六章後半
第十四話「草の根搔き分け宝探し」
ゼノンだけでなく南大陸唯一の学園都市。学園都市は盤上に区画配置されていて、第三高等学園は都市東区内の二十二番地に在る。学園都市区画規定に則り東区には全部で百の番地に別けられていて、二十二番地は同区内の北東区域内に在る。
仕事納めの夕暮れ前だろうと関係無く、俺は配送車両や各種宅配便が多く往来する学園都市中央横断道路の停留所で都市内便から下車。停留所から中央横断道路の北側網目道路沿いを徒歩で北に進み、二区画進んだ場所に在る第三高等学園前の正門入り口に到着する。
「良かった まだ門が開いてる 随分開放的な学校だな」
俺は格納され開放された伸縮柵近くの正門から敷地内を見る。正門前の狭い敷地に建てられた校舎らしき赤いタイルの建物が、陽光に照らされ赤く俺の視界を埋め尽くしている。そして想像したより人の声や物音が少なく、すぐ後ろの通りより静かな雰囲気を漂わせている様に感じた。
(こんな大きな建物でも小さ目の学校なんだからな。国が違うと風土だけじゃなく色んな物が違って見える。それに学園都市では横長な学舎が少ないらしい。どれだけ少ないかは知らないが、他の都市で見かけた学校用庁舎を建てれる場所は少ない。)
敷地内は骨材に砂利を使用した表面が荒い一般的な黒色接地材で舗装されており、車両や出入りする者の靴底に付着していた小粒状の石が多く落ちている。俺は正門から真っ直ぐ進んで古そうな学園敷地内に入り、半円笠状の半透明な透明板の屋根の下を通って玄関らしき正面入り口に入った。
(外観以上に長い廊下だな。それに消毒液の様な臭いと回収紙の匂いがごちゃ混ぜになった臭いが充満している。)
病院や公共施設で見慣れた太陽光が反射し壁や柱が鏡の様に写った長い廊下。乳白色色の廊下には、人が歩く足音どころか人間の姿が見当たらない。
俺は大きな段差前で靴を脱ぎ、青い合成革製の履物を履かず緑色の靴下だけで廊下を歩く。廊下内の部屋には殆ど照明の光が点いておらず、玄関近くの左側に位置する受付部屋の小窓や換気窓から白い明りが漏れ出ていた。
「誰か居ないか 過激座から機械工学科の生徒へ荷物を届けに来た」
蜜蝋種の巣の様な穴が無数に開いてる窓を叩いていると、女の声と共に部屋内右側の壁に在る扉が開く。その白い扉から出て来たのはやや小太りな小柄の女性で、夏の季節にも関わらず上着に羊毛製の羽織を着ている。
「この木箱を機械工学科のアカネ・ミクジラと言う名の一年生に届けてくれ 彼女は菓子製造装置の製作で校舎内に居るらしいから呼び出せば来るはずだ」
俺は小柄な事務員らしき女性にやや大きな木箱を渡すと、廊下を歩いて玄関まで戻り靴を履いて校舎から出た。すると背後から拡声器により拡大された呼び出し音が聞こえ、先ほど事務員に手渡した木箱の送り先の名前が学内から漏れて聞こえる。
俺は建物内から聞こえたアカネ・ミクジラの名を三回聞いてから正門を抜け、学園都市中央横断道路の停留所を目指して来た道を歩いて戻る。
(しかし夏休み中も学校に居る奴が居るんだな。セフィロトとゼノンでは文化も違うから学校の役割も違う。小間遣いと学舎内の荷物整理をしながら狩人の真似事に熱中する奴なんて居ないだろう。)
時刻は午後五時五十二分でもう少し遅ければ学園の門が閉じられていたかもしれなかった。そう考えつつ俺は夕暮れの光と影が射した様々な人工石材の樹海の様な街並みを歩き、停留所に戻るまでに探索組合近くに移動出来る都市内便を探そうと背嚢から運行表が掲載された観光本を取り出した。
セフィーナ学園都市。十六人の学園運営委員会により管理された自治都市。面積は通常都市区画の六つ分に相当する三キロ平方メートルと少々だが、この狭い区画にはおよそ一万人の学校関係者と千人未満の研究者が活動している。
学園都市は西と中央と東区の三区に区分けされており、東西に並んだ三つの区画の一列を南北で二列に合わせ六つの区画を三つに別けている。この三区は北と中央と南横断道路によって結ばれており、南北横断道路の内側に都市が収まるよう配置された構図だ。
都市内には全部で五十の教育関連施設と二十二の研究関連施設が在る。ただし満十六歳未満の学生を扱う初頭と中等教育施設は八箇所しかなく、学園都市の住人の過半数がセフィーナ都市外の出身者で構成されている。
盤上に区画整備されてはあるが、基本的に狭い土地に建物が密集している事にかわりない。なので敷地面積を多く要す運動場や学生寮等の設備は多くが公共用設備として他の学校と共同使用されていて、学校敷地外の場所に在る場合が多い。なので授業時間の合間に少しでも移動が遅れれば遅刻してしまう。学校敷地外に在る関係施設を目指し道端を走る生徒達の姿が頻繁に目撃されている。
学園都市が建設される以前、新興開発区時代には士官学校や軍教練施設等が多数建設されていた軍用区画だった。なので現在教育施設に通う学生の制服には、仕官服や予備役招要員の制服を参考に製作された制服が多い。都市自体がまったく別の造りなので、魔導端末や魔導通信器が使えないのを知らずに迷う転校生が後を絶たないらしい。
日が沈み車両灯や電柱に設置された電灯によって通りが照らされ始めた頃。俺は都市内便を下車し、探索組合共用のセフィーナ漁港正門入り口前停留所に降り立った。
季節は初夏の真っ只中なので、日が落ちても気温が急激に下がる事は無く。俺は人口石材製の平らで高い壁側の道を通って正門入り口を越え、氷や真水を降ろす為に水槽設備近くの路地に停車した大型運搬車両の間を通って探索組合解放所へと赴く。
(この音は冷房設備の稼動音だな。近くに大型の冷凍庫でも有るのだろう。長居してると汗を掻きそうだ。)
人の形をした魔者の様な魔導生物であるこの体。熱への適応性が人間とは比べ物に成らないほど高いので、旅人用の長袖長ズボンを着用していても空気を暑く感じたりはしない。
「この時間帯だと市場が閉まってるから人が少ない 昼間に通らなければ大丈夫だろう」
俺が真っ直ぐ進んでいる道には西側左方向に魚市場。東側右方向に船頭協会本部施設の人工石材製四階建て建築物が在る。敷地内のやや西よりに位置するこの通りは昔から漁業関係者が行き来する裏道の様な道なので、正門から敷地内東側を反時計回りに迂回する観光客向けの事務所通りと比べて通行人の数が少ない。
道を真っ直ぐ北に進み通りを抜けると、暗がりの中で入り口と看板が赤く照らされた漁協組合本部施設前に出た。俺は東西に伸びた道を右側に進み、同じ通りに在る探索組合本部施設を素通りして同開放所へと入る。
(おおぉ。人数が少なくて遠くまで椅子の列が見渡せるぞ。)
解放所内は閑散としていて、昼間と比べるまでも無く待合客が少ない。大きな倉庫の様な空間に配置された待合椅子に十数人程度の探索者や清掃作業員風の労働者が腰掛けていて、数人が中央に並ぶ柱上に設置された映像窓を見ている。
俺は屋内に有る受付前の掲示板に張り出された出航時刻表を見て、浮遊島行きの定期船の出港時刻を確認。受付前に並べられた券売機に用は無いので、そのまま解放所内を通って北側出口から岸壁内に進んだ。
(今回は四番埠頭から出港する船に乗ればいい。今は行きより帰り船の方が乗客が多い時間帯だろう。三人と鉢合わせしても問題無いよう公衆便所で変身しておくか。)
石灰や細骨材の砂を含む人工石材の岸壁。意図的に放水されたのか所々に有る僅かな窪みに水が溜まっていて、白や薄緑色の照明灯の光を反射している。
俺は岸壁内に建てられた観光客向けの休憩所に有る公衆便所に入り、男便所の便器個室に入り扉を閉めて鍵をかけてから魔導細胞を活性化。無表情のまま表情筋と骨格を伸び縮みさせ、ユイヅキの補助無しで顔と全身の肉体を別人に変化させた。
時間にして三分程度で変身が完了し、俺は手洗いを済ませ公衆便所から出た。身長は変えず髪の長さと色を変え手足も少し長めに調整したので、俺は暑苦しそうに胸元をはだけさせ白と青い線が十字に交差した模様の赤い長袖の腕と袖口を捲くりながら岸壁を歩く。
中型船舶が二隻停泊した細長い第四埠頭の左側先端部に漁船らしき小型の船が到着したばかりなので、第四埠頭内には浮遊島から帰ってきた十数人の探索者と観光客らしき少数の客が歩いている。背後へ通り過ぎようとしている客達とは反対の海側を目指し歩いていると、稼働中の船の眩しい照明灯の光の中から三人組の少女が俺の視界内に現れた。
「今日は疲れたから三人で銭湯に行こうよ 家の近所に安くて落ち着ける場所が在るから案内しようか」
赤い制服に鎧当ての様な軽装の防具を装着した女子生徒。赤い髪を後頭部で三つ編みに伸ばしてして、俺が三種の神器を与えた女子学生によく似ている。そう考えた俺は目だけを動かし、赤毛の少女の左右一歩後ろを歩く二人の少女を一瞬だけ見つめる。
「裸の付き合いと言うやつですね 私一度は友達同士と一緒にお風呂に浸かってみたいと思っていました」
船上の線に吊り下げられた集魚灯の光で輪郭しか判らないが、確かに口調と声がカザリと呼ばれていたお嬢様学園の女子生徒と似ている。俺は直接顔を向けようとはせずに目に焦点を前に戻し、見ず知らずの他人を装い狭い埠頭内ですれ違う。
(変身しておいて正解だったが、今度から漁港内に来る前に変身しよう。着ている服だけで特定されかねない。)
俺は物理的に冷や汗を掻きながら乗務員に切符を見せ、埠頭岸壁右側で出港準備中の船に乗船。中型の運搬船は操船室と客室が別れていて、甲板状に椅子や机を置ける程の空間が無い。乗客が数人しか居ない少し蒸し暑い硝子と木枠の室内には入らず、狭い甲板縁の通路に佇み背嚢を足元に降ろして空を見上げながら待ち時間を潰した。
出港した直後から吹き始めた生温い南風を肌で感じつつ、俺は波が低い湾内を進む運搬船の甲板通路から暗い海を眺め続けていた。出港してから三十分程度で目的地の卵島が見え、俺は肉眼で僅かに見える島内施設の灯りを数えながら到着までの残り時間を過ごしたのだった。
卵島は階段状に地層が隆起して出来た岩の島だと言われている。晴れた日中は遠くからでも階段状に膨張した山の輪郭が見えるらしいが、黒く見える岩壁を削って建てられた木造の船着き小屋への桟橋からでも山の輪郭は見えない。
曇り夜空と強まった風が俺を出迎えた。俺は本来日中に来ようと考えていた自然遺産浮遊島の卵島に上陸を果し、船着き小屋が密集した港から山中へ続いている筈の道を真っ暗な視界から探そうとする。
(山腹の薄明かりを頼りに登山道を探すのは無理だな。ユイヅキ、視覚と色覚補正で光量を上げろ。)
俺の指示どうりユイヅキが僅かに青く発光し、俺の目の代わりに捉えた視覚情報を共有させる。途端に真っ暗だった周囲の景色が白く浮き出て、僅かに緑がかった卵山特有の段崖地形が表れた。
【魔素反応は微弱なままですが、島周囲を覆う結界らしき固有波形が出続けています。観測するには微弱すぎるので魔導波長の発生地点を特定するには観測調査が必要です。】
用はこの島内に張り巡らさせた坑道や石窟を行き来して、卵島の何処かから半径十数キロまでを覆う結界の様な魔導波長発生源を特定しろと言う事だ。
俺は木造の古い探索小屋や道具小屋が密集した岩場から少ない平地を歩き、崖を削って築かれた岩階段に着くとそのまま長い階段を登り始める。岩階段は目測だけで三百メートルはありそうだ。所々に休憩所らしき平たい場所も有るので上り下りに然程苦労はしないだろう。
(錆が付着した穴が開いている。柵の様な物を固定する為に金属製の棒でも刺してたのか?)
