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魔法迷宮  作者: 戦夢
12/15

六章前半

第十三話「魔法騎士は謳い文句」

十一月十九日午前十時半頃。ラノイ台船を出発してからそろそろ一時間が経つ頃。俺は海坊主の好意に甘えて、タケノコ川の下流域に在る工業都市オートマグへ向かう船上から遠くに見える大河の両岸へ細めた目を向けている。

海坊主は操船室の左隣で舵を握ったまま台船の進行方向ばかり見つめている。天気は全面曇り空だが船には俺以外の積荷は無い。軽くなった船を高速で走らせているのだから、高速航行中の舵取りは繊細さが必要なのだろう。

「なあセラム どうしてサングラスをかけてまで流浪民出身だと隠す この辺りの街で働いている移民や難民なんて珍しくないだろうに」

俺の言葉に頭髪が絶滅し日に焼けた頭が少しだけ右へと傾いたが、海坊主は直に前を見直して操舵に集中する。既に金銭が絡んだ契約関係に無い相手である俺に対し、本来なら一言も喋る必要は無い。

「軍属時代の頃に自分の不手際で魔物が発する光に目を焼かれそうになった 運よく失明は免れたが その時以来太陽の複射光で視界がぼやけて見えるようになっちまった だからこのサングラスは俺の一部なんだよ」

俺と同じセフィロト人らしい平面的な横顔から目を離し、俺は海坊主と同じ様に船の穂先へと視線を移した。

古き名で流浪の民と呼ばれる非定住者。経済的な難民と移民を指す古き名だが、現在のゼノンではこの非定住者の数が非常に多い事が問題視されている。

「単純に考えれば 下級労働者だから親子であんな場所に住んでいる 俺はそう思っていたがどうやら違ったようだ 所帯を持つといろいろ片身が狭くなるんだな」

俺は遠回しに海坊主の所為で狭い操船室から抜け出したいと告げた。身長が百九十センチに届きそうな海坊主だと、大きな舵も車のハンドルの如く小さく見える。

「その言葉はあと二十年生きたら聞いてやる だから今は大人しく俺の横にいろ そろそろ境界面を超えるから流れが激しくなるぞ」

横に長い船首からおよそ一メートル程高い位置に見える大河の表面に、黒から白い砂色へと変わる境界線が表れた。海坊主の言葉どうり遠目から見ても汽水域から淡水域の上流は波が高く、河底が浅い事がうかがえた。

海坊主は船を更に加速させる。既に傾斜角が十度近く傾いていたが、加速抵抗で船首部分が上がって船尾が沈み視界範囲が更に狭まった。そのまま船が境界面を越えると上下左右に激しく揺れ始める。俺は計器盤に取り付けられた取っ手棒を握り、揺れる体を何処かに打ちつけないよう身を守る。

「上流は曇り空だ おそらく港に着く頃には降り始めてるだろう この辺りは砂漠地方とは比べ物にならない量の雨が降るから覚悟しとけよ」

海坊主は揺れをものともせず舵を握ったまま前を見詰め続けている。サンダルを履き半袖半ズボンのまま仕事場へ俺を乗せて出勤しているのに、この激しい揺れに大きな体含めて慌てた様子は無い。

(この辺りは台風と梅雨の期間が重なるから降水量が多い。遠い東の地とはまさに雲泥の差だ。)

俺は背中に背嚢を背負ったまま、貴重品と採取した素材から選別した各魔導粉末を入れた旅行鞄をしっかりと抱き寄せる。海坊主の娘であるセラに巨大遺跡船中央部に溜まった白い砂を渡したので、鞄の中にはセラから受け取った母親の形見が入っている。

(調査目的で採取したあの砂に死神の痕跡は無かった。それでも魔獣の死骸から流出した大量の魔素を含む砂だから天然物の魔導液として値が張るとは言ったが、まさかセラが探索記録集をくれるとは思わなかった。親子の縁とか絆なんてもんは人によって変わる曖昧な物なんだな。)

台船の船底に取り付けられた二つの圧縮推進装置が全力稼動して、床の金属板から伝わって来る振動が直に俺の足まで伝わって来ている。隣の海坊主曰くこの振動で船の調子が判るらしいが、一時間も体験し続けているのに足の痺れが回復する気配は無いままだ。

俺は体を揺する激しい揺れと動力機関から発せられる微細な振動に耐えつつ、上陸先の街で魔導粉末を簡単な道具へと加工する予定を整理する。

(旅の資金が既に一万Gを以下にまで減っている。場合によってはまた魔物か魔獣を狩って生計の足しにする必要が有るかもしれない。州都アトランタで発注予定先の民間工場を幾つか書きとめておいたから今日中に依頼先を決めてしまおう。ずぶ濡れになりながら工業団地を回ると入店を断られるだろうから、上陸前に雨具を着なければ。)

海獣素材と深海樹を砕き生成した粉末から魔導物質のみを選別した魔導粉末。海獣由来なので無機物類の魔導炭素と鉄分が多いが、水中探索にも使える海中電灯や三股槍の主要部品を作るには何の問題も無い。あとはゼノン工業規格を間違えずに発注して、競技用の弓を製造する会社と量販店でその他の部品を買えば製作へと移れる。

いきなり船が大きく上下に揺れ、体が浮き上がり少しの間だけ靴底が床から離れた。俺は抱えた旅行鞄を落としそうになり、左足を上げ膝でずれた鞄を押し上げた。

「そろそろ増水区間に入るから波の勢いが少し治まるだろう 上陸準備はその時に済ませておけよ 俺は仕事場の台船船着場にしか船を止めれねえから中央埠頭には少しの間しか船を着けれない 港湾警察に睨まれると面倒だから場合によっては飛び移ってもらうぞ」

海坊主は揺れる船を操り進路を北岸寄りへと変更した。工業都市の下流域が近いらしく、北岸が水平線の先に少しだけしか見えない。俺は背嚢を降ろして両足で挟み、いつでも内部から雨具を取り出せるように待機する。

「そうだ 言い忘れていたがお前探索者じゃねえな 今更聞くが何の目的で水中探索をしたんだ まさか本当に調査目的だったのか」

本当に今更だな。そう考えつつ俺は海坊主に魔導具製作用の素材回収が目的だったと告げた。

「そうか まぁ詳しく聞こうとは思ってないから安心しな セラと仲良くしようものなら叩き出そうと考えてたが これでお互い安心して仕事に戻れるようだ」

俺は何時もどうり落ち着いた口調で話す海坊主から顔を逸らし、窓硝子に映った港らしき水平線に浮かんだ街並みへと顔を向ける。

「一つ忠告しといてやる お前の弓の腕が秀でていようと都市郊外に在る魔の森には近付くなよ 俺の時は駐留部隊やら傭兵連中が魔物や魔獣を間引いていたが、最近の不景気で森沿いの管理が疎かになってる どこぞの酔っ払いなら自業自得だが 魔獣に狙われるような真似はするなよ」

海坊主は内燃機関の出力を下げて船の速度を少しずつ落とし始めた。短い間に窓硝子の全面に大きな港街の一角が映る様になり、俺は足元から雨具を取り出して上陸準備を始めた。


工業都市オートマグ。西海岸流域のタケノコ川上流沿いに分散している複合都市の総称。昔から造船業が盛んで木製から全金属製の船を製造し解体する造船設備が川沿いに密集している。

オートマグは元々造船業で栄えた都市だったが、現在は他の工業都市と同様に飛行船や導力車の部品を製造している。なので現在は造船都市の名は廃れ、ゼノン西部の一大工業都市としての名の方が有名だ。

オートマグを有すアトランタ地方北部は地政学的にタケノコ川下流の平野に分布する森没林が近く、樹海に棲息する魔物や魔獣が都市郊外を跋扈している危険な地方でもある。

現在の都市総人口は十八万に届くか届かない程度。世界中から入国して来た移民や難民労働者が多い地域でもあり、多くは低賃金で各労働作業に従事している所為か治安が悪い。街や村を除いた数万人程度の自治都市の集まりなので、都市産業の分業化により都市間運送業が盛んな一面もある。


いつ頃からかの時代に出版された魔神伝説にて始めて登場した三種の神器。厄災の時代以前に作られた宝物で、それぞれが剣と鏡と首飾りの形を成した有力者の特権を証明する象徴として登場する。

俺が浮遊島内の魔導端末から虚構世界に干渉する手段を考えた時、具体的な干渉手段として真っ先にこの三種の神器が脳裏に浮かんだ。

そのまま悩む事無く三種の神器案を元に、魔導水晶体に色々な機能を分散させる事でユイヅキと合意した。今更ながら完成品を上手く扱える者が居るかどうか怪しい代物だと言える。

俺は現在オートマグの貿易港である造船街から大きなアーチ橋を渡って工業街の表通りを歩いている。降りしきる雨は止む気配が無く、白い曇り空は更に暗くなりつつある。台風の季節が近いのか、西の海側から流れて来た空気に少し潮の香りが混じってる。

工業街は複数の工業団地が集積した場所なので、基盤上の回路の如く道が複雑に入り組んでる。なにより歩道より重機用の車道の方が長い事が、歩行者より物資運搬を重視した区画設計だと如実に物語っていた。

(図面と素材を渡して金を払うだけなのに、なぜか長距離の買出しに行きそうな気配だ。こんな街に長居するだけ時間を無駄にしている感じもする。)

木箱やドラム缶を積んだ小型の三輪運搬車や大型の運搬車が行き交う道路沿い。州都アトランタの道路には非導力仕の二輪車や自家用車が走っていたが、工業都市では建設作業車どころか装軌式懸垂車が平然と舗装道路を振動させながら走っている。

(道が壊れて行く街の異名は確かだ。この分なら年に数回舗装しなおさないと土砂の流出で地盤ごと区画が傾きそうだ。)

俺は排煙を撒き散らしながら通り過ぎた石炭らしき鉱物を満載した運搬車を見送り、手元の地図へと再び視線を落とす。なにせ目的の場所は街の外周に整備された表通り内に点在している。入る道を間違えた場合、装輪式の運搬車に引かれる可能性すら有る。

(坂上(さかうえ)魔導具製作所の営業事務所はあの通りを曲がって左側の敷地内に在るはず。契約を結べる可能性が高い場所から行かないと日が暮れてから宿探しをする破目になる。)

俺は比較的道幅が大きい幅六メートル程度の曲がり道に入り、車両の出入りが無い事を確認してから道を横断。そのまま開け放たれた門から敷地内に入り、通りの反対側出口までを高い鉄柵で囲んだ工場敷地内の事務所物件へと歩いた。

事務所は人工樹脂製の板を鉄骨に張り合わせただけの質素な二階建て物件だ。入り口含め建物自体が舗装された地面から高さ一メートル程の足場に建てられていて、地面との間にできた隙間から何かの音が聞こえる。

俺は入り口のガラス張り玄関扉を手前に引いて扉を開けて中に入った。狭い玄関内受付には誰もおらず、関係者以外の立ち入りを禁じた名札が下げられた扉の手摺が開くのを悠長に間っていられない。そこで受付前の机に置かれた呼び鈴らしき手鈴を持って何度も揺らし続けると、目の前の受付机に置かれた受話器の拡声器から用件を問う受付嬢らしき女の声が聞こえた。

