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魔法迷宮  作者: 戦夢
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二章後半

昨日、花園で嵐を体験したエグザムとウラヌスは霧が晴れてから虚構世界の下町を経由し迷宮を脱出した。しかし当人達の予想に反し帰還するまで多くの時間を要してしまい、エグザムはウラヌスから探索部の本拠を聞くだけ聞いて宿に戻った。

そして本日二十八日の正午前、魔導通信器だけでマイの説得に成功したエグザムは探索街東部の居住区に来ている。

二階又は三階建ての賃貸住宅はどれも庭と車屋(しゃおく)付き。また緩やかに湾曲した円環通りに直接面していおり、居住性と交通の利便性は言うまでも無く高い。

「流石成金街 格式だけは綺麗だな」

探索街で唯一平地に住居だけが並ぶ通りを歩いているエグザム。何もかもが密集して構築された街に住む探索者として、昼間とは思えない静かな通りを見回していた。

(この道は馬車や人力車しか通れないのに、あそこは導力車を車屋に入れてるよ。やっぱり金持ちは考える事が違うな。)

エグザムは歩きながら道間際で繋がっている庭園へ視線を送る。時に低木で敷地内が見えなくても、中から聞こえる音は何処も同じ。

「やっぱり庭師の数が多い 連中で何人目だ?」

この地方では十月を迎える頃に本格的な農作業が始まる。農家が農地を耕し雑草の整理に勤しむのと同じで、家主から花々の管理を任された庭師達も甲斐甲斐しく働いている。

エグザムは土タイルが敷かれた歩道の脇を歩いていると、ウラヌスから聞いた外観と同じ豪邸を発見した。

(赤い屋根と階段構造の物件、ここで間違いない。)

両隣の三階建て邸宅とは違い外観は豪邸より宿に近い。檻状の柵で仕切られた古典的な庭は雑草が生え放題で、通りから全体を眺めても他の豪邸より倍近く奥行きが有ると解る。

(庭は残念だが、それでも冒険家紛いの探索者が持つには不相応な家だ。もしかしたらあの顔と声を気に入った有力者に飼われていたりして。)

柵と同じく檻状の門にはヒリュウ・クレムリン邸と刻まれた金板(かないた)が吊るされていて、エグザムはウラヌスに対する評価を改めながら呼び鈴を鳴らした。

しばらくせずとも玄関扉が開かれ中から長身の老人が姿を現した。エグザムは上下とも黒い赤紫系の衣服で揃えた老人の顔に見覚えなどないにも係わらず、何故か身構えてしまう体に困惑してしまう。

「私はアーシアお嬢様の世話役兼執事のフクシ エグザム君で間違いないね?」

正門まで歩いて来た老人に、頭二つ高い位置から見下ろされたエグザムは短く肯定する事しか出来なかった。

(あの人は執事なのか。白髪を短く揃えているから当主だと勘違いした。)

エグザムはフクシと名乗る世話役が解錠した門を通り抜け、客人に歩幅を合わせてくれる世話役(フクシ)と少し距離を空けながら、近付く風変わりな邸宅を見上げる。

(二階と三階のテラスが西のこちら側に在ると言う事は、日の出より夕日を浴びる世界樹を見上げる為に造られた家なんだろう。確かに大きな湖も見飽きると反射した日光が眩しいだけだからな。)

玄関口の三角屋根を除いて一階大通り側の屋根の一部は二階のテラスとして活用されており、その二階屋根の一部も北側だけテラスとして削られていたのだ。

「一階通路は反対側の裏庭と繋がっているから 靴を脱がずそのまま進みなさい ウラヌス君が待っているよ」

フクシは重厚な玄関を開けて直ぐエグザムに入るよう命じ、扉を閉めてから改めて客人の背後を見下ろしす。しかしエグザムは自身が予想した玄関口と違う構造の吹き抜け通路に戸惑い、歩く歩調が遅くなる。

(床は掃除されているがまるで古道具屋の木の床だな。それに古着や溜め込んだ落ち葉の匂いがする。一階の部屋は全部物置として使っているのか?)

眩しい日差しが家屋一階を真っ直ぐ突き抜けた通路の先から届いていて、通路の先が本当に裏庭と繋がっているのか判らない。エグザムは絵画の一つでも飾ってあっても不自然ではない通路を通り、通路の先に何が在るか理解した。

「了解したよウラヌス 僕が君の疑問を解いてあげる」

鼻が森とは違う濃厚な花の匂いを嗅ぎつけ、同時に詩人や役者が演じる優男の様な声を耳に入れたエグザム。入ったばかりの温室入り口で立ち止まれば、森で獣に襲われた記憶が視界と重なる。

「迷い人よ 草花の声を聞け」

そして周囲の花壇や鉢植えに植えられた数多の植物が瞬時に変わり始め、エグザムが狩った獣や空想上の生物に変化した。

(の、(のろ)いだと! くっ体が・・・)

危機を感じ体を動かそうとしたエグザム。虚構世界はおろか現実世界に居る筈なのに動かない体に気づいた時既におそく、意識が途絶える間際、迫る幻影の向こうから慌てふためくウラヌスの声を聞いた。


天空樹周辺の地理。世界樹と迷宮を育む湖は、平原と見紛うほどの大きさの盆地中央を占めている。この盆地は古くから草木が育ちにくい痩せた土地で、セフィロト北部では珍しく雨が少ない。ただし北部地域周辺と南部の降水量を比べると、干ばつを引き起こし水不足に悩むほど生活環境が悪い訳でもなく、長年の土地改良で農作物の収穫は安定している。

これら豊かな恵みを享受できるのは盆地北部から流れる河川「緑河(みどりがわ)」の恩恵が大きい。何故なら緑河の源流は北部の山間(やまあい)に在る二つの森で、標高が盆地よりも高い森の深部に別の湖が存在するからだ。


自身の体が揺さ振られている事に気づき、騒がしい喧騒と聞き取れない雑音が聞こえる。

(さっきまで森の中に居たような。あれ、宿の近くで何かあったのかな?)

エグザムはやけに重い瞼を少しだけ動かし、ぼやけたままの視界と耳障りな声に耳をかたむける。

「まったく人の家でなにやってるのよ! もうどうすんのこれぇぇ」

幼くはないが落ち着きも感じれない少女が、聞き覚え有る声の主へ一方的に話を捲くし立てている。発言の内容から家の主だと判断したエグザムは、自身が冷たい床に寝かされながら白い天井を見上げている事に気付く。

「僕の声が聞こえるエグザム?」

その声と共に喧騒が止み、白い視界にウラヌスの顔が割り込んで来た。エグザムは心配そうに見つめる座長に対し、乾いた唇を動かす。

「なんだか ポカポカするよ」

朝鳥の呼び出し音に叩き起こされる以前、孤児院で惰眠を貪っていた頃に感じた覚醒前の朦朧とした意識が懐かしい。エグザムは久しく忘れていた感覚に身を任せようと考え、もう一眠りしようと瞼を閉じた。

「仕方ない ワイが目覚めさせたる!」

いきなり耳元で怒鳴られた所為で再び目を開いたエグザムは、己の右頬を何かで叩かれる衝撃と聞きたくない音を聞いてしまった。

(ああああ。こんな場所で寝ていたのか、あっち(虚構世界)じゃなくて良かった。)

上半身を起こしたエグザムは(はた)かれた右頬を擦りながら周囲を見回し、意識が覚醒する直前に騒いでいた者含め、壁も天井もガラス張りの温室内に自分と七人の若者が居る事を知る。

「大丈夫みたいだから皆並んで さっき決めたとおり自己紹介を済ませよう まずはエグザムを勢いで殴っちゃった手がはやい銃遣いからどうぞ」

ウラヌスはエグザムの両脇に腕を差込み白い簡素な椅子に新入部員を座らせると、にこやかな顔で他の部員を狭い通路に並ばせた。

「ワイは黒い弾丸の銃遣い 名はグラッグ・ジャージ さっきは殴ってすまんな狩人さん」

上下とも農夫が着るにしては珍しい黒系の麻服を着ている自称黒の弾丸。他の同年代の少年少女よりやや老けた角刈りの顔は日に焼けている所為か最も黒く、袖筋を肘までまくって露出させた腕も日に焼けている。

「私はアリィ・イサリィ グラッグと幼馴染で召喚士をやってます 名前が呼び難いとよく言われるからアリィと呼んでね」

横に立つ真っ黒い銃遣いとは対照的に、頬のそばかすが目を引く召喚士の少女は白を基調とした羽織を纏っている。ただ他の面子(メンツ)と違いその身なりは探索者より店の看板娘に近く、その白い前掛から洗剤の香りがした。

「ユイ・ナギサ 新緑族出身の治癒士 また弟がへましたら私に言って」

くすんだ灰色の外套で体を覆い、顔だけ露出させている治癒士。青い髪の下でエグザムを見つめる赤い瞳が申し訳無さそうに閉じられ、エグザムは場当たり的な会釈で治癒行為の謝意を示した。

「名前はマコト・オタクビアヌス 今は錬金術士だけど将来は技師を目指しているんだ 魔導具で困り事があったらいつでも相談にのるよ。」

縁が細い眼鏡をかけた錬金術士の少年に返事を返したエグザムは、どこぞへ探検に出かける前の独特な旅装束を見て、マコトが自身と同類であると悟った。

「私はヒリュウ・アーシア・クレムリン この家の主にしてエースの魔法遣い 一つ忠告するけどもし私の魔法を邪魔したら()()()にするわよっ」

黄色のワンピースと麦わら帽子に菜園手袋を着用している魔法遣い。人目を寄せる容姿と高飛車な物言いはまさにお転婆お嬢様と言えよう。エグザムは勿体無いなと心の奥で呟き、虚構世界で彼女を盾にしようかと企む。

「最後は僕が締めよう 名前はホモリス・ナギサ 見た目が違うけどユイと僕は双子の姉弟なんだ ついつい手加減し忘れたけど(まじな)い士が役立つ時がきっと来るだろう 楽しみだね」

エグザムは優男が(まじな)い士で有る事実に少しだけ表情を強張らせた。なにせ(のろ)いの類と併用する奇術は、現実でも工夫次第で再現可能だからだ。

(七人の探索部に俺は加わるのか。まあ人数が多いと問題や面倒事も多くなる。今の俺には福音の翼が丁度良いし、今度は俺の番だ。)

エグザムは椅子から上半身を起こし、まだ違和感が残る下半身に力を入れて立ち上がる。今更ながら探索街との接点が少ない狩人装束が少しだけ恥ずかしく感じた。

「俺はエグザム 歳は十四で南の田舎町出身だ 元々狩人をしていたから武器は魔法弓 ただし相棒は魔法品だから一応見習い魔法遣いをしている こんな身なりだが以後よろしくしてくれ」

作り笑いや愛想笑いが出来ないエグザムは、精一杯胸を張り狩人らしく気丈に振る舞った。ウラヌス含め他の七人も少し緊張していたが、周囲の植物が醸す場の雰囲気が新たな仲間との親睦を深める助けとなる。

「お嬢様 焼き菓子を持ってまいりました」

エグザムがホモリスの呪いに倒れた辺りから言葉と共に姿を現した執事のフクシ。両手に机と焼き菓子を乗せた皿を持っており、蜜糖が焼けた香ばしい匂いも纏って温室中央へ進む。

「うん良い匂い それに相変わらずの手際の良さ まったく誰かも見習うべきね」

その一言が癪に障ったのか、グラッグは男の矜持(きょうじ)を大切にして何が悪いと反論する。そんな自称黒い弾丸とエーズの口喧嘩に他の五人は興味を示さず菓子に夢中で、エグザムも咀嚼しながらこの風景が福音の翼の日常だと理解した。

やがてエグザムは出された菓子を先に食べ終わり、部員の会話を聞きながら硝子天井に流れる雲を退屈凌ぎに見上げていた。

(俺が来た時は曇り空だったのに、風向きが変わるだけで直ぐ晴れやがった。予報協会の今日の天候解説は半分だけ当ったな。)

空に流れる雲の筋と青い背景に溶け込む天空樹の巨大な枝と葉。今だ誰も辿り着けない未踏の頂きから見渡せる世界が本当に丸いのかと、エグザムは昨日の嵐の事などすっかり忘れて紅茶を飲み干す。

「報告書の提出期限が近付いたし そろそろ今後の方針を決めたいけど誰か意見要望は有る?」

ウラヌスが全員の顔を見回したことでそれぞれの表情が引き締まり、エグザムも事と次第を理解した。

(組合に提出する活動目標をまだ決めてないのか。あれは確か年に三回、探索組合に活動報告も記した書類を提出する決まりだった。)

エグザムは新参である自分が只のわがままを素直に話すべきか考える。しかし座長含め他の七人の表情は真剣そのもので、真面目な話だけに誰も口を動かそうとしない。

(ここでおふざけを言うようなら探索者失格だろう。さてさて、どう言えば俺の願いを聞いて貰えるのだろうか。失言だけは言いたくない。)

エグザムの願いは侵入不可能と言われている蜜の花まで辿り着く事。二つの尖塔を昇る方法を知らないとは言え、単独で達成出来るとは到底思えなかったから探索部に入ることにしたのだ。

