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魔法迷宮  作者: 戦夢
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三章前半


時間は午後三時二十二分。場所は探索組合が管理する直接指定区域内調整生簀の底。深度百メートル以上の比較的浅場だが、区画ごと沈下した廃墟街が断崖付近に密集しており視界が悪い。

エグザムはマイの命令で沖合いの崖沿いに等間隔で敷設された調整装置なる赤い浮きの錘部分を調査しに来ている。

調査対象は沈下により湾内と化した岸でも、幻想湖から最も遠い場所から扇状に四百メートル沖合いの底に設置されている。周囲の地形の影響で魔物は少ないが、稀に装置に何かが引っ掛かり機器が誤作動を起こすので定期的に装置の状態を目で確認しなければならなかった。

エグザムは降下してから十数分かけて緩やかな起伏状の砂場を通過し、ようやく沈んだ廃墟通りへ辿り着いた。

足元の舗装道路は降り積もった砂に埋没している。歩くと長らく放置した空き部屋の埃と同じ様に小さな砂粒が舞い上がり、上の廃墟通りでも比較的狭い道幅が砂塵で見えなくなった。

(どうせ清掃課が小遣い稼ぎに売れそうな物を全部回収した後だろう。せっかく今まで下りた場所より更に下まで来たのに、目ぼしい物がまったく無い。)

エグザムは西へ真っ直ぐ伸びる通りの先を見つめ、薄暗い世界に聳える無数の塔らしき残骸の壁を睨む。すると舞い上がった砂が僅かな対流に流され、立ち止まったエグザムの視界を邪魔しようとする。

「係留線を探すのに砂が邪魔だ そもそも水中でもないのに何で砂が舞い上がるんだ」

蜜の花世界において最も濃い水属性の魔素が充満する掃き溜め。深度五十メートルまでは幻想的な光景が見られるが、光量が少し減るだけで激変する事で知られている。

エグザムは手で砂を払い視界を確保しながら先へ進む。周囲は狭く薄暗い、まるで今の底は霧が発生した夜時間の地上だと錯覚しそうなほど静かだ。

かれこれ十数分かけ、狭い通りを上方の影に注意しながら歩いたエグザム。周囲の区画内に在る高層建築物の所為で更に暗くなった青い空に一筋の影を見つけると、巻き上がる砂を無視して走り出した。

湖面に浮かぶ赤い円柱形状の浮きから真っ直ぐ下へ伸びた係留線。設置場所によって変動するが、平均して百二十メートル程度下に設置された調整装置に繋がれている。

エグザムは横に大きな三階構造の廃墟敷地内に通じる半開きの門を通り抜け、敷地内の開けた砂場に設置された円柱状の調整装置に駆け寄った。

(こいつでまずは一つ目、番号を確認しないと。)

自身が想像していた碇の様な設置法と違い、調整装置の一部は真っ直ぐ砂中に刺さっている。さらに装置から無数の金属棒が突き出ており、エグザムは不用意に触れないよう距離を保ちながら自身より大きな物体の周囲を何度も周る。

(十八番と書かれてある。 引っ掛かっている異物や器具の破損も無い。とりあえず、これで一個目が終わったな。)

エグザムは装置から方々に突き出た無数の太い金属棒を見つめる。その部分が調整に必要な感知形だとしたら、非常に原始的な感応構造だと考えた。

「まさか液管 いや 係留線を巻き取って浮きを湖面から見えなくする為の装置だから 波動受信体だろうな」

組合が管理する固定された調整装置と湖面の浮きは二つで一対の調整装置。全部で三十五箇所に設置され組合は係留柵と呼んでいる。エグザムは残り三十四箇所の点検及び調査を終わらせる為、敷地内を出てそのまま南側へ通りを跨ぎ、廃墟同士が隣接した壁同士の感覚が狭い抜け道に入った。


係留柵。探索組合が幻想湖の水位と魔素濃度を常時把握する為に設置した数多の監視装置一つ。現在主流と成っている迷宮探索の虚構世界法式探索管理業が天空樹に導入された当初から、調整生簀内で海の宝石と呼ばれる希少品目を養殖しよう探索組合が画策したのが始まり。


約七百年前の世界は革新魔導時代の只中で三度目の文明転換期を迎えており、当時の天空樹では遺跡や迷宮の管理を兼ねた探索が主流だった。天空樹に失われた古代技術である虚数空間が見つかり、当時の探索組合と聖典教会(政府)との間で探索権利を互いに主張しあう係争へ発展する。

数年間経済と政治が混乱した後、現在の遺産保全協会の前身である南大陸保全開発機構の仲裁により、虚構世界法式技術を使用した天空樹の魔界化が始まった。

エグザムはその魔界化時に失敗した養殖計画の残骸を見上げながら、マイが調整装置の点検調査を自分に押し付けた真の理由を悟る。

「確かあいつは高い所が苦手だったな それにあの高層物件をよじ登るには相当体力が削られる 何で天空樹を移民先に選んだんだ」

相変わらず周囲は暗く不気味に青い。エグザムが見上げている大きな建造物も全体像が見えず、脳内で補完した地形情報に在る未完成な調整生簀の壁だと判断し難い。

(街中より空気の流れが速い。恐らくこの辺りに調整装置が設置されている筈だが、やはりあの上に在るだろうな。)

エグザムの目の前の構造物は、蜜の花世界に内在する古代遺跡を模した数多の住居型廃墟と構造から違う。何十本もの金属棒を人工石材で固めた太い柱と、作業用に併設された露天階段の壁。住居用の部屋や階層らしき物は見当たらず、数百年前にこの地で建設された未完成な構造体の基礎が放置されたまま残っている。

上へ登るに連れ少しづつ傾斜してゆく側柱に固定された階段に片足を乗せたエグザム。思いのほか硬く頑丈さを失ってない事に安堵して、長く複雑で迷ったら引き返すのに時間が掛かる階段を登り始めた。

エグザムは階段を登っていると、ある時皮手袋に手摺の黒い汚れが付着している事に気付く。

(汚れまで再現、いや残っていると言う事は間違いなく此方側の遺物だ。虚構世界を人の手で開発すると異界化が発生する。これだけの規模に成ると迷宮でも隔離すら出来なくなるらしい。元の環境に戻るには何百年も先だな。)

幸運な事に階段の構造を把握するのは簡単だった。エグザムは底の地形が真っ青に見えるほど高い場所まで登り、ようやく次の係留線を視認した。

しかし当初の予想とは違い壁の建設はそれなりに進んでいたらしく、土台となる台形構造物の上部に何本もの太い柱が並んでいる。流石に建築用資材や機材の姿は何処にも無いが、エグザムは虚構世界史初期に組合や政府がこれだけの物を造る金と人材を有していた事実に驚いた。

「本当に養殖場の為に此処まで作り上げたのか 食料事情よりも権力基盤を失うのが怖かったに違いない」

エグザムは黒く太い円柱の柱に杭を打ち付け固定された調整装置を発見し、すぐさま仕事に取り掛かる。

(少し砂が積もってるから掃除に時間が取られる。夜になるまでに全部を終わらせるのは難しいかもしれない。)

霧が発生すると幻想湖は実体化し、時化(しけ)どきの海の様に荒れる。幾たびもの乱流に打ち勝ち原型を留めている未完成の壁でも、その乱流によって運ばれた大量の土砂や瓦礫で酷く汚れていた。

金属棒に触れないよう注意しながら砂を落すエグザム。本人は知らないが金属棒が装着された上部の清掃はもっと静かに行わなければならない。

(折れてるのが二つと根元から無くなった検知具が一箇所。予備はまだ残ってるよな)

目の前の調整装置は設計当初から欠損を想定して金属棒の検知器や予備部品を収納した内箱が設けてあり、エグザムは片方の固定金具が無い箱を開けて中から三本の金属棒を取り出した。

(たしかこの絶縁部を剥ぎ取ってから差し込まないと、正常に作動しない設計だったな。)

直径三センチ、長さ三十数センチの検知器具である金属棒の根元には、棒の差し込む側先端を露出させた筒で覆われている。いわゆる逆ネジ構造により振動でネジの噛み合わせ緩まないよう防止策が施されており、エグザムは最初に絶縁部を剥ぎ取り箱の中に放り込むと、検知具を右巻きに回して覆いを固定しようとする。

「硬い 中の砂は取り除いたはずなのに」

一旦作業を止めて両手袋に付着した細かい砂粒を払っていると、本体と接続された他の検知具の根元に絶縁体が被せられている事に気付く。慌てたエグザムは内箱の前に移動して中から放り込んだ絶縁体を探し始めると、予備の検知具が縦に並んだ箱の下に挟まっている取っ手回しらしき道具を発見した。

(あぶねぇ、絶縁体を捨てなくて良かった。ちゃんと専用の回し棒が有るじゃないか、まったく。)

孤児として街の小間遣いに奔走していた時、おんぼろの時計台や給水管の修理に何度も借出されたエグザム。この程度の古い器具を取り扱うなど至極簡単な作業と言える。

最後に内箱に残った片側の固定金具を固定したエグザムは、手袋に付着した皮膜油の汚れを砂で擦って作業を終えて一息つく。調整装置一つ修理するのに要した時間は三分程度と短かったが、残り三十二箇所に設置された装置を点検し終えるまで宿に帰れそうにない。

「係留柵を造るのならもっと点検し易い設計を選べばいいのにな 探索街でも小間遣いは子供の仕事ですか」

愚痴を吐き捨て登って来た階段へ歩み始めるエグザム。この時宿への帰還時刻が夕刻過ぎになると覚悟した。


異界化。虚構世界に大量の物資を持ち込み、魔法迷宮の性質である循環作用を阻害すると発生する現象。周囲環境から流入する魔素が極端に減り、構造の再生や変容作用が失われる。現実世界の自然環境を擬似的に模した事で得られる作物や希少資源の恩恵も消失するので、場所によっては魔法迷宮が対象領域を隔離して被害が拡大するのを防ごうとする。


砂漠化により廃墟が砂丘郡に埋もれつつある沈下大地の一角。傾いた枠組みだけの建造物を尻目に砂の斜面を駆け下りているエグザムは、同じく砂を撒き散らせ背後から迫って来る魔物に追われていた。

「くっそ なんで水蛇(みずへび)が島の対岸に居るんだよ」

エグザムは砂に半分埋もれた居住型廃墟へ逃げ込もうと力強く踏み込む。しかし地面は軟らかく力が殆ど分散してしまうので、舞い上がった砂が追っ手の水蛇の注意を引いてしまう。

(それに色も違うし、何を食えばあそこまで大きく成るんだ?この辺りは大型の魔物が出没しないから組合の直轄区域に指定されているのに、このままじゃ俺も含めて斑魚(まだらうお)も食い散らさせて終わりだぞ。)

人工石材で整形された無骨な壁の入り口に駆け込んだのと同時に、たった今通過した扉の無い枠だけの入り口から大量の土砂が流れ込んで来る。エグザムは砂と空気に流され着地に失敗し、小石の如く通路の奥へ転がされてしまう。

エグザムは闇の中から外の影を見つめて息を潜める。廃墟の通路は幾つかの部屋や別の通路と繋がっているらしく、魔素が充満した特殊な大気特有の流動を感じ取れた。

(島の水蛇は本来ならせいぜい体長二三メートル弱の雑魚なんだが、例の単一種特有の巨大化で大深度への耐性を獲得したんだろう。今の島周辺水域は何処の探索団の所有だっけ?もし対岸の水域を突破した個体が居た事を報告すれば、管理不十分で担当地区の探索団は領有権を失うだろうな。)

廃墟の入り口は半分砂に埋もれたが体を屈めれば十分通れる。しかしエグザムは入って来た入り口に興味を示さず、通路の奥へ進み曲がり角や部屋の中を調べ始めた。

(入り口には扉の蝶番や固定具が無かったから、おそらく窓の一種だろう。集団住宅にしては一区画が大きい建物だな。まぁ反対側に必ず正規の出入り口が在る。)

後ろの入り口や通路の奥から、異質な流動音と砂を巻き上げ高密度の大気を攪拌する音が断続的に響いて来る。まだ脅威が廃墟の周辺に居るのは明確で、エグザムは通路に座り込んで対処法を考え始めた。

(問題は相手の水蛇が諦めて他所に移ってくれるかだ。島の魔物は獲物への執着を忘れないらしい。あそこまで大きい以上、それなりの場数を経験しているはず。)

背中越しに壁の冷たさを感じ興奮と恐怖が少しずつ冷めていく。本来の目的である係留柵の調査には魔物の観察も含まれており、正統な依頼主である探索組合へ顔を売る絶好の機会でもあった。

【具象化:ユイヅキ】

啓示に相棒の名が表示され、探索者から狩人へと思考を切り替えたエグザム。矢の材料を調達する為には、現在の退避場所から隣の遺跡廃墟へ狩場を移す必要がある。エグザムは通路の先に在る壁らしき扉を触り、謎の材質で加工された金属製の扉の一部に魔法を発動させる。

【変換・再構築を開始】

ユイヅキに填め込まれた楕円状の水晶体が紫色の光を明滅させる。エグザムは己の視野と思考に割り込んだユイヅキを受け入れ、思考を手放し体に無駄な力も入れず魔法の処理が終わるのを待った。

【生成:真鍮強合金の矢 五本】

エグザムは屋内から内部の中空構造が露出した扉を蹴破る。始めから鍵や閂などで施錠されてないとは言え、突っ込む事しか脳が無い相手に対する宣戦布告を狩人は必要としていた。

