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魔法迷宮  作者: 戦夢
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七章前半

ユイヅキの指示に従い、俺は体組織の大半を占める魔導細胞を活性化して大量の魔素生成を始めた。半袖半ズボンから露出する前腕と(すね)表面に緑色の線が浮かび上がり、生成される魔素の量が増えると共に淡い緑が幾何学模様えと形を変えていく。

【構築された魔法陣配置図と地形縮図情報を送ります。】

魔素交換量が一定数居順を越えた瞬間、俺の視覚にエメロギア湾全体を記した立体地図が投影された。陸地は全て緑色で山や丘陵などの高低差が立体的に表示されているが、都市建築物含めた人工物らしき物は省かれている。

(魔導中継装置の配置図が都市型の魔導陣配置と同じだな。古い魔導中継装置も使って湾全体に魔導通信網が構築してある。)

ユイヅキが解析したのは、各方向から浮遊島へ放たれている魔導信号や干渉波長の発信元だ。都市内に配置された魔導中継装置は半方陣配置の魔導陣だったが、湾内の陸地に配置された魔導中継装置は浮遊島三島の中心付近を軸に巨大な環状に配置されてある。

【大出力型の魔法陣配置でエメロギア湾全体を網羅してあり、魔導波長強度から理論上は浮遊島だけでなく海上でも魔導端末が使用できるでしょう。セフィーナ塔および上空三百キロ地点の軌道落下物密集帯へ魔導波長が収束するよう配置されてます。迷宮核の設置場所は大出力の魔導波長が集中するので、この卵島含めた浮遊島に迷宮核が有る可能性は限りなく低いです。】

俺はユイヅキの説明を聞きながら、視界内に投影されて見える立体地図に描かれた幾何学模様を観察した。

魔導通信網を構築する一種の魔導回廊たる魔導陣は左右非対象型でも同心円型でもない。南側に在るセフィーナを中心に構築された扇形の方陣と、複数の円陣を重ねて湾を取り囲む巨大な環状陣にて構築されてある。

(環状陣は魔導波長を閉じ込めて反射させる為の結界だな。高低差を利用して湾内上空の何処かへ反射した波長を送っている。単純に考えれば一種の増幅装置に見えなくもない。環状陣に私用しているのは、たしか星海開発最盛期に設置された古い魔導中継装置のはず。通信強度よりも魔導波長の集束が目的か。)

俺は魔導細胞を更に活性化させ、己の生体回路と浮かび上がった魔導路を駆使し独自の演算を始める。

【方陣配置は都市部に密集しており、単純な通信強度と通信速度による並列演算能力は扇型の方陣が圧倒的に高いです。ただし環状魔導陣から微弱な干渉波が浮遊島へ放たれており、島から発生した大量の魔素と干渉しているようです。】

ユイヅキが観測した不確定要素ばかりの情報を聞きながら、俺は魔導端末の能力を左右する魔導通信網について復習する。

魔導通信網を構築する場合、主に二種類の用途によって区別される。魔導中継設備を等間隔に連続して配置する方陣配置と、幾何学模様な図形状に装置を配置する魔法陣配置だ。

方陣配置は有線式通信装置や各種増幅装置等を代表とする電波発生送電設備との併用使用が可能で、遠距離まで確実に通信範囲を広げ通信量を一定数確保できる利点が有る。方陣配置の欠点は魔導中継装置を線状に繋げるので一定の範囲しか魔導波長が重複しない事だ。当然通信強度や通信速度は有線式にしか利点が無く、携帯式の魔導端末等では情報共有密度が低下して通信端末として機能不全に陥り易い。

一方の魔法陣配置は魔導中継装置を複雑かつ大量に配置し、通信強度や情報送受信量を高水準に維持する事が容易だ。必要とする魔導源や消費電力が大きいが魔導陣の構築、つまり魔導中継装置等の配置次第で費用を抑える事が可能。なにより魔導陣を広めれば広範囲で携帯式端末を混雑なく使用できる利点がある。

(天空樹の一件で遺跡と魔法迷宮を同一存在だと捉えていたかもしれない。これで迷宮核を探しに浮遊島を探索する必要は無くなった。今日中に機械島の封鎖された要塞内を調べて次の行動に移ろう。)

俺は活性化率を下げて視界内の立体地図と幾何学模様図を消した。月が雲に隠れ島全体が暗い中立ち上がり、頂上に設置されえた慰霊碑らしき岩から降りる。

(遥か上空の大気圏外へ魔導波長を送るのは何故だ。星海空間だと魔素は拡散してしまうから、密集軌道を外れた落下物を発見する為の対策なのか。東大陸の迷宮都市は都市構造内に迷宮核が在るらしいが、浮遊島の迷宮核は都市内に在ると認識すべきだ。)

俺は頂上へ至る階段状の登山道を下り始め、階段山の北側麓に在る別の船着場を目指す。夜の海は全体的に暗く、月明かりに照らされた遠くの海面が月光を乱反射している。火成岩層が隆起した階段状の山肌北側では、吹きつける北風がやや強くて岩階段を下りる度に少し伸ばした黒髪が揺れた。


魔素。魔導素粒子の略称。最小物質の素粒子にして、単一粒子として多くの質量物質や他の素粒子とも結合できる。


俺は二十九日の午前八時四十分。三十トン級漁船らしき定期周回船で卵島を出発して機械島の南埠頭に到着した。機械島は三島の中で観光客や探索者の姿が最も少ない島だが、埠頭内には何故か俺が降りた定期船に乗りきれない程多くの探索者が居た。

探索者達が霧と言う単語を会話に入れていたので、俺は霧が発生したオートムから逃れて来た探索者達の間を通って廃墟街に移動する。

上陸してからおよそ二十分程度で例の排水路に到着し、枯れた地下水路へ降りて山中に掘られた水路の道を進んだ。鉄格子で阻まれた場所まで何の問題もなく辿り着けたので、俺は人目を憚らず理力で鋼鉄の棒を曲げて通れる隙間を作った。

体を押し入れた鉄格子を元に戻してから十数分が経過し、俺は現在要塞区画内らしき地上に露出した排水路の階段を登っている。

【複数の生体反応と魔導反応を検知。地形情報と同時投影します。】

ユイヅキの擬似音声が脳に届いた瞬間、灰色の人工石材で構築された階段上の地上部が緑に覆われている光景が目に映った。

(なんだこれ。雑草どころか草木が生え放題じゃないか。管理怠慢どころの話じゃないぞ。)

俺は排水路の階段最上部から顔だけを出し、周囲の廃墟を埋め尽くした雑木林を見回す。

視覚野を介し顔の前に投影されて見える地図と検知した反応座標位置情報は正常で、沿海地方に多い大松や垂れた長い葉が特徴の垂れウコギ等の観葉植物がひび割れ欠けた人工石材の隙間から幹を伸ばしている。

(建物上の反応は監視機改で間違いない。施設周辺の水路や窪み地形に居るのは、おそらく元実験用の小動物だろう。)

階段最上段から頭を引っ込め、俺はそのまま階段を下って排水路内に狭い道に降りた。そして枯れた排水路に溜まった土砂を苗床に自生する水草らしき枯れ草を左に見ながら狭い足場を進む。

(ユイヅキ。限定解析した要塞区画内の見取り図を投影してくれ。)

急斜面の壁に囲まれた排水路は数メートル先で丁字に分岐してる。俺は視界内に表れた要塞内の一区画立体図を参照し、右側の大きな台形型建造物へ続く排水路を目指し曲がり角を右に曲がる。

(あれは鉄格子だ。監視装置は稼働中のようだから此処を進むと発見される。仕方がないが戻ろう。)

運良いのか悪いのか。排水路を通って要塞敷地内に出たまでは順調だったが、監視網が厳重で排水路から出れそうにない。俺は道を引き返して排水路を戻り、足元からおよそ三メートル上の地上へ上がれる階段の最下段に腰を下ろした。

この場所は建物屋上や山肌に設置された監視用の固定機改の死角なので、監視業務を機改に任せた監視人員が来なければ発見される可能性は低い。俺は休憩しても問題無い場所で魔導細胞を活性化させ、ユイヅキと共に広範囲の魔導探査を始める。

【近辺の建物は全て人工石材製の隔壁と遮蔽壁で覆われています。雨水等の水を浄水して各施設へ流す為の水道設備だけでなく、何かしらの設備が併設されている可能性も考慮してください。】

俺はユイヅキと共に視覚野を介して要塞区画の全体図を描く作業に没頭。監視用機改には高確率で魔導探知機が装備されてある。急激な活性化は強い魔導反応を伴う電波と光波を発生させるので、自然界で循環する魔素の流れのみに限定して周囲の状況の把握に努めた。

(区画内に立入る事や船で近付く事すら禁じられている割に、只の廃墟施設にしか見えない。汚染物質や産廃を保管している情報()どうりなら怪しくも見えるが、今のところ監視網が厳重な場所としか言えないな。)

排水路は下水や未処理の汚染水等を浄化処理施設へ流す為の排水路らしく、急斜面で高さ三メートルに届きそうな人工石材の壁下に青や緑色の線が何本も残っている。金属製部が固着して酸化したのなら赤みを帯びた筋が残るが、どう見ても潤滑剤や冷却液から何かの塗料成分が混ざった痕にしか見えない。

【この様な時は私が道を拓きます。水晶体を地上の様子が解る位置に掲げて魔素供給を始めてください。】

俺は首飾り代わりに首から提げたユイヅキを右手に持ちながら階段を数段登り、背を曲げた状態で体を捻り右手の先だけを階段最上段より上に突き出した。

(頼むぞユイヅキ。こんな所で足止めを食らうと迷宮核の調査も進展しないからな。)

ユイヅキの意図は監視機改含めた監視装置網の見取り図と構成機材の把握だ。青紫色の水晶球を素手で握って魔素を送り込むと、若干の熱を帯び始め右掌が熱くなる。

【監視機改は旧型の遠隔操作式と断定。熱源や一定波形を越えた魔導波長を検知して作動する形式ですね。山の斜面近くが死角なので、排水路から斜面下に上がって雑木林を抜ければ建物敷地内に入れるでしょう。】

俺は懐中時計を見て時刻が午前九時を過ぎたばかりなのを確認してから横穴出入り口辺りまで戻り、両足を伸ばして跳び上がり崖下際の断層に体を張り付けながら進んだ。


対海獣迎撃要塞。機械島北部の岩礁や岩場に建設された埋立て造成地区。同区は東部と西部で建設された年代が異なり、西側の断崖に在る古い都市遺跡周辺から要塞化が始まった。

東側には造船整備工場と大型専用の埠頭倉庫が在り、現在も整備工場に出入りする警備艇の物資保管基地として使われている。同じ東側の海岸線には海獣迎撃用の堤防型障害壁が構築されており、意図的に埋めた浅瀬に上陸した海獣を堤防や要塞台に設置された大砲等で迎撃した実績が有る。

西側にも古い砲台台地が有るが、武装や監視設備は撤去されて只の大型堤防しか残ってない。東側同様に迎撃設備増設の為に埋立てや拡張工事を繰り返した場所だ。海獣の襲来が無くなってから放棄され、現在は一部の施設以外使われてない。


俺は整備工場の発電設備から送られた電力で稼動中の監視装置の目を避け、放棄されて積み上げられた樽缶やタイヤ等の山と住居跡や朽ちた倉庫に根を伸ばした雑木林を通り都市遺跡の一部が残っている古い埋立て区画に辿り着いた。

都市遺跡といっても厄災の時代後に建てられた避難区画の様な場所で、風化した白い骨材の白い砂が雨風で流されゆくだけの広場だ。観光本による情報では機械島で最初に建設された都市跡らしいが、要塞の敷地内隅に位置した只の空き地にしか見えない。

そんな空き地を覆っている表面が削られ一部が剥がれた人工石材の石畳を歩き、遮蔽壁近くを通りながら鉄塔上に設置された監視装置から身を隠す。近くに排水路や側溝は無く、俺は石窟らしき崖の穴を目指して壁裏を進む。

(遺跡と言ってもこの有様なら、廃墟の中の古い廃墟の様な場所なのだろう。監視は厳しいが死角が多いから管理体制は杜撰なまま放置されてる。案外行政区に在る海軍事務所に行けば遺跡見物の許可がおりるかもな。)

俺は手早く調査を終えようと考え、敷地境の遮蔽壁裏側を走って壁の穴に入った。穴自体は坑道よりも都市下水道の様な丸い造りで、削られた岩盤層は人工石材によって塞がれている。

枯れた排水路と同じ人工石材で覆われた丸い地下道を進むと、本物の下水道に降りるのと同じ縦穴が有るだけの小部屋に入った。俺は小部屋から更に奥へ続く地下道へ進まず、ユイヅキを使い鎖状の縄梯子が設置された縦穴内を調べる。

【古い地下水道に降りる為の穴ですね。現在の点検用縦穴と形状が似てますが、鎖梯子の錆具合から雨水が奥へ入るのを防ぐ為の排水路の一部と推測します。】

俺は幅が狭い穴から顔を上げ、背嚢から海中電灯を取り出し暗い穴の奥を照らしながら進み始めた。遺跡通路は底が平たくなるよう人工石材で固められており、人が出入りする度に削られた痕が残っている。赤い筒が特徴の海中電灯で奥を照らすと直に十字路が見え、十字路の壁に行き先を示す古い案内文字が描かれていた。

(随分昔の共通語だな。ユイヅキ、何と書いてあるか解るか?)