手摺と階段含め全てが岩を削って加工しただけの岩階段。段差の一部分が欠けてたり親指が差し込めそうな亀裂が出来ていたりと相当な年季を感じれる。しかし右側沿いの崖の壁には最近設置された様な真新しい金属製の看板が複数杭で固定されていて、落石注意だとか歩行停止を禁じる警告文が書かれてある。
「異物投棄は罰金刑か ゼノンの観光地にしては厳しく管理されているようだ」
俺がこの島に来た理由は、虚構世界を構築する迷宮核の所在調査だ。実在している迷宮核は三つで、浮遊島の三つの島に一つずつ在ると探索組合や迷宮管理機構にて公式発表されている。しかし迷宮核は運営上や魔導技術上の機密情報の塊なので、当然詳しい場所や管理組織の実態含めて殆どの情報が表に出ていない。
セフィロトの天空樹が魔法迷宮として機能している頃は迷宮核の注目度は低いままだったが、二年前の天空樹大異変から世界中の魔法迷宮で迷宮管理機構の抜き打ち調査が始まり、現在では迷宮核含め安全性の観点から迷宮周辺の観光地管理まで厳しい管理基準制度が導入されている。
【やはり何かの固有波形が魔導物質や因子に干渉してますね。あまりにも微弱すぎて検知し辛いですが、浮遊島伝承に登場する反重力場と関係が有るかもしれません。】
ユイヅキの報告を頭の隅で聞きながら長い岩階段を登って、俺は島外周から一つ上の段地に上がった。段地を一つ上がったと言っても周囲には岩場と少数の草木しか生えておらず、様々な雑誌や映像放送で観た珍しい階段状の禿山どうりの光景だ。
(千年近く前まで盛んだった古い探索業で栄えた石切り場だもんな。周りが海に囲まれてるから珍しいだけで、所詮何処にでも有りそうな岩山と大差無い。)
今辿ったばかりの岩階段含め、島の地表部だけで何かしら階段が四十七箇所在る。観光本の情報では全てが観光者向けの登山道らしいが、俺の目的を果たすには階段より地下街跡を探索しなければならない。
【戻るなら今だけですよ。幾ら生身の人間と違っても、一度魔素が無くなれば生命活動が止まる体です。適格者の準備が整うのまで猶予が有るので、探索を明日に延期するのも合理的な考えだと思います。】
俺は階段を上がった先の落石が多い岩場に見える蝋燭の炎の様な灯りを目指し荒い道を進む。時間は午後七時八分なので今から探索を始めると、夜通しかけて歩けば明日の午前中に一通りの現地調査を終えれるはずだ。
(今の時間帯なら人が少ない。じきに最後の船が来るだろうから邪魔者が少ないうちに調査を終わらせるぞ。)
俺は己の魔導細胞を少し活性化させユイヅキに必要量の魔素を供給し始める。さらに周囲を見回し生物が居ない事を確認し、深く奥へ掘られた天然の火山洞窟の様な古い地下道に入った。
卵島。海岸線の輪郭が卵に似た楕円状の島に見える事から名付けられた島。本物の卵に例えると細い頂点側がほぼ真西を向いているので、昔の漁師や船頭達は島の先端部に在った大岩を目印に使っていたらしい。
島の最大全長は4.2キロ程度。三島の中で最も西側にあり、海岸線の崖を含めて全部で六段にも及ぶ階段状の地形が特徴。
島内には虚構世界フランベル大陸の砂漠と遺跡の島であるアゼットと繋がった魔法の輪が有るが、漁港から向かう探索者の多くが月輪島から虚構世界のホーライに入り探索船でアゼットに上陸する手段を利用している。なので崖昇りが目的の特殊な観光客や登山客以外は殆ど来ず、数少ない探索者も崖内部に掘られた倉庫跡の宿泊施設から出ない者が多い。
千年程前までは古き時代に掘られた地下通路や坑道を釣った魚含め非常食や飲み水を保管する場所として活用していた。昔から嵐で湾内が荒れ始めると収まるまで時間を要すので、古くから漁師達は長期間滞在出来るように卵島と機械島に避難設備を築いたのだ。現在では導力技術や魔導技術の発達により嵐で船が漂流する事は無くなった。各地の気象観測所によって集計された情報から瞬時に嵐を予測する事が可能になったので、使われなくなった卵島の地下坑道や地下倉庫街跡の幾つかを探索組合が管理している。
水気が多く湿った地下道。花崗岩の様な荒い表面を少しずつ削った痕が天井から壁と足元の道にまで刻まれていて、港に有る太陽光と波力発電装置から成る複合動力源から送られて来た電気によって灯された有線式照明網が地下道内を松明の様に照らしている。
二段目南側に在る出入り口の一箇所から入って一時間。天井や突き当りの壁に設置された案内看板を頼りに地下深くまで下りて来たが、ユイヅキの解析力を以てしても未だに迷宮核の場所や不可思議で微弱な魔導波長を特定出来ずに居た。
俺は現在黒く見える青紫色のユイヅキを方位盤代わりに目の前に掲げつつ、ゆっくりとした足取りで迷路と化した地下道と地下室をあわせた全体図を作成している。
(位置座標を立体化して記録するだけなのに時間ばかりが過ぎて行く。集中調査を決めたのは俺だから文句なんて言えないが、これだけ複雑だと予想以上に時間が掛かるかもしれない。)
目に映る光景は全て松明の様な光を放つ専用の熱光球に照らされている。おそらく臨場感を演出する為に松明代わりに設置したのだろう。天井や壁に設置した電気配線を上手く隠して発光体を松明の様な物に偽装すれば完璧だったろうに。
ユイヅキは探査と解析処理に集中しているので、一時的にだが魔導水晶内の魔導回路の維持管理と位置情報の確認作業を俺が代行している。地表部は波打際から六段に積み重なった台地の様だが、内部通路は海面より深い場所まで続いているので現在位置は海の下だろう。
岩の表面は腐食防止用に砂漠色の塗料が塗られてある。狭い通路の先へと白い砂の様な色の通路が続いているので、探検気分どころか地上に戻りたいと何かが訴えている気分だ。
粗く削られた地下坑道を進むと、古い倉庫の様な比較的広い空間に出た。空間内の床面積は五十平方メートル未満と小規模な倉庫と同じ広さだが、天井の高さは相変わらず二メートル程度しかない。
「古い魔導端末が有る 設置したまま置き捨てられたのか」
地上や地表部に近い倉庫内には虚構世界内と繋がった魔法の輪と共に、幾つかの形式の迷宮式魔導端末が設置されている。何れも有線式通信端末と一体型の映像窓付き箱型魔導端末だが、倉庫跡に入った入り口横の壁際に錆びた青銅色の小型噴水台座の様な物体に複数の魔導水晶体を填めた古い魔導装置らしき物が有った。
俺は台座縁に填められた水晶体が乳白色色に染まっているのを確認。機能停止している魔導水晶体を再起動する為に右手で玉の表面に触れる。
「現行型より消費量が多そうだ」
通常の魔導端末は魔素を感知すると接触者から自動的に微量な魔素を吸収して稼動する。古い魔導端末と思しき機能停止した魔導装置を再起動するには多くの魔素が必用だったので、俺は一時的に皮膚に魔導路を浮かび上がらせ自前の生体回路で大量の魔素を生み出した。
(どうやら魔導端末で間違いない 本体が大きいから魔素供給装置を外されて此処に放置されたんだろうな。)
右手で触れている直径が十センチ以上有る乳白色色の水晶が虹色に輝き始めると、同じ縁に並んで填め込まれた他の水晶体が同調して光を放ち変色してゆく。俺はその時を待ちながら魔素供給量を一定に保とうと集中し、大量の魔素を確実に台座を構成する魔導物質へと浸透させる。
右手で触れてから時間にして一分と数秒が経過した時、虹色を発していた全ての水晶体が無色透明な玉へと変化した。青銅色の台座も銅に近い色に変わり、台座縁に二列で配置された魔導水晶体の中心に有る燃焼皿を支える様な三つの突起部に虹色の光球が出現した。
【イクサム。この光球から発生している魔導波形は正体不明の魔導反干渉応と同じ固有波形です。そして形状から虚構式探索が実施される以前の時代に機能していた魔導装置の可能性が高いです。くれぐれも破損させないように扱ってくださいね。】
虹色の光球から発せられる白い光に照らされ、太陽とは違う全身を射す様な痛みを感じる。俺は右手で水晶体を触れたまま上半身と足を伸ばし、左手で虹色に輝く光球に触れる。
「少し暖かい いや冷たくも感じる」
触れた瞬間に何かが起るかと想像していたが、俺の予想に反し何も起こらなかった。ただ光球に触れた左手の指先が妙に痺れたので、俺は魔素か生物の細胞と有機物に何等かの作用を及ぼす物だと推測した。
(ユイヅキ。妨害波長の解析はできたか?)
俺の問いをユイヅキは否定した。魔導探査や波長解析は波模様の様な放出波形を調べるので対象に近付けば解析が容易になる。しかしユイヅキは目の前の光球が魔素自体を阻害しているとだけ結論付け、間違いなく結界を機能させる為の装置だと明言する。
【これは推測ですが。浮遊島伝承に登場する浮遊島を浮かす為の装置に付与された魔獣や魔物除けの機能ではないでしょうか。これ一つでは余りにも微弱すぎて効果が有りませんが、十や二十の結界装置を機能接続すれば魔導因子の働きを阻害する結界が形成出来るでしょう。魔獣程度なら問題なく追い払えるでしょうから、セフィロトの浄化都市に設置された理力結果装置と同じく汚染された魔素を浄化する機能も有った筈です。】
俺は右手を透明な魔導水晶から離し、掻き消えつつある光球と濁り始めた魔導水晶をしばらく観察する。
塔の昔に使われなくなり長らく放置状態のままだった古い魔導装置。魔導反応時の魔素活性かによる輝きが失われると台座が錆びた青銅色に戻り、体全体に感じた弱い刺激が途絶えた。目の前の魔導装置が魔導細胞に影響を及ぼす為の物体なのは明白で、今もユイヅキが検知し続けている微弱な固有波長の発生源とこの魔導装置が関係している可能性が高まった。
俺は魔導装置と照明網以外に何も無い倉庫跡から抜け更に奥へと進む。卵島の地下構造を把握し確実に隠されてある迷宮核と謎多き魔導波長を探る為には当分歩き続けねばならない。
虚構世界フランベル大陸。浮遊島の虚構空間内に構築された浮遊群島。大陸とは名ばかりで百を超える大小の島々で構成されており、四方を雲海に囲まれた巨大空間の空に浮かぶ三つの巨大な島を中心に構成された世界である。
その三つの島は現在の浮遊島と同じ位置に在り、それぞれが浮遊島三島の古い名で呼ばれている。
空船や探索船とも呼ばれる帆船に近い飛行船で島間を行き来できる。探索者は自前の飛行手段や探索組合が運営する飛行船で島々を行き来し、得た戦利品や採取品を独自に加工。新たに生み出した何等かの消費財や魔道具素材を持ち帰り生活や娯楽手段の道具としている。
探索者以外にも積極的に解放された唯一の虚構世界なので、虚構世界内で開催される各種競技や雲海に浮かぶ島々を巡る船旅目当てに多くの観光客が訪れている。
日付が変わり地上は二十五日の朝を迎えている頃。俺達は未だに卵島内の地下通路を歩いていた。
調査自体は一通り終わったので帰還途中なのだが、一晩中歩き続けた成果はあの放置されたまま忘れられた魔導装置のみだった。迷宮核がこの島の何処かに在る筈なのだが、想像したとうり探索組合は探索者や観光客の目に映らない場所に隠しているようだ。俺達は地下最深部の古い墓所跡まで下りたが、結局観光者向けの案内板や掲示板を読んだり魔導端末から入れない虚構世界の様子を覗く事しか出来なかった。
俺達は朝早くから出港準備中の運搬船に乗って卵島を後にし、午前六時二十七分頃にセフィーナ漁港に到着。まだ時間が早く乗船待ちの観光客や探索者が少ない事から機械島の調査をしようと思うに至り、現在第八埠頭に有る長椅子に座り機械島行きの船が岸壁に到着するのを待っている。
(少し魔素を消費したから体が僅かに重く感じる。機械島の魔素溜まりで魔素を補給してから調査を始めよう。)
初夏の季節で日の出が早く、既に太陽は東の地平から拳二つ分離れた場所に位置している。退屈な待ち時間を活用して分厚い観光本に目を通しながらユイヅキ手中で転がし、機械島について復習と情報整理をしていた。
【擬似魔道具レクサムの起動信号を受信。適格者が三人とも起床しました。】
太陽光に照らされて僅かに青色の光を発しているユイヅキから報告が頭に届き、俺は口に出して魔導通信を装い会話相手に短い相槌を送る。
「そうか若いのに朝が早いんだな それで連中の成長具合はどうだ」
漁港内に設置された魔導通信設備は都市内に構築された魔導通信回廊と繋がっている。探索者が多いので情報量の多さから無線式の魔導端末が各所に設置されてある。俺のユイヅキは付近の中継装置や魔導増幅設備を媒介に、都市内で生活している適格者の現在位置を割り出すことが可能だ。
【三つともまだ第一段階の過程です。使用者の体格に合わせて装備体系を変更したばかりで、おそらく支給された学生用の防具との適合を終えたばかりでしょう。】
俺は眩しい朝日から顔を隠す為に観光本を頭の前に持ち上げた。第八とか八番埠頭とか言われているこの埠頭堤防は二番目に大きく長い岸壁なので、多くの乗客を運べるよう東西で船の出入りが別けられている。なので西側向きの椅子に座れなかった俺は東向きの長椅子に座っている訳だ。太陽だけでなく西から吹く冷たい風が首筋に当たっていて、体温調節の為に必要以上に魔素を消費している。
「確か魔法剣士と魔法従士と魔法使いの組み合わせだったな 剣士と従士なら問題無いが魔法使いとなると成長に少し時間が掛かるだろ 回路更新状況は進んでいるのか」
俺にとって三種の神器である擬似魔道具は只の密偵魔道具ではない。光の槍を発動させて居るだろう浮遊島の管理者をおびき出す為の餌でもあり、避けては通れない未来の迷宮探索の為にユイヅキを強化する為の貴重な素材候補なのだ。
【ウィンダムの最適化処理が少し遅れていますが誤差の範囲内です。現状虚構世界外で追加情報の更新を行う必要はありません。彼女達は与えられた玩具を完全に使いこなしてませんが、現状では観察し続けるのが最適と判断します。】
楽しみだ、俺はそう言うと口を閉じて観光本を読むのに集中する。これから午前中の大半を過ごすだろう機械島は特殊な場所なので、観光客どころか探索者でも近付く者が少ない。月輪島と卵島より運行している船舶数が少なく、港街から一時間おきに出港する定期船のみでしか上陸を許されていない場所だ。
(元要塞区画には入れないから廃墟通りを歩く事しか出来ない。卵島でも崩落の危険性が有る場所には進入制限用の柵が設置してあったが、機械島の危険区域は卵島より数が多い。迂闊に近付くと俺の魔導細胞が反応してしまう可能性が有る。)
エメロギア湾の中央北部に位置する岩礁と隆起した残丘の島。およそ二百数十年前まで海獣迎撃用の海上要塞だった場所だが、現在は歴史遺産として要塞周辺の廃墟が歴史遺産に登録され廃墟好きを対象とした観光地に指定されている。
(この本には載ってないが、巨大海獣の襲撃で半壊した要塞が科学廃棄物や魔導汚染物質の処理場として使われているとの噂を聞いた聞いた事が有る。色々な意味で怪しい話だが現地を調べてみない事には何も判らない。)
丁度背後から埠頭岸壁へ入ってくる定期船の汽笛が聞こえ、俺は観光本を持ったまま背嚢を担ぎ直して長椅子から遠ざかった。既に百トン程度の白い船が岸壁側に船体を横付けしている最中で、係留作業中の漁港関係者を囲む形で群衆が列を形成し始めていた。
機械島。最大全長が4.8キロの元岩礁島。湾内北側に有る事から幾度となく海獣の襲撃を受けており、およそ九百年前に現在の要塞区画に最初の迎撃要塞が建設された。
約二百三十年前のサンジラ系巨大海獣襲来以来海獣が湾内に入って来ておらず、現在の要塞区画は半壊した基地が再建されぬまま老朽化名目で閉鎖されている。主に崩壊の危険性により閉鎖された要塞区画と古い遺跡深部には入れない。