静寂を破る小さく短い異音を聞いた水蛇は、エグザムの期待通り開け放たれた小さな扉から飛び出した獲物に気付いた。

「上手くいった こっちに来い戦利品」

居住型廃墟から飛び出し、一直線に傾いた鉄塔らしき遺跡へ疾走するエグザム。頭だけを右に回し背後を見つめると、水蛇は両生類の様に首元を膨らませながらゆっくりと追って来ているではないか。

エグザムは水蛇の動作に異変を感じ減速しながら振り返ると、すぐさま両腕より長い矢をユイヅキに番えて打ち出した。

水蛇は口から大量の水量を伴う水鉄砲を吐き出し、飛んで来た矢ごとエグザムを吹き飛ばそうとした。しかしエグザムは素早く反応して真横に飛び退いて回避すると、何も言わず再び遺跡へ走り出す。

(毒牙に注意していたが、あの攻撃は学習による発展系だろう。授業料で一本失ったが、まだ四本有れば)

走りながら腰の矢筒が軽くなっている事に気付いたエグザム。手を伸ばすと生成した四本のうち二本が無くなっており、回避時に落してしまったようだ。

「遠心力を忘れていた くそ 不味いぞ」

エグザムは再び鉄塔らしき大きな遺跡と背後の水蛇を交互に見比べる。当初は鉄塔を変態化を付与した矢で倒壊させて水蛇を潰そうと考えていたが、持ち前の気力と魔力だけで鉄塔の複雑な骨組みを破壊するのは不可能だ。

エグザムは再び停止してから真横に身を投げ水鉄砲を回避する。遠距離攻撃が連続で放出されない点は唯一の救いだろう。しかい決定的な決め手に欠けているエグザムにとって、水蛇を変態化せず討伐する手段を新たに考えている時間は無い。

(飛距離が三十メートル以上だと水量を収束させて対応している。周りの魔素が材料だろうけど、こっちの体力は無尽蔵とは程遠い。判断を見誤ったな。)

エグザムが停止した事で追うのを止めた水蛇。直接毒牙で獲物(エグザム)を仕留める素振りを見せず、長い首を膨らませながらエグザムを観察している。

魔物の中には成長期間が長く、繁殖能力を得ても成長を続ける個体が存在する。生まれてから殆ど容姿が変わらない種に多く、駆除対象から討伐対象に変わらないよう定期的な間引きが必要。今まさにエグザムと相対している水蛇がそうであり、本来なら島の南部や西部の地下水道に生息している魔物なのだが。

エグザムは二本目の矢を番え今度は水蛇へ走って行く。水鉄砲の射程に自ら駆け込んで射撃体勢を崩し、身体への被害を減らして相打ちを狙う。

【対象:??】

水蛇は四本の(犬歯)ごとに数種類の毒を注入する毒性の魔物として知られている。ただし魔法障壁や防壁等の防御手段が充実している探索者の脅威とは言えず、得られる戦利品も現実の蛇から採れる同質の牙や皮だけだ。

故に変態化攻撃で光へと滅却して処理するのが適切なのだが、調査の邪魔をされて苛立っているエグザムは攻撃を受けるまでこの事実を忘れていた。

空間自体が水へと変化した圧倒的な水圧がエグザムの左足股関節を中心にて少年の体を吹き飛ばそうとした。しかしエグザムが放った矢には変態化の特性が僅かに付与されおり、啓示が反応する有効射程内に居る水蛇の長い首に刺さる。

エグザムは後ろに倒れながら間髪居れず最後の矢を番え引き絞り、光の粒子に変換され消滅していく巨体の残っている頭部を狙う。

(あれだけデカイんだ。証拠となる部位も違うはず!)

放たれた矢が放物線を描く前に、エグザムを簡単に丸呑みできる頭部の頭蓋に刺さった。運動エネルギーが消滅する前に肉片と脳髄が飛び散り、海の様な深い群青色の水蛇は光に変わる前に絶命する。

【駆除:水蛇】

水に溶けていく菓子細工の様に、残った巨体の表面が急速に魔素へ分解されてゆく。エグザムは露出し始めた骨格に駆け寄り残った戦利品を見失わないように目を見開き続けた。そして目が乾いて瞬きが我慢できなくなる前に、消えた巨体が在った場所に己の啓示が反応を示す。

【対象:不明】

近寄ると綺麗な虹色の宝玉が砂に落ちていた。想像した戦利品の類とは見るからに異なり、水晶より真珠の様な光沢を放っている。

エグザムは啓示が示す内容に不信感を募らせつつ、拳大で綺麗な球状の物体を拾い上げた。

「またこの啓示か もう二度とあんな場所に飛ばされたくない」

たとえ巨大化した水蛇でも、所詮は雑魚の魔物でしかない。その事を確かめただけで満足したエグザムは右手を開き、右手を傾けて滑らかな光沢を放つ謎の戦利品を足元に落した。すると、自重で砂にめり込んだ虹色の球から大量の泡が放出され、エグザムは罠の類だと直感的に理解しその場から飛び退く。

「なっ 今度はなんだ」

謎の物体を中心に周囲の砂が流れ落ちる様に集まり始めた。折角自慢の脚力で飛び退いたものの、エグザムは突如発生した流砂に足を取られ転んでしまった。

(嘘だろ。この下に在った廃墟が崩れたのか?まだこっちは調査も終わってないんだぞ!)

急速に広がる流砂により、転んだ状態から立ち上がれずうつ伏せのままもがくエグザム。ユイヅキを握りしめた左手を伸ばし大声で助けを求めたが、残念ながらこんな場所をうろつく探索者(物好き)は居なかったようだ。

「こんな所で死んでたまるか」

体が小さく重量も軽い事から、何とか砂から手足を出すことに成功したエグザム。後悔するより先に脱出しようと四足動物の様に砂上を走ろうとした矢先、暗黒の大穴が開いた事も理解出来ず没してしまう。


水蛇。体長二から三メートル程度の小型な魔物。鱗や体色は餌と住処により変化するが、基本的に緑や土色に黒い斑模様の保護色で認知されている。毒は魔素に分解され易い即効毒で、体内の魔導因子を狂わせる性質を有している。致死率が高いが錬金術士なら簡単に調合できる予防薬で対処可能。

動物の蛇と同様脱皮して成長するが、牙や鱗より大型個体の脱皮した抜け殻の方が価値が高い。よって基本的に生け捕りが推奨されており、召喚士や(まじな)い士が扱う各種合成材料に加工される事が多い。


明るい光を感じエグザムの意識が急速に覚醒する。自然と開かれた瞼が何度か開閉を繰り返し、健康的な褐色の頬が強張る。

「此処は何処だ ユイヅキ状況報告」

虚構世界なら何時でも啓示を介して反応する筈のユイヅキ。身体の調子や魔導具との感応接続など魔素の循環量も含め必要な情報を教えてくれる便利な相棒(魔法品)からの返答が無い。仕方なく上半身を起こしたエグザムは周囲の景色から状況を読取ろうとする。

(また魔法が機能しない場所に飛ばされたのか。いい加減何等かの対処を考えないと今後の探索に響くな。)

緩やかに体を立たせるエグザムの周囲は、青いタイルが敷かれた小島を中心に黒い水面と青い空が広がっている。水面と言っても水らしき透明な液体が均一に平面化された黒い床の表面を流れているだけで、今まで下りた事のある幻想湖の浅場より遥かに透明度が高いので遠方の景色まで見えた。

自身が仰向けに倒れていた小島から一直線に伸びる狭い道の先に佇む赤い宮殿を見つめるエグザム。空間が大気と違う所為か遠近感狂って正確な距離が判らない。

「風変わりな造りだ まるでゼノンの浮遊島沖に沈んだ伝説の城に見える 俺の髪とは違い赤さだが 珊瑚城と言い換えるべきかもしれない」

エグザムは小島から伸びた直線状の道を歩み始める。道は平らに舗装されているようだが、よく見ると無数の小さな丸石が埋め込まれており、滑り易く革靴の硬い靴底と相性が悪そうだ。

更にエグザムはユイヅキが駄目なら両手に填めた魔導具の腕輪に直接魔力を注ごうとしたが、始めから少ない魔力すら感じれないので諦める事にした。

ユイヅキを肩に担ぎ直し、歩きながら周囲へと再び注意を向けたエグザム。黒い大地は場所によって高低差があり、液体が城の方へと流れている事に気付く。

(幻想湖の浅瀬にここまで広い場所は無い。それに周囲に自生している珊瑚の様な植物は何だ?茸の様な菌糸類に見えなくもないし、色の種類だけでも十以上は有る。何処かの探索団が秘密裏に高級素材を養殖しているのかもな。)

魔法迷宮に指定され魔法化により構築された迷宮の虚構世界は、世界一複雑怪奇な場所として認知されている。そんな世界の一部を領有できるとは言え、どの国でも無許可で秘密裏に改造すれば一族郎党極刑が待っている。

エグザムは周囲の地形で自生している高級そうな珊瑚らしき物体に興味をそそられ、道を外れて段差を跨ごうとした。しかし足を大きく開く前に体が見えない障壁にぶつかり、そのまま体勢を崩して転んでしまった。

「皮装備でも尻が痛ぇ ここもあの女魔導師の領域と似たような所だ」

自分の足が両足とも棺桶に入っていると今更ながら認識し、ナイフなどの小物を確認してから何時でも抜けるよう止め具を外したエグザム。立ち上がると再び歩き始めるが、勝手に名前をつけた珊瑚城を観察し始める。

(屋根の模様が貝の内側の成長線に似ている。そう言えば蜂の巣もあんな風な模様に仕上がるな。)

その城は城壁の様な赤い壁に殆ど隠れている為、辛うじて古城の類だと認識できる。さらに建物や壁の建築様式は見たこともない程乱雑で、近付くまでは紙細工の切れ端で作った実寸大の簡易模型のような有様だった。

しかし道の先に巨大な貝殻の接合部らしき閉じた城門が見えてくると、エグザムは急に考えを改めて足取りを遅くする。

「もしかしたら今聖都の沿岸で建設されている噂の遊園地の外観を誰かが先取りして模倣したのかも 俺が最初の客になるかもしれない」

残念ながら入場料を払えるだけのお金は宿の主人に預けていたエグザム。目前の場所までようやく近付き、高さ数十メートル程度の大きな壁と門を見上げて興奮し始めた。

驚くべきことに城門が赤いのは土壁に大量の赤珊瑚が自生しており、一本一万Gは下らない大きさの上物を壁に生やす考えに常識を疑う。更に貝の接合部に似ていた独特な両開き仕様の城門がゆっくりと左右に縮んで行くではないか。

(どうやら今回も強制的に転移させられたようだ。相手は俺を攫う為にあんな大きな水蛇を差し向ける輩だ。目当ては俺の相棒か、あの女魔導師から与えられた情報だろうな。こうなったら俺の髪と肌が変質した理由含め、女魔導師の加護や恩恵諸々(もろもろ)の情報を聞きだしてやる。)

エグザムは広がった城門を通り、予想どおり一般的に海の宝石と呼ばれる装飾品で構成された宮殿内へ踏み込む。

観賞用の樹木を様々な珊瑚類で再現した庭園を蛇行する青い結晶タイルの歩道が、石灰質な石垣の基礎に鎮座した宮殿へ延びている。庭園と宮殿の外観は共通して海の宝石を主題としているのか、七色の光を発する巨大真珠が色とりどりの珊瑚の庭を照らしている。

「煌びやかで羨ましいよ 金持ちは皆北の聖都を目指すのは 海が恋しいからじゃないんだよな」

手荒い出迎えを警戒してナイフを一本左手に持つエグザム。せっかく来たのだからと豪華な庭園を観賞しつつ、土産に珊瑚の一房でも切り取って持ち帰ろうかと悩んだ。

セフィロトの経済は事実上北部沿岸の聖都を中心に回っている。海岸沿いを西に進めば隣国のゼノンと国境で接しており、巨大な沿岸物流と経済圏による消費効果は破格の金額と言える。ゆえにセフィロトの富裕層は(きん)や銀等の希少鉱石と宝石よりも、真珠や深海樹と珊瑚類を加工した装飾を好むのだ。

エグザムは庭園を通過し石灰岩の階段を登っている。石垣の高さは五メートル足らずだが宮殿の入り口が高床式住居の様に高い位置にあり、急勾配な階段を登るには転げ落ちないよう注意が必要そうだ。

(風変わりだと思っていたけど、どうやら始めて見る種類の遺跡だ。まるで建物自体が貝殻を纏う生物に見える。)

遠方から見えた曲面の瓦屋根を近くから見上げると、内側に凹んだ平面的な曲面の屋根だと解る。貝の成長線が光を反射して層を成している様に見え、表面が岩のように粗い赤い壁と対照的だ。

エグザムは階段を登り終え宮殿内の閉じた入り口へ歩く。城門とは違い宮殿の正門は普通の両開き扉で、取っ手や呼び鈴の類が一切無い。

(ここまで通しておいて客に開けさせるのか。珊瑚は硬すぎて切り取れなかったし、何から何まで常識とは無縁な場所だ。)

とりあえずエグザムは左右の扉に両手を当てて押してみる。すると扉が自動的に開かれ始め、エグザムは慌てて一歩退いた。

【ようこそ死神の子よ。私はこの丘海(おかうみ)の管理者メルキオル。貴方が此処へ到るのを長らく待っていました。】

エグザムは突如反応した啓示と入り口の敷居を境界にして張られた水の膜に驚く。文字どおり言葉を失いじっと動かないまま、巨大な観賞用水槽に作りかえられた内部構造を観察する。