「俺は金を稼ぎ贅沢な暮らしを夢見て探索者に成った 結果的に言えばこの街に来て正解だったが 現状に満足している訳ではない 今から話す内容はあくまでも俺個人的な願い ちょっと長いが聞いて欲しい」

そしてエグザムは恥ずかしい思いを表に出さず、堂々と蜜の花に辿り着き数多の逸話を確めたいと言い放った。

「僕と同じだね エグザムもあの花に用が有るんだ」

するとどうだろう、真っ先に口を開いたウラヌスに続き他のメンツも目標が同じであると次々主張してゆく。類は友を呼ぶ。エグザムはそんな慣用句が迷宮にも残っていた事に感動した。

「もしかして貴方勘違いしてる? それとも実情を知らなくて心の底で汗臭い涙を流しているでしょ 残念だけど現実はあの幻以上に面倒よ」

これだからお子様はと聞こえる声量で呟かれ、イサリィやマコトが愛想笑いで話を誤魔化している光景に疑問を抱いたエグザム。反論しようと息を吸い込んだ瞬間、隣に座っているグラッグから伸びてきた手が狩人の硬い肩を抑える。

「エグザムはん わざわざヤツの挑発に応えなくてもワシが説明する」

肩から袖口まで伸びている濃い紫色の太い線が、視覚効果で袖口を肘まで捲し上げて露出した腕を太く見せる。しかし運動兼作業用の一張羅が体より大きい所為で、エグザムの第一印象よりグレッグが更に老けて見えた。

「この話を判りやすく例えるとあれやな 大人の事情っちゅう役所絡みの面倒事や」

黒の弾丸曰く、天空樹の虚構世界は蜜の花を中心に回っている。その花を生物で例えると心臓又は脳のどちらかであり、古より花としての機能が失われし時、虚構世界が終わりを告げると伝えられているそうだ。故に蜜の花が在る尖塔に探索者が近付かないよう全ての経路は組織的に隠蔽せれており、あたかも前人未到の頂きと言う現実の天空樹と重なる噂を流しているとのこと。

「補足すると皆の親兄弟がその組織と何等かの繋がりで結ばれていて 他街で生まれ育った他の探索者より詳しいんだ 無論ここに居る人間は誰も組織に所属していないけどこの先も同じだとは言えないね」

マコトの言葉に疑心と好奇心を同時に膨らませるエグザム。橋の入り口付近に在る博物館で以前に体験した話を冗談交じりに語った。

「私その人知ってる 妹が保育園に通っていた時 その元冒険家が持病で入院した園長の代理をしていたの あの頃は夕飯の準備をしていると妹が遺物や化石の話を何度も話しかけてきて大変だったのよ」

イサリィの話しに何かを思い出したのか、横に座っているグレッグが幼馴染だけにしか解らない言葉でひそひそ話を始める。

「きっとその老人も若い頃に迷宮の秘密を知って追い出されたんだね 僕達が今住んでいる新緑町にも似たような事情を持つ人が何人か居るよ」

あんまり良い噂は聞かないと締めたホモリスに対し、同意の心算か黙ったまま頭を縦に振るユイとウラヌス。しかしエグザムは隣で何時の間にか始まっていた静かな痴話喧嘩の方が興味深いと考えていた。

(成る程な、だから尖塔周辺に魔物が居ない訳だ。おそらく組織専用の転移門で尖塔側に出てから頻繁に間引きを行っているのだろう。これで行政府の役人を頼るのが如何に危険か解ったが、転移門を解さずいちいち魔法の鏡を通っていては時間と労力が幾ら有っても足りなくなる。個人の魔法で向こうへ転移出来ないものか?)

そしてエグザムは髪の毛が薄紅色に変わった時の事案を思い出し、自らに刻まれた謎の(刻印)を思い浮かべる。

(マイのアトリエ(あの時)でも俺の意思とは関係無く力が発動した。つまりこの力は現実でも使えるはず。問題は向こうで魔法を操作する(従来)のやり方がこちらでも使えるかどうかと、人為的に魔法の鏡を出現させれる術を入手する方法だけだな。)

しかしどれだけ考えても確証が無ければ話にならない。なら目の前の仲間から有益な情報を得ようとエグザムが息を吸った矢先、アーシアの口から予想外の話がとび出す。

「あんたら組織って如何にも黒そうな良い回しするけど 知恵の葉や行政府が及び腰で役立たずな組合に代わって迷宮を管理しているだけの事じゃないのぉ 私が住んでた巨神の探索街どころか この街以外の探索街なら珍しい話じゃないわよまったく!」

アーシアは馬鹿馬鹿しそうに頭を振り、話が終わると赤毛のツインテールと髪留めの赤いリボンをなびかせた。

(そうですか。こっちはまったくもって知りませんでしたよ。すみませんね孤児院育ちで。)

どうやら今までの会話がお嬢様の癪に障ったようで、邸宅の主がどのような形で組織と関わっているのかエグザムでも察する事が出来た。

(そう言えばウラヌスも元は有力者の息子だったな。没落どころか親が蒸発しては、価値観も何も引っくり返って大惨事だ。)

エグザムはウラヌスが身の上話の一つでも話してくれると期待したが、いくら視線を送ってもウラヌスは沈黙を貫き通す。そして何故か皆の視線が自らに集中している異様さにたじろいだエグザムも、注目されて嬉しい気持ちに成った。

「折角集まったのだから 俺が何日か前に体験した出来事を聞いてくれ」

部屋が暖かく果樹の花々が甘い匂いを発散させていたからだろうか、エグザムは南の残骸都市地下で体験した奇怪な出来事の数々を簡単に説明してゆく。

「あの辺りの地下にそんな空間が在った話なんて聞いた事無いな  グラッグはどう?」

エグザムの話の途中で口を挟んだマコトからグラッグに話が移るが、黒の弾丸は口数少なく首を横に振った。

「あの時俺が見た地下世界は上の残骸都市より確実に広かった 実際魔物の集団に追われて相当走り回ったから断言できる 例え初めから幻だったとしてもあそこまで自由に駆け回れる地下空間なんて無い筈だ」

エグザムは魔物に追われ辿り着いた転移施設や行き止まりの壁から転移した現象を話し、後日ウラヌスも参加した卵争奪戦途中で体験した地下通路のループ現象も話しに織り交ぜた。

「怪現象の始まりは 俺が駆け出しの頃に魔物から受けた惑わしの香りの影響だと思う 今でもあの時の記憶は無い 啓示でも捉えれない後遺症によって俺の魔法(存在)が変質したと知り合いは言っている」

エグザムは謎の女魔導師との遣り取りと迷宮側の管理存在を話し出さなかった。自らが迷宮の何に選ばれたのか判らない今、管理組織と何等かの繋がりを持つ者達を通して役人に目を付けられたくなかったからだ。

「大墳墓や迷宮都市に居た頃 魔法を突然変異させて人体と定着させる実験が有った話を聞いた事があるよ 僕の記憶が正しければ遺失技術と何等かの関わりがあったらしいけど エグザムの症状は後遺症から稀に派生する変質者とよく似てるね」

更にウラヌスは他の迷宮で探索者をしていた頃の話を続け、エグザムの知らない色々な魔法を話した。

(虚構世界に入ると体調が崩れたり体の何処かに謎の痣が出ると聞いた事がある。単に俺の知識が足りないだけではなく、体に作用する魔法についてまだまだ謎が多いんだな。)

ウラヌスの口から出た変質者と言う単語が目の前で飛び交い始め、エグザムは黙って他人同士の話しに耳を傾ける。しかしとび出る発言はどれも古い物語から引用した話ばかりで審議が成立しそうになく。中には深緑族の亜人が人間に成ったり性別が反転したり、果ては禁呪を用いて定期的に若返る不死の魔導師まで登場した。

(やっぱり皆絵本や叙事詩をたくさん読んでいるな。まぁ俺もその一人だが。)

福音の翼は個性豊かな面子ばかりで、みんな話したがりな性格だと痛感したエグザム。取り纏め役の座長が予想外なまでに食いついている姿を見て、自らが加わった探索部の欠点を知った。

「待ってくれみんな 俺は世間話をする為に来た訳じゃないし 例の活動目標の話はどうなるんだ?」

エグザムの何気ない問いが食後の楽しい会話と笑いを打ち破り、沈黙と静寂が新たに場を支配した。エグザムはついつい失言を言ってしまったことを後悔し、頭を掻きながら居心地悪く謝罪する。

「ああ 謝らなくていいよ それにエグザムには僕達の活動内容をまだ話してないし 霧の中から助けられた時に説明しなかった僕が悪いんだから」

意図したかどうかさておき、ウラヌスは頭を掻きながら謝り、エグザムに活動内容を教える。

「実はね どの探索部も組合から補助金を貰う代わりに特定の奉仕活動を義務付けられているんだ 僕達の場合は遺失物の回収や不明者の探索と魔物の監視 更に霧が出れば使徒の殲滅と避難誘導又は安全地帯の確保がそう ただ僕は皆に義務を強制させたくない それぞれ出来る範囲内で活動してほしい もちろん誰かが怠ければ別の誰かが負担を背負う破目になる それだけは胆に命じてね」

慈善と言う名の奉仕活動がこの探索部の役目であり存在目的。誰かに命じられるより早く行動し、後に生じる何等かの損失を減らす。探索組合が格安で迷宮の秩序を維持する為に用意した組織であり、ある者は便利な手駒と呼び、かの者達は組合の申し子と(ささや)いている。

「だから選ばれた私達に自由は無いの 管理された街で生かされ外への希望を失い 戦えなくなるまで夢を見続ける それが出来るのは私達と同じく少数の人間だけ エグザム 貴方もそうなのよ」

己をじっと見つめる赤い目が、森で狩ってきた(野生)の眼に見えたエグザム。背中から噴き出る汗と乾く口を必死に動かそうとする。

「はいはい賢者タイムはそこまでにしてね 事情を知らなかったとは言えあんまり新人を苛めると そのうちウラヌスから愛想尽かされちゃうわよ」

アーシアは空の皿が乗った温室唯一のテーブルに肘をつけながら、しかめっ面でユイを牽制した。しかしエグザムにはそれが助け舟なのか悪魔の戯れか、それとも隠し事が不用意に漏れそうになってあわてて口止めした様にも見えた。 

「ウラヌスもいい加減茶番をやめて真実を話したらどう 私眠くなってきてこのままじゃ淑女の寝顔を晒す事になりそう」

言葉どおり最後は腑抜けた口調で会話を放棄したお嬢様。ついに両頬を腕で支えて欠伸し、睡魔を我慢して眉間に皺をこしらえた。

(隠し事? 例の組織について(わざ)と情報を隠しているのか?)

アーシアの真意を探るべく、困り顔のウラヌスへ疑念を含んだ視線を送ったエグザム。肝心のウラヌスは眉間にアーシアより深刻そうな皺を作っており、エグザムはあからさまな表情で何かに悩み発言を躊躇っているウラヌスを先に問い質そうと決める。

「はははっもう我慢できん早く言ってやったらどうだウラヌス でないと起ったエグザムから矢が飛んで来るで わはははぁ」

だしかし右の死角から放たれた笑い声を契機に、温室に笑いを堪えようとする声が響き始める。自身の正面に座っているアーシアも肩が震えており、エグザムは戸惑い出すべき言葉を忘れってしまう。

「重ね重ね本当にごめんよエグザム 実は君の登録はもう済んでるんだ 昨日の会ったのは偶然じゃなくて 大会が終わるまで君が部に相応しいか調べる為の一環だった まさか霧が出るとはまったく想定して無かったから皆とはぐれてしまって 君に助けられたとフリールさんに話したら笑われちゃったよ」

瞬間エグザムの脳裏に、幼女に化けた錬金術師の笑顔が浮かんだ。更に若く偽装した錬金術師が指定した色と同じ手拭を巻いていたウラヌス。そう、全て初めから仕組まれた計画に過ぎなかったのだ。

「我々がフリールさんを知っている理由を話そう まず僕の兄は技師の修行で世界中を旅しているんだ だから定期的に手紙が届くんだけど 兄は旅先で知り合った彼女にこの街で工房を開きたいと言われたらしい その時兄は弟の僕を頼るよう言ってしまってね 見返りに半年前から錬金術の講義を受けているよ ちなみにこの面子(めんつ)で君の事を始めに知ったのも僕だ」

得意げにはなを明かし説明役に徹したマコトと合格だよと宣言したウラヌス。エグザムには彼らが決められた台詞を吐く登場人物に見え、日ごろの行いと以前立ち寄った占い師の言葉を思い出した。

「この街ではね みんな天空樹の根と一緒でそれぞれ身を寄せ合いながら暮らしているの だから噂や嘘は直ぐ見破られて私生活も筒抜けだし 時計の長針が一周するより早く情報が流れるのが当たり前 エグザムさんが思っている以上に広いようで狭い街に暮らしているんだよ」