島は周囲が高い岩礁で囲まれていて砂浜も無く、埠頭以外だと大型の船でも近づけない程海流が速い場所に在る。その為浮遊島三島の内で最も海の侵食による影響が健著だが、同時に最も豊かな漁場でもある。
機械島内に点在する魔法の輪たる暗黒鏡からオータムに入れるが、虚構世界に入る探索者や観光客は基本的に月輪島を出入りに活用している。当然封鎖された地区が多い機械島に好んで踏み入ろうとする者は限られる。
時刻は午前七時二十分前。運行表の到着予定時刻より十分ほど船が遅れたが、俺達は何事も無く無事に機械島の南側埠頭に上陸した。
機械島の南側は廃墟と化した人口石材製の建物が密集している。文化都市北部に位置する幾つかの商工通りを廃墟化した様な佇まいの建築物。三から四階建ての建物構造物が多く骨組みだけとなった幾つかの鉄塔も在る。
俺は船から降りてすぐに埠頭から出て、廃墟通りの各所に設置された通行止めの柵や標識の間を通って海岸線側の崖上に登った。
(海が青い。波が大きいから落ちたら引き摺りこまれる。)
島の南側のみが観光可能な区画なので。岩山の反対側に在る要塞区画と山腹に掘られた坑道跡には入れない。迷宮核が在るとすれば立ち入り禁止区域内なので、ユイヅキを使い迷宮核の大よその位置を割り出す所から始める。
【魔導波長を分析照合中です。】
調査手段は卵島の時と同じだ。ユイヅキを方位盤や方位磁石の様に持って道を進む。迷宮核が放出する魔素さえ検知できれば、複数の観測地点で観測した方位情報を照合するだけで大よその位置が判明する筈だ。
【妨害波長は無し。微弱な魔導波長を検知。固有波形が一定なので迷宮核の魔導反応と推定。】
崖を削った埠頭の左隣に崖上の高台から見下ろすと、波の侵食で波内側が削られ崖だけでなく廃墟と化した古い街並みが一望できた。現在のセフィーナでも使われている硬化骨材を用いた灰色の人工石材物件が密集しているので、昔は此処も学園都市の様に多くの人々が暮らしていたのだろう。
俺は北東方向を示す魔導波長の発生源を特定する為に崖の道を下り、港内の上陸広場を東へ進んで廃墟の街中に入った。
錆びた扉だった金属枠や車体だけの車。二輪自転車や当時流行っていた遊具のばね式漕ぎ台が灰色の壁に分別された状態で積まれている。更に放棄されて壁紙や天井板が剥がれ落ちた雑居店舗らしい屋内には何処からか運んで来た大型液体缶が保管されてある。俺は二車線道路に相当する通りを歩きながら、観光本に書かれてあったとうりゴミ捨て場と貸した近代都市廃墟の街並みを観察した。
港から東へ遠ざかって十数分後。病院の様な五階建ての大きな複合施設を発見した俺は建物内に入り、落書きや焚き火らしき焦げ痕が残る階段を上がって最上階に出た。屋上には非導力式の電線中継塔らしき錆びた鉄塔の残骸が横たわっていて、雨や潮風に晒されながらも残っている骨組みを昇り廃墟の都市跡を見渡す。
(昔はセフィロトにもこんな近代都市が沢山在った。天然資源や建築材用の鉱物が不足して殆どが解体されてしまったが、地下資源が豊富なゼノンだから解体されずに放置されている。こんな場所に都市を築けるだけの工業力が有るのなら砂漠化を食い止める砂防事業に注力していれば良かったのに。)
俺は靴底に錆びた鉄骨の錆破片や砂埃が付着するのを厭わず、ユイヅキを右手に持って天高く掲げる。傍から見れば魔導封鎖された場所で魔導通信を試みようと足掻く観光客に見えるだろう。俺は周囲に誰もい無い事を幸いと捉え、右腕を頭上へ突き出した状態で数十秒間静止し続けた。
【解析終了しました。微小な魔導波長が要塞区画中央から放出されています。周囲の魔導阻害性から計算して、ほぼ間違いなく隔離された地上施設内に迷宮核が在ります。】
俺は高さ二メートル程度の鉄骨上部から飛び降り、軽く膝を曲げただけで着地すると屋上出入り口の階段通路へと戻る。
(要塞内へ入れる道を探して内部へ侵入するか、候補だけ探して引き揚げるか。十時前頃に決めれば問題無い。)
おそらく軍病院だったのだろう。寝台棟の左右には大きな倉庫と人工石材製の四角い鉄筋構造物が建てられてある。二つの寝台棟のうち北側の建屋から出た俺は、雑草が生え放題の中庭側と反対の北側通用入り口から外に出た。
病院前の広い停留所の様な広場から北方向と西方向へ一直線に道が伸びている。三車線道路に匹敵する二つ道幅の両側は侵入防止用の人工石材壁で遮られており、街を封鎖する様に並べられた灰色の壁が大通りの突き当りまで続いている。
(まるで射撃演習場だな。どこぞの部隊が市街地戦の訓練でもしていそうだ。)
俺は大通りを歩き続け、時間を費やしながら電気どころか水道に水が流れてない廃墟の街を西へ移動した。壁や路面には落書きや誰かが捨てた煙草等のゴミが落ちていて、雨風で掃除しきれない何かしらの残留物が残っている。鳥や野鼠含めた小動物の死骸も珍しくなく、排水口には落ち葉や土砂と共に蟲の死骸が溜まっていた。
時間にして九時前の八時五十五分。俺は岩山の麓に有る地下トンネルの様な地下排水路に到着し、人工石材で構築された暗渠の様な穴を覗き込む。
(枯れてから何百年も経っているのに薬品と腐敗臭がする。要塞内で稼動中の区画と繋がっているかもな。)
地下排水路は岩山内部や付近に設置された浄化槽から汚水を浄水施設へ流す為の下水道だ。山の麓に開けられたトンネルの様な場所だけが地上に露出していて、川縁から川底まで高さ四メートルはあるだろう。
そして川縁から斜めに傾斜した人工石材の坂には階段が有り、俺はその階段を下りて点検用通路らしき枯れた川底近くの道を山側へ進む。排水路の両側に有る足場だけの硬い道。人工石材の表面は乾いているが白系の付着物がこびり付いている。
俺は僅かに上へ傾斜した排水路を進み、山腹奥辺りで枝分れした排水路の分岐地点で立ち止まった。分岐地点から二方向に枝分れした排水路は大きく狭まっていて、どちらとも平たい川幅が五メートルも無い。地下水道内に照明が有る筈無く、ユイヅキによって補正された視界は目の前に有る鉄格子によって半分塞がれてる。
【魔導物質らしき残留物の反応が奥から出ています。通路と柵周囲に監視機器は有りません。只の進入制限用の鉄格子なので破壊し可能です。それとも体を幼児段階まで縮めますか?】
俺は鉄格子を両手で握って郷土を確める。鋼鉄製らしき黒く太い棒同士の隙間は顔が入る程度の間隔しかない。進入する為に障害を突破するのなら、理力の刃で分子結合ごと断ち切ってしまう方が簡単だ。
(今潜入する必要は無い。それに脱出経路が一つだけだと心もとない。他にも地上以外に要塞内へ入れる道が有る筈だ。他の場所も見てから時間を掛けて作戦を練り、最良の時期に終末計画を実行する。)
俺は通って来た足場だけの通路を後戻りし、下り坂を歩いて分岐点から離れる。何れこの場所を通るかもしれないので周囲の構造を記憶しておいて損は無いだろう。
俺は予定どうり午前十時前まで探索に徹した。結果だけ言うなら基地へ入れる可能性が高い地下道は他にも在ったので、基地区画内に潜入すれば要塞内部の情報収集へと移れるだろう。ただしそれを実行に移す時は他の島の迷宮核の場所をある程度特定してからだ。なにせ迷宮管理機構が定期検査する場所なので、探索組合管理と言えど国の重要施設と同じ警備体制が実施されている。天空樹の時は管理存在の手引きがあったが、今回は迷宮核に接触するまで独力で計画を進めなければならない。用意した手駒が機能不全に陥った状況も想定すると、非常時の時の為に万全の策を講じるべきだ。
俺は懐中時計の針が午前十時を指し示した時点で調査活動を止めた。調査をきっぱりと止めて機械島内に在る魔導端末を利用する為に南埠頭まで戻り、二十数分程歩き続け停泊中の船が無い南埠頭内に戻った。
南埠頭内に魔法の輪は無い。巷では魔法の鏡とか転移門と呼ばれているらしいが、俺にとっては万国共通の魔法の輪の方が馴染み深い名前だったりする。ただし機械島には迷宮式魔導端末が埠頭内にしかないので、大衆の目を欺いてまでして魔導端末から適格者達の居場所を探るには何かと不都合が多い。
俺は複数箇所に設置して有る魔導端末の中から、埠頭宿場西側に在る灯台通信休憩所内の魔導端末を使おうと赤銅色塗装の灯台施設に入った。
この複合施設は外見こそ二十メートル級の赤い灯台だが、現在は灯台として出なく電波信号発信施設を兼ねた探索者向けの休憩所として解放されている。俺はその一般に開放されている一階広場内中央に有る大型の水晶球型魔導端末に近付き、背もたれが無い丸椅子に座ってから操作端末を起動させる。
「あいつなら探索者名を本名のまま登録してそうだ」
俺は両手の人差し指を使い板状の操作盤に配置された大き目の文字盤を押した。ヒカル・シーライオの名が検索され始めて五秒程度の時間が経過すると、己の顔が僅かに映った大型水晶に複数の該当登録名が表示され始めた。
(検索対象を活動中の探索者に絞ったからこの中に居る可能性が高い。オータムか周辺の島に居てくれれば通話も出来るだろう。一度くらい話をしておかないと怪しまれそうだ。)
水晶体を指で触り関係無い名前を直接弾く。直感的な操作が出来るのはこの装置が観光客向けに設計されているからだろう。金さあれば何でも出来ると謳われているゼノンなら、この程度の高級品も簡単に揃えれると言う事だ。
「あった よしオートムに居る」
予想どおり赤毛の少女は自分の名前を探索者名に登録していた。活動位置を示す滞在座標はオータムの名前から始まっているので、手元の操作盤に有る受話器を取ってレクサムの魔核に振り分けた番号を入力すれば通信出来る。
俺は彼女を追跡対象に指定し映像を呼び出す。俺と適格者は双方とも機械島に居るので混線に巻き込まれる心配は無い。彼女達が何を目的にオータムに来たか詳しい理由は解らないが、大よその事情なら見当がついている。
(ヒカルは魔物図鑑を纏めると言う難題を背負っている。オータムに来たと言う事は、最も戦い辛い相手から先に処理する算段なのだろう。仲間と協力すれば殆どの魔物と問題なく闘える。経験よりも課題を減らす事を優先したに違いない。)
それから待つ事十数秒後。水晶体の表面に映像が浮かび上がり、魔窟と呼ばれている島の地上部を歩く赤毛の少女の姿が映し出される。浮かび上がった映像から同い年の少女達が大きな結晶で覆われた場所で戦っているのが確認でき、背景に映った青や緑の結晶からオータム外周に点在する結晶の森だと推定できた。
【私を端末認証箇所へ入れてください。音声情報を聞き取って外部装置に出力しますので会話が聞こえる筈ですよ。】
自分が製作した魔道具が少女達の手中で独自の形状へと変化している。俺はその光景を見ただけで感動と胸のときめきとやらを感じ、丸いユイヅキを首輪から外そうとする手の動きが何度も止まる。
(解った解った。今すぐ入れてやるから準備しろ。確か記録しようとすると映像が途絶するから余計な事はするなよ。)
操作盤右側に有る端末本体に右手を伸ばし、引き出しとほぼ同じ構造の端末認証装置内に構築された魔導回路の中心部にユイヅキを置く。そのまま引き出しを閉じる容量で開閉蓋を閉じ、手元の簡易型操作盤を操作して魔導端末にユイヅキを読み込ませた。
俺は映像越しに彼女達の戦いを見ながら端末本体にかけられた耳当て音響具を頭に装着し、音が再生されるのを待ちながら相手の魔物を分析する。
(結晶化した外殻を有す多脚奇獣。魔物図鑑を買わないと名前が判らないが、形状どうりなら尾長蟹の様な名前なんだろう。俺なら弱点が集中している頭か関節を蹴飛ばすが、彼女達なら魔法で十分仕留めれる相手だ。)
映像には全長四メートル半の奇獣と呼ばれる結晶系の機械獣が映っている。足が四対八本有るので突進系の行動が多いが、相対している彼女達はそれぞれ分散した位置で相手の隙を窺っていた。
「アオイさん ヒカルさん 援護は私に任せて奇獣の相手をお願いします 風よ…」
カザリは白と緑色の探索弓を下ろし奇獣の前進位置上で立ち止まったまま呪文を唱え始めた。右手甲に装着した縁が緑の白い革手袋に填められたウィンダムの魔核を口元に寄せているので声が小さいが、風属性の補助魔法らしき風の渦が三人の体を包み始める。
(ようやく動いたか。まだ手順書どうりの闘い方しかできないのは仕方ないとして、問題はカザリが弓ではなく革籠手に魔核を移している点だ。補助や回復系の魔法使いだから当然の判断だが、対象が自分を含めて三人だけじゃ経験による成長が遅れる。まだ若いから成長補正に恵まれてはいるが、十六にもなればその恩恵も減少し始める頃だ。)
瞬発力を利用して地面から跳び上がったヒカル。名称不明の魔物の背中に白い両刃の剣先を突き立てて大きな魔物の胴体を揺らした。
「やっぱり硬いと槍が刺さらない ヒカル 何時でもいいから早く火を点けなさいっ」
オータムには結晶化した植物や鉱物を食らって成長する魔物が多いので、名称不明の尾長蟹の様な奇獣相手に単純な刺突攻撃は効果が薄い。
「アオイさん 少しの間だけで良いので奇獣の相手を」
弱点の心臓部を狙ったのかは不明だが、ヒカルの刺突攻撃を食らっても奇獣は他の二人へ突進攻撃や大きな挟み爪による殴打を続けている。大きさの割に動きが遅いので奇獣の攻撃は命中してないが、この調子では奇獣より先に少女達の体力が無くなるかもしれない。
「燃えろレクサムっ 燃やし尽くせ」
膠着状態のまま時間が過ぎるのか考え始めたとき、ヒカル柄を両手で握っている白い刀身から小さな炎が発生する。最初は調理用ガス台の様なか細い青い炎だったが、瞬きを繰り返す間に勢いが増し、油入り灯油缶に火を点けた様な勢いでヒカル自身をも燃やそうとする。
(赤い髪だから炎属性の耐性持ちだろうとは思っていたが、本当に炎属性のみの特化性質持ちだったとはな。これだけ燃えても体や装備が焦げないとなると、炎属性の攻撃は全て吸収してしまうだろう。ユイヅキの目論見どうりレクサムを操るのに最適な人材だと言える。)
人の形を成した化学油製品の様なヒカルは、甲殻から生えた空色や薄緑色の結晶ごと奇獣を炎で包んだ。このままでも時間経過で倒せるので勝利は確定したも同然だが、奇獣が体を横に倒した瞬間にヒカルが剣の柄を手放してしまい投げ出された。
魔道具による魔法効果は制御中枢が魔素供給源から切り離されると途絶えてしまう。この場合ヒカルの肩と胸当て装備を中心とした防御結界効果が弱まり、炎の剣から発生していた炎も消えてしまう。
「不味いわ 認識範囲外に出ると魔道具の効果が途切れる 私も援護するからカザリは風の矢を撃って」
探索仲間が投げ出され一瞬立ち竦んでいた他の二名。それぞれ大きな三股槍と初級者向けの探索弓で奇獣に物理攻撃を実行し、体勢を立て直した奇獣の注意を逸らしながらヒカルが自力で立ち上がるのを援護する。しかし力不足らしく振り回し攻撃が出来ず単調な刺突攻撃しか出来ないアオイと、何故か初級者向けに販売されてる探索弓を装備したカザリ。二人の攻撃で奇獣の意識をヒカルから逸らす事には成功したが、魔法攻撃なしで奇獣に有効打を与えるのは難しいだろう。
(ヒカルは初級だが、アオイとカザリの二人は一つ上の下級探索者だ。俺の魔道具に合わせて武器を替えたから能力が発揮できないのか? これは何かしらの事情が有りそうだ。今日中にユイヅキと協議して成長補正を兼ねた更新情報を作ろう。)
復活したヒカルが制御できてない暴走気味の火炎魔法を一帯にばら撒き、結晶に覆われた背に刺さったままの炎の剣が自動的にその炎を増幅させた事で奇獣は力尽きた。ヒカルは残り火が燻るなかで光の粒子に変換されて消え行く奇獣の死体を見つめたまま、擬似魔道具レクサムを操作して白い刀身の実体化を解いた。
