗闇の天井が視認できる高さまで到達した昇降台から飛び跳ね、そのまま体を空中で反転させると新たな階層の一部に飛び移ってしまった。

【空気中の分子組成は正常。劣化した魔導粒子の濃度がやや高いですが、理力の展開と活動に支障無し。】

エグザムはそのまま昇降台が固定されるであろう高台から下を見下ろし、手摺を超えると下の階と似たように何かが複数配置されている場所へ飛び下りる。あえて階段を使わない理由は特に無い。

(メルキオル。下の階に在った装置と形や配置が違うが、これ等が何だか判るか?)

足音が響きそうな硬質な部材の床に設置された箱状の何か。正方体や直方体と言った馴染みの図形を模した物体が墓標の様に等間隔で並んでいる。エグザムがあえて何かと表現したのには理由が有り、図形を模した箱には幾何学的な模様の溝が彫られているからだ。

【死都の残骸。翼有人が残した遺産。この改築された地下工場で生産された製品もしくわ生産用機材と判断するのが妥当でしょう。幾何学模様に触れて触感を確めれば何か解かるのでは。】

中央の幅三メートル程の道を挟んで両側に複数配置された物体の列。エグザムは謎の模様を触る為に幅二メートル程の間に入ると、複数の円が繋がるように描かれた模様の溝に触れる。

【解析中。しばらく状態を保持してください。】

エグザムはメルキオルの指示通り鮮やかに赤く補正された物体に触り続けた。一分が過ぎ二分が経過しても何の音沙汰も無いので、三分が経過する前にエグザムは我慢出来なくなり状況の説明を求めようとした。

【内部は中空ですが何も入ってません。何等かの格納容器と言うより、記念碑やレプリカの類と推測。ただし模様の部分から人工分子結合体の固有波形が検出出来ました。この地下区画で製造される構成部品の一部と考えるのが妥当ですね。】

メルキオルの解析からこの地下区画が巨大な工場の一部だとなんとなく理解したエグザム。革手袋越しに感じた冷たい感触によって手が冷えたので、両手を強く握り合わせながら中央の道を進む。

ゴーグル越しに赤く補正された地下空間は高低差が激しい。道が続いていると思ったら謎の箱が保管されている場所には階段が一つしか無く、エグザムは溜息混じりに道を引き返した。

二分後に橋桁に渡された通路を渡り終え、エグザムは反対側の高台にまで辿り着いた。

「此処で何が造られていたんだろう」

上方通路を渡っている最中に高台の向こう側に何が在るか気に成っていたエグザム。高台の手摺にしては高い壁をよじ登り、見えなかった区画を一望する。

【奥行き百五十メートル。高さ最大八十メートル。汚染物質及び有毒物質は無し。何等かの組み立て区画と推定。】

天井には壁上方に固定された軌道に乗せられた数種類のクレーンが見える。工業の衰退が著しいセフィロトでは珍しい種類の運搬機械類だ。更に足場には天井とは違う種類の軌道が存在しており、何等かの固定柵が大量に並んでいる。

(すげぇ。こんな工業機械見たことない。導力車を製造する施設かな。)

メルキオルはエグザムが冗談半分で考えた思考を読み取り、エグザムの意図を無視してすぐさま別の回答を提示した。

「解かってるよ ようは地下区画拡張用の建材や機械部品の組立てラインなんだろ あれはこう言う風景を見た時に一度は言ったみたい言葉だったんだよ」

エグザムは幅が細い壁の上を歩き、左側の壁に設置された上方通路へ飛び降りた。今までの地下区画には橋桁や鉄骨で組まれた空中通路や作業用通路ばかりだった。しかしこの上方通路はこの区画を改築する前から存在していたようで、今までの軽量金属板や金網の床とは質感が全く違う。

【壁と一体整形された構造物の一部です。この区画は他の区画より原型を留めている箇所が多く、構造上では何かを貯蔵する場所だったと思われます。それに防腐塗装が殆ど剥がれてません。地下区画を秘密裏に改造した者達が此処を発見した際には既に空だったのでしょう。】

百メートル以上続く長い上方通路を歩き続け、エグザムはメルキオルと共に改築された時期が特定できそうな証拠を探した。しかし機械類や設備には製造番号や固有記号、そして手順を示す案内図すら無い。どうやら此処へ運び込まれた前から部品単位で秘密裏に製造された代物らしく、専門家でもないエグザムには施工年を特定する術は無かった。

エグザムは上方通路を渡り終え、似たような構造の高台に到達した。ただ、この高台は百五十メートル以上後方の高台とは違い幅が狭い。そして天井に通るクレーン用の運搬軌道が前方と左右へ分岐しており、施設が機能していれば鉄道の集約地点さながらの物流が天井を行き交っていただろう。

【驚きました。まさか天空樹下層外縁にこれほど大規模な製造施設が在るとは。今まで天空樹の生体処理から独立していたにも関わらず、天空樹の根の増加増殖機能による侵蝕を受けていません。天空樹の管理が行われていなかった空白期間も考慮すれば、地下の未踏領域そのものが有翼人による極秘建造施設である可能性もあります。いえ、有翼人が建造したと推定した方が賢明かもしれません。】

エグザムは情報処理が追い着かなくて足を止めた。メルキオルの認識が正しいのなら自分達は何千年も前に放棄された、探索街の裏組織と無関係な地下工場を調べていた事になる。

(まさかあの機動兵の搭乗者は有翼人の生き残り、いや子孫か何かなのか? 確か有翼人は空を飛べる道具を使っていただけの人間だったなメルキオル。今の人間よりも長命な体で失われた魔法(古代技術)に詳しかった。戦争で住処を失って翼を維持する技術が途絶えたとしても、その血を引く者が残っていても不思議じゃないか。)

エグザムの自問自答に対するメルキオル返答が無い。幅が狭く高台と言うより堤防に近い高所からは、天空樹が在る巨大盆地周囲の山岳鉄道に建設された山間鉄道トンネルを彷彿とされる大きな隔たりが在る。

【現在此方で参照出来る過去情報を分析して有翼人の情報を探しています。その場から動かず待機時間を休息に使うのを推奨します。】

手摺も柵も無い高台から赤く補正しても殆どが黒く見える大きな溝を見下ろすエグザム。メルキオルの提言どうり腰をその場に下ろし、両足を高い岸壁からなげだした。

「この調子だと天空樹の地下回廊に戻るのは明け方になりそうだ 十月になる前に終わればいいな」

エグザムは両手足を伸ばしながら体を冷たい床に横たえる。狩人として睡眠を自由に行えるよう訓練されているエグザムは、長くなる待機時間をこの場所で寝て過ごす事にした。


機改。魔導技術により製作された魔核を用いて自立稼動する多用途機械の総称。特定の地方や現場では無人機とも呼ばれており、星暦九千三百年代から四百五十年代の革新魔導時代に発明された高性能な演算型学習装置の魔核が本体とも言われている。

およそ六百年前とは言え魔導学の歴史においては比較的新しい部類の機械製品だ。自立回路を埋め込まれた魔核は迷宮産業を中心に製造されている。しかし希少金属や宝石と同等の価値がある水晶体や結晶体の潜在容量の前には、所謂(いわゆる)下位互換にあたる消耗品にしか過ぎない。

よってセフィロトでは職人や労働者を大量に失業させる機改の使用や保有を全面的に禁止されている。


【現在時間は二十九日の午後八時五十二分。分析結果により目的地への経路が判明したので起床してください。】

けたたましい朝鳥の鳴き声(呼び出し音)に比べれば遥かに静かで無機質なメルキオルの声が脳内に響く。照明の電源を切り替える様な感覚で強制的に覚醒させられたエグザム。上半身を起こし肺に空気を取り込むと、やや重い両瞼を開ける。

ゴーグル越しの風景は相変わらず真っ暗だ。照明が機能してない地下空間では視覚補正無しだと何も見えない。

【視覚情報を更新、進むべき経路を表示します。現在。体内魔導粒子の活性化率が低下しているので、不必要な説明と解析行為を省き支援演算頻度も最低限度まで落しました。以降は貴方が直接解析できるように調整したので、不要な行動は慎むように。】

メルキオルの無機質な案内音声が終了すると、視界に複数の文字と矢印、そして腰から右へ伸びた太い黄色の線が表示される。それぞれが空間内の規模や構造と方位や時間を示していて、素人独りでも十分な地下探索が可能な情報量だ。

エグザムは立ち上がると足元から影の如く伸びた黄色い線を辿り始める。エグザムが眠っている間にメルキオルが目的地への場所を特定したようで、黄色い線を辿る度に通過した線が消えていく。

(どうやら自動解析で認識できる範囲は視界内でも百メートルまでらしい。前より半分程度の空間しか認識出来ないのか。下手に大きな空間に入ると壁が補正外で見えずに迷ってしまう。道を外れると終わりと考えた方がいい。)

それからエグザムは数百メートルに及ぶ直線状の堤防らしき高台を歩き続ける。二時間程度仮眠をとったとは言え体力は十全ではない。何時汚染物質が充満する空気層に入るか判らない状況で、走って体力を消費する訳には行かなかった。

地下で運河でも構築していたのか、そう思えるほど幅六十メートルの溝は長く遠くまで構築されている。地面と水平らしく傾斜は無いので運河よりも貯水槽かもしれない。エグザムはその溝に堤防らしき高台越しに接続された十以上の区画を通過し、ようやく黄色い線が堤防から離れる場所まで辿り着く。

(こんな場所に在る梯子を俺が寝ていた場所からよく見つけたものだ。それにしても相当高いな。上までずっと線が続いてるらしい。)

エグザムは幅が最低でも五メートルは有る四角い柱に設置された垂直の梯子を昇り始めた。梯子と言っても作業用に肩で担げる足場が永遠上に伸びている訳ではない。柱の表面に太い金属棒を曲げただけの手摺が打ち付けられていて、壁に開けられた穴との接合部は硬質な接着剤で固定されている。

(こんなの解析しなくても解かる。俺が生まれるよりも古いがまだ接着剤の表面が滑らかだ。どう見ても似三十年前に設置された非常用の、いや地下探索用に設置した急造の梯子だな。)

太股に力を入れて足の筋肉だけで垂直な柱を昇り続けるエグザム。金属棒の表面には何かの痕らしき粉末が付着していて、皮靴の硬い靴底が何度も滑る。そこでエグザムは汚染物質を警戒して自らに障壁を張り、体の免疫系に体力が消費されないよう昇って行く。

下から柱の根元に開けられた天井の穴を見上げた時、視覚の補正範囲に見えていた梯子に異常は見られなかった。しかし天井の直ぐ近くまで梯子を昇ると、上の梯子が所々欠けているのが見てとれた。

エグザムは天井から真上へ掘られた縦穴の真下で一時止まり、縦穴の壁の材質を確認する。

「地下水が漏れてるようには見えない もしかしたら何かが上から落ちて梯子の一部に当たったのか 俺の様に上っている最中誰かが落ちたのかもしれない」

再び太股に力を入れ梯子を昇り始めたエグザム。縦穴内は天井と地盤の境界線を覗いて、綺麗に刳り貫かれた地層の断面が重なっている。

(この深さだと星暦以前よりもっと古い地層だになる。星暦の暦どおり一万年より以前の地層からは化石が出土しないらしいから、きっと上まで岩盤の層が続いているに違いない。)

掘削された黒い岩盤層は劣化した魔導粒子によって岩盤の不活性化していた痕が残っている。不活性化による結合硬直は、永久凍土の様な擬似的な永久保存とは違い境界面が薄く塗装されているような見た目だ。

しかしエグザムには縦穴内の風景を観察する余裕は無い。それどころか梯子の一部が連続して欠損していたり、接着剤の強度が足りなくて体重を乗せると金属棒が傾く場所も在った。

「よし出口が見えた あと少しだ」

およそ十分にも満たない僅かな時間であっても注意を怠らないエグザム。一刻も早く危険な梯子から脱したいあまり、少しづつ昇速さが増してゆく。

(よかった。もう欠落している箇所は無い。)

残り二メートルほどで縦穴の最上部に手が届く。エグザムは大きく息を吸い込んでその手摺に手を伸ばした。

「あ抜けた くそ きちんと接着されて無いぞ」

引き出しを開けるような感覚で梯子の金属手摺を抜いてしまったエグザム。慌てずに二つの穴に金属棒の先端を宛がって、置くまで強引に差し込む。

(此処だけ接着材を流し込むのを忘れたらしい。わざとだとは考えたくないが、今は考えてる暇ない。)

エグザムは接合が緩い一箇所をとばして手摺を一気に上り詰め、頑丈な人工石材の床に右手を乗せる。そして上半身を腕の力で大きく持ち上げ、片足をざらついた床に乗せて最後の手摺から足を離した。

「生きた心地がしなかった ここまで疲れるとまだまだ精神の鍛錬が足りてねぇな」

下の階層より天井が低く横に広がった地下道の壁。天井には等間隔に照明装置が埋め込まれた窪みが在り、地下遺跡で最も代表的な地下道路の類だと一目で解かる。息を整えながらエグザムは視界に表示された方位を意味する文字を探し、目的地への経路を指し示す黄色い線が北の方向へ伸びているのを確めた。