海中電灯の白い光に照らされ浮かび上がった文字をユイヅキに確認されると、直に回答が視界内に補正情報として表示された。俺はその表示に従い、上の層に上がれる左右の道を無視して下の層に下りる為に直進する。

(ジャッカス愛用の旧言語辞書をユイヅキに記録させて正解だった。容量の半分近くが旧言語情報なのに使わないまま保存しておくなんて勿体無い話だ。)

十字路の先を進むと下へ真っ直ぐ伸びた階段が現れた。俺はその階段を迷わず下り、下の階層らしき同じ構造の地下道に降り立った。

観光本にも紹介されていたこの都市遺跡跡とやらは、魔導戦争直後から数百年続いた厄災の時代に建造された避難用都市だったらしい。不活性化した魔素によって広まる汚染と戦争中に使用された汚染物質で大地が荒廃。当時の人々は種族や国家の枠組みを超えた統合政府を設立し、各地に浄化都市や避難用隔離都市を建造して未曾有の大災害を乗り越えた。

(一部しか残ってないと書かれてたから軽装備のまま来てしまった。この様子だと更に地下深くまで続いていそうだ。)

脳裏に天空樹の地下を探索した記憶が甦る。行き着く先は赤く染まった不毛な大地で、稀に見る夢の中にも登場する嫌な記憶だ。

そう考えながら緩やかな下り坂を進んでいると、通路穴の直径と道幅が広がり始めた。緩やかに大きくなる穴の傾斜部分が海中電灯の光から遠ざかり、目の錯覚とやらで穴の奥が遠ざかる様な感覚に直面する。

(やれやれ。ユイヅキ、魔導探査で此処の地下構造を把握できるか?)

俺は緩やかに左へ曲がる屈折地点を通りながら、地下型都市遺跡の全体図が必用だと今更ながら考え始めた。

【人工石材の中に死滅灰らしき半魔導物質が含まれているようです。魔導探査範囲が狭まるので効果は期待できません。空間解析と並行して移動経路の記録処理を始めたので、迷った際は略図を表示可能です。】

俺は有能なユイヅキに感謝しつつ、周囲の魔素不足による思考の鈍化を懸念して水筒に入れたユイヅキ用の魔導液を飲み始めた。それから十分おきに魔導液を飲みながら地下を進み、一時間ほど探索してようやく最深部の地下七層目に到達した。

ユイヅキが一時的に記録した立体移動経路図を見ながら地下最深部の広い空間内に降り立つ。六層からこの場所に降りる際に通った通路は長い傾斜通路だったので、地上から百メートル近い深さまで降りた事になる。

(此処にも住居跡が無い。全部持ち去られたか、或いは元から上と同じ地下倉庫だったか。)

俺は最深部と繋がった傾斜した大きな通路から前に進み、四角く掘られた空間の先に見える大きな壁を電灯で照らした。降りて来た背後の坂道には何かの基礎だったらしい階段構造部分が残っていて、空間と入り口部分だけでも横幅幅高さ共に十メートル以上はある。

「これだけ広いなら昔の建物でも残ってそうなんだが」

昇降通路より更に広く大きな空間は、壁や天井含めた全体が白い人工石材で覆われており、補強材として使われた人工石材の劣化具合が殆ど見られない。俺は足元の平らな床に残る無数の溝を電灯で照らし、回路図の如く複雑に交差した溝を辿って正面の壁際まで歩いた。

(死滅灰と言えばあの赤い大地にも溜まってたな。劣化した魔素に汚染され分解された有機物の成れの果て。魔素反応を遮断する効果が有るから半魔導物質としても広く知られている。問題はそれだけの技術が有りながらなぜこの島を避難場所に選んだのかが解らない。)

白く艶やかな表面を残す壁に触れ、右掌(てのひら)から伝わって来る冷たさと硬い感触を確認しながら少量の魔素を放出する。

【構造組成は骨材に死滅灰。結合材に石灰と珪素成分だと推定。死滅灰の毒性は感知できず分子構造は安定してます。】

白い壁から右掌を離し触れていた部分を確認したが、白い壁に変質部分や変色箇所は無い。汚染物質や不活性魔素を遮断するだけでなく対抗性を有する石材は今も貴重なので、軍が敷地内への一般立ち入りを禁止したのも妥当だと言える。

俺は壁を見上げながら空間四方の壁沿いを歩き、足元や天井を海中電灯で照らして空間内を調べた。人工的に掘られた精巧な溝に土埃が溜まっていたので何度か息で吹き飛ばしたが、埃に埋もれた溝には遺物の一つどころか石の欠片すら無かった。

結局俺は最初に手で触れた壁に背中を預け、視界内に表示した立体経路図を見ながらこの場所が何なのか一人で結論を出すことにした。

(卵島に残された地下坑道はこの地下都市を建設する為の基礎工事跡だと言われている。その仮説が正しいとするなら、卵島を掘り始めた頃からこの地下都市に深刻な問題が発生していた可能性が有る。世界中の遺跡が辿った末路を当てはめるなら、気密漏れによる集団汚染や地下水漏洩による水没。天空樹死都の様に紛争による都市機能の喪失と言ったところか。)

未踏箇所が多い立体経路図から、地下都市が機械島の地下に広く構築された都市跡だと簡単に推測できた。地上と繋がった入り口は二箇所以上存在する可能性が高く、要塞区画以外の封鎖地区を探せば地下都市への入り口が有る可能性が高い。

俺はそれらの推測情報から、かつてこの遺跡に万単位に達する住民が暮らしていたと推測した。階層別けされた地下空間には居住用以外の空間や地下水道らしき穴が構築されてある。卵島地下で発見した古い魔導装置の様な遺物は発見できなかったが、頑丈な人工石材で塞がれた封印区画が残っている可能性があった。

(あと十五分で十時だ。探索出来るのはあと一時間しかない。)

俺は考えるのを止めて背中を預けていた壁と向き合い、魔導細胞を活性化させて理力による魔導干渉波を準備する。今から理力で壁の一部を採掘し、死滅灰を構成する不活性魔素を浄化して人工石材が採掘出来るかどうか確認しようとする。

【盗掘跡を残すと騒ぎになりますよ。それにこの場所で魔素を使っても、得れる物は経済的な圧迫だけです。今ならまだ間に合うので理力発動を止めてください。】

俺はユイヅキの静止を鼻で笑った。俺より優れた解析と検知能力を有すユイヅキが、目の前の壁下や天井との境から漏れ出た不活性魔素の存在に気付かない筈がない。

緑色に輝く幾何学模様の魔導路が両腕に浮かび上がると同時に、両手を壁に触れさせ体重を掛ける。理力干渉波を生体から対象の壁へ直に流す為、腕以外の魔導細胞を魔素生成に集中させた。

(ユイヅキ。まだ少し時間が有るから聞くが、何故この壁から漏れ出る不活性魔素の事を報告しなかった。まさか俺が魔導液を飲んだのが不快だったなんて理由じゃないだろうな。)

積極的に情報を欲する魔導水晶体が嫌がるのは不活性魔素が原因だろう。俺が此処から先に進まないようあえて報告しなかったと推測できるが、不活性魔素など簡単に浄化できる俺の存在をユイヅキ自身が阻む理由が解らない。

【気付いてましたか。此処から先に進むと貴方の未来は本来の目的から逸脱してしまう可能性が有ります。この場所は倉庫ではなく格納庫跡地なので、高確率で魔導文明の兵器か関連の設備が残っているでしょう。例え箱の中身が半魔導物質を濃縮した気化微粒子だとしても貴方は開きますか?】

俺はユイヅキの意図に気付いて壁から両手を離した。魔導細胞の活性化を一時的に中断させ、魔導路と生体回路を駆使して魔素を体に留める。

(そう言う重大な事は気付いて直に報告しろよ。今からお前に脱出分の魔素を与える。俺に何か有れば体の主導権を奪って脱出するんだ。)

胸元に垂れ下がっていたユイヅキを両手で掴み、泥団子を固める要領で持ち上げ魔導路から直接供給を始める。魔導素粒子と重力粒子が合わさり、半重力粒子の光子が発生して手元から緑色に輝くユイヅキが浮かび上がった。

「ふぅ 準備運動がてら久しぶりに全力稼動をしたが体がだるくならない 粗製でも天然物の魔導液を選んでよかった」

そう言いながらも首輪と首を繋ぐ鎖を持ち上げ、魔導水晶を構成する魔物由来の生体結晶から製作されたユイヅキの状態を見る。

【魔導素粒子充填率を計測中。今度からもう少し加減してくださいね。】

青紫色の水晶体は青緑色に染まっており、熱せられて赤く変色した鉄の様に僅かな光を発している。俺は水晶体内部に見える靄の様な回路構造を確認し、複雑な光の模様を浮かべたユイヅキを手から離して水筒の蓋を開ける。

(封印された魔導文明時代の区画だとユイヅキが判断できた理由を聞くのは最後だ。今は罠で守られた箱を害を受けずに開ける方法を考えないとな。)

俺は水筒に残ったユイヅキ用の青い洗浄用魔導液を飲み乾し、そのユイヅキでも解らない箱の中身と罠について考えを巡らす。なにせ魔導文明について記した文献や史跡等は殆ど現存しておらず、今日(こんいち)ではセフィロトの聖典政府かゼントランの中央委員会が管理する遺産だけだ。昔からそれらの遺産は巨万の富や名声或いは禍根を末代まで残す出来事を齎してきた。もしこの先に赤い大地を上回る汚染された何かが封印されていた場合、俺やユイヅキが無事でも機械島は封鎖されてしまうだろう。

(小さい鍵穴を探すより理力で穴を開けて換気或いは水抜きする。その後にゆっくり穴を広げて通り道を確保できれば、いやいっその事派手に吹き飛ばして地上にいる奴等に気付かせるのも有効かもしれない。)

俺は確実に犠牲者や被害を被る者達の面を思い浮かべながら悪巧みを継続した。結局時間が迫っている事を理由に手早く終わらせようと決断し、魔導路を最大活性した状態の右前腕を壁に向け人差し指で採掘部分を指した。

緑色の光線が右人差し指の先端から放射され、針の様に細い魔導砲が白い壁の一部を焦がす。俺は右腕を動かさず左腕で照射部に理力干渉波を放ち、死滅灰と石灰等の無機物で構築された部材の焦げ目を浄化していく。

【一秒辺り三ミリ程度ですが削れてます。不活性魔素は発生してません。】

本来不活性魔素は他の粒子や中性子含めた原子核等と結合しない。何とも結合できず劣化したまま大気を漂う不活性魔導粒子は、何故か死滅灰等の特定汚染物質に定着し易い。原因は今も未公表だがユイヅキに継承された災厄時代の研究情報によると、不活性魔導粒子により物質内の魔導素粒子が弾かれ出来た穴にその不活性魔導粒子か入り込み擬似的な結合状態になると判明している。そして不活性魔素によって分子結合を破壊された有機無機物の高分子結合体は何かしらの触媒によって分化され、長い時間を経て各種汚染物質含めた魔石等の魔導物質へと変成するのだ。

(それにしても分厚い壁だな。一メートル以上掘っているのにまだ貫通しない。そろそろ腕を捻じ込んで穴を広げないと分解物で詰りそうだ。)

理力を用いて極細の魔導波長を使うのは擬似魔核製造時以来。俺は久しぶりに好きなよう理力が使える事に興奮し、時間の存在を忘れてしまい穴を広げるまでの工程を大幅に短縮する破目に成った。


古代魔導文明。星暦零年から五千年までの空白期間。実際に五千年分の歴史が存在したかどうかさえ曖昧な時代。魔導戦争によって大半の人工物が破壊され、大地を汚染した不活性魔素により大半が消滅したと言われている。

古代魔導文明の遺産や遺跡は現在、魔導生物によって汚染された東大陸のごく一部と南と西大陸で被害が少なかった地域に残されている。俺が二年間暮らした古都ベルスと周辺にも魔導文明時代に建てられた遺跡が残っており、第一次浄化戦役の戦禍から逃れた遺跡に侵入した魔獣等を駆除するのが日課だった。


視界を埋め尽くした白い粉塵がゆっくりと人工石材の床に落ちる。分子結合を強制分解させられた断面が赤熱化しており、丸い破砕跡が壁から奥まで二メートル程伸びている。

俺は両手を握り合わせた状態のまま両腕を前にノ伸ばし続け、魔導路から発生する不可視の浄化結界を前方に放射しながら一歩前に進む。

(当りだ。不活性魔素で充満した隠し空間で間違いない。)

一歩ずつ前に進み、衣服から露出した肌の魔導路の光が穿ったばかりの短い横穴奥を照らした。少々強引だったが分厚い封印壁を破ったのは初めてではないので、隔離空間内に入ってすぐ再び理力干渉波による不活性魔素の強制浄化を行った。

急激な膨張と縮小を繰り返し変動する気圧。ユイヅキや装備類を守る浄化障壁が空気流動に干渉してガラス板の如く揺れる。俺は緑色の光に照らされた天井や床を見て、封鎖された区画が壁の反対側と同じ広さだと理解した。

(奥に扉が有る。どうやら此処は外気と封印区画を遮断する為の場所だったらしい。)

俺は搬入通路らしき階段から真っ直ぐ奥の扉まで続く本来の空間を見回し、天井や床含めた壁の人工石材表面が劣化魔素により削れている状態を目の当たりにする。

【不活性魔素による物質汚染濃度が三割を越えています。主に粉末等に付着した大量の不活性魔素から反応が出てます。】

俺は浄化結界で足元から頭上までを卵の様に包みながら前に進み、十メートル未満の距離に有る扉を見つめる。背後の構築したばかりの穴から直進した位置に隔壁扉が有り、人工石材ではない金属製の両開き扉は隙間が溶接されて塞がれてある。

(二重封印。しかし汚染物質が隙間から漏れている。蹴破れば溶接箇所が裂けて扉が開くかもしれない。)

幅と高さが四メートル弱の両開き扉に両手が届く場所で立ち止まり、劣化魔素によって剥がれ落ちた金属錆が溜まった下部から扉中央を越えて扉の上側に見える人工石材の壁まで視線を上げる。