【どうやら驚かせてしまったようですね。視覚演出を切るので中央の台座前までどうぞ。】

啓示に表示された文章どおり入り口で波打っていた水の膜が消えた。しかし宮殿内の吹き抜け構造を占有する水槽用調度品は撤去されておらず、エグザムは木造の沈船を模した金塊の山の方へ招き寄せられる。

(一本十数万相当の金の延べ棒だ。一度でいいから手にしてみたかったんだよ。)

敷かれた白亜の砂利を踏み締め室内奥へ行こうとする貧者に対し、台座に鎮座する大きな青い水晶光を発する。すると調度品どころか入り口や柱すら消滅し、真っ白い室内に赤珊瑚の台座に鎮座した青い水晶とエグザムだけが残された。

【時間の浪費を避ける為に全ての視覚演出を停止しました。貴方には私から贈る情報の方が重要です。情報量が多いので圧縮転送を求めます。水晶体を触れてください。】

己の魔力すら感じ取れないのに無防備なまま青い大きな水晶に近付くエグザム。握ったナイフを振り下ろす代わりに口を動かす。

「ならば俺も聞きたい 俺の黒髪と肌の色素を勝手に変えた挙句 よく解らない力まで押し付けたあの魔導師は何者だ」

エグザムには啓示を介した一方的な要求を受け入れる意志など無かった。ただ己の身に起きている異変を解決する手段さえ手に入れられるなら、と言うより一刻も早く幻想湖の帰還したい想いの方が遥かに強かったに違いない。

【では導入情報を貴方の意識体を介して説明します。質問があれば受け付けますので、水晶の表面から目を放さないように。】

その瞬間。水晶の体積が膨張して表面に、たまに宿の主人と一緒に見る現像投影機よりも遥かに鮮明な字幕情報が映し出された。

【星暦5121年。魔導細胞により変質した魔導素粒子を浄化するため、現在のセフィロト国内に四つの対生物要塞都市が建造されました。

一つ目は北部の汽水域から南の山脈を中心に、海洋性質改善を目指す「聖都」。二つ目は現在の西の隣国(ゼノン)と接している魔獣山脈の麓に浄化生物都市「魔都」。三つ目は東の大渓谷及び凍土地域周辺に建設された研究施設群を統括する浄化実験都市「法都」。そして現在天空樹と呼ばれる有機式循環都市「死都」です。

これ等を含め世界中に建設された要塞都市は、汚染された大地を浄化する「浄化増殖都市」とも呼ばれ、残存する文明と各種族を汚染された大地から保護する名目で運営されていました。

しかし、星暦6217年に勃発した浄化戦争により、天空樹の頂きに聳える死都が崩壊。管理種族である有翼人文明衰退により浄化機能が著しく損なわれてしまいます。当時は】

エグザムは目まぐるしく下から上に流れる字幕を目で追えなくなり、静止画に変更しようと宿の古い現像投影機を操作する感覚で水晶に触れてしまう。すると流れていた字幕が消えた代わりに己の頭に大量の情報が濁流の如く流れ込み始めた。

【圧縮転送完了。対象意識体へ変換暗号の転送及び解析を開始。 .....】

視界が真っ暗になり体が硬直して動けない。なにより以前体験した過去情報の受け渡しより乱暴な意識介入によって、現在の天空樹が抱える様々な問題が脳内で強制編纂されていくのを感じ取る事しかできない。

エグザムは暗転したままの視界に起動した何かの文字の様な暗号を認識した。それは啓示とは違い視界の中央に固定されていて、何故かとても身近で頻繁に聞く単語の様な存在だと感じとれる。まるで始めから存在していたような無機質な文字の羅列。現在世界中で使用されている共通語とはまったくかけ離れた形だが、成す術の無い状況でもエグザムはその名を誰よりも知っていた。

【全ての申請情報を解除。エグザムから、エグザムへの再変更を完了。】

意味不明な啓示が消えた瞬間、視界が正常に戻り体の自由が復活する。エグザムは思うように動かない体を動かそうとして、背後へ仰向けに倒れてしまう。

【転送内容の確認と現状の追認を求めます。】

エグザムは噴出す汗と荒い呼吸を何とか止めようと、勝手に働く思考を一旦放棄しようとした。しかし冷静さを求めようと心を落ち着かせようとするほど、圧倒的な情報量が脳内を駆け巡る。

(や やめ魔導生物ろ。俺聖都の丘海の思考、筐体を奪還、奪われた・・・・)

勝手に加速する思考に対して、追随するよう啓示が複数の単語の列を並べ始めた。エグザムは辛うじて動く右手に力を入れ、ナイフを逆手に持ち替えると青い光を明滅させる水晶体へ投げる。

【転送情報を理解できましたか?】

ナイフは水晶体に当らず、奥の壁に到達すらしなかった。しかし思考と体が急激に落ち着いていき、エグザムは残りのナイフを両手に握り反撃の意思を(あらわ)にした。

「理解したくないが大よそ俺に何をさせたいのかは解っさ ちっ まだ頭が混乱する」

目の前の水晶体の本体である「メルキオル」が星暦9409年に終結したセフィロト経済動乱の渦中、枯れそうになっていた天空樹を復活させる為、つまり天空樹固有の虚構空間を魔法化する為の道具として秘密裏に移植されられたらしい。さらに廃墟に成っている東と西の「法都」と「魔都」の中枢制御体も同様に天空樹に組み込まれ、セフィロトの浄化が不完全なまま天空樹ごと浄化機構が失われる未来が待っている。そうなれば天空樹が地下に張り巡らした根を介し、セフィロトの方々に未処理のまま蓄積した汚染物質が放出され、緑豊かな大地がおよそ五千年前の災厄の時代に逆戻りしてしまうのだ。

「くそっ頭が痛い 歴史の数字を覚えるのは苦手だったのに 今なら学府の考古学教室で教鞭を執れそうだよ」

今なら数字の羅列を見ただけで歴史上の出来事が詳細に思い出せる。迷宮関連だけで百以上有る情報を叩き込まれた気分はやはり最悪(災厄)に等しいのだろう。エグザムは気分を落ち着かせると再び水晶体の前に立った。ナイフを腰の鞘に戻したので攻撃の意思はない。どうやらまだ儀式が必要らしい。

「情報が正常に転送されたか確める 第一次浄化戦役以降の天空樹の歴史と 情勢の関連を纏めた概要情報を表示しろ 編成は任せるが詳細は情報は要らん 簡単で簡潔な判り易い概略情報を頼む」

エグザムの要請に従いメルキオルの分身は再び体積を膨張させた。僅かばかりの気配りのつもりか、膨張した水晶体はエグザムが見え易いよう現像投影機の様な箱型に変わる。


【セフィロトの浄化作用は浄化戦役で大きく減退。群雄時代の混乱を経て魔導開花期まで目的の完全な達成は見こめなかった。そこで当時の都市管理者は汚染物質の浄化から生物生存圏の確保と維持へ方針を転換、結成されたばかりの正典政府や迷宮管理機構と本格的な合同政策を実行に移す。

五百年ほど経過した後、セフィロト中部山岳地帯にある天空樹カルデラ水系の水量が大幅に減少。もともと導力転換期が伝播したセフィロトでも鉱山や水脈の開発が進んでいたことから、浄化戦争以来魔物の巣窟として放棄されていた天空樹に復興の兆しが見え始めた。

そこで再び汚染の浄化を始める名目で各都市間に水路と交易の道を設け、再び都市から人を遠ざけて密かに汚染物質の浄化が始まる。

しかし天空樹周辺で戦略資源の「魔石」や希少鉱物と共に、汚染されていない貴重な魔導反応物質である「天空樹の実」が発見され事態が急変。

人々はかつて死都として機能していた巨大な植物の領有を奪い合い、汚染された魔導粒子に肉体が耐えれきれず死ぬ危険を冒してでも、天空樹の根に身を寄せあうようになった。

それでも正典政府が誕生してからおよそ千二百年間、他の都市では生存圏の存続に成功している。技術革新により浄化都市の必要性が希薄化してからは、新たな文明を担う共同体の拠点として再構築が始まりつつあった。

時と共に天空樹でも盗掘や魔石目当ての違法採掘が見直され始め、現在の探索街の原型となる町が天空樹とその周辺に建設され始める。当時の探索街の主産業は周囲の原野を開拓して行われた耕作と畜産のみ。天空樹本体から体表を剥ぎ取り建材として加工する者も居たが、同国の当時はまだ豊富だった森林資源に駆逐された模様。

なので現在の虚構世界にて行われている迷宮探索が主流と成るまでは、迷宮としてではなく食糧生産の主要地として栄えた。

星暦9300代に入り世界中の要塞都市にて、浄化都市制御中枢にある演算仮想領域の固有虚構空間を失われた超技術で擬似的に実体化する実験が繰り返される。なお、対象の実験と研究成果についての情報は無い。

長い年月の末衰えていた天空樹の生体機能を復活する為、秘密裏に同国の要塞都市を統合する計画が実行された。当時の天空樹運営者は域外勢力と結託し、法都と魔都の管理中枢を天空樹に移植。無事だった聖都の浄化筐体を導力炉に接続。復調した天空樹に魔都の「マギ」と法都の「バルタザル」が取り込まれ同化。移植されたマギとバルタザルの固有虚構空間は天空樹の虚構世界と融合しており、蜜の花世界の地形が複雑化した最大の要因と考えられる。

独自に収集した情報によると、上記の騒動は反乱勢力を他国の支援のもとで鎮圧したセフィロト経済動乱(第二次浄化戦役)の渦中にて秘密裏に実行された。

この時からセフィロト大部分の自然管理を担っていた大気循環能力が狂い、南大陸中央から西側へ砂漠化が広がる。また、南大陸東部の浄化作用も途絶え同国の近代産業である鉱業の急激な衰退が始まる。

管理存在を失った三つの要塞都市には魔物が侵入し始め、探索転換期より栄えていた採取と採掘による探索業が衰退する切っ掛けと成った。

虚構世界技術を用い三つの管理存在による間接管理によって天空樹の機能は復活した、しかし他の都市の浄化機能が停止しているので南大陸東部の浄化はおよそ七百年間滞ったままになっている。

この情報は迷宮管理機構と新聖典政府、そして行政府の書簡庫もしくはメルキオルの記憶領域に残っている可能性あり。もし事実が発覚すれば三度目の浄化(戦争)が始まる可能性も考えれるが、同国政府と探索街がこの問題を認識しているかは不明。】


上から下に流れていた長文がようやく終わり、エグザムは長めの溜息を吐く。

「長引く南の混乱がいずれ北上するだろうし 国に未来なんて無さそうだから金と名声を手に入れて高飛びしようかと考えていた まさかその現況が天空樹だとは笑える」

腹の底から無性にこみ上げて来る可笑しさ馬鹿馬鹿しさに笑いが止まらない。エグザムが孤児院で学んだとおり、セフィロトでは人口調整に棄民政策を施行している。身寄りのない子供は孤児院に入れ、犯罪者や老いただけの穀潰しは南の荒野送り。親の階層や年収により己の人生の幅が左右されるのが当たり前の時代。戦乱と封建体制を繰り返す哀れな民族に、汚染から魔物から解放される楽園なんて始めから無かったのだ。

「馬鹿馬鹿しい 狩人の真似事なんてやらずに 真面目に勉学に励んで遺跡保全協会にでも就職すれば好かった 残りの情報 抽象的に言えば天空樹の残り時間は判かっているのか」

エグザムの問いに対しメルキオルの分体である水晶は明滅を繰り返し計算を始めた。どうやら算定に入れる情報が多いようで、エグザムは何も喋らず立ったまま成り行きを見守った。

【天空樹の浄化限界まであと一ヶ月。演算崩壊による生体活動停止の場合、三ヶ月から五ヶ月。地下茎の肥大化と大地崩壊による生体枯死の場合、二年から六年。】

どうやら演算結果が事実なら一ヵ月後には天空樹の浄化機能が停止して、迷宮維持に異変が表れる頃には手遅れに成るようだ。圧縮して詰め込まれただけの知識を全て理解するにはまだ時間が掛かる。巨大な樹が倒れる姿なら想像し易いと思ったエグザムは、矢継ぎ早に原因と対処法の情報を開示するよう求めた。

【直接的な原因は浄化戦役時の都市攻撃による生体基幹細胞の損傷、もしくは管理者不在による生体機能の暴走。 解決法は天空樹上部の旧都市遺跡へ転移し、内部にて同化した旧法都市の管理結晶生物が展開した物理防壁を突破。天空樹の中枢である植獣カスパー本体へ生体接続し、直接停止信号の送信による方法。情報不足により他の手段は推奨できない。】

エグザムは簡潔処理化された文章に眉をひそめる。地上から見上げても上部が見えないほど高い位置で枝を広げている天空樹に転移する方法なんてまったく想像でできない。

するとそんなエグザムの考えを察した水晶体は再び光を明滅させて処理動作を開始する。幾ら古代に失われた超技術の片割れだとしても、本来この大きさの演算装置で処理できる情報量は多くない筈だった。

【虚構世界技術を応用して天空樹周辺なら物質を転送可能。ただし転送対象は魔素を完全に遮断する理力空間にて隔離される必要がある。理力空間とは要塞都市が建造されるより遥か古代の星海文明時代に使用されていた超技術で詳細は不明。

.....つまり貴方はこの力に適応する可能性が有ったので、我々が秘密裏に共有している隔離領域を介し、適応試験を兼ねて接触しました。(ことわり)を捻じ曲げ迷宮世界で再現される魔法に近い法則。情報が不足しており未知数な点ばかりですが、転移に使用するのみならず、圧倒的な干渉能力を誇るバルタザルの偏光結界を破るだけの出力が出せます。】