「まだ道は長いな 辛うじて迂回して進んでいると解かるから 目的地はまだ遠い」

エグザムは立ち上がりそのまま表示された黄色い線の上を歩いて行く。皮靴の踵が舗装された路面を打ち鳴らし、歩く度に鈍い振動が体に伝播し続ける。

(地下なのに道幅が広い。えぇえと確か外国だと暫定二車線道路と言われてる道だ。同じ大陸でも市街で密集して暮らすか暮らさないかで道の規格が全く違うらしい。道なんて馬車や鉄道が通れる平地さえあれば十分なのに、ほんと都会人は今も昔も密集して生活するのが大好きだよな。)

鼻で笑う薄気味悪い地声が地下トンネルの壁を伝い反響する。エグザムはその音に驚くも独特な反響音が気に入り、目に映る黄色い車線続く限り言葉にならない呟きを連呼して遊び続けた。


機動兵と強化外骨格。機動兵とは有人式の人型兵器の総称。足の数や関節構造が人と異なる装備も含めて、有力な都市の防衛や特定の紛争と係争地域で活躍する様々な戦闘兵器を指している。

そして強化外骨格は本来、汚染された環境や極寒・酷暑地域で活動を支援する作業支援防護装備。現在は技術の発達による小型化が進み、機動兵器に搭乗する際の搭乗者保護を兼ねた戦闘用強化外骨格が主流になった。しかし機動兵との相性の良さを追求した、強化外骨格を機動兵の筐体として利用している装備品も在る。

なお歩兵用に製造された強化外骨格は戦場の主流とは言えず、機動兵器が荒野を駆け回る競技が普及しつつある現代では脇役に追いやられている。


長い地下道路には分岐点も含め緩やかな勾配と曲面が在った。幸運な事に辿った地下道の壁や柱には小さい皹が有る程度で、地下水や汚染物質の流入は無かった。だから問題なく目的地まで一気に近づけると考えていたエグザム。虚構世界の地下に迷い込んだ際に遭遇した行き止まりの壁と似た形状の壁の前で立ったまま動く気配が無い。

(それはどう言う事だ。もっと詳しく説明しろ。)

エグザムは腕を組んだまま目を瞑り沈黙している。しかしメルキオルを呼び出して経路線が目の前の行き止まりで途切れている状況を確認してから、かれこれ五分近く時間を浪費していた。

【つまりですね。天空樹の地下全体図の基点となる観測地点情報が古くて、天空樹が管理者不在の間に成長し続けた空白期間の地下変動幅が予想よりも大きかったようです。目的地への方向と座標は合ってるんですが、不本意ながら開通してない道を選んでしまったようで。既にご存知のとうり天空樹の生体増殖は虚構世界の再構成再配置処理によって半永久的に維持されてます。本来ならマギにより構築された地下宮回廊も天空樹の増殖を阻害しない範囲で広がる筈なんですが、不可解ながら宿主と干渉し合っていると見て間違い無いかと。】

天空樹の崩壊が近い要因の一つである、根が限界まで成長して発生する地下空洞の一斉崩壊。エグザムが誤まった道を進んでしまったのもこの要因による弊害だと考えるのが妥当だろう。

(確かに枝分れした地下トンネルは分岐した数だけ他の場所に繋がっている。今更道を戻るのなんて雑作もなく簡単だ。でも違うぞメルキオル。俺が聞きたいのは最初に話した虚構世界で行き止まりから転送された理由だ。今まで散々虚構世界から監視しておいて、一時的に居場所が掴めなかったなんて言い訳が通用すると思っているのか? ここは今後の為にも包み隠さず原因を話すべきだ。)

エグザムは再び目を開けて、赤く補正された視界を占有する壁を見つめる。脳内での擬似的な会話に慣れたエグザムにとって、些細な疑問だろうと後回しにするとメルキオルとのやり取りで忘却の狭間に置き忘れてしまうからだ。

【そうですか。私を探ろうと随分と回りくどい言い回しで攻めて来ますね。貴方の言うとうり今後の為にもここで情報の共有を済ませた方が良いかもしれません。では早速過去記憶の投影から始めます。】

メルキオルから一方的な通信が終わると、目の前の風景が一瞬にして切り替わった。驚くべき事に周りの風景だけが別の地下空間に変わり、目の前には虚構世界の地下道で転移する前に見た行き止まりが再び立ちはだかっている。

【貴方の言うとおり当時は霧が発生しておらず再構築、探索者が言う変動現象も記録されてません。貴方がこの行き止まりの前に立ち止まって数秒程経過してから反応が忽然と消えました。当時の私はマギと情報を共有していたので、マギの領域である地底宮を模した蟻の巣に転送された貴方を確認し、再び追跡と監視を続行しました。】

略式裁判において検察側が事件の発端から話すように、メルキオルが錯乱状態のエグザムを転移させた経緯を話し始める。

【貴方は残骸都市を探索していた過程で魔物の幻覚成分を吸い、錯乱状態で地下の奥へ迷い込んでしまったのが発端だと認識しているようですが、事実は違います。貴方が降りた暗渠の先にはかつて用水路と繋がっていた地下道の入り口が在り、現在は迷宮化が進んで隔離された区画にマギが貴方の魔導因子を調査するため強制転送しました。貴方の記憶が無いのは深層意識でも認識出来ない存在として異界の断片を彷徨っていたからで、理力を扱う適性を確認したマギが記憶を改竄し遠隔誘導であの橋まで肉体を操作していたからです。】

メルキオルの水晶に触れて流れ込んで来た情報により、自身が天文学的な確立で選ばれた存在だと知っているエグザム。今まで転移と転送を繰り返した経緯が明確に説明されなかったので、マギが行った行為が何を意味しているのか直ぐに理解できた。

(もし捕らえた調査対象が不適格だったらそのまま消滅させて活動履歴の痕跡ごと消す。所謂(いわゆる)贄に成った行方不明者として探索組合に出張している迷宮課の役人に報告できる訳だ。今まで聞いた行方不明者と言ったら魔物に(やら)れた連中と探索限界を過ぎて自己消滅(自殺)した奴くらいだ。俺が探索街に来た時にそんな話をしてる輩も居たが、あれ以来贄の話は聞いてないな。)

もし自分が適格者ではなかった場合数多くの探索者と同様の末路を辿っていたエグザム。経緯が判明して謎が一つ減ったのが良かったらしく、他人事の様に膨大な数の死に対して興味を失う。

【私には統計情報が無いので調査対象の累計数は知りません。興味があればマギと通信が繋がった際に報告させますが、必要ありますか?】

エグザムは問いを短く否定した。そんな些細な事よりも、視覚を元に戻して目の前の本題について調べるのを優先する。

【掘削途中で周囲の壁ごと合成硬材で固められてます。異物や不純物が多過ぎてノイズしか反応していません。壁に何かの執着でも?】

エグザムは右手をゆっくりと硬い壁の表面に当て、小さな粒子が固まったような細かい表面をなぞる。

(昔まだ孤児院に住んでいた頃にな、坑道の採掘風景や鉱石の特徴を記した簡単な紹介本を読んだ事がある。何でも円形以外の枠で穴を掘るには壁沿いの土を掘った後で残りの部分を崩して取り去るんだと。そうしないと大量の土砂や石が支えを失って崩れて、場合によっては天井に大きな窪みを作ってしまうらしい。)

目の前の壁は人口石材により補強されており、岩や岩盤の断面にしては凹凸に規則性が見られる。そもそも冷静に考えれば、メルキオルの精密な粒子解析を簡単に阻むものなどそうそう在る筈が無い。エグザムは目の前の行き止まりが工事途中を偽装した壁だと睨んでいた訳だ。

「少し手間取るから協力しろ まずこの邪魔な保護膜を砂に変えて窪みを作る そこから一気に干渉波を伝播させて魔導粒子ごと吹き飛ばす」

手ごろな高さに開いた凹みに握り拳を密着させたエグザムに対し、メルキオルは大量発生する粉塵と崩落により危惧される汚染物質の飛散を警告した。そもそも掘削中に大量の粉塵が発生して物理的に異物を吸い込む。仮にこの行き止まりが偽装された壁だったとしても、分厚かったら何度も力を必要とする体力勝負にもつれ込むのは必至。今は多少時間を食ってでも迂回路を選ぶのが妥当な考えだ。

(俺は経験では判らない事は直感に従って解決すると決めている。例えこの先が極度に汚染された隔離区画でも硬い岩盤が有るだけの行き止まりだったとしても、一度出したこの拳を引っ込める気は無いんだよ。)

体中の神経を研ぎ澄ますと内側から湧いて来る理力の源流を捉えたエグザ。髪が薄紅色から赤紫色に変わりほんのり地肌が発光し始めている最中、拳を出した右腕に力を入れて己の魔導因子を更に活性化させる。

「充填が済んだら教えてくれ せっかくだから少し前に思いついた事を試したい」

不敵に微笑むエグザム。悪戯を思いついた悪餓鬼の表情で神経を高ぶらせていく。

【貴方の推理が正しい場合、分子結合材に劣化細胞機械が生み出した人工分子結合体が大量に使用されているでしょう。高濃度の魔導粒子の透過解析を阻害するにはこれが最も効果的で、私の記録情報にも当該情報はその方法だけしか載ってません。説得しても無駄でしょうから私から止めはしませんので、せいぜい死なないように頑張ってください。充填完了。】

待ち望んだ合図を聞き、エグザムは閉じていた拳を開いて強く押し付けた。そして得意の魔法操作と同じ要領で大量の魔導粒子を掌から発生させると、渦巻状の突起を形成させながら回転をどんどん早めていく。同時にエグザムの右腕に大量の空気が集まり始め、トンネル内に高い音が響き渡っていく。

「うおりゃぁぁあああああああ 圧縮ぅぅぅ」

硬質な合金に匹敵する硬い結合材が一瞬して霧散すると、エグザムを中心に壁の中に放射状の干渉波が駆け抜ける。僅か一瞬の瞬きをする間に起った魔導粒子による結合崩壊によって、行き止まりの壁は反対側から爆破されたが如く轟音を(とどろ)かせ派手に吹き飛んだ。

予想どうり大量の粉塵がトンネル内を漂い視界と空気が致死環境にまで悪化した。空気の流れが無いトンネルが僅かに振動した後、音と共に全ての破壊の残滓が行き止まりの先へと吸い出されて行く。どうやらエグザムは最初から正解の経路を進んでいたらしい。

(どうだメルキオル。空気の流れが喝采に聞こえるぞ。これで安心できるな、お前の経路図は狂って無かった。)

たった十秒程度息を我慢した後、目を閉じて鼻と口を覆っていた左手から呼吸器官を解放させる。防護障壁に理力の一部を回しておいたおかげで体が土埃塗れに成るだけで済んだ。

【障壁の除去を確認。解析に処理を集中させるので防護障壁を消します。】

エグザムは背後から流れて来る風を背に歩き、中途半端に残った分厚い壁の一部を見下ろす。地下トンネルを封鎖していた障害物は予想より薄く、幅が二メートル程度しか無かった。

エグザムは少しだけ空気に残留した汚染物質から肺を守る為、狩人時代の汗が染み込んだ手拭で鼻と口を覆う。目は魔物察知用ゴーグルで保護しているが、耳までは手が回らない。

【どうやら有翼人が築いた地下空間に繋がっているようです。当初の予定とは少し違いますが、このまま進めば十分程度で目的地へ辿り着けるでしょう。】

エグザムはその言葉を知覚して安堵する。なにせ天空樹の暴走や崩壊を止めるため中枢制御回路を初期化するのに複雑で厄介な手間がかかる。地下に転移してから四時間半以上が経過しており、何時もの探索ならこの辺りできりあげている頃合だ。

(虚構世界の時のように単独で転移出来れば楽なんだが。何かに語りかけて転移する事ができても使う場所が限られているんじゃなぁ。一体誰がこんな面倒な機能を考えたんだ?)

疲労の所為か興奮気味にあれこれ考えているエグザムを、解析が終わったメルキオルが現実に戻させる。

【まだ勘違いしてますね。貴方には独自の転移能力なんて有りません。あの時壁に触って転移できたのはマギが悪ふざけを兼ねた無計画な戦闘実験に貴方を巻き込んだからです。もう気付いているでしょうが貴方の身近に自力でマギに接触できる人物が存在しています。きっと今の貴方では勝ち目が無い、いえ勝つ自信すら湧かない相手なんでしょね。 そんな事よりも解析結果を伝えます。】

疲労が蓄積した体に笑顔が無くなれば沈む頭と心。エグザムは赤く補正された地下トンネルから一先(ひとま)ず出たいと思った。


人工分子構造結合体。汚染物質の根源である不活性化若しくは劣化した魔導粒子と対を成す代表的な魔導汚染存在。今では魔法文明と謳われている星暦以前の超古代技術が作り出した、様々な英知の結晶を成す特異な分子結合体。未だに全容が明らかに成ってない謎の物質で、超微細顕微鏡で姿が確認されるまで机上の存在だった。


暗く長いトンネルを抜けた先には、広い地下空間の只中に地方大衆劇場が丸々入りそうな大きさの舞台が在った。トンネル内の舗装道路はその舞台の真横で途切れており、この広い地下区間が道の終着点だと一目で理解出来る。

トンネルから出たエグザムは、トンネル出口の直ぐ近くに在る守衛所らしき二階建ての建物の壁に隠れたまま、高い樹木より更に高い位置に在る微弱な光を発する照明を見上げていた。

(こんな離れた場所にまだ電源が生きている施設が残っているのか。メルキオルはこれをどう思う?)