「魔導具用部品の製造を依頼しに来た 成形図面と魔導素材を提出するから見積もってくれ」 

俺が黒い受話器を手にとって用件を伝えてから数秒も経たずに、関係者以外の立ち入りを禁じた名札が掴み手に掛けられた白い扉が開く。

「坂上魔導具製作所へようこそ 依頼の聞き取りと発注説明をしますので椅子にお座りください」

湿った枯葉色の長い髪を後頭部で丸く結んだ若い女性。ゼノン北部沿海地方特有の顎が細い混血系の顔立ちだが、仕事着に灰色の制服を着用しており名札に設計担当の文字が無ければ受付嬢にしか見えなかっただろう。

「図面は三種 どれも州都アトランタの設計事務所で発注した物だ 工業規格は全てゼノン規格を採用している 図面裏にも書いてあるが この魔導粉末を使って指定した穴の有る部品をそれぞれ三つずつ製作して欲しい 粉末の使用分量は任せるが 一般素材より頑丈な強度が必用だ 場合によっては数量を減らしても構わない 予算は二千Gまで この金額内で可能なだけ寸法含め強度や耐久性を重視してくれ」

ソドムからアトランタ州の州都に移ってから海岸地区へ行く前の数日間。俺は魔核に偽装した魔導水晶を填め込む触媒の設計図製作を専門家に依頼していた。表向き魔道具職人を目指して旅をしていたのでそれなりに知識の蓄えは有るが、実際魔導具製作の経験が無い俺は大多数の職人見習いと同じ素人でしかない。

名札にて設計担当者の肩書きを有すスケア嬢。無言のまま三枚の書類と魔導粉末が入った色違いの粉袋を見比べ、時折設計図の裏面を確認しながら机の引き出しを開けて計算機を取り出す。

「期限指定は有りますか 無ければ二日程度で完成しますが 有れば二千を超えるかもしれません」

俺はその言葉に異言は無いときっぱり答え、そのまま財布から金額どうりゼノン紙幣と硬化を取り出した。

(噂どうり人件費が安いな。アトランタなら手数料だけで倍の四百Gは取られるぞ。設備や人員が充実していると無駄な経費が無くなるから。だから多くの職人や技師がこの街で部品や道具を注文する訳だ。最初にここへ立ち寄ったのは正解だった。)

名を名乗らなかったスケア嬢に金を渡して図面と素材を引き取らせ、俺は二日後の二十一日の正午に出向すると伝えてから事務所の入り口扉を押して外に出た。相変わらず小雨が降り続いているが、懸案の一つを終わらせた俺の心は晴れていて軽かった。

その後俺は工業街を後にし、工業街の東隣に在る商工区内の店舗街で魔導具製作に必用な備品を揃える。買い物袋を抱えながら通りを歩き続け、午後二時を迎える前に工業都市中央の行政区に到着。港が一望できる丘に建てられた簡易宿泊施設で個人用宿泊部屋を借り、二十一日の午前中までその宿で過ごした。

俺は工業都市でも数少ない魔導具製作所の坂上魔導具製作所で完成した触媒を回収。そのまま都市北の輸送便停留所へと向かい、北のアゾット州を越えた先に位置する首都と似た名前のシャングリア州領セフィーナ行き都市間便に乗った。

現在の時刻は午後一時二十五分前。揺れる大型導力車内でユイヅキと共に転寝(うたたね)をしたり車窓を流れる広大な田園風景を楽しみながら、俺達は文化指定都市セフィーナで挑む計画についての詳細を協議している。

【ようやく下準備が終わったからと安心して気が緩んでますよ。向こうでやるべき事が山積みなのに今の状態のままでは後に響きます。我々の理想を達する為に費やした時間と労力を思い出してください。】

一人旅の間に多くの荷物を抱えて不慣れな街中を散策した事もあった。殆どの手荷物は表向き孤独な修行の旅先で買った紙媒体が多かったが、この車両に積んでいる俺の荷物は魔導具用部品で何時もの倍近く重い。

(ここ数日上手い具合に話が進んだから大してするべき事も無かった。アトランタで得た情報が正しいなら今頃都市への出入りは容易になっている筈だ。まぁ学園区や行政区への出入りを除けば、観光客や探索者の流入が多い今の時期に都市出入り口の検問所で細かい身元調査なんて出来ないよ。)

都市間便の大型導力車は、現在アゾット州北部山岳地帯へ至る農村が多い丘陵地帯を走っている。この辺りはアゾット山脈から流れ出る栄養豊かな川の水で農業が盛んだ。とりわけ果実酒用の果樹園が多く、熟した果実の香りが開いた窓から車内に流れ込んでいて気分が落ち着く。

【まさか酒嫌いのイクサムは風景にでも酔っているのですか?黄昏ている暇が有るなら入手したばかりの資料に目を通して、安宿か借り出し工房の場所を確認してください。到着してから早々に魔導具適性を有する適合者を探せるよう準備すべきです。】

俺は弓から外した本体のユイヅキを、ういた経費で買ったばかりの首輪に装着して首から提げている。この首飾りは愛玩生物用の首輪を利用したもので、俺はユイヅキをペットの首に巻く皮帯で固定した鎖状の首飾りを首に巻いている訳だ。

(宿ね。多分俺の様な余所者含めた旅行客達が大半の部屋を借りた後だろう。学園都市が夏休みを迎えるのは今日だから、おそらく開放された学生寮も大半が埋っているんじゃないか。)

当初の計画では十一月に入った始めの週当たりに文化指定都市セフィーナに入る予定だった。しかし現実は慢性化した都市間便の遅れと、設計図製作依頼の為に費やした期間が長引きアトランタで想定外の出費が嵩んだ事が影響してしまった。アトランタから出発した時点でこうなる事は予想していたので、俺が宿以外の下宿先をどれだけ早く見つけれるかどうかで浮遊島調査の初動が決まる状況だ。

(俺達にとって困難は何時もの事じゃないか。宿が無いなら雨風を凌げる場所で野宿すれば良い。浮遊島の探索に探索標なんて要らないし、探索者が増えたこの時期なら群衆に紛れ込むのも容易(たやす)くなる。人が増えれば適格者の候補が増えるし、もしかしたら同じ目的の輩と出会えるかもしれない。首飾りから覗くユイヅキの目に期待してるからな。)

期待感を滲ませた思念とも言うべき思考共鳴をユイヅキに送ると、照れているのか呆れているのか返事が返って来なくなった。俺は次に胸元から露出させた首飾りを仕舞うまでの数時間、停留所で買った文化指定都市セフィーナの観光案内本を見開きながら時間を掛けて項を読み進める。


アゾット州。ゼノン西海岸流域地方北端の州。同じくゼノン沿海地方の最西端の州であるシャングリア州の南に隣接している州で、州都ワイマールと共に長い農作の歴史を有す土地。域内総人工は四十万人と三番目に少ない州で、面積も約十二万五千平方kmと十一州の中で三番目に小さい。

北側の半分近くをアゾット山岳地帯が占めていて、幾多の時代に建てられた古い砦や多くの城が今も残されている。そして州の西側から南に広がるアゾット平野は国内屈指の酪農産地でもあり、東の果樹園には幾つか有名な果実酒の有名処が在る。何れの土地も富豪が経営していて、遠方から調査や見物に来る出資者を対象とした披露宴が有名だ。


神暦二年の十一月二十三日。俺達はついに文化指定都市セフィーナの玄関口である学園都市南口前の停留所に到着した。現在の時刻は午前八時前で、アゾット山岳地帯北側山中の道路沿いに在る車両宿場から出発して三時間近く時間が経過していた。

昨日まで降り続いていた雨が止んだばかりなのに、空には雲が少なく青空が都市内建造物の向こう側にまで広がって見える。朝早い時刻なのにどの停留にも都市内便や都市間便が列を成していて、数分前まで搭乗していた都市間便の大型導力車が遅れていたら行列に巻き込まれていただろう。

俺は降り立った停留所とは別の停留所から都市内便に乗り、学園都市南口停留所から中型動力車に乗って都市西部の半分を占める高台内の古い住宅街である下町に入る。そして下町北側の海沿いに近い船場西商店街西側入り口前で都市内便を降り、船場商店街と並行な北隣の船場通りに並ぶ季節労働者向けの宿場で安い賃貸部屋を借りた。

俺は板張りの床や天井と表面がざらついた緑の壁紙が特徴の個人用の部屋に拠点とし、荷物を板張りの床に置いてからすぐに擬似魔導具の組み立てを開始した。

三種の神器と呼称した擬似魔道具は、三つとも構造が単純で組み立てが簡単なのが特徴だ。組み立てや改造可能な模型類等の玩具らしい醍醐味も味わえるが、手間が掛からず数が少ない為に十分も掛からずに三つの擬似魔導具と魔核が無い予備の玩具が完成する。

俺は完成品をそれぞれ色分けした綿製の専用布袋に入れ、旅行鞄から取り出した備品も含めて背嚢に入れてから宿を出た。

徒歩で海沿いの道に出て、そのまま海岸線沿いの護岸の道を西へ進む。都市の海岸線には護岸の岸辺から沖方向へ伸びた大きな桟橋が等間隔で並んでいて、釣り人や散歩中の住民が(たむろ)している。また護岸沿いの舗装道路には車両より人通りの方が多く、沖から吹く涼しい風目当てなのか探索者らしき者と休憩中の労働者達が談笑している場面もあった。

アトラ地方の海とは違う湖の様な匂いと景色を楽しみながらゆっくりと歩いたので、都市中央海岸線に在る浮遊島探索組合の本社が入ったセフィーナ漁港に着くのに一時間近く掛かってしまった。

複合施設でもある漁港近くには浄水施設が密集地した区画が在り、分解槽から川へ放出されている独特な匂いを放つ緑色の液体を見下ろしつつ、俺は進路上に見えた漁港入り口へと歩みを加速させ橋を渡り終える。

漁港には鍵盤の如く沖へ突き出した埠頭が並んでいて、小型から中型まで多くの全金属製漁船が埠頭岸壁に停泊している。港自体がセフィーナ漁協組合と船頭協会を合わせた探索組合との併用施設なので、これらの漁船は時にエメロギア湾内沖の島への渡し舟として使われるらしい。

俺は青鳥と呼ばれている海鳥の一群が船首や電線で羽根を休めている光景を見ながら、灰色の人工石材で舗装された漁港敷地内へと入り、同敷地内の魚市場裏側に在る探索組合受付解放所へと向かう。

漁港だけあって周囲には魚が腐った臭いが充満している。建物の柱や屋根部分の金属材が殆ど錆びていて、一時研磨された錆模様を赤褐色の塗装だと勘違いしてしまう。

硝子扉が開け放たれた入り口を通り、大きな三階建て建築物一階に入る。劇場の様に遠くま椅子が並んだ空間内には受付前の登録窓口へ続く人だかりと、白い塗料を塗った梁と板張り天井を支える白い鋼鉄の柱が列を成している。人工石材の壁は未塗装のままで表面が少し乳白色色に変色していた。

解放所一階は船の出航を待ったり、船に乗って島へ入る為の乗船券を兼ねた探索券を買っている探索者らしき者達で溢れている。大半の者達は普段着のまま内外の椅子や受付横の階段を上がった二階休憩所で屯しているが、明らかに探索以外の観光目的で世間話に興じている外国人や獣人も居る。