理力(りりょく)。なんて単語を見聞きした事ないエグザムにとって、メルキオルの分身から与えられた情報が無ければ永遠に理解できそうにない状況に違いない。しかしエグザムも未知への接触に対する興味は少なからず有る。空想上の物語に登場する勇者に選ばれし存在への憧れ、現実において選ばれた自分自身を投影する様に意識してしまう。

「本当に唐突 本当に俺が得る利益すら無い話だ メルキオル 適応する可能性から教えてくれ」

エグザムの要望どおり再び明滅し始めた水晶体。今度は文字が表示されるのでなく、目の前で織物を織るように立体画像が下から構成され始める。エグザムは直ぐにその画像が人間の体であり、体の到る所に作った無数の傷が痛々しいほど心当たりが有る。

【貴方の身体を構成する細胞の染色体には、天空樹が長年にわたり居住生物へ施した遺伝子改造の痕跡が見られます。この痕跡は現在の人類が迷宮と呼称する旧都市構造より生じた環境物質による変質とは違い、迷宮の生体機能を身体にも適合するよう遺伝子が独自に発達した結果であり、貴方の姿は人間ですが遺伝子配列は植物に近い構造と成っています。もちろん現在の科学力を以てしても植物を人間へ変えるのは不可能。なので貴方は胎児の頃に何等かの過程により天空樹の細胞を取り込むのに成功した実験体だったのでしょう。心当たりは有りますか?】

画面には裸の自分が立ったまま右回転して表示されている。黒髪や日に焼けた肌と無数の切り傷が懐かしい。魔法迷宮に住み始めてから少しだけ体が大きなったと感じていたエグザムには、現在より以前の健康な姿の方が覇気が有ると感じた。

「俺は物心つく前に孤児院に預けられた孤児だった 孤児院では俺の様に乳飲み子のまま捨てられた場合 自立の為に親の情報や誰が預けに来たのか教えない規則になってる とりあえず何故実験体と説明したのかは聞かない事にするから説明を続けてくれ」

エグザムの言葉が終わると水晶体が元の球状へと萎んでいく。今まで青い結晶の表面が盛んに青く明滅していたが、今度は水晶体自体が照明装置の様な淡い光を発し始めた。

【これは貴方がこれから向かう死都の映像です。ただし私の本体がまだ聖都に在った頃に入力された情報で、天空樹が現在の段階まで成長した予想図になります。】

枝が傘の様に伸びている現在の天空樹と違い、雪国の針葉樹を彷彿とさせる巨大な樹の頂上には二つの尖塔が装飾の如く添えて在る。あたかも本物を撮影した映像と見間違うほど精巧な再現映像に唾を飲むエグザム。与えられた情報より何倍も説得力がある資料から目が離せない。

【天空樹は見た目こそ自然界の植物ですが、浄化戦役さえ無ければ種子の段階から新たな要塞都市を建設する為の足場に成る存在でした。】

天空樹よりやや高い位置で周回していた視点が頂上の二つの尖塔へ拡大されてゆく。セフィロトのとある地方では今も季節によって木々に供物を飾りつける風習が残っているが、拡大された左右対称な尖塔に装飾らしき面影は無い。

【この塔は居住目的の建造物とは違って、内部には成長途上に蓄積した様々な情報を蓄積した有機処理脳が保管されています。死都は南大陸東部の浄化を行う為の最重要都市であり計画の初めから終わりまでを担う究極の浄化装置に成る筈でした。】

一時停止されていた映像が再び動き始め、天空樹が更に成長する様子が流れる。

【現在の文明では大気圏外を星海(ほしうみ)と呼称していますが、天空樹の最終到達点は大気圏外の宇宙空間に設定されていて、このように処理しきれない特定の汚染物質を惑星外へ輩出する事で最終的な浄化を完了させる予定でした。】

二つの尖塔から噴出した花粉もしくは塵のような小さな物体が暗い世界へ大量に放出されて消えて行く。映像では相当量の物体を大気圏外に捨てているのに汚染物質はまったく溜まらない。むしろ沸騰した水が水蒸気として空気に溶け込むのと同様、放出されるのと同時に分解されているようにも見えた。

【特定の汚染物質とは、変質した魔導細胞を生み出す要因と成った劣化微細機械。またの名を人工分子構造結合体と呼ばれる失われた古代の機械技術の一種です。この技術の詳細はメルキオル本体の隔離固有領域に封印されており、現在は閲覧できません。汚染物質の浄化を終えた天空樹は自動的に細胞分解され大地へ還るよう設計されており、このことが死都に住まう有翼人の暴走の原点だと思われます。】

自分達が培ってきた文化や技術、あらゆる貴重な価値が棲家と共に消滅する運命なのだと知った管理者の一派が行動を起こした。有翼人が何の為に存在するのか、誰でも同じ境遇なら疑問を感じずには居られない。

【浄化戦役についての詳細情報は削除されておりメルキオル本体も同様だと考えれます。推測ですが要塞都市の設計理念自体に綻びが有り、戦役後に更なる不安や不信が他の都市へ広がらないよう情報の統制が行われたと思われます。よって死都の現状は一切不明。管理者の不在が約三千年続いているので、このままでは設計者から与えられた全ての役目を果す前に枯れてしまいます。】

急速に枯れて歪んでゆく天空樹。頂上部の尖塔を頂きに栄えた有翼人が住まう天空都市は、花びらが落ちる様に外輪へと重なる円環状の基礎ごと崩壊してゆく。幾ら古代技術による恩恵の翼を使えたとしても、空気が殆ど無い空から無事に脱出できる人数は限られる。何より全ての有翼人が翼を使えるとも限らない。

(この死都の構造物と似た絵が遺跡愛好家の資料展に展示されてた。幻想湖周辺の廃墟や残骸都市とも違うからおかしいち思ったけど、成るほどな。戦役で都市が崩壊し、枝に衝突して砕けた大半が湖に落ちたんだな。巨大な塔を建設する余裕が無くて代わりに巨大な樹を育てて天を目指す。有りそうで無い話だ。)

映像は等高線で区分けされた大陸東部の環境予測らしい数値の羅列が表示されて終了した。エグザムは与えられた情報から数値の羅列に表示された汚染物質を特定する記号が何なのか理解した。

「浄化が完了すれば魔素反応値が殆ど無いに等しい値になる 汚染物質とは生物の生存環境を悪化させる害悪じゃないのか 天空樹の初期化とやらを実行して問題が解決するのか」

エグザムの口から零れた自問自答に対し、メルキオルはすぐさま明確な回答を送る。

【天空樹の管理者に近しい存在。大地に適応した有翼人の子孫。新たな天空樹の管理者候補。汚染界に存在した古い人。全ての情報が天空樹を正常な状態へ戻す可能性を秘めている。そして創造と破壊は表裏一体。我々と貴方が協力すれば災厄の結末である再浄化(やりなおし)を回避でき、星暦五千年前の悲願を叶えられます。】

エグザムの脳内に天空樹の探索街や故郷の街並みが浮かぶ。幾ら人々の交わりや文化への縁などに興味が無くても、自らが起こした魔導技術の消失によって荒廃させるのには抵抗を感じた。

「メルキオル 数日だけ時間をくれないか 仕事も途中のままだし 商業銀行へ預けた蓄えを引き出して 依頼主へ違約金の精算も済ませたい」

エグザムにとって天空樹の初期化に成功して探索業や魔導技術がどうなろうが知らぬ存ぜぬの他人事。問題は天空樹に何等かの介入を行った者を行政区の執政官が見逃す筈なく、秘密主義を貫く探索組合上層部も静観しない。最悪秘密裏に処分される未来も考えられ、逃亡の準備を怠ると一生追われる可能性も想像できた。

【残念ですが貴方には今から理力の受け渡しと、死都の偏光結界外部付近への転移が待っています。この隔離領域は、今回の会談用に製作した本体の丘海たる固有領域を再現した退避場所に過ぎず、本体に気付かれぬよう貴方を転送次第自動的に消滅させます。当然探索街への出口に繋げると探知されるので、帰還経路も含め残りの重要情報も添付して渡します。我々には一秒でも時間が惜しく、今回の為に多くを犠牲にしました。さっさと覚悟を決めてください。】

エグザムは啓示に表示された長文を何度か読み返すと、再び水晶体を触れて身を預けた。己の運命を決める重要な決断は終えている。迷いなど利己主義の前では甘えに過ぎない。


メルキオル。セフィロト北部沿岸に在る浄化増殖都市(旧要塞都市)の制御中枢だった管理筐体。北部山脈から流れる水を浄化して海に流す流域都市の役目を担っており、筐体自体が汚染を浄化する能力を有している。現在の聖都は観光地と水源管理地区に指定されており、同国で最も人口密度が高い経済の要。


転移門を通り虚構世界に入るように、若干の浮遊感を感じた直後体が重力に捕まる。エグザムは片膝を突いた状態から立ち上がり閉じていた目を開けると、南の丘陵地帯に広がるセフィロト穀倉地帯が一望できた。

「おい 温度調節が(ぬる)いぞ 俺を凍死させる気か」

エグザムは転移前に具象化したユイヅキの紫水晶に語りかけた。吐く息が直ぐ白く凍って消えてしまう程寒い虚空の青空の下、大事な相棒に居座る事になった新参者への警戒を怠らない。

【バルタザルへの侵入に備えて理力への供給を意図的に減らしています。それより残りの日照時間を気にしてください。】

紫水晶が何故か青く明滅し終え、元の暗い赤紫色に戻った。エグザムは西の山間へ近付いている太陽の位置を確認し、周囲の地形へと視線を移す。

「あれが偏光結界か 確かに空間が歪んで見える」

かつてその結果に守られた有翼人の都市は何処にも無い。在るのは霧の繭の様な結界が天空樹上部の瓦礫や朽ちた枝が散乱しているだけで、かつての栄華の跡は霧に隠されていて見えない。

【説明したとおり重力場の乱れが楕円状に広がってますね。やはり異物を中に通さないようバルタザルの偏光結界も天空樹の成長を阻害している要因と見受けれます。この水晶体では地形情報の解析は期待できませんので、今は貴方の健闘を期待してます。】

エグザムは広範囲を包み込んだ結界から延びる巨大な天空樹の枝を歩く。面白い事に枝の表面には道が有り、探索街ほどではないが人為的に整備された痕跡がそこ等中で見られる。

(下から見ると樹の体表は緑なのに直接間近で見ると茶色い。これが偏光結界の副作用なんだから不思議な光景だ。メルキオルに景色を保存させて画家になるか。)

エグザムは蟲が齧ったような道を歩きながら、傍の大きな管を流れる液体に視線を移す。

(随分甘い匂いがする樹液だ。例の魔物が近くに居るかもしれないな。)

探索街の造成区の埋立地に整備された大通りよりも大きな枝。周囲には枝から延びた若い枝が乱立していて、一本一本が観賞樹の様に幹を曲げている。狩人として培った草木の経験は当てに成らないと悟ったエグザム。時折風が不気味な音を立てる不整脈な道を駆け出した。

【良いのですか?目立つような真似をすると魔物の幼蟲(幼虫)が寄って来ますよ。幾ら理力の力で魔法の真似事が出来るからと言っても、無数の捕食獣相手に戦えますか?】

エグザムは頭に響く雑音を無視し、コブ状に膨らんだ樹表の階段を駆け上がる。光を多重に屈折させるだけでなく大地磁気にすら干渉するバルタザルの結界へ近付けば魔物は追って来れないと判断したからだ。

(やはり直接枝の中に獣道を作ってるな。この枝が幹から斜め上に伸びていれば滑り台感覚であっという間に辿り着けそうだ。)

左右や上方だけでなく後方へ延びる蔦のような無数の管を注視して離さないエグザム。茶色い管には蜘蛛の巣が敗れた糸らしき何かが付着している場合も有り、間違いなく周囲にはエグザム以外の何かが潜んでいる。

「例の矢を使う 四本分の充填を始めろ」

エグザムは足を止めると、道のすぐ傍から生えた木に身を潜めた。

【有翼人が家畜化していた魔物の一種です。名前は解りませんが(かいこ)の成虫が汚染物質で変移した魔物の亜種でしょうね。】

螺旋状に渦巻く独特な樹表から顔だけを覗かせ、魔物同士が空中で争っている光景を観察する。魔物はエグザムもよく知る蚕の成虫とは思えない程巨大で、口から吐き出した糸で同族の生き血を啜る巨大な羽根付き蜘蛛だ。更に厄介な事に魔物の幼虫と思しき全長二メートル程度の芋虫が、進むべき道を占拠して塞いでいるではないか。

(亜種と言うより固有種だな。あんな魔物、南大陸の何処を探しても居ないぞ。)

エグザムは再び木の陰に体を引っ込め、代わりにユイヅキの水晶体を突き出してメルキオルに魔物の姿を記憶させる。

【成体と幼体の撮影完了。こんな事をしても金が稼げるとは思えませんね。そもそも合成技術が発達した今日(こんにち)、この写真を現像しても創作だと疑われますよ。】

脳内に直接響く音声は魔物の鳴き声より遥かに無機質で、エグザムは何を言われても何も感じれない。ただし頭で文章化した思考はメルキオルに読取られるので、新参者に慣れるのはもう少し先になりそうだ。