「二人とも無事ですか 風の増幅技が遅れてしまい申し訳ありませんでした」
カザリはそう言いながら、探索弓を両手で握ったまま頭を少しだけ下げてお辞儀した。彼女はセフィーナ女学園の生徒なので礼儀正しく己の非を詫びるのにも慣れている様子だ。
「私は大丈夫よ それよりヒカルはどうなのよ 途中で剣を離すなんて問題外だわ 辻斬り道場が実家なら少しくらい庭剣の特性を理解している筈なのにいきなり飛び掛るなんて おかげで今回は殆ど援護が出来なかったじゃないの」
完全に消滅した奇獣から発生した戦利品の青い結晶を拾ったばかりの光に対し、アオイは先程の戦闘の感想を言いながらヒカルに近付いた。そして己の体より長く大きい三股槍を片手で持ち替えると、ヒカルが拾った拳大の青い結晶を見せるよう手を差し出す。
「ごめんごめん アオイちゃんじゃ相手し辛い相手だと思ったから盾代わりに成ろうとしたけど失敗しちゃった それに心臓を狙ったんだけど場所が違って焦っちゃったから加減出来なくて ほんとごめんよ」
左手で赤い髪を掻きながら謝る仕草はどう見ても、悪戯好きな男子が女子に謝っている姿に見える。知らず知らず釘を刺し合う二人の間柄など興味無いが、確か三人とも姉妹や兄弟が居る身の上だった筈だ。光が男の様な性格なのは三人の兄が関係しているのかもしれない。
「二人とも話しは後にして先を急ぎましょう。この森を抜けて機械遺跡近辺の結晶原野に出れば休憩出来る場所が有るので 一先ずその場所へ向かう事を優先しましょう」
三人の内で最も探索経験が豊富なカザリは、初級者向けの探索弓を学生鞄の様に両手で持って結晶の道を進もうとする。緑の制服に他の二人と共通の白系胸当てを装着した姿は、まさに初心者指導役の探索者にしか見えない。
俺は三人が暗い紫色の地面から生えた様々な色の光を放つ結晶の森を歩く光景を観察し、俯瞰視点で見える限られた範囲内の様子を見続ける。
(今回は金を稼ぐ為にオートムへ来たようだ。奇獣から獲れる戦利品の多くは結晶素材や結晶に入った物が多い。オートム内の取扱店で売れば他の島の戦利品より高く換金される。迷宮通貨と経験を稼ぐにはそれなりの技量が必要だが、人口密度が少なく邪魔が入りにくいオートムの方が探索し易いと考えたのは妥当だ。)
木の代わりに様々な形状の大きな結晶が生えた森。黒系の紫を中心に青や赤色に染まった地面が多く、濃密度の魔素溜まりが至る所に確認できる。そんな迷宮と化した結晶の森を進んでいれば、当然収集品を発見するより魔物の奇獣と遭遇する確立の方が高い。三人が装備した三種の神器には魔物感知用の索敵機能が備わっている。だから三人同士が一定距離以上離れなければ遠隔接続された魔核同士が結晶の反対側に居る奇獣の固有波長を検知し、殆ど誤差無く装着者の啓示機能を介して魔物の位置情報を報告するだろう。
「魔物だ 今度は一撃で仕留めてやる」
ヒカルは敵意を隠そうともせず、赤い海中照明具が変化した魔法剣の柄に魔素を送って意思と気力が左右する白い両刃の刀身を展開させた。そして赤黒色の短いスカートを揺らして駆け出し、魔物が隠れている黄色い逆さ氷柱の様な結晶柱手前で跳躍し剣を振るう。
短い息継ぎと共に大振りで掲げた剣を右上から左下への振り下ろす。その斬撃は型どうりで剣速も速いが、腕力だけでなく跳躍して自らの体重を一撃に上乗せした一撃だった。
白い刀身が深い切り傷を刻んだ直後に黄色い結晶柱は弾け飛び、砕けた破片と共に残骸が奥へ倒れる。俺が見ている映像の中心は検索対象から指定したヒカルなので、当然白みがかった光を放っていた黄色い結晶柱の裏に隠れていた魔物の姿が映像内に表れる。
(今度は飛翔型の四脚種か。甲殻系の虫と言うより水面を飛ぶ羽虫と姿が似ている。)
映像からそう判断した瞬間、着地後に転がって位置を変えたヒカルの横を透明な何かが通り過ぎた。透明な飛翔体は風を纏っていたので辛うじて認識できたが、結晶柱の裏で羽根を休めていただろう奇獣の型羽が砕けたのでそちらに注意が向く。
「待ちなさいヒカル 最後の一撃は私がやるわ」
体と体格に似合わない長く青い柄を両手で握り、アオイは結晶同士の間の青紫色の地面に転がり落ちた奇獣へと三股槍を突き出す。結果三股槍の先端が小型の奇獣の胸部にめり込み、アオイは掛け声を発しながら槍を重そうに振り上げ奇獣ごと槍先を地面に叩き付けた。
オートムに棲息する魔物のほぼ全てが機械獣と酷似している。小型種から特大型種まで色々な種類の機械獣らしき魔物が出没するので、誰もが本物の機械獣特有の頑強さを有す魔物を奇獣と呼んでいる。
「まったく なんで私のセレスだけ固有の武器形態に成らないの 庭剣部で使ってる刺突剣だと刃が立たないし本物を買うだけのお金も無い これじゃ八つ当たりしたくても出来ないじゃない」
重そうに槍の石突を地面に突き立てたアオイ。使いこなせれば打撃技でも奇獣相手に通用する武器に文句を言いながらも、器用に片手で槍を支えたままその場に屈んで戦利品を拾う。
「アオイちゃん やったよそれ結晶球じゃん 出現確立が物凄く低い戦利品を拾えたね」
ヒカリは剣を握ったまま興奮気味に詰め寄り、アオイの右手に有る赤い水晶玉をのぞき見ている。結晶球とは召喚士等の使役魔物と成りうる魔物の卵で、天空樹の虚構世界と同様に加工すれば魔道具の素材とも成り得る戦利品だ。
「私達運が良いのでしょうか この後に何か起きるかもしれませんね」
現実世界では短弓に分類される探索弓を学生鞄の様に持つカザリ。弓が重いとは思えないから学生生活で染み付いた癖なのだろう。先ほど風を纏った不可視の何かを放った張本人に違いない。
「カザリさん少し心配しすぎよ 狭い結晶の間から襲って来るには今駆除した月晶虫くらい小さい奇獣じゃないと無理だわ 飛翔型を狙えるのはカザリさんだけなのは解るけど私達も居るんだから もう少し私を頼ってくれてもいいのよ」
アオイはそう言うと直径五センチにも満たない赤い結晶球を腰帯の小袋に収納した。小袋は小さく体積容量から推測しても小銭入れくりしか入りそうにない。他の二人の腰にも同じものが装着してあるので、おそらく彼女達は組合から支給された魔法収納具を着用しているのだろう。
「そうですか ならヒカリさんの代わりに前衛をお願いします アオイさんの槍なら盾代わりに使えるでしょうから光さんと一緒に攻撃魔法の練習が出来ますね」
ヒカリの一撃で砕けた黄色い結晶柱の破片が光の粒子に変換され始めた。しかしその光景に三人は興味を示さず会話を続けながら結晶の迷路を先へ進む。
(もう少し様子を見なければ三人の特性を理解できない。とりあえずヒカルの炎属性にレクサムが適応出来るように設定を弄くってから、セレスに形状変換機能を実装させてウィンダムの魔法操作機能に設定した能力制限を外さなければ。しかしこの様子だとまだまだ調整する箇所が出てきそうだ。都市に戻ってから都市西側に在る魔導研究資料館で、公開資料を見ながら新しい回路を構築しないと駄目かもな。)
俺は考え事しながら適格者達の様子を観察しつつ、背嚢からメモ帳と細ペンを取り出して考えを書き留め始めた。
奇獣。フランベル大陸の主要島であるオートムに棲息する結晶獣の俗称。西大陸のみに棲息する機械獣と似ている事からそう呼ばれるようになったらしい。機械獣は魔獣の一種で千年以上前は主要三大陸の山岳地帯等に生息していた。しかし生体核のみならず骨や皮膚が魔道具以外の工業用素材として加工出来たので乱獲され、現在は西大陸北部にのみ生息している。
午前十時二十数分頃から魔導端末を使い始めた俺は、それから三時間ほど同年代の女子探索者の活動を観察し続けた。当初は一時間程度で観察を止める心算だったが、虚構世界内での戦いを見ている内に優越感が時間と言う概念を忘れさせ、探索者時代を思い出しながら浮かんで来た神器改良案を纏める内に次の予定すら忘れてしまっていた。
午後一時過ぎ頃に無人の灯台屋内へ聞こえて来た汽笛の音を聞いた時、俺は船の出港時間と過激座での雑務を思い出した。慌てて雑誌や筆記用具とメモ帳を背嚢に仕舞いユイヅキを回収してから席を立ち、そのまま駆け足で屋内から出て岸壁沿いに停泊中の中型高速船に乗船したのだった。
曇り空の下を南へ軽快に走る船上で己の失態を後悔しながら、俺は今日の雑務時間を研究資料館での資料漁りに費やそうと考えた。一度は雑務より俺個人の用事を優先しようと考えたが、あの汚れ易い住居兼劇座を一日放置した惨状が脳内に浮かび、俺は過激座で体を洗う予定を加え残りの日中を雑務に費やすと決める。
船は午後二時五分に港に到着し、俺は船を降りてから直に近くに停留所に移動。残念ながら直近の便に乗りそびれたので、俺は停留所に到着してから十二分後に到着した都市第四往還便に乗って網だくじ町前の停留所で降車した。
俺は汗もかかず走り続け、前日とは比べ物にならないほど人通りが多くなった金栗通り内の過激座へ到着する。関係者用出入り口の玄関から入った時には長針が三十五分前だった。俺は予定より三十分以上の遅刻だと内心嘆きながら廊下を歩き、映像窓の音量が高い所為かやけにやけに騒がしく聞こえる居間の引き戸を開ける。
「すまない 人通りが多くて遅くなった」
広い居間には大きく足が短い長机が三つ縦に並んでいて、一つに繋がった木目調の黒く長い机を挟んで二十人近い人間が畳みの上に座っている。誰もが突然現れた俺に注目して会話を止めたので部屋中が一瞬静まったが、一部を除いて直に会話が再開され俺は管理人の姿を探そうとする。
その管理人は壁際ではなく目の前に座っている。角刈りで白髪の後頭部が俺の死角下側に有った所為で発見が遅れたが、管理人も急に引き戸を開けた俺に反応するのが遅れたらしく体を少し傾け顔だけで俺を見ようとしている。
「今日も来たのか熱心な奴だな 今日は公演の打ち合わせが有るから舞台周辺を掃除するだけで帰っていいぞ もし興行に興味があるのなら空いた所に座れや 暇潰しに話を聞くだけでも良いぞ」
失態で遅刻したのは仕方ないとは言え、想定外の通行人の多さや見た事もない顔ぶれが半数以上居る事によって思考が一瞬途切れた。俺は解ったとだけ言いこの場から離れようと引き戸を閉めようとした瞬間、再び管理人のスーランが俺を呼び止めた。
「お前昨日わしに天空樹で探索者をしていたと言ったよな 得物は何を使っていたんだ 杖か剣かそれとも槍か」
スーランの真意は定かではないが、おそらく公演を行う際に武器を使う役者が必要なのだろう。俺は弓しか使えないから役には立たないと言って下がろうとする。
「そうか ならお前は次の公演で序役の狩人役として参加しろ 心配するな 公演終了時に依頼料と講演料を払ってやる 次の公演は学園都市の第三劇場でやるから地図を確認しろよ それから後で台本を渡すから雑務の合間に内容を覚えろ」
突然の事態に思考が加速する。急な舞台参加どうこうより、公園場所が過激座ではないと初めて知った事で動揺が表に出そうになる。そして体に不自然な熱を感じ引き戸から流れ続ける冷房の冷気を初めて認識し、俺は引き戸を閉めてから廊下を走り炊事場内の流し台へ急行した。
(危ない危ない。迷宮でも無い人前の場所で生体回路を動かす所だった。)
管理人の指示に従い雑務をこなすと依頼書に書かれてはいたが、まさか素人が役者の真似事をする破目になるとは想像していなかった。俺は調理用の流し台で手を手を洗い冷静さを取り戻すと、先ほど一瞬脳裏を霞めた第三劇場なる場所を思い浮かべ始める。
「学園都市の第三劇場と言えば 確か観客席が三千席以上有る大型劇場だったような どう考えても過激座と不釣合い過ぎる」
観光本に紹介された施設は、屋内空間だけで過激座の六倍は有りそうな場所だ。どうしてそんな場所で公演が出来るのか、俺は何かの事情が有ると考えつつ乾いた布で手を拭いた。
学園都市第三劇場。学園都市西区の西外れに位置する複合型娯楽施設の大学園内に有る劇場。学園都市西区の西側にはセフィーナ遊撃公園が在り、その更に西側に位置したセフィーナ空港とを結ぶ幹線道路が学園都市内にまで伸びている。
運営母体が学園都市を運営管理する学園都市運営委員会なので、毎年春と秋頃に学園都市中の学校行事が開催されている。劇場だけでなく各展示施設を維持するには莫大な費用が掛かるので、基本的に大学園は学園都市が保有するだけの商業施設だと思えばいい。
現在俺は管理人から言われたとうり過激座内の舞台上を掃除している。殆ど練習にしか使われてない舞台上で素足になり、湿らせた布箒で黒い木目を吹くだけの単純な作業だ。
俺はその単純な作業をこなしながら台本も目読している。題名に龍騎士伝説と印字された印刷書類の束だが、挟み留め具で固定されただけの台本が中々に面白い。題名から想像したとうり二千八百年前にセフィロトで発生した第一次浄化戦役を題した物語が書かれてあり、ジークと言う三十代の主人公を中心進む冒険譚だ。
(亜人の狩人役なのは納得だが、まさか初っ端の冒頭部分で登場する役だとはな。作品の印象を決めてしまいそうな重要な役を俺がして大丈夫なのか?)
先端に濡れた雑巾を挟んだ長い木の棒を前後に動かし、腕の感覚だけで広い舞台の上を拭き掃除する。目読しているので口を動かす事は無い。俺の役に台詞が一文字も無いのと同じで足と右腕を動かし続ける。
「よう新入り 台本を読んだ感想はどうだ」
俺は背後からかけられた野太い男の声を聞いて振り返った。舞台袖から登場したのは今作で主役のジークを務める二十台の男。名前はアキノ・ヘビゾーラ、親子二代で舞台俳優を専門に活動する老け顔の役者だ。
「台詞が無い役だから助かったけど亜人の狩人なんて想像した事も無いから少し不安かな」
黒い枯葉色の毛だけでなく濃い髭も伸ばしたアキノ。ゼノン南部地方の血筋を引いているのか、顔や腕の皮膚が日に焼けた様に浅黒い。この顔のままジークの役を全うする心算なのかは知らないが、体の筋肉が全体的に発達していて本物の大剣すら簡単に振るいそうだ。
「時代設定が二千年以上も昔だからな 俺の親父が言うには考古学者でも亜人について明確に語れる奴は少ないらしい 過激座の特殊化粧は強烈だから覚悟だけは済ませとけよ」
そう言ったアキノは笑いながら右手に持っていた一枚の紙を俺に手渡す。紙は公演案内を兼ねた張り紙だと一目で解ったが、題名が龍騎士伝説ではなくキノコ・タケノコ戦争と書かれている。
俺は受け取った小さ目の張り紙を手にし、台本を脇に挟んでから張り紙の表装に書かれた文字と日付を確認。既に一ヶ月近く前に終了した公演内容だと理解した。
「これがアキノ 全然違う別人じゃないか」
張り紙に印刷された複数の人物像の内、髭と髪の毛を剃った旅人風の顔が右方向を向いている。目や鼻の形や口元の皺から辛うじてアキノだと判るが、白い衣装を着た胸像の様な写真と目の前の人物を比べると似ている箇所を探すのが難しい。
「そうだ その絵は頭に被せ物を被って化粧を施した俺の姿だ 南北戦争時代を題材にした大衆演劇だったから何十人もの役者が居てな 俺は戦乱の時代に行き場を無くして各地を放浪する流れ者の役だった 隣の青い仮面の女と一緒に傭兵稼業をしていて 正体は人間に扮した魔物の下僕という設定だ」
俺はアキノの説明を聞きながら、張り紙上の右側に並んだ青仮面と海坊主もどきを見比べた。青い仮面は目と鼻しか隠してないが頭に被った白い布が上に膨らんでいて、何かを隠している様にも見える。特殊化粧とやらにはこんな小細工も含まれているのだろうか?