セフィーナ探索組合は半人工石材製の大きな三階建て建築物を受付解放所として一般解放しているが、基礎ごと崩壊して大地の亀裂に崩れ落ちたどこぞの行政庁舎より大きな建物だけで千人は収容できるだろう。その空間内を八割埋め尽くした観光客達を見るに、この都市が観光だけでどれだけ潤っているか一目で理解できた。

俺は入り口近くの時刻表で乗る船の出港時間を確認した後。一回分の往復券を受付横の自動販売機で買い解放所を後にした。漁港内の船着場は漁業関係者と探索組合で別けられていて、埠頭に並ぶ色々な船を見ながら東側に四箇所在る中型専用埠頭の東側から二番目の埠頭へ向かう。

埠頭に停泊しているのは排水量が百トン未満の各種沿岸船ばかり。埠頭の沖合いで碇を下ろしている数隻の駆逐艦と輸送船以外は港の埠頭に接岸していて、全部で八箇所在る長い埠頭先に白と赤の灯台が在る

白い舷側に上部構造物を赤く塗装した観光船へ乗船する観光客の列に混じり、俺は背嚢を背負ったまま乗組員に切符を半分切らせて乗船。目立ちやすい空色に塗装された甲板を歩いて誰も座ってない座席を探す。

船の後部は簡易テントの様な布天井で覆われていて、船内に比べ風通しが良い。まだ午前十時を少し過ぎた頃なので比較的涼しいが、先に乗船した観光客や探索者達は航行中の甲板で体を冷したくないらしく、日差し除けの場所に固定された長椅子に幾つか空き有った。

俺は乗船する前に通っただろう埠頭に体を向けて座る観光客らしき年配女性達の左隣に座った。そして背嚢袋からオートマグで購入した観光本を読みながら時間を潰し始める。

これから船で向かうのは三つの島から構成され、迷宮遺産の浮遊島の中で最も島周りが長い月輪島だ。月輪(つきわ)島の環状砂浜には大型の海漂林種である大海林が自生しており、浜辺の浅瀬磯には北部沿岸地方でも珍しい紅陸珊瑚が生息している。そして島の半分は浅い湖となっていて、その湖中心に迷宮指定された古い都市遺跡が在る。

都市遺跡自体は地下空間に構築された地下街だ。現在地下へ降りれる通路は全て探索組合の管理下に置かれているので関係者でなければ入れない。

観光客は浜辺の陸珊瑚や水族館。湖畔側に自生した大海林(だいかいりん)に建てられた観光施設を巡り、最終的に石造りの地下都市入り口が有る神殿遺跡へと向かうのが定番観光経路なのだと書かれてある。島内の各所に設置された迷宮式魔導端末を覗けば、虚構世界での探索者の活動が有る程度判り探索者と魔物の戦いを見る事も出来る。

俺はそう書かれた本から目を離し、擬似魔導具に適合する者と出会える事を願いながら船の出港の様子を観察する事にした。


月輪(つきわ)島。エメロギア湾の南浅瀬に土砂が堆積した事によって形成された島。直径五.二キロの島だが中心部に浅い湖が在り、世間一般では数千年前に漁礁開発の為に改造された岩礁遺跡だと認知されている。勿論この情報は厄災直後の時代に建てられた地下遺跡を隠す為の措置だろう。とっくの昔に封印された都市遺跡を発掘して迷宮核を設置したのだから、都市跡を調査した記録が組合に残っている筈だ。

現在この島に来る者は探索者より観光客や釣り人の方が多い。元々三つの島で最も大きく、同時にセフィーナから近い事から船での往来が年中活発だ。


セフィーナ漁港で定期便に乗船してから二十数分後。船から降りた俺は浅瀬の岩礁に設置された白い砂浜へと続く桟橋に降り立った。

直径五キロを超える月輪島は想像以上に広く感じれる。浜辺から浅瀬が沖合い二百メートル辺りまで続いているようで、幾つか在る船着場は全て天然の岩礁に建てられてある。

俺は砂浜を周るか大海林の中へ続く遊歩道に入るか迷ったが、折角なので船から降りた観光客の列最後尾に並んで大海林内へと進んで行く。

月輪島に来た目的は、擬似魔核の魔導因子と同調可能な魔導波長を放出する適格者の捜索だ。実を言うと適格者を探すだけなら漁港内の探索組合解放所に留まり、船の切符を買いに来た探索者を一人ずつユイヅキに調べさせれば済む。しかし魔素溜まりが多い浮遊島の方がユイヅキの感応領域を遠くまで広げれるので、今の俺はより精密な測定で確実に発見しようと考えている。

俺は観光客に混じり遊歩道を散策する。魔導端末が設置されてある伐採された大海林の木材で建てられた日陰部屋を見回したり、家庭用から養殖用水槽が並ぶ水生生物展示場で魚を観賞しながら探索者の集団を確認。数年ぶりに見た魔法の輪から出て来た探索者を逃さない為に空中通路に上がり、高低差のある遊歩道を行き来する探索者達も観察し続けた。

月輪島の遊歩道の大半が大海林の樹上に設置されてある。時には吊橋から浜辺や湖畔の砂地を歩く探索者らしき漁師を観察したり、地上に出現した魔法の輪を出入りする一団を遠くから眺める事ができる。

俺は上陸から一時間と四十分近く、環状の島に密集している大海林の空中通路を歩き続けた。適格者の活動を覗き見る時に使う予定の迷宮式魔導端末を操作したりもしながら散策を続けたが、結局肝心の適格者を発見するには至らなかった。

正午過ぎの午後零時十五分過ぎ。俺は島の砂地近辺の捜索を中断して、湖内の遺跡へと観光客向けに設置された板橋を渡って石造りの遺跡上部へと上がった。

遺跡は厄災の時代にセフィロトの浄化都市が建造され始めた頃に建設された地下都市入り口なのだが、城郭の様な台形状構造物の下半分が正規の入り口ごと湖に没していて、現在入り口から地下都市へは続く地下道は封鎖されていて入れないらしい。

俺は後年の時代に海神を祀る神殿として城郭上部に建設された石柱神殿を観光し、神殿奥内の祭壇に有る魔法の輪に出入りする探索者を椅子に座って見続ける。神殿内の石畳には探索組合が厳重に秘匿している迷宮核の制御装置と繋がった配線類が敷かれていて、当然祭壇に有る四つの水晶型魔導端末と繋がっている。

俺は通路を行き来する探索者を横目で観察しながら魔導端末の一つに張り付き、更に一時間半ほど虚構世界と探索者の調査を続けた。しかし何の収穫も無いまま午後二時半まで時が過ぎ、人通りも少なくなった事から俺は今日の捜索活動を終えることにした。

こうして忙しい半日の半分が終わった訳だが、俺にとっては個人用の狭い仮宿を借りる事が出来たのが唯一の救いだった。擬似魔道具を三つに分割させて機能分散を図った当初から欠点として想定していた固有同調幅の狭さが著しい物だと理解できたので、とりあえず明日も捜索活動ができるよう身の回りの課題から終わらせる事にしよう。

そして船着場への帰り道、俺は重要な事を思い出して観光本を調べながら遊歩道を歩き続けた。丁度桟橋に停泊した中型漁船らしき白い船に続く行列へと到着した時、ようやく見逃していた記述を発見した。

浮遊島の迷宮探索は昔から探索者だけでなく余所者や一般事業者にも解放されて来た。天空樹の探索街と違い探索者と職人や商人の区分が曖昧化していて、探索者自身の能力も特定分野へ特化した者より汎用能力者の方が圧倒的に多い。

このことを単純に捉えれば探索人材や産業の多様化へと結び着くのだが、所詮迷宮探索はとうの昔に衰退した産業なので天空樹の様な産業母体との繋がりは希薄だ。なにより現在浮遊島での探索者とは探索組合に探索者登録して探索順位を競う程度の知名度しか無く、迷宮散策と虚構世界内の闘技大会の方が注目されている始末。

およそ二百三十年前までセフィーナは脅威海獣の上陸地点として海獣災害が頻発していた地域だった。当時はまだ都市周辺に魔獣や魔物が出没していたが、現在は武芸者や討伐団の活躍で魔導生物被害は無視できる数にまで減っている。はっきり言ってしまえば、観光客と活動中の探索者ばかりの島を訪れても適格者が見つかる保障等無かったのだ。

俺はそう判断し見通しの甘さを痛感しながら船に乗った。帰りの船は定期船より遅かったので考える時間が多く取れた。だから俺は色々悩みながらも何処に適格者が居るのか考え始めた。

浮遊島の探索者は魔神伝説に登場する魔法騎士なる存在に憧れや敬意の念を抱いている。この常識を活用しようと、今までの俺は擬似魔道具の宣伝文句として考え実現させた小型魔導水晶体の成長特性を生かす為だけに行動して来た。

なにせ簡単な制御演算機能を付与した成長型魔核を製造したのだから、適格者には特化型から複合型と汎用型まで好きな方向へ成長させれる魔道具を使いこなしてほしい。単純な属性魔法を操り威力重視に成長させたり、複数の魔法を操る複合魔法の演舞で闘う手法も可能だ。

欠点として小型魔導水晶体を扱うには経験が少ない、或いは魔法適性が低い探索者でなければ成長効果が見込めない。更に三者の意思により発動する光の槍召喚。表向きは三つの魔核を共鳴させて一時的に能力を底上げする為の召喚技だが、これを発動するには三人が中級以上の探索者でなければ成らない。

浮遊島の虚構世界か迷宮核に死神の生き残りが居るかどうか確める為にも、光の槍召喚によって何かしらの現象を発生させる必用が有る。虚構式探索には虚構世界の制御が不可欠なので、天空樹の探索組合と同様に浮遊島探索組合も非公式ながら迷宮核の維持管理に関わっている。

俺は直接浮遊島に在る厳重な警備網が敷かれた遺跡から内部へと潜入する手段も考慮している。この案はあくまでも最終手段としての強行策だが、適格者へ擬似魔道具たる三種の神器を渡せないままだと実行する日が来るのは間違いない。

初めから直に見つかるとは思っていなかったが、今日はユイヅキと共に天空樹の探索街側に暮らしていた探索者達の半分に匹敵する六百人相当を観察調査した。帰ったらユイヅキを魔導液に浸けて置かねば成らないので、俺は当面の生活費を稼ぐ為の行動予定へと思考を切り替えた。


迷宮式魔導端末。魔導端末とは、各種魔導反応によって発せられた魔導波長を送受信する情報通信端末。魔導波長の性質上短距離間での多くの情報取り扱いに優れているので、主に都市内での主要施設や政府機関の独自通信手段として活用されている。

迷宮式は迷宮遺跡の迷宮核から放出された魔素を含む魔導波によって稼動する魔導具。何れも持ち運びに不向きな大型だが、通信圏内なら設置にかかる時間は少ないのが利点。


同日の午後四時三十八分。俺は船場通りに在る四階建ての雑居施設へと入り、賃貸住居紹介事務所と同じ一階に在る総合依頼斡旋所の事務所内に入った。

事務所と言っても狭い室内には職を探している労働者以外の人影は無い。どちらかと言えば小型図書館の様な場所に見える事務所は職業斡旋所でもある。本棚には職人への依頼や仕事の募集用紙を挟んだ分厚い冊子が並んでいて、都市外から来た季節労働者向けの求人用紙を挟んだ求人冊子も置かれてある。