エグザムはユイヅキを揺すりながら思考で矢の生成を催促する。魔法の真似事が出来ると言っても、銃火器や魔導兵器と比べれば見劣りする力に出来る事は少なかった。

【貴方への温度調節を一時止めれば数分で完了しますが、妄想段階で仮死体験を求めているので?】

仕方無く作戦の変更を余儀なくされ、迂回経路を探す事にしたエグザム。来た道を音を立てず戻ると、枝の木から別の枝へ渡れそうな長い管を発見した。

「どうやら植物の栄養管と言うより根だな 大気中の水分を集めて何処かへ送っている」

エグザムは荒くざらついた縄より太い管に体を絡ませると真下で別の枝と交差している場所へ一直線に下りて行く。普通なら魔物に襲われそう状況だが、生憎エグザムに時と場所を選べる権利は無かった。

数十メートル以上離れているが、エグザムが枝伝いに移動出来る場所はその場所しか見当たらない。上の枝と違い下の枝には道らしき足場が見当たらず、何故かとぐろを巻いている滑りやすそうな枝の上を慎重に渡るざるを得ない。

(もしかしたら上の枝はこの枝が伸びる以前に成長が止まっているかもしれない。天空樹は末端の枝が伸びて()に変わるほど可笑しな生態らしいが、成長異常の所為か上の枝には天空樹の葉が咲いてなかった。)

それからエグザムは枝の上を上り下りしてようやく根元付近まで辿り着く。周囲の磁場は既に狂っており、メルキオルの保護領域が消えれば立って居られなく成るだろう。幸いな事に来た道はその重力異常の所為で魔物が居らず、分子分解を促す特殊な矢を放たずに済んだ。

【解析を始めます。ユイヅキの先端を少しだけ霧の中に。】

目の前には巨大な枝に纏わり付く様顕現した白い霧が立ちはだかり、触れてないのに全身の毛が逆撫で立つ。大切な相棒を無碍(むげ)に扱うのに少しだけ戸惑ったエグザムは、ユイヅキの石突部の先端を触れるか触れないかの微妙な加減で接触させる。

【....解析終了。基点となる場所を赤く表示。理力による侵食を実行可能。】

拳大の赤い点が霧の壁に表れた。エグザムはユイヅキをいつもどおり肩に担ぎ直し、両手を互いに握り合わせて目印の場所へ向ける。

「三 二 一」

薄紅色の髪が鮮やかに輝き顔の肌が明るく光り始めた。エグザムの体から得体の知れない力場突如形成され、根を包むように拡大してゆく。輪郭が薄っすらと赤く煌く輝きが偏光結界に触れると、光が屈折して繭全体を赤く染め始める。

【バルタザルによる防護障壁の展開を確認。変更結界が解除されます。】

水中を泳いでいるように波打つ髪の毛。メルキオルの言葉どおり白い霧が本物の霧のように霧散し始め、エグザムを中心に白い繭に巨大な穴が開いてゆく。

(あれが死都。確かに丘海の様な煌びやかさは全く無いな。)

遠くからでも判る巨大な幹に張り付く様に建設された古代都市の残骸。下の探索街とは違い足場の円環構造体を失っても重要施設は残っているようで、映像や圧縮転送された情報に有る細長い卵のような灰色の区画が残っていた。

エグザムは目を閉じ己の拳へと更に意識を集中させる。何処からとも無く溢れてくる力が末端神経を麻痺させているのか、体の感覚が薄れ始めた。

【出力最大。防護障壁との干渉波が実体します。衝撃に】

その瞬間、空間を波打たせる程の衝撃が天空にて発生した。エグザムはメルキオールの注意喚起を最後まで認識する間も無く、自らの内側から発生した爆発に巻き込まれた。

星暦九千九百九十九年九月二十九日午後四時五十二分。探索街の人々は上から聞こえて来た爆音に驚き空を見上げ、天空樹を中心に方々へ広がる空振(くうしん)を目撃する。

自ら工房の屋根に上がり天空樹を見上げていたマイ・フリール。空を揺さ振る爆発と一瞬光った青い光を確認し、ようやく塞がっていた口を動かす。

「やれやれ ようやく始まったな 偽りの神を殺す契約の日も近いし 期待してるよエグザム君」


第一次浄化戦役。現在のセフィロト全土を巻き込んだ、星暦六千二百十七年から三十四年まで十七年間続いた要塞都市と反乱勢力の戦争。


水滴が滴るような音が等間隔で響き渡る暗くて狭い空間。周囲の壁を照らす光は無機質で、蛍光灯の類では珍しい薄緑色の淡い光だ。時折水滴が水面に落ちるような音に紛れて、木槌が木材を叩く様な曇った音も聞こえる。それらの音を聞いて目覚めたエグザム。両手両足を無防備に伸ばし仰向けで硬い床に倒れている状況に気付いた。

(また飛ばされたのか。計画どおりかメルキオル?)

問いに対し短く肯定の返事が届き。エグザムは片腕の根元からユイヅキを離して立ち上がる。

【想定よりかなり離れた場所に出ましたが、間違いなく天空樹内の浄化器官内です。もっとも今は同化したバルタザルによって迷宮化が進んでいるので、虚構世界用の制御回廊と化してますが。】

目を凝らすと、足元の床や壁と天井のいたる所に複雑な模様を構築した光の線が形成されているではないか。直線や蛇行線から綺麗な円などの図形も含め、模様は多種多様に存在している。エグザムは足元に走る一本の太い緑色の線に触れた。

(少し暖かいな。生物の血管とは違うが何かが流れているのを感じる。緑は細胞活性液だったか、メルキオル。)

圧縮され転送された情報は膨大で、一つ一つを意識して思い出すと何も解らないままだ。エグザムはせっかく手に入れた情報を自由に扱えず、逐一メルキオルに尋ねる必要があった。

【そのとおり。緑は天空樹の血液であり、水や汚染物質を大地から吸い上げる為に熱交換作用を利用しています。他にも神経系の黄色と水の通り道である青い水道網。それ以外は基本的に同化したマギとバルタザルの侵食回路なので不用意に触れないように。】

回廊とは名ばかりで室内は狭く息苦しい。エグザムはゴーグルを目に掛け、色濃く魔素が反応する不可視の扉を探し始めた。

(しかし爆発の衝撃を利用して、バルタザルの保護領域に入り込むなんてよく考えたものだな。何と言ったっけ?)

ゴーグル越しに置換侵入と言う単語が視界の左から右へ流れ、変な表示法に驚いたエグザムは少しの間だけ立ち止まってしまう。

【若いのに便利な魔道具や魔法品を所持していますね 何処から盗んできたのですか?】

直線状の通路の先を右へ左へ曲がり、通路の側壁に室内の様な空間の入り口を発見しだい調査してゆくエグザム。虱潰しに目視にて確認しながらゴーグルに流れる表示を脳内で適当に処理する。

【現在地は制御回廊外縁部。このまま通路を右に曲がり中心部へ進みましょう。くれぐれも存在を察知されないように。】

エグザムはメルキオルの命令どおり道を進み、白や赤色の線と光が目立つ通路を区画ごとを素通りする。時折監視用の魔導機械である巡回装置が天井を伝って回廊を巡回しており、壁越しに感じる何かが流れる音を耳が拾えるよう努めた。

【行動開始から三十分経過。体調正常。周囲に地形異常無し。】

エグザムは曲がり角を曲がろうとしたが、直ぐ先に通じる比較的大きな通路から何かがゆっくりと近付いて来る物音が聞こえた。直ぐに角の死角に身を隠し、何かが通り過ぎるまで呼吸を止める。

【巡回装置の駆動音を確認。通り過ぎます。】

服の繊維が一本ずつ切れる様な僅かな音を耳にし、ゆっくりと止めていた呼吸を再開させる。エグザムは直ぐに移動しようとしたが、現在位置の確認と内部構造の確認の為に少しだけ待つことにした。

【制御回廊内縁部の第二層内。周囲は階段状に上へ上が地形が多い事から、階段か昇降装置が在る可能性あり。必然的に警戒すべき。】

ゴーグルに投影されたような視覚効果にも慣れたエグザム。ようやく広めの通路へと入り予定どおり右側へと進む。

本来なら法都の制御中枢に在る筈の人工結晶体バルタザル。別大陸に生息している魔物の鉱物生命体を模倣して作られた人造の結晶生命体であり、今や天空樹の虚構世界である蜜の花世界を牛耳る演算機械と化している。

(随分進んだが、お前の言う緊急用の端末回路とはどんな場所だ?そもそも単語を正しく翻訳してから俺に伝えているだろうな。こんな狭い場所で理力を使うのは御免だぞ。)

エグザムの問いにしばし沈黙が続いた後、ゴール越しの視界にゆったりとした文章が流れ始める。

【問われなかったので理解していると判断していました。法都は要塞都市の中でも有数の対生物都市で、基本的に無人で運用されていました。現在では廃墟と残骸しか残ってないようですが、険しい僻地を利用して周囲から隔絶した巨大実験施設として建造されたそうです。】

エグザムはメルキオールの解説が長くなると判断して、目の前で流れる解説の早送りを脳内を介し命令する。

【・・・・緊急用端末及び非常用回路とは、要約すると高い権限を付与された管理機械だけが通れる道の事です。主に侵入者の排除や各種運営区画を制御中枢へと直結する為に使用され、古代の電算装置を模した何等かの機械用語が原点だと考えれます。これらの機能は殆ど自動化された特定の要塞都市には欠かせない存在であり、現在の擬似的な探索行為を成立させる虚構世界探索法式の運営に欠かせない機能です。】

通路自体は広くても、柱や窓の類が全くない。台形状の壁と天井はやや白みがかった光で照らされており、カーテンの隙間から漏れる木漏れ日の様な光が道の先まで続いている。そしてエグザムはこの文言を確認する為だけに気付かない振りを装っていた。

(そうか。今も詳細が秘匿されているから何か裏が有ると思っていたが、魔法化と虚構化技術に秘匿せざる終えない公共の利益なんて始めから無かったか。まるで単純な仕掛けで人を惑わすびっくり箱みたいな話だ。)

長い通路もようやく終わりが見えてきた。天井の軌道を伝う監視装置と出会う事無く、無事次の通路へ繋がっている脇道へ入った。

【汚染濃度上昇。上の階層は大気組成を意図的に改造している隔離区画と判断。生体発電に切り替えます。】

わき道は数メートル先で行き止まりになっており、天井の隔壁まで昇れる梯子が壁に打ち付けられている。エグザムはその梯子を昇り天井の扉に設置された回し手を回す。

(この先は汚染物質が充満しているのか。幾ら自然分解しない微細な分子結合物だと言え、自然界に存在する何等かの魔素と結合しているから生物に害は少ない。)

天井扉の向こうが減圧し気密されていたらしく、重い扉の固定部が空気の流れで自然と解放された。エグザムは梯子の最上段に足を掛け体を持ち上げる。

(メルキオル。水晶体の調子はどうだ?)

古くから魔導技術の発展を支えた人工水晶。ユイヅキの紫水晶は古い規格の型落ち品で演算能力が著しく低いが、大きさと純度も合わさり容量だけは現代品に匹敵する。そんな中古部品に居候するメルキオルは持ち主のエグザムから供給されている生体電流の出力が不安定だと述べ、更なる問題提起を始める。

【貴方は典型的な早熟タイプですね。目先の成果ばかり見て長期的な経験()の振り方を怠っています。本体の探索者記録には稀に貴方の様な変り種が混じっています。やはり国を出るために金が必要ですか、若いのに大変ですね。】

エグザムは容赦の無い指摘に言葉を濁した。もっとも。脳波を介して神経回路越しに意思疎通できるので、言葉を返す必要も無い。

周囲の景色はこれまでと同様、薄暗い緑洸が空間の一部を照らす狭い通路だけだ。目に見えない汚染物質が充満しているのを認識してか、今までの通路より息苦しさを感じる。しかしエグザムは曲がり角から顔を覗かせてその考えを一変させた。

【例の異物として隔離された探索者の死骸と判断するのが妥当でしょう。装備品に偏食光が見られるので、触ると劣化した微細機械が移る可能性有り。理力による障壁を展開しますか?】

通路の暗さも合わさり狭い通路に転がっている無数の死体には、発光する光苔(ひかりごけ)の様な色とりどりの斑点が見受けれる。高品質で高性能な演算有機水晶を食らう細菌の一種とも思えるが、この汚染物質が充満している環境では有り得ない話だ。

(この程度なら壁を蹴って避けれる。それより死体が床と融合している様に見えるんだが。心当りはないか?)

鋭利な刃物で手足を両断された若い男と思しきミイラの装具、中でも迷宮から産出した材料で製作されたきめ細かい繊維の衣服と軽量骨格を再現した防護服の一部が床に侵食されていた。

【バルタザルの領域ですので固有の浄化作用が稼動しているようです。虚構世界探索に使用される装備や道具類は元々迷宮で設計された各種規格情報を基にしているので、分子構造に親和性が有り分解作用が働きます。確認の為に忠告しますが、貴方の衣服は獣の皮ですから異物として除去される可能性を忘れずに。】

エグザムは十以上の干乾びた肉塊と分解中の元魔導具に触れぬよう慎重に隙間を歩く。

世界常識として高価な魔導具に分類される合成金属や多目的結晶、そして魔法印が刻まれた人工金属製の魔導銃。どれも汚染物質に侵食され、同時に劣化した魔導因子に偏食され様々な色の光を発している。

魔導具や魔法品の大半は汚染物質に弱い。初めてこの光景を目撃したエグザムはユイヅキを案じ、力強く床を蹴って死体の通路から脱出した。

(死体の損傷具合から凶器は鋭利な刃物。どうやら天井の軌道を行き交う巡回機械以外に侵入者を排除する自動機械が居るのは確かだ。端末だとか回路だとかはっきりしてないけど、本当に有るんだよな?)