「まぁ俺の衣装がどうなるかは完成した時の楽しみにとっておくよ わざわざ見せてくれてありがとな」
俺から張り紙を返されたアキノは序役がんばれよと言って舞台袖に消えた。俺に激励と心理的な圧迫を与えるのが目的だったのかは定かでないが、過激座が公演組織の稽古場所だと明確に理解できた。
俺は簡単な掃除を終わらせた後。管理人だけでなく劇座関係者共用の風呂場で体を洗い溜まっていた洗濯物を洗い、都市内観光用に買っておいた上下緑の衣服に着替えて過激座を出た。
人通りが多い金栗通りを通って細い路地を北に進んでいると、電柱や掲示板に同じ黄色の張り紙が張られて居る事に気付いた。網だくじ町北隣の枯れ枝町内にも同じ張り紙が張ってあり、俺は黄色い紙面に書かれた菜肉市の文字から何時も以上に人通りが多い理由を理解する。
俺は午後三時前に過激座を出てから寄り道をせず徒歩で船場通りへ移動。船場通り沿いの借り部屋を借りた安宿へは戻らず、同じ通り沿いに位置した三階建て雑居棟へ行き一階玄関から屋内に入った。
二日前に来た時と何等も変わらない室内。やはり事務員は居らず常時解放された窓扉形式の入り口を通り、以前と同じ椅子に座って同じ棚から複数の依頼冊子を取り出す。
「たかが二日くらいじゃ中身が変わるわけないか」
俺の財布に有る資金はここ数日の活動で三千Gにまで減少した。基本的に生活費が掛からない日常生活を選んでいたが、広い都市内を行き来する為に都市内便を利用するだけで金が減っていくばかりだ。
赤い合成樹脂製の装丁を開き挟まれた様々な書類の束を一枚ずつ捲る。この辺りで長期募集中の依頼は町や海辺の清掃依頼が多く、子供や老人向けの小遣い依頼ばかりなので労働に対する報酬がどれも安い。そして景観保護の理由から海岸沿いや中央記念公園と西側に在る行楽施設近辺は清掃管理が厳しい。これ等の対象地域はゴミ収集作業だけで比較的高額な報酬が望めるので、この辺りの清掃活動で稼ぐより費用対効果の面でも申し分ない。
俺はおよそ十二分ほどで赤い冊子も含めた五冊の依頼冊子を流し読みし終えた。確認の為に来た様なものなので期待していなかったが、やはり俺が望む依頼は無く時間を無駄にしてしまった。今すぐ新たな依頼をこなして金を稼ぐ必用性は然程高くなく、迷宮関連の調査の方が優先度が高い。俺はしばらくこの場所にはこないだろうと考えつつ事務所を去り、近くの停留所で箱型の中型動力車に乗って都市西側に在る魔導研究資料館へを目指す。
午後三時五十分前。都市西側を縦断する大きな幹線道路の第一工業団地通り内の六番停留所で都市内便から下車。六番停留所から徒歩で通りを南に約三百メートル程歩き、観光本にも情報が掲載されている白い五階建ての建物前に到着した。
俺は人口石材の壁と強化樹脂の白いアーチ屋根が特徴の大型施設の入り口前で建物を見上げ、正面入り口の屋根に埋め込まれている金属製の標識を確認。強化硝子板を並べた近代的な入り口を出入りする利用者を少しの間観察する。
都心から離れた西側工業区内に在る魔導研究資料館には様々な研究資料や展示品が一般に閲覧公開されている。屋内は大図書館と展示室が同一化されていて利用者の大半が研究者や学生だと観光本に書いてあった。ただし実際に利用者達を観察してみると、夏休み期間中で私服姿の学生達も出入りしている。
俺は少しの間だけ暖めていた長椅子の木板から腰を上げ、石板と人工石材で固めた敷地内を進んで入り口内に入った。
屋内は外見から想像したとうり広く、床面積だけでなく天井も高い。入り口から十メートル程屋内に入った位置に受付らしき円形の机が配置されて有る。机の上に正面広間と書かれた三角板が複数置いてあって、円形の机が取り囲む太い円柱に施設案内図や行事案内を兼ねた多数の張り紙が張られている。
俺は扇状の形をした正面広間内に有るその柱を一周し、案内図から目的の場所の位置と進むべき通路を確認。一階の中央区画に在る資料図書館を目指して、中央壁側から建物奥へと通じる通路に入った。
通路内には教室や調理室らしき複数の部屋が在り、丁度どこぞの企業に就職したばかりの新人向けに魔導技術についての講習会が実施されている。室内へ入れる閉じられた事務扉から拡大された男の声が聞こえていて、歩きながら事務扉の窓を覗くと統一された黒い企業服を着用した若者達の後頭部が見えた。
社畜養成現場を通過して廊下を抜けると、高さ四メートルに匹敵する天井に届きそうな本棚が並んだ光景が俺を出迎えた。目の前の巨大図書室は精密機械用部品の管理倉庫にも見えるくらい近代化されており、本棚を通るのは利用者より管理用機改の方が多い。
「一部さけで千冊以上は有りそうだ 司書業務は全部機改任せのようだ」
セフィーナでも大衆量販店として大型倉庫を丸々店舗化した商業施設は珍しくない。涼しく異臭が無い快適な空調設備が稼動しているので、一般的な商業施設と同様に管理業務の殆どが各種機改によって運営されている。
俺は入り口からすぐ左側の壁に沿って並んだ受付に移動し、十台以上並ぶ管理端末の一つから必用な研究資料の検索作業を始めた。
現状で三種の神器に搭載した魔核の魔導回路を再構築する手段は三つ有る。一つは直接魔核を抜き取って再分解してから結合構造ごと再生成する方法だ。この方法だと費用と時間が掛かり、尚且つ適格者から神器を取り戻さなければならないので欠点しかない。そして二つ目の手段として考えれるユイヅキ仲介の直接再刻植も理力を使うので非常時以外を除いて実行する気は無い。だから三つ目の魔導通信網を利用して神器に自動再構築を促す命令を与えるしかない。
この自動再構築を実行に移すには、まず対象の端末である魔核へ専用の魔導命令信号を送信するところから始まる。送信と言っても電子情報や電波の送受信を行うのと同じで専用の端末が必要だ。魔導通信に用いられる魔導水晶や最新の有機演算装置なのが該当し、俺の場合はユイヅキで十分に代用が効く。
現在問題なのは、俺自身がこの信号を構築する際に必須の魔導言語知識について詳しくない事だ。今まで魔導水晶体に宿ったユイヅキと言う超高性能な相棒に魔道具関連の役割を押し付けていたので、魔導言語構築用の専用端末を操作するのは今回が初めてになる。
「これだけ絞ったのに四十五冊 規格統一された魔導言語だけで何十万行も有るのか」
この資料館二階の一区画に在る端末部屋には、素人でも呪文の様な魔導言語を構築出来る魔導暗号装置が置かれてある。この装置で神器再構築用の更新情報を製作してユイヅキに記録させれば完了するのだが、四十五冊もの分厚い資料書から必要な回路構造情報を選ぶのに何十時間も掛かるだろう。
俺は直感的に作業量を算出し自力での作業完遂を諦めた。やはりユイヅキの方が適役だと悟り、検索した四十五冊のうち有望そうな四冊を選んで保管されてある倉庫棚の位置を確認する。
検索用の青い情報端末画面に表示された白い文字と見取り図をしばらく眺めた後、俺は受付椅子から立ち上がり物資保管庫の様に列を成す本棚の間に入る。そして記憶した道順を辿って二十七番書架に辿り着くと、背表紙に読み込み用の認識記号用紙が張られた書籍列を下から見上げて検索した本を探した。
六段目を見上げてから数秒後、背表紙にエゾフ魔導陣図鑑と書かれた分厚い本が見つかる。選んだ本自体が他の書籍より大きいので題名も大きく一目で区別できた。俺は棚に設置された利用者用の階段を使って本棚の上段に上がり、右腕を伸ばして小さな肖像画と同じ大きさの本を棚から引き抜く。
(情報どうり古い魔導書で間違いない。こんな物まで保管するから数が多くなるのも当然だ。)
検索時に表示された案内情報には、著者である魔導師エゾフが編集した魔導水晶構造何とかを記した記録媒体と書かれていたような。このエゾフなる人物は魔導開花期の末期、若しくは星暦八千年初期に統一前のゼノンで名を轟かせた魔導師だったはず。名前が簡単だから覚えていた偉人の書物だと知って選んだが、活版印刷された表紙を見る限り原本ではない氾増品らしい。
【古いだけの魔導書ですが解析しますか? 理力を使わずとも少量の魔素と十分ほど時間があれば魔導陣を初期言語に変換可能ですよ。】
俺はユイヅキの提案を受け入れ、梯子の上部に座りながら胸元のユイヅキへ魔素を送り色褪せた紙を一枚ずつ捲り始めた。一枚に目を通す時間は一秒から二秒程度なので、本棚の上に張り巡らされた軌条を走る機改の音を聞きながら己の目に映る光景をユイヅキと共有する。
魔導研究資料館は現役の研究者や魔道具職人等が魔導装置開発の為に利用する開発施設でもある。その為外部との通信は一部の通信端末としか出来ず、施設の壁や柱に埋め込まれた魔導干渉材によって外部との魔導通信も遮断されている。俺達はこの隔離された場所で一時間半程過ごし、完成した更新情報信号をユイヅキに記憶させてから急いで建物を出た。
再び停留所に戻り、都市内便に乗って中央記念公園北入り口前で降りた。適格者の少女達が迷宮から帰ってくるだろう夕暮れ前までに更新作業の準備を終わらす為、午後六時前頃に中央記念公園北大通り内に在る総合依頼斡旋事務所に入る。
そこは船場通りの斡旋事務所と違い、三階構造屋内一階と二階が資料室を兼ね備えた端末案内所だった。係員や事務員が居ない代わりに十数名の下級労働者や私服姿の学生が居り、やはり各々が好きな場所で求人冊子や依頼冊子を読んでいた。
俺はその中の一人に混じって本棚から数冊の冊子を取り出して近くの机に並べた。青い絨毯の上に置かれた木製の重い椅子を少しずらして椅子に座り、手元近くの白い冊子を手に取っ手見開きを開く。
中央記念公園で募集されている依頼や軽作業には公園内の景観維持と設備保守点検、そして各施設内での清掃活動を含めた敷地内全域の清掃活動が多い。所詮小遣い稼ぎの探索仕事と大して変わらぬ報酬なのだが、人の多い場所にはゴミも集まると古くから言われているとうりの現状が依頼用紙の金額欄に提示されている。
俺は何も言わず冊子を閉じて全ての依頼冊子を本棚に戻すと、無表情のまま事務所から出て近くに在る清掃事務所へ移動。公衆便所を改築したような古い平屋造りの建物内で事務員から清掃活動内容を聞き道具を渡されて直、ポイ捨てが野放しにされた公園内での空き缶空き瓶探索を開始した。
勿論これは表向きの財布事情を解決する為の依頼作業だけが目的ではない。草むらや薮の中等に溜まったゴミを回収代金と引き換えに回収業者へ引き渡すだけでなく、記念公園内と言う魔導通信網の中枢で三種の神器へ更新情報を送信するのに適した場所だからだ。
俺はユイヅキの探査能力を活用しながら、電柱形式の半照明型魔導通信灯周辺で空き缶や空き瓶拾いに励む。時折専用ゴミ箱を探して歩いている学生に声を掛け、金に成る空き缶や空き瓶等を回収するのも忘れない。
魔導通信網の位置情報によると、更新信号送り先が閉鎖環境の浮遊島に居るのだと判明している。彼女達が日没頃に帰って来る前に近場の魔導集積装置に更新情報を預け、彼女達が次の探索を始める前に擬似魔核が更新情報を受け取ってくれれば完了する。
更新情報の送信は日が暮れた直後に終わった。俺は送信作業を終えたユイヅキに金属探知作業を手伝えと命じ、高い魔導液を買うことを約束して資源回収名目で公園内を奔走する。
セフィーナ工業区。都市西側の北部を占める複合施設群。主に金属加工工場や車両修理工場が軒を連ねた工業団地。産業廃棄物処理から産業排水処理と都市排水の浄化処理施設も在り、南端が空港内整備区画と繋がっている。
二十六日と二十七日の二日間。俺は過激座での雑務と中央記念公園でのゴミ回収を続けた。二日間の間は一度も浮遊島に行かず当面の費用を稼ぐ為に清掃作業を繰り返し、結果的におよそ二千五百Gの資金を得た。
たった二日しか経過してないが、やはり公演日が近付くと人が集まるらしく過激座での舞台稽古や準備作業が本格稼動する。人手不足の為に序役だけでなく大道具や衣装類の勢作も手伝わされながら、炊事洗濯と掃除を終わらせ中央記念公園へと都市内便に乗って行き来する。そんな忙しい生活が始まった訳だ。
そして二十八日の早朝。俺は夜が明ける前に借り部屋を出発して漁港で船に乗り、日の出を船上で見つつ月輪島に上陸した。
まだ朝早く晴れてはいるが冷たい空気が漂っている。打ち寄せる波の音を聞く間も無く俺は浜辺から大海林内の遊歩道へ入り、同じ船に乗っていた観光客や探索者と競うように島内の遺跡へ急ぐ。
今日は何時も以上に多くの装備を背嚢に入れて来た。月輪島に始めて上陸した際、適格者捜索と並行して迷宮核の捜索を実施した。その甲斐あって迷宮核が中央の満月湖内に在る遺跡直下の何処かに在ると判明したので、これから朝早く人通りが疎らな湖畔から水中探索をする予定だ。
日が地平から昇って間もない頃だと、流石に大海林の森は薄暗く静けだ。島内の浜辺や船着場に等間隔で設置された塩基式分離発電槽から送られた電力で照明が点いたままになっている。俺は砂地の道幅大きい遊歩道から脇道に入り、泥濘地に渡された道幅が狭い木板の遊歩道を通って東側の湖畔へと移動した。
東側の湖畔は固定の砂地が急勾配になっていて、満月湖の中で最も深い場所に近い場所だ。普段から人通りが少なく養殖池も近いことから魔法の輪がごく少数しか出現していない。俺は若い大海林に隠れ人目を避けて湖の水場に近付くと、途中で背嚢を降ろして買ったばかりの巣潜り用具を取り出し始める。
(潜水面に潜水筒。それから昔使っていた弓を取り出して、脱いだ衣服を入れてからそこいらに穴を掘ろう。)
月輪島の浜辺や湖畔は一部を除いて遊泳区画として解放されている。俺が潜る場所は遊泳禁止区域だが、多くの海水浴客と同じく海用下着だけを履いたまま歩いていても怪しまれない。
俺は衣服や貴重品を背嚢に詰めてからユイヅキを昔馴染みの複合弓に装着。暗くて周囲はおろか足元すら見分け辛い状況を利用して、背嚢を木の根近くに掘った穴に隠した。
背中に紐付けした古い弓を担ぎ、足に黒い足鰭を装着して木陰から暗い水辺へゆっくりと入る。一度頭まで水面下に沈めて装着した楕円形の潜水面に水が入らない事を確認。まだ水深が浅く緑色に濁った暗い水中を歩いて進む。