衣服や雰囲気も後押しし、イサリィの言葉がエグザムの脳内を駆け巡る。

(そうだ忘れていた。この街は田舎の町よりずっと大きいくせに、森の集落の如く閉鎖的な社会だと司祭が言っていた。今頃奇抜な髪と外国風の肌をした子供の話が流れていてもおかしくないぞ。)

(こうべ)を垂れ額に右腕を当てながら自問自答を始めたエグザム。今まで受けた多くの親切や築いた関係が誰によって始まっていたか理解した。

今頃街中は仕事を休憩して食事を楽しむ職人と、買出しに出歩く探索者と行商人が値段交渉でもめている最中だろう。人々はそんな日常を毎日過ごし生きてきた。迷宮から貰った恩恵で生き永らえていると自覚し、人間すら糧とする巨大な樹に寄り添いながら。例え自らの失態と境遇に頭を悩ましている少年が居ても、引き返せぬ道を歩む者から見れば羨ましく見えるに違いない。

「はぁ アホ臭くてつかれたぁ」

その小さな呟きさえ誰の耳にも入らず、笑うウラヌスの横顔を見て同情の気持ちが失せたアーシア。ふと天井を見上げ、流れる雲の数が入室時より増えた事に気づいた。


ヒリュウ・アーシア・クレムリン。十二月四日生まれの十三歳。炎と風の属性を操る魔法遣いにして福音の翼の主戦力。周囲から貴族のお転婆娘と呼ばれているが、両親と住んでいた巨神から引越ししてきた流浪の民。


現実の天空樹と湖畔の耕作地同様、虚構世界にて蜜の花を頂く尖塔がある島は植生に恵まれた肥沃な土地だ。同探索街や迷宮街の下町を潤すだけの資源が集中しており、地政学的にも経済学的にも産業の中心地と言える。しかし昨日の霧によってまた姿を変えた森や廃墟。魔物や迷宮物の配置も以前と変わっており、多くの探索団は地図を書き換える為に人員を総動員させ狩りに夢中のもよう。

(本当に水面が黒い。何の魔法をどう使えばこうなるんだ?)

人為的に抉られた断崖の縁に立つエグザム。尖塔を支える巨大で立方体に近い塔とその周辺が、自然の力ではない何らかの方法で形成された渓谷によって島内から孤立している。

「このいやーな感じ 何度見ても慣れないな そうだろグラッグ?」

マコトも垂直な崖の縁に立ちエグザムと同様眼下の暗い世界を一望しながら、唯一崖際に立っていない高所恐怖症の仲間に声をかけた。

「なに言うてんねマコト 足元崩れたらお前等仲良くあの世行きだっちゅうのに はよう見回りに行こうや」

グラッグの言うとおり足元が崩れたら福音の翼は贄と成るだろう。エグザムはそう考え一歩後ずさる。

「これだけの魔法を展開するには膨大な魔力が必要になる 管理組織はどこから魔力を補ってるんだろう?」

しばし沈黙が場を支配し、誰もエグザムの言葉に答えようとしない。なにせグレッグは怖気づいたのか崖側に背を向けたまま震えていて、他の面子も崖下を見下ろしていたり蜜の花を見上げていたからだ。

虚数海(きょすうかい)は天空樹の導力で維持されている 元々その技術は深緑の森の守護者たる森人が考えた知恵の一つ それは遠い昔の記憶の話に少し似てる」

昨日の霧で枯れた花は甦ってまだ間もない。白い十一枚の花弁はまだ開ききっておらず、雌しべにあたる部位が薄らと白く発光している。花弁が十一枚ある植物が自然界に存在する話を聞いたことの無いエグザムは、生体から発せられる微弱な波長で迷宮に干渉できる裏技の存在を始めて聞いた。

(あの魔導師は、古代人達が今はもう失われた魔導技術で世界を再構築したと言っていた。その為に生み出された迷宮は魔法と禁忌の塊で、後に生み出された導力技術とは別物の筈。) 

エグザムは驚きつつも真実かどうかホモリスに問いただした。なにせ自らに迷宮の事を教えてくれた司祭と謎の女魔導師は、魔法を生み出す場所は迷宮だけだと言っていたからだ。

しかしホモリスは口を紡ぎ何も語らない。何か言いたくない事を思い出したのか、しかたがなく姉のユイへ視線を移したエグザムに対しウラヌスが口を開く。

「探索街で暮らしていると魔法の話ばかり耳にするから外の情報に疎くなり易いんだ いま現実の世界を動かしているのは魔法じゃなくて導力(どうりょく) このセフィロトじゃあまだまだ普及していないけど 西のゼノンや大陸の方じゃ珍しくもなんともないよ」

技術は進歩するからね。そう付け加えてから崖を背に歩き出したウラヌスと対照的に、エグザムは立ち止まったまま考え事に夢中になってしまう。

(探索組合の真下に在るのが街唯一の導力炉。天空樹の道管を流れる水の力を電力に変換するだけの施設と聞いたが、やはりこの街は外に洩らせてはならない何かを隠してる。)

【具象化:ユイヅキ】

何時もの様に赤い鞄から発生した光の渦が左手に集まり、エグザムは比較的単純な構造の複合弓を手にした。

「みんな そろそろ時間だ 今日はエグザムも居るから何時もより背後を意識してね」

ユイヅキのバネ関節に填め込まれた紫色の結晶が煌き、使用者の意思に呼応して透明に近い弦を張る。エグザムは変態化の矢を打ち出せる魔法品が活躍する機会が無い事を祈りながら、廃墟の森に戻る部員の最後尾を打ち合わせどおり守る事にした。


半壊した七階建ての住居跡と倒壊した何かの骨組みを蔓樹(つるぎ)が繋ぎ、天然の渡り通路と化した橋を渡り終えた一行。先ほどまで居た虚数海の断崖北側から北上し、付近に点在する幾つかの魔物園へ向かっている。

「エグザム このまま進むと沼地を含んだ泉に出るんだ そこの魔物が厄介な水竜の子供で 倒すのに時間が掛かるから迂回したい ひとっ走りして魔物が居ない経路を探せないか?」

わざわざ足を止めて振り返ったウラヌスに対し、エグザムは普段より大きく短い返事で了承した。どうやら虚数海を自身に見せる為だけに寄り道を提案した座長へ応えようと意気込んでいる。

「みんな好戦的だから魔物を引き連れて来ても問題無わよ狩人さん」

先頭を歩くアーシアは自らの右手人差し指に蝋燭大の火を灯すが、整備や手入れが殆んどされてない探索道脇から前方へと疾走して行くエグザムにより人差し指の灯火は白い煙へと変わる。何故なら本物の森で鍛えた脚力と高い魔法順応性がエグザムをつむじ風に変え、エグザムがアーシアの文句を聞く必要の無い樹海の中へ消えたからだ。

(少し前の俺ならこの状況を楽しめただろうに、やっぱり育つ環境が違えば戦い方も違うのか。)

探索者による開発や手入れが少ない島北部の樹林区域は古くから殆んど変わらない姿を維持している。呼吸を短く頻繁に繰り返し前倒姿勢で走るエグザム、この植物に埋没した古代文明の跡地ならば会得した狩人の業を最大限発揮できる。

「この辺りだ」

自慢の脚力で巨大化したしめごろしの樹を昇り、高所から周囲に生息する魔物や何等かの採取品の調査を試みる。ただし決して個人の利益を追求した行為ではなく、ウラヌスの指示通り樹海中心部を占める厄介な沼地を避けて北部流域へ到る経路を探しているのだ。

(それにしても湖畔から見た通りの植生密度だ。ここまで異常なほど高いのはやはり何等かの魔法効果を土台にしているんだろう。ウラヌス達が自力で下を通れる道は無さそうだ。)

ユイヅキを背中に掛け直し魔物が潜む下界を観察するエグザム。地面から露出した四階建て廃墟屋上からならと期待していたものの、見渡せる範囲に探索道の類なんて一切無かった。

「上も駄目か 入り組んだ地形でも比較的広い屋内を選んで進むしかないな こうなると解って島中央から進入したのなら あいつ等は本当に交戦的な奴らだな」

エグザムは屋上から隣の背が高い樹に飛び移ると、太い枝を足場に瓦礫が埋没した地面に着地する。身軽さと身体の小ささを利用し隠密行動に特化していた昔と違い、地面に足跡をくっきり残してでも先に急いだ。

(しかしウラヌス達の装具はどうしてあんな見た目なんだろう? 探索部といっても組合や豪商の支援をうけている恵まれた環境のはず。戦闘重視や秘匿重視とも思えないし誰一人共通していない。)

ゴーグルの効果範囲が限られるのでエグザムはあえて魔物との遭遇率が高い瓦礫付近を選んで北東へ進んでいる。瓦礫といっても廃墟等の構造物の残骸は既に地中に没しているので、かつて探索者が持ち込んだであろう岩や鉄骨等の廃材、つまり迷宮にとって異物である純粋なゴミの事だ。

「ハァ あの高台にしよう」

エグザムの様に迷宮知識が浅い者には判り辛いが、迷宮が直接取り込める物質は魔法と生物や鉱物のみ。そもそも始めから迷宮は異物を迷宮には入れないので、先人の中にはこの仕組みを応用しようとした者達が数多く居た訳だ。

エグザムは傾いた四階建ての住居廃墟に入り、横着せず縦階段を駆け上がって屋上入り口の扉を蹴破った。

(樹海と揶揄されていても人工部は昔とそのまま。所詮本物の森に成れない魔物の楽園だな。)

特定の粉末と土を焼き固めたであろう人工石材の屋上。落ち葉や埃の体積は無く、数度だけ傾いている足場を気にしなければ植物世界を麻痺するまで堪能できそうな即席展望台から周囲を見渡せた。そこでエグザムは懐から通信魔導具を取り出し、己の魔力を握り手に浸透させて魔導発振体を起動させる。

「狩人から翼へ 魔物に異常なし 廃墟沿いを進路そのまま進め 以後は予定どおり独自行動へ移る」

数枚の魔物羽を用いた通信具に一方的なメッセージを吹き込むと、エグザムはウラヌス達が居るだろう方向へ高級魔導具を物理的に飛ばした。

「羽はあと二つ 一組千Gもするんだ 確実に届くだろう」

鳥や虫の羽に酷似した魔導具が直線軌道で木々の間をすり抜け消えた。風に流される心配も魔物や他の魔法に妨害される事も無い優秀な道具は、商人の中でもヒリュウ家と関係がふかい豪商しか取り扱ってない貴重品なのだ。

エグザムは渡り声が残した僅かな魔法の残滓をゴーグル越しに目視し、ウラヌス一行とのおおよその距離と方角を確認した。相変わらず青々と茂る木々が邪魔をして遠方の景色を阻害しているが、発振体の多目的結晶に表示された信号は間違いなくエグザムを目指している。


渡り声。固有振動を発する結晶魔石を加工した魔導具(本体)で、羽根に固有の魔導波長を記憶させ同じ波長の本体同士で羽根を飛ばし合い情報を交換する。単純な通信機能の物から多機能品まで多く出回っている探索必需品。 


樹下に突入してから一時間ほど経過しただろうか。エグザムは樹林区中心の沼地を避けながら福音の翼一行を先導し、なおかつ魔物を避けながら反時計回りに樹海を進んだ孤立している。

周囲では肥大化したしめごろしの樹が宿主を失い自重を支える新たな存在を探して、果樹園の如く腐葉土の頭上で互いに太い幹を交差させている。このある種の空中回廊は高度の差は有っても地上と同じ環境であり、探索者や魔物にとって文字どおり幹線通路と言えるだろう。

(これで何戦目だっけ?また強襲戦術か、あいつら俺より細い体なのに随分しぶといんだな。)

エグザムは廃墟を突きぬけ天へと鼻先を伸ばしたしめごろしの末端に跨り、地上三階の高さで繰り広げられている仲間達と魔物との戦いを観戦している最中だ。

(前衛に魔法遣いと呪い士、中央が錬金術士と治癒士と召喚士。そして後詰は銃遣いと魔導士の男子二人組み。頭数が他より少ないからだろうけど、それにしても不完全な配置だな。)

魔法遣いの炎の鞭がとぐろを巻き、同時に呪い士のカヲルが三体の魔物に蜃気楼の様な何かを纏わり付かせる。その間、ほぼ中央で肩を並べて魔物を注視している三人組は動かず状況が進むのを待っていて、最後尾の銃遣いと魔導士だけが仲間の間から弾丸と雷光を飛ばしていた。

「この先も手助けする必要は無さそう まぁがんばれ 期待してる」

エグザムは正体不明な植物系の魔物が魔法で無力化され、手馴れの調理人と同じく手早く解体されて少しづつ変態化する光景を見守る。戦闘に関わらず偵察と先導にエグザムを注力させたい座長の思惑どおり、狩人に与えられたつかの間の休息が間も無く終わる。

(あの足場でもざっと三十秒か。この距離では啓示が機能しなければ魔物の方も詳しくない。だからと言って連中の実力は侮れないし、もしかしたら小規模な探索団より上位かもな。特異体質の俺とは違っても歳は同じ士格者集団。あと何戦観察できるだろうか?)