俺は壁際に配置された本棚を見回し、職業求人冊子以外の本を何冊か取り出して机の上に置いてから椅子に座った。椅子が折り畳み式のパイプ椅子なので座り心地は悪くない。

俺が求人冊子を選ばなかったのには幾つか理由が有るが、この冊子に挟まれた募集書類は全て納税義を有す職種で構成されている。只でさえ安い賃金から各種税金と納税作業に要する税金が引かれるので、初めから課税対象外の安い依頼仕事を選んだほうが無難なのだ。

俺は無言のまま薄紅色の表紙を見てから、題名が非探索依頼募集と書かれた赤い人工樹脂製の装丁を開いた。さらに綴じられた書類に依頼情報目を通す前、書類の束を一度に捲って中身の状態を確認する。

冊子に綴じられた紙は統一されておらず、中には古紙や宣伝紙の裏にペンで書かれた直筆の物も有る。依頼内容は短い期間と安い報酬が共通してるだけで内容がどれも疎らだ。殆どが清掃か愛玩生物の世話など非事業主の個人依頼が多く、俺が子供の頃に励んだ小間遣いの内容と同じだ。

(報酬が安いのはこっちでも同じか。手っ取り早く家賃と生活費を稼ぐなら求人募集から探せばいい。ただしそれだと探索者の監視が出来なくなる。夏休み中は都市に残った生徒が少ない。適格者が見つかってない内に稼ぐのも良いかもしれない。)

そう考えながらも俺は子供が書いた読み辛い依頼紙を捲る。まだ分厚い冊子一冊の半分にまで達しておらず、企業や事業主でない者の依頼を読むのは時間を無駄にしている感じがする。

「過激座 聞いたこと無いな」

担当者の手違いだろうか。求人冊子に挟まれている筈の求人募集用紙が挟まっている。俺は印刷された用紙に細い黒ペンで書かれた綺麗な直筆文字を読み、過激座なる非正規の興行集団が何を募集しているのか読み解く。

(役者以外の手伝いと清掃作業を含めた雑用と書いてある。これは人手か人件費が足りてなくて、運営要員だけでなく道具製作係も小間遣いに動員させてるな。非正規だが新規の興行集団でないのなら、何かしらの事情が有るに違いない。)

給金は先払い含めた日払い制で金額自体も悪くない。セフィーナは都会なので生活費込みで一日に最低三百Gは掛かる。興行の収益により変動するが労働時間は一週間に三十時間未満。不定期で興行活動をするなら実質二十時間未満だろう。週に二度の定期興行に貢献すれば二千以上の報酬が有ると書かれて有るが、真面目に働くのなら金額が嘘である可能性は低い。

俺は過激座なる怪しい集団の所在が書かれた住所を手記に書き留め、取り出した全ての冊子を本棚に戻してから自前の観光本を机の上でひろげる。

(旧市街網くじ町五番地の金栗(かなぐり)通り前。金栗通りの網くじ町を探せば大よその場所が解る筈だ。)

社会学教科書の様に薄い紙に大量の情報が記載された観光本。地図だけでなく観光案内経路まで網羅してあり、通りや町の名前より観光名所の文字の方が大きく印刷されていた。

地図を何度も捲りながら索引と地図を指で擦り、該当する文字を探しんがら十数分ほど時間が経過。結局旧市街と書かれた下町の全体図から区画ごとに割り振られた項数を確認し、俺は網だくじ町の五番地内で金栗通りと面した場所をつきとめた。

(募集用紙に誤字を書きやがったな。どれだけ探しても無い訳だ。もしかしたら小間遣い程度の仕事だけじゃなくて字の間違いで依頼冊子に移されたのかもしれない。過激座なんて名だから係員が風俗かどうか調べた筈。誰かのいたずらか?)

俺は観光本を背嚢脇に差込(さしこみ)、擬似魔導具の適格者を探すついでに過激座なる場所へ行こうと斡旋事務所が入ってる雑居棟から出た。出て直の船場通りを西へ進んで二つ目の交差点から並木大通りを南下。一旦下町と呼ばれている旧市街から離れて街道樹が整備された街並みを見ながら旧市街西口まで進み、その交差点を東に曲がって住居街へ入る。

ここまで来るのに時間にして二十三分ほど掛かった。歩道を往来する観光客や下層役員含めた社畜が邪魔で思うように歩けなかったのが災いした。

しかし道中、旅装束のまま荷物を抱えて歩く移民風情の俺を誰も気に留めてなかった。セフィーナの南側を占める新興地域に建てられた学園都市に万単位の学生が暮らしているので、セフィロト系の探索科に在籍する生徒も居るのだろう。

俺は旧市街の下町に再び入った俺は名を思い出せない大通りを東へ八百メートルほど進み、道幅が狭い側道の一本を北上して下町を南北に分断する金栗通りへと入った。

金栗通りは建物火災や事件事故時以外を除き、各種車両の通行を禁止した歩行者専用道路に指定されている。名前の由来となった黄色い銀杏(いちょう)並木の通りで、道の中央に植えられた銀杏の木が道の先まで等間隔で植えられてある。

俺は緑の葉を多く茂らせた通りを見回し、道の反対側に在る電柱に設置された看板を発見。そのまま道を縦断して電柱の元まで歩き、釘で固定されてある番地の標識文字と番号を確認する。

(網だくじ町三番地。ここから東へ真っ直ぐ進めば良いのか。)

古い木造家屋や庭付きの宅地が密接して並ぶ通り。裏道へ抜ける側道が少なく、区画自体が通りと並行して横長に整備されてある。銀杏並木の金栗通りには、住居や宅地より居酒屋や食道を兼ねた飲食店と雑貨屋が多い。都市部ならではの駄菓子屋や本屋も軒を連ねていて、古美術商らしき古い木造の屋敷も在った。

「ここが過激座か 看板以外は普通の大衆楽屋だな」

三階建ての大きな建物が区画一つを塞ぐ様に建っている。一階と二階は一般的な積層住宅で屋根が無く窓が等間隔で並んでいるが、その白い粘土質な壁上を見上げると三階部分の異質な増築部分が看板と共に異彩を放って見える。

(もしかしたら二階構造の積層住宅に新しい舞台が入らなくて後から三回目を付け足したのか?)

俺は赤い塗料を使用した活字で過激屋と描かれた青地の看板から視線を水平位置に戻し、そのまま開いている引き戸の玄関から内部へと入った。

内部は涼しく空調設備が稼動している。玄関から土足で内部へ入る仕様なのでそのまま受付横を通ると、建物の奥へ通じている通路が想像以上に長い事が判明した。

俺は表通りと並行して真っ直ぐ伸びた廊下と、通りからでは死角で見えない建物奥へ続く通路のどちらを進むか迷う。壁には誰かが書き残した記念紙が無数に張って有るだけで、建物内の見取り図や案内表示が見当たらない。依頼書には同じ網だくじ町の有志が運営する施設だと書かれていたので、おそらく不法侵入には該当しない筈だ。

俺はもしもの状況を想定し、何時でも玄関から逃げれそうな建物奥へ通じた廊下を選んだ。此方の方が狭いので囲まれても対処し易い。何より廊下を進んだ先に有る突き当たりの壁に張られた張り紙に興味が有った。

(やぱっぱり補助係の募集張り紙だ。少し古そうだけどあの依頼書に書かれてあった内容と同じ。この奥の楽屋裏が仕事場らしいな。)

白い張り紙から目を離すと、俺はそのまま反転して歩いて来た廊下を戻った。立ち止まらずに廊下の合流場所を右に曲がり、開きっぱなしの入り口から外に出る。

先ほどの白い張り紙に書かれた文書には、この過激座を管理する管理人の名に番長と書かれてあった。番長とは都市区画の最小単位である番地の(おさ)なので、過激座が地元住民の手で運営されている可能性が高い。

そんな事を考えながら俺は過激座前の道を通り、建物右側に在る小さな扉から再び内部に入った。予想どうり表の扉は関係者専用通路口らしく、建物左側の正面入り口とは違って玄関内には段差の床と靴を仕舞う靴棚が有る。

鍵を掛けてなく無用心なのは単にこの場所が公営施設だからだろうか。文化都市セフィーナは他の都市に比べて治安が良いと聞いたので、公共施設に鍵を掛ける風習が無いのかもしれない。

俺はそんな事を考えながらも玄関で脱いだ旅行者用の革靴を棚最上段に乗せ、靴下を履いた素足のまま板張りの廊下を進む。廊下内には物が何も置かれてないが、壁には舞台広告や各種張り紙が多く張ってある。古くなり破れた張り紙と錆びた画鋲が木の柱に張り付いていて、壁の板張りに塗られた乾燥防腐塗料が剥がれている場所が何度か目に留まった。

廊下の配置は建物左側と殆ど同じで、俺は玄関から奥へ延びた廊下を歩いて突き当たりまで進んだ。突き当りの壁に張られた張り紙には、左を指す矢印と雑務倉庫の名が毛質筆で書かれてある。矢印の方向へと顔を向けると木板扉が有り、俺は無言のまま扉に近付き右耳を扉に密着させる。

(いびき? 誰か居るな。)

普通なら扉を何度か叩いて入室を知らせるべきだが、まだ無関係の俺にそこまで配慮してやる義理は無い。扉の回し手が動く事を確認すると静かに扉を開け、廊下内より木の匂いが濃厚な室内へと入る。

(箱やら備品なんかが散らかってるな。掃除か在庫点検の途中で休んでいるのか?依頼の件を確認したいから、丁度そこ(長椅子)で寝転がって寝てる老人に聞けば解るだろう。)

俺は古い電球に照らされた奥に広い倉庫の様な室内を歩き、酒の苦い臭いを口から吐き出しながらいびきをかいてる老人の傍まで近付いた。

(白い半袖と長ズボン。薄着だが腹が冷えぬ様に腹巻を腹と胸に巻いてる。酒に酔ったか厚くて靴下を脱いだのかは判らないが、靴下を履かずに素足で寝ると風邪を引いてしまうぞ。)

老人は白くなった短い角刈り頭の額に皺をつくりながら爆睡していて、海獣の縫ぐるみを枕に左腕を床へ垂らしながら長椅子に横たわっている。今すぐ青い海獣の縫ぐるみを引き抜いたり、手持ちのナイフを首筋に当ててやれば直に起きるだろう。しかしまだ室内に他の者が居るかも知れないので、俺は起さずに入り口とは反対側に有る扉へと進む。

雑務倉庫内には過激座の名から想像したとうり様々な備品が置かれてある。仮面や履物を入れた袋や何かの文字が描かれた紙の束も有り、昔から大衆劇場として使われている面影を感じれる。

(雑務倉庫ならもっと多くの物が補完されて有る筈。もしかしたら専用の保管部屋が別に在るのかもしれない。)

俺は奥長な雑務部屋を通って反対側の短辺に有る扉の前で立ち止り、やはり右耳を木板の扉に密着させて音を探る。主に左耳が老人のいびき声を拾って音に集中できないが、配管に水が流れて発生した様な僅かな振動が耳たぶを振るわれている。