エグザムは道を急ぎ狭い通路の影を縫うように走る。階層が上がり中心区画に近付いているので、壁を巡る様々な線や模様の類が多い。時折赤や白い発光箇所も見かけるようになりはじめ、道を迂回する回数も増えていた。

【同化したバルタザルは死都の制御中枢であるカスパーの基幹細胞部に張り付いています。天空樹の頂上へ辿り着く為に一々順路を確認していては時間が足りません。精密な機械時計より正確な動作を行うよう設計されたバルタザルが非常用回路の一つや二つ造るのは当然です。なので端末機械を一刻も早く発見しましょう。】

数え切れないほど直角に曲がった曲がり角を通過し、さらに長い直線通路を移動して適切な横道を探す。人間が出入りする事を全く想定してない分、森のように雑多な構造で隠れ易い長所もあった。

エグザムはそんな迷路をメルキオルの指示に従い一時間以上移動し続けた。人体の静電気を独自に吸収して水晶内の半有機構造を維持出来る魔導技術の結晶。しかし電力の供給元が極端に疲弊すれば当然、演算機能への影響も無視できない。

【致死性の汚染濃度を検知、適応するまで休憩するには不向きな場所です。梯子(はしご)から離れるのを推奨。】

汚染物質から魔導具を守る為に僅かに展開している理力の結界を解く訳にはいかず、エグザムは歩いて来た通路に戻り隣の退避部屋に腰を落ち着かせる。狩人の頃、頻繁に不整地を走って鍛えた肉体に疲労は殆ど感じない。何より理力による浄化と、実は女魔導師に偽装した魔都の管理中枢であるマギから与えられた汚染の耐性が効力を存分に発揮しているのだ。

(なあメルキオル。天空樹の中枢に接触して機能を初期化させたと仮定しよう。それで確実にセフィロトから汚染物質の除去に成功するのか?そもそも女装したマギから天空樹の寿命が迫っていると聞いた。放逐されて勝手に増殖した天空樹を更に暴走させる可能性も考えられると思うが。)

その問いに対しメルキオルはしばらく沈黙し続ける。エグザムはこの反応が何を意味しているのか理解しているので、別の領域で行われている協議の行方が気になって仕方がない。

演算用の水晶体や液晶非金属を用いた魔導具は、実は迷宮内で活動する探索者の人体に介入し生理現象の制御と感情を抑制する機能が有る。その恩恵は謎の超技術である理力にも互換性が有り、虚構世界から直接天空樹の迷宮へ侵入したエグザムの体調管理の最適化に貢献している。

数分間押し黙って、ただの合成樹脂より暗く無機質な天井を見上げていたエグザム。背中の相棒の水晶体が僅かな光で明滅し始めたのに気付く。

(ようやく終わったか。今度は何処と話していたんだ?)

明滅する時は決まって多くの信号を発信している時で、本来の魔導演算装置は探査や調査を命じてないのに勝手に動いたりはしない。

【マギとの一時接続に成功したので情報共有と回廊内の各種追跡調査の結果を交換しました。そして貴方に朗報と悲報を知らせねばなりません。どちらから.....了解。悲報から先にお伝えします。

マギが長期間行っていた探索組合と行政区の迷宮管理課へ秘匿監視の結果、私が想定していたバルタザルの緊急用端末の正体が判明しました。これから映像を投影するので、私の水晶体をゴーグル越しに見てください。】

エグザムは指示通りユイヅキの紫水晶をゴーグル越しに見つた。直後ゴーグルではなく視界の大半を占める立体的な映像が表れる。

【貴方が考えていたとおり探索組組合はバルタザルの非常用回路の存在を認知しているようです。知恵の葉と呼ばれる組合直轄の探索街管理運営母体に紛れて、秘密裏に虚構世界へ禁止された機材を運んだ形跡を発見しました。】

映像には蜜の花世界の迷宮街である下町の様子が俯瞰視点で映し出された。相変わらず半ば異界化した街並みは小汚く薄気味悪い。亀裂が入った合成石材の天井や崩れた箇所が多い廃墟の壁から人々の生活が窺える。そんな街並みの一点が拡大されてゆき、以前に通った事が有る中央通りの十字路に面する廃屋の敷地内へ視界が限定された。

【この廃屋は周囲が高い煉瓦造りの壁で囲まれており、所有届けが出されて無いにも係わらず常時数名の探索者が滞在しています。マギは管轄化の魔物をこの廃屋地下に潜入させ、内部に貯蔵された何等かの液体保管装置を調査していました。】

映像がまた切り替わり、今度は探索用の照明具の一種が複数吊るされた地下天井の地面が表示される。天井に張り付いた小さな魔物が収集した逆さまの映像記録には、赤と鮮やかな夕焼け色の溶液が保存された四つの保存容器が映っている。

(知恵の葉? ああ探索組合の下請け組織だったな。確か探索組合が唯一指定した事業部で、探索街の組合施設の補修から管理までやってる所だ。落ちぶれた元探索者が多いと聞いたことがある。)

円柱状の透明な四つの容器は、全て密造酒の蒸留に使われそうな真鍮色の装置に直接固定されており、エグザムは容器自体が材料入れだと考えた。

【マギには膨大な量の汚染物質情報が蓄積されており、数十年も前から探索組合はメルキオルを介して汚染物質の解析と分解情報を幾度と無く閲覧していたそうです。マギはこの二種類の溶液を、天空樹どころかセフィロトへの持込が禁止されている人造魔石の原料ではないかと判断しました。】

人造魔石と言う単語を聞いたエグザムは、直ぐにこの装置が何のために稼動しているのか理解する。

「成る程 人造魔石の特性なら汚染物質の無効化が可能かもしれない 組合の何者かが汚染区域に入る手段を持っていても不思議じゃない」

メルキオルが伝えようとした情報の一部を、先に口で答えてしまったエグザム。自ら音を発してしまった為、慌てて室内から顔を出して通路の様子を窺う。

【人造魔石と言っても多くの種類が存在し、明確にこの装置が魔石を生成する装置だとは限りません。それに私と貴方が現在までに知り得た情報源では互いに誤差が多すぎて、永遠に正しい結論へ辿り着けないでしょう。】

至極真っ当な指摘が頭に響き、合成された機械音声の問いかけにまったく反論できないエグザム。わざわざ一時的に映像出力を切ったメルキオルに頭の片隅で謝った。

【どうやらこの装置は何等かの装置本体の付属機器のようでした。マギの追跡調査により周辺の地下に大掛かりな地下施設の存在が判明し、島へ唯一渡された橋の下に人為的な隔離領域を発見しました。この隔離領域はマギから奪った制御中枢の固有領域の一部だそうで、マギによる従来の解析調査では発見出来ないよう隠匿処理が施された隔離空間でもあるそうです。】

エグザムにとって迷宮街とは、治安が悪くても貴重な情報を仮想通貨で取引出来る小間遣いの斡旋場だ。取引されている情報はどれも探索組合を通しておらず信頼性に欠けるが、エグザムの様に身軽さを身上とする探索者には好都合とも言える。

(つまり其処が例の非常用通路と言う事か、メルキオル? 確かに現実世界の汚染区域に入ったのに、肝心の目的地が想定と違ったのは痛いな。)

再び腰を下ろし背中を硬く平らな壁に預けたエグザム。ユイヅキをゴーグル越しに見て情報の投影を待つ。

【その可能性も考慮してマギに追加調査と新たな侵入経路の策定を頼みました。日没が近い今の時間は天空樹の動体処理が切り替わる時間帯なので、霧でも発生しない限り一時間後には回答が得られます。

そして肝心の悪い知らせですが、どうやら周辺の区画に転がっている死骸はすべて組合の関係者か探索者の仕業だと断定出来ました。バルタザルの処理原理はほぼ解析済み、私は以前マギに送った過去情報から緊急用端末の行動原理を解析した結果、監視と修復を担う巡回機械を除外して、異物を排除する駆除系統の設備自体が稼動してないようです。

流石に監視映像の記録を参照するには直接制御回路に介入する必要があり、現時点で得策とは言えません。組合自体もこの事を把握しているらしく、私の本体を介し実験的にこの区域へ探索者を秘密裏に転送させたのだと思います。】

エグザムは初めて探索街を訪れた日、歩き疲れ造成区の公園で昼寝をする前に聞いた話を思い出した。

(どこぞの英雄が魔物と戦いながら地下遺跡や放棄都市を探索していた時代()と違って、今の探索業はずっと安全だ。なのにあの婆さんは探索者が魔法の儀式の生贄にされた様な話をしていたな。俺は贄に成った連中を遺失物に成り果てた敗者の事だと思っていた。蜜の花世界の裏側にどれだけ死体が転がっている事やら。)

エグザムやメルキオルそしてマギの追跡回路を用いても、人知れず迷宮に取り込まれ朽ちてゆく探索者達が何を目的にこの汚染された空間へと送られたのか解らなかった。

【贄と言う単語は汚染された大地を徘徊する魔物へ、老人や子供を差し出す口減らしを指した生贄の派生語。しかし組合の探索者は基本的に高給取りの貴重な人材で、古くから要塞都市を守る文明の代弁者でした。時代背景も考慮すると、今の天空樹に必要なのは病理の除去であり生贄ではありません。

この先は浄化区画の中心部へ接続された重要な区画が続いています。理力への処理を阻害されると死にますよ。】

漠然とした疑問の答を知っている者は限られる。どの道を通ろうとも天空樹の死都に在るカスパー本体へ辿り着くまでは解らない。エグザムは思考を一旦棚上げし、思考を朗報へと切り替えた。


人造魔石。数多の魔石は魔導具の原料として加工さたり、大掛かりな導力機関の燃料として活用されている。魔石等の新しい地下資源が発見され第一次産業革命が吹き荒れた魔導開花期(星暦七千年代初頭から八千二百四十年まで)。天然資源の魔石を人為的に生み出しその技術を用いて新たなる技術革新を達成しようと数多の研究機関で様々な実験が繰り返される。

しかし目的の人工魔石の製造には莫大な費用と長い年月を必要とする事が解り、各国の研究機関は魔石を解析した情報を用い独自に新たな分野の研究へと役立たせた。

人造魔石はその過程で東大陸東部の地下都市、現在の獣人連合政府直轄の魔法迷宮「大墳墓」にて発明された原始的な反応燃料の材料。希少鉱物から反応燃料を抽出する際に不純物の汚染物質を取り出す為に製造された魔石モドキ。原料に魔石の出来損ないの魔結晶を用いているが、エネルギー変換効率は無いに等しい。


致死性まで高められた汚染物質が充満する赤く黒く汚れた地下空間。淡い緑色の照明が懐かしく見える程一変した世界は、何度目かの扉を開けてもやはり変わらない。

(また探索者の死体だ。数が多いけど、どうせ使えそうな物なんて一つも残ってないに決まってる。)

屋根裏の様な長方形の室内に少し見覚えが有ったが、似たような部屋が連続して通路を形成していては見飽きると言うもの。エグザムは黒ずんだ床に転がっている死体らしき輪郭を見下ろしながら、部屋の壁際を迂回して進もうとした。

【視野へ介入。受信体を調整して視覚を改善します。】

エグザムは転がっている人影が比較的原型を留めているのが気になり足を止める。照明が無いにも係わらず若干明るかった室内だったが、視界が急激に光を取り戻すと全ての亡骸に光る斑点や構造物の侵食箇所が見当たらない事に気付く。

(この鎧、以前廃墟街で見かけた探索者が着用していた物と似ている。あれには筋状の外部魔導機関が施されていたけど、この女の防具と設計規格が似ているだけだ。)

エグザムは仰向けで倒れている女の死体と床に何も挟まっていない事を確認すると、死体を足で転がして背中に開いた小さな貫通銃創を観察する。

【血液が固着する前に汚染物質によって分解されてます。どの死骸も保存状態が良く魔石を用いた魔導具を所持してません。分子構造の劣化を速める汚染因子の影響も最低限なので、死後四日から一週間の間だと判断します。】

エグザムは再び女の死体を足でひっくり返すと、自身とは違う高級な革製品の収納具を弄る。

【他の死骸と違い虚構世界から転移した形跡が有りませんね。解析情報によれば死因は魔導銃、それも高出力の軍装仕様だと思われます。周囲の壁や床に戦闘痕も見当たらないので、一瞬で全滅したのでしょう。】

メルキオルの解析は正しく、全ての死体が所持していた医薬品や食料等の消耗品も全滅していた。エグザムは大柄な男が所持していた強化繊維のロープを肩に回し、ついでに小口径の拳銃二丁と予備弾倉を納めた弾倉帯を皮装備の上に巻く。

【使用方法を理解していますか?私の記録情報には無い装備なので、射撃への支援は出来ませんよ。】

狩りで猟銃を使用した経験が有るエグザム。見知らぬ拳銃から弾倉の取り出しと再装填を行い、空薬莢の排出部から連続して実包を排出させて装填機構が正常に動作するか確めた。

(大方(おおかた)、どこぞの国の特務部隊だろうな。天空樹に潜入して探索者登録したまでは順調だったが、余計な異物を持ち込んで此処へ弾き出された。どうして解るのかって? そりゃ探索者をやってた司祭から似たような話を何度も聞かされたからな。制度は厳しいのに監視が緩く罰則も軽いから、不埒な輩が昔から多いんだと。)

エグザムは空弾倉に弾を填め直し、安全装置を解除した状態で右手に持ったまま歩き出す。射撃の腕は経験不足で本職には及ばない、しかし今の無防備な状態より何倍もマシだとエグザムは判断した。