時折吹く心地よい風が霧散した光る粒子を胞子の如く舞い上げた。なのでエグザムも風を追いかける如く、廃墟から廃墟へ空中回路を跳んで進むことにした。


しめごろしの樹。南方大陸北方を占める樹海に存在する寄生樹の原種とされている。本来なら地面に落ちた新芽の段階で宿主となる新芽が無ければ枯れてしまう希少植物で、かつて旧探索街の土台として用いられた歴史が有る。


現実世界なら鳥が(さえず)り虫の羽音や獣の雄叫びが聞こえてくる森の息遣いも、赤く変色した光が差し込み魔物が潜める頃合では様子が変わってしまう。つまり時間帯による明暗の変動が現実世界と同調しているのでもうすぐ夜時間へ移る今こそが、探索者にとって最も危険な時間だ。

【対象:????】

ユイヅキに具象化した狩猟矢を番えたエグザムは、半透明な四枚羽を背に畳んだ中型の魔物を背が高い樹の枝から見下ろしている。

(あれが例の厄介な竜の子か。一体だけしか居ないんだが、依頼情報どおり霧による何かしらの弊害が発生しているかもしれない。)

エグザムは取り出した通信魔導具の半結晶を見て仲間の位置を再度確認すると、本隊が行軍が遅くなることで有名な樹海区域から脱出したのに気づいた。

(七人全員が埋没した廃墟通りを抜ければ俺も合流できる。まだ数分余裕が有るな。)

樹海と湿地の境界に聳える数少ない大樹から遠方を見渡すと、島で生産される貴重な果実の生産区画が一望できる。その果実は虚構世界で食べるよりもセフィロト内外へ流通し消費される砂糖の原材料であり、果実だけでなく葉や幹も建材として加工できる巨峰樹の森なのだ。

エグザムは己の顔とほぼ同じ大きさのどす黒い果実を想像しながらも、今回探索の調査対象として指定された中型の竜種を凝視する。

「あの大きさで幼体なんだからなぁ やっぱり魔物の中でも別格扱いされる訳だ」

ユイヅキの射程限界に近い80メートル先の青い沼で水草を(つい)ばむ巨大な水棲昆虫。(いず)れも樹海に近く高い溶解濃度の危険な沼地に生息しており、多くの魔物と同様地中から湧いた卵から孵化する水竜の子供だ。

エグザムは楕円状の青い甲殻からはみ出た透明度の高い虹色の羽に見惚(みと)れてしまう。虹色なのは単に光が乱反射している所為であり、次の段階へ進化する前の状態を示している。

(組合の情報では、近頃の度重(たびかさ)なった霧による環境修復で生息環境から弾き出された幼体が存在するかもしれないらしいな。今の時期いくら受粉作業で忙しくて果樹園から人手が割けないからと言って、俺たちの様な小規模探索団未満の探索部に押し付ける仕事かよ。)

組合から団長ならぬ座長のウラヌスに出された臨時依頼の流域調査は、本来なら巨峰(果樹)園を運営する管理組織の「ゼフィロト加糖製造所天空樹本店(有)」が探索者を派遣せねばならない。しかしゼフィロト加糖(略)の農園事業は探索組合出資の主要財源なので、待機中の探索部の中から福音の翼が選ばれた訳だ。

そんな具合で組織の経済事情へと思案し始めた頃、背後から近付いて来る小さな羽音に気づいたエグザム。振り返って直ぐウラヌスから飛ばされて来た渡り声だと理解し、大樹の頂上から二つ下の太い枝へ飛び移ってから魔力切れで力なく飛んで来た通信魔導具を受け取った。

「これは俺が始めに飛ばしたやつだ ウラヌスめ魔力充填をケチったな いや 役目を終えた俺の為に音声を記録する必要は無いか」

エグザムは渡り声を懐に仕舞いながら首だけ向きを変えて沼地の様子を確認する。

(しかし不思議だ。この世界をどれだけ荒らそうとしても霧が出れば一発元通りなのに。何故あの用水路や境界壕のような組合管理の造成地はそのままなんだろう?やっぱり答えは組合が管理する機密指定の中か。)

視界の半分が枝と細い葉で塞がっているものの、青い沼地の迷路は曲がりくねって緑の迷宮へと続いている。そうこの地上は組合が管理する果樹園の水源であり、遠方へ続く天然の迷宮内浄化環境(湿地流域)は夕暮れ時でも色鮮やかな光を蓄えている様に見えた。

そして一瞥してから役目を終えた狩人は樹から降りて藪の中に消えてしまう。未だ狩人の記憶を追いかけては迷宮の真の姿を知らないまま走り続ける。


水竜。成体は大型の竜種(魔物)に分類されている湖深層の覇者。基本的に単独で行動するが死期が迫ると表層まで上がって来る。幼体から成熟体を経て成体へ進化するが、ほぼ大半の個体が何等かの要因により先天及び後天的に異なった形状に変化する。


それからエグザムが福音の翼本隊と合流できたのは、虚構世界から光が完全に消える直前の午後七時を過ぎた直後。現実世界で晴れている日なら鑑賞出来るだろう天空樹が夕焼けに赤く染まった時間帯だ。

「まったくうちの座長は変な所でぬけてるんだから 今日はフクシを代わりに店へ行かせて正解だったわ」

疲労と呆れを内包した愚痴が隊列の頭から聞こえ、目を夜目に変えるため木々の闇を凝視しながら最後尾を歩くエグザムの耳を遮った。

「そう言うアーシアだって道を何度も間違えたじゃないか やっぱりエグザムに最後まで先導を頼むべきだったんだよ」

自慢の炎で明かりを灯した燃焼型照明具(ランプ)を左手に持ちながら眼前の闇へ睨みを利かせるアーシアと、すぐ後ろを歩きながら魔導書に挟んだ簡易地図と睨めっこしながら反論したウラヌス。夜間にも関わらず陣形を単純な縦列にして高さ四メートルもある狭い高台を歩くのには訳があった。

「こんな時も夫婦喧嘩かいナ 少しその元気をワイにも分けて欲しいワ」

隊列の真ん中を歩きながらも短銃形式の魔導銃を指で回して弄ぶグラッグ。独特な訛りを多分に含んだ仲裁で前の喧騒を鎮めようとしたが改善効果は無く、逆に熱くなる会話の火に更なる油を注いでしまい、独り無口なエグザムは謎の疎外感を感じ始める。

「アーシアちょっとは静かにして それと大丈夫よウラヌス 貴方が怪我したらそこのお転婆娘より先に癒してあげる」

普段は無口な深緑族の双子の姉が喧騒に参加しては必然的に弟の方も黙ってはいない。この二人はウラヌスに対し友人以上の感情を抱いているようで、過去に何かしらの出来事があったと窺える。なにより見ず知らずの第三者から見れば双子同士、仲が良いのか悪いのかはっきりしない謎の間柄に見えてしまうだろう。

(この二人は俺の知っている深緑族とは容姿が違うな。それに北部には古い血筋を受け継ぐ一族がまだ残っていると聞いた事が有るが、とても一般的な北部民族とは思えない。)

出会って間もないにもかかわらず、短い時間と少ない会話で福音の翼内の相関関係を知ってしまったエグザム。ウラヌスを中心とした疑惑の数々を前に歩調が少し遅くなった。

そんなエグザムを心配してか、それとも召喚士ならではの性格がそうさせたのだろう。エグザムの前を歩いているアリィが歩みを遅らせエグザムへ顔を向けた。

「みんな騒がしくてごめんね それに慣れてないと耳が疲れちゃうし場違いだよね ウラヌス君はいつもあんな風にだれかの面倒事を押し付けられているようで頼りなく見えるけど ちゃんと私達部員全員が役目をこなせるよう気を配ってくれるの 言ってみれば色んな顔を持つ役者さんと同じ おかげでグラックは街で出会う時より元気が良いのよ」

昼間にエグザムはアーシアの屋敷から行政区へ歩いて移動中に、マコトからグラックとアリィが幼馴染である事を聞かされていた。その時ホモリスが耳元で両者の関係が片思いで留まっている情報を教えてくれたので、エグザムはアリィの頬が淡い炎に照らされ若干赤くなっている事に気づいた。

「そうだな 俺も迷宮をじっくり観察する機会が増えて良かった」

滅多に表情を表に出さない自身にとって、歪ながら浮かべた愛想笑いが闇夜に向いていたのは幸いだったと後に気づく。何故なら今のエグザムは純粋な炎を警戒して此方を見たまま微動だに動かない複数の影を警戒しているからだ。

(樹の上からは見えなかったが他の境界壕の壁に無数の水竜が張り付いている。おそらく脱皮している最中だろう、この道も安全とは限らないな。)

魔物は共通して魔法に反応する性質を有す獣だと一部の生物学者が唱えている。迷宮のみに生息し迷宮が死ねばそこに生息する全ての魔物は絶滅すると断定されてもいる。だからエグザムはユイヅキを迂闊に具象化出来ないし、福音の翼の誰もが魔物を寄せる魔導具由来の光源を使用していない。

(でもまあこの探索部に新参は居ても素人や新人は居ない。ある意味この少数精鋭を体現しているのは血統の証左が成せる業か。あともう少し我慢すれば全部杞憂に変わるしな。)

エグザムは視線を空に移し月や星が存在しない虚構の空を見上げる。探索街に来てから一ヶ月近く暮らし大半を迷宮で過ごす様になってからほぼ欠かさず観察するようにしている夜空が、アーシアとマコトが持つ只の照明具の光で更に暗く霞んでいる。


第七話「光と影」

翌朝の午前七時前、場所は巨峰園東側湿地口前の魔法の輪。昨日に続き湿地流域調査に向かう福音の翼一行は、あと数分で閉鎖解除される頑丈な鉄柵門越しに島内で有数の危険地帯を眺めている。

昨日の現地解散前に本日の探索予定を決めていた所為か、誰も愚痴や欠伸を吐く事無く無口なまま時間が流れてゆく。なにせこれから向かう流域は蜜の花世界で最も複雑な地形なのが特徴で、廃墟や瓦礫含め旧探索施設すらない天然洞穴と岩場だらけの場所なのだ。

「こんな時間に探索者が来るなんて珍しいな 後一分で開けるから心の準備をしておけよ」

枯れた声を耳にした一同は振り返ると、敷地内の作業小屋から門の施錠を解く鍵を持った中年作業員歩いて来た。無用心にも開けたまま扉か何の前触れも無く傍を通り過ぎるその作業員はとても守衛には見えない。

「岩窟内の調査と魔物の駆除を頼まれまして 来年新星暦(新時代)を迎えるとか何とかで組合も忙しいのでしょう」

ウラヌスと作業員の会話を聞きながらエグザムは、既に何度目かの深呼吸を行い心臓の鼓動が聞こえてこないよう平静を装う。

(新星暦か、馬鹿馬鹿しい。それより俺たちが敷居を跨いだらあいつは直ぐに門を閉じる気だろう。あぁ誰か代わってくれねえかなぁ。)

既に具象化しておいた無骨な一体弓を握る左手が少し震え、エグザムの脳内で昔の狩りの記憶が再生される。

(罠を仕掛けたり待ち伏せするのは得意だけど、俺が直接巣に飛び込んで狩れる獲物は小動物までだ。正直勝算の無い無謀な狩は絶対全力で遠慮したい。)

セフィロト北部から中部の森には森荒らしと呼称される大型の四足獣が生息している。捕食獣として凶悪な牙や爪はさることながら全身に体毛が変化した長く鋭利な棘を纏っており、縄張りに何が入ろうが積極的に襲って来る。冬場では時に輸送用導力車を横転させ物資や搭乗員を食い散らかす事もあり、林業従事者や狩人が最も注意を払う存在だ。

(俺ももう小柄な体ではなくなった。あの時のように樹に昇ってやり過ごせる保証は無い。)

裏門とも言えるこの通用口でも湿地との出入りが多くなる時期が有るようで、福音の翼一行の足元含め園内へ湿地の土が混じらないよう敷地内には相当量の砂利がばら撒かれている。エグザムは鉄柵がゆっくりと開ききるまでその場にて足踏みをしながら靴底の金具や敷板の感触で気分を和らげた。

(みんな) 正午過ぎまでに終わる事を願って 手順どおり行くよ」

ウラヌスの声はいつもより低く、同様に部員全員の返答も短かった。現実世界なら朝日が天空ジュの東面を照らし大地に巨大な影が浮かび上がる時間帯。たった八人の新進気鋭探索部による大仕事が始まる。


島北部の地形。島の中心に位置する樹海から北側へ扇状に広がる湿地流域。そして樹海から北東へ連ねる石灰岩を中心とした岩窟地帯が幻想湖まで達している。

まだセフィロトに鉱業主体の一大産業が存在した時代、幻想湖に囲まれたこの地で様々な採掘技術が試され多くの計画が頓挫したことで有名だ。


腐葉土が堆積した岩場の竹林を蛇行しながら駆けるエグザム。足の裏に伝わる地面の振動から見えない敵の位置を探っていた。

(近い。また此方から誘き寄せてやるよ!)