【この壁も区画封印の為に作られた遮断壁と推定。何かしらの原料から製作した死滅灰等の半魔導物質で地下空間の大半を塞いだ可能性が高いです。】

俺は黒い両開き扉に両掌(てのひら)を密着させ、魔物や魔獣特有の強化筋力で取っ手が無い扉を押し始めた。徐々に力を高め体中の筋肉を隆起させると、当然靴底が滑って俺の方が弾かれてしまう。

(摘み手や握り手がないから押して開ける扉じゃないのか? 面倒だからこの際強引に突破して消耗を抑えよう。)

人工石材の壁一部を原型さえ残さず破壊している。今更扉一枚吹き飛ばした所で穴を隠せる訳ではない。俺はそう考えながら扉右側の金属板へ極細魔導砲を照射し、即席の通用穴を作る事にした。

溶断作業中に完了したユイヅキの解析により、金属製の両開き扉は扉に見せるだけの擬装だと判明した。蝶番すら無いのはこの扉モドキが人工石材の壁に埋め込まれているからで、どれだけ押しても開きはしない。

およそ八分程で分厚い材質不明の金属板の溶断が終わり、厚さ十五センチ程度の丸い溶断箇所を引き抜いて封印区画の空気入れ替え作業へと移った。入れ替える穴を浄化障壁で覆う為に穴の横に座り、浄化が終わるまでさらに五分ほど待った。

俺は浄化障壁の展開終了時間を午前十一時半と決め、活性化を弱め魔道路の光が弱まったのを確認してから海中電灯を右手に握る。

「興奮どころか緊張しかしない 解析は任せたぞユイヅキ」

そう言いながら俺は、海中電灯の電源を接続させて白い照明光を暗く冷たい穴の中へ向けた。穴の前でしゃがみ白い光に照らされた奥の空間を覗き見る。

(ユイヅキの言うとうりだ。固まる前の半魔導物質(人工石材)を流し込んだ痕が有る。どうやら相当広い工場施設の様な空間があるようだ。)

魔素を節約して開けた直径五十センチ程度の穴に体を入れようとして背嚢が引っ掛かった。俺は引っ掛かった背嚢を一度降ろしてから体を先に空間内に入れ、素早く腕を伸ばして緑色の背嚢袋を回収した。

浄化障壁の範囲外に背嚢が出ると残留汚染物質等に汚染される可能性がある。俺はその事を反芻しながら死滅灰が溜まった場所を照らし、高台らしき輪郭から下へと光を向けた。

「何だこれ 産業廃棄物 封印された物体なんだよな」

俺は手摺すらない採掘坑道内の様な前方空間へ電灯を向け、黒い表面ばかりが映る大きな物体の輪郭を探すように右手を動かす。同時にユイヅキの解析を待つ間に己の目に魔素を循環させ、目の前の大きな物体から発生している靄の様な不活性魔素の流れを視る。

(おそらく乗り物の類だろう。兵装らしき部位がないから機動兵器の類じゃないな。まるで対海獣用に使用された巨大無人機改の様な代物に見えるぞ。)

電灯のみを頼りに封印されていた大型物体を調べる。足元からすぐ前が高台と成っていて、下の床まで五から六メートルは有るだろう。反対側の壁までは更にその倍以上の距離がある様に見える。

俺はユイヅキが言った格納庫とやらはこれの事かと考えながら、見方によっては飛行機械の類に見えなくも無い正体不明な物体を眺めた。

【後続解析に失敗。高濃度の不活性魔素によって魔導探査が妨害されます。判明した断片的な構造情報を対象に同時投影します。】

俺の網膜にユイヅキから送られた補正信号が流れる。補正情報によって目の前の謎の物体が暗闇の中に黒く浮かび上がり、装甲らしき黒い外板の下に有る骨組みらしき枠組みの一部が見えるようになった。

俺は右側へ高台を歩きながら封印されていた物体を眺め、三本の足と折り畳まれた尾羽の一部から対象が大型の飛行型機動兵器ではないかと推測する。

(現代で各国が運用している物とは違う。古代魔導文明の物か、或いは魔導戦争時代に製造された兵器だろう。不活性魔素が出てる原因を探せば正体を掴めるかもしれない。)

目の前の飛行機械らしき物体には飛行船なら珍しくも無い複葉翼や三葉翼はおろか、個人用の飛行機械に多い圧縮推進装置が装着されてない。鳥の様な翼と羽毛らしき稼動部が翼と共に折り畳まれ天井に向いている。俺は流体力学や推進機械等の精密技術に詳しくない。しかし素人目に見ても封印された飛行機械或いは飛行型機動兵器が失われた技術で製造された貴重な遺産だと判る。

【結合劣化による年代測定は不可能ですが、胴体下部に制御核らしき結晶構造体が有ります。前足から登れば格納扉に届くでしょうから、見惚れてないで下に降りましょう。】

ユイヅキに急かされた俺は電灯の白い光で高台下を確認。高台から降りれそうな場所を探して周囲を光で照らすと、高台真正面方向に階段らしき出っ張り部分が姿を現した。

俺は発見したばかりの階段に駆け寄り、死滅灰を使った人工石材で塗り潰され凹凸だらけの階段を下りて高台下に降り立つ。

「整地されてない 手抜き工事か」

封印された機改が足を固定した床は溶けた溶岩が固まった溶岩大地に酷似している。砂利や石灰粉末を混ぜた昔馴染みの補強材を建築物の骨組みや基礎に流し込む時でさえ整地すると言うのに、これでは躓いて倒れてしまいそうだ。

俺は不安定な形状で固まった白い人工石材の上を歩き、造船工場の様に縦に長い溝に安置された機改の下へ移動した。

下から電灯で飛行機改を照らすと、やはり下側の外板も黒く塗装されていた。金属光沢や艶光は無く表面が真っ黒に染まっていて構造すら推定できない。そこで電灯の光を下部から脚部へと向けると、肝心の設置部分が固まった人工石材に埋もれている事実が判明する。

(汚染物質か不活性魔素を警戒して一部分だけ封印処理を施しただけで塞いでしまったようだ。こいつが封印されたなにかで間違いないが、問題は正体が何なのかユイヅキでも解らない可能性がある。)

ありふれた個人用の飛行機械に例えると、鳥の嘴の如く尖った機首が河川用飛行艇の機首と似ている。水飛沫が操縦席の窓に付着しないよう胴体を船に似せて設計されてあるらしい。俺はそう考えながら人工石材に埋没した前足に足を掛け、剣の様に曲線を保ちつつ尖った胴体前側下部に有る一本用前足展開部へと登り始めた。

(封印されてから放置されていた筈なのに表面が劣化してない。反魔導物質を使用した合金装甲なら実在したが、もう三百年近く前の話しだ。合金だろうが反魔導物質だろうが高濃度の不活性魔素に長時間さらされたら表面が劣化し始める。これで古代魔導文明の可能性が濃くなった。)

俺は下に見える人工石材凹凸面から三メートル半の位置に有る格納扉らしき装甲展開部の取っ手へ跳び移った。そして孤児時代に公園に設置されたぶら下り用遊具で遊んでいた記憶を頼りに体を上下に動かし、埋没した握り手に負荷をかけ感触を確かめる。

【解析結果が正確ならそれは押し込み式の開閉機構です。取っ手を引っ張り出して押し込めば格納扉が開きます。】

開閉機構は壊れてなく、自重で突起部の様な取っ手が下がるとレバーの様な掴み部分が現れる。俺は隙間に右腕を固定させてからその掴み部分左腕だけで押し込んだ。

胴体前側下部が開いたと思ったら、その下部外板ごと内臓機構がずり下がった。格納扉らしき開閉部は重要機材を収納した展開部を固定解除する為の開閉機構だけで、俺は人工石材の凹凸部に叩き付けられた外板から響く重低音の衝突音を衝撃と勘違いして手を放してしまう。

「ぐぁッ あぁ痛ぇえ 何とか開けてよかった」

俺は尻の骨盤と腰を擦りながら背嚢を拾う。もし背嚢を背負った状態で落ちていれば、幾つかの中身が潰れていたかもしれない。

【身体構造に異常無し。十分動けるので調査を始めてください。】

ユイヅキに急かされながら胴体から出てきた円柱状の物体に近寄る。物体は水筒の様な形状で何かを入れる為の容器にしか見えず、白い塗装に見たことも無い旧言語や記号らしき文字が描かれている。俺はそれ等の文字をユイヅキに解読するよう命じたが、一分も待つ事無く該当情報が無いと報告を受けた。

(なら古代魔導文明の遺産で間違いない。文化保全委員かジャッカスにでも手紙を送れば飛んで来そうな案件だ。これほど保存状態が良い物ならまだ使えるんじゃないか?)

俺は外板に一部が固定された筒状の何かに登り、円柱状の物体を登って胴体中央に見える赤黒い制御核の下に移動。躊躇無く制御核を触ったが肝心の魔素が感じれない。それどころか制御核を填めた筐体の隙間から不活性魔素が噴き出ている。黒い装甲らしき外板の内側には隙間無く緩衝機構らしき肉繊維の様な何かで覆われており、同じ大きさの飛行機械より数倍の重量感を醸し出している。

【構造解析終了。魔物の生体結晶と似た分子構造の魔導物質と推定。大きさから該当情報を検索した結果、福音天使の制御核断片とほぼ同じ組成です。】

福音天使と聞いて俺は赤黒い大きな球から手を放した。俺が知っている福音天使は細身で手足が長い人型の機動兵器のみ。目の前の制御核と赤い大地で見た大きな水晶核は似ているが、大きさが一回り小さいうえに形状が全く異なっている。

(福音天使だと。情報源はウラヌスから回収したあの青い魔晶石か?)

俺の問いにユイヅキは肯定した。ウラヌスがフクシから手渡されたと言っていた青い合成魔石をユイヅキ強化の材料にした際、魔石を構成する青系合成魔導物質内に封じられていた結晶回路を発見した。

(そうか。ならあの情報は正しかったと言う事になるな。高性能演算装置開発に発掘された古代の魔水晶を使って起きた事故。いや事件と言うべきか。)

青い魔晶石にはウラヌスが言っていた両親の記憶とやらは無く、ただ魔晶石を製造するのに使った材料の魔水晶に記録されていた断片情報が残っていた。フクシはこの情報をウラヌスに引き出させる為に渡したのだと推測しているが、神の実で変態化した時の記憶は殆ど残ってない。

【魔水晶の断片情報には貴方が採取した福音天使の制御核の欠片と同じ組成情報が記録されてありました。断片化して解析できませんでしたが、あの時私は蟲の王の助言に従い構成波形と粒子構造情報を記録しました。これ等の情報を元に解析した結果、この制御核は福音天使の制御核と同じ規格で製造された遺物で間違いありません。】

俺は口を開けて上を見たままもう一度制御核に両手を触れる。冷たく硝子細工を触っている様な感触だが、どんな魔道具でも感じる暖かい魔素反応が全く無い。

【完全に機能停止してます。結晶回路が魔導反応を維持できる状態ではありません。筐体外部から浸透した不活性魔素によって制御核本体の分子結合が変質又は劣化したと推測します。具体的数値に換算すると重力粒子、光速粒子、半重力及び磁力干渉粒子と結合可能な魔導素粒子の数が限りなく無に等しい数値を示しており、今の状態では再刻植を行っても回路基素が定着できません。対処法は不活性魔素の洗浄と…】

ユイヅキの報告を頭で聞きながら、俺はウラヌスから青い魔晶石を強奪すより少し前の記憶を思い出す。

(赤い大地を彷徨った所為で水晶体の結晶回路が機能低下を起した。汚染物質から放たれる劣化魔素で結晶構造の結晶回路が損傷して、危うく結合崩壊を起す状態だった。今考えてもあの時ほど危機的な状況は他に経験した事が無い。偶然蟲の王と出会い使命を全うして管理者達を統合出来たのもあの世界で水晶体が壊れかけたおかげだった。未来にどう転ぶか解らないとは言え、奇跡的に体験の連続だったのは確かだ。)

俺はユイヅキの話を頭で聞きながら必要な機材を思い浮かべる。魔導物質測定装置と検知器含めた調査機材含め、洗浄用より魔素密度が高い工業用の魔導液と大量の魔導洗浄剤が必用だ。ユイヅキの補助で回路自体の修復や初期化等は省けるが、今の資金では全てを揃える事はできない。

「ユイヅキ とりあえず不活性魔素の発生源特定と解析の続きを再開しろ 一先ずこの空間を何とかするぞ」

俺は円筒状の何かから降りて起伏が目立つ人工石材の凹凸面を走った。目的地はこの区画を外部から閉ざしていた人工石材の遮断壁。この遺産を軍関係者に発見されたくないので、独り占めを達成する為に大掛かりな撤去作業が必要だ。


ザガート。魔神伝説に登場する黒の神官。神官の使命は魔法騎士達の統率と騎士見習いの教育で、年代ごとの作品によって神官の数や役職が異なる場合がある。

その中でも黒の神官は物語に欠かせない重要存在として古来から語り継がれてきた。黒の神官は物語の舞台である約束された豊穣の地エメロギアを管理するエメロード王の守護者。国の指導者の次に偉い要人であり、神官達を束ねる重要人物だからだ。

俺が最初に読んだ魔神伝説改訂版は六十五年前に発行された大衆作品だった。新しい物語は黒の神官と不死姫エメロードの恋物語を軸に展開するのだが、当時他にも魔神伝説改訂版が存在する事を知らなかった俺は魔神伝説がただの妄想小説だと勘違いしたまま覚えてしまった訳だ。

魔王軍の配下に洗脳されたエメロードと魔法騎士達の間で葛藤するザガート。最終的に魔法騎士達によってエメロードと共に討伐される展開が衝撃的だったのを今でも覚えている。おそらく立場や境遇の違う恋人同士が死を以て永遠を誓う展開が特定層に支持されたのだろう。孤児院に有ったこの魔神伝説改訂版も大量印刷された内の一冊だった。