エグザムの問いにメルキオルは稼動している施設の解析結果を伝える。

【設計図に有った地下観測所と転送装置が設置された有翼人の秘密基地です。資料では天空樹空から漏れた汚染物質が充満して放棄されたと記載されてます。年代不明ですが恐らく第一次浄化戦役前後に放棄されたのでしょう。何者かが設備の動力を復旧させていますが、大気中の電解層から逆算しても全施設の三割程度しか稼動してません。】

そのままメルキオルは目的地である転送施設へ続く桟橋が在る大きな舞台へ上がるよう促した。

薄暗い巨大な空間の反対側には、巨大な球の一部と思われる独特な形の壁が露出している。まるで鋼鉄の様な殻で内部を保護していて、大きな舞台の桟橋から接続された吊橋からしか内部へ入れそうになかった。

エグザムは一度壁の影から周囲を観察し、転送区画と反対側の多段施設を注意深く見つめる。照明が生きているので視覚補正が薄く変化し、白や青緑色の照明に照らされた黒い構造物の姿が鮮明に映し出された。

(まるで高度な蜂や蟻の巣を見ている気分だ。外側は階層が階段状に積み重なっているだけに見える。一応、窓らしき枠も在るけど。内部には明かりが無い。建物内まで電源が届いてないのか?)

わざわざ行き止まりを偽装した壁で隔離されていたこの区画に、どうして照明用の電力だけを送っているのか不思議に思ったエグザム。舞台へ移動する前にもう一度メルキオルに空間内の解析を頼んだ。

【この区画からは、生物はおろか動力か電力を維持させる時に発せられる微弱な固有振動が発生してません。照明の光量も微弱なので、何処か別の経路から電力を送っているとしか言えませんね。】

エグザムは用心の為に自分の体臭がする手拭を口元に巻いてゴーグルの位置を調整すると、建物の影から駆け足で移動を開始する。

硬い狩猟用の革靴が舗装された荒い路面を蹴り、何かだ倒れた様な音を周囲へ小刻みに響かせる。自分がトンネル内の偽装障壁を粉砕した時に付着した塵を衣服から舞い上がらせ、本来なら運搬機械から運んだ物資を降ろす待機場へ大舞台の階段を駆け上がる。

その時エグザムは聞き慣れない機械的な笛の音を耳にした。それは自身へ観測用の粒子波長が照射されているのに気付いたメルキオルの警告音なのだが、階段を登っている最中だったので思い出すのにほんの少し手間取ってしまう。

【自動障壁展開。六時やや上方に敵。対処してください。】

エグザムは背後から大型の獣に体当たりされた様な衝撃を受け、言葉にならぬ悲鳴を上げながら硬くざらついた大舞台を転がる。もしメルキオルが魔導粒子を圧縮展開した障壁を張らなかった場合、身長百五十三センチ程度の細い体が砕けていたかもしれない。

(追って来たのか? メルキオル目晦ましで時間を稼ぐぞ!)

エグザムは転がった勢いを利用して立ち上がると、片足を軸に反転してユイヅキの紫水晶を敵へ向けようとした。

【上です。接近注意。】

その言葉を理解したエグザムは、上方に角度を修正しながらユイヅキの紫水晶を発光させようとした。しかし体内の魔導因子が爆発的に活性化したと同時に、背後から伸びてきた太く赤い腕がユイヅキをエグザムから取り上げてしまう。

「はいそこまで 動いたら殺すわよエグザム」

両腕を掴まれ狩られた獲物の如く体を持ち上げられたエグザム。理解が追い着かないほど素早く的確な行動に驚くより、背後から聴こえた聞き覚えのある少女の声に驚いた。

(この声はアーシアだよな。何故こんな所に居るんだ?)

今度は尻尾を掴まれた魚が調理代に乗せられるが如く地面に組み敷かれた。膝と腰が漬物石の様な重い何かで押さえつけられ、頭以外全く動かせない。

「ぐっ 痛いから離せ アーシアだよな 探索者だけでなく物騒な他の仕事もしてるのか」

唯一動かせる顔を捻り、体を拘束している相手をなとか視界に納める事ができた。どうやらアーシアの赤い強化外骨格は珍しい種類の小型機動兵種外骨格と判断できる。軍用の機関銃を装備しているものの、虚構世界で共に探索した時に着用していた機動兵器用搭乗服の輪郭が外骨格の外観と重なった。

「これが例の魔法品ね 確かに骨董品だと油断してるとこっちが危険だわ」

沿い言うとアーシアはユイヅキを背後に放り投げた。硬い路面に灰色の軽金属が衝突し激しく弓が振動する。

「くそっ 許さんぞアーシアっ」

エグザムは大事な相棒が乱雑に扱われた事に言葉にならない怒りが込み上げ、体内の魔導因子を限界まで活性化させて激しく体を揺さ振る。しかしどれだけ髪や地肌を光らせても拘束から逃れる事ができない。

どうやら外骨格で補強されたアーシアの膝で体の動きが完全に封じられている。しかもアーシアはエグザムが潰れないように右膝に体重を逃がしている。これではエグザムがどれだけ両足を動かそうにも、足をバタつかせることしか出来ない。

「こんな物がまだ残ってたんだ まったくウラヌスはどこか抜けてるわね」

そうしている内に腰の銃と予備弾倉を引き抜かれて高台から闇の底へ放り投げられた。どうやらアーシアにはユイヅキより拳銃の方が危険だと認識されたらしい。

「言ったでしょ アンタでは私には敵わない 体が小さいからすばしっこいのが取り得なんて哀れな男ね」

そう言うとアーシアは腰の右に装着したいた切断刃を装甲から外し、右手で逆手に握るとエグザムの後頭部へ近づける。

「おい 何をするつもりだ やめろおっ やめろぉおおおおお」

金属板を切断する引き伸ばし式の工作機具は高周波の振動で切断を容易に行える万能機具だ。それが間近まで迫っているのにろくな抵抗すら出来ない。エグザムは体を震わせながら声を張り上げ、頬に涙を零す。

「心配しなくても此処で殺したりはしないから それにしても男の癖に綺麗な髪してぇ ゼントランだったら攫われて男娼にされるかもね」

アーシアの顔は目が四つ有る密着服と一体型のヘルメットの内部に隠されていて見えない。しかし外殻の赤い装甲に設置された音響器具から自分を小馬鹿にする笑い声がしっかり漏れていて、圧倒的な戦闘経験の差を証明するだけの自信が窺える。

「アンタには捕獲命令が出されているから大人しく私に捕まりなさい さもないと仕留めるのをしくじったウラヌスが飛んで来て解体されるわよ」

高周刃の冷たい音が耳元で聞こえ、エグザムはぴたりと体の動きを止めた。恐怖で硬直する体に凶器が発する振動が伝わり、乱れていた体内の魔導粒子が手首に填めた腕輪の魔核と同調する。

「大人しくしてなさっ」

二つの魔核を犠牲に強力な空間衝撃波を発生させたエグザム。体を上から押さえつけていたアーシアを吹き飛ばす代わりに、大量の魔導粒子をながした手首の筋肉が過負荷で損傷してしまった。

(何とか演技が上手くいった。ユイヅキは何処だ。)

エグザムは両手首に筋肉痛特有の痺れる痛みを感じながら、衝撃波によって発生した爆発音の残滓が反響している空間を駆ける。

(駄目だ通信接続が切れている。アーシアも下のほうへ落ちたのか見当たらない。無事でいてくれよ。)

お目当ての相棒は桟橋のど真ん中に転がっていた。拾い上げて灰色の弓に傷や損傷が無いか確めたエグザム。何かを主張するかの如く明滅している紫色の水晶部に触れた。

【接続完了。更新状況を送ります。転送装置内へ向かってください。】

単純なゆえに頑丈な造りの複合弓には目立った傷は無く、幾つかの情報を瞬時に受け取ったエグザムは、紫色の水晶に己の魔導粒子を送り続ける。

一方のメルキオルも緊急時の時の為に溜めておいた魔導粒子と温存しておいたエグザムの魔導因子を総動員させ、現実版魔法乱舞を再現出来そうな出力まで理力を高める。何故なら転送装置を動かす為に必要な反応エネルギーを理力だけで調達しなければならないからだ。

全力で走っているエグザムは桟橋中央から転送装置の丸い壁面まで渡された橋の吊柱の下を通過した。大きな地下区画の半分を占める中空部分は舞台の下にも広がっており、橋から落ちれば二度と這い上がれない。

【熱源を確認。早急な排除を推奨。】

長い吊り橋のど真ん中あたりでぶら下がっていたアーシアが道の中央に這い上がり現れた。衝撃で全ての結合部が壊れたのか強化外骨格を全て外したアーシア。探索時に使用している例の搭乗服も若干損傷していて、震える両腕に握った拳銃以外の武装は見当たらない。

「止まれ ここで死ぬつもりぃ」

エグザムはアーシアの警告を無視し懐から黒いナイフを握る。刀剣と実弾式の銃では明らかにエグザムのほうが分が悪い。しかしアーシアは機動兵器乗り特有の細い体をしている。いくら対人用の格闘術を扱える武人だろうと、万全でない状態で戦える訳が無い。

「よくも馬鹿にしてくれたな たっぷりお仕置きしてやるっ」

エグザムは言葉を最後まで言う前にナイフを投げた。こんな時の為に宿で少しづつ改造した黒いナイフは重心が刀身側にあり、コツさえ掴めばまっすぐ飛んで行く凶器にも成る。

【障壁を集中展開。】

エグザムの思惑どうりアーシアは的を引き付けてから発砲するつもりだった。しかし制御を失って回転しながら向かってくるナイフを交わす為、ナイフの軌道を見極めるのに集中して間を空けてしまった。

エグザムはその僅かな隙を突いて一気に最大加速し、拳銃の命中弾を最小にまで減らす事に成功する。

空間を切り裂く数発の鋭利な弾丸が赤色の障壁に衝突し派手な火花が散る。エグザムは目の前で炸裂する破裂式の花火を無視して、アーシアの青い瞳に目掛けユイヅキの閃光を放った。

【障壁が消滅します。】

視界が真っ白に染まった瞬間。メルキオルから障壁が力尽きた残念な知らせが届いた。あと二歩硬い路面を蹴ればアーシアに強烈な蹴りを贈る事が出来ただろうに。エグザムは悔やみながらも予定を変更して、使えない両手の代わりに体当たりの姿勢を執った。

何発目かの銃弾がエグザムの右こめかみを掠めて髪の一部を大きく消し飛ばした。それと同時にエグザムの左肩がアーシアの細い胴体にめり込み、エグザムより四センチほど大きな体を再び浮かす。

「はぁあああっ」

両者はそのまま弾かれるように倒れて体の一部を強打する。しかしエグザムの小さい体に係った負荷は少なく、またも後方へ弾き飛ばされたアーシアの方が肉体への被害が大きい。

エグザムはアーシアが落した拳銃をすぐさま拾い、両手で何とか保持しながら銃口を倒れているアーシアへ向ける。しかし手の筋肉が予想以上に損傷しており、片指だけでは引き金を引けなかった。

「残りは一発だけよ 貴方は探索部の仲間を撃てるの」

エグザムはアーシアの安い挑発にのり、足を忍ばせ銃を構えながら必中距離へと近付いて行く。目の前の同い年の女の子が硬い路面に尻を着けたまま動かないので、エグザムはアーシアが抵抗を諦めたと考えていた。

アーシアは素早く体勢を立て直すと路面を蹴って前方へ低く飛び出した。狙いはエグザムの足を足蹴りで打ち崩す事だ。当然アーシアが何等かの行動をすると警戒していたエグザム。咄嗟に引き金を強く握り最後の弾丸を撃った。

「「あたらない」」

白い僅かな硝煙が視界を滲ませ空薬莢が排出される。撃った弾が命中して路面に火花を発生し、目測を誤まって飛び出したアーシアの足払いも届かない。

「お互い満身創痍だしこれ以上の戦いは無理だろう ここは俺に道を譲ってくれないか」

激しい閃光でまだ視力が回復していないアーシアはゆっくりとした動作で立ち上がる。鮮やかだった赤毛は元々小麦色の髪を染めていたようで、片方の髪留めが無く肩まで伸びた髪が汗で固まっている様に見えた。