エグザムは右足の爪先で土を抉るように踏み込み、わざと転がり大地に膝をつけた。するとどおだろう。今まで地中を移動していた複数の存在も動きを止め、空中に舞った無数の落ち葉が落ちる中で唐突な我慢比べが始まってしまった。

(見えない相手に魔法で対処するのは愚策。結局また狩人として戦えというのか。)

エグザムは腰に指した数本のナイフから三本を選んで慎重に抜き取り、腕の力だけを頼りに前方の空へと投げる。重心が刀身の半ばに存在する刃渡り十三センチの黒い鏃は、竹林の天辺まで届くと自由落下を始め直ぐに音も無く腐葉土に刺さった。

【対象:竹の子】

全てとはいかなかったが、目論見どおり二体の植物系魔物をおびき出す事に成功したエグザム。勢いよく地面から飛び出し虚空で独特な体を晒す間抜けな一匹目掛け飛び上がった。

(聞いたとおりイカに似ている。こいつが食えてそこいらの竹が食えないなんて、なんか勿体無いな。)

地中を移動する時は先端を円錐状に尖らせ、獲物に刺さると複数の節がささくれてカエシとなり引っこ抜けなくなる。後は獲物の体内で肉をすり潰しながら血肉を啜るのがこの魔物の特徴で、エグザムは逃げている間も両腕の中で暴れる竹の子の体表にナイフを突き刺し身動きを封じる。

「こいつで最後だ 俺一人でここいら全部収穫するには命が幾つ有ってもたりねぇ」

来た道の岩場や落石の間に身を通らせ、ごく自然と魔物に見つからないよう気配りを欠かさないエグザム。ここ最近酷使してますます傷が増えた皮鎧より、適格だからと独りに集中したノルマを果そうと最後の復路を走った。

(狩人の経験が役立つのは嬉しい。ただ折角の魔法を使えないと何のために迷宮に潜っているのか解らないな。)

竹の子は粘菌系の魔物が竹の地下茎に寄生することで誕生する派生型魔物だ。常時地下に潜伏し地上を通過する獲物を感知して飛び出して来る厄介で面倒な嫌われ者。また、エグザムとは別行動中の他の部員も、木の子と呼ばれる竹の子と発生理由が同じ植物系魔物を探している最中なのである。

大きな一枚岩の上の凹んだ場所に戦闘には不要な装備含めた荷物を置いただけの中継拠点に到着したエグザム。寒暖差が激しい迷宮の為に用意した無煙炭棒が積まれただけの火が無い篝火を見て舌打ちする。

「まぁいい 俺の勝ちだ」

直線距離なら三百メートルも届かない移動距離でも、岩場の間に点在する林や洞穴を迂回して即席拠点を目指すとなると時間が多く必要だった。それでもエグザムは目標とする最後の二十匹目を運び終え、他の部員の誰かが用意した最後の縄で竹の子を縛る作業を始めた。

「ほらほら 地面だぞ地面 逃げるなら今のうちだぞ」

エグザムは片膝をつき鋸状の円錐部が下になるよう竹の子をひっくり返すと、固い岩盤へと鋭利な先端部を何度も叩きつけてる。当然魔物といえど痛覚が有るので、竹の子は胴の節や軟体関節を忙しなく動かしのた打ち回り最後の抵抗を試みる。

(急遽追加されたとは言え、駆除依頼にしては生け捕りにする理由を俺達に秘密にするのは何でだろう?必要数が少ないから小間遣いの探索部に宛がったのか? それでも正式な依頼だから組織内の横流しにはならんな。)

白く濁った体液を先端の傷や植腕の根元から垂らして抵抗を諦めた竹の子。エグザムはそのまま見過ごす事無く根っ子らしき植碗部も拘束してしまうと、割られた薪と同じ要領で積み上げられた竹の子たちの最上部に置いた。

後は他の部員が拘束した木の子を持ち帰えって来るのを待つばかり。手持ち無沙汰だからと白い空を眺め続ける訳にいかず、エグザムは自身の荷物からマッチを取り出し無煙炭棒に火を点けた。

「おうおぅどんどん燃えてく 一本一千G(ゴールド)はすげぇな」

お高い火遊びがエグザムの心を童心へ誘う。福音の翼に加入してから一日しか経過していないにも拘わらず、口調が独りで探索に励んでいた数日前より軟らかい。

それから十分ほど赤く発熱する小さな篝火を無心で眺めていると、南側の岩肌の裂け目から物音と微かな話し声が聞こえきた。

(俺が先に魔物狩りを始めたとは言え、たった十匹仕留めるのに時間が掛かり過ぎだろ。)

そう考えながらもエグザムはあえて着火せず放置しておいた野ざらしの無煙炭棒二本を荷物入れに隠した。

「其処は暖かそうだねエグザム 僕と一緒に木の子を片付けようか」

先に裂け目から姿を現したホモリスが冷えた体を温めようと近寄って来る。右手は黒色系の樹を削った大きな杖で塞がっていて、左手に丸太の様に大きな茸を抱えていた。

「死んで いや無力化しているからと言ってあまり近づけると変態化して戦利品に変わってしまうぞ」

エグザムは疲れたホモリスの為に場所を代わり、興味本位ついでに始めてお目にする巨大な茸を手に取り観察する。

(こいつは共生根菌族の枯葉茸(かれはだけ)にそっくりだ。これだけ大きな茸が現実に存在したら、一本何Gで売れるんだろう?)

残念ながら竹の子含め植物系の魔物から採れる戦利品のうち、そのまま食べれる素材は極めて少ない。そもそも迷宮世界内の食用素材は現実の食材と殆んど同じ生態環境を築いている。その所為でなおさらエグザムは魔物を生け捕りにする行為に疑問を感じてしまうのだった。

エグザムは考え事をしながら大きさや種類も違う木の子を縛る手伝いをしていると、唐突に左真横から小さな木の子を投げ付けられ言葉に成らない悲鳴を上げる。

「ちょっと燃えてる無煙炭が八本だけじゃない 残りの二本を何処に隠したのよ」

エグザムはネコババがばれた衝撃と驚愕で硬直してしまい、富豪の癖に値段がどうのと喚くアーシアに何と言おうか言葉を詰まらせてしまう。

「あ あのね 実は俺の個人的な探索の時に使えるんじゃないかと思いついんだヨ」

更にエグザムは何か言い訳を考えながら周囲へ助け舟を求める視線を送ったが、皆疲れているようで誰も瞳を篝火から離そうとしない。そしてアーシアの右手に青い炎が灯ってしまい、仕方がなく諦める事にしたエグザムは溜息をついてユイヅキへ手を伸ばした。

「このまま秘密にしようと思っていたけど なにかの縁と考えて話しておこう」

謝罪よりも先に武器を手に取ったエグザムを見て露骨に警戒したアーシア。そして更に勢いよく燃える冷たい青い炎を見て冷や汗を流しながら、エグザムは自身の荷物入れに隠した無煙炭棒を一本だけ取り出した。

「昨日紹介したとおり 魔法の弓(魔法品)であるこのユイヅキは必要量の魔力なり気力を注げば対象を強制的に変態化させる()()()()矢を放つことが出来る ただしあの時はユイヅキの真の能力を隠して伝えていた 俺も探索者の端くれだから事情は察してくれ 今から俺の演舞を披露する 皆の前で能力を使うのは今回だけだから他言無用だぞ」

慌ただしく口を動かしながらも、問題の無煙炭棒を皆に見せ付けるように眼前へと掲げたエグザム。最後の締めにと己の相棒の名前を口に出す。

【生成:無煙炭鏃】

直径四センチ長さ十3センチ弱の黒い棒が瞬き程度の一瞬で光ると同じ形状の発光体へと変わる。そして驚きもう一度瞬く七人の目の前で、(やじり)と言うより銛の先端に近い形状の何かがエグザムの右手に出現した。

「これは一本千Gもする便利な合成炭から生成した燃える鏃だ 上手く生成出来たのなら棒表面に塗られた摩擦発火剤による自己燃焼作用も再現できている筈 火が苦手な魔物相手に魔力を使わずコレを射ればどれだけ有利に倒せるだろうか」

エグザムは試しに(やすり)状になっている革靴の踵側面に無煙炭鏃を擦り付けた。

するとマッチを擦るのと同じような音が静寂に響き、淡い光に照らされたエグザムの皮手袋を炎が焦がす。それまで口を閉ざして視ていた七人はエグザムが熱に耐えきれず篝火に鏃を落としてから一斉に思い思いの言葉を口にする。

「ちょっと その弓貸しなさい 一体何処から仕入れてきたのよ」

一本千G(ゴールド)する炭の事など忘れたような口ぶりでエグザムの左手から金目の物を奪おうとするアーシア。ユイとアリィは一言程度の短い感想を言い終えてから燃える鏃を観察し続け、マコトは笑みを浮かべながら丸眼鏡に炎の光を反射させる。

「なあホモリス 今の演舞(隠し玉)はどんな(まじな)いなんや」

詰め寄るグラッグの問いに答えが出せないのか言葉を詰まらせるホモリス。そしてウラヌスは何故か笑っていた。

「皆と違い俺は孤児院出身のよそ者 探索者としての才能や知識量はこの中で最底辺だろうし 何等かの能力を継承した血筋とも違う只の狩人だ もっとも 孤児院出身者の一万に連なる独りとして 自主独立への渇望は負ける気がしない」

本物の狩人に師事し十三年と九ヶ月の半分を森で過ごしたエグザムは、生活水準が世界一豊かな北方大陸西端の国「ゼントラン」出身のアーシアと同じ目の高さで張り合おうとした。

「私は探索部の補給担当なの だからあんたの意思なんて関係ないのよっ」

まさか自らより細い体の女の子から手を出してくると考えていなかったエグザム。アーシアの素早く的確な足払いを受け平らな岩肌に尻を打ちつけ転んでしまった。

「アーシア 次は僕にも見せてよ」

何時の間にかマコトは明らかに形状が異なる楕円系の眼鏡を掛けていて、といつもの丸眼鏡を胸ポケットに差し込んである。そしてアーシアの後ろにマコトが立った瞬間、他の部員もユイヅキに興味を引かれ立ち上がった。

体勢を崩された拍子にユイヅキをアーシアに驚異的な力で奪われ結果、エグザムはただ呆然と状況を見守りながら考え事を始める。

(まるで斜面から転がってきた丸太に足を取られた感じだった。火炎系統の魔導操作に長けた魔法遣いと思っていたが、皆からお転婆姫と言われている辺り、育ちの良さと体の方も只の貴族令嬢とは違うようだ。)

エグザムは己の柔軟性とは異なる肉体的剛性を伸ばす経験をした少女を観察しながらも、己の相棒が何の反応も示さないまま他人の手へと渡り続ける光景を見守った。

 

ゼントラン。神話として語り継がれる二千年以上前の災厄から逃れた人々が築いた大国。現代世界に現存している五大迷宮の一つ「巨神像」を首都に据えている。


(ハルゼイ。何故俺にユイヅキを託した。やはり俺が成長期真っ盛りの新人だからか?)

南北へ連なる無数の岩肌を一望できる高台を真南へ歩く一行。その最後尾で退屈しのぎに自問自答していたエグザムは足元の小石の中に緑色の欠片を発見した。

「なんだ石ころか」

しかし緑色の鉱物を含有した小石に見えるそれに啓示は反応せず、エグザムは現実に持ち帰れない不要物を捨てて再び歩き始めた。

現在の時刻は午前九時半を過ぎたばかり。南西の遠方を見れば白い蜜の花が塔の頂上で咲いている。捕獲した魔物を臨時の野営地に置き去りにしてから既に一時間、福音の翼は視界内の頂上目指し着実に岩場の斜面を登っている最中だ。

(流石にここまで登れば採掘小僧は出てこないだろう。野生化した魔導人形なんて代物が存在するのは迷宮だけだろうな。)

岩の階段を登りながら前を歩くアリィの下着から目を逸らしたエグザム。なにせ異性の探索装備に疎い身なで短いスカート下から覗ける黒い下着が重ね着した水着だと知っている筈もない。当然、探索装束に学生服を選んだのかと口に出す勇気も無かった。

(しかし凄い数の岩山だ。これが全部鉱山なんだから立ち入り禁止になる筈だよな。俺が生まれ育ったマルマルの鉱員達がこの光景を見たら何と言うのかな?)