ザガート含め魔神伝説に登場する名詞や名称は今も色々な分野で使われている。ザガートの名をそのまま与えられた者も居るだろうし、黒の守護者を意味する何たら旧言語のデイクロムなんて名前もあるに違いない。だから俺は封印された格納庫らしき地下空間で発見した推定復福音戦士をザガートと呼称する事にした。


格納庫内に残っていた劣化魔素を浄化し終えた俺は、最初に穴を開けた人工石材の壁を完全に破壊。発生した瓦礫等を格納庫に運んでから金属板の穴を塞ぎ、その金属板の外側を反魔導物質の粉末で固め壁と同一化させた。壁一つを綺麗に排除したので、若干奥行きが広くなった変化に気付かれなければ疑われもしない。

俺は封印区画へ入る隠し扉を製作してから地上に戻り、午前十一時四十五分発の運搬船に乗船して午後零時十八分にセフィーナ漁港に到着。徒歩で過激座へ移動する途中、ザガート整備に必用な機材を確認する為に都市北区東地域の商店舗街を歩いた。

東地区には大型百貨店や各種専門店が軒を連ねている。ザガート整備に必要な機材は専門店でしか取り扱ってないので、電気機器や玩具雑誌等が売られた商店街の魔道具店を物色して現物確認を行った。

結局その日は雑務と縦笛練習を済ませてから自分の衣類や体を洗ったので、日没頃の午後七時に過激座から出て借り部屋に戻った。そしてその翌日に俺は朝から正午前まで中央記念公園で過し、塔周辺の下調べついでに空き缶空き瓶拾いに専念。日常化した過激座での雑務を終えて借り部屋へと帰り、十二月十日まで続くだろう忙しい日々の為に十一月最終日の夜時間を借り部屋で寝転がって過した。

そして迎えた十二月の初日。天候は快晴で照りつける日差しと輝く窓硝子等の反射光が眩しい。日没前に借り部屋を出発して徒歩で中央記念公園へと移動したのだが、どうやら俺と同じ事を考えている学生や観光客達が一定数居るようだ。

公園内東通りを歩く俺は朝の涼しい時間を過す為に集まった群衆の間を通り抜け、途中から熱気に耐え切れなくなり記念公園中央に聳えるセフィーナ塔へと駆け込んだ。

「やれやれ どうりで飲料用自販機が直に完売する訳だよ 今日も空き缶拾いで稼げそうだな」

そう言いながら俺は現在の時刻を確認する為に懐中時計を取り出し時刻を確認する。

(六時四十二分。まだ朝早いのに冷房が動いてるよ。観光客だけでなく都市民にも人気の場所のようだ。)

公園内が混雑する事を想定して午前四時前に借り部屋から出たのだが、ザガート修理費用を捻出する為に都市便代を節約したのが災いした。現在セフィーナ塔基部の四施設内は人ごみが多く、店舗内で開店準備を手伝う学生らしき若者の姿が多い。

俺はセフィーナ塔南東基部内一階をうろつき始め、地下へ降りれる階段の場所を探し左右を見回す。

四つの鉄塔脚を支える基部は同じ構造だと観光本に紹介されていた。記載内容どうり一階は飲食店や土産物等を扱う店舗と区画を借りた店子らしき雑貨屋が在る。観光客相手に朝早くから営業中の店も在り、都市が夏期の観光季節を迎えていると肌で判った。

(公園内は相変わらずだが、塔内も人ごみが多いと飛び交う魔素波長が段違いだ。まぁこのおかげである程度魔導細胞を活性化しても探知される心配は無い。)

楕円状の一階通路を一周したが、地下へ降りれる階段は表通用口横に在る地下水族館への入場階段のみだった。まだ一度も水セフィーナ塔族館へ入ってないので、今回北西基部へ移動するついでに地下街を通る予定だ。

空色雲空模様の半袖と海漂林柄の薄緑色の半ズボンが俺を夏期休暇中の旅行者或いは探索者だと演出している。面がセフィロト系なのでこの都市では移民だと認識され易いが、俺の場合は流浪民なので正規の職に就いてない。

(魔導通信含めた通信網中央制御室。そしてそれを管理運営しているのが行政区の設備維持課と何とか推進室だ。表向き探索組合との関連は無いが、今更秘密の一つや二つ有って当然だもんな。)

通用口の自動扉は群衆が絶えず出入りするので、検知装置が停止されて常時解放された状態だ。まだ朝早いので涼しいが、日が高くなると共に生温い空気が入り込み出入り口近辺が騒々しくなる。俺はそんな場所に有る地下街階段に入り、地下水族館とかかれた吊るし案内板を見上げながら地下へと降りた。

(空気が乾いてる。上とは大違いだ。)

合成版が張られた天井には、青白くやや弱い光を発する埋め込み型の照明が等間隔に配置されてある。地下通路は前側と右側方向へ直角に分岐していて、内側と外側の壁には水槽が埋め込まれた水槽窓や関係者専用入り口が有る。

俺は硬めの青い絨毯を歩いて地下街の水族館通路を歩く。この通路は地下街セフィーナ塔地下区画で四角い形状が特徴。正方形型の通路にて一般公開される水棲生物展示場と言えば理解できるだろう。

(魚や甲殻類はアトラで見飽きる程多く見た。今更水槽観賞なんて面倒だ。)

俺はセフィーナ地下街でも有名な中央地下街の水族館区画を一周し、扉や水槽の数含めた大よその地形情報を秘密裏にユイヅキに記録させた。その後地上へと戻る為に階段を上がり、塔北西基部に上がった。

【通信圏内に入ったので地形情報の解析を開始します。】

今のところ万事順調に事が進んでいる。そう思いながら俺はセフィーナ塔北西基部から外に出て、生活費や借り部屋契約代含めたザガート修理費を稼ぐ為に有る場所へとむかう。

その場所は中央記念公園西の遺産資料区内に在る公園管理運営協会西支部だ。協会と言っても景観状の配慮から一階平屋建ての住居で、骨組み配管に合成版を張り合わせただけの仮設住宅と言ったほうが正しい。

俺は塔から公園西通りを西へ進み、一キロ進んだ場所の西門敷地内側に在る協会支部の玄関扉を開ける。

「神矢管理人は居るか ()()を回収しに来たぞ」

やや大きめの声を出して支部在留員の老いた移民を呼んだ。すると玄関から入って右側の事務区画奥に見える便所扉から水を流す音が聞こえ、俺は靴を玄関で脱いで緑の上履き(スリッパ)に履き替える。

(何だ便所で用を足していたのか。酒を買いに行った勘違いして損をした。)

上履きに履き替えてから玄関すぐ左側に有る用具室の扉を開け、扉横の壁に立て掛けておいた俺専用の袋入り回収籠と長い金属棒の火ばさみを手に取った。

「おうイクサムか 丁度いい時機に来たな これから回収箱の中身を回収する所だ 廃液入れも持って来いよ」

俺は事務室から聞こえて来た快活な男の声に了承の返事を送り、清掃道具や看板等の路上器具の横を通り用具室奥に並べられた長い握り手付きの金属箱を手に取った。

(回収箱の中に詰まった金属類を纏めて回収できる絶好の機会だ。この廃液箱に相当量の飲み残しが溜まるだろう。今日は二千くらいは稼げるかな。)

買い物籠と似ている鉄製の籠に白く半透明な空き缶用資源回収袋を被せ、右手に火ばさみを入れた廃液箱を持って用具室から出た。丁度事務室から頭が薄くなった白髪混じりの小柄な老人が玄関へ移動している。俺は玄関先で上履きを脱ぐと火ばさみで黒い合成樹脂の履物棚に戻してから旅靴を履く。

「今日は資料区の南側を頼む たぶん団体客や修学旅行に来た学生達が居るからしっかり回収しろよ」

俺より遅れて靴を履き始めた神矢と言う名の移民。東大陸系の血筋なのに身長が百六十代前半程度と小柄な体が特徴だ。この管理運営協会支部の支部長だが、事実上名ばかりな唯一の在留員だ。

(今日は収集所と四往復くらいする事になるだろう。他の可燃ごみ回収依頼より何倍も稼げるが労力も多い。まぁ人の理から外れた俺には旨い話でしかないが。)

俺は顔に笑みを浮かべて相槌を送り、公園管理運営協会西支部と白く書かれた強化硝子扉を開けて通り反対側の道へ進んだ。


キノコタケノコ戦争。星暦が一万年を越えた年に施行された神暦の導入。現代文明が失われし魔導文明より長く続いた記念に制定された新しい暦だが、この五千年の間にゼノンは多くの戦争や紛争を経験した。

同国二大河川として有名なキノコ川とタケノコ川。この名は魔導戦争終結直後まで二大河川流域で栄えていた二大文明の名が語源とする説が一般的だ。

北部沿海地方中央から大陸を東西に横断する中央山脈まで遡る山岳地帯を源流とするキノコ川。中央砂漠東の山岳地帯国境沿いから西海岸流域へと流れるタケノコ川。どちらも多くの支流が合わさった外洋河川だが、人為的或いは地殻変動による影響で幾つかの支流が本流から絶たれ内陸河川に変わる。

災厄の時代からこれ等の水騒動が原因の飢饉や干ばつ被害が続き、群雄時代後期に多かった残存文明による浄化都市外へ進出活動が中期頃から活発化した。文明勢力は不完全な楽園を捨て汚染された大地に広まり、紛争や抗争を繰り返しながら発展する戦争文明による戦乱の時代へ突入した

キノコタケノコ戦争は世界史にて群雄時代後期から二千三百年後の革新魔導時代中期まで続いたゼノン動乱期の俗称であり、魔導戦争の様な破滅的災厄を(もたら)すゼノン版浄化戦役として認知されている。


高度な情報伝達と安定した資源供給技術が確立された現代。国や地方によって差が有るが、かつて不毛とされた汚染大地でも装備と金次第で開拓できるようになって久しい今日(こんいち)。俺は魔導通信で情報を共有しながら離れた場所にいる相手と意思疎通を行う学生達を尻目に、煉瓦道から草むらとの境に有る薮を白い手袋をはめた左手で搔き分けている。

「おっ ポーションとラプソディ缶見っけ」

右手に握った火ばさみを薮の中に突き刺し、根元の枝に挟まった青と紫色の空き缶を足元に押し出す。缶表面の酸化防止塗装に刻まれた擦り傷が目立つが、錆びてなければ凹みも無い。

(中身は無いし雨水も溜まってない。)

背中に背負う籠に空き缶二つを入れ、今度は数歩奥に有る背が低い群生植物へと足を運ぶ。既に背中の籠は七割ほど埋っていて、左腕に下げた空き瓶用の麻袋も同じ割合まで埋っている。そろそろ協会裏側に在る収集所へ回収した資源品を移す頃合だ。

「ちっ しぶいな 只の煙草かすしかない」

俺は広葉樹の間に自生する多年草に落ちている紙煙草の吸殻を一纏めに拾うと、右腕に下げている可燃物の袋に投げ入れた。

(流石に観光期間中だと回収箱を多く設置してもゴミ回収が全く追いついてない。遠くから風で運ばれて来た吸殻が一番多いんじゃないか。)

そう考えながら森林公園内の薮や木陰を歩き、公園内に落ちている可燃物や資源品を回収する。軽金属製の空き缶は酒瓶より安い値段で買い取られるが、数が最も多い資源品なので一つも見逃せれない。

俺は近くの薮と公園道近くの長椅子下を見回り、幾つかの空き缶と誰かの落し物らしき棒鍵付き留め具(キーホルダ)を回収した。

(棒鍵とは珍しいな。何十年も前に流行った公衆棚の棒鍵に似てる。協会支部横を通る時に落し物机に置いて行こう。)

清掃活動中に誰かの落し物を拾うのは珍しくない。財布や小型の携帯式魔導通信器を拾った事も有る。依頼稼業で最初の清掃活動をした時には男性用避妊具が入った小さな紙箱を拾った事もあった。

俺は焼いた小麦菓子色と黒砂糖色の煉瓦が交互に敷き詰められた道端に落ちている空き瓶を拾おうと手を伸ばす。その時胸元のユイヅキが弱く明滅し俺へ魔導通信を始める。

【対象区画の地形解析が終了しました。今すぐ視覚に立体映像を表示しますか?】

頼む。そう通信相手に頭で告げたら視界内にセフィーナ塔地下水族館の見取り図が表れた。正方形通路を回転させる立体映像には地下通路と繋がった関係者限定の通用通通路が表示されており、塔直下に在る中央出口を支える基礎構造物らしき区画の輪郭が薄く表示されている。

(やっぱり遮断壁に反魔導物質を使ってる。これだと外部から魔導探査や通信介入が出来ない。これで真ん中の箱に中央制御室と監視室が在ると確定した。後は職員に変装するか強行突入して情報を吐かせれば迷宮管理の実態を把握出来る。エメロギア湾のほぼ全体を囲む魔方陣が何なのか手掛かりが必ず有る筈だ。)

俺は紙コップ同然に握り潰した空き缶を背中の籠に放り込みその場を後にした。目的地は資料区西端に位置した回収物収集所で、そこに要る産廃業者に資源品を渡し報酬と交換するのだ。

十二月一日から二日目の正午前まで回収作業と夜間監視活動に勤しんだ結果。俺は二千七百Gの報酬を手に入れた。

回収作業中や夜間監視業務の間に休憩を挟む振りをしてユイヅキと共に魔導通信介入を実施したが、セフィーナ塔直下に在る箱状の空間内と通じた魔導通信端末は何処にも無かった。俺達は都市中の魔導通信を制御及び監視する部署に、魔導中継装置と繋がったあらゆる魔導通信装置が無いと判断。中央記念公園の南隣に位置する学園都市と同じ様に、機密性の高い有線通信設備を使い外部と情報交換を行っていると考えた。