水底には枯葉や枝が多く堆積していて、歩く度に足鰭越しに硬い石の様な何かを踏む感触が伝わってくる。俺は水辺から十メートル程進むと肺呼吸を止めるために歩くのを止め、魔導細胞を活性化させて生体回路に魔素を流し始めた。
【活性化指数百二十二。周囲の魔素濃度は七十七から七十九。魔素吸収での活動に問題はありません。】
俺は息を止めて頭と体を倒す様に沈めた。当然潜水筒が水没して口元へと水が流れるが、口から潜水筒の吸入口を吐き出したので問題は無い。
視界内に両手を出すと、手と腕の表面に僅かだが己の魔導路が浮かび上がっているのが見える。出力を意図的に弱めているので理力は使えないが、淡い夕日色の幾何学模様が全身に行き渡るのを待ってから水中遊泳を始める。
(遊泳禁止の理由は遺跡地下の入り口を隠す為だ。必ず奥に迷宮核を封じた隔離区画が有る。水中から潜入するのは初めてだが、これだけ濃密な魔素で満たされた湖なら奥まで進めれる筈。)
左右の足鰭を上下させながら固定の斜面を下り、頭上に広がる朝焼け色の水面から離れ深い水中を進み続ける。満月湖だけでも全長が三キロ以上あるので、湖畔から中央の遺跡まで最短でも一・二キロ程度泳ぐ必要が有る。その間に息継ぎをしに水面に浮上すれば監視員や観光客に発見される可能性が高いので、決して浮上してはならないのだ。
俺は徒歩で歩けば十数分程度の距離を泳ぎ続け、アトラの港街で買った水中時計を確認しながら暗い水中を進んだ。魔導細胞で生み出した魔素を身体機能維持の為に使っているので、当然ながら視界をユイヅキで補正したり魔導干渉波を発して地形を把握する余裕なんて無かった。
右腕に装着した海中時計で経過時間を分単位で確認した結果、俺は無事に水深八十メートル辺りの水底に沈んだ岩場へと到着した。岩場が有るのは満月湖中心に位置する遺跡の周辺だけと釣り人達が言っていたので、この岩の先に神殿遺跡本体が在る。
俺は腰帯ならぬ下着帯から、差し込んていた小型の海中照明具を取り出した。これは擬似魔道具の予備部品に都市内の雑貨量販店で購入した乾電池を差し込んだ物で、ヒカルに渡した神器レクサスと同じ赤い海中照明具に他ならない。
海中照明具の電源を接続し、発行面を左手で覆い隠しながら発光体が放つ白い光を最弱出力で固定。そのまま僅かな光で沈んだ岩場を照らしながら進み、岩同士の隙間に挟まった大海林の上を越えて遺跡下部らしき大きな影へと近付く。
(見えた。これは間違いなく遺跡の屋根を支える支柱の列。上の遺跡で釣り人達の話を盗み聞きして正解だったな。)
暗く太陽の光が屈折しても届かない岩場の奥に、自身の体どころか周囲に転がる岩より太く大きな黒い円柱が等間隔に並んでいる。照明具で柱の隙間を照らすと内部に入った複数の岩石が見え、泳ぎながら近付いても光が奥を照らさない。
俺は満月湖中心の水面に露出した屋根の様な基礎部分を支える柱の間から内部へ侵入した。当初の予想では上の基礎部分が外蓋として機密空間を覆い隠していると考えていたが、見る限り柱が並んでいるだけの埋もれた通路に隠し部屋らしき場所は見当たらない。
死角内に入り人目を気にする必要が無くなった。俺は一時泳ぎを止めて理力による魔導探査で周囲を調べようと魔導路から大量の魔素を吸収し始める。
目で体の表面を確認しなくてもユイヅキと同調した生体接続機能と己の感応領域が広まるのを感じる。夕日色から黄色い光を経て視界内の体表近くを緑色の光が埋め尽くし、ほぼ同時にユイヅキから放たれた魔導干渉波が周囲を包み込んだ。
【構造解析終了。探査情報を視覚化します。】
白と緑色の光が合わさった視界内に、暗い緑色で塗り潰された宮殿通路が現れた。通路と言っても本物とは違って様々な岩石や岩石質な瓦礫で埋もれた屋根裏の様な場所だった。
俺は照明具の電池切れを心配し、照明具の電源を落としてから海用下着の帯にレクサスもどきを差し込んだ。電源を切る前から体勢を水平に変えて泳ぎ始め、顔を左右に振って遠くまで続いている柱の列の間を一つずつ確認し始める。
(丁度今が午前六時半だから調査時間は残り一時間のみ。その間に地下への入り口か手掛かりに成りそうな物を見つけないと無駄足に終わってしまう。)
右腕の海中時計から目線を上げ、一直線に並ぶ支柱群の間を通りながら天井や周囲の岩場へと目線を配る。
わざわざ上部の基礎を柱で持ち上げているのだから、大半が土砂と堆積物で埋った遺跡下部に入り口の様な箇所が在る筈。俺はそう考えてユイヅキに魔導探査を下側に集中するよう命じた。
遺跡の水中部分を捜索すること三十分。全長が五百メートルに達する長方形型の遺跡下部を一周したが、周辺の支柱群には有力な手掛かりは無かった。手掛かりが有るとした未捜索の中心分であり、魔導中継装置の月輪塔が屋上に設置された遺跡風構造物の直下のみしかない。
(本当に数千年前に埋め立てされた島だとしたら、この遺跡は土地が造成された後に建設されたことになる。埋立地にこれだけ大きな物を建てた理由なんて誰も知らないだろうが、軟弱地面に重量物を築く場合は地面を深く掘って岩盤層に基礎を構築しなければ傾いてしまう。当然この下にも埋もれた基礎区画が無いと今頃遺跡は只の岩礁に成り果てている。)
俺は入って来た場所に近い遺跡東側の支柱群から奥に進み、海用下着から照明具を取り出し中心部の地面を強い光で照らし始めた。
中心付近も等間隔に支柱が並んでいるだけで、砂や岩石の溜まり具合が少ない。周囲の地面には幾つかの窪地が出来上がっており、砂地近くを満月湖畔の養殖生簀から脱走した虹色魚が泳いでいる。
(魔導探査の感応波長を浴びても逃げる素振りを見せない。遺伝子改良されて生まれつき魔導因子が殆ど無い個体なんだろう。これだけ魔素が濃い水中で暮らすには魔導因子が少ないと細胞が癌化してしまう。釣り人に釣られて食われるか、早い寿命を迎えて死ぬだろうな。)
中心部へ近付くにつれ柱が長く見えるようになり、堆積物が少ない大きな窪地に姿を現した。大きな窪地全体を照明で照らし出すのは不可能らしく、照明具で照らし出す事を諦めた俺はユイヅキから送られて来る探査情報のみに集中する。
窪地に遭遇してから二十メートル程進むと、くぼ地の反対側斜面ではなく深い溝の様な崖が現れた。視界補正によって緑色に塗り潰されて見えるが、岩盤を縦に真っ直ぐ掘り進めた様な場所で深さも十メートル以上あるだろう。
【溝帯深部から大量の魔素が噴き出ています。迷宮核特有の反応は有りませんが、検知量から迷宮核の様な高密度魔素の発生源が有ると推定できます。】
この報告を待っていた俺は頭を真下に向けて垂直に潜り始める。幅だけでなく深さも深い大地の亀裂深部を目指してひたすら潜り、水圧による体への負担を細胞活性率を上げて耐えた。
やがて進路上を照らした照明具の白い光に大量の気泡らしき粒が映り始めた。ユイヅキの探査情報が無くても気泡を形成する気体内に大量の魔素が含まれているとすぐに解り、俺はユイヅキを介さない己の視覚のみで魔素反応を視覚化する。
(赤い光。これはあの時と同じ光だ。)
視界から通常に光や情報が消えた代わりに、魔素が発する極小の魔導波長が視覚化されて認識できた。そして視界内を横断する赤色の光が密集した川の様な光に見え、俺は赤い光を発する崖下の川らしき何かから不活性魔素が噴き出ていると理解した。
【不活性魔素固有の非共鳴反応を確認。水によって熱が奪われ結合崩壊を起していますが、間違いなくあれが魔素発生源です。】
俺は幅が四十メートル以上有る亀裂の只中で潜行を中止し、水深位置を保ったまま体勢を通常状態に戻して流れのない場所に留まる。
(迷宮核が汚染された魔素に。いや、そんな事はありえない。ならこの下に途方も無い巨大な何かが埋っていると言うことか?)
二年前まで魔法迷宮の一部として機能していた元浄化増殖都市。大量の不活性魔素を魔素に分解する場所と汚染物質を溜める場所に別れていた。当然ながら浮遊島も古くは汚染世界から逃れる為に建設された人工島なので、都市へ不活性魔素の流入を遮る境界が存在していた筈。
【これは推測ですが。この月輪島は伝承のみ残っている浮遊諸島を形成した空中浮遊大地の一部だったのでは。魔神伝説でも話のみ登場するだけで存在を示す確たる証拠も有りませんが、現在の浮遊島が造成された年代から推測しても、失われた星暦の前半時代に栄えた魔導文明との関係性を否定できません。】
俺はユイヅキの説明を聞きながら下に足を向け緩やかに沈降してゆく。水圧により体が強く圧迫される為に細胞硬度を高めながら魔素の放出量を細かく調整し、肩紐を握って背中から弓のユイヅキを取り外すと理力結界の展開準備に移った。
遠くにある物が小さく見えるなら、当然近付くだけで見える大きさは増す。崖底に在る赤い川も近付くにつれ大きさを増し、小川程度の認識だった不活性魔素の放出帯が起伏が激しい噴水口の密集地へと変わっていた。
視界は大量の気泡に含まれる魔素の噴水によって悪化の一途を辿った。起伏が激しい底に到着した時点で死滅灰の大地に点在した赤色湖内を泳いでいる様な感覚を思い出したので、俺は理力結界の中から封印された様な大地の亀裂上部を見上げている。
【深度は二百三十三メートル。現在位置は亀裂地表部からおよそ百五十メートル地点です。】
体表を囲むように展開した理力結界により汚染物質が分解され、正常化した大量の魔素を体が掃除機の如く吸収し続ける。当分食事はおろか都市内の魔素溜まりを探す必用も無くなる程魔素に満ちていて、俺も自然と満ち足りた気分を味わえる。
【位置情報からこの辺りが遺跡中心部の真下です。魔導干渉域内に入り口らしき構造や地層内に埋没した空間等は有りません。以上が解析結果です。】
これだけ多くの魔素を吸収したのだから、当分狭い借り部屋で体を休める必用は無いだろう。俺はそう考え迷宮核へ至る手掛かりが無かった事を忘れようと浮上に集中する。
魔導中継装置。魔導端末や無線式魔導波長増幅装置から発せられた魔導通信を電波信号に変換して他の中継装置と通信を行う装置。有線式を除く魔導通信は範囲が商業電波範囲より短いので、広範囲で魔導通信を行うには必ず中継装置が必要だ。
浮遊島の三島だけでなくセフィーナ都市内にも十二箇所在り、全ての通信回線がセフィーナ塔の中央制御室と繋がっている。
午前八時三十五分。雲が少なく晴れた青空に上昇中の太陽が東から俺の体を照らし、汽水域特有のやや乾いた空気も合わさり濡れた体は十分も経たず乾いてしまった。上陸して来る多くの観光客や探索者達で、島内の遊歩道や休憩所が混雑している状況が見える。
(凄い数の団体客だ。探索する訳でも無い只の島観光に毎年何十万と来るのだから出店だけで幾ら稼げるんだろう。)
南側と北側を繋ぐ湖畔西側の浜辺道には複数箇所の行列が出来ている。行列は主に料理系の出店や飲料販売所へ続いていて、探索団らしき集団と観光客の集団が重ね結び状に列を成している。
「西側に施設が集中してる 迷宮核は東側かもしれない」
現在俺は遺跡基部の南端に在る岸壁沿いの休憩所兼屋台前の椅子に座って食事を楽しんでいる。何処にでも有りそうな四角い小さな机の上に両肘を乗せ、左手に舟の様な形状の四角い紙皿を持ちながら魚肉を焼いただけの焼き身料理を割り箸で口に運んでいる。
(川魚と同じ白身なのに油が濃い。虹色魚の油は高級品らしいから油を絞った身が安く売られていて当然だな。)
セフィーナ含め沿海地方では魚介類系の加工食品が安く流通している。店によっては同重量の家畜肉より半額以下の値段で缶詰や練り物が売られている。俺が食している乾燥魚肉も油分が豊富な虹色魚の白身が原料なので、高級食材とは思えない程安い値段で買えた。
【精密測定終了。迷宮核の予想位置は変わらず。基部の中心下方向から波形不明の魔導波が出続けています。】
波形が不明なのは魔導波長特有の揺らぎが無いからだ。これが音波だと無音状態なので少しややこしいかもしれないが、不可視の魔導波長は音でも電波や熱線の類でもない魔素の移動現象を意味している。
俺は気分転換の食事を済ませ、使用した紙皿と割り箸を屋台傍の網目状ゴミ容器に入れてから移動を始める。目的地は目と鼻の先に見える台形屋根の神殿だが中には入らない。中央台の階段を上がって神殿前に移動し、その周辺を歩きながら周辺の風景を見回して迷宮核の手掛かりを探す予定だ。
(この場所に来たのはまだ二回目。前は神殿一階と建物周囲を散策した程度だったから、今回は隅々まで調べて迷宮核への手がかりを掴んでやる。)
全長五百メートルを超え幅が二百メートル程度の横長な基部。増設された中継塔を除いた高さが三十八メートルある神殿が中央台に鎮座していて、神殿を取り囲む深い堀と多くの用水路が湖と繋がっている。
俺は南端の埠頭らしき平地から水路壁内に入り、独特な石造りの通路構造物内を通って中央台前の吊り上げ橋前まで移動。深く幅広の堀を挟んだ対岸には神殿へ上がれる中央台階段が見え、橋前は階段前の広場へ入る為に並んだ観光客達で大変混雑している。
もし両手から機関銃弾を撃ち出せたら、遺跡屋内の小部屋の窓辺に陣取り邪魔な群衆を散らして堀を赤く染め上げていただろう。もっとも、俺がその気になればこの場で指を弾くだけでこいつ等全員糞と肉片の絨毯に変えてしまえるがな。
【体温が通常値を超えてますよ。身体機能に異常は有りませんか?】
俺は首に巻いた緑の手拭で手汗を拭う振りをしながらその染み付いた臭いを確認する。狩人時代に知ったこの動作をする事で、それまで燻っていた苛立ちや不安が一度に掻き消えてしまうのだ。
列に並んで待つ事八分程度。俺は幅が十メートル近い二つの吊橋の内、観光客用に制限された南側吊橋前で素早く金を払い板を張り合わせた橋を渡った。それから立ち止まらず階段前広場を通り傾斜角度が四十度はありそうな中央台階段を登って行く。
(これは石垣じゃなく焼き石階段だ。熱に強そうだがどうしてこんな古い石材を階段に使ってるんだ?)