一行は自然環境が作ったとは考えれない造形の長い天然石階段をようやく登りきり、周囲の地形を更に詳しく観察しようとした時その風が舞い降りる。

「上から風見鶏(かざみどり)や こっちに来るぞエグザム」

打ち合わせどおり上空を警戒していたグラッグの声がエグザムの鼓膜に響いた。エグザムは素早くユイヅキの弦を引き気力を振り絞ると、赤い鶏冠をはためかせ飛来して来る白い標的を狙う。

【対象:???】

ユイヅキを引く狩人の薄紅色の頭髪が更に赤みを増して発光すると、同時にユイヅキの弓本体に内蔵された円状の水晶体が青紫に輝く。エグザムが福音の翼の一員として探索中の脅威に対しユイヅキの力を行使するのは今回が初めてだ。

一方の風見鶏は風を操り上空から獲物を切り刻む岩窟地帯上空の覇者。光物に執着する習性が弱点として知られている。なのでエグザムは風見鶏が己を攻撃対象に選んだと直ぐ理解し、白い筋を残しながら急降下して迫って来る標的との射線を同調させる。

(当れ。)

風見鶏はエグザムを狙って風の刃を発生させようと僅かに羽ばたいて気流の渦を発生させる。しかし対象に変態化を強いる魔法の矢は風見鶏の反応速度を上回って放たれ、攻撃動作中だった風見鶏に逃げ場は無かった。

【討伐:風見鶏】

相対している標的を一撃で撃破可能な分の気力をユイヅキに注いだエグザム。消え行く光の粒子を見上げながらも、思考が鈍った頭で配分を考慮せず消費した魔力をどうやって回復させようか考え始める。

「アリィ 早くモモ肉くんを召喚してっ 貴重な魔結晶が崖下に落ちちゃうよ」

マコトとアーシアは戦利品回収の為に呼び出されたアリィの使い魔へ方向を指示しながら叫ぶ様子を観察する。探索街では技師見習いでもあるマコトにとって魔物から獲れる全ての戦利品はパン屑より貴重な物らしい。

「どうしたんだいエグザム もしかしてもう魔力切れなのかい 空の魔物はまだまだ居るだろうし 君が希望するならここで補給するよ」

そう微笑みながら近付いてきたホモリスにエグザムは若干の恐怖と寒気を感じながらも、差し伸べられた白い右手を手繰り寄せ強く握り返す。するどうだろう。まるで寒さで縮こまっていた手足が、弱っていた心臓の鼓動が活力を取り戻して躍動を始める。

「これが生命の胎動 いや 始動する感覚だな」

内心で「毒も(のろ)いも使いよう」と古くから伝わっていることわざを反芻させながら立ち上がるエグザム。足腰に暖かい新しい血が充填される様な不思議な感覚を骨の髄まで楽しんだ。

「ありがとうホモリス 今なら風見鶏を二体同時に相手できそうだ」

エグザムには返答の代わりに微笑んだホモリスの肌の白さが少し気になった。なによりホモリスの右耳越しに姉のユイが此方を見ていて、狩人の鋭い視覚は不安そうに(ひそ)められた姉の眉を見逃さなかった。

(本当にこの二人は生者(せいじゃ)に見えない 単に肌の色素が遺伝ではなく色素異常だからか? いや違う。きっと俺が知らない何かが有る。)

これまでの道中遭遇した雑魚は基本的に(アーシア)弾丸(グラッグ)が一掃し、必要に応じて(まじな)い士のホモリスや魔導士のウラヌスが安全確保に手助けしていた。無論索敵は全員で分担するが、大型や危険指定された特定種等を除いて空の安全はエグザムのユイヅキで対処する手筈に決められている。

「みんな隊列を組んで あと少しで頂上だから休憩はそれまでお預けだ」

既に見えている目的地までは気を抜けない。ウラヌス号令に従い速やかに定位置に戻ったエグザムは後背の警戒を再開した。


風見鶏(かざみどり)。首と足が長く純白の羽毛を纏った大型の魔物。平均的に体長は二メートルを超え翼を広げた全長は六メートルに届く。飛ぶ姿はとても魔物らしく、風属性の魔法で気流に干渉して自由自在に飛行する。


天空樹の迷宮世界である花園の気温は、現実世界の気象環境に左右されがち。一説には天空樹自体が巨大な熱交換機能付きの煙突だと論する声も有り、迷宮につき物の噂やほら話を助長させている。つまり標高が僅か百メートル足らずの岩山の頂きに居ても、天空樹が聳えるセフィロト北部高原より更に気温が低い訳だ。

「相変わらず少し登っただけでもこの冷え込みよう だれかなんとかしてくれへんかな」

岩に腰掛けて双眼鏡で西の湿地を観察しているグラッグの呟きに内心では同意するエグザム。ただ高所から周囲を観察するだけの調査にどれだけ労力を費やしたのかと考え、溜息と欠伸を堪えて身を震わせた。

(南の樹海に逃げた水竜の姿は無い。そもそも中型の魔物(幼体)と言っても霧で住処から弾かれたら使徒か別の魔物の餌食になるだろうに。夏になれば他所からの探索者が探索街にやって来るから、それまで当分は組合の雑務消化の手伝いか。)

退屈さに飽きてしまい、双眼鏡を下ろし裸眼で遠方の風景を眺める事にしたエグザム。一回の瞬きを二回連続させる感覚で眼球を意識すると、遠方の樹海の中に埋没した廃墟の一つが鮮明に認識できた。この能力は探索経験による魔法能力ではなく、狩人時代に先人の知恵と技術によって獲得した遠視能力。それは視界を拡大させる常人ではどんなに訓練しても到達不可能な異能と言える。

「なぁエグザムそっちには目ぼしい物か何か見えるか 異常が無いなら場所換わって欲しい ワイは虫が沢山詰まっとる光景ばかりで気色わろうてならん」

俗に古代文明の残滓とも言われている廃墟や放棄され朽ちた探索施設の瓦礫と残骸。仮にそれらが現実世界で健全に機能していたのなら、セフィロト国内では建築基準を逸脱した建物として破壊される。

「すまんグラッグ 俺も昔色んな虫を食わされた出来事を思い出したくないんだ」

エグザムは肩が接触しそうな程の間隔で隣に座っているグラッグにあえて見向きもしなかった。だからグラッグの脳内に新たなトラウマ(昆虫食)を植えつけてしまった事実すら知らなくて済んだ。

「なあグラッグ 今度は俺が質問しても良いか」

若干覇気が無い了承の返答が返ってきたものの、エグザムはグラッグと出合った時から気になっていた疑問を述べる。

「探索部と言えどあの姫さんのお蔭で資金は十分あるんだろ 危険な此方に来るのになんで(みんな)普段と殆んど変わらない服を着ているんだ そしてグラッグのその格好には何か意味が有るのか」

探索者が身に纏う衣服は大抵軽装の鎧類や様々なポケットを追加した装具ばかり。各自で役割を分担して用途別に纏めた装備を雑多に背負い魔法の輪をくぐる。時に異国情緒漂う集団や偏った性別で纏まった探索団すら目撃していたエグザムにとって、装具に探索街の一般学生服を纏うマコトとアリィや双子と、限りなく黒に近い色の単純な長袖長ズボンを履いたグラッグの装束が意味不明に見えた。

「なんやエグザムもこの恰好に突っこむんか 案外図太い神経しとるな あぁエグザムは南方地方の田舎出身やったな 折角やしワイの探索魂を教えちゃる」

そう言うとグラッグはエグザムの背後で腕を組み姿勢を正した。

「三年前に親が離婚して(はな)(なば)れに成ってしもうたがワイには歳が二つ下の妹が()る 何で親同士が喧嘩別れするはめに成ったか今でもよう解らんし親父もなんも言わん けど妹に約束したんや  それぞれの道をしっかり生きていづれ探索者として名を残そうてな この服はマコト達と同じ学校から支給された運動服の一着や 通っとるのは探索街の学校やからこの花園でも十分に活動出来るよう頑丈に出来とるぞ」

背後で剛性皮の靴底が小岩の荒い表面と擦れる音が聞こえ、グラッグの息遣いが頭の上から聞こえてきた。淡白な性格のエグザムではグラッグが立ち上がった理由を想像できず、グラッグと一緒に座っていた小岩から勢いよく立ち上がってしまった。

「せやからこの服を うぉっお」

二人が椅子代わりに座っていたその小岩は元から裏側真ん中の突起を支点に左右どちらかに傾いており、片方の(エグザム)を失えば残った片側(グラッグ)が傾く勢いで転ぶのも物理法則どおりと言えた。

エグザムは岩から転がり落ち体を強かに打ちつけただろうグラッグの傍に素早く詰め寄る。

「おい大丈夫か やっぱりその運動服だけじゃ十分な守りとは言えないんじゃないか」

そんな疑問或いは正直な感想を述べて差し伸べられたエグザムの手を握るグラッグ。表情は痛みで歪んでおらず、どちらかと言えば恥ずかしさを抑えるのに精一杯の様子だ。

「恥ずかしい話言うとワイは運動がいまいち苦手でな この強化繊維だか何だかが編まれたこの運動服を着ないと満足に探索出来んのよ けど何かしらの問題を抱えとる同期も居る 独りで勝手に体質やからと割り切れば済む話やが 結局ワイは納得できへんかった そんでこの容姿で汚名返上がてら成り上がってやろうって考えた」

再び不安定な小岩に座った両者は双眼鏡で遠方を観察しながら会話を進めた。エグザムにとっては探索街の子供がどの様な過程で成長するのか、その一端を垣間見る事ができた。

(この街の探索生は中期課程から迷宮に潜るのか。司祭が言っていたとおり現代の探索血族は確かに減少している。それでも潜在的に継承された能力を生かして迷宮に潜れるのなら、若しかしなくとも何千年も前に存在した伝説上の存在を目指す事も可能かもしれない。)

それは(したた)か過ぎる打算だと考えたエグザム。この時ふと己の探索生涯をただ富の為だけに集中させるべきか悩み、己が知る範囲で一般的な探索者と現在の自分が既に別々の存在だと気付いた。

「なぁグラッグ 黒い運動服の銃遣いが黒い弾丸なら 髪が薄紅色に変質した色黒の狩人は自分を何て呼ぶべきだろう」

エグザムは遠方の樹海境界を東へ移動している小さい獣型の魔物の群を遠視で観察していた。その群は何かに追い立てられている様子は無く、かと言って倒木や茂みに隠れながら苔むした腐葉土を走っている訳でもない。夏のマルマル近郊の森に狩りで数日滞在すれば見かけれるだろう、小動物の親子が餌を探して雑草を掻き分けているのと同じ光景だった。

「そうやな 二つ名っちゅうのはやっぱり真正面から己を直視されて始めて理解される称号やからな ワイだったら此れからの成長を期待して紅い変質者なんて名にする 勿論変り種である点を強調するんや ほら紅い変質者って言ってみぃい 例え百回笑われても百回言い続けれゃ誰かが覚えるだろぅ」

やはり自身が他の探索者より風変わりに見られている事実を実感したエグザム。そして話し終える前に笑い声を洩らしたグラッグに殺意が芽生えた瞬間でもあった。


マルマル。乳飲み子だったエグザムが孤児院に預けられてから育った山間部の町。前身は七百年前の第二次産業革命期初頭に誕生した人口三千人規模の鉱山都市だったが、現在は林業を中心とした人口二百人程度の農村。歴史資料の古地図にはマルガネマルキンの名で登記されているものの、意味や由来を知る者が居ないので誰もその名で呼ばなくなった。

  

頂上での観察を以て全ての湿地流域調査を終えた福音の翼。帰り際に回収した木の子竹の子を各々で分担しながら果樹園の東通用口まで運び、予定どおり正午前に組合員へ報告を済ませて現地解散となった。

「じゃあまた明日の朝八時ごろアーシアの屋敷に集合してね」

そう告げたウラヌスは組合員と協力して生け捕りにした魔物を持って果樹園の敷地内に消えた。

「さて 今日は夕方まで学府の授業よ皆遅れないでね 特にグラッグ 次遅刻したら風紀委員の私も叱られるんだから お弁当抜きじゃ済まないわよ」

グラッグはアリィに睨まれ居心地悪そうに勘弁してくれと愚痴ったが、ホモリスとユイが一緒に魔法の輪に入る姿を見た瞬間、何かを思い出したようでマコトと一緒に出口に飛び込んだ。

「やれやれ あの二人も私を見習って真面目に勉学に励めば良いのにね 貴方も時間を有効に使わないと色々損しちゃうわよ」

真横からやけに大人びた発言で忠告してきたアーシアに対し、意表を突かれたエグザムは不思議そうな顔でふてぶてしい青い瞳に問いかける。

「あんたも学府に行くんだろ その装具では脱ぐのに時間が掛かるだろうし 今から仕度をしないと遅れてしまうぞ」

エグザムは非常に目立つアーシアの装具、明らかに北方大陸中央機動軍の機動兵器搭乗者用の衝撃防護服を流用したであろう紅い装いを指差した。

「あぁあ ここに世間知らずな馬鹿が居る 私はね 中等どころか大学府課程も修了している立派な知識人なの つまり解るぅ わざわざこの街の学校に通う義務も必要も無い大人なのよ あんたと違ってねっ 折角だから私の称号の意味も教えてあげるわ」

鼻を爽快そうに鳴らし高らかに宣言したヒリュウ・アーシア・クレムリン。言葉を濁すエグザムへ追い討ちをかける様にわざわざヒリュウの意味も教える。

(最初に名前を聞いたとき呼び辛い名だと感じたけど、まさかグラッグのような二つ名を公然と名前の前に名乗る女の子がいたとはな。世界って広いな。)