俺は正午過ぎに中央記念公園を出て、都市内便を利用して過激座近くに移動。最寄の停留所から過激座までの道のりを歩き、午後一時前に目的地の過激座に到着する。公演日が近いので過激座内から聞こえる音楽や監督の声を聞きながら屋内廊下を進み、建物中央に有る舞台部屋にて二時間ほど演目及び段取り説明を聞いた。

午後三時から三十分程度の休憩時間の間に管理人含めた住人と共に掃除洗濯を済ませ、休憩終わりに関係者一同が出揃う夕飯の準備を始めた。炊事場に立ったスーラン得意の漁師飯とか言う只の干物焼きを人数分焼くだけの作業だったので、俺は午後四時前に調理を管理人に押し付けてから舞台練習に加わった。

俺の役は幕が上がった時既に舞台上に居る序役だ。大道具係が製作した密林背景とやらに囲まれ、観葉植物や造花含めた鉢植えの匂いを嗅ぎながら獲物が来るのを待つ役だ。勿論舞台練習にそれらしい大道具や小道具は無い。公演日の本番までは舞台の上で突っ立っているだけの簡単な役だった。

「君は動物の物真似か泣き真似はできるか」

配管椅子に座る白髪に白い髭を生やしたソニエント総監督が舞台から降りたばかりの俺にそう声をかけた。総監督は笑っている様にも見える思惑ぶりな表情で見つめてくるので、俺はついつい口を滑らしてしまう。

「森の獣の鳴き声なら大抵でき ると思う」

俺は記憶を無くした設定のまま活動している。探索者以前に狩人の真似事をしていたなんて口が裂けてもいえない。そう考え古都ベルス周辺に森が在ったかどうか思い出そうとしたら、総監督はセフィロト国外でも有名な猛獣森熊の雄叫びを注文しやがった。

「雄叫びなんて無理だ その代わり欠伸と遠吠えならできる」

俺は己の喉仏を抑え、絶妙な力加減で師匠の欠伸声と遠吠えを再現する。師匠は東大陸東部の国家獣人連合出身の元狩人階級出身者だった。種族は牙狼族で全身枯れ葉色の体毛と鳴き声が森熊と似ていた。

「臨場感が有る声だ ならセフィロトの国鳥ムハエルの鳴き声はできるか」

ムハエル。久しぶりに懐かしい名を聞いたが、流石に鳴かない鳥の異名を持つ鳥の鳴き声まではできない。

「そうか これで最後だが君はムハエルを見た事があるか」

俺は瞬間的に古都ベルスに滞在していた記憶を思い出し、それらしき鳥の番を何度か目撃したと言った。俺の返答を聞いた総監督は調理作業の手伝いに戻れと言い、すぐに視線を俺から舞台上に戻した。

(何か企んでいたのか、まだ何かを諦めきれず策を練っているようだ。今時劇座興行なんて特定層以外に観る奴なんて少ない。芸術なんてものに関わるのは今回だけだ。公演が終わればまた無縁な存在に成るだろう。)

そう考えながら舞台部屋から出て細い廊下を歩く。炊事場に調理中のスーランを残して居るので、夕飯の準備が遅くなる方が気がかりだった。

 

文化指定都市セフィーナ。北部沿海地方の最北端に位置するエメロード半島及びエメロギア湾南に位置する元港湾都市。汽水域として世界一の大きさを誇るエメロギア湾は東西最大幅が四百三十二キロに達し、火山活動や海流の陸地掘削現象で巨大化した汽水湖でもある。その世界で二番目の大きさを誇るエメロギア湾南端に位置し、定住人口八万人を要する中規模都市だ。一般にセフィーナと言えばこの都市を指していて、魔神伝説にも登場する浮遊島伝承の空中庭園セフィーナは空中庭園と呼ばれている。

元港湾都市だったセフィーナは迷宮探索街が発展してから中規模都市として栄え、現在は世界中から訪れる浮遊島目当ての観光産業が活発。秋と冬には国内から、春と夏には大陸外から多くの観光客が押し寄せる。観光期間中の都市人口は従来の四倍以上に膨らむので、居住指定地域に在る大型宿泊施設の建設や改築工事が常態化している。

千年程前まで都市周辺には幾つかの都市が在ったが、度重なる海獣の襲撃により産業圏ごと荒廃してしまった。現在のセフィーナ周辺には複数の遺跡街や自然保護区が在り、海獣によって汚染された場所を隔離する施設も存在する。


大道具係の誰かが発注した袋詰め黒砂糖を入れた厚紙箱をアカネ・ミクジラが下宿する第三高校に届けた翌日。午前七時半三十分の十分前ごろに大型複合施設の大学園関係者用出入り口前に到着した。

今回は移動距離が長かったので大半の道を都市内便を利用して短縮したが、それでも集合予定時刻十分前に間に合うことができた。俺は既に半数が揃っている過激座関係者達と共に通用口が開くのを待ち、従業員用の駐車場を行き交う中型運搬車の邪魔にならぬよう赤土色の合成石材の壁に寄りかかって時間を潰す。

大型複合施設の大学園は学園都市西端に位置し、歓楽街含む娯楽施設が多い第三商業区画と向かい合った通りに面している。土地が狭いことで有名な学園都市だが、大学園周辺は広い駐車場や停留所に囲まれていて、駐車されている車両の大半が一般大衆車ばかりだ。

(この辺りで大きな駐車場は此処しか無いんだろうな。学園都市内だと路面電車や都市内便に乗れば区画内を簡単に移動できる。学生証を提示すれば乗車料が無料になるから学生達は困らないだろう。)

緑系の半袖半ズボン姿の俺は、背中を合成石材の壁に押し付け荒く冷たい感触を感じながら駐車場入り口を見ている。駐車場出入り口は東西南北の四箇所で、真っ直ぐ前を見る視線の先には東口を出入りする人や車両の姿が多い。こうしている間にも乗用車や二輪車で東口から侵入して来た関係者が車両を車両の列へと入れて行く。

(黒色の高級導力車の登場だ。登場時の演出も怠らないとは流石は総監督だな。)

光沢を放つ黒い高級車は東口から侵入して真っ直ぐ関係者用通用口前まで進んで来た。普通なら他の車両の様に駐車場の空いている場所を探しに曲がるだろうが、監督は資産家でもあるので運転手付きの高級自家用車をそのまま集合場所前に停めさせて運転手に扉を開けさせている。

(服装はいつもどうりの南国服だ。資産家なら公の場に出る時は必ず着飾る。本当に金持ちなのか?)

そんな疑問を感じた時、通用口近辺で屯している過激座含めた施設関係者達が静まり返る。殆どの者が登場した監督の方を見ており、中には足元に置いた道具や機材を持ち上げる者も居る。

俺は普段とは違う真剣な表情で監督と言葉を交わすスーラン(管理人)の横顔を遠目で見ながら、表面が粗い壁から背中を離して通用口へと移動を開始した。

開かれた通用口へ続々と入る関係者や劇団員。俺よりやや遅れて来たアキノや、唾が広い帽子を深く被っていて判別できなかったヨウソーロも入り口から中へ入って行く。普段から背嚢を背負って行動しているが、今日は必要無いので持って来てない。ユイヅキを首からぶら下げ髪を少しだけ長めに調整しただけで、顔も体も昔のままだ。

通用口に玄関では無く、過激座の面子達の後ろに続いて土足のまま緩やかな上り坂が続く廊下を歩く。通用口から十メートル程進むと大理石が敷かれた大きな玄関が現れた。俺は過激座関係者達を見習って旅靴を脱いで上履きに履き替えると、楽屋通路と書かれた設置看板が通路入り口前に置かれた通路の奥へ進む。


大学園。敷地面積二十万平方メートルの区画内に在る二つの立体駐車場と二百台の大型車両を駐車可能な駐車場に囲まれた大型複合施設。建物中央が劇場で周囲の建物に公開展示会場や仮設舞台等が設置されてある。建物西側には遊泳競技場を筆頭に各種屋内運動設備が完備され、東側と南側には中型図書館や映画館等が有る。

収容人数は最大二千人で普段から四百人程度の利用者が居るらしい。もっとも大半が学生なので夏休み中の今なら普段の倍以上の利用客で賑わっている事だろう。

運営管理するのは学園都市運営委員会だが、実質管理しているのは西側の歓楽街と学園都市施設課要員によって構成された出張組み。観光本には文化保全財団による展示物が公開管理されていると記載されてある。文化保全財団の南大陸本部はセフィーナ中央行政区の南端に在るので、本施設は財団の施設ではない。

財団だけでなく学園都市の学生展示や学生主体の文化活動場所として利用されており、観光期間等は中央劇場にて学生有志の演奏会等が開催されている。そしてこれまた観光本の情報によると、毎年の年末年始頃に企業説明会が開催されているようだ。ゼノンの都市部では職業専門学校等の企業や組合養成所が少ないので、卒業間近の学生達は自分で職探しに励むのが常識として定着している。


建物東側に在る通用口から入り、同じ東側に有る舞台関係者用の大部屋に入った。大部屋内を見渡すと、全面に透明の滑り止めが塗られた広い木目調の床が視界の半分を占める。三メートル程の高さの天井が低く見え、荷物や機材を壁の隅に並べ道具の確認や練習準備を始めている過激座一行しか居ない。

俺は音響要員兼道具係の長髪丸根がね男性へ声をかけ、塗装の為に製作者に預けた金属縦笛を回収。直に縦笛用の笛箱を開けて、注文どうり本体や部品含め全体が緑色に塗装された縦笛を手にする。

「美しい やはり色は深緑色に限る」

注送管を縦笛に差し込み息を吹き込む。空気が各部の穴からしっかり漏れ出たのを確認してからか細い口笛を吹いて縦笛を振動させた。

(音に変化は無い。笛本体の振動管しか無かったから吹くのに手間取ったが、これで昔使っていた魔笛感覚で吹ける。姉ミクジラかその知り合いに魔笛の知識が有る奴がいたようだ。)

振動体が無い只の縦笛吹き込み口に細長い注送管を取り付けただけで難易度が激変した。俺は大部屋内で単純な音合わせを行うと縦笛を拭いてから箱に仕舞い、公演で使用する他の楽器と共に壁の隅に置いて準備作業の手伝いを始めた。

三日目午前中の活動内容は、第三劇場での練習準備と宣伝紙を掲示板等に張る作業ばかりだった。朝早くから集まった面子には初見の関係者も混じっていて、集合時間に間に合わなかったり何かしらの事情で遅れて来る奴も居た。俺は衣装の積み替えや大道具等の組み立て作業を重点的に手伝い、暇な時に大学園敷地内に有る関係者用宿泊施設窓口で己の部屋を確認したり、炎天下の駐車場で舞台宣伝の為に開催された公演前発表の裏方関係者に飲料水を配る作業を行った。

知名度が高い役者や総監督達を中心に構成された仮設宣伝会場に集まった若い客達に混じり漫談を聞いた結果、俺は今回の公演が複数劇座及び劇団による合同公演だと初めて知った。ここ数日何度も顔を見せ合った関係者の大半が過激座とは別の公演組織所属だと知り、総監督のソニエントが映像劇画作品の要人がとこの時に知ったのだ。

正午前に練習準備が終わってから本格始動した舞台練習の最中、俺は第三劇場と少し離れた宿泊棟横の運搬車搬入口へ運ばれて来た食料や物資の荷開きを手伝った。殆どの時間をこの作業に要し、関係者全員が明日からでも舞台練習に集中できるよう雑務をこなした。

三日の全体活動が終了したのは午後五時頃で、明日までの残り時間は各自で個別練習や準備等をするよう口答で伝えられた。特に用事も無い俺は管理人のスーランに魔導開発資料館に行くと伝えてから施設を後にし、午後五時十二分に大学園を出て直線距離で四キロ程の場所に在る魔導開発資料館へと移動した。

大通り沿いに在る魔導開発資料館正門入り口を越え敷地内に入った。今日の日中は快晴でまだ日が高く空は青いままだ。俺は懐中時計の時刻を確認してから半ズボンのポケットに入れ、施設表出入り口の自動扉から屋内に入る。

(温度や湿度差が段違いだ。調べ物が早く片付いたら閉館時間までここで時間を潰そう。)

俺は入り口から真っ直ぐ歩き、広い玄関広間中央に位置する円柱下の案内受付に近付いた。そして相変わらず無人の受付に有る案内用端末画面に触ると、前回の教訓から短時間で目的の情報と出会う為に開発記録管理室の場所を探す。

(虚構世界探索が実施される前の古い迷宮品を開発調査した記録集が残っているはず。倉庫の様な図書室を探し周ると幾ら時間が有っても足りなくなる。制御核の素材となった魔水晶や魔導結晶を解明しないと結晶回路の再構築すら出来ない。)

今回の調べ物はザガートの制御核修復と整備に必要な知識の収集が目的だ。制御核に使われた魔導物質の候補と機改用制御核に使用される回路情報をユイヅキに記録させ、舞台練習中や休息日等にて福音天使の解析情報との擦り合わせを行うのに欠かせない。

俺は総合開発記録管理室と制御核開発情報閲覧室の場所を特定し、先に総合開発記録管理室が在る二階から調べようと階段を目指し歩き始めた。

(ユイヅキの記録容量がかなり減っている。そろそろ不要な情報を消去して回路掃除をする時期だ。)

白系の大理石が敷かれた階段を上がり、同じ色の大理石が敷かれた二階通路を奥へ進む。一階真下には講義用の会議室等が在るが、二階には企業冊子のみの資料室や魔導資源含めた地理資料室等が並んでいる。それ等の一室から夏用学生服を着用した癖毛が特徴の男子生徒が出て来て、俺とすれ違い入り口広間方向へと歩いて行った。