「私にもね 軍人としての自負が有るの 簡単に諦める安い女だと思わないで」

手足による打撃技を主眼においた構えをとったアーシア。搭乗者用の汗を吸収する密着服は彼女の細くしなやかな体を強調させていて、薄暗い証明の光が表情に影を落している。

エグザムもアーシアの構えを見よう見真似で模倣する。足は何時でも走れるよう半開きにし、右腕を防御に伸ばして左腕を胸元まで曲げた。

【時間がありません。理力による強制除去を推奨します。】

体感を常日頃から鍛えているとは言え相手の方が身長が高く足もやや長い。万全の状態ならアーシアの圧勝だが、汚染物質を若干含む空気の中で活動すると、特に生身では著しい体力の低下を併発する。今のアーシアにエグザムを止める力はない。

「先に謝っておく こんな結果になって残念だ」

エグザムは最後まで言い切る前に走り出し、魔導粒子を活性化させたまま数メートルの距離を瞬く間に縮めて来る。迎え撃つアーシアも最後の力を振り絞り、軸足を曲げて標的の動きに反応する。

「うおおりゃぁあああ」

エグザムの紫色に発光している髪が体の動きと連動して上下に揺れていた。アーシアは狩人としては長めで一般的な年頃の男子と比べれば短めの髪を見つめ、視界の中央から離れない邪魔な白い輪から標的が外れないうちにとび蹴りを放った。

アーシアの鍛えられた体が空中で斜めに跳び、標的の進行方向を捉えたままエグザムの顔面に片足が直撃する。しかしエグザムは手で防いだり攻撃の動作を見せる事無く、加速した姿勢のままアーシアの体ごと跳び蹴りを不可視の障壁で受け止めた。

二方向から体に加わった負荷に筋肉や関節が耐えれず弾かれる様に体勢を崩して落下するアーシア。そして顔面に届きそうな打撃を受けてた筈のエグザム。戦いに敗れ少女らしい悲鳴を上げたアーシアに興味を示さずそのまま転送装置の壁からせり上がっている開閉式扉まで駆け抜ける。

「くっそ 餓鬼に何が出来る」

後ろから自信を罵るその言葉がはっきりと聞こえた。せっかく見逃してやろうと考えていたエグザムは、靴底を路面に擦り付けてから振り返った。

「俺はもう大人だアーシア 何故だか教えてやろうか 俺はこれから人の生き死にを左右するけじめを付けに行く お前達が地下で何をしているのか知らんが 自分達の尻穴(けつ)を拭けない愚か者共に()()は無い 悪い事は言わないから今すぐ天空樹から離れろ 俺は命を賭けて己の道を進む だから敗者は黙って国へ帰れっ」

エグザムはアーシアの表情を確認せず踵を返すと、そのまま巨大な球面上の壁の中に姿を消した。残されたアーシアは肺から取り込んだ汚染物質で全身が痺れて満足に体を動かす事が出来ない。エグザムが消えた隔壁の扉が緩やかに下りて行くのを見ながら、エグザムから奪った狩人の手拭を握りしめた。

【全ての隔壁を固定。内部の物質変換機に異常無し。展開理力の臨界を確認、転送準備整いました。】

エグザムはユイヅキを球状空間中心に据えると、メルキオルと同化したユイヅキの紫水晶が白く発光し始めた。するとメルキオルは内壁に埋め込まれた反物質受信装置を介し、エグザムも乗っている中央の転送台である円柱から周囲の支柱や構造物を切り離していく。

【切り離し完了。転送用半球体を接続させます。最終権限の譲渡を開始。】

エグザムは目の前で浮いているユイヅキの水晶体に右手を翳し、メルキオルの分身から蓄積情報と全都市機能回路への接続用認証鍵の譲渡儀式を行う。すると直、視界内に古代文字の意味不明な羅列が(おびただ)しい量流れ始めた。

「認証権限の移行を確認 確かに受け取ったぞ」

その言葉を最後に紫の水晶体とエグザムの擬似接続が終了。同時に視界内に読めるよう変換された複数の文字列や単語が浮かび上がった。

「これがそうか バルタザルの秘匿回路を選択して 侵蝕領域から例の隔離領域へ飛ぶ 何だこれ 天空樹の演算処理は随分簡単な構造じゃないか これなら外部から簡単に割り込めるぞ」

入ったときは照明の光が届かない真っ暗な空間だった転送装置内。転送出力用の魔導粒子発生装置が起動すると、無数のタイルらしき何かが埋め込まれた壁に緑色の導力線が浮かび上がる。

(これでバルタザルと繋がった。俺に出来る事はこれでお終い。短い間だったがさよならだなメルキオルの分身。)

浮かび上がった緑色の導力線は天空樹の導力線より遥かに複雑で、複数の直線が直角に交わり大小様々な四角形を浮かび上がらせた。しかしその風景を見惚れるのも束の間の出来事に過ぎない。

「聞こえていますよねエグザム これより転送を開始します 此処まで辿り着けた貴方の努力と発想に感謝の言葉を そして我々の願いを託します 数多の可能性と悠久の祝福を以て天空樹の魔導粒子を導いてください」

その言葉が終わるのと同時に全方位から強烈なスポットライトの光が照射され、あまりにも眩い光にエグザムは一時的に意識を手放した。


バルタザル。セフィロトに建設された四つの対生物要塞都市の内、東部の山間に建設された鉱山遺跡を改築した無人の浄化実験施設群である法都の主。古い名で司法回廊と呼ばれたその管理施設を統べる管理者が、結晶生命体バルタザルだった。

現在は天空樹の頂上都市跡に居座っているが、地下に構築されたマギの地下宮にまで生体回路を伸ばしている。

法都へ行くには、天空樹の湖畔に在る大陸鉄道の駅「天空樹街」から東へ二日間鉄道を乗りつぎ、最果てに在る駅「旧法律都市前」で降ると旧探索街の寂れた街に着く。そこから北へ険しい山脈が連なる街道を進めば、かつて探索業の最前線だった空中都市遺跡に到着する。


網膜を焼きそうな眩しさが怖くて、意識が途切れる間際まで目を閉じるだけでなく腕でも目を覆っていたはずなのに。エグザムはあれほど眩しい光が一瞬で消えたことに気付き、腕を下ろして量瞼を開ける。

「一瞬で虚構世界まで飛ばされたのか でも最古の隔離領域にしては随分広いな」

狩りに適している広葉樹の林や草食動物の餌場と重なる草原の丘陵。自らの足元には石が痛んだ古い石畳が少しだけ残っていて、虚構世界とは思えない程大量の草花が芽吹いている。

エグザムは周囲を見回し自身が小高い丘の上に居る事に気付いた。丘の頂上だけ石畳で舗装されているのに、建造物は近くには無い。

(あの三角形の建物は何だろう。墓石にしてはでか過ぎる。道標の一種なのかもしれない。)

方角は判らないが小高い森から幾つかの林と森を挟んだ遠方に、三角形の巨大な構造物が見える。見えている二つの斜面は綺麗な平面で、大量の石膏を均一に固めるには途方もない労力と時間を要すだろう。

【あれは星海を渡る者達が船の着陸の目安に使う誘導物体 そして我々が住んでいた都市の出入り口だ】

耳に声は聞こえないが、確かに明確な言葉を聞いたエグザム。語りかけてきた何者かを探しに周囲を見回し、今まで何も存在しなかった背後の石畳に人とは姿が全く違う何かが立っている事に気付いた。

「脅かさないでくれ まだ思考処理に慣れてないんだ」

エグザムは覚束無い思考通信を補強する為に、甲虫の様な容姿の相手へ口も使い語りかける。

「俺がエグザムだ マギの遣いはそちらで間違いないか」

雑木林や軒下で見かける闇虫に酷似した頭と顎が上下に一度だけ動いた。思考通信を介し意思を疎通しなくても、エグザムには相手が己の問いに肯定の返事を返したと理解できた。

【私は蟲の王を務めていた者達の残留意識体。これはとある王の生前の姿だが、我等の種族にとって体とは器と同じようなもの。マギから君に次の段階へ至る説明を託されているが、その前に我等の事を話しておきたい。】

甲虫の中でも比較的軟らかい甲殻と良質なたんぱく質が取れる事で有名な闇虫。六つの足で素早く移動する様は人間には不評だが、二本足で立っている目の前の闇虫モドキは四つの腕を組んで語りかける。

【我々は星暦が始まる前にこの星へ移住して来た種族。当時は意識生命体とだけ呼ばれていたが、宇宙の暗黒領域が広がる前は星々を旅していた種族の生き残りだった。我々意識生命体の多くは他種族と交流する際、交流対象が知覚しやすいよう器となる体を用意する。この姿は人と同じく様々な種族がこの星に降り立った時に過酷な環境で活動出来るよう製造した器。判り易く例えるなら防護服に近い肉体と言えよう。】

メルキオルの分身から渡された膨大な情報が脳内で自動的に再生されていく。常に十以上の映像や多言語音声が特定の単語を切っ掛けに数倍の速さで再生されており、エグザムは人間では知覚できない何かの真理に目覚めた感覚に酔いしれる。

【星暦が始まる前の銀河文明、今で言う星海でとある異変が起きた。その異変の原因が何だったのかは情報不足で解からない。直前に勃発していた戦争が原因だとか宇宙規模の広域実験が原因だとか数多の噂なら有る。その異変により多くの種族が星海を渡る術を失い、星海中に拡散した多くの種族が数多の星に閉じ込められてしまったのだ。お前達人間も含めてな。】

エグザムは顔に右手をあてて思考に集中する。魔物の様な相手と思考通信を介したやり取りに思考処理が追い付かない場合、脳内の電気信号が暴走して神経細胞により構築された物理的回路が傷付く恐れが有るからだ。

【星暦が始まるより前、そして異変が発生する以前。この星は港の様な物流拠点だった。定住している種族だけで十五種。一時滞在が可能な種族も十以上が地表に居たらしい。多くの種族は何等かの協定を利用して他の星から来た移民や商人達、そして星間国家の規範を守る軍隊。かつて文明が滅び宇宙を彷徨っていた我等の先祖も含まれている。】

そこで蟲の王から思考通信が止まる。既にエグザムは自分が立っているのか寝ているのかすら解からない状況で、脳内で処理される情報と繋がった聴覚だけが機能している様な状態だった。

「星海へ進出した古い種族 神々の大移動 星海の死神 あとは最終戦争の話が有るか 今でも片田舎の狩人が色々な伝説を話せるのだから 確かに一万年前の話は噂話や叙事詩だけで大図書館が開けそうな程有る だけど意識生命体の話は初耳だし正直驚いた でも具体的な情報が有るからどこぞの森の妖精伝説よりかはマシに聞こえる」

東大陸の東部に住む獣人や亜人達。セフィロトが在る南大陸西側のゼノン沿岸部に棲息する水生族。そして西大陸の火山地帯や森に暮らしていた伝説上の幻獣(げんじゅう)。田舎育ちの狩人でも知っている種族分布図を思い出せば、五大国に住む文明種族がかつて星海を渡ってきた種族の生き残りだと言われても全く違和感が無い。

【そうだエグザム。我々は妖精とは違い生身の体に執着しない。今は天空樹の血液たる緑色(りょくしょく)油に姿を変えて生きている。今や地上で我々の存在を知っているのは都市の管理人工知能と怪しい学者くらいだろう。五千年前の戦争でこの地下世界が汚染されてしまってから、我々は天空樹の成長を促す為に文字どうり身を捧げている訳だ。】

事実上、現存している浄化都市は多くの種族の犠牲の上に成り立っている。時には身内から魔物を出し住民を使い汚染を取り除く。人間も含めて汚染物質により何等かの変容が世代を重ねるごとに続いても、それは環境に適応する為に生物が細胞レベルで適応している証だと言われてきた。

「だからマギの地下宮形成にまで天空樹の生体網が伸びているのか 本来異なる存在同士の迷宮が一つの根の下に同居しているのだからおかしいと思っていたんだ」

かつてマギが管理していた西の山岳地帯に在った浄化都市。魔法都市が語源とされるその遺跡は、甲殻類型の魔物を大量に生み出し使役していた形跡が今も残っている。エグザムの記憶にある女魔導師も胴体が人間より虫に近く、それらの魔物は同じ人型でも亜人や獣人ですらない謎の種族と噂されている。

【理解が早くて助かる。今では名すら失われた種族だが、元はあれも星海を旅する一族だった。人の発声器官では名を表す事が出来んから、自然と廃れていったのだろう。さて、そろそろ本題を話そう。】

蟲の王はマギの女魔導師と同様、天空樹に機能限界(寿命)が迫っている事を告げた。バルタザルとメルキオル本体に介入されるよりも早く、直接カスパーに接触し蓄積した異界化により正常な領域が減った思考回路を初期化しなければ成らない。

【天空樹は汚染物質から不変だった魔導粒子を分解し魔素に変える。魔素は天空樹を成長させるだけでなく、我々意識生命体の生命維持に欠かせない存在だ。天空樹には元々周囲の山岳地帯を通り国中へ流れる地下水を集める役割もあったが、今や他の都市管理中枢に魔素を取られて貯水能力も機能してない。浄化戦争で余剰副産物の回収能力も落ち、大量の魔石が持ち運ばれてしまった。このままでは探索者から吸い上げる魔導粒子だけでは足りなくなる。そうなれば天空樹は大地の養分を直接吸収するように成り、やがては甦った地上を再び枯らしてしまうだろう。マギや協力者は初期化と言っているが、あの方法は事実上全ての管理中枢を一つに融合する為の下準備。お前を頼ったメルキオルの分身が危惧する天空樹の変容を制御できるか判らん。】