エグザムは思春期特有の勘違いをしているが、ヒリュウの称号は特定の格闘術と火炎属性魔導具の取り扱いを習得した者にゼントランの迷宮探索組合から送られる士格技能称号。この称号制度はかつて天空樹の探索組合にも存在したが、五百年前の探索業解放政策により廃止されている。

「それって凄いな へ~ 権利ってのは金とは違うんだね う~ん」

胸と腹を覆う金属製の厚い胸甲と肩を保護する保護装甲、そして背中と手首足首に足の裏以外は値段が高そうな気密密着型の整形保護膜で覆われている。流石は外国貴族のご令嬢と言うべきか、高級高機能な装備に目がないエグザムはアーシアの体を隅々まで調べてみたい衝動に駆られた。

「そう言えば行政区の円環上層で売られていた高級魔導服の中に気密密着型の最新軽量版が飾られてたっけ この装具も幻想湖深層の濃密区画に対応しているの」

アーシアは自身の胸甲に触ろうとしたエグザムの無骨な籠手先を払った。

「私に触らないで 私はバネ人形みたいなあんたなんて魔法を使わなくとも再起不能にしてやれるんだから ちゃんと理解した これは忠告よ」

言葉を言い切る前に魔法の輪に向かって歩き出したアーシア。途中で赤と白の対になった二つの髪留めを外し、赤毛に生え変わる前の長く薄い麦色の後ろ髪を背中に張り付かせたまま暗黒の鏡に溶け込んで行った。

エグザムは特に理由も無く己の髪を逆撫でる。

(何時の間にか髪が伸びていたお蔭であの時髪が発光したのを確めれた。髪や爪は魔力を吸収しやすい性質があるらしいから、俺もアーシアくらい髪を伸ばせば魔力容量が増えるかもしれない。どの道今の俺には選り好みをする余裕すら無い。一日ぶりにマイに会いに行こう。)

その場に最後まで留まっていたエグザムが歩き出し、建築資材や骨組みの横に出現している魔法の鏡に姿を消す。そして柵で閉じられた東通用口付近の敷地内には誰も居なくなった。


学府。一般的に初等部から高等部まで統合された繰上げ式の教育施設(基幹)を示し、探索街や交易都市の様に国の行政府が出生数や在住登録数に制限を課している都市に存在する教育制度を指す。


二十九日の午後二時半前。探索装備の大半を宿に預けたエグザムは商業区の上層、行政区との境に成っている露出した天空樹の巨大な根に渡された階段を登っていた。

「毎日円環から登って来ると足腰がさぞ鍛えられるだろう あの高台から直通の滑り台や階段でも作れば楽に来れるだろうに マイは錬金術で真面目に商売する気が有るのか無いのかまったく中途半端だ」

世中の都市でも迷宮の探索街は古くから奇怪な場所として知られており、あらゆる国や経済圏が独自の法や暦を制定してきた歴史の中でも独自の「星暦」文化を持つ歴史ある街なのだ。

ようやくエグザムはマイの工房が在る高台の建築区画に辿り着き、金属製の手摺から真新しい木版の階段を見下ろしながら呼吸を整える。天候は春先の快晴で暖かく、これから会うマイの為だけに皮の上着を脱いで汗ばんだ白いシャツを乾かすのも忘れない。なにせ容姿と年齢を偽装した自称少女は毎日清潔な環境で神経を尖らせながら大釜を掻き混ぜなければ移住資格を剥奪されるので、生活より錬金術を優先した結果、アトリエの候補地は天空樹の清潔な水道を最初に享受出来る街の建築区画(高台)にしか無かったそうだ。

(上の街の風は澄んでいて気持ちいい。こんな天気が続くのなら毎日荒い物を干すのも悪くないな。)

体を翻し欄干の手摺に背中と肘を預けて仰け反ったエグザム。頭上の遥か先、霞んで見える天空樹の枝が葉の如く方々(ほうぼう)へ伸びて影を纏っている光景を漠然と見上げる。まさに普段人が登ってこなく当然人影も無いので他人の目を気にせずに居られる貴重な時間だった。

突如、乾いた爆発音と共にアトリエの二本の煙突の片方から白い蒸気と思しき噴煙が立ち昇る。それはこの二週間の間に幾度も見てきた錬金術の失敗風景と似ていて、エグザムの脳内に工房内の調度品が散乱している光景が瞬時に再生される。

「今回は随分上まで上がるな 新種の危険物(薬品)でも調合していたのか」

エグザムは歩きながら狩人装束の上着に袖を通して襟を紐で結ぶと、マイから貰った赤い手提げ鞄を隅々まで見て汚れが無い事を確認する。なにせ部屋の窓や換気口が一斉に開けて大量の白い煙を吐き出している工房の主に用が有るからだ。

(マコト曰く、俺の毛髪には遺失物以上の価値が有るそうだ。ならば当然その価値とやらを究明し、俺の体に起った異変の正体を解明してやろう。)

他力本願な決意を胸に木製の扉を開けたエグザム。しっかりと呼び鈴が鳴るまで待ってから煙の中へ挨拶を送り、その場で立ったまま入室の許可を待つ。もし迂闊に集中を邪魔したり睡眠を妨害してしまうと、そのつど報酬を減らされたり面倒な手伝いを押し付けられたりするからだ。

「入っていいよエグザム君 ほんと丁度良い場面で来たね 呼び出す手間が無くなったよ」

入り口から一歩入った直後のエグザムは、その言葉を聞いてまた片付けの手伝いと床の掃除をさせられるのかと覚悟する。しかし今の彼には重要な用件があり、生活の為に安定した仕事を供給してくれる飼い主様だろうと簡単には引き下がれない。

「今日は俺の頼みを聞いて欲しくて来た あと明日も朝早くから探索部の集まりがあって仕事を手伝えるか判らない だから後始末の手伝い程度なら今からでも受けよう思う」

そう言いながらエグザムは広い屋内を見回し調度品や少ない家具の散乱具合を見回した。結果だけ言えば予想していたほど部屋は散らかっておらず、以前より本や何かの実験器具が増えた所為で収納空間が完全に埋まっていた。

「そうなんだ それより早くこっちに来て この間の大会でもう一つの釜が手にはいったから ようやく本格的な調合が出来るようになってね これから錬金術の探求を始めようと思って新しい道具の試験をしてたんだ ほら」

よほど嬉しいのか、それとも今までの鬱憤(うっぷん)が相当溜まっていたのか判りかねる笑顔で話をまくし立てるマイ・フリール。強引にエグザムの裾を引っ張って新しい錬金釜を見せようとする。

「い今行くから獣の皮を強く引っ張らないでくれ」

現職の探索者と言っても、元狩人にとって専門分野が異なる錬金術は本の中の一用語に過ぎず、調理用暖炉を更に一回り大きくした錬金設備()が一つ増えようが結局行き着く先は他人事。そう、それを見るまでは。

「ああっ この赤い釜は確か大会の景品だった大釜 どうやって此処まで運んだんだマイ」

熱を鍋全体に効率よく伝える為に施された赤い塗装。記憶の中の縁と蓋は露出した地金の黒色だった筈なのに、エグザムの目の前のそれは記憶の中の大釜と形状が違った。

「この前の大会は結局霧が出てちゃって中止されたよね だから出品元の探索組合に駆け込んで競売に出される前に買ったんだ 勿論あのままだと錬金釜として使えないからちょっと経費がかさんじゃったけどね」

既に使用されていた左隅の釜と違い、赤い錬金釜は耐熱粘土で側面を完全に固められ厨房の作業台と一体化している。釜の縁に取り付けられた圧力蓋はどう見ても特注品で真新しく、現在も大量の蒸気を吐き出している複数の蒸気弁のうち幾つかの突起には見たことも無い種類の太い管が接続されている。

「それはね 発生した余剰蒸気を外に逃がしたり熱伝導を利用して中身の液体を流動させる為の装置なの この国では酒類とか浄水に使われる装置の元となった技術 と言えば解るかな」

エグザムは釜に接続された管の行方を目で追い、煙突と天井や脇の壁に増設された見知らぬ円筒状の物体を発見した。

(まるで大掛かりな熱交換装置だな。この規模なら冷蔵庫どころか冷凍庫や空調設備も完備していたりして。第二次産業革命初期に流行った蒸気機関もこんな感じだったんだろう。)

口を開けたまま言葉に成らない謎の声を発し続けるエグザムに対し、錬金術師による専門用語を交えた魔素による浸透と分解作用について個人的な考察も交えた講義が始まった。見る者によってはエグザムが驚いているのか迷惑そうに相槌を返しているのか意見が分れるだろう唐突な講義は、マイがご満悦に終了を宣言するまで続く。


建築区画。探索街でも天空樹の幹に近い根の麓に建設された区画。対象の区画のほぼ全域が根の上に建設された建築物で、一番高い円環の更に高所に建設された区画でもある。給水施設や各種動力炉と建築・運搬用設備が集中している場所であり、最上段ゆえ探索街で最も面積が小さい。


「確かに今時体の一部を光らせる魔法使いは珍しいね 魔導具を組み合わせて能力を擬似的な乱舞常態まで高める術は知ってるけど 君の様な成長途中の探索者だと効果が薄いし ハルゼイさんのガラ 鑑定眼なら金目の物を死蔵する筈もないか」

先程まで蒸気が噴き荒れていた釜の前に居たにも関わらず、何故か乾燥してしまった咥内を出された甘いお茶で潤したエグザム。湯のみを空にして整理した机に置くと、対面するマイに髪の毛の調査を改めて依頼する。

「原因は前に言ったあの魔導師なのははっきりしてる たぶんユイヅキは関係ないよ まぁ体感した感じだとユイヅキにも何かしらの影響が出るかもしれないけど 調べれば簡単に分る筈だよね錬金術師さん」

謎の女魔導師についても情報が欲しいエグザムはあえて師格の名を出すだけに留め、マイが対抗心を駆られてく依頼を無償で承諾してくれるよう願った。

「残念だけど今の段階では難しいな なにしろ設備と君の毛髪量が不十分だし人手も足りない それに十月に入れば街は夏期入れ時 探索者ならどれだけ大切な時期か理解できるよね 探索部に入って無所属から卒業したとは言っても品格が低い自由探索者に私を養えるだけのお金稼げるの」

エグザムは自らに突き刺さった錬金術師の厳しい目線を直視できず、やるせない気持ちを(うな)って堪えながら両手を頭の後ろに組み天井を見上げた。

(天井も張り替えたのか、あたらしい天板は模様が綺麗だな。天然板じゃなく地味ながら巻板を使っているあたり金が掛かってる。一体どこにそんなお金が有ったんだろう?)

林業が盛んな町の出身だから判るエグザム。目の前の少女が行政府の徴収係に対し、地方の平均月収程度の額を何処かに隠しているのではと考えた。しかし真新しい木目調の天井に事態を解決する答えなんて無く、エグザムは商業銀行に保管した小切手兼手形を活用すべきか考えようとした。

「一月あたりの生活費は五千G アトリエ維持費用は一万三千G そして商売上の必要経費も換算すると一月二万G以上は必要です 当然ですがこの中にはエグザム君への飴代も入っているので 私に話もせず商業組合に卸して菓子屋に流通させた損害も含まれています」

抑揚が無く無表情で告げられた言葉に己の思考すら凍りつく錯覚を感じたエグザム。悪い事はしていないのに謝罪をしなければならない現実に言葉を枯らしてしまう。

「あ 飴は組合で色んな食い物と交換しただけだ 本来なら一個千Gで売れるけど同じ金額分の食料を合成組合や市場から買うより完成品をカウ こ交換した方が手間と宿代を安く抑えれる必要な そうだ必要経費なんだ」

自由とは名ばかりの不良探索者呼ばわりされた自由探索者が精一杯の弁明を試みる。相手の牙城は自身よりやや小柄で幼く見える自称十五歳の錬金術師。人生経験なんて通用しないがエグザムに非がない事は確か、しかし何から何までサバを読んだ相手に正攻法は通じない。

「そもそも金に換金してないから約束を破った訳じゃない 探索法でも探索行為における全ての報酬権利は従事者が優先されるはずだ もし不満が有るなら行政府に雇い主不手際と年齢容姿の詐称を報告するぞ」

立ち上がってまくし立てたエグザムは、あろうことか手に取った陶器製の湯のみを握り潰してしまう。普段冷静に努める狩人でも、一度頭に血が上ったら拘束を嫌う獣の如く何をしでかすか分らないヤツだった。

「怒った顔も凛々しいね でも残念 そう言った話は契約書が無いと成立しないんだ なにより労使規約に(のっと)った契約が出来るのは十六歳から 今のエグザム君では無理だね それにその様子じゃ 銅標を銀標へ上がる方法も知らないんじゃないかな」

エグザムは始めて知った情報に言葉を失い、座り直すと簡単に割れてしまった湯飲みの破片を集めながら己の記憶を総動員させる。なにせ孤児院や地方制度上の成人規定が主要都市のそれと取り扱いが違うのだから、ただの田舎者に生活習慣が異なる都市部の考えを理解出来るはずが無かった。

「元々この国は他国から見ても人の管理に厳しくてね 私みたいなよそ者をそう簡単には受け入れなてもらえない そもそも地方と経済圏で思想や価値観の違いが随分ちがうし 同じ国なのに北部と南部どうしで仲も悪い まぁ一から勉強して早く馴染めるようがんばろう」