(今のは高校生か。大学の研究生や研究職ばかり見かけるが、俺と歳が近い奴も利用しているようだ。)

俺は通路途中の十字路を右に曲がり、角から二区画進んだ先に在る左側の部屋に入った。

この部屋は最初の目的地である総合何たら室が入った共同部屋で、本棚と記録情報閲覧用の視聴覚室で区分けされてある。蔵書量は千冊程度と小型図書館並みだが、棚に並べられた本や冊子は全て魔導関連技術により製造された製品類が纏められた製品説明用紙の束だ。

少し黄ばんだ乳白色の金属製本棚に並べられた冊子や学術本を避けて通った俺は、部屋奥にて合成板の壁で仕切られた視聴覚室の前で立ち止まった。視聴覚室は全部で六部屋有り、そのうち左側の二部屋が使用中で扉が閉まっている。

(資料館内記録装置と繋がった部屋はあと一つか。とりあえず古い制御核の情報を漁らせて目ぼしい情報を記録させよう。)

そう考えながら乳白色の合成板の扉を閉め、端末画面と操作盤含めた一体形式の魔導演算装置が置かれた個人用机の椅子に座った。

俺は机上に置かれた端末機器の電源を入れ、起動中と表示された青い画面変わるのを待ってからユイヅキを魔導端末受信装置が内臓された端末脇の引き出しを開けた。そして迷宮式魔導端末と基本的な構造が同じ端末を操作してユイヅキに自動検索を実行させる。

黒色の画面に大きな青い枠の検索欄が表示され、その検索欄に大量の蔵書情報が表示されては消えて行く。一秒にも満たない感覚で二十数冊ずつ実行検索されているが、最新式の魔導端末よりやや演算性能を落とした旧型の魔導端末と同じ速度で実行させている。

(この様子だと十数分くらいで関連製品の洗い出しから必用情報に記録が終わる。その間にザガートと似た様な飛行機械を探そう。)

俺はユイヅキを残して視聴覚室から出て、すぐ右隣の視聴覚室に入って別の形式の魔導端末機器に電源を入れた。

(魔導飛行船と検索するか。飛行機械遺産と検索すれば手掛かりに当たる筈だ。)

俺は画面と演算装置と操作端末が有線接続された旧型の操作端末を叩き、文字を検索枠に入力して古い順に検索処理を実行させた。すると十秒も経たずに検索結果が表示され、俺は八十五の該当項目を上から順に一つずつ確認し始める。

「パルナートポックガゼランドジーテガード 全部ベルデ何とか戦役頃の飛行船だ これじゃない」

東大陸では昔から飛行船や飛行機械の開発生産が盛んだ。東大陸全域が魔導戦争の主戦場だった為、死神による魔導汚染によって変性した魔導物質の埋蔵量が世界一多い。昔から燃料や飛行機関製造に欠かせない希少金属や魔導資源が豊富だった事から、群雄時代初期に魔導文明時代の飛行機械技術の一部を復元する事に成功している。

(これ等は全部軽量合成板を使用した飛行船だ。ザガートの外板は木材や粘土粉末を焼き固めた合成版ではない。飛行大戦時代の復元品よりも前の時代の飛行機械情報は無いのか?)

俺は三十段目の設計図名称と製作年度を確認してから確認作業を止め、再び検索画面を呼び出して飛行機械遺産と入力した。すると今度は瞬きをする程度の間隔で検索結果が表示され、たったの五つしかない該当項目を目で読み始めた。

(大型回転装置と砲代用慣性機構か。設計図どころか完全体が一つも無いな。四つは全てベルデセルバ戦役の遺産だから関係無い。手掛かりとして使えそうなのは月の都から発見された魔導文明時代の降下艇部品だけか。)

最下段の項目を選んで閲覧命令を送ると、白い背景の画面に変わり写真画像と概略図らしき構造物の断面画像が表示された。俺は幾つかの画像横に有る解説文を読み、降下艇部品が分子運動変換装甲及び多層構造の筐体に内臓されてあったと理解した。

「専門用語ばかりで殆ど解らない 百八十年前の事なのにこれじゃあ他を探しても無駄だな」

俺は溜息混じりに端末の電源を切って椅子から立ち上がった。扉は始めから閉めてないので戸口から出て使用中の一体式魔導端末部屋に戻り、扉を閉めて内側から固定する。

(やれやれ。これは文化保全協会の資料館を調べる必要が有るな。五日の休息日に立ち寄ると。)

俺は青の検索表示画面隅に解析中の文字が出ている事に気付いた。慌てて操作端末を操作して魔導端末代わりのユイヅキに表示を消させ、検索処理を中断させて閲覧稼動記録を改竄するよう命じた。

(最近負荷をかけすぎたからか。ザガートの修理より先にユイヅキの調整を終わらせよう。)

俺はそう考えながら操作端末に改竄記録用の検索情報を入力して閲覧記録を誤魔化す。履歴を誤魔化す為に入力した文章は、黒の神官と恋仲に墜ちたエメロードと言う単語だった。


飛行大戦時代。

東大陸を舞台に、星暦六千二百年頃の植民地時代末期から星暦七千年初頭の魔導開花期まで続いた飛行船文明期の別称。造船や建築材用途に、軽く振動や衝撃に強い軽量合成板が開発されてから飛行型の船が爆発的に普及したのが始まり。

当時はまだ武力を用いた国家間紛争が継続していた時代で、軽量合金や軽量合成板を使用した大型の回転旋回翼推進による飛行体系が一般的だった。現在の飛行船の初期型である木製合成板船体に翼と動力機関含めた砲座を取り付け空中砲撃戦を行い勝敗を決する戦術が一般的で、敵対勢力の戦闘飛行船や地上標的への攻撃行為が日常化していた。

豊富な魔導資源と森林鉱石資源に恵まれていた東大陸各国は群雄時代から続々と飛行船産業の育成に注力し、戦闘用や非戦闘用の商船など幅広い飛行船の造船運用技術を抑止力として体系化させた。群雄時代初頭の東大陸には二つの大国と二つの中堅国家と小国一つが在り、広い国境線の警備から交易品と生活物資の輸送に飛行船を活用していた。

当時は星暦どころか迷宮探索による世界言語共通化が始まる前の時代で、ベルデ語を話す東大陸民は同大陸を豊穣の地を意味するベルデセルバと呼んでいた。災厄の時代に発生した世界規模の魔導汚染から殆どの地が回復しており、自然環境を荒らす旧文明が絶滅した事で最も自然豊かな時代を迎えていたのだ。

ベルデセルバを舞台に広まった最初の飛行船経済が普及すると共に国境争いが常態化。群雄時代前期に二大大国の通称ムギ連邦及びギダン王国が戦争状態に突入。当時静観を保っていたその他の国も大国同士の戦争に参加して領有争いを展開し始める。

この戦争は後にベルデセルバ戦役と呼ばれるようになり、およそ三百五十年後に勢力図が激変するまで続いた。ベルデ戦役を終結させたのは国家勢力ではなく、戦乱によって形成された傭兵或いは空賊集団出身の撃墜王だった。彼或いは彼女は頭髪が緑色でセフィロト系の顔立ちだったそうだが、百年ほど前まで何処の国出身なのか不明扱いだったそうだ。自身の飛行船を自由に扱い富と名声を築いたのだから、実に羨ましい話としか言いようがない。

ベルデ戦役終結後に飛行船技術や産業は衰退過程を辿り、半磁力揚力機構や圧縮推進装置の登場によって飛行専用機械に空を奪われた。現代でも大型回転翼機や旋回推進機関搭載の飛行船は残っているが、殆どが観光用や無人化された観測機改として使用されている。


魔導開発資料館で大よその修理計画を立てた翌日の四日午後一時五十五分、俺は大学園ではなく月輪島の南側桟橋へと降り立ち浜辺へと歩いている。

今日は午前中のみ練習や準備に参加するだけだったので、船場通りの借り部屋から衣類等の荷物を回収してから浮遊島行きの船に乗ったのだ。

本日の午後から明日一日にかけて人柱の適格者観察を行い、適応第二段階目の能力発現状況を確認して調整含めた少女達の行動確認を行う。ザガートの修理を始めるには金が必要なのでまだ時間がかかる。迷宮核の詳細な位置を確認出来ず彼女達が先に最終段階へ到達する可能性を考慮すると、場合によっては人柱の成長を遅らせる措置が必要になる。

俺は観光客に混じりながら島の遊歩道を北に進み、満月湖へ秘密裏に潜入した時と同じ道を歩んで東側の植物園区画に移動した。

ユイヅキが都市とエメロギア湾全体に構築された魔導陣を解析したので、人柱達が船でどの島に渡ったのか追跡できるようになった。三種の神器の擬似魔核が現実から魔導通信網の形をした虚構世界に入った位置を特定するのに殆ど時間がかからなかった。

探索者が入手した虚構世界植物情報によって改良された植物達の園には、偶然立ち寄った観光客より探索者の方が多い。温室や淡水棚で栽培された自身の花と観葉植物の生育状況を確認する為に来た者達ばかりで、所謂探索者向けの園芸場近くの魔法の輪から続々と探索者達が出入りしている。

俺はその様子を温室内に設置された迷宮型魔導端末を起動しながら眺め、適格者が無事に人柱へと成長するよう願いながらユイヅキに対象検索を命じた。

【自動検索を開始。対象の行動経路と現在位置を表示します。】

魔導端末に備え付けられた耳当て音響機器から音が聞こえ始めるのを待ちつつ、俺は緩やかに魔素の遠隔放射量を弱めて周囲の魔導通信網と干渉するのを避けた。

(これで面倒な端末操作の為に操作盤に張り付かずに済む。始めからユイヅキと同調した状態で端末を起動させれば良かったのに、どうして気付くのが遅れてしまったのだろう。)

魔導通信網が密集する場所は必然的に魔素循環量も多くなる。この魔素を大量に浴びると植物は急成長するので、魔素を媒体とする魔導干渉波を活用して周囲から大量の魔素を怪しまれずに吸収する事が出来た。

【対象の位置座標周辺に他の適格者が居ません。同やら何かしらの事情で別行動中のようです。】

ユイヅキの魔導通信によって現実に戻され、自然と視線が小型端末の画面に釘付けになった。俯瞰視点で表示された映像には赤い学生服と赤い胸当てを装備したヒカルしか確認できない。他の二人の位置情報を取得するには観察対象を切り替えるかユイヅキに探させるしか方法が無い。

(それは不味いな。他の適格者の位置情報を俺に送れ。今から直接レクサムに介入するから体の主導権を渡しておくぞ。)

俺はユイヅキに身体の主導権を渡して意識を周囲の魔導波長に溶け込ませる。するとユイヅキが捉えたレクサムの信号発信源へと吸い寄せられ、体の感覚が無くなったと同時に虚構世界へ転送された。

「アオイちゃん カザリちゃん 二人とも何処へ行っちゃったんだ」

蔦や苔に覆われた迷いの森を一人歩く無謀な探索者が手元を揺らすと、当然レクサムが揺れて俺の視界が歪む。ヒカルが両手に握った白い刀身の両手剣に意識を移し終えたが、問題はヒカル含めた適格者達の状況が予想以上に悪い事だ。

(霧は出てないから方位を見失った訳ではないな。となると何等かの罠で飛ばされたか、或いは魔物の群に遭遇して仲間からはぐれてしまったのか。)

眼球を動かす感覚と共に、白き刀身の根元に埋め込まれた赤い水晶体から見える視界が移り変わる。やっている事は魔導端末を操作して観察対象を観る角度を調節するのとほぼ同じだ。ヒカルが剣を大きく振るったりしなければ周囲の光景が加速度的に歪む事はない。

【対象の適格者二名を発見しました。情報を送ります。】

俺はこんな事もあろうかと(あらかじ)め擬似魔核に刻植しておいた隔離回路へ送られて来たユイヅキ専用暗号通信を受け取り、隔離回路解析能力で圧縮された通信内容を視覚化した。

(南へ三百メートル高低座標差は誤差の範囲内。良かったそれほど遠くない。これなら直に合流出来るだろう。)

俺は魔物の襲来を警戒して断続的に視界を歪ませるヒカルとの接続領域に、他の二人の位置情報を主観座標に変換して送る。レクサムは感知した同系魔道具の魔導信号を自動探知して掲示情報として適格者に送る機能が有る。ヒカルから視れば、手元の魔道具が仲間の位置を知らせる為に方位座標と距離を視覚化した啓示に見える訳だ。

「こっちに二人が居るの ありがとうレクサム 今から行くから待っててね」

ヒカルは端末を操作したユイヅキから送られて来た情報どうりの方向へと走り出した。現実なら木々等の遮蔽物が多い場所を全力疾走すると足を怪我してしまう。しかし虚構世界なら経験次第で大木すら蹴り倒せるので、運動能力と運動量重視のヒカルなら密林だろうと簡単に踏破出来る。

(性格からある程度は予測していたが、やはり非常時の対処能力はヒカルが一番低い。身体能力重視の鍛え方だから危なくなれば逃げれるだろうが、問題は仲間を庇うような場面に遭遇した時だ。危機管理能力が低いから自身の安全すら度外視しそうな行動をしてしまう。こいつも修正が必要だな。)

俺は激しく揺れる走馬灯の様な景色を眺めながら位置情報を注視して他の適格者達の状況を探った。

ユイヅキから送られて来る暗号を解読し、二人が魔物の群に囲まれながら戦闘を継続している状況が続いている。当然この情報をレクサムが探知した啓示情報としてヒカルに提供したので、短い丈のスカート下から見える赤い密着型下着の動きを間近で見せられながら風景の流が加速する。

「あれ程兄達に状況認識が遅い注意されたのに どうして何時も先の事が見えずに迷うんだ 何で僕だけ何時も何時も」

俺はレクサムの結晶回路と接続されたヒカリの状態数値と魔素循環効率を確認し、ヒカリの魔導細胞から発せられる固有波形が以前と全く別物に変化しているのに気付いた。

(こんな波形見た事がない。それにレクサムの活性化割合と魔素吸収と変換指数が反転してる。魔道具の補助無しで魔素吸収と活性化を並列処理している事になる。こいつ何者だ?)