目の前の大きな闇虫は前足で頭部をかき悩んでいる仕草を始めた。目の前の自分より大きな虫モドキが虫と同じ仕草をしているのに気付かないエグザム。瞳を閉じメルキオルの分身から与えられた情報の整理で頭を抱えていた。

「セフィロトは一度完全に解体された方がいい この国には森と山と湖 そして古き獣(魔物)が住む古い遺跡が在れば皆生きていける 何も迷宮探索に拘る必要はもうない 南の様に地方都市だけで自立して生活するのも悪くないな それにいい加減外国との関係も見直さないと 何時まで経っても支援乞食の正典政府時代から抜け出せないよ どうせ最後は俺の手に委ねるられる だからセフィロトの国民を代表して最後の浄化の担い手になろう」

探索組合や管理機構は導力炉に内蔵したマギの水晶体本体とメルキオルの中枢生体回路の数値しか見れない。絶対管理権限を有す法都のバルタザル結晶核は既に天空樹に取り込まれており、探索組合は実質天空樹を支配下に置いてなかった。

【そうか。なら我等もお前の意思とやらに加担してやろう。多くの思惑が渦巻く巨大な樹の元、始まりの盟約どうり我等の未来を託す。その証にこれを持って行くがいい。かつて最初の浄化戦争に使われた骨董品だが、主柱を守る厄介な浄化天使とその劣化天使を追い払うのに役立つだろう。既に知っているだろうが主柱は汚染濃度が最も高い場所。絶えず浄化障壁を張らねば数時間で死に至る。その原初の翼を使い一気に頂上まで飛べ。】

その言葉を最後に蟲の王との思考接続が途絶えた。どうやらもう伝えるべき話は無いらしく、何等かの合図として腕を三回打ち鳴らすとその場から消えてしまった。

「原初の翼 有翼人の証にして都市生活の必需品 少し想像と違う」

手渡されたばかりの飛行装置には肝心の翼が無い。変わりに菱形の筐体から、強化外骨格にも使用される擬似脊髄らしき膨張式のような帯が垂れ下がっていた。

「国境守備隊の降下兵がこんな装備を着けていたな 体の適切な場所に固定しないと怪我するやつだ」

エグザムが背中に原初の翼を背負うと同時に、垂れ下がっていた帯が勝手に体に巻き付き各部位を締め上げる。必然的に革と毛皮の分厚い狩猟服が体に密着して動きが制限された。

エグザムは驚きつつも一旦原初の翼を外そうとして肩から両脇を固定している枠に手を触れた時、蟲の王と同様忽然とその場から消えてしまった。


緑色油。人体で言う酸素や栄養を運ぶ赤血球と同様の働きを行う緑色の分泌液。単体では薄い緑色の液体だが、魔素や探索組合の導力炉から送られる養分と混合すると緑色に輝く。


目を開けると焦点に白い輪が残っている。どうやら転送時に受けた眩い光の影響がまだ残っているらしく、エグザムは薄暗い階段のような勾配に腰掛目を慣らす。

(時間は。まだ転送されてから一分も経ってないな。圧縮した情報を交換するのに周囲の景色まで再現する必要は有ったのか?)

エグザムはユイヅキの水晶体が汚染物質に反応して自動的に浄化障壁を展開したのを確認し、少しだけ独特な光に慣れた目を開け周囲を観察する。

(此処が天空樹を支える主柱が在った場所。主柱本体は都市を支える柱だから、上の方まで登らないと辿り着けないか。)

転送装置から体内に直接送られたエグザム。探索街の地表から三キロ程度高い事を意味する高度計らしき数字の列を確認し、足元の歪んだ足場から斜めに続く螺旋状の道を見下ろした。

(植物の内部は無数の繊維と管で仕切られているらしい。天空樹も壁の内側には硬い繊維質な生体部分が埋まってるのだろう。この長い縦穴が中心だと考えたら、壁を突き破って外に出るには山を掘るのと同じくらいの労力が必要だろう。)

天井と足場の螺旋構造体及び周囲の壁には、緑色に発光する液体が流れる管で覆われている。内臓に色分けされた血管が血液を送っているのと同様、しっかりと脈動していてそこら中から緑色油が流動している音が聞こえて来る。

エグザムは背中の原初の翼に理力を送り、生物の魔導因子理論を応用して造られた人工的な魔導粒子活性液の飛行液を活性化させる。

(どうやら筐体内部にユイヅキより高性能な水晶体か結晶体が埋め込まれているらしい。俺の思考領域に適合して表示が連動している。)

原初の翼は理力を送って簡単な操作が可能らしく、硬い結び目が解けた様に衣服ごと体を硬く締め上げていた帯が緩くなった。エグザムはこの隙を見逃さず体の動作を邪魔していた衣服の丈を調節する。

「これで良し こんな所で時間を潰してる余裕は無い」

エグザムは浄化障壁を厚く張りなおし、背中の飛行装置の飛行液を一気に活性化させる。すると帯状の固定枠や筐体の表面装甲の隙間から黄色い光が漏れ始め、周囲に流れている緑色油の緑光より強く発光し始めた。

(背中が熱い 壊れる前に使い方がわかるまで飛ぶのはよそう)

どうやら有翼人が個人で発現出来る理力には、個体ごとに一定の波長と複数の固有干渉型に分れているらしい。エグザムは起伏が激しい緩やかな斜面を登りながら、記録情報内に有る原初の翼の使用法を理解しなければならなかった。

天空樹の内部は二種類の構造体により構築されていた。螺旋状の骨組みは石灰や珪素の塊の様な白い部材で構成されており、一部露出した部分は骨の表面と同じ手触りだ。もし天空樹の繊維細胞を全部剥がせば、主柱内の縦穴に濃淡ある白色の立体的な迷路が現れるだろう。

「午後九時四五分 そろそろ飛行液の活性化が終わる頃だ」

エグザムの発言を訳すと、そろそろ原初の翼を飛行装置として使える頃合らしい。転送準備時にメルキオルから託された蓄積情報を洗いざらい見直し、原初の翼について理解出来る範囲で構造と使用法を学習したエグザム。学習と同時に習得できる生体回路の恩恵と優位性に何の言葉も思い浮かばなかった。

(体を動かして生体電流と翼の制御回路を同調させる仕組みには驚いた。有翼人は頭脳だけでなく身体能力も優れていたのは、日ごろから積極的に体を動かしていたからに違いない!)

エグザムは螺旋構造の上り坂をひたむきに上を目指して歩いている。動く動脈を何度も踏み足元から揺すられる感覚にも慣れ、底が見えないほど高い道の縁に立っても恐怖を感じなくなり始めた。それらは背中から何時でも翼を展開する準備が整った事を意味しており、遥か上層に在る都市の主柱構造体を目指して慣熟飛行を残すのみだ。

(蟲の王が言っていた浄化天使が死都を守る自立式の飛行型機動兵器だったとはな。竜騎士伝説に登場する古き獣の一種だと思ってたのに、やっぱり歴史は後から都合よく改竄された誰かの作文なんだ。真面目に勉強しなくて正解だった。)

エグザムは蓄積情報の高速閲覧を終え、歩く進路を変えて螺旋構造体の縁から縦穴を見下せる場所に立った。蟲の王が警告したとうり、厚く展開した浄化障壁が少しづつ削られて息苦しさを感じるほど汚染濃度が高い。

(まるで汚染物質の蒸留装置だな。これなら苦くて臭いにおいの酒樽の中で寝た方がまだマシだ。)

立ち止まって縦穴内へ左手を翳すと指先が上昇気流の壁にぶつかる。エグザムの予想どうり空気の層が縦穴と螺旋構造部とで分かれており、時間によって変わる天空樹の気流が内部でも渦巻いている証拠だった。

「この風なら上まで行けるか」

エグザムは股を開き膝を少し曲げて腰を低く保つ。この場所から原初の翼を広げ気流を利用しながら遥か高空まで上昇する為、まず体の魔導因子の活性率を翼の起動出力と同調させないと成らない。

(何時邪魔が上がっ来るか解からない。あと少しの所で失敗すれば全部無駄に成るぞ。)

両手を顔の前でしっかりと握り合わせ体中の筋肉を力ませる。すると体内で発生した僅かな電子が理力の障壁を伝い原初の翼内部の機動核に流れた。一秒にも満たない僅かな間で可燃性のガスが着火するのと同じ様に、エグザムの背中から二つで一対の火柱が勢い良く噴き出た。

「おっと危ない危ない 危うくユイヅキが燃やされるところだった」

やや中腰だった姿勢を変え、何時でも縁から大きく跳躍出来るよう右足を一歩後ろに下げたエグザム。背中から僅かに伝わる振動が小さくなるのを待ちながら筐体の制御核を操作し、飛行液が燃やしている空気に少しづつ理力を混ぜていく。

「慎重にやるんだエグザム ここで慌てても失敗するぞ」

筐体の二つの突起物からやや下方に噴出している溶鉱炉から噴き出た様な赤い炎の渦が変わり始めた。炎の色が薄く淡い光に輝き始め、やがて青い筋に変わる。その光景を後ろを向いて確認したエグザムは、今度こそ己の魔導因子を一気に活性化させる。

(理力とは不思議なもんだな。これだけ大きな炎なのに感じた熱は屋台のガスコンロと大差無い。幾ら障壁で外気との熱交換を遮ってるとは言っても、直接炎で障壁が炙られている様な状態だったのに。)

青い炎の筋が理力を纏い小さく成っていく。同時に色も移り変わり、青も含めた七色の虹の翼が形成されつつある。エグザムは背中の筐体にやや引っ張られる力を感じながらも、体が少しづつ浮き上がっていく様に息を飲み込む。

「何だこの感覚 笑いがとまらねぇ」

乾いた笑い声を上げながら両手足を小刻みに動かし体勢を整えようとする。出力が不安定なのか操作が安定してないのかまだはっきり判らない。エグザムは重心の位置を確めつつ、頭が天井の螺旋構造物に接触するまで体を何度も上下させた。

(困ったな。真っ直ぐ真上に飛ぶだけでも重心制御が覚束無くなる。噴射角度を微妙に調節しながら前のめりに飛ぶのが正しい飛行方法だと思うが、このままだと慣れるのにあと数時間はかかりそうだ。)

エグザムは露出した骨組みにぶつけた頭を擦りながら、今までどおり螺旋構造体の斜面を登って行く。ただし常に低出力で浮遊状態を維持していて、凹凸部が多い足場を蹴って進むには楽な場所だと言えるるだろう。

(そう言えば息苦しさを感じない。ああそうか。この翼が汚染物質ごと魔導粒子を分解しているんだ。確かに有翼人の都は天空樹だもんな。飛行液の材料だけでなく反応物質も魔導粒子だから鳥や虫よりも自由に飛べるはず。)

魚の背びれ程度の大きさしかない虹の翼を少しでも大きく伸ばすと、翼の角度の反対方向へ加速度的な推力が発生する。生物の飛行器官と違い羽ばたく動作を必要としない代わりに、一度加速した速度を落すには推力を一時的に起動限界まで縮小させるしか方法が無い。

それでもエグザムは躊躇せず原初の翼を増加させ、二つの突起物の角度を調整しながら壁を何度も蹴った。

「やっぱり重力を打ち消す力も働いてる これを利用すれば上まで行けるぞ」

惑星上に存在する全ての物質は大地の磁力によって特定の高度を維持できる。百年ほど前まで世界中で行われていた宇宙進出実験で証明されたように、人間だろうと大地の磁場から逃れる事は出来ない。

螺旋階段と比べれば圧倒的に大きな螺旋構造の登り道を駆け上がるエグザム。体を真横に倒し比較的均一な凹凸が多い壁を蹴るだけで体勢を維持することが出来き、面倒な翼の角度調節を推力調節で補えた。エグザムは一分も経たない内に原初の翼で加速を終える。今度こそ縦穴中央を流れる上昇気流に乗る為に、壁際を飛びながら体を上下反転させて壁を垂直に蹴った。

(体が軽い。空間を飛んでいるより泳いでいるような気分だ)

エグザムは螺旋構造物から飛び出し縦穴中央の上昇気流に合わせて体と噴射口の向きを変える。縁から手を伸ばしただけで触れあえるほど近くを流れていた気流の層内部は、外からでは全く想像できないほど強く濃い気体の塊が流れているではないか。

(下から押す力が強すぎる。翼無しでも上まで飛べるんじゃないか?)