マイは一旦言葉を区切ると手中の湯のみに口をつけた。中身はエグザムが飲んだ甘いお茶と同じで、自家製の飲み物すら錬金術で賄うのが彼女の生活習慣なのだ。

「世界中の探索街において一般に自由探索者を指す用語は個人で探索活動に励む個人探索者の事 だけどこの街は国の意向を反映して探索業から個人主義を排していました 大地へ豊穣を返し子孫に富を継承させる考えはこの国が国教として採用している星暦(せいれき)を紐解けば一目瞭然 数代前から探索業界でも開放政策が始まったお蔭で こうして移民の私や探索街と無関係だった貴方が天空樹で暮らせていれるの」

探索街で暮らすなら必須となる情報をおおよそ話したマイ。飲みきり空になった湯飲みに齧りつき小さな歯型を残すと、頬に笑みを浮かべて咀嚼する。この時エグザムは湯飲みが簡単に割れた理由に気付き、陶器にしては軽かった不出来な菓子細工の破片を口に入れた。

「少し硬い焼き菓子にしては奇妙な食感だ 少し浸み込んだ茶の所為でやけに甘く感じる 下の円環(大通り)に露天でも出したらどうだ 商店通りが近いから客も困らないと思うが」

先程までの落胆振りは何処へやら、珍しい菓子を啄ばみながら金儲けの魂胆を口に出して考え始めたエグザム。しかし直ぐに己が無知な素人であると自覚する。

「残念だけど移民の私には商売自体を許されてないんだ 錬金術は便利だけど組合の商業権を侵害するから組合を介して卸す事しか出来ないの だからもしエグザム君が飴を何処かの商店に売ってしまうと私の在留権利は取り消される 今までこの事を教えなかったのはエグザム君の探索標が銅のままだから 商店と取引出来るのは銀級以上の探索者か行政区に登録された商人だけなの」

エグザムは複雑な気持ちでマイを見ていた。なにせ放浪の民には探索者登録を行う権利すら無く、セフィロト出身の国外迷宮探索者すらその経歴に係わらず天空樹への侵入を許されていないからだ。

(すっかり忘れてた。今の探索者は冒険者でなく労働者扱いだった。マイは錬金術専門の組合知識人、他の国なら参考役として招かれている移民だ。 ん? あれ、じゃあ何でマイは花園に出入りできるんだ?だって元探索者と言っていたよな。もしかして経歴自体全部でっち上げ? 本来なら関わるべきじゃない裏世界の住人だったりして。)

口に手をあてこの事実を何処で口に出すべきか真剣に考え始めるエグザム。しかし目を閉じ顔を屈めた姿からは自力で答を見い出す可能性すら想像できないほど頼りなく、やがて膨らみ始めるだろう知的好奇心場に負けるのも時間の問題だった。

「今更だけど敢えて言う 自分を移民と言うマイは何故(制度)に背いて迷宮世界に入ったんだ。孤児院に居た頃も移民が探索者に成るのは決して許されないと聞いた それと最後に法律が大幅に改定されたのは七十年前のはずだ 以前話したとき元探索者だと確かに俺に言ったよな」

戸惑いと興奮を隠さないエグザムは喋り終えた直後、自ら身を乗り出して机越しのマイに詰め寄る。なにせ迷宮世界を一緒に探索した事実はそれだけで共犯関係を意味している。つまり探索者に成って直ぐ資格を剥奪されれば笑い者どころか、生きる術を失って奴隷に身を落す事すらありえる話なのだ。

「心配しすぎだよ 私は問題を起こす様な事はしてないから そもそもエグザム君は犯罪を犯してないか大丈夫 とりあえず落ち着いて椅子に座ろうか」

そう言うとマイは机に立て掛けてあったご自慢の杖をエグザムに突きつけ、強制的に着席を促した。

「ここで話していいられる時間が大分減っちゃったから要約して話すけど この街での私の肩書きは探索組合の協力者 だけど実際は釜式魔法の使い手としてゼントランの迷宮管理機構から派遣された迷宮調査官なんだ そしてこれ知っているのは各組合の執行部や行政府の監督官と先任の業者を除けばエグザム君だけなの 勿論移民が探索者に成れないのは正しい 他の迷宮の探索者だった冒険者もこの街には入れない ただし特別な協力者なら話は別」

そう言うとマイは錬金術師の杖を机に置き、今度は平たい胸ポケットから黒い無地の小さな何かを取り出した。

「これがその特別な証 他の国では探索旅券とも呼ばれている冒険者用探索許可証明 もし偶然落ちているこれを拾えば誰にでも公的機関に届出る義務が発生する黒い財布であり 言葉のとおり私に保証された権利を担保してくれる唯一の探索標と言えば解るよね」


迷宮管理機構。北方大陸西端南部に本部を構える世界探索及び冒険者管理機関。世界の五大迷宮のうち四ヶ所に支部を置き、国を跨いで探索組織同士の情報や人材の交流を補完している。その設立の歴史は古くゼントラン建国史よりも以前にさかのぼる。元々記録保持の為に結成された学術者中心の有志組織だったが、星暦六千二百二十年に運用が本格的な運用が始まった。公表されている全ての構成員は十万人に達し、本拠地の人口より多い。


時刻は同日の午後二時五十分前。場所は幻想湖東岸の魔物養殖区内に設置された陸橋。エグザムは幻想的な花弁を輝かせる蜜の花を観察しながら、本日二回目になる探索目的を思い出す。

(こうして上から見れば遊水池(ゆうすいち)で川魚が泳いでいる様にも見える。まああれを吊り上げるには倒木と同じ位の釣竿が必要だな。)

乾いた笑みが頬に張り付き硬直した体から汗が流れ出る。一歩前に踏み出せば数秒後には眼下の魔物の群の中で不恰好な疑似餌の真似事をしている自分が居る。そう考えれば、桟橋と一緒に設置された直ぐ脇の滑車が絞首台に見えしかたがない。

「マイ やっぱり別の方法で湖底に降りられないかな もし何か遭っても明日の部活動に参加出来なくなるだけでえ」

その女々しく弱々しい懺悔は後ろからマイに蹴られた事により中断させてしまい、エグザムは命綱一本だけの自由落下を余儀なくされた。 

「後で覚えてろよぉぉぉ」

落下している間は体勢が逆さまの所為で、後頭部の首筋に空気を裂いた流れが激しくぶつかる。いくら呼吸可能な水属性の魔素の中を落下しているからと言っても、百メートル以上落ちれば気圧の変化に襲われる。大人なら一度の降下で降りられる深さは百メートル前後が限度。しかし未成熟で体が小さい子供は更に深くまで体調を崩さず降りれるのだ。

(周りが青くてなんもみえねぇ ぶつかる前に止めてくれよ)

エグザムは重力の法則に従い加速し続け、目まぐるしく流れる蒼い景色が湖底の砂地に到達するまでに止まる事を祈った。

「お 減速し始めたぞ がんばれマ」

後頭部を両腕で庇いながら着地に衝撃に備えていたにも関わらず、想像していたより弱い制動力の所為で砂地に体を打ちつけてしまったエグザム。わざわざ小声で届かない声援を送った相手を見上げて(のろ)いの言葉を吐こうとした。

(あーあ、このまま時間まで気絶していたふりでもするか。でもそれだともう一度此処に落されそうだな。)

エグザムは上半身を起こして足首を固定していた拘束具を解除する。そうして再び自由を得た体を奮い立たせ周囲を見渡すと、直ぐに沖合いから迫って来る影に気付いた。

(上から見ればあんなに小さかったのに。成長途中の斑魚(まだらうお)でも十メートル以上はあるな。)

迷宮世界の陥没した地形を利用し天然の調整生簀(ちょうせいいけす)内を泳ぐ斑魚は見てのとおり水棲の魔物。魔素を含んだ物なら何でも口にするので、迂闊に魔法を発言すると腹を空かした個体が蒼い世界から襲って来るだろう。

(おっと。命綱が斑魚に引っ掛かると滑車ごと引き込まれるのだったな。)

エグザムは慌てて命綱を握りると、三度大きく引っ張って橋の上で待機しているマイに回収の合図を送った。すると少しづつ弛みが無くなり、落ちて来た時より遅くゆっくりとした速さで巻き上げられ始めた命綱と拘束具。垂れ下がった拘束具の先端が目の前まで持ち上がると、今直ぐその拘束具を掴み下から引っ張ってマイの邪魔がしたい衝動に駆られてしまう。

(くそ、迂闊に巻上げを妨害すると安全装置が作動して感電してしまう。斑魚用の電圧だし俺の耐性も雷に弱いからな、しばらく動けなくなる程度ではすまないかもしれない。)

そんな事を考えながらもエグザムは、自分より小さく非力そうな少女が懸命に巻き上げ棒を回している姿を想像してほくそ笑む。無論ここでも呪いの言葉は決して口に出さない。なにせ幻想湖は実際の水中より音が響く、エグザムには探索者としてまだまだ未成熟だから斑魚が襲ってこないと断言できる自信なんて無かった。

(魔法操作どころか魔力操作も厳禁。もしユイヅキを発現させる事態に陥っても廃墟が無ければ何も出来ない。)

立ち止まってはいられないエグザムは砂を踏み締め歩き出す。まずは一刻も近く倒壊した建築物の残骸や廃墟を探さなければならない。なにせ生簀と言っても規模がまったく違うので、幻想湖と完全に隔離された環境を作り出すのは始めから不可能だからだ。

歩いて一分も経たないうちに前方から聞こえてきた謎の音に足を止めたエグザム。錆びて穴だらけになった金属製の配管を笛代わりに吹いた様な音を警戒してその場に伏せると、二十メートル先の蒼く霞んだ砂地を睨み続ける。

(暗くなるまで残り四時間と十分程度。片道一時間以内に壁が有る生簀内の反対側まで到達しないと調査失敗。最悪遭難すると今度か活動限界で意識を失い魔物の餌か魔素に分解される。)

白くきめ細かい砂粒はどれも不ぞろいで、まるで塵が積もった砂浜にうつ伏せで転がっている状況と錯覚してしまう。それから断続的に聞こえてくる異音は徐々に小さくなり、七度目を最後に静寂な湖底に戻った。エグザムはゆっくりと起き上がると緩慢な動作で一歩目を踏み出し、徐々に歩く速度を速めながら真っ直ぐ歩み続ける。

(ここの斑魚を観察していれば幻想湖全体の生態や魔素濃度の変化を読取れるらしい。中央の花園にも影響を及ぼす大切な場所なのに深度の所為で大人では準備に手間取る。今まで培った単独での探索経験を生かせる場所がちゃんと在るんだな。)

そう考えながらも二十歩進めば後ろの足跡を確認するのを忘れない。これが狩りなら既に自身が狙われていて当然な状況なので、エグザムは何度でも己の進行方向(足跡)が曲がってない事を確め続けた。


迷宮世界は人の手が入っても形を変えない永劫不朽の存在。この言葉はあらゆる文献や書物に綴られたあらゆる迷宮を総括した言葉でもある。現に五千年以上の人類史において言語や文字、通貨や数に関わるあらゆる概念を統一させた常態で存続させてきた。その恩恵はこれからも続くだろう。

しかし迷宮自体は不変の存在ではない。過去の時代、星暦(せいれき)七千年代前半に迎えた第一次産業革命以前の時代には迷宮が現在の五ヶ所より多く存在していた。正確な場所や実態は年代ごとの調査資料によって違い不正確で、残念ながら現代の技術を(もっ)てしても当時の記憶を正確に再現出来なかった。

そこでセフィロトの天空樹を調査するにあたり世間から一般的に枯れたと揶揄されている周辺の迷宮跡を調べると、天空樹との幾つかの類似性を確認できる。

一つ目は天空樹と同様巨大な物体が迷宮の核として機能していたこと。巨大な物体を中心に探索集団が形成され、物体自体が周囲の地形や環境を浸食しながら機能を維持していた。

そして二つ目はその周辺環境へ与える迷宮由来の何等かの恩恵が存在し、生存に適した気候と安定した豊かな水源が存在した事だ。この恩恵により必然的に表沙汰にされるのは特異な生態系の拡大と淘汰環境。そして魔物と酷似した形状の半分鉱物化した無数の化石だ。

三つ目はこれ等を統括して議論を呼んだ虚構世界の現実化と現実世界の迷宮化。前者は人の介入による迷宮の産業化、つまり現在も行われている虚構世界の経済化。後者は解析した迷宮の仕組みを魔導及び科学技術の普及によって再現した擬似迷宮化と呼ばれている現象だ。

これらの共通点は完全な共通項と言えず、現代施行されている保護法により天空樹周辺の地質調査すらままならないのが現実だ。そこで私は全ての知識や価値観から推測するのを辞め、自らの研究費を削って現場の探索者を雇う事にした。正直に述べればこの時の私は組織への背信行為よりも、迷宮研究が行き詰まり不足するだろう食費や家賃の事で頭が一杯だった。



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