誰かが沸かしたお湯を使用しているのだろうか。そう考えながら俺は扉の回し手を右手でゆっくりと回し、扉をゆっくりと押し開く。すると隙間から古い電球の乳白色とは違う白い光が漏れ出て、扉の隙間から流れ込んだ冷気が右足首を冷し始めた。

俺は湿った空気とややかび(くさ)(にお)いに眉をひそめつつ、扉を開けて白い張り紙が張られた部屋内へ入る。扉の枠に体を半分ほど入れた直後、俺はやや長い黒髪を後頭部で結んだ無精髭の男と目が合ってしまう。

「どちらさん もしかして泥棒しに来たのかな」

比較的軽装だが都市に住む者からすれば旅装備は見慣れない衣服なのだろう。だから俺は咄嗟に泥棒ではないと否定しつつ、裁縫作業を中断し上半身だけ背後へ振り向いた男へここに来た事情を話す。

「非探索募集依頼の依頼書を見て来た 雑用係を募集しているようだから詳細を聞きに来たんだが ここの管理者は居るかな」

歳が三十近いそうな無精髭の男は会社員風の衣服を着用している。そして何故か大きな布状の何かを補修しているらしく、右手に持つ縫い針に赤い糸が結ばれてある。

「そうかよく来たね 過激座へようこそ旅人さん 管理人なら君の後ろで寝ているから起すといい 酒癖は悪いけど叩いても何もしてこない筈だから」

皺だらけの青いシャツと縫い代が浮き出た靴下を履く無償髭の男。そう告げると俺に背中を向けて手元の作業を再開した。俺は静かに扉を閉めて通って来た用具の道を後戻りし、やはり等間隔でいびき声を発している老人を足元に見下ろせる位置まで戻った。

「酔った老人相手に聞いて大丈夫か まぁ夕暮れ時に来た俺が悪いな」

老人は先ほどの無精髭の男より小柄で、俺よりも体が小さそうな五十台前半らしき容姿だ。肌は日に焼けていて頬に幾つかの染みや皺が有る黄色系、所謂この国の北部沿岸地方に住むキノコ系の血筋と同じ特徴だ。

俺は薄着のまま寝ている老人の左肩を小刻みに揺らし、怪我させない様になるべく手加減して睡眠を妨げた。

「うおっ お前誰だ そうだ定例会に行かんと あぁそれは午前中に終わったんだった」

勢いよく上半身を起こした老人はそう言いながら頭と腰を擦っている。まだ寝ぼけているのかそれとも演技なのかは判らない。俺は時間が惜しいと思い、一先ず自分の紹介を始める。

「俺の名はイクサム 魔導具職人を目指してこの都市に来た流浪の民だ 仕事を探している時に入った依頼斡旋事務所で この施設の雑務依頼を募集する依頼書を見てから詳細を聞きに来た それであんたが管理人で間違い無いか」

名も知らぬ老人は左耳に左小指を差し込んで耳穴を掃除しながら話を聞いていた。俺が雑務と言う単語を口にした瞬間左手の動きが止まり、何故か嬉しそうな溜息を吐いて笑顔を浮かべる。

「そうかそうかよく来たな この過激座は網だくじ町の住人によって運営される公営施設だ そしてわしがこの過激座の管理役を任されているスーランと言う 皆から管理人と呼ばれてるから管理人と呼べ とりあえずわしに付いて来い 奥の炊事場の片づけを手伝いながら仕事の説明をしてやろう」

俺は黒い髪の毛より白髪が多い角刈り頭を追って狭い道を通り、先ほど出くわした無精髭の男の横を通って建物奥へと進んだ。

通りから見て建物奥は構造が古いままだ。木の柱と漆喰の壁が埃臭く、管理人が言った炊事場に有る料理釜が何とも懐かしい。便所が新しい水洗式の流しトイレに改装されていて、日が殆ど差し込まない裏手の空き地には井戸も有る。

「五十を過ぎると自分の世話も難しくなるのに興行期間中は皆の世話もせねばならんから人手が足らんかった お前のお蔭でわしも楽ができそうだ」

管理人のスーランは先ほどの言葉を忘れてしまったのか、俺に下穿きのサンダルを履いてから砂だらけの土間と物置倉庫の掃除をするよう命じた。更に掃除が終われば薪を割って風呂釜の火を起こすよう言い、そのまま食料の買出しに出かけてしまった。

(これは雑務と言うより使用人の仕事だ。一日くらいなら付き合ってやれんでもないが、舞台興行の稼ぎが少なければ他を探さないといけなくなる。)

そう考えながら俺は、三つの釜と古い溶解炉らしき暖炉が壁際に並んでる炊事場を箒で掃いて砂を掻き出し始めた。(ほうき)が木の枝を束ねた枝箒なので砂を掃き(にく)い。理力で一陣の風を吹かせば解決しそうだが、今は我慢して真面目に与えられた労務をこなさなければ。

「よう苦労人 早速働いてるのか大したもんだな」

俺は後ろから掛けられた無精髭の男の声に振り向き、枝箒で炊事場の棚と四隅に溜まった土埃を書き出しながら名前だけを伝えた。

「イクサム君と言うのか 俺の名はヨウソーロ この過激座に管理人と一緒に住んでいる舞台役者だ 役者名はゾロと名乗っているが 皆からは舵と呼ばれてるから好きな名で呼んでくれて構わない」

身長が百八十を越えている細身の男ヨウソーロ。名前からして偽名だろうからが、そのまま舵と呼ばれている男は管理人と共に過激座で暮らしている。それらの情報を脳内の記録領域に追加しつつ、俺は管理人が非正規の依頼書を出した経緯を尋ねた。

「セフィーナでは他の都市が採用している組合中心の労使制度が無いんだ だから企業や事業主は自前で人材を募集して採用している そしてこの過激座は書類上では文化財と言う事になってるから 管理人でも正規の求人募集を総合事務所に申し込む事はできない そもそも管理人自体は役人が選んだ正規労働者に過ぎないから非正規労働者を雇用する権限なんて無いんだよ」

つまり管理人のスーランは国家労働規約に該当しない只の依頼従事者を雇う事しかできない。俺にとっては比較的高い給金と手頃な作業時間が魅力だったから選んだのだが、どうやらこの街には俺の様な経済事情持ちが一定数居るようだ。

「と言う事はヨウソーロも依頼稼業をこなしながら暮らしているのか 興行で座が潤っている様には見えなかったけど 役者は儲かる稼業なのか」

俺の問いに無精髭のヨウソーロは否定した。そして炊事場と床の段差に腰掛ると、溜息混じりに身の上を話し始める。

「俺はセフィーナ漁港で働く只の漁師さ ここに住んでいるのは管理人が元漁師だったから知り合いに紹介してもらったんだよ 昔は首都のシャングリラで商船会社に勤務していたけど 仕事に追われるのが嫌になって向こうでの生活を捨てたんだ」

ヨウソーロはそう言うと立ち上がり、夕暮れ時で暗くなった炊事場の明かりを灯そうと壁際の照明灯から垂れ下がる紐を引く。すると調理場と洗い場を兼ねた炊事場が白い光に照らされ、俺は暗闇に慣れた目を眩しさから守る為に背中を向けた。

「もし君が生活拠点に困っているなら管理人に泊めてもらうよう頼めるけどどうする 俺も家事は慣れてないから手伝えそうにないし 君が担当する雑務には管理人の世話も含まれてるだろう この過激座は掃除だけで苦労するほど広いから大変だよ」

俺は枝箒で炊事場の土床に溜まった砂を掻き集めつつ、背中を向けたままヨウソーロの提案を断った。なにせ俺の体には隠すべき秘密が多過ぎて、場合によっては人間の日常生活を真面目に過ごすだけで苦痛を感じるかもしれない。

「俺は街に来て日が浅いから不慣れな点が多い だから仕事中でも高確率で質問をしに来るだろうから その時は宜しく頼む」

眩しい光に目が馴染んだので、俺は振り返って手を洗い始めたヨウソーロにそう伝えた。無精髭の三十路男は笑ったようだが、照明灯の光が顔を遮って表情が判らない。ヨウソーロはそのまま手を拭くと建物裏側へ続く廊下へと歩いて行き、それから俺は管理人が帰ってくるまで雑務に追われた。


過激座。ゼノンが統一国家ではない群州国家時代末期に建てられた興行施設。名のとうり客を床に座らせて各種出し物を提供する娯楽施設だった。現在は改装や改築を重ねて別の建物へと変貌しており、大衆劇場だった当時の面影は無い。

演目舞台や劇場として知名度は市街地に在る大型の私有劇場を有す幾つかの公演団の方が高く、下町の簡単な舞台よりも多くの脚光を浴びている。

現在の過激座では定期的に有志芸人による喜劇や学生製作の映画が上映されている。客席数だ限られている事から収支が限定され商業的価値は低い。だから自治会が運営する小型劇場として一般に開放されている。


翌日の二十四日。晴れ渡る青空に東から昇って来た太陽が大地を照らしている頃。俺は中央記念公園内に在る喫茶店カルネゾフで遅い朝食を食べている。朝食が遅い理由は単に起きるのが遅かっただけだが、今から四時間と十数分後の午後二時から過激座での雑務が控えているので悠長に食事を楽しむ余裕は無い。

それに俺は起きてから仕事までの自由時間を擬似魔導具の適格者捜索に充てようと決めている。だから今も生地焼きに包まれた肉料理を食べながら、喫茶店外に配置された丸机の椅子に座って煉瓦通りを歩く私服姿の学生達を観察している訳だ。

【魔素固有波長が他の街の住人より高いです。流石は探索街から発展した都市、珍しい波長を有す魔導細胞保持者が多いですね。このまま調査対象を学生のみに絞れば、当初の想定より早く適格者を発見できるかもしれません。】

今は首から提げた鎖先の首輪から紫水晶体を外してある。白い丸机の上でしきりに青紫色の光を放つユイヅキに対しあえて声に出して返事を返す事で、食事をしながら都市内で使える魔導端末を使って会話を楽しんでいる学生だと思われる筈だ。

「そうだな 夏休みに入って勉強から解放されたのだから 出歩いて自由時間を楽しむ奴等が多い 俺も久しぶりに観光気分で歩いてみるか」

喫茶店カルネゾフの看板に描かれた生地焼き料理を完食すると、俺はゼノン何部地方にカルネア王国を築いた覇道王の名を冠す喫茶店から離れて通りを歩き始めた。

今年の雨季は降水量が少なかったらしく、三十度を越える外気は然程湿ってない。空気は砂漠ほど乾いてないが、東西に延びた通りを吹き抜ける風が汗から水分と熱を奪う。

中央記念公園。セフィーナが探索街から文化指定都市へ移行したおよそ六百五十年前に造成された開発地区だったらしい。現在は都市中央の南側半分を占有する扇型の森林公園だが、敷地内には文化指定都市の象徴でもあるセフィーナ塔を中心とした様々な展示物件が建てられてある。

現在俺は公園東側歩行者専用道路を西へ進んでいて、赤褐色煉瓦が敷かれた商店街通りから既に見えている公園中央に聳えるセフィーナ塔へと向かっている。大通り内の商店街では旅行者向けの記念品が売られているが、歩きながら進行方向の通りを見ると観光客より学生の方が多くの記念品を買っている。