背中から体を浮き上がらせる別の力に驚いている暇は無かった。何故なら視界に表示されている浄化障壁の膜が視認可能な速度で減少しており、このままでは乾パンのバター焼きが出来上がるより先に浄化障壁ごと汚染物質に焦されてしまう。

(この場所は危ない。俺の汚染耐性でも完全には防げない。こんな所で廃人化するのは嫌だ。)

エグザムは躊躇せず翼の推力を上げて中途半端に方向を定めると強引に空気の層を突き抜けた。当然推力を限界まで落しても磁力排斥力はしっかり働いているので、螺旋構造の壁まで一直線に進む衝突コースを変える事は出来なかった。

静寂に包まれていた螺旋構造部の内壁に何かが潰れる様な音と、砕け散った様々な破片が散乱して転がる音が響いた。さらに破損した緑の血管から緑色油が噴き出始め、壁の周囲が膨張し破損箇所を包み始める。

「くそっ 少し吸ったかもしれない」

何度も咳を吐きながらも壁から腕を抜き足場に落ちたエグザム。原初の翼を少しでも長く起動させていたら、今頃上半身を天空樹の内壁まで埋めていただろう。

エグザムは顔に付着した緑色油を舐めて、死にかけた恐怖を甘い果実のような味で誤魔化す。

「やぱり少し薄い 何時ものと違う味だ 人工甘味料が混ざったような刺激的なあの飲料に まさか生命体が宿っているかもしれないと誰が想像するだろう つくづく迷宮は変な事尽くめな場所だ」

北の聖都と比べると遥かに少ないが、天空樹の探索街へ世界中から少なからず観光目当てでやって来る者も居る。物珍しい珍味に高い金を払う者達の考えはエグザムには解らない。

壁際に座っている間に原初の翼の飛行液が安定した。エグザムは再び原初の翼を起動させようと再び膝を少し曲げた時、ユイヅキの水晶体が螺旋構造を越えた縦穴の上から高速で接近して来る何かを検知した。

(こんな時に来やがった。今から翼を展開しても間に合わない。かと言って姿を隠す場所も無いしな。)

周囲を見回し姿を隠せる場所が無いか探すエグザム。螺旋構造を支える内側の柱が不規則に縁から伸びているが、狩人の経験上この様な僅かな死角に隠れる行為は危険だからしない。候補として残る場所は飛び上がって辛うじて手が届く頭上の螺旋天井だけだった。

エグザムは息を止めるといつも首に巻いている手拭へ手を伸ばす。

(しまった。手拭はアーシアに盗られたんだった。もう時間が無いぞ。)

理力を完全に停止させ、髪の毛が暗い薄紅色に戻る最中天井の窪みに跳躍したエグザム。何とか右手を隙間に引っ掛けるのに成功し、腕の力だけで天井にぶら下がりながら、隠れられそうな場所を探して傾斜を上って行く。

メルキオルの分身がユイヅキ内で様々な情報処理を担っていた時と違い、今のエグザムに接近してくる何かを調べる余裕は無かった。さらに複合弓の部類として小さいユイヅキでも、使わなければ重しに他ならない。エグザムが下半身を何度も前後に揺らし振り子の要領で天井を移動していると、翼が羽ばたく大きな音が聞こえてきた。

(仕方ない、ここでやり過ごす。)

エグザムは腹筋に力をいれて足を壁側の突起へ持ち上げ、体を固定する為に片足を僅かな隙間に押し入れた。

(この状態なら音でも鳴らさない限り簡単には見つけれない。後はこの体の汚染耐性に賭けるしかないな。)

羽ばたく音が一際大きくなり、どんどん音が不規則な滞空音へと変わっていく。エグザムは天空樹内で活動している謎の組織が探索組合と繋がりが有ると考えており、福音の翼以外の探索部も怪しいと睨んでいた。

エグザムは体を窪みからはみ出させず、ユイヅキの滑車部分に填められた水晶体だけをカメラ代わりに覗かせる。次に瞼を閉じてからユイヅキを握る左手を意識すると、水晶体との生体通信を手動で接続した。

(メルキオルほどは上手くいかんな。それより何が出てくるのだろう? 強化外骨格でもあの汚染物質の気流を防ぐのは無理だ。やっぱり蟲の王が言っていた浄化天使の劣化なんとかだろうか?)

大きな鳥が二匹羽ばたいている音が明確に聞こえた瞬間、水晶体越しの視界内に大きな翼を羽ばたかせる人型の何かが現れた。青と赤黄色(あかぎいろ)の大柄な人間らしき天使は片手に赤い棒状の何かを握っており、高濃度の汚染物質が上昇気流で運ばれている只中を羽ばたいてゆっくりと降下していく。

(アーシアやウラヌスの強化外骨格とも違うし、あの翼の動き様は渡り鳥の翼と殆ど同じ生物の動きだ。蟲の王が言っていたとうり竜騎士伝説に登場する生物兵器と関係が有るのは間違い無い。)

エグザムは青と赤黄色の人型天使らしき敵が縦穴の下へ下りて行くのを確認し、天井から音を立てず降りた。そして水晶体越しに記録した情報を確認しつつ、ユイヅキの水晶体に簡単な解析処理を実行させる。

(どうやら相手も理力を使い障壁を展開している。ウラヌスとアーシアが着用していた強化外骨格より人の身体に似ているから、間違いなく天空樹内で活動する為に製造された特注品だ。俺を捕獲する為に投入されたのなら、あの赤い棒状の何かは捕獲用装置なのかもしれない。しかいまさか上から来るとは思わなかったな。)

静かな足取りで動く動脈を跨ぐエグザム。このまま発見されなければ坂道を登る時間が与えられたと考らえ、出来る限り上へ進んでおこうと足の動きを早めた。

紫色の水晶から送られてくる情報を脳に構築された生体回路が紐解く。視界に表示される情報量が徐々に増えていき、数秒と経たずに翼を羽ばたかせる謎の天使の寸法が表示された。

(ウラヌスの甲冑型より少し小さい。翼端は六メートルと少し。腰周りの大きさが同じだから、やはり内部の搭乗者は俺と同年代か。もし会話が成立するなら投降する素振りを見せて情報を引き出し、今度こそ仕留めてやる。)

思いとは裏腹に静かな足取りで坂を登って行く。縦穴の下から二対の羽ばたく音が反響して聞こえてくる。エグザムは水晶体から漏れる固有波長を出さないよう慎重に解析を進めていると、突如目の前の天空樹の細胞壁が赤く膨らんだ。

エグザムは咄嗟に重心を戻して後ろへ倒れた。直後に赤い筋らしき何かが螺旋構造体を斜め下から突き抜け、そのまま壁の生体壁を溶かす。

「まさか見つかるとは 俺は此処に居る 投降するから攻撃しないでくれ」

足の踏み場にするつもりだった(こぶ)状の盛り上がりが一瞬にして溶けて断面が真っ黒にこげている。当然高出力の魔導砲による攻撃だと理解できたが、新たな敵にそれだけの出力が出せるのか疑問だった。

エグザムは理力を展開して浄化障壁だけを展開すると、ユイヅキを肩に提げて両手を上げながら縁に立つ。

「ホモリス ユイ 君達なんだろ 別れてから一日も経ってないが こんな所で出会うとは何かの縁を感じるよ」

エグザムは視界に表示された二体の天使の骨格をユイヅキに読み込ませ、搭乗者の体系を高速演算で解析させていた。その結果。やはり搭乗者は同年代の男女だと判明し、身長及び体系が最も近い候補の名を叫んだ訳だ。

(流石の俺でも精密狙撃が出来る相手には勝てない。向こうは野戦用の装備や蓄電池の類は装備してないようだが、原初の翼の飛行液と同じ作用の導力装置を内蔵している可能性も有る。どうやって対処するか考えろ。かならず状況を覆す何かが残っている筈だ。)

エグザムがあれこれ思案している内に翼を広げ上昇気流にのって二体の天使が舞い上がって来た。自身とは違い、背中から伸びた羽根の角度を傾けるだけで気流から脱出した天使。エグザムの前を塞ぐように舞い降りる。

「まさか君が理力を使わずこんな場所に隠れていたとは思わなかったな 手間が省けて助かったよエグザム」

非常に高性能な外部音響装置が何処かに取り付けられているのだろう。エグザムの耳に午前中何度も聞いた(まじな)い士の独特な声が聞こえた。

「綺麗な髪の毛 お人形みたいで可愛らしい」

天空樹北の山間部森林地域に古くから住む深緑族の双子。日焼けに弱い白い肌と色素が抜けた髪の毛を受け継いだ若い男女。一度だけ見つめ合って何かの確認を終えると、手に持つ赤い槍のような渦巻状の棒をエグザムに向けた。

「エグザム 大人しく幾つかの質問に答えて さもないと」

体と一体化した赤黄色の装甲を纏ったユイが微弱な熱線を槍から放ち、革手袋越しにエグザムの左掌を薄く焦した。当然エグザムは苦痛で顔の表情を歪めるが、苦しそうな息遣いだけで叫んだりはしない。

「ごめんよエグザム こっちにも事情が有るんだ ここで君と時間を浪費する事はできない」

青い強化外骨格には槍の刃先を模した角が前頭葉から生えており、とても特徴的だが飾りの類だとは思えない。エグザムは視界の隅で二人が装着している強化外骨格の特徴を覚えながら、最初に冷静さを取り戻した。

「解かった 従うから疲れた腕を下ろすぞ」

螺旋構造の縁に立つエグザムと相対している二人は空中で羽を羽ばたかせ滞空している。背後の上昇気流から体が出ているが、羽根が捕えた気流が周囲へと流れているのを肌で感じれる。

「最初の質問は貴方がこの場所へ侵入した方法 そして協力者の名前 天空樹内部に侵入した経緯を教えて」

赤黄色の細い頭部にはめ込まれた大きな単眼に見つめられたエグザム。一呼吸分だけ間を空け、要点を省いて事実だけを答える。

「栄光のガス灯と言う工房の主に仕事の手伝いで 虚構世界の東岸壁に在る異界化した生簀を調査していたら 途中で大きな水蛇に襲われたんだ とにかく慌てて何処かの廃墟に逃げ込んだらそのまま閉じ込められてしまった なんとか出口を探そうと廃墟を歩いていたら いつの間にか何処かの地下施設を歩いていた訳だ そしたら」

ゆっくりとした口調で話しながらしきりに周囲を観察しているエグザム。目だけ泳がして状況の打開に使えそうな何かを探していると、姉弟の背後で流れている空気の層が目に入った。

「君の言い分は後で聞こう ソレより今は君がその力を手に入れた経緯と力の詳細 前に僕達の前で話してくれた女魔導師の話も含めて教えてくれないか」

双子の姉弟は二人揃うと必ず交互に話そうとする。まるで何かで繋がっているのかと思えるほど違和感無く口を動かすので、探索活動以外は極力別行動をとるよう心がけているらしい。

エグザムは地下で女王蟻の魔物を討伐してからであった謎の女魔導師の話を始めた。長いので省くが、あの日から虚構世界へ入る度に付与された魔法の影響が表れ、自らの経験にまで作用して想像以上の能力を発揮する時もあったと話した。

「つまりその女魔導師の魔法効果によってその力が覚醒してしまった だからウラヌスやアーシアを排除して此処まで来れたのは自分の意士ではないと言うの」

エグザムはその問いに押し黙る。演技で意図的に口を封じられた様な小細工はしない。言い訳を考えながら、どうせ誤魔化しきれない嘘を言うなら此処で事実を話して楽になろうかとも考えた。

「俺の質問に答えてくれたら 全てを話せる相手だと俺が認めたら話してやる」

しばしの沈黙の後に放たれた言葉に顔を見せ合う二人。頭部の鎧だか仮面だか全く解からない頭部は人間の首と同じ動き見せた。戦闘用の強化外骨格なら首間接部が何等かの保護材で固定され胸部装甲と一体化している筈なのに、やはり純粋な戦闘目的ではない強化外骨格とは言えない装いだ。

エグザムはそんな人に限りなく近い強化外骨格の弱点を見つけるために、視覚情報をユイヅキに送って解析を続けている。

(二人とも体が細いからな。機動兵乗りとしては肉が足りない。大人用の強化服でも間に着て、その上に外骨格を纏えば丁度同じ位の大きさになるはずだ。当然装甲はウラヌスやアーシアの物より劣る。理力で解析できたら楽なのに。)

野鳥や虫の観察経験が有るエグザムが謎多き人型天使の装いを観察していると、ウラヌスがしばし続いた沈黙を破る。

「許可が下りたから話せる範囲で答えよう ただし時間が勿体無いと判断したら直に拘束するから それだけは注意してほしい」

エグザムは頷くと天空樹が患っている疾患について、人間の生活習慣病を例えに探索組合や行政府がどれだけ認知しているか、ユイに訊ねた。

「天空樹の動態観察は各組合や行政府の一部 そして私達の組織が調べてるわ でも貴方の言う末期症状は報告されてないの」

エグザムはその問いに無表情のまま切り返す。

「なら何の為にお前達はこんな場所に居るんだ 天空樹の異変を調べているのではないのか」 

エグザムの問いにホモリスは首を横に振った。そしてはっきりとした口調でエグザムに告げる。

「福音の翼は知恵の葉によって選ばれた特殊環境に対する適格者の集まりなんだ 神の実へ接触しようとする者や稀に発生する覚醒者を殲滅する組織 表向きは将来の探索業を担う探索者の卵だけど ウラヌスやアーシアのように外から人材を用意して天空樹を守る秘密組織とも言える だから今僕達が知りたいのは君を此処へ送った協力者の存在だよ」 

福音の翼の正体に驚くあまり、纏まっていた考えを手放したエグザム。協力者と言う単語が思考を加速させ、邪魔な障害を粉砕した際にメルキオルが言っていた言葉を思い出す。

「そうだ協力者だ あいつが俺に訳の解からないパイを食わせたのが始まりなんだよ マイ・フリール ガス灯の錬金術師 あの女が全てを知っている筈だぁ」

身内の名前を大声で叫び右手で顔を覆ってよろめいたエグザム。恩を仇で返したのに何の罪悪感も感じれないほど、思考を更に加速させる。

(見た目は果実味の飴なのに異常な効果が有って、前からおかしいとは思ってたんだ。流石に錬金術師だから虚構世界の魔法を再現する力があって当然。変身して歳と姿を誤魔化していられたのも限られた天才だから。馬鹿らしい。すこし考えれば判るのにどうして俺はそんな嘘にも気付かなかったんだ?)