更に扉を開き、屋根裏天井が続く道を先に進んだエグザム。拳銃を拾ってから数分と経たない内に様変わりした景色を目撃する。

【第三層の外側に到達、恐らく非常用回路の出入り口が有ると思しき場所です。此処からは汚染濃度が計測域を振り切れているので、理力を展開して自力で浄化してください。】

扉を閉めたエグザムは白に近い明るい緑色の照明に何度も瞬きする。これまで通って来た通路がまるで裏路地だったかのように、目の前に広がる何も無い空間に理解が追いつかない。

大型の導力車が何十台も駐車できそうな広く高い空間。空洞とは違い壁や天井は人工物らしく均一で平らだ。天井に埋め込まれた無数の照明は劇場の照明具より優しい光を発していて、汚染されてなければ今頃は大量の穀物や野菜を貯蔵する地下倉庫として活用されていそうだ。

エグザムは広い空間の四隅に設置された扉から壁沿いを移動し、地下空間で唯一壁が無い方へ歩いている。

(メルキオル。この辺りの情報が有れば教えてくれ。見られている感覚がする。)

エグザムの目指す先には空間が切り取られた様な巨大な空洞が存在し、天井の照明の光に遮られ空洞内の構造がまったく解らない。それでもメルキオルの報告どおり第三層目の構造体が闇の中に在る筈だ。

「まだ此処は湖の真下か 解ってはいたがまだまだ長い道のりだ」

やがて光を背にして巨大地下空間の壁沿いへ到達したエグザム。手摺から僅かに身をのりだし、大半が闇に包まれた対岸の壁を見定める。

【空洞内の解析を開始。】

手元の手摺が下の階段から空洞を横断する陸橋へ続いていて、橋自体も今まで通って来た地下通路より幅が広い。闇の中に輪郭が浮かぶ対岸の構造体は公園の遊具に在りそうな骨組みとほぼ同じ形状で、メルキオルが言う非常用通路とやらが何処かに在る筈だ。ただし量子情報によって存在が確認されただけの機構を探り当てるのは容易ではない。なによりこれだけ広いと、単純で巨大な骨組みに通された通路を渡るだけでも時間が掛かるだろう。

【複数の昇降装置と空洞を縦に貫通している支柱を発見。付近に軌道網が集結している駅が在るので、恐らくそこに非常用通路が在るはずです。目標への最短経路を表示、徒歩で三十分の道のりになります。】

メルキオルの演算能力と理論制御はまだ大丈夫らしい。そう判断したエグザムは手摺が続く外壁を通り、下へ続く階段へ向かった。

(そう言えば監視装置が見当たらないな。例の通路とやらを探すのに好都合だけどなんか不気味だ。疑問なんだけど浄化の為にこれほど巨大な空間が必要なのか? この様子だと区画ごとに浄化機能を分散配置しても、監視や維持の面で非効率的ではないかな。)

エグザムの言うとおり探索街でも主要施設の周りは監視装置や隠しカメラが設置して有る。この規模の大空間を監視するには複数の監視塔が必要だ。

【記録によれば此処は死都の浄化施設が建造されるより以前から既に存在していた地下施設だそうです。災厄により失われた星暦五千年より以前に建造された可能性もあります。】

空洞内に架かる桁橋(けたばし)は単純な骨組みの橋で、上部は鉄道のレールより大きく仕切られた軌道線らしき物が占有している。対して脇の通用道は人が三人横に並べば通れなくなるほど狭く、謎の金属製の手摺から下は暗くて何も見えない。

(そんな古いものがセフィロトにも残ってたんだ。と言う事は浄化何とか都市が建設された時から今まで探索者の一人も入れなかった未踏領域じゃないか。隅々まで探索すれば凄い機械でも見つかるんじゃ?)

汚染され放棄された都市跡に眠る芸術品。忘れられた遺跡に残された古代技術の結晶。今から千年以上昔に流行った多くの逸話は小説の中の伝記と成り、誰もが幼い頃にと思いを馳せた浪漫の象徴だった。

【正気ですか?現実的に考えても地下施設の半分を調べる前に飢え死にしますよ。私達は後戻り出来ない場所に来ている事を忘れずに。】

管理中枢から切り離されたメルキオルの分身に対し、全ての探索者共通の浪漫を歩きながら力説するエグザム。幾ら手持ち無沙汰とは言え、無警戒にも程がある。

「まぁいい 後世の探索者の為にこの場所はとっておく 何れ自書本に纏めて俺の不運さを世界に知らしめてやるよ」

そんな冗談を言いつつも長い長い単純な桁橋の上を歩き続けたエグザム。終に橋が終着する場所に想定した時間どおり辿り着く。

(駅には見えないぞメルキオル。まるで貨物列車専用の集積所だな。昔は地方の鉱山都市にもこんな場所が在ったのだから驚きだよ。)

緩やかな上り坂の軌道線を上りきり、ようやく全体像を現した大掛かりな待機場と思しき不思議な橋桁。上へ何層も並んだ軌道が巨大な四角い枠組みの一つを全て占有しいて、総延長だけでエグザムが通って来た道のりの倍は有りそうだ。

暗闇でも判り易いよう黄色に表示された一筋の線が、天空樹の露出した主根に匹敵しそうな太い柱まで伸びている。エグザムは巨大な吊橋が上がった状態の対岸を横目に、視界に表示された経路に従い目的地まで歩いた。

ようやく辿り着いたその場所は、例の駅に隣接していながら二百メートほど離れた位置に在る支柱前の退避場所。

(おい、まさかこの階段を昇るのか。いったい何段有ると思ってるんだ!)

エグザムは上を見上げ斜めに築かれた支柱の表面に整備された長い階段の先を見つめる。相変わらず対岸の壁は闇に包まれ殆ど見えないが、積層立体構造の巨大な骨組みの間に建設された複数の支柱が何かを支えている。

【支柱自体がこの大空洞を支える中央区画の構造物。非常用通路は基本的に何かに偽装されて構築されるので、この空洞内でバルタザルが利用できる場所は限られた範囲しか有りません。そして目的の入り口は上ではなく下の、この大空洞含めた地下構造体の中心に存在している可能性が最も高いのです。】

更新された黄色い線は支柱の凹んだ表層内に整備された階段へ延びており基礎の下まで続いている。

ご丁寧に下向く矢印が視界内の階段の上で表示されており、大きな支柱の基部が足元より更に深い場所に有るだろうと簡単に理解できた。

「ああ急ごう 俺たちには時間が無い」

少し前までは隅々まで探索しようかと考えていたエグザム。またしばらく長く単調な道を歩き続ける事を強いられるのだった。


未踏領域。放棄された都市跡や迷宮と古代遺跡などで活発に探索が行われていた時代に誕生した冒険用語。文字通り未知の領域を意味し、死語になる前の当時は価値の有る言葉だった。


長かった階段を下りてから、急に体の表面を包み込んだ障壁が圧迫され始めた。どうやら汚染物資の濃度だけでなく、別の有害物質か何かが大気中に含まれている可能性が有る。エグザムは自発的に展開していた汚染物質を遮断する薄い膜の様な見えない障壁を厚くした。

【解析情報によると、周囲の大気組成に機能停止した微細機械が僅かに内在してます。劣化微細機械が形成する魔素を人工分子結合させた魔導因子と異なり、機能停止した微細機械自体に害は有りません。しかし理力干渉による変移した魔導結合体の分解作用が阻害されているので、更に汚染濃度が上がれば貴方の耐性が生存を左右するでしょう。】

エグザムは青と赤の対照的な照明の光が支配した地下空間を歩いている。空間は大きな建物の屋内程度の広さだが、平面的な床から突き出た無数の装置が不規則に配置されてある。一つ一つが何かの作業用端末なのか表示灯や魔導線が発する青白い光が幻想的だ。

しかし目的の非常用通路が存在すると仮定した場所までまだ遠いらしく、エグザムは歩くのに邪魔な装置類を避けて足早にトンネルへ踏み込む。

(今度は配置が逆になっている。遊園地の遊具か何かか?)

短いトンネルを抜けた先に存在した地下空間は先程の配置が床と天井で逆だ。床から突き出た端末らしき導力制御端末は天井から突き出ていて手が届かない。そして床に設置された棺の様な円柱状の何かが赤い光を放っている。

(此処の設備は稼動している様に見える。解るかメルキオル?)

エグザムは謎の物体の間を通りながら、左右に並む謎の物体について考えを巡らし記憶を呼び戻そうとした。

【不明。構造物は何かの液体を保管する装置のようですが、私の記憶情報には該当する情報無し。類似情報から再構築と解析を行います。】

その瞬間ゴーグル越しに視界がぼやける。展開した干渉障壁も目を瞬きする様に途絶え始め、エグザムは己の気力を高めて自力で発動中の理力を保とうとする。

(精神感応がざわめいて集中し辛い。まるで外部から何かが干渉しているようだ。一旦解析を中断しろ、直ぐにこの部屋から出るぞ。)

エグザムは痛みや吐き気が無く視界だけが霞む状況から脱しようと走り出す。とりあえず部屋の反対側にある四角い枠の大きな隔壁を開け脱出し、汚染物質に触れ始めた体を保護しようと考えた。

直ぐに隔壁まで辿り着き、壁に埋め込まれた歯車を回す為のハンドルを回し始める。しかし今までの隔壁より大きい所為か力んでも少しずつしか回らない。エグザムは肺が汚染物質を大量に取り込むことを覚悟して、空間への干渉に用いてた理力を別の形で発動させる。

「メルキオル 直接浸食して歯車を動かせ 扉を持ち上げるんだ」

エグザムの髪の色が一瞬で鮮やかな紅色に変わったのを切っ掛けに、体を覆っていた見えないエネルギー体がハンドルに乗り移る。すると時計の秒針の様にゆっくり回転していたハンドルが勝手に動き出し、流動的な力の介入によって重い隔壁が上にせり上がっていく。

エグザムは隔壁が固定される音を聞いてからハンドルから手を離す。すると先ほどまで風に揺れる草花のように揺らめいていた赤い髪が元の薄紅色に戻ってしまう。

【隔壁の向こう側から何等かの干渉波長を検出。理力を展開時に放出される微弱な電磁波と似ています。】

エグザムは直ぐ隔壁をくぐらず、壁に密着するようハンドルの直下にしゃがんで拳銃を引き抜いた。

(まだ視界がおかしいままだ。メルキオルは周囲の状況を逐一手短に伝えろ。突入するぞ!)

虫が飛び跳ねる様にしゃがんだ状態から飛び跳ねたエグザム。そのまま隔壁の下をくぐり隣の空間へ転がり込む。

入ったばかりの空間は天井が吹きぬけの構造に成っており、高さ三階相当の天上に蛍光性の導力線が張り巡らされている。さらに周囲には二階構造の足場が築かれていて、工作機械と思しき何等かの機械が多く目立つ。

周囲を見回したエグザムは自分が周囲の高台から見え易い位置に居るので、姿を隠す為に通路の反対側に置かれた何等かの容器の陰に隠れた。

(どう言うことだ、天井の導力線は工業用の電脈網だぞ。たしかあれが開発されたのは今から四百年ほど前、ちょうど有機式演算結晶が発明された辺りのころか。あれが原因で視界が狂ったりする訳ない。)

エグザムは錆びた金属製の容器と思しき四角い箱から顔だけ覗かせ、周囲の機械や足場に固定された運搬用吊り上げ機械を睨んだ。

【施設の一部が復旧されていますが、周囲の設備を稼動させるだけの電力は送られていません。どうやら我々の様に外部から汚染された領域へ入る術を持つ何者かが存在するのでしょう。組合の件も含め知恵の葉が絡んで.....僅かな振動を検知。何等かの物体がこちらに向かって来てます。】

汚染された浄化層へ送られた探索者を処分した敵だと勝手に判断したエグザム。物陰から出ると近くの足場の柱に固定された階段を駆け上がる。

【音源は一つ、高速で接近中。残り八十メートル。隣に区画は無いので、既にこの区画内に侵入していたもよう。】

エグザムは強靭な伸縮筋繊維を加工する機材と似ている複数の円環が並んで固定された機材に隠れた。すでに何かが足場の上を伝い薄暗い環境を物ともせず走ってくる大きな音が聞こえており、狩人時代の経験から対象が人間より重い何かだと推察する。

(解析を急げ、もしかしたらお前の言う機能して無い筈の緊急端末(排除機械)かもしれんぞ。)

狩人が獲物を待つ様に動かずしゃがんだまま息を潜めていると、頭上の金属版の天井から何かが着地したような大きな打撃音が響いた。どうやら相手は二足歩行で歩けるらしく、金属板の表面を少しだけ引っ掻き異音を奏でながら足場のすみへ歩いていくようだ。

エグザムは目だけで正体不明の移動物体を追う。隠れている間にメルキオルが対象を解析してくれれば、その場凌ぎの対応策でも何とかなると踏んでいた。

【対象の解析に失敗。意図的に理力による中継が妨害されており、対象は我々と似たような能力を有していると思われます。貴方が言っていた()()()()の可能性が大。】

肝心なときに使えない中枢存在の分身に存在定義を疑うエグザム。人工知能のどんな状況でも冗談や愚痴を返す能力の高さは直に認めなければならない。元々専門分野が互いに違う両者の方向性が合致する場合の方が珍しかった。

(迎撃せず隠れながら離脱する。見つかるまで無駄話や外への信号や何等かの波長を出すのも禁ずる。今のうちに例の矢が何時でも出せるよう準備しとけ。)