(中東部や高等部の学生服を着ている奴が少ないが、確かに学生の多くが探索者として浮遊大陸を行き来しているようだ。虚構世界で収集品集めをするだけで小遣いが稼げる。俺の様に依頼稼業で稼ぐより探索者の方が楽なのは確かだ。)

夏休みを楽しんでいる学生や観光客。そして店先で休憩中の作業員や配送係を通り越し越す事五分前後。俺はようやく巨大な鉄塔型電波塔でもあるセフィーナ塔の基礎建造物入り北東入り口前に到着した。

【掲示情報によると全長三百六十一メートル。最大幅は基礎構造物を含めて二百八メートル。星暦換算で九千六百三十二年に起工し四年後の六百三十八年に完成した魔導実験塔を元に改築を続け、完成から四十五年後に正式な通信塔として放送基地局の管轄下に移ります。およそ百年前の衛星群崩壊事件までは大気圏外との通信設備有す塔台として機能していましたが、現在は広域通信設備として都市運営局が管理しています。赤い外装は…】

ユイヅキが魔導通信局から受信した案内情報を聞きながら、俺は魔導実験塔時代の赤い外装を再現した赤銅色の鉄塔を見上げる。天空樹に比べれば新芽も同然の塔だが、都市内外の殆どの場所から見える歴史遺産なので都市の顔と言っても過言ではない。

(ユイヅキ、補足説明はもういいぞ。入り口から入って第一展望場まで上がるからお前は捜索に集中しろ。)

セフィーナ塔での出入りは特定の関係者を除き、客は所定の通用口から出入りするよう決められている。塔の入り口は四脚下の基礎構造棟内部の昇降口のみで、塔から地上に降りる場合は第一展望場中央の昇降軌道と階段から地上へ降りれる。

俺は赤外線感知による自動扉から基礎構造棟の北東部屋内に入り、自然と形成された昇降口へ続く列の様な群衆の流れに乗って建物一階を歩く。基礎構造棟の一階には飲食店や資料展示場が密集した売り場通路と、飲食店だけでなく企業窓口や個人弁護事務所が入った店子(たなこ)用通路に別れている。通路自体が中央の昇降軌道を囲む形なので丸く、二階へ上がる階段が入り口近くの通路傍に在った。

(涼しい空気だが少し煙草と汗臭いな。空調と冷房設備が機能してるから息苦しさは無くて当然か。)

数段ほどに纏まった階段を登ると列の流が滞る場所に遭遇する。身長が百七十と少ししかない俺では通路の先が見え辛いが、耳を済ませると多くの会話声の中に昇降軌道特有の駆動音が聞こえた。

【周囲に適格者と同等の魔素波形は無し。やはり年長者ほど固有波形の劣化が顕著ですね。】

展望台へ上がろうとする客達の所為で、比較的広いはずの通路が狭く感じれる。不快指数なる数値が有るなら既に上昇を始めていて当然の状況で、指示どうり冷静に周囲を探り続けれるユイヅキが羨ましい。

「家族親子連れの方は右端に並びましょう 知人或いは友人と共に上がる場合は左端に 個人で来られたお客さんは中央軌道前に並んでください」

若い女性の声が白い張りぼて天井に設置された音響装置から絶え間なく流れている。しかし指示どうり三つの昇降軌道に並ぶ者は少なく、東大陸から来た観光客らしき集団は列を三つに別けて並んでいる。

俺は指示どうり中央の昇降軌道に乗る列に並び、時間を掛けて消化されて行く順番を待ちながらユイヅキと脳内会話を始める。

(ユイヅキ、資料映像の投影準備は万全か?俺は少ない自由時間を無駄にする心算は無い。そして何時何時見つかるか判らない適格者を逃す訳にはいかない。対処含め周囲の目撃者に少しでも怪しまれたら、強引に物陰まで引っ張って洗脳するぞ。)

列の分岐点に差し掛かり、前後左右に居る他者と衣服同士が接触する。俺は首から提げたユイヅキを左手で握り、明滅する青紫色の光が邪魔にならぬよう緑色の半袖襟元から内側に首飾りごと入れた。

【任せてくださいイクサム。白に近い壁状の物さえあれば人間の背中だろうと映し出せます。声に合わせて映像を写すので、最新鋭で高価かつ希少な魔導端末だと騙して魅せますよ。】

もし適格者が十に満たない子供であろうと、必ず擬似魔導具を渡して一緒に共同探索に同行してくれる探索者を探さなければならない。擬似魔導具の特性上老いた探索者連中に適格者が居る可能性は低いので、乳離れして間もない赤子を適格者として選ぶ可能性すらある。

(そうか、なら後は俺次第だな。わざわざ顔と姿を変えずに声をかけるから失敗はできない。年下なら良いと祈る事しかできない状況に成らずに済めば楽なんだが。)

列の三から四メートル先に在る長方形の扉が開き、大型の木箱が入りそうな昇降箱内へ前に並んでいた観光客達が続々と入って行った。俺は数歩だけ進んで乗りそこなった観光客男性二名の背後で止まり、次に扉が開いてから第一展望台へ上がるまでの間、ユイヅキに閉塞状態を維持するよう命じた。

俺が適格者初日にセフィーナ塔と近辺を捜索しようと思い当たったのは、中央記念公園南側が学園都市と隣接しているからだ。文化指定都市セフィーナの中に在りながら独自の行政主体である学園運営委員会により管理された自治都市。規模は都市三区画分の三キロ平方メートルと少々だが、この狭い区画でおよそ一万人の学校関係者と千人未満の研究者が活動しているのだ。

(夏休み期間中は塔の第一展望場含めて、記念公園全域が学園都市主催の各種展示場として使われている。就職や進学先を選ぶ為に高等部の上級生が必ず巡回する場所だ。学生や研究者相手に商売する輩も来ているから、一度に多くの対象が流入する場所程観察に適した場所は無い。)

そう考えまだ見ぬ適格者が擬似魔導具を装着した光景を想像していると、呼び鈴が鳴る音と共に昇降口の扉が開いた。俺はわれ先に進もうとする群衆の流れに押されないよう足早に箱内へ入り、入って左の透明板前を確保した。

再び何処かに設置された音響装置から呼び鈴が鳴り、自動で内扉が両側から閉まった。直後昇降台が斜め上方へと昇り始め、透明板から見える外の景色が移り変わり始めた。

昇降軌道は基礎構造棟内部から傾斜した脚内部鉄骨内を通り、塔本体の下層に在る第一展望台へと斜めに上昇する。今は外板と鉄筋人工石材柱がむき出しの基礎構造物内部から出て鉄骨脚内部を上昇中だ。透明板から南側の学園都市が一望できるようになり、区画内に建てられた五階や六階層の建物屋上より水平位置が高くなった。

(あれが南大陸唯一の学園都市。国や南大陸中から選抜された学生を養成する名目で膨張した街。軍事施設だった面影はもう残ってないか。時代の変化で変わりやすい街なんだな。)

太い鉄骨を交差させ箱状に巡らせた塔脚内を上がり続け、俺は日に照らされた地上に日陰で黒く映った柱が浮き出た光景を眺めた。やがて透明板で囲まれた昇降箱は終点の第一展望台北東出口に到着し、俺と共に載っていた乗客を吐き出してから扉を閉め自動で下りて行く。

(始めろユイヅキ。探査を優先するのは初等部から高等部までの学生だ。)

金属板らしき硬く緑色に塗装された床を歩きながら、俺は胸元の襟口からユイヅキを拘束した首輪を取り出す。首から鎖に吊るされて提げた革製の首輪は、俺の歩きに連動して心臓辺りの位置で上下左右に揺れる。しかしユイヅキから送られてくる視覚情報に遅延は無く、階段を上がった先に在る展望場内に出来た幾つかの人だかりの輪郭を正確に識別している。

俺は階段を上がった先の右側にある太い円柱状の支柱に背を預け、顔を右へ向けたままユイヅキから送られてくる視覚情報を共有しつつ捜索活動を再開した。

【識別処理を開始。以後は対象の魔素反応と固有波長の識別結果のみ反映します。】

第一展望場中心に有る太い柱の様な昇降軌道出入り口前を通りかかる学生や観光客の姿が、ユイヅキの処理によって仮想実体の様な色分けされただけの人型に変わる。優先処理を実行する為に性別や年齢含めて外見から対象を識別しているので、優先対象外の人型は識別後に標識化され赤系の色に染まった影絵と成る。

少し遠い位置に在る展望場強化硝子窓から北側を見ると、行政区画と海岸近くの商業地区が重なって見えるエメロギア湾南部全体が見えた。湾の沖合いに漁船の様な小船集団とぼやけて見える月輪島らしき島が見え、己の網膜から送られた信号とユイヅキが見る風景が合わさり強化硝子が大きな鏡の様な物に見えた。

(学生の青色が海の緑色と合わさって距離感が狂いそうだ。数分も見続ければ慣れるだろうが刺激が多い街でこんな事を続ければ、先に俺の神経が壊れてしまうかもしれない。)

俺は瞬きを繰り返しながら目頭を擦り、足元に置いた背嚢を拾い上げてから近くの長椅子へと歩く。長椅子は硬貨を入れて機能する双眼鏡が並んだ展望所のやや後ろに有り、長椅子に座ったまま強化硝子が見えない程展望所を埋め尽くした群衆達を眺める方が目に優しそうだと思った。

【制服を着た学生の集団が上がって来ました。背丈から高等部に在籍する生徒でしょう。夏休み期間中にも係わらず制服を着用してます。部活帰りの集団とは少し様子が違いますね。】

俺は顔を左に曲げ、中央の柱反対側から現れた赤い学生制服を着た集団を視界に入れる。ユイヅキが白を基調とした赤袖赤襟の女子生徒達を一瞬で青い人型に変換してしまったので、俺は咄嗟にユイヅキに命じ一時的に識別表示を解除させた。

(あれは確か第四高等学校の夏服だな。観光本の都市名物欄に学園都市の制服が記載されてたから間違い無い。そう言えば第四高等学校の生徒はセフィーナ出身者で構成されてたな。きっと夏休み期間中にある学校授業の一環で来たんだろう。掃除でもさせられてるんじゃないか。)

俺は再び椅子正面の近い位置に屯する人だかりに顔を戻し、右隣に置いた背嚢に右肘を立てながら欠伸を吐いて目を細めた。背嚢には擬似魔道具やその他備品が入っているが、今の所こいつらを布袋から取り出す用は無さそうだ。

【対象の生徒達は高等部の一年生のようです。会話情報を集積した結果、展示物の見学に来た可能性が最も高いです。他校の生徒も集団で昇って来ている様なので、今日は幸運に恵まれているのかもしれません。】