エグザムは両膝を脱力させ倒れると縁に両腕をかけた。すこし大げさな演技だと自覚しつつも。原初の翼を起動させた。

「マイさんが協力者と言うことなの あの人は確かに外部から特別招聘された元探索者だけど 迷宮管理機構から派遣された迷宮調査管 天空樹の探索支援が彼女の仕事の筈」

エグザムの背中か現れた二つ一対の虹に言葉をなくしたユイ。まるで蝶の如く羽根を広げて立ち上がるエグザムは狩人に見えず、伝説上の存在として親から子へ語り継がれる有翼人のようだった。

「駄目だエグザム それ以上行動を起したらこの槍で君を討たないといけなくなる 考え直すんだ 君は僕達と同じ選ばれた存在なんだよ 君もこの天空樹無しじゃ生きられない筈だ」

そう言いつつも二本の槍モドキは、その二股に別れた細い先端をエグザムの頭部へ向けられている。赤い螺旋状の槍は細かく振動しているのか少し霞んで見え、まるで強化外骨格用の切断刃と同じ能力だと思える。

「天空樹は正統な管理者によってその目的を完遂する 遥か昔に与えられた猶予も失われ 後は天に実を任せるのみ アーシアにも言ったが早くこの天空樹から離れろ 君達の役目はすべて俺が引き受けるから」

エグザムの言葉を理解した双子は赤い槍型の魔導砲から強力な熱線を照射する。分厚い鋼鉄すら数秒で溶融、或いは粉砕する威力の魔導砲を正面から受け、エグザムが微笑みながら展開した多方形障壁は一瞬にして蒸発すると水蒸気の分厚い煙幕を発生させた。

瞬く間に白い蒸気が螺旋構造体と中央の縦穴まで広がり、汚染物質によって急激に分解されながらも上昇気流に流され大きな煙が立ち昇る。その煙の先端から飛び出したエグザム。上昇気流の境界ギリギリを上昇して行く。

(結局逃げに徹するしかない。相手は二人に強力な魔導砲。適格者の情報が無い以上、知恵の葉は管理中枢でも介入できない別の情報網を構築していたようだ。情報戦で勝てない相手に真っ向勝負は愚策だな。)

エグザムは上昇しながら加速を続ける。ユイヅキを両手に握り水晶体で下を警戒しようとしたら、下方二百メートル辺りで魔導粒子が強力に活性化する反応を捉えた。

「うわぁっつ なんて出力だ 強化外骨格の攻撃じゃないそ あいつ等化け物か」

体を左右に横転させながら、エグザムは上昇気流の境目を不器用な螺旋を描き上昇して行く。赤色の熱線を放つ(魔導砲)は圧縮照射型の加速収束方式を採用しているようで、連射や継続照射されない代わりに当たれば一撃で蒸発する攻撃だ。

エグザムは正確な射撃に対応する為、水晶体との交感速度を高め自らの視界に二つの光点を出現させる。

(あれ。解析表示に色なんて付いてなかったぞ。おかしいな。)

体を右へ回転させて遠心力で強引に進路を変更させたエグザム。目まぐるしく回る視界に新しい赤い線が表れ、再び体を傾ける。

(どうやらメルキオルはユイヅキの水晶体から分離した時に新しい機能を付け加えたようだ。赤黄色の座標点がユイで青がホモリス。理力を使って解析しても内部は解からないのに塗装の色だけ反映させている。)

加速し続けたエグザムに姉弟は追い着けないようでどんどん距離が離れていく。視界に表示された光点下の数字が四百を超えると追跡者の反応が消えた。

「範囲外から出たか諦めたか これで邪魔者は居なくなった」

攻撃が止んで静かに成った縦穴内を垂直に上昇し続けているエグザム。自己計算式高度表示の更新が少しずつ遅れ始めたのに気付き、エグザムは慌てて速度を落す。

(高度六千に到達。ここからは魔導粒子が無い中間層だったな。地表から星海の空までだいたい七十キロ。このまま進めば二十分以内に主柱直下まで昇れる。)

エグザムは頭を反らして原初の翼を確認する。青い光を放つ筐体中央の発光装置が黄色くなったら、飛行を止めて飛行液の再活性化に魔導粒子を注がなければならない。幾ら魔導粒子が豊富な天空樹とは言え、無補給で上まで上がれる保証は無かった。

数分間飛んでいると、髪の毛の発光が弱くなり赤紫色の淡い光が視界を赤く染め上げていく。体内の魔導因子が休息を必要としているようだ。エグザムは原初の翼より先に限界を迎える体を休めようと上昇を止めて螺旋構造帯の縁に降り立つ。

「よっと ふぅ 体が冷えて寒い 」

エグザムは冷えた体を温める為、上体起しや屈伸運動を繰り返す。低気圧環境下で激しい運動を行いすぐ息が上がっても気にする素振りは見せない。

魔導因子は細胞と共生していると言われている。代謝の低下は魔導粒子の流入量低下に繋がり、新しい細胞に生成される魔導因子の数も減る。これは魔物も含め如何なる生物の老化現象にも作用していると考えられている。

(若い頃は無理をした方が得すると司祭が何時も言ってた。あの言葉を真に受けなかったら今頃何をしてたんだろう。)

しばらくして髪の毛が再び紫色に発光し、視界にも青い光が映るように成った。エグザムは鳥でも虫の羽でも無い放射状の花びら()を形成させ、虹色の光を足元に噴きつけ飛び上がった。

高度表示が二十五キロと表示されてからすぐ。警戒用にと全方位へ放っている捜査用の理力探知場に目立つ反応が出た。そこでエグザムは上方を見上げ視覚を水晶体の拡大映像に切り替える。

「何だ行き止まりか」

およそ六百メートル先の縦穴が大岩の様な物体で塞がっていた。不鮮明な映像で輪郭がぼやけているものの、大きな岩の真下中央には緑色に輝く大きな宝石と六つの小さな光点が光っている。

(何だあれは。人工物にしては不均一だな。まさかこんな場所に魔物。いや違うぞ。あれは)

二百メートル程上昇してから直に体を反転させて離れようとするエグザム。真上から照射された赤い追尾光線から逃れようとして、螺旋構造帯の影に飛び込む。直後。上の螺旋構造帯をぶち抜いて隠れていた場所を足場ごと崩す攻撃が降って来た。耳を切り裂く様な大音響が縦穴を駆け巡り、反響音が崩壊音と交わって聴覚を麻痺させた。

「本物の怪物が居やがった あれが古き名でヴァナージと呼ばれた浄化天使か 知恵の葉はあんな物を復活させてまでして外敵を排除するのか なんて連中だ」

エグザムは螺旋構造帯から飛び出して背面状態で飛び続けながら降下し続ける。縦穴は精密に設計された塔の様に真っ直ぐ築かれているので、通り過ぎる螺旋構造帯を見ながら落ちれば下を見なくとも垂直降下が可能だ。

再び遥か上部から白い光が降り注ぐ。エグザムは上昇気流を最大限生かして腕を広げると、浄化障壁が薄くなるのを気にせず螺旋状に旋回する。

(これで奴の誘導攻撃も当たらないだろう。今は逃げ切って奴を攻略する対策を考えないと)

白い流星の様な発光体を回避したエグザム。よそ見をせずに次の攻撃を警戒しようとしたら、傍を通過した流星が下方で弾けた。

「目くらましかよっ」

白く強烈な閃光に包まれ視界が朦朧とする。しかし問題はそれだけではなかった。

(翼が消える。俺の理力が打ち消されただと!)

飛行液はまだ緑色だった筈なのに、流星の至近爆発を受けただけで原初の翼が機能不全に陥った。まるで背中から何かが抜けて行く様な感覚を感じ、エグザムは身の毛もよだつ恐怖に飲み込まれそうになる。

(このままだと浄化障壁も維持出来なくなる。この落下速度で壁に当たったら今度こそ終わりだ。)

そこでエグザムは己の魔導因子を再活性化させて強引に原初の翼を起動させようと考えた。残りの体力を出し惜しみする状況ではないので、ユイヅキとの交感能力を逆利用して水晶体から予備の魔導粒子を引き出す。直接水晶体を手で触れ、思考の大部分を水晶体の演算と同期させるために手放す。当然体の制御も疎かになり、落下軌道がきりもみ状態に変わる。

(良し繋がった。このまま放射させて体で受け止めてやる。)

ユイヅキの水晶体を落下方向に向けたエグザム。自身の魔導因子が苦とする電気が体を駆け巡り苦痛に耐える。すると今にも失われようとしていた髪や肌の光が甦り、水晶体が紫色に輝いた。

エグザムは身体を駆け巡る新鮮な魔導粒子で浄化障壁を補強。同時に生気が薄れた白い顔を歪ませて安堵もした。しかし肝心の原初の翼を起動させるだけの魔素が集まらず、このままでは推力が無くなると同時に上昇気流によって押し上げられてしまう。

(あいつ等の翼の様に羽ばたければ良かったんだが、何でもかんでも技術革新させて先鋭化するのはよろしくないな。)

エグザムは距離を稼ぐのを諦めて翼を最低出力まで落した。すると直に体が気流に捕まり、目論みどうり落下が緩やかになる。

(どうやら追撃の意士は無いようだ。俺もこの辺りで休もう。)

体と頭脳を短時間で酷使した所為で飛行制御に集中できない。エグザムは中央の気流渦から脱し、落ち葉が舞い落ちる様な速度で螺旋構造の縁に立とうとした。しかし体が着地の衝撃に対応出来ずよろけ、足が自重を支えきれず後ろへ倒れてしまう。

(気流の流れが変わったのか。)

体に感じる浮遊感は無く、重力に従ってそのまま縦穴を落下する。意識も保たず落下と同時に途絶えてしまった。


第八話「不浄世界」 

頭を下に体がぐるぐると回っている。三半規管が振動し耳鳴りが煩い。逆さまの視界には見慣れた筈の螺旋構造帯が無く、緑色の景色が少しづつ暗く成り始めた。

(俺はまだ落ちているのか。あの二人は何処へ行ったんだ?)

落下速度すら曖昧に感じ、僅かに見える視界には下に居た筈の姉弟の姿が見え無い。体が汚染物質に晒され急激に体温と水分が失われて続ける。地表に近い位置まで落ちたのか視界が暗闇に閉ざされ、エグザムは何処で選択を誤ったのか考える。

(あの浄化天使は壁に固定されていた様に見えた。あのまま風に乗って反伝導障壁を最大出力で展開したまま突っ込めば、やっぱり輻射熱だけで余裕で焼死する。せめて体が軽そうなユイを捕まえて盾にすれば或いは。)

視界に表示されている筈の各種数値どころか、身体状況を反映した生体情報すら消えている。どうやら落下の最中に、意識を失ったのが原因で水晶体との生体接続が途切れてしまったようだ。

エグザムは重い体を動かそうと手足から動かそうとした。しかし落下の加速度が速過ぎて思うように動かない。空気抵抗を無視して少しでも強引に体を動かせば、重心が狂って激しいきりもみ状態で落下する羽目になるだろう。

(とりあえず何とか地面と並行に姿勢に戻さないと。このままじゃ摩擦熱で頭が燃えるかもしれない。)

エグザムは汚染濃度が高い地の底へ真っ逆さまに落下しながら体勢を変えようと足掻く。両手さえ広がれば空気抵抗を利用して顔を真下に向けれるのに、体が言う事聞かず簡単な動作さえ出来ない。

(どうなってる。低体温で体が凍ったのか?)