そう疑問に思いながらも俺は視界を動かし進路前方を見る。魔物達と戦闘中の適格者達が認識距離に入った為、レクサムを統轄している俺自身が魔道具の解析処理を行わなければ成らない。

「二人ともこっちへ 私が囮に成る」

ヒカルがレクサムを振り上げる直前に解析対象を指定する事に成功した結果。ヒカルが足長鼠と似た深緑迷彩柄の体毛を有す魔物を背後から斬り倒しても視覚範囲は大きく動かなかった。俺は入手した魔物の情報を啓示情報としてヒカルに送り、周囲に何十匹と居る森鼠兵達の位置情報を彼女の視界に投影した。

ヒカルは左手で剣を扱い進路上の魔物を斬りつけ排除する。全てを一撃で仕留める事が出来ないので、右手人差し指と中指の間から炎を出し切り傷ごと体毛を燃やしながら進む。

「皆さん昇華陣を此処で試しましょう 上手くいけば貴重な経験と成ります」

適格者三人は二三匹の集団で襲って来る森鼠兵達を武器で排除しながら背中同士が接触する距離まで近付いた。昇華陣なる技なぞ聞いた事が無い。彼女等が独自に編み出した魔法演舞相当の技なのだろうと考えながら、俺は何かの合図なのか突然名前だけを呼び合う適格者達の行動を見守ることにした。

「守りと戒めの風よ 焔の意思を以て 我等の敵を晴らせ」

レクサムを通じて赤緑青の三つの魔水晶が魔導共鳴したのが判る。魔導共鳴と共に紡がれた適格者の言葉が一文の呪文に変換された瞬間、それぞれの装備に装着した魔水晶から風と炎と水属性の魔法が同時展開する。

(これは合成魔法。まさかもう魔法乱舞を操作出来るようになったのか!)

風によって炎が森や魔物達含めた適格者を赤く染め上げたと思った瞬間、内側から急激に発達した入道雲の様な蒸気塊によて炎の竜巻が掻き消えた。その直後に周囲の空間を揺らす振動と地響きが発生し、呪文詠唱から二秒も経たないうちに周囲の魔法現象が掻き消えた。

「よぉぉぉしっ 僕達の勝利だぁぁぁ」

数秒前まで密林の只中で魔物の群に囲まれていたのに、視界が回復すると森の中に出来たばかりの空き地が姿を現した。水蒸気爆発で木々や植物が綺麗な棒倒し状態で倒れており、破壊痕は背中を合わせて身を寄せ合う適格者達を中心に十メートル近く広がっている。

「おかしいわ 魔物の戦利品が一つも落ちない もしかして変態化する前に吹き飛んだのかしら」

俺は金目の物に目移りし易いアオイの声を聞きながら、周囲へと魔導探査を行い残存する魔物の数を割り出した。その結果。先程の爆発で残っていた森鼠兵達が完全消滅したと判明、すぐさ森鼠兵集団を駆逐した情報を啓示情報としてヒカリに送った。

(粒子消滅する際に魔物の一部が戦利品へと変態化するが、どうやらアオイの言うとうり変態化する前に構成粒子ごと消滅したようだ。森鼠兵は下級魔物の群だから戦利品を多く回収しても対価は少ない。昇華陣の使い処さえ間違えなければ大量収穫も不可能ではない。)

戦利品が消滅した事に落胆して天を仰ぐアオイと対照的に、ヒカルは笑いながら破壊痕の倒れた木々を調べ始めた。カザリは緊張が解けた途端その場で膝を曲げて正座してしまい、普段から光が射し(にく)い苔むした大地に付着した大量の水滴が光を反射する光景を呆然と眺めている。

(どうやら衝撃音を警戒して周囲の雑魚が逃げてしまったようだ。遺跡や川辺に近寄らなければ中級や上級魔物と遭遇しない。しばらくは此処で体力を回復させる為に休憩する事になるだろう。)

俺の考えは正しく、俺が意識を体に戻してから二十分間ほど適格者達は爆発痕に留まった。再び探索行動を始めてからも魔物の群と頻繁に遭遇し、適格者達は疲弊しながらも迷いの森探索で各々の目的へと一歩前進した。

ヒカルは莫大な数の魔物図鑑を埋める為。アオイは戦利品や収集品を売却して生活費に宛がう為。カザリは稼いだ個人探索点数を貯めて虹色真珠だったかと交換する為に虚構世界を彷徨う。彼女達の目標はまだまだ遠いので、夏休みの終わり頃まで探索者生活を続けるだろう。

こうして俺は四日と五日の正午まで浮遊島で過し、五日の午後から七日の夕暮れ前まで舞台練習に専念した。適格者達の擬似魔道具が成長第二段階の能力発現段階に移行し終えていた。俺は七日夜時間の間に借り部屋でユイヅキを操作し、適格者の経過観察調査を実施する時や魔導陣調査の為に使う予定の信号調整機能を製作した。

そして公演日までの練習期間に設けられた最後の休息日を活用し、俺は日の出前に借り部屋を出発してセフィーナ漁港に場所を移してから魔導通信で適格者達の行動を観察。本日(八日)はホーライを探索すると成長した元擬似魔核の魔導通信を介して判明したので、何時もどうり衣類で膨れた旅行鞄を持って公衆便所に入った。


信号調整機能。三種の神器制御核の擬似魔核が小型水晶体に変化した事で追加できる新たな機能。適格者の現在位置を正確に追跡可能で、浮遊島やエメロギア湾を覆う魔導通信領域範囲内にさえ居れば確実に探知できる。

環状型の古い魔導中継装置によって構築された謎の魔導陣を監視する為の秘密記録回路を形成させて、その回路に能力強化した追跡信号受信処理機能を併用させている。

適格者の追跡や魔導陣の解析能力だけでなく、探索時に一時記録した情報を帰還時にユイヅキへ自動送信する事が可能に成る。これにより今後から容姿を変えて適格者と同じ船に乗り、浮遊島と都市を行き来する必要が無くなる訳だ。


俺は上半身が裸のまま暗い水中を漂い、底から湧き上がる大量の魔素と結合した水分子に体を浸している。周囲の高い水圧により咥内から肺まで全没していて、魔素吸収による生命維持でなければ意識を保てない。

そんな中でも全身の魔導細胞を活性化し、浮かび上がらせた魔道路から魔素を吸収して胸の中心に埋め込んだユイヅキに送る。今も青緑色に薄っすらと発光する水晶体の修復が終わるのを待ちながら手足を少し動かし水中で方向転換を行った。

幅が十メートル未満だが底が深い亀裂の底に体を向けると、補正された視界に赤く明滅する長い帯状の線が視界内に入った。それは月輪島中心の満月湖の更に中心に在る亀裂の底であり、遺跡によって隠された大量の魔導鉱脈露出場所に他ならない。

(今頃適格者達は迷いの森を探索している頃だ。探査者としての成長も順調だからそろそろ遺跡に入ろうとする頃だろう。ユイヅキの修復と一斉点検を済ませたら都市に帰って、セフィーナ塔か浮遊島の歴史でも調べるか。)

優れた通信機器であり同時に演算装置でもある魔導水晶。同時演算と情報伝達を魔素交感によっておこない、変換された記録情報によって結晶回路が構築される。故にこの結晶回路は様々な概念を形にする多重連鎖型の結合神経そのものであり、生物や魔導生物の基幹細胞と同じく消耗から逃れる術が無い。

理論上、魔導細胞を有する生物なら何ものでも魔導水晶を利用する事が可能だ。実際革新魔導時代に幾度も人体と動物実験が繰り返され、魔獣や魔物を魔導水晶体で飼い慣らす技術が生まれたのもこの頃だ。

俺は自らの肉体を使いユイヅキの自己再生に貢献しながら、流通している天然魔導液より遥かに高純度な魔素が湧くこの場所が何なのか考え始めた。

(厄災時代に発生した汚染物質を埋めた場所。もしかしたら魔神の元同族達の死骸が葬られた場所かも知れない。神殿の柱を調べたら反魔導物質と同じ効果が有る玄武岩を砕いた人工石材だった。深く刻まれた傷を縫う為に柱を深くまで埋めたのなら全てに納得がいく。)

頭頂部から股間の間を軸に右回転して亀裂の中をゆっくりと漂う。満月湖は淡水湖なので海水より不純物が少ない。ユイヅキだけでなく己の魔導細胞に魔素を充填するのに適してた場所だ。

(ザガートを修復するのにこの水は使えない。あれには魔物の生体結晶や魔石等の原料から抽出した高濃度魔導液が必用だ。濃度値が高すぎて常に触れた物質を変質させてしまうから、専用容器含めて数十万は必用になるだろう。現状短期間でそこまで稼ぐには迷宮探索しか方法が無いんだよな。)

俺は溜息代わりに大きく水を吐いてからまた吸った。水流が無く沈降物も無い正常な水は透明度が高い。もし亀裂に太陽光が届けば蒼い絶壁の姿を垣間見れただろう。

ザガートの制御核を修復するには、制御核に魔素を浸透させる触媒となる高濃度魔導液が必須だ。修復する際にはザガート本体内部から漏れ出た不活性魔素を綺麗に洗い流す必要が有り、これが出来なければ修復作業が高確率で失敗して貴重な魔導液を浪費してしまう。

不活性魔素含めた汚染物質は理力で浄化できる。俺にとって問題なのは魔素含有量が高濃度水準の魔導洗浄液を入手する金と手段が手元に無い事だ。一度浄化障壁を封印された格納庫全体に広げて浄化したが、発生源であるザガートの内部を浄化する為にも制御核の復活を急がなければ成らない。

(いっそ天空樹方式でザガートの魔導循環系に溜まった汚染物質を吸収してしまうか。風呂樽三杯から四杯分の液体を飲み干せれば魔導細胞が分解してくれる。時間は掛かるが天空樹生まれの俺なら可能だ。)

迷宮核の場所が都市内なら、地下探索若しくは重要施設を強襲すれば迷宮核とやらを拝めれる。もし星海空間内の落下物軌道の間に在るのなら、現状手の出しようが無い。ザーガトを修復しても地下格納庫から出す術が無いので、機械島地下都市遺跡を調べ尽くす必要が有るだろう。

ユイヅキの自己修復を待つ間特にする事も無く、俺は悩むのを止めて思考を放棄した。その結果再び目を開いた時には時刻が午後五時を過ぎていて、寝過ごしたと反省しながら発見されぬよう満月湖から脱出する方法を考え始める。

結局観光客に化けて満月湖内西側に在る遊泳区域に移動して陸に上がり、装備を回収しに時計回りで東側の湖畔へと移動してから南船着場で帰りの船に乗った。俺は八日に人柱候補の適格者を観察できないまま大学園の宿泊所に帰り、九日を終日舞台練習に費やしてから公演日の十日を迎える。

多くの依頼労働や適格者調査含めた浮遊島調査で忙しく、以前から龍騎士伝説なる至極正統な題名の見出しが広告等で宣伝されていたと知る機会が無かった。俺は朝起きてから配布物運びで大学園内を駆け回っていると、まだ八時半ば頃なのに周囲の駐車場の大半が車両で埋っている光景を目の当たりにした。

関係者向けの駐車場と立体駐車場及び団体客向けの都市便駐車所の大半が埋っており、大学園施設内の一階や二階に在る各種展示場では朝から混雑している。最初の開演時刻が迫っていたので、俺は最後の印刷紙の束を劇場入り口前の吹き抜け広場へ運ぶ為に絨毯廊下を走った。

俺は観客へ配布する為の舞台情報紙を劇場入り口前の長机に置いてから大部屋へ移動。部屋に入った直後に衣装係に発見され、流される様に化粧台の前へと連行された。俺は渡された着ぐるみの様な本物の葉で覆われた羽織を着込み、やはり昔使っていた物と似ている三色の顔料を顔に塗られながら鏡に映る自身と背後の役者達を見比べた。

森林地帯で活動する狩人なら馴染み深い木の葉羽織を思い出しながら舞台へ移動すると、舞台上には前日の全体練習に使用した屋内観葉植物とは全く別の大道具が配置されてあるではないか。俺は様変わりした舞台を舞台袖から眺めて、狩人として何処に隠れるべきか真剣に考え始めた。

内側が黒一色の垂れ幕が下りた舞台上には本物そっくりの木々や腐葉土の絨毯が敷かれある。天井から吊るされた背景壁は舞台中央を内側にやや湾曲しており、壁に張られた壁紙と重なって見える擬似植物が歪な森を再現している。

俺は遠近法等で奥行きを演出する為に歪んだ背景壁より遠く、観葉植物や造花含めた鉢植えが並べられた垂れ幕側の近くに陣取り腰を降ろした。腐葉土の絨毯は空気袋を重ねた上に本物の落ち葉や枯れ枝を敷いた物で、尻に圧迫された空気袋のおかげで硬い床に腰を降ろさずに済んだ。

「開演三分前 開演三分前 入場扉を閉めます」

垂れ幕の反対側から開演前の案内放送が聞こえたのと同時に、舞台上の照明が切り替わり薄暗くなる。舞台上は主人公が育った村近くの山中に在る古い森なので、意図的に特定の場所へ照明光を当てて木の葉の隙間から射す太陽光の演出が始まる。

(朽ち果てる前の死体役に鳥の鳴き声をやらせるなんて可笑しな監督だ。客への演出だと言っていたが、俺にはさっぱり解らない。)

開演時刻一分前に予定していた鳥や森のざわめきを表現する音響効果が、舞台袖両側や背景壁に設置された音響装置から放送され始めた。セフィロト代名詞の中央森林地帯で暮らしていた俺からすれば、はっきり言って五月蝿いだけの騒音に他ならない。

俺は観客席を左側に見る位置で体を後ろに倒し、そのまま背後に在る大きな針葉樹の地表に露出した根の隙間に上半身を隠した。観客台右側の席に座った観客からは足と左腕しか見えないだろうが、これも監督の指示なので従うしかない。

更に俺は八数秒間だけ呼吸を止める為に深呼吸を繰り返し、同時に右手で喉仏と気孔を掴んで鳥の鳴き声を模倣する。大型大衆劇場なので俺の鳴き声は他の雑音に紛れてしまうだろう。おそらく舞台傍の観客席にしか聞こえない筈だ。

開演時刻を告げる電子音が垂れ幕の反対側から僅かに聞こえ、俺は左目だけを閉じて顔を右に背ける。そして喉を鳴らし、蒸し焼きにして食すと旨い黄色身鳥の鳴き声を周囲に響かせ始めた。

(幕が上がり始めたのに静かだ。マルマル広場に在る仮設舞台で旅芸人が見世物を始めると拍手喝采で向かえるのに、やはり言葉は同じでも文化は違うようだ。)

俺は喉以外の動きを止めて死体役を務める。序役と言っても台詞が無いから気楽な筈なのに、観客席から聞こえる子供の泣き声が気になって意識を削がれそうになる。

(そう言えば俺も死と言う概念を知った日の夜に熱をだして眠れなかったな。確か解体される森熊から人間の頭が出て来て大騒ぎになった日だったような。あれ、違うか?)