ユイヅキの報告を頭の中で聞きながら午後の二時頃から始まる過激座での雑務を想像していると、唐突にある答えが頭の中に浮上する。

「ああ 未成年は共同探索じゃないと迷宮に入れないんだった 一番重要な事を忘れてた」

俺はここ数日ユイヅキに頼りきりだった事を後悔しながら椅子から腰を上げ、展示空間の脇を通って出口が有る中央昇降軌道脇の階段へと向かう。

【資料によれば中央記念公園内に学生向けの探索依頼を斡旋する探索広場が存在します。場所はセフィーナ塔から公園南通りを三百八十メートル程進んだ通り沿いです。】

降下専用の昇降軌道は混雑していたので、俺は誰も近付こうとしない階段入り口に入った。

階段は塔の構造に馴染むよう赤く塗装されてあった。建設現場に多い全金属製の簡易型と似ているが、格子網状の金属板で補強されているので足音が殆ど響かない。俺は半螺旋状の直角階段を幾度も下り続け、途中から面倒になって走ったお蔭で四分程度で出口へと到着する。

外観が石造りの螺旋塔の様な出口専用の塔。白亜の石造物件を参考に建てられたらしいが、第一展望台の真下に有るので白さが全く目立ってない。

そんな場所に留まる気は無いので、俺はセフィーナ塔広場を抜けて南方向へ真っ直ぐ伸びた大通りを歩いて行く。この通りも歩行者専用道路なので路面は赤銅色色の煉瓦が敷き詰められてある。災害や事件発生時に緊急車両が中央公園内を通り抜ける為の緊急道路なので、公衆便所や有線通信所等の公共物を示す標識の他に赤と白線が重なった縞模様の四角い標識が脇道に設置してある。

(学生がやけに多いな。ユイヅキ、この通りに配置された建物の情報を教えてくれ。)

俺の問いに胸辺りで揺れているユイヅキが明滅を始めた。ユイヅキにはオートマグで買った観光本だけでなく、都市内で魔導端末用に無料配布されていた地図を記録させてある。

【全長三百八十メートルの南通り。全部で八箇所の横道は全て森林公園内へ続く遊歩道で、中央部付近から休憩場と武芸者用競技場が設置されてあります。中央には売店区画と遊技場区画が在り、南出口側には学園都市向けの簡易宿泊施設と探索依頼斡旋所が在ります。観光雑誌による情報では、視界内の両端に見える武芸者用競技場では試合日以外は無料開放されているそうです。設備使用時に使用料を払えば誰でも競技会場を使えるので、道具代も払えば器具の借り受けも可能です。】

ユイヅキの説明を頭の中で聞きながら通りの中央を真っ直ぐ進んで南下する。照りつける太陽光に肌を焼きたい者とそうでない者が道端の建物内や草地で休んでいて、足元に敷かれた煉瓦の隙間が乾燥してひび割れた大地を彷彿とさせた。

俺は私服か制服姿くらいしか違いが無い多くの学生達に紛れつつ、南通り南端の出入り口が見える場所まで辿り着いた。丁度左右の道端が大きく半円状に抉られた場所に設置された展覧会場の中央に居るので、学生向けの探索依頼斡旋所とやらを探して通りの両側を見比べる。

(仮設組み立て方式の事務所ばかりだな。学園都市が近いから文房具を中心とした雑貨屋も有る。ただ肝心の探索組合依頼斡旋所の様な家屋形式の場所が無い。)

何時までも道の真ん中で通りの左右を見回している訳にもいかないので、俺は通り西側の展示場所へと移動する事にした。

分度器の様な半円状に開かれた休憩所には屋根が無い。その煉瓦道上に金属製の移動壁が十以上ドミノ感覚で設置されていて、高さと横幅が二メートル近い正方形の壁には広告紙と多くの張り紙が張ってある。

圧縮された透明樹脂で密閉された見慣れない広告紙へと近付き、移動壁に張られてある数多の広告紙や只の張り紙が学生により製作された物だと理解する。展示されてある広告紙は企業広告紙の様に細分化された物では無く、各部活や研究会人員の募集と学生達が募集した各種依頼を紹介する宣伝物だった。

(迷宮関連の探索依頼も有るが、どちらかと言えば迷宮内での代理調査依頼が多い。確かに天空樹も含めて世界中の魔法迷宮は当地の歴史風土と深い関係にある。浮遊島の虚構世界フランベル大陸を調べて生物史や地政学を学ぶ輩も居るらしいからな。)

俺は西方形状の薄い金属板を加工した移動壁の間を歩き、広告紙や張り紙だけでなく展示されてる部活動写真等も見て回った。俺にとっての学校は日常生活を過ごす為に最低限必要な知識を教える宿泊施設だった。あの頃の自分と比べても、学園都市の学生達がどれだけ情報に恵まれているのか容易に推察できる。

どうせ直に適格者を発見するのは無理だから、俺はここの探索依頼斡旋所近辺を巡って情報でも集めるかと考えた。まさにその矢先、何の前触れも無くユイヅキが何かを探り当てたと報告した。

【適格者と酷似した反応を検知。位置情報を送るので現場に急行してください。】

道端で大量の洗濯物を干す要領で配置された移動壁が邪魔で展示場所の周囲が見えない。それでも俺はユイヅキが適格者特有の魔素反応を検知したのだと理解し、障害物を上塗りする様に視界内で赤く明滅する場所へと走る。

雑草が生えたなだらかで低い斜面沿いの煉瓦縁を走り、半円状に削られた待機所から出て道端へと戻る。赤い目印は通りを歩く学生達の奥に有り、俺は小走りに南通りを行き交う学生達の間を通って東側待機所に入った。

【対象を直接視認。魔素反応と固有波形を確認するので、対象を認識し易い状況を維持してください。】

俺達が製作した擬似魔導具の適格者は、魔素の放出が低く三つの魔導具に填めた擬似魔核に適合した魔導因子保有者でなければならない。だからユイヅキを頼りに製作した超小型の魔導水晶体には、共鳴し易いよう魔導感知領域三層を基礎配置のみ共通化した回路が施してある。

俺はユイヅキの指示に従い赤い光点で識別された三人の対象を肉眼に捉えず、そのまま傾斜角十度未満の雑草に覆われた斜面に有る階段を登った。そして斜面上のやや高い高台に着いてすぐ道から出て、背嚢を椅子代わりにして雑草の上に腰を下ろす。

(制服の色が違うから三人とも他校の生徒だ。赤い制服には見覚えが有るが、あの赤い髪は染めてない地毛なんだろう。三人とも遠くから艶が見える髪だから他と区別し易い。こうも簡単に見つかると呆気ないな。)

白い椅子に座り、何処にでも有りそうな白い丸机を囲んで会話を楽しんでいる三人の女子学生。そのうち緑色の制服を着用した麦色の髪の生徒が、学園都市内外で有名なセフィーナ女学園に在籍する生徒だと一目で判った。

俺は有名なお嬢様学校の生徒と馴れ馴れしく話す二人を見て、三人が旧知の仲である可能性が高いと判断する。

【固有波形が神器の擬似魔核と適合しました。三人とも間違い無く適格者としての能力を有しています。容姿から判断して貴方と同い年か一歳年上でしょうから、以降の対処は任せます。】

ユイヅキから全てを託された俺は草地から立ち上がり、背嚢を右腕に抱えたまま小道に戻って階段を下った。そのまま野外飲食場と化している休憩所の中心部を進み、周囲から溢れる雑音に邪魔されずに対象達の会話を聴こうと自動販売機前の長椅子に腰掛ける。

【了解。盗聴を開始します。】

俺は背嚢を膝の上に置き、両足を開いて脱力させたかの様に背中を木製の背もたれに預ける。いきなり声をかけても警戒されるだけなので、今は背後の四メートル近い距離に居る対象の情報を集めたい。

「だから兄達に共同探索を頼んだんだけど断られちゃって 午前中の見学授業が終わってから探す予定だったんだ でもまさか他の学校の人と探索するなんて先生が聞いたら驚くだろうな」

後頭部側だけ伸ばした赤い髪を三つ編みにして背中まで垂らした第四高等学校の女子生徒。距離こそ離れているが俺と背中合わせの角度で椅子に座り、大きな日傘付きの机に両手を出して自動販売機で買っただろう赤い飲料缶に口をつけている。

「うちが通ってる第二高校の探索部連中も他校との交流を兼ねて共同探索をする時があるから珍しくはないわね でも夏休みの研究課題に一人で魔物調査書を製作しないといけないなんておかしいわ 貴女一体何をやらかしたの」

同じ丸机の南側に陣取り会話に参加している女子生徒。本人が言うのだから第二高等学校所属の生徒なのだろう。水色の長髪と青い蝶の髪飾りが同じ青系統の制服と統一されて見える。ただし同じ丸机の会話相手である赤い髪の女子生徒が死角になっていて、わざわざ顔の前に掲げているユイヅキからでも顔が見えない。

学園都市に在籍する女子生徒の制服には特徴的な蝶結び型の帯が有るので、彼女の長い足に着用した黒タイツと首元の黄色いリボンが何かを主張しているようだ。

「実はね 選択科目の歴史生物学科のテストで赤点を取っちゃったんだ それで担任の先生から魔物調査を兼ねた宿題にされちゃって 補修代わりの調査文を提出しないと単位が貰えないんだ」

眉毛と髪が真紅の少女。同年代にしては少し小柄らしく、丸机の椅子に座る他の二人より頭の高さが少し低い。それでも声は三人の中で最も大きく、声帯が発達してるのか俺の耳にも声が響いて来ている。

「それは私の紅真珠やアオイさんの生活費より難題かも知れませんね でも三人で協力して探索に励めば必ず解決する筈です お二人とも短い間でしょうがよろしくお願いします」

丸机のやや西より北側に座っているセフィーナ女学園の生徒。大きな丸眼鏡も合わさり口調以上の知性を感じれる。そんな彼女の名はまだ分らないが、学園の風評どうりお嬢様らしい口調で赤か青かの名前を口ずさんだ。しかし俺は三人が共同での迷宮探索を計画していると断定可能な台詞を聞いて、あえて名前について深く考えようとはしなかった。

(強引にでも会話に割り込んで擬似魔導具を渡すか。それともまだ他にも適格者が居ると期待して様子を見るか。此処で悠長に迷っていられるだけの猶予は無い。この幸運をどう生かすか迷うな。)

俺はユイヅキから送られて来る視覚情報と補正された音声情報を精査しながら、擬似魔導具へ興味を持ちそうな言い分を考え始める。既に宣伝名目で幾つかの案を用意しておいたが、三人とも歳が近い女子学生だとは想像できなかった。

「兄達に友達を守れる魔法剣士だと自慢できるよう頑張るから 僕た じゃなくて二人ともよろしくね」

容姿が幼い十代後半の女子が自らを僕だと確かに口ずさんだ。俺は僕と言う単語を聞いて彼女が年下だと判断。用意していた宣伝文句の内、十代前半の子供向けに考えた宣伝文句を思い出す。

(俺がそうだった様に、彼女もしくは彼も魔神伝説や謎多き浮遊島への憧れを抱いているはず。探査理由が三人とも違っているが、三人とも探索相手を探していたようだ。魔法剣士の様な近接系は体が小さいと不利な点が多い。ここに上手く話を乗せれば受け取ってくれるかもしれない。)

俺は自己紹介を済ませて探索の予定を調整している三人に話しかける事に決めた。その決意と同時に長椅子から立ち上がり、衣服に付着しているかもしれない何かを払い落とす。

【緊張状態は交渉に不利です。体か意思決定の一部を代行しましょうか?】

いや、必要ない。俺はユイヅキに口答で返事を返し、擬似魔導具である三種の神器を入れた背嚢を両手で持ちながら三人娘の下へ移動した。三人娘の予定合わせは順調に進んでいるので、重要な会話を遮るのは俺にとっても不利益な事だ。