エグザムは通り過ぎて行く足音を確認すると、革靴を静かに脱ぎ分厚い靴下で爪先立ちした。同じ種の獣から得た体毛を編んだ特殊な靴下で、布製品より遥かに頑丈だから汚れも気にせず走れる。

(せめてひと目でも相手の姿を見てみたいが、古代の機械兵器は探知装置が優れていて視界に入った生物なら何でも特定できるらしい。こんなばしょで浄化されてたまるか。)

エグザムは周囲をしきりに見回しながら工作機械の隙間から出る。足音は後方の通路から聞こえており、まだ発見されてない。狩りの頃に大型の獣や魔物相手に身を隠す色々な術を試した元狩人。体の小柄さを生かして物陰に隠れ障害物伝いに駆け回るなど造作も無い。

(どうやら相手は油断しているのか探知能力が低くて、獲物を確実に追い詰める術を知らないらしい。そもそも俺の存在を認識、はやっぱりしているだろうな。)

二階構造の建物はどれも足場と柱だけで構成されており、雑多な道具を保管するための大棚の様に無数の工作装置を収容している。その大きな大棚は天井までの高さが十メートル程度の空間に二十以上存在しているらしく、聞こえて来る足音が近づいたり遠ざかると対象をすぐ見失ってしまう。

エグザムは近くの建物一階に逃げ込み、鋳物屋で見かける金型の様な金属の塊が複雑な壁を成している場所で耳を澄ませる。距離的には三十数メートルとたいして進んでないが、当分我慢比べが続くので殆ど気にならない。そこでメルキオルに対象について判明した事実だけ質問した。

【機械にしては駆動音が余りにも微弱なので、魔物の類かもしれません。ただし、これほど汚染濃度が高い場所では魔物でも生存出来ません。長らく隔離されたまま世代交代で適応した種なら解りますが、機械獣程度の魔物に限られます。

それより問題は理力による物理工学では認知できない筈の察知能力が妨害されている点です。我々が使用する種類の理力は直接干渉型ですので、本来なら生物が発する独特な生命波長を検知出来ない筈がありません。今後の情報集積の為にも、ぜひ目視確認を要望します。】

エグザムは金型を固定した棚の隙間を覗いて周囲の構造と逃避経路を綿密に把握している。方角も解らずメルキオルの地形解析も進まぬ状況で、隠れながら目的地への道を探さなければならなかった。

(戻って来たか。どうして上の足場ばかり利用するのか知らんが、今のうちに距離を稼ぎたい。)

エグザムは積み上げられた棚の隙間を這い、空間の天井を見上げながら器用に体を浮かせて作業通路へ出る。

隣の足場は一階だけが閑散としており、隠れれる場所は見当たらない。エグザムは爪先立ちで歩幅を狭めて足早に隣の資材置き場を通り過ぎ、そのまま何かを袋詰めにして膨らんだ大きな荷袋の後ろへ隠れた。

(足跡は残ってないな。塵の一つも無いのに汚染物質が十分充満しているのだから変な場所だ。監視装置が巡回してないから放棄された場所だろう。たしかに此処なら都市の管理中枢に気付かれることも無いな。)

聞き耳を立てながら狭い物陰の間を移動するエグザム。久しぶりの狩人時代に戻った感覚を味わい、狩に使った森小屋がどうなっているか気になった。

それから十数分の間身を隠しながら工作機材の間を移動し続けたエグザム。資材置き場の平らな二階天井を移動する敵のしぶとさに嫌気を感じ始めた頃、ようやく侵入した入り口が在る壁の反対側の壁へ到達した。

(隔壁が上がっている。敵はあそこから入ってきたのか。)

現在の立ち位置だと開いた隔壁の向こう側が少しだけ覗ける。隣から漏れる光は殆ど無く、現在の区画同様隣接した区画も薄暗い事が判る。エグザムは周囲を確認し終え問題がないと判断し、最後に通路の角からゆっくり顔を出した。

【先程からあの足音がまったく聞こえません。何処かで止まっているか、出口の先で私達が出てくるのを待っているのでは?】

その可能性も考慮しているエグザムは歩きながら隔壁傍に陣取り、メルキオルに脳内で合図を送ると拾っておいた金属球を隔壁の向こう側へ跳ねないように転がした。すると僅かな物音を聞いてエグザムを探す何者かが反応を示し、消えていた足音が同じ区画の置くから聞こえる。

エグザムは復活した足音を聞いてすぐさま隔壁をくぐり、周囲の地形を確認する前に止まった金属球を回収した。

【複数の振動音を検知。飛行物体のようです。】

警告を理解し体を空中通路を支える柱に隠すエグザム。それと同時に回転翼が発する独特な振動音が区画中から鳴り響く。

【小規模な射撃魔導波を複数検知、狙われてます。】

事の次第を理解する前にエグザムは柱から飛び出す。すると先程まで居た場所に赤い閃光が炸裂し、金属製の支柱を黒く焦がした。

「間に合わん 防壁展開」

硬い床で体を回転させ片膝を突いたエグザム。素早く体の向きを変えると、両腕で身を守る様に上半身の前で交差させる。

直後。あらゆる生物の体を一瞬で蒸発或いは焦がす熱線がエグザムに殺到し、エグザムを中心に空間が一瞬で膨張して派手に爆発した。さらに衝撃波が八メートルほどの天井まで伝わり区画自体が僅かに振動する。

【自立式小型飛行兵器が5機。魔導式自立飛行兵器の一機を中心とした戦術情報網の形成を確認。物理と半魔導波長の浸食領域を発生させます。】

空気中に含まれる水分が大量に蒸発した事で白い煙が壁側の一部を覆っている。二重反転翼を回す一メートル未満の飛行物体がその水蒸気の煙幕に集まって行く。どうやら丸い胴体に内蔵した小型魔導砲で対象を完全に蒸発させるつもりらしい。

円筒状の収束装置が高速回転を始め最後の一撃を放とうとした瞬間、六機の無人飛行兵器が砲口や外殻の一部から火花を散らし飛行制御が狂い始めた。エグザムが少しづつ霧散してゆく煙幕から出ると、中央の広い人口石材の床に転がる六つの残骸を発見する。

(機改(きかい)のこいつ等が本命だったのか。相手は重武装の非正規軍と同規模の勢力らしい。隠匿状態を解除しろ。刻印を確認したらすぐ逃げるぞ!)

エグザムは導力回路が爆発し電子回路が完全に焼き切れている残骸の一つを確認し終えると、踵を反し次の区画に続く空中通路への階段へ走る。

(識別用の刻印が無いならやっぱり探索組合の私兵。これで秘密組織の噂が真実だと判った。)

細長い金属板を網目状に配置した簡素な足場(空中通路)を走り、次の区画へ繋がっている大きな円形の配管に設置された簡素な非常用通路を目指しているエグザム。後数メートルでこの区画ともおさらば出来そうなタイミングで、配管へ架かる非常用通路の接続部が目の前で吹き飛んだ。

(メルキオル重力干渉駆け抜ける!)

足場を柱ごと長さ四メートルにわたり失った事で傾く空中通路から跳び跳ねたエグザム。空中で顔だけ左後ろに向け、己に金属を鋭利に切断した謎の力を直接向けなかった相手を睨む。

【中型強化外甲殻。形式不明、情報無し。】

白を基調とした流線型の全身鎧で装着者を保護する人型用強化装備。水柱や汚染物質が充満した坑道などで活動する為に作られた防護装備の一種だが、右腕に内蔵された展開武装に軍用の高周波両用刀が装着されている。

理力の力によって浮き上がった体勢によって、着地の際金網状の足場に背中を打ちつけたエグザム。すぐさま立ち上がり再び走り始め、一秒にも満たない僅かな時間で確めた事実を思い出す。

「まさか飛行型を操っていたのが人間だったとはな メルキオル 搭乗者の体格を割出せるか」

円形の配管の通り道は暗く照明の光が届いてない。メルキオルの視覚補助で認識できる(見える)範囲が僅かに向上し、つかの間の安堵を得る。

【骨格による推定身長は百五十台前半。体重はおよそ五十キロ。強化外甲殻の間接部強化出力筋の推定体積を考慮し、重量出力比換算で四倍から七倍相当。よって装着者は身体異常者か子供ですね。貴方と同い年では?】

曲がっていた通路の先に僅かに光が見え始め、背後から聞こえる大きな音も迫って来る。エグザムは敵の狙いが自身の拘束だろうと判断したが、理力で身体を強化して追っ手から逃げた。

(機動兵器や機動歩兵に体が小さい奴が乗るのは当たり前の話だ。それより今表示しているこの経路は目的の場所なのか、それとも逃避先への誘導表示なのか?)

加速した導力車と同じ速度で迫って来る相手に逃げ切れないと判断したエグザムは、暗い通路を脱して直ぐ開いた空間の床へと身を空中へ放り出す。直後丸い大きな穴がら大きな白い鎧が水中を移動する様に飛んで来た。

(お前は魔導とは違う科学の技術に詳しいのか詳しくないのかあやふやな奴だな。とりあえずあれと追いかけっこをするには部が悪すぎる。防壁を常時展開していつでも衝撃波を出せるように準備しろ。相手の活動時間が近付くまでこの広い区画で迎撃するぞ!)

区画内は頑丈な人工石材の壁で覆われ、大きく重そうな長方形の保管箱が複数山積みにされ置かれている。長方形の棺の様な箱は複数の種類に分かれていて、エグザムは中身が無い空の容器であることを願った。

右手の風と左手の土の属性制御を担当する腕輪の魔核が淡く輝き、虚構世界で具現する筈の属性障壁がエグザムの左右に大盾として顕現する。

【周囲の魔素との同調完了。周囲の汚染物質の活性化を確認、無機物への浸食作用が早まります。】

理力の干渉力は物理法則を逸脱させる失われた超古代の英知。エグザムは身体能力で圧倒的に劣る相手に対し、まず始めに投降を勧める。

「お前が何者であるかは問わないし俺の声が届いているとも思ってない これ以上俺の邪魔をするのなら此処で排除する もしお前に戦う意思が有るなら挑んで来い」

ゴーグル越しに流れた【見逃してくれの間違いでは?】無配慮な表示を見なかったことにしたエグザム。腕の動きに緩慢な動作で追従する二枚の大盾(実体防壁)を前にかざして、メルキオルに対し大盾をユイヅキの射角外に固定させる。

(メルキオル。相手の装甲を無視して搭乗者だけ殺せるか? そうか、勿体無いが無理なら中身ごと鉄屑に変えてやろう。え。馬鹿か相手は対人屠殺兵器だぞ、持久戦なんて絶対嫌だ。)

筋肉質の大男に簡素な鎧を着せて丸ごと白い塗料で塗りたくった様な武装外甲殻が、大質量の衝突により変形した空中通路を背に立ちはだかった。エグザムは敵が遠近両用と短い刀身の他に何かを隠し持っていると警戒して、ゆっくりと間合いを詰めて来る相手に自分からは仕掛けない。空気が己を中心に膨張と収縮を繰り返すだけで、時間じたいがゆっくり流れ始めたように感じる。

程無くして相対距離が二十メートルまで狭まり、双方の武器が殺傷加害距離に対象を捉えた。エグザムは矢を番えずユイヅキの弦だけを引き絞っていると、全長二メートルに達しそうな白い機械兵が大きく前に踏み込んだ。

エグザムは直進して加速しながら射界に入って来てくれた相手に微笑み、引き絞ったユイヅキの弦を放す。すると立て続けに発生した振動が音よりも速く加速し、頑丈な岩すら粉砕する超音速の衝撃波が白い機械に命中する。

視界ではなく耳に命中を告げるメルキオルの電子音が聞こえる。脳内に干渉し幻聴によって情報を伝達するやり方は無意識下でも聞き漏らす事は無い。

【対象の体表に我々と同様の何等かの障壁を確認。解析不能、我々と同じ理力だと推測。情報不足により詳細は不明。】

傾いていた空中通路を支える柱が砕け、壁まで吹き飛ばされた強化外甲殻に散乱した残骸が少量被っている。メルキオルが対象の被害を解析し始めたが、目が良いエグザムでも解るほど相手に傷は見当たらない。

「あの衝撃でも気絶しないのか 厄介だな」

立ち上がり再び真っ直ぐ走って来る相手に対し、エグザムはもう一度ユイヅキの弦を引いた。これで駄目なら別の方法で仕留めるしかないと思考を切り替え放った衝撃波は、エグザムと同じ様に腕を組んで防がれてしまう。

【衝撃波の消滅を確認。対象周囲の空間の歪みを計測しています。】

エグザムは対象の足が止まったの目で確認すると、咄嗟に後ろへ走り距離を保とうとした。しかし敵へ背中を見せた際の一瞬だけ視界から対象を追い出してしまい、機動兵が左腕から展開した攻撃動作への対処に遅れてしまった。

空間ごと吹き飛ばされたエグザム。まだ三十メートルほど離れていた反対側の壁に体を打ち付け痛みに表情を歪める。

(防壁が無かったら骨折どころか内臓が潰れて死んでた。くそっ、それが敵の狙いか。)

白い人型の機動兵はエグザムが立ち止まるのを許さない。自らを壁に叩き付けたお返しに、次々と大気を湾曲させた只の空気砲を打ち続ける。

(だったらこっちにも考えが有る。メルキオル、管理者の意地を見せてやれ!)

エグザムは一時的に攻撃を諦め、空間への干渉領域を拡大させて空気の塊に押し潰させるのを防いだ。更に体力の消耗を省みず展開できる最大出力の干渉波を両手から放ち、見えない無数の糸を意識して特殊合金の白いフレームへ強力な磁力干渉力場を噛み付かせた。


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