中央台上へ上がれる唯一に階段には、均一に切り出された黒色系の泥灰岩が階段状に並べられており、およそ千五百年前の魔導開花期まで主流だった二世代前の人口石材用骨材の原料が削られた本来の階段足場に設置されている。
(遺跡保護や防疫の為か、それとも本来の階段の段差が高過ぎるから調整用にこれを使っているのかもしれない。)
本来の階段は中央台を構成する玄武岩で構築されているようだ。俺は元々何段だったか解らない五十段以上の階段を登って、大海林の上に遠くの水平線が見渡せる高台に立った。
俺は中央台の上面を八割程度占有する神殿に入らず、階段脇から右に逸れて手摺等が一切無い野晒しの石垣縁を歩き始めた。周囲の光景を肉眼で俯瞰するのも楽しいが、目的を達成する為に首飾りに填めなおしたユイヅキに各種魔導測定を命じる。
【了解。魔導波長の解析を始めます。】
銀色に癒着塗装された鎖状の首飾りが風と俺の動きで少し揺れる。俺は風景を楽しむ素振りで縁沿いを反時計回りに歩き、目の色覚を切り替え白と黒の濃淡だけとなった風景を見ながら手掛かりを探す。
月輪島内の魔導装置の多くは、通常型や迷宮式魔導端末に限らず無線法式の中継共鳴波長によって送受信を行っている。これは電波や音波とは違い分子間振動による共鳴現象ではなく、魔素同士の魔導共鳴特性を利用した半光速通信なので混線と言う概念が無い。当然普通なら不可視の魔素を見る事はできないのだが、俺の網膜内の色覚器官は魔素に反応する生体回路と合わさっているので、空間の揺らぎの様な不規則に動く陽炎を認識可能なのだ。
(何時見ても何なのかさっぱり解らない。まるでコップの中身を不規則に掻き回している様だな。)
目で魔素の移動が見えると言っても、光速の半分程度の速さで動く物体の様な何かを認識する事はできない。あくまで波や風とも違う不規則性を極めた様な流動により風景が歪んで見えるだけだ。
(魔導水晶体はこれを捉えて解析している。もし俺がこれを認識出来るようになった場合、おそらく人間の姿からかけ離れた何かに成った後だろうな。)
俺はゆっくりとした足取りで中央台の縁を歩き、西側に位置する長い階段の最上段へと戻った。直にユイヅキに結果を聞きたいが、解析情報量が多いのでしばらく時間経過を待たなければならない。
せっかく金を払って此処まで来たのだから、この際中央神殿内を見物するのも悪くはない。そう判断した俺はそそくさと神殿入り口へと歩き、出入りする見物客が絶えない石造りの入り口から内部へと入る。
台形屋根が特徴の神殿内部は吹き抜け構造で、建物外壁に開けられた奥側展望通路出入り口から陽光が差し込んでいる。そして差し込んだ陽光により一階に並ぶ机や柱が照らされ、比較的新しく取り付けられた色彩硝子絵画も輝いている。
玄関から土足のまま神殿内中央通路を通った俺は、中央通路から左右に別れている劇場型観覧席の一角に入った。内部からだとアーチ型の天井が見えるので丸い屋根を想像しがちだが、神殿の台形屋根に増設された丸屋根の塔には二回の階段からしか上がれない構造に成っている。
(水路壁内の協会より何倍も広いな。数百年前に輝岩系の石材で建てられた比較的新しい建築物なのに所々改築された形跡が残ってる。玄武岩で築かれた遺跡本体とは構造から材質までまったくの別物と言っていい。)
白い結晶らしき岩の表面を磨いた天井を見上げながらそう考えた時、俺の脳内に確信できると言って良いほどの仮説が生まれた。
(そうだ玄武岩だ。ジャッカスが玄武岩に魔導干渉作用が有ると言っていた。確か魔導開花期以前に玄武岩を削って加工した原始的な魔導発振体が登場したんだっけ。いや、古い遺跡に玄武岩で構築された石垣が数多く残っているから魔物除けの水道設備だったと言っていた様な気がする。)
俺は己の曖昧な記憶では頼りにならないとだけ理解し、魔導端末を持つ感覚でユイヅキを持ち魔素を送る。
(ユイヅキ。もし迷宮核が神の実の様に魔導細胞核の集合体じゃない場合。特にバルタザルの結晶核の様な無機物の集合体だった場合、玄武岩よ様な一般的な鉱物に生体回路を構築して迷宮核を形成出来るのか?)
俺の問いにユイヅキは直に返答を返さなかった。およそ五秒ほど待てからようやく処理解析中のユイヅキが俺の問いに答を返す。
【何かしらの管理存在と同化しているか、本体と切り離された末端部分なら可能です。ただし玄武岩そのものに回路を構築する事は不可能です。玄武岩特有の磁性により魔素吸収に影響を及ぼすでしょうから、何かしらの形状に加工した部品として使用する事しか出来ません。これは光学部品の素材となる輝石でも同様です。】
俺は解析作業を続行させたユイヅキから手を放した。そして両膝に両肘を乗せて前屈みになり顔を両手の上に乗せ考え事を始める。
(磁気性が有るから黒系の玄武岩で遺跡を構築した鋭角な理由が有る筈だ。元々魔法迷宮を構築する用途で建設された訳じゃないだろうし、単純にありふれた岩石を使うのなら他の種類の岩石も混じっていただろう。魔導伝説にもこの浮遊島は激戦の地として登場しているから建造されたのは五千年以上も昔。失われて神格化されている古代魔導文明時代の遺産なのだから重大な秘密が有りそうなんだが。)
口元で両手を握り合わせ考え事に耽っていると、いつの間にか何分もの時間が経過したらしくユイヅキが解析結果が出たと報告してきた。
【結論から説明すると観測した魔導通信波形と固有波形に特異点は有りませんでした。複雑で緻密に計算された多重陣型に近い通信網が形成されていて、私の解析能力でも全貌を捉えるのは不可能です。】
俺は陽光によって輝く色彩硝子を見て失望の念を和らげつつ、迷宮核捜索案を始めから練り直そうと考え事を始める。少し前に懐中時計の時刻を確認した時は午前九時前だったので、今日の予定も合わせて行動予定を考える事にした。
セフィーナ中央記念公園。セフィーナ塔を中心に据えた長方形型の敷地を有す記念公園。面積は二・五平方キロメートルで東西辺が丁度一キロある。
大部分は森林公園や植物園だが東側はセフィーナ歴史区と呼ばれ、古い建物や移設された施設を改装した歴史資料館が密集している。対して西側は遺産資料区として様々な分野の魔道具や機械製品を保存する博物館が複数在る。
記念公園の歴史は古く。星暦六千五百年頃の群雄時代に建設されたセフィーナ造船都市の墓所として区画整備されたのが始まりとされている。始まりからあよそ千年の間に拡張され続け、居住用の土地や農地としても開発された結果、埋もれた農業用残土や瓦礫が地下水汚染の原因と成った。
魔導開花期の星暦七千六百年頃に深刻な洪水被害が発生し漁業が壊滅。また度重なる水質汚染により神経系を破壊する疫病が蔓延して都市人口が急激に減少し始める。死体が溢れた墓所は大規模火葬場と成り、複数の井戸が掘られ汚染水と汚染土壌の改善工事が進んだことで疫病と汚染水問題が収束。結果的に墓所は他の場所に移され多くの建物が撤去された結果、植物品種改良施設だけが残り開放公園として長らく定着する。
現在の記念公園が完成したのはおよそ七百年前。時代が革新魔導時代に移り変り浮遊島に虚構法式迷宮探索制度が導入され始めた頃だ。
俺は遺跡から離れ月輪島東地区に在る樹上宿泊所に移動し、二日間の間に放置状態だった三種の神器成長状況を確認しようとした。予想どうり彼女達は今日も探索に励んでいたが、月輪島から行けるホーライではなく卵島から行けるアゼットで活動中だと判明する。
都市に居る間は彼女達の位置や行動内容を確認するなど簡単だ。しかし浮遊島三島の何処へ向かったは乗船した船を直接調べなければならない。今回は彼女達が起床するより先に浮遊島に来てしまったので、都市内の魔導通信が使えない浮遊島では彼女達の行動を追跡しようがなかった。
俺は月輪島と他島を結ぶ定期船が発着する北船着場に急ぎ、午前十時十五分発の卵島行きの小型船が出発する二分前に乗船した。毎秒二から三メートル程の東風によってエメロギア湾は二メートル程度の波が発生しており、八十トン級の小型遠洋漁船だと手摺に掴まらないと転んでしまいそうな船旅だった。
俺は卵島に到着したのは、おそらく午前十時三十八分頃だっただろう。波によって船が少し流されたらしく数分程遅れたと漁夫姿の老人が無線機に愚痴を零していたのを覚えている。
俺は卵島南埠頭に上陸して直、小規模な南港内に在る憩いの家の看板を掲げた古い漁業用倉庫を改築した木造家屋に入った。
家屋一階には床面積だけで二十平方メートルはありそうな玄関前広間が有り、常時解放された施設内中央に設置された古い映像窓を観ている杖持ち探索者が三人ほど居た。休憩所を兼ねた避難施設らしく広間奥へ通じる二つの扉うち、片方の扉には救護所と書かれた張り紙が張ってあったのを覚えている。
俺は柱や天井と床に設置された看板を確認した後、入り口右隣に有る二階と地下へ続く階段を下りて地下室に移動。元蒸気部屋だったのだろう人工石材で覆われた留置所の様な場所を見回し、薄くて白く小さい金属板に迷宮用魔導通信所と書かれた一般的な板金扉に近付き扉を開ける。
雑誌や映像媒体で見た事がある様な船室らしき小部屋に入り、部屋の半分を占有している机型通信端末を改造した投影式魔導通信装置に使うために摘みを動かし起動させた。そのまま起動していく様子を見守りながら金管椅子に座り、ユイヅキを魔導端末専用引き出しの一つに入れてから蓋代わりの映像盤を開き見やすい角度に調整した。
俺は手元の操作盤を操作して探索中の探索者検索を行った。検索方法や手順は機械島の灯台所内の水晶型魔導端末と同じなので戸惑う事は無く。半透明な映像盤にレクサス適合者のヒカル・シーライオの名が表示されたのでその名を追跡表示に指定する。
ヒカル含め何時もの面子は砂漠島と揶揄されているアゼットの砂丘で魔物狩りを行っている最中だった。俺は位置情報を確認し彼女達が砂煉瓦町近くに居ると知り、アゼット内で活動通の探索者数を多い事から町中に在る闘技施設での大会日が近いと理解した。
俺は彼女達の探索事情より三種の神器の成長度合いを確認する為に追跡情報の記録を開始。ユイヅキが情報を吸い上げるのを待ちながら砂色の大蠍との戦いを観察し始める。
彼女達の武具は三日前と何も変わってない。服装も相変わらず学校の制服を着用しているので、学生身分で何かしらの探索依頼を受けているのだと推測できた。三日前と違うのは彼女達が次々砂中から現れる魔物を言葉数少なく駆除している点だろう。魔物の死体が粒子化し消滅した後に残った魔石らしき戦利品に殆ど手を触れず、時には光るが踏み潰してまで魔物との戦いを優先している。
俺は彼女達が己の成長の為に経験稼ぎをしているのだと推測。下級の駆除対象でしかない魔物を狙っているので、彼女達は魔道具含めた武具防具より己の体を鍛えているのだと考えた。
適格者達の戦いを二十分ほど見物し、ユイヅキが必要情報を記録したと画面越しに報告したので魔導端末を終了させる。そしてユイヅキを取り出して首飾りの首輪に填めてから部屋から出る。
そのまま地下室を横切り、俺は同じ地下室内に在る寝室部屋に入って仮眠を貪る不利をしようと寝台に横になった。あくまでもユイヅキが収集した情報の閲覧及び適格者と神器情報の確認が目的なので、人目や監視装置を気にせず存分に能力を発揮出来る場所を選んだのだ。
俺とユイヅキは先ほど魔導端末から収集した情報を解析。適格者が適合段階の第一段階から、神器補正による独自成長の為の第二段階に移行していると判断。当初の想定より能力変調が姿に反映されるのが遅いが、ユイヅキ頼りで製作した更新情報によって適格者と魔核が上手く同調していると確認できた。
俺は十分にも満たない短い仮眠を終えると地下室から出て一階に上がり、そのまま憩いの家から外に出る。適格者の様子が確認できたので正午前までの自由時間を迷宮核の捜索に充てようと考え、未調査のままだった卵島地表部を調べようと登山道へむかった。
調査時間が一時間程度しかなかったので、午前十一時前頃から始まった調査活動は正午前まで南側登山道を往復するだけの遠足で終わる。調査の結果昼の間でも正体不明の微弱な魔導干渉波が何処からか発生しているのが判り、俺達は隠された卵島に隠された迷宮核が反魔導物質の様な魔素妨害作用の有る何かで隠されていると結論付けた。
結局一時間足らずで調査できた地表部は南側の崖沿いのみだった。今日中にも追跡調査が必要だと結論を出して卵島南埠頭から出発。波に揺られながら正午零時四十七分にセフィーナ漁港に到着する。
俺は込み合う漁港内停留所を避けて敷地外まで移動。更に漁港入り口前停留所で東回りの都市内便に乗って、セフィーナ漁港から直線距離で十七キロ程離れた東中央区の西端に位置する網だくじ町へ移動した。最後は停留所から徒歩で通りが入り乱れる町中を歩き、こうして靴を酷使しながら過激座建屋前の長椅子で足を休めている。
「靴底がかなり磨り減ってる この分だと残り寿命は一月も無いな」
現在俺は留め金が錆塗料も剥がれ落ちた木板の長椅子に座り、左膝上に右足を乗せて靴底の隙間に挟まった小石を除去している。午後一時十数分頃過激座に到着したので、雑務作業を始めるまでの何十分間を休息に費やそうと考えたのだ。
そこで既に耐用寿命が尽きて過激座に引き取られたであろう古びた長椅子で体を休めている訳だが、通りを照らす太陽の輻射光で日陰に居るのに眩しい。今の季節この場所で休むのに適しているのは夕暮れ頃のみだろう。
俺は目を休めたいと考えつつ溜息を吐きながら立ち上がり、関係者用入り口から屋内に入って玄関で靴を脱いだ。すると廊下奥から板を踏み締める足音が聞こえ、玄関を開け閉めした俺を確認しに誰かが奥の曲がり角から顔を覗かせる。
「もう来たのか 今日は随分早いな 丁度大半の面子が揃ったから舞台稽古を始めるところだ お前も客席で見物するといい」
管理人のスーランはそう言うと建物奥へ通じる通路突き当たりの曲がり角に姿を消した。本人は舞台関係者だが監督ではなく、管理人を兼ねた裏方調整役なので衣装類の製作で忙しい様子だった。おそらく今もこの廊下と繋がってる荷物置き場用の部屋で製作の手伝いをしているに違いない。
(確か学園都市第三劇場での公演日は十二月十日だったな。丁度休日だから社会人とやらも多く施設を訪れる。公演に力が入るのも無理ないか。)
俺は玄関に上がると左側の廊下を進み、関係者用扉を開けて通りに面した大きな廊下に入る。そして多くの張り紙や飾り物がかけられた壁沿いの大扉を開けて観客広間内に入り、段差も通路も無い広い床に置かれた観客席代わりの金管椅子の一つに座った。
過激座の劇場は横に広く平たい床と、高さ一メートル全長十メートル程度の舞台で構成される街劇座だ。本物の劇場とは違い観客席が並ぶ段差など無く、舞台の天井に設置された照明や音響装置が客席用の床からでも見える。何より都市内放送局が有する仮設舞台付きの練習広間の様な場所なので、幾つかの金管椅子には各監督や脚本担当を含めた舞台製作の要人が既に座っている。
「体の動きを音と照明にあわせろ とにかく零,一秒でもずれたら技が途絶えると思え 重要なのは刹那の戦いだと…」
舞台前に陣取り役者へ難易度の高い指示をだす監督と取り巻きの男共から離れ、俺は観客用空間の壁に立て掛けてあった金管椅子を手に取り壁際に座った。丁度狭そうな板床舞台上には六人の成人男女が掃除用具を武器代わりに構えた体勢で立っていて、左側に並ぶ三人の男達は何時も俺が使っている布箒を握っている。
(確か裏手の掃除道具入れにまだ箒と塵取り箱が残っていたよな。一度外に出て汚れを落としてから使えば問題無いか。)
俺は雑務を始めるまでの休憩時間の間に、雑務が終わってからの予定を思い出しながら迷宮核について考え事を始めた。
(三千年近く前にセフィロトで発生した第一次浄化戦役。当時はまだセフィロト浄化都市が汚染世界の只中で機能していた時代だった。そんな古くから神の実として崇められた天空樹の核を迷宮核として利用できたのは、核自体が不完全な魔導生命体だったからだ。もし浮遊島の迷宮核も天空樹同様に死神の生き残りが基なら、必ず大掛かりな生命維持装置が有る。いったい手掛かりは何処に有るんだ?)