両手足を体に寄せて頭から爪先まで真っ直ぐ伸ばしている状態に違和感を感じたエグザム。首を前に傾け両肩から落下するよう体勢を変えると、自分の体を固定している赤い枠にようやく気付いた。

驚くことに腹と両腕を赤い二本の枠が挟み、(へそ)の辺りで針金を縛る要領で枠を固定している。エグザムは腕に力を入れて強引に拘束を解こうとするが失敗した。その謎の拘束器具は金属製らしく頑丈で、人間の力では枠をしならせる事すら無理だった。

(この赤い金属には見覚えが。ああ、あの二人が持っていた槍と似ている。こんなものまで隠していたのか。)

どれほど落下したのだろうか。愚痴を零しながらそう疑問に感じるほど落下し続けているのに、体が浮いている様な錯覚さえ感じる。エグザムは原初の翼の出力を上げて体勢立て直そうと試みたが、槍から変形した螺旋状の十字架が理力の発動を打ち消していて失敗に終わる。仕方なくエグザムは赤く色づき始めた視界を観察する事にした。

(体が動かせないと何も出来ないな。)

ほんの数秒前まで暗く大きな縦穴を落ち続けていた筈だった。しかし今は真っ暗な地下区画を補正した赤い光とは全く異質な光によって、遥か遠くまで広がっている砂漠らしき荒野と幾つも点在している紅い湖が一望できる。

エグザムは体を緩やか回転させながら落下予想地点の湖を俯瞰する。天空樹の地下にこれほど巨大な空間が広がっているのを見たのは虚構世界だけの出来事。現実の地下にも広大な地下空間が存在するとは知らず、メルキオルの蓄積情報にも無い場所だ。

(上の湖どころか盆地の半分くらいの広さがありそうだ。それにこの地形には古戦場の様な爆発痕が沢山残ってる。何か見覚えの有る遺跡でも無いのか?)

高度表示が機能してないので具体的な縮尺が判らない。地底世界は月明かりに満たされた地上の様に明るい。地上に満ちた紅い何かに光が反射していて、まるで紅い海の底へ沈んでいる様にも感じれる。

地上の湖畔や砂漠の只中に何かしらの建造物とその残骸らしき物体を発見したエグザム。拘束を解ければ水晶体に触れて拡大映像で詳細を把握できるだろうに。と考えながら最低限の地形を頭に覚えさせた。

(不思議だな。血が固まると黒ずんだ色になるのに光源さえ無い底が見渡せる。地底に溜まった紅い残留物は何だろう? 僅かだけど遠くに壁らしき構図物が在るな。どうやら空気中にも大量の紅い残留物が充満している。大きな壁や天井が霞んで見えるぞ。)

エグザムは落下地点を横目で捉え、紅い残留物が溜まった数少ない大きな湖を俯瞰した。本当に液体で満たされているのか、或いは粉末や結晶の様な物質が堆積しているだけではないだろうか。解析しようにも理力が使えなければ浄化障壁も張れない。元凶の拘束具を外す方法を見つけようと落下しながらそれを見つめていたら、突如生物の様に蠢き始める。

「何だこれ」

エグザムは戸惑いながら腕ごと腹を挟んでいる不可思議な拘束を解こうともう一度足掻く。すると今までより軟らかい粘土の様な手応えを感じ、体を掴んでいた拘束力が目の前で()()()()()

針金を巻きつけて固定した結び目だった部分が鋭利な棒状の先端に変形し、まるで綿から糸を紡ぐ様に棒状の何かへと姿を変えていく。エグザムは目の前の奇妙な物体に心当たりが有り、誰が何を使い体を拘束されたのか自ずと理解した。

(覚醒者を殲滅する為の武器。つまり俺を確実に落下死させる為の処刑道具らしい。形状が変化したのは何故だ?大気中の紅い成分が原因だろうけど、そう言えば息苦しさを感じないな。)

エグザムは自身の体から外れて落下しながら離れようとした槍を片手で掴む。右手にユイヅキ、左手に魔導砲が撃てる謎の槍を持ち、上体を反転させて落下軌道を見定めつつ体内の魔導因子を活性化させ始めた。

(よし理力が使えるぞ。頼む、間に合ってくれ!)

エグザムから直接魔導粒子を受け取った二つの突起部。装置内の羽根を生成する装置が解放動作を開始し、背中噴出した爆炎が落下軌道を少し変えた。更に開口部が大きくせり上がると、炎が青く変わりながら翼の形状に纏まっていく。

(なんだこの魔導粒子は。凄い反応量だ。汚染物質で不純物ごと凝縮された魔素でも含んでいるのか?)

発振体が取り込んだ空気が急激な魔導反応を起こし、虹色の翼が限界まで肥大化した。当然体に掛かる負荷も強く、腰に熱と急激な負荷が掛かり体勢を反転させるのに苦労する。それでもエグザムは頭の位置を正常位置に戻す事に成功し、既に地平が見下ろさなくても視界に入る高さから急制動を始めた。

(やっぱり湖だな。強酸性の液体で無ければ苦い地酒の湖だろうとマシだ。)

急制動による体への負荷で、全身の間接や筋肉が強制的に伸ばされるような痛みが走る。磁場による重力を理力と原初の翼固有の磁力結界で相殺する事ができても、急激な上昇推力により発生した負荷まで無効化できない。

大地の様子は荒れ果てた荒野と丘陵そして森だった植物の残骸が、白い砂浜に紅い液体が満たされた湖の外側に広がっている。風も無く澱んでも無い空気は少しだけ乾燥している。空に相当する天井は曇天の夜空そのもので、光源が無い筈の地下世界は下層でも明るかった。

「天空湖とは違って液体自体が色づいてる まるで流れたての血液か果実酒の溜まり場だな」

エグザムは負荷により著しく消耗した体を休めようと、湖の十メートル上空まで降下してから近くの浜辺に移動しようとした。しかし湖の真上を緩やかに飛んでいると飛行液の残量が著しく減っているのに気付き、そのまま推進剤切れで翼が消失してしまう。

「くっそ 此処までか」

エグザムは浄化障壁を展開したまま広げ、何とか赤い液体に入水する前にユイヅキの物理結界を発動させる。

(俺の体は浮力が足りないらしくて水に浮かなばない。海水なら泳げると思うが試したこと無いしな。)

この物理結界は虚構世界で使用した魔法を理力で再現した防護結界。エグザムの想定では自身を丸く包む力場で体を守りながら着水し、結界を変形させながら岸へ辿り着ける理想的な手段のはずだった。

その物理結界は赤い液体に触れたそばから消滅し、エグザムの落下速度を抑える事もできず消失してしまった。必然的にエグザムは足から液体に落下し、しっかり頭まで液体に浸かった。さらに重量物二つの重みで今にも溺れそうで、泳ぎが不得意な事からまともな遊泳法すら知らなかった。

「た たす#$%&’’&%$#」

水面で波を発生させるエグザムは、無様な溺死を恐れる余り叫んで肺の空気を大きく減らしてしまう。なぜ障壁が解除されたのか原因が解からず思考の混乱に拍車がかかり、理力で解決しようと魔導因子を残らず活性化させた。

「#$%&!」

偶然の産物。紙一重の幸運とでも言うべきか。場当たり的に使用した理力が紅い槍に作用してエグザムを水中から引きずり上げた。そのまま空中で放物線を描きながら岸辺へ投げ出されたエグザム。肩が脱臼しそうに成って自然と手を槍から離すと、自分だけ浜辺の浅瀬に腹から落ちる。

大きく水面がうねりエグザムは沈む体をバタつかせる。しかし顔が半分沈みかけた所で足が砂地に届く事に気付き、何事も無かった様に立ち上がるとそのまま砂浜に上陸した。

エグザムは砂紋すら無い平らな砂浜に刺さった赤い槍の横に寝転がると目を閉じる。

(溺れ死ぬとはおもわ)

疲れ果てた若者が大地の底で静かな寝息を立てている。ずぶ濡れの狩人装束は大量の液体を吸って紅く染まっており、毛皮よりも革の皹が目立つ。どうやら大地に蓄積された何等かの物質は汚染物質に近い存在のようだ。しかしエグザムは浄化障壁を展開してない。もう既に体が汚染物質の影響下にあるはずなのに。


天空湖。天空樹の根元に在る湖。どちらが先に誕生したかは定かでないが、かつては今より数倍の面積があった。全長は十八キロで最深部は五百メートル。中心に天空樹と探索街が在り、古くからそれ等を支える根は湖底から方々に広がっていると噂されている。

探索転換期「八千二百から九千三百年」の中期から百年間。探索街の生活排水を湖に垂れ流していた時期があり、現在大量に繁殖している水生藻の浄化投入による水質改善に相当苦労したらしい。現在は魚介類の養殖と農業用水用の浄化湖として管理されている。


瞼が赤い光で眩しい。そう感じたエグザムは瞼を開けて天井を見上げた。

「朝か やけに暗いな」

まだ寝ぼけた頭をかき短い髪の毛の独特な感触を楽しんでいると、自分がまだ地下に居る事を思い出した。同時にエグザムは周囲を見回し、直く右隣に刺さっている槍の存在にも気付いた。

「結局これは何なんだ」

エグザムは螺旋状に曲がった中空構造の槍を掴み引き抜く。両腕に保持するのに必要な力が以前より多く必要で、槍の重量が増していると明確に理解できた。

(溺れそうに成った時、俺はこれに理力を注いだと思う。そしたら槍が水中から勢いよく飛び出して、俺は肩が壊れそうになったから手を放した。)

エグザムは立ち上がり周囲を見回す。砂浜には草木や漂着物の一つも無く、殺風景な高台が砂浜の斜面と下界を隔てている。上空から俯瞰した時に確認した何等かの人工物や建物跡が在る方向を漠然と思い出し、エグザムは再び手元の紅い槍を見つめる。

「ちょっと調べてみるか」

エグザムは槍の滑らかな表面を舐め匂いを嗅ぐ。金属光沢の味と匂いは無味無臭で、とても生物のように動く物体だとは思えない。

(もう一度理力を注げば、或いは水中に入れてみるか。)

知的好奇心がエグザムを謎の液体の元へ誘う。睡眠により体力が回復したらしく体がいつも以上に軽い。さらに肌が僅かに吹く風を感じ、気分が高鳴った。

エグザムは念のために沈めた槍先と体の前面を浜辺に向け、浅瀬で片膝を砂地に突いた状態で理力を発動させる。

「うわぁっ」

槍はエグザムの手元から大量の液体を撒き散らせ、水柱を回転しながら加速してそのまま砂浜の斜面に再び刺さった。どうやら理力によって操作する武器らしく、エグザムは理力の使い方次第で形状を変化させたり魔導砲が撃てるのではと考えた。

(あの姉弟は強化外骨格も特殊だったが武器も特殊だな。おそらく高濃度の汚染環境下で活動する為に再設計された特注装備。そして失われた筈の古代技術(理力)を運用しうる能力。まさに規格外な天使だよあいつらは。)

それからエグザムは姉弟と同様に槍を操作しようと浜辺で何度も理力を使用した。だが何度試しても槍は飛ぶか飛ばないかの二択。それならば理力の展開方法を変えようとユイヅキの水晶体に触れたが繋がらず、エグザムは不完全な状態で試しても無駄だと悟り簡単な結論を出した。

「とりあえずユイヅキを復活させる方法と脱出経路を 翼の飛行液の充填が終わるまでに探すか」

エグザムは浜辺から脱しようとユイヅキを背負って砂浜の斜面を駆け上った。周囲の赤い光の所為で砂が一層白く見えていたが、高台から見渡せる風景は背後の湖とは正反対に荒れている。

(どうやら俺はとんでもない所に落ちてしまったようだ。この様子では食い物はおろか飲み水も無いだろう。)

高台に思えたのは二メートル程度地面が盛り上がったクレーターの縁で、周囲一面に広がっている黒い土にエグザムは心当たりがあった。そのまま斜面を駆け下り、大地に堆積した黒い砂粒を手ですくう。

「これは死滅灰(しめつばい)じゃないか 完全に細かく分解されている 何千年も前には此処にも森が在ったのか」

森が汚染物質によって長時間分解されて残った無機物の結晶こと死滅灰。炭の様に炭化して地上で化石化した残骸の写真を見たことがあるエグザム。目の前の黒い砂地は土壌ごと汚染物質により分解された跡だと直に理解し、その場から一歩だけ後ずさった。

「そうか ここが蟲の王が管理していた地下世界 厄災により奪われた意識生命体の楽園だった場所か」

天空樹の主柱空洞へ転移する前に経由地点として立ち寄った、マギの演算領域内に封印された地底世界。エグザムは今更ながら森の先に見えた三角形屋根らしき巨大な建造物を思い出し、蟲の王に地底世界の情報を聞かなかった事を後悔する。

(俺を二度もあそこへ送ったマギの目的は何だ? この地を俺に見せる為に地形を記憶させたかったのだろうか? 一度しか会ってない相手に俺は何を求めているのか。)

生存の可能性を求めて足を踏み出し、灰の様に軟らかい黒い地面を歩くエグザム。本物の灰とは違い踏み潰しても靴底に付着したり舞い上がったりはしない。劣化した太古の微細機械によってあらゆる有機物が分解された地の底は、生物の死臭すら存在しない無機物の堆積場。何かの手掛かりを探すに広すぎた場所だ。


浄化天使。死都の有翼人が戦いに用いた全長十から三十メート級の機動兵器。第一次浄化戦役にて南方独立解放軍の幻獣兵器掃討用に造られた生物兵器。大きな胴体に長く太い足、カギ爪状に尖った干乾びたかの様に細く長い腕。そして薄く半透明な膜に覆われた一対の翼で空を自在に飛ぶ事ができたらしい。

伝承や資料を参考に再現すれば、現代で言う有機生体骨格に擬似脳を搭載した自立兵器。汚染環境下でも活動可能だと思われる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