幕が上がってから五秒ほど経過し、観客達から見て舞台左側より蹄鉄が地面を蹴る音が鳴り始める。俺はその音と同時に声真似を止め、後は場が移り幕が再び下りるまで死体役を続けた。

三時間と二十五分の公演が一日に三回あり、三十分ほどの空白時間を挟んで午後六時半まで龍騎士伝説は三回繰り返された。公演が終わり撤収作業が始まったのは日没後の事で、無事に死体役と笛係を務めた俺は大部屋内で着替えてから宿泊所の公衆浴場で体を洗って染み付いた油絵の具の匂いを落とした。

今回の公演は前回よりも集客数が多かったようで、俺は大部屋と通路を挟んで反対側に在る会議室で当日券の売り上げ金額を数えていたスーランから報酬を徴収。スーランに打ち上げとやらに参加しないと明言してから大部屋に戻り縦笛を回収し、大学園から出て閉館時間が迫っている魔導開発資料館へと出発した。

午後七時過ぎに魔導開発資料館へと到着した俺は、海獣から採れた生体核や生体結晶の利用法を調べようと第一書庫の検索用端末を目指し早歩きで館内を進んだ。

第一書庫は入り口広間から一階左側の外縁通路を進んだ突き当たりに在り、魔導開発資料館の蔵書で唯一貸し出しが認められた書類冊子や書籍等が保管されてある。ただし一般的な図書館とは違い、盗難防止用に書庫へ関係者以外が入れないよう銀行窓口の様な透明強化合成板の壁で仕切られている。

俺はその仕切り壁と反対側の壁側に設置された検索用端末を操作して、星海開発が始まる前まで主流だった魔導式擬似脳に関する書籍を探した。その結果百二十七の該当結果が表示され、まだ貸し出されてない二冊の関連大全集を選んで稼働中の整理運搬用機改に持ってくるよう指示を送信する。

(高性能半導体や有機演算結晶に駆逐された魔導式擬似脳の研究開発資料集は簡単に入手できる代物じゃない。今はこれを読んでザガート制御核を復活させる為の足がかりにするしかない。)

懐中時計を見ながら仕切りに設置された無人の受付窓口へと歩く。閉館時刻の午後八時まで残り四十八分しかない。館内の読書専用区画で読むだけの時間は無いので、俺は透明板の奥に見える立体倉庫の様な棚の間を移動する箱型機改へと意識を移した。



第十六話「そして偽るもの」

十二月十一日の午前十一時三十分前。場所は機械島地下都市遺跡内の封印された格納庫内。ザーガートの制御核とユイヅキに買ったばかりの魔導検知装置を繋いで回路診断の完了を待つ間、俺は魔導物質製の塗料を剥がすのに使用する液化窒素化合物の魔導洗浄缶をザガート本体に拭きかけ不活性魔素ごと表面を掃除している。

胴体部と推進装置らしき翼と脚部の三つにより構成された福音天使。飛行機械として空を飛ぶ為に強い魔導反応による磁力干渉で浮き上がる飛行機械だと思われる。俺は折り畳まれた翼の偏向板に噴射缶を噴き付けながら理力による浄化干渉波を放ち、隙間等から漏れる不活性魔素等を強制分解していた。

「回路診断完了しました」

赤黒い制御核に貼り付けた検知機から垂れ下がったユイヅキの声を聞き、俺は翼付け根部分から跳び下りて歪んだ人工石材の足場に着地する。

「短時間で終わらすから回路修復と解析を同時に始めろ」

俺は十日ぶりに対面したザガートの制御核に両手を合わし、魔導細胞を活性化させた最大出力の魔素放出を行った。両手と赤黒い制御核の接触面から零れる緑色の光を制御核に浸透させると、見る間に大きな制御核の赤みが増していく。制御核に染み込んだ不活性魔素の残滓が吐き出される様に煙が噴出し、俺の浄化障壁によって直消滅してしまった。

「循環系はまだ回復しないのか このままだと入れた魔導液が空に成るぞ」

魔素供給源の俺の問いにユイヅキは何も答えない。ただ俺と同じく莫大な量の魔素を巡らせ複雑な解析処理を実行し続けている。俺は青色から青色へと変わりつつあるユイヅキの輝きを見守りながら、目の前の制御核が最低限復元されるのを待った。

(舞台公演の報酬と依頼報酬合わせて九万二千七百Gも稼いだ。当分金に困る事は無いだろうが、これで制御核の復元に失敗したら報酬の半分が無駄になってしまう。だから成功してくれ。)

制御核と濃縮魔導液の代替として入れた重水が合わさり始め、少しずつだがユイヅキの輝きも減り始めた。俺は全身の魔道路と魔導細胞を活性化させ生体回路に流れる魔素濃度を限界以上に引き揚げ、ユイヅキと繋がった検知装置に差し込んである汎用水晶体の能力を底上げした。

その甲斐あり、魔素供給を始めてから三分ほどで制御核の結晶維持機能が回復した。ユイヅキは回復した機能を足がかりにザガート本体の循環機構を作動させて、体内に溜まっていた不活性魔素の原因である得たいの知れない汚染廃液を胴体後方から噴射させた。

大量に失った魔素と消耗した魔導細胞を修復する為に、俺は買い漁った市販の魔導飲料缶を次々からにして魔素を体内に取り込み始めた。その最中にも制御核の結晶回路再構築と情報の補完作業が順調に進み、一時間ほど休んだ頃にはザガート本体との接続機能を復活させる事に成功する。

俺は時間を忘れてユイヅキと同調し、順次機能を取り戻す制御核内の蓄積情報を解析し始めた。予想どうり大部分が暗号化されていて直に解読する事が出来ず、俺は二度ほど魔導細胞を活性化させて魔素供給を行った。

午後三時頃にようやく制御核が本来の機能を取り戻し、休む事無く続く本格的な解析作業を始まった。俺の体が入る空間に納まった制御核には莫大な量の情報が蓄積されていて、博物館等に展示された古い魔導水晶体や古代の擬似脳とも比較出来ないほどの多くの拡張機能が確認できた。

俺達は十一日と十二日を解析作業と暗号解読作業に費やし、一切休む事無く古代魔導文明の情報を少しずつ変化した。長らく封印され使われなかった事で制御核本来の処理機能が低下しているので、強引に情報解析や解読処理を行うと暗号情報を損失する恐れがあった。

解析作業は十二日の午後七時過ぎに終わり、俺達はザガートの構造及び操作情報含めた取り扱い情報の復元に成功する。それらの情報を頼りにザガート本体に備わった自己診断及び修復機能を起動させ、午後八時ごろから翌朝まで暗号解読作業に集中した。

俺は処理能力不足により解読出来なかった暗号情報と、未解析領域にある情報を除外した変換済み記録情報をユイヅキに複製記録させた。ザガート本体が完全に自己修復されるまでまだ何日も時間が掛かると判明したので、疲弊した肉体を回復させる為に月輪島に移動した。

十三日は日没まで月輪島の遺跡下で過し、記録した膨大な量の情報を参照しながら魔導細胞の回復に努めた。世界窓信の様な大規模通信設備用の複合記録装置を超えるだろう制御核の記録領域には、天空樹で出あった蟲の王が隠そうとした失われた歴史情報が残っていた。俺はザガートがおよそ百六十年前に発見された月の都にて管理されていた切り札的防衛兵器だったと理解し、五千年も前に放棄された月面都市がフランベルと名付けられた宇宙港を中心とする軌道施設型の遺産を管理していたと知った。

更に月の都に住んでいた者達は魔導戦争中盤から惑星アヴァロンの戦争に参加していた。福音戦士だけでなく魔導生物を駆逐する技術等を連合側に提供した存在の名を知り、蟲の王が俺にイクサムと言う名を与えた理由と関係していると理解する。

俺は機密情報漏洩を防ぐ為に閲覧した情報の大部分を削除しながら複製記録を読み続け、ようやく長い混迷期を齎した魔導戦争の真実を知ったのだ。

俺は十三日の午後九時前に瀬絵フィー名漁港へ上陸。乗客が少ない都市便で船場通りに戻り、船場通りで唯一在る案内所内の一般利用客向けに解放された世界窓信端末を占有する。

目的は現在から百六十年以上前の星海開発に関する情報を漁り、五千年前まで惑星軌道上に在ったフランベルなる軌道宇宙港含めた軌道設備が発見されたかどうかを確認する事だった。

俺は不確かな情報や誤情報が多い軌道衛星関連や軌道落下物情報を扱う開放型掲示板を閲覧。同掲示板の目録に百年前の衛星群崩壊事件で隠匿された情報や陰謀説等を紹介した掲示板を発見した。専用認識鍵さえ有れば誰でも編集可能な一般記事を読み進め、衛星群崩壊事件前まで赤道上の高度七百三十キロ上空を周回していた宇宙港が様々な問題を抱えていたまま運営されていた不祥事記録を全て読んだ。

現在も静止月面裏側に在る廃墟都市遺跡を調査探索する為に建造された宇宙港の崩壊原因。この掲示板にも書かれてあるとうり可燃性気化粒子の漏洩が発端の火災爆発事故だと推測されてある。俺は今まで一度も興味を感じなかった百年前の事件に目を通し、当時宇宙港を中心とする軌道通信網整備計画が進んでいた事実を初めて知った。

無尽蔵とも謳われる魔素を利用した通信は、費用や維持費が電波と光信号を送受信する通信設備より安上がりだ。この特性を利用して世界中を網羅する魔導通信網の構築が進んでいたと教科書に書いてあった。この計画は世界魔導通信網整備計画と呼称され、衛星群崩壊事件が無ければ七十年程前に完成していたと言われている。

俺はエメロギア湾全体に構築した巨大な魔導陣した場合の大まかな推定通信処理値をユイヅキに試算させると、現在と同じ魔導陣を大気圏外に構築した条件下ならエメロギア湾全体の魔素を利用した一大虚構世界を構築できると知った。

当然次に調べたのは衛星群崩壊事件前のゼノン上空軌道上の軌道施設情報だった。調べると現在落下物に覆われている高度五百キロから七百キロの衛星残骸軌道に、ゼノン星海管理局が入った大型軌道駅が在ったと判明。詳細な一座座標が配置図に書かれた画像を見て、大型宇宙駅がセフィーナ上空五百五十キロ地点の静止軌道に在ったと知った。

浮遊島に虚構世界が構築されてからあと数年で六百五十年目を迎える。六百五十年前の地上文明は星海へ上がる術を復活させてなかった。もし迷宮地核が残骸軌道上に在るのなら、残骸に囲まれ地上との通信が途絶したままの状態だ。なにより魔導素粒子は星海空間では拡散して消滅してしまう。迷宮核が軌道上に在ったのなら、浮遊島の虚構世界は百年前に消滅している。

俺は後頭部に両腕をまわして思考を整理すると、気になったセフィーナ上空に在った大型宇宙軌道駅なる構造物の詳細情報を探し始めた。


世界魔導通信網整備計画。およそ二百年程前にゼノンの通信大手機器が立案した宇宙軍軌道民間利用案を基に実施された世界建設計画。まだ星海進出が始まってから三十年ほどしか経過してない頃、国家間の技術格差による経済的不安定要因を解消する為に設置された世界経済補完委員会によって主導されていた。

当時既に。探査衛星によって月の裏側に在る廃墟都市の存在が確認されていたが、各国首脳を中心にこの事実は隠蔽されていた。後の調査で水面下での領有争いが勃発した証拠が発見されたが、発覚した時既に七十年分の月日が過ぎており当事者不在のまま処理された。

都市遺跡を調査する為の資金横流し目的で押し進められた整備計画は、年間維持費と大量発生した軌道散乱物による二次被害が原因で延期と再開を繰り返していた。結局月の都探索で巨額の赤字を抱えた星海開発公団の再建処理の為に、資金確保の名目で軍事利用可能な軌道通信設備民営化作業から再出発する。

九十八年前の衛星群崩壊事件までにアヴァロン全体通信量の四割越えを達成していたが、宇宙港崩壊により発生した軌道飛散物によって人工衛星ごと破綻した。


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