役者達は箒や綿箒を振り回し、体格に見合った動きで相互に叩き合いを演じている。今時白兵戦をするのは虚構世界で魔物を相手に格闘戦を挑む特定の探索者くらいだろう。歴史に埋もれた魔者達が魔獣や魔物と闘ったのは千年以上も前の時代だ。辻斬り武芸者や庭剣使いも魔獣相手に銃を使うので、実質強化された肉体を活用して魔導生物と闘う技は廃れたと言って過言ではない。
俺は浮遊島の迷宮核が死神の生き残りだと前提に、今日まで調査活動を続けてきた。まだ五日程しか経過してないが迷宮核が隠された大よその位置すら掴めてないので、今後の調査活動は今までより積極的で強引な方法になるだろうな。
そう考え俺は屋内の時計を見て時刻を確認しようと左側へ顔をそらす。定期便や船の時間を気にする余り癖として定着させた確認行動の一環なのだが、左側の壁に有る別の出入り口上に設置された丸時計より、その出入り口近くで金管椅子に座っている明るい薄紅色の長髪女子に焦点が定まった。
(膝の上に置いてある楽器箱は縦笛用の物だな。ベルスに居た頃は生活費を稼ぐ為に魔笛吹きをしていたから一目で解る。それにしても横顔を何処かで見た事があるような。色は違うが蝶型の青い髪飾りはアオイの。)
俺は私服姿の長髪女子からすぐ目を離し、同時に顔も真正面の舞台側に戻して見なかった振りをする。覗き見が当人に発覚した訳ではなく、今更ながら適格者の身内が近くにいた事に気付き慌てたからだ。
(彼女が大道具係のアカネ・ミクジラで間違いないだろう。ミクジラの名はセレスを託したアオイと同じ、何より顔や体格まで似ている。学校が違うはずだがどちらも高校一年生。そう言えばアオイは姉と暮らしていると言っていたな。)
アカネは俺より先に広間に入って舞台練習を見物している。本人の姿を直接見たのは今回が始めてたが、瞳や髪の色を青系統に変えればアオイ・ミクジラと瓜二つだ。夏なので青地に白い輪郭線に囲まれた赤十字柄の半袖を着用していて、髪の色と少し違う暗い薄紅色の半ズボンとスカートの上に黒い縦笛用の楽器箱を乗せている。
俺は静かに椅子から立ち上がり、音を経てないようゆっくりと扉を開けて劇座部屋から退出する。この顔を赤い蝶柄の髪飾りを右耳上に装着する少女に見られる訳にはいかない。廊下に戻ると関係者用の扉を開き、予定時間より早いが雑務を始める事にする。
魔笛。魔獣や魔物用の魔道具。形状は通常の楽器と似ていて様々な形式の魔笛が存在するが、基本的に演奏用ではない。何れの笛内にも合成耳石に類似する魔導振動体が内臓されており、手から流れる微弱な生体電流と空気流動で魔導生物が嫌がる魔導波長を発せさせる。使用法は様々で魔獣の注意を惹き付ける効果も有るが、扱いが難しく習熟に時間が掛かる。
本日の雑務は溜まった洗濯物を洗濯機から取り出すところからから始まった。丁度裏庭を照りつける太陽の光に布団や洗濯物を晒して便器を磨き、何度も手を洗っては玄関や炊事場の土間を掃き掃除する。そして土埃で汚れた廊下や窓を拭いて清潔さを保ち、舞台稽古の休憩の合間に劇座広間の板張り床を布箒で往復した。
午後三時前になると日が傾き始めるので、布団を物干し座をから回収しようと裏庭で敷き布団を叩いた。丁度俺が最初の白い敷布団を担ごうとしている時、後ろから管理人ではない枯れた男の声で名を呼ばれる。
「作業中にすまない 話したい事があるからこっちに来てくれ」
聞き覚えのあるしわがれ声からして、総監督を務めるソニエント監督で間違なかった。俺は二枚折にした敷き布団を丸めた状態で右肩に担いだまま振り返り、縁側に立つ上下共に薄手の青い熱帯服の総監督へ近付く。
「君に頼みがあってな この笛箱の中に入っている指揮笛を君に吹いてほしい アカネ君が製作した笛だが本物の縦指揮笛ではない あくまでも指揮笛に見えるよう作られた小道具だ 本来なら演奏者役に吹かせる予定だったんだが その役者が当日これなくなってしまった だから依頼料を上げるから序役の君に演奏を頼みたい」
俺は拭き掃除したばかりの縁側に敷布団を置いてから、改めて総監督の手から黒く四角い笛箱を受け取り中身を確認する。
「今から新しい役者を見つけるには時間が足りなくてな 他の楽器演奏者もそれぞれの役が有るし舞台俳優と道具係で演奏が出来る器用な奴は居なかった 楽譜はその中に有る 吹くのは一曲だけの独奏だから舞台袖で出番が来たら曲を吹くだけで終わる ゼノンではセフィロトの狩人と言えば魔笛や獣笛を吹く樵の姿が想像されやすい もし演奏してくれるならその笛は公演が終わり次第君の物だ 何に使おうが好きにしてくれ」
俺は笛にしては重い金属製の縦笛を口元に近づけると、古都ベルス近郊で魔獣相手に魔笛を吹かせていた時と同様に口元を萎める。そして少しずつ吐く息の量を増やしながら唇を震わせ、機械鋸で切断した痕がざらつく頭部管の吹き込み口に唇を当てた。
一般的な縦笛は木製や合成木材製の三部円筒楽器だ。軽くて丈夫な合成樹脂と合わせた物も有るが、金属管で構成される金笛より扱いが難しい。これは温度差や空気の流動量によって音が変わりやすいのが原因だが、この指揮笛モドキは全体が金属加工された銀色の笛なので環境差の影響が少ないかもしれない。
金属製の笛から指揮笛らしからぬ低い音色が響き、両手に僅かだが笛の振動が伝わって来た。俺は何かが詰まった様な音を出す縦笛へ強く吹き入れると共に、低く小さな口笛を吹いてその振動を金属構造に伝える。
すると本来の指揮笛とは少し違う電子音の様な低目の音が出始め、何処となく魔笛の音色と似ている。俺には楽譜を理解する知識がないので娯楽曲を吹く事は出来ないが、荒野で吹いていた口笛をそのまま指揮笛モドキで試し始めた。
「この辺りじゃ聞かない音色だな 何となく荒野を流離う銃使いが頭に浮かぶが この曲はセフィロトの狩人達が吹く曲なのか」
吹くのに集中していた所為で総監督の言葉が半分しか聞こえなかった。俺は総監督の言葉尻に合わせる為に笛から口を離し、違うとだけ述べて否定した。
「古都ベルス周辺では今でも魔物や魔獣が出るから魔笛使いが多い これは討伐に参加した時に聞いた曲を俺なりに再現したものだ 取り分の公演料も値上げしてくれるなら舞台袖で吹いてもいいぞ」
俺の言葉に総監督は解ったと即答し、俺に笛の演奏係を任せたと言ってから居間へと入って行った。俺はしばらく酸化皮膜らしき透明な膜で覆われた笛を眺め、口笛を吹きながらベルス周辺の荒野を二輪車で駆け回っていた頃を思い出す。あの頃は借り物の魔笛で魔獣討伐隊の支援をしていたが、まさかこんな金属製の玩具の様な笛で舞台に上がるとは想像出来なかっただろう。
(双子なのに趣味趣向が違う姉妹。姉の方がお淑やかに見えたが、あの服装はお嬢様らしくない。どちらかと言えばどこぞの歓楽街の路上で楽器を演奏していそうな容姿だ。)
俺は双子として記憶している幾つかの顔から、有翼人の子孫だったホモリス姉弟を思い出した。あの二人も性格や趣味趣向が違っていて話し方も違っていた。所謂双生児の中でも一卵性か二卵性かの違いで区別されがちだが、ミクジラ姉妹は二卵性の双子なのかもしれない。
「今考える事ではないな さっさと雑務を終わらせて卵島の行かんと」
双子と言う単語を記憶の片隅に仕舞い、俺は布団を庭先の物干し竿から回収する為に庭と縁側を往復し始める。双子と言う単語によって迷宮核が浮遊島外に在ると考えたのは、全ての雑務が終わってからだった。
ホーライ。虚構世界フランベル大陸内で最も大きな島。上部が丸く下側は岩石層がむき出しの逆三角形構造になっている。地表面積はおよそ千六百五十平方キロメートルで大半が迷いの森と呼ばれる樹海に覆われている。
中心には満月湖の二倍の面積に匹敵する鏡面湖が在り、四方に定期的に噴火を繰りかえす四つの山と岩場が島の周囲を囲っている。山の麓や裾野の高原辺りまで樹海に覆われているので、山から湖に流れる川や樹海内に在る複数の遺跡の位置を覚えておかないと遭難してしまう。
湖周辺はなだらかな擂り鉢状なので水捌けが良く、基本的にこの満月湖周辺の街が探索活動の拠点として機能している。セフィーナ探索組合が宣伝を兼ねた探索啓発活動で迷い易い場所だと注意喚起を行っており、世間知らずでないなら地図情報と方位機能を魔導端末に読み込ませてから探索に挑むべき。
ホーライの代名詞とも言える樹海では豊富な植物と多用な魔物が生息している。天空樹の蜜の花世界でも植獣系の魔物が多かったが、こちらの樹海では群を成して襲ってくる小型魔獣の方が圧倒的に多く危険だ。
探索は基本的にこの樹海を中心に行われている。数少ない草原で魔物を狩ったり捕獲し、点在する遺跡に潜って貴重な魔石や素材を探す冒険者が多い。この者達は収集品や戦利品を鏡面湖の湖畔に在る拠点市場で消費財や貴重品と交換するのが大好きなので、闘技はおろか外周の山岳部で不定期開催される空間騎乗競走や飛行船競技等に殆ど参加してない。
鏡面湖周辺の拠点に出入りするには遺跡周辺の満月湖畔に点在する魔法の輪を通るか、他の島から定期飛行船に乗って街に入れる。
第十五話「楽園を繋ぐもの」
俺は卵島の山頂に在る基点石の頂に越し掛け、アカネ・ミクジラが製作した金属製の縦笛を吹いている。空から降り注ぐ月と星々の光を邪魔するものは無く、背後から眼前の南へ吹き抜ける風が沿岸部に見える集魚灯と街の明かりを俺から遠ざけようとする。
雲が一つも無い快晴の夜なのに山頂周囲には誰も居ない。居るとしたらこの島に棲息する虫くらいだろう。草木が生えない禿た頂では蟲の鳴き声が聞こえなくて当然だが、代わりに俺が習得したばかりの演奏術で真っ暗な海と風の音を掻き消している。
(まさか独りで楽器を演奏するのがこんなにも愉快だとは知らなかった。こんなことならもっと頻繁に魔導通信や世界窓信を利用するべきだったな。)
時刻は二十九日の午前零時過ぎだろう。最後に懐中時計を見たのは登頂してから沈む夕日を見送った後だ。月の位置で時刻確認するのは何年ぶりだろうか。最近昔の事を思い出す余裕が無い所為か、狩人時代の思い出を突然思い出して独り笑う事が増えた。
(それにしても解析に時間が掛かるな。間違いなく今まで最長の待機時間を待ち続けているが、いったい何時になったらユイヅキの解析が終わるのだろう?)
現在の状況を端的に説明すると、魔導通信網のある掲示板で見つけた指揮笛向けに個人が製作した曲を吹きながら、ユイヅキが途方も無い量飛び交う魔導波長を観測測定する為に動けない時間を笛の音色で誤魔化している訳だ。
(元はと言えば全て俺が悪い。迷宮核が一つではなく無数に有るか、魔法迷宮から離れた場所に有る可能性を失念していたんだからな。戦略決定者である俺が曖昧な情報に基づいて行動したから余計な時間を掛けてしまった。今はユイヅキの解析を邪魔しないよう魔素を送ることに集中しないと。)
過激座での雑務を終えた時、俺はすぐに外出せず与えられた新しい役目を全うする為にアカネを探した。この指揮笛モドキについて色々知りたかったし、何より楽譜が読めないのでどう演奏するべきか方法も解らなかった。
彼女はパンジャン何とかの製作で忙しいらしく、舞台練習の途中でこの笛を音響監督に渡してから学園都市に戻っていた。俺は仕方なく音響監督の助手をしているカノンと言う名の女に縦笛の吹き方と学府の読み方を教えてもらおうと頼んだ。短い癖毛頭の彼女は俺の笛が通常の縦笛と違うとだけ説明し、専門家の癖に魔導通信網の情報欄から縦笛講座を閲覧するよう俺に忠告してくれた。
世界窓信は国威発揚や大衆洗脳用の情報媒体だから、当然似た様な魔導通信網も当てにしていなかった。まだ視野が狭いままだった少し前の俺は他に当てが無いと悟り、渋々近くの図書館に在る公共用魔導端末で縦笛講座とやらを視聴する。
始めのうちは楽譜に書かれた意味不明な記号の理解に手間取り、指揮笛モドキが一般的な縦笛とも違う事で音の出し方に困った。窮地に陥った俺は一般的ではない珍しい種類の縦笛や似たような全金属製の笛が無いか探し続け、遮音壁に囲まれた視聴覚室で慣れない笛を吹いて自力で曲を習得しようともした。
本当は午後の間、中央記念公園での金目の物を回収する名ばかり清掃を行う予定だった。金は幾ら有っても困らないし、当分金が必要な生活は続く。その為に不慣れな役を引き受けたのだから、途中で投げ出し信用を落とすなんてもっての他だ。
そんな俺の苦悩は、視聴覚室で長時間閉じこもっている利用客を不信がった事務員の女性が扉を開けるまで続いた。事務員兼受付担当の彼女は容姿こそ三十代前半で小柄な女性だった。慌てていたので最期まで彼女に名を訊ねなかったが、俺は吹奏楽経験者の手解きを受けて楽譜どうり音を出すことに成功する。
この時俺は笛の音情報をユイヅキに分析させ、更なる技術向上の為に縦笛講座で紹介されていた幾つかの曲をユイヅキに記録させた。結果ユイヅキ特有の解析処理能力と俺の同調特性により独特な笛の演奏法が完成。これにより格段に下がった演奏難易度が、俺の音楽と言う大衆娯楽的な価値観を一変させた。
俺は今、荒野の口笛と言う作者不明の楽曲を演奏している。曲には詩が無いので作曲者個人が趣味で製作した縦笛初心者向けの曲だ。俺が吹く曲の楽譜は二重八本譜で記号訳された一般的な楽譜図なので、ユイヅキに記録させた曲全てが同じ楽譜図で構築された曲となっている。
(曲調が二拍子と三拍子に別れているから初心者向けじゃないんだよな。そもそも五列楽譜十ページ分も有るから完奏時間が長い。練習するには丁度良いけど高い音が多いから練習場所は楽屋くらいだな。)
荒野の口笛も佳境に突入し、一秒に三拍子する曲調で指揮笛モドキを演奏する。そして誰も見聞きしてない事をいいことに、退屈凌ぎに体を揺らして熟練者の真似事を始めた。
【解析が終了しました。解析情報量が多いので魔導路を起動させてください。】