「重要そうな話の途中ですまない 俺は魔道具職人を志している者だ 少しだけ話を聞いてくれないか」

口でそう言いながら三人娘を見ず、俺は背嚢袋の結び目を開けて中から三種の神器を包んだ袋を取り出した。擬似魔導具はそれぞれ大きさや形状が異なる。判り易いように赤と青と緑色に色分けした袋を強化繊維樹脂製の丸机に置くと、三人娘の誰かが言葉を発する前に簡単な紹介を始める。

「それぞれの袋には迷宮探索者向けの魔導具が入ってる 魔核は俺が製作した独自の物を使っていて触媒の大部分には海獣系素材の魔導物質を採用した この魔導具はあくまでも技術昇華の為の試作品だったから色々な機能を実装してある しかし魔核製作過程でどうしても解決できない欠点が出来てしまった この魔導具は魔核の性質上適合者を狭く限定する 若く探索者として未熟な者の中から固有魔導因子同士の魔素伝達に適した者でしか扱えない代物なんだ だから」

だからそれがどうしたの、と水色の長髪の女子生徒が俺の説明を遮った。見ず知らずの相手なら誰でも警戒する性格なのか、目と眉の両側を吊り上げ俺が会話を遮った事へ謝罪を要求してきた。

「待ってくださいアオイさん 折角なのでもう少し話を聞きましょう 此処はそう言う場所なんですから良いじゃありませんか」

丸机の西側に立つ俺へどうぞお話の続きを、と言い丸眼鏡のお嬢様は微笑みながら話の続きを催促してきた。

「ああすまない 先に用件をから説明しよう 実は」

セフィーナ女学院は富裕層の淑女教育だけでなく、初等部から大学院生期間までに各分野の高度な専門知識を履修させる学校だ。生徒の親と支援者から多額の授業料を受け取っているので、聞いた話では入学試験時に知識だけでなく性格も査定されるらしい。この話は本当かもしれない。

「と言う事情で話しかけたんだ なにせ俺はセフィーナに来たばかりだから生活に慣れる為に色々忙しい この試作品を何時までも持っていても邪魔になるだけだから処分しようと決めた こんなに早く適合者に出会えるとは想像してなかったから こうして声をかけたんだ」

嘘は一言も吐いてない。実際この魔導具を適格者に渡すまで俺は自由時間を捜索活動に拘束されてしまう。街や浮遊島まで他にもやるべき事が有るので、始めから時間は有限なのだ。

「探索組合や魔導具専門店に売る場合 技術流出を覚悟しないといけない まだ自前の工房が無い俺には処分する先は探索者くらいだ 金は要らない 受け取ってくれるならこの魔導水晶を使って説明をするが 協議するのなら三分くらいは待つよ」

俺は首から鎖付き首輪を外して、首輪に固定した青紫色の魔導水晶体を握ったままユイヅキを見せた。セフィロトでは交渉時に金や資産価値の高い物を身分証明の代わりに提示する事が一般的だが、この手法がゼノン国内でも通用すると既に証明済みだった。

「僕 あっいや私に合うのはどれかな この赤いのが気になるんだけど」

一人称が僕で珍しい赤毛の女子生徒。口では躊躇(ためら)いつつも、赤い袋に入っていた筒状の魔道具型海中照明具を取り出して独特な装飾を見つめている。

「その照明具型の魔法剣が君のだよ 最初に言うべきだったが 制服と袋の色が同じなのは只の偶然だ 興味があるなら袋から取り出して感触を確かめてくれ 魔道具としてだけでなく形状どうり道具としても使える玩具として設計してある 玩具と言っても強度は実用品以上だから乱雑に扱っても早々壊れる事はないだろう 詳細はこの魔導端末に記録してあるから映像を見てくれ」

俺は海水浴場や魚市場に有りそうな大きな日傘の影を利用し、丸机の中央上でユイヅキを掲げ白い強化繊維製の机に映像を投影する。再生された映像は記録映像ではなく、ユイヅキが記録回路に蓄積した情報を映像化して投影しているけだ。だから俺は再生される映像を口で説明しつつ、この擬似魔道具の最大の特徴を告げる。

「使用者の魔法特性と経験によって成長する魔法武器 魔核程度まで簡略化した小型魔導水晶を物理的或いは間接的に繋げ 演算能力を高性能魔導水晶にまで高める魔道具 使用者の能力と神器の調整次第で演舞から乱舞を自在に操れる 量産品で代替できる魔導部品を使ってない事と使用者が砂漠の砂粒程度に限られる点を除けば 間違いなく一級の汎用魔道具に相違無い 名前はかの魔神の名をそのまま採用した 照明具型魔道具が炎の(つるぎ)レクサム 銛兼三股槍の釣竿型魔道具が水の槍セレス そして分離して折り畳み収納可能な風の弓ウィンダム これ等が君達の新しい神器(魔道具)と成る訳だ」

少々大げさな比喩表現を使ったが、彼女らに対し自分が出来る事を全て行った。俺はユイヅキの映像再生を停止させて首飾りとして首に提げなおし、三人に対し袋も含めて魔道具を好きに使ってくれと言ってやった。

「随分気前が良いのね 貴方私達に何か隠してない それに私達学生が使える魔道具は指定された物だけなの 武芸系の庭剣(ていけん)部員である私なら申請すれば使えるけど ヒカルとカザリが使えるとは限らないわ」

アオイと呼ばれている髪と制服が青系統の少女は素早く左腕だけを動かし、口撃を身代わりに俺の首に刃保護具を填めた銛の先端を向けた。挙動は本人が庭剣部に所属していると明言したとうりの腕前で、俺は先端部を一切揺らさず喉仏前で寸止めした動きに対し顔を無表情に変える。

「えぇ アオイちゃん庭剣部員なんだ 私も辻斬り競技者だからフランベル大陸で手合わせできるね」

周囲から集まりつつある視線を気にする素振りも見せず、ヒカル若しくはカザリの名で呼ばれている赤い髪の少女はアオイの左手から青い槍を引き抜いた。

「武芸者なら素手の素人相手に得物を向けちゃ駄目だよアオイちゃん それに私は辻斬り会員資格を持ってるから認可外の魔道具や刀剣系の魔導武器なら所持できるんだ 凄いでしょ」

髪型が若干違うようだが、赤と青の長髪を有す少女達が丸机を挟んで釣竿としても使える槍の奪い合いを始めた。赤い髪のヒカルは三人の中で最も小柄だが、最も背が高いアオイ相手に腕力勝負で互角に渡り合っている。俺は彼女達の奪い合いによって槍の耐久性が証明出来たと判断し、麦色の地毛を揺らして仲裁しようとしている丸眼鏡のカザリお嬢様に声をかける。

「心配する必要は無い 槍は三つの中で最も頑丈さを重視した設計だ とりあえず俺が書いたこの説明書を渡すから読んでおけ 最も重要な魔核さえ壊れなければ素材を集めて修理が可能だ 街の技師か魔道具修理屋に説明書を見せれば書いて有る材料だけで直してくれるだろう だからくれぐれも無くすなよ」

俺は背嚢袋から取り出した三つの白い便箋をカザリに手渡し、背嚢を背負うとそのまま何も言わず適格者達から離南通りを北へ進む。耳に直接届く三人の話し声は休憩所から出た辺りで周囲の雑音に掻き消され聞こえなくなったが、ユイヅキの端末情報に記録させた同期信号元の魔導端末から聞こえてくるヒカル達の笑い声が頭に響いている。


庭剣と辻斬り。どちらも探索街時代のセフィーナで発祥した対魔獣用剣術。記録資料ではおよそ千五百年前後辺りの時代に活躍した幾つかの魔獣狩猟団が採用していた戦闘技法と訓練術を元に体系化された剣術。どちらも古き時代から多くの武芸者が習得した有名な剣術で、現在ではゼノン内外で十万を超える剣術会員と武芸者を擁す二大派閥を形成している。

現在の庭剣は刺突技を競う武芸競技を指しており、重量のみ規定がある擬似突剣を先に相手に接触させ勝敗を競う先取勝敗制が主流だ。

一方の辻斬りは、競技体系から外れた開祖辻斬り武術と集団競技の辻斬り合戦に別れている。競技種目として競技者が多い辻斬り合戦が主流だが、武芸者協会として独自の地位を築いた改新辻斬り協会指定道場で開祖辻斬り武術を教えている。


船場通りの借り宿に帰った俺は二時間ほど狭い部屋で休憩した。起床直後に近くの中継拠点から放たれている魔導波をユイヅキに探査させておいたので、休憩中の俺達は狭い室内で秘匿性が高い固有魔導通信機能を介し神器から適格者の少女三人組の会話を聞いて過ごした。

魔神の名を与えた三種の超小型魔導水晶体を盗聴機器として活用した結果、僅かな時間だったが彼女達の本名や通う学校含め様々な情報を聞くことができた。彼女達は旧知の仲ではなく、夏休み中に探索活動をする為に共同探索相手を探していた時に偶然出合った間柄だった。

三人は俺と別れてから港区の探索組合前で合流すると決めていたようで、俺とユイヅキは準備を終えて船の出航を待つ彼女達の探索話や世間話を聞いた事になる。有線や無線通信を違法に傍受する行為は電波攪乱罪がそのまま適用される。しかし魔導通信は固有の識別暗号を使用するので傍受しても解読するには固有波長鍵が必要だ。しかし固有波長は魔導端末ごとに違うので調整するのは不可能、要するに電波攪乱が不可能なほど独立した情報網なので盗聴傍受行為に該当しないのだ。

盗み聞きした会話はどうでもいい情報ばかりだった。三人の世間話は出港した船上でも続いていたが、先にこちらの休憩時間が終わりを迎えた。

それから俺達は最低限の荷物を背嚢袋に詰め直に借り宿を出た。ユイヅキと共に徒歩で下町の網だくじ町内の過激座へと向かい、相変わらず人通りが少ない金栗通りを歩いて目的地に到着する。

網だくじ町は名前のとうり道が奇妙な角度で曲がっていたり袋小路の裏道が多い場所だ。昨日は帰り道も下町内を通らず借り宿が在る海岸線近くの船場通りへと戻ったが、日が明るいうちに歩いてみると昔の面影を残す街並みだと理解できた。

過激座の看板を見上げながら懐中時計を確認し、現在時刻が午後二時を過ぎる前の三分前だと知った。借り宿を出発してから一時間ほど経過した計算結果が出し、そのまま施設関係者用の東入り口から三階建ての木造建屋内に入る。

「おーい 誰か茶を持って来てくれ あと焼き菓子の包みも頼む」

管理人スーランの声が奥の通路から聞こえてきたが、俺は何も言わず擦り玄関扉を引いて閉めた。

硝子板を縦長の枠に填めた玄関扉を閉めた事で空気の流れが止む。俺は脱いだ靴を靴棚の上に置き、隣の廊下側に在る厚紙箱から緑色の廊下用履物を手に取った。

(確か今日は公演の準備が有るとかで舞台関係者が来ている筈だ。顔合わせや挨拶なんて面倒な事は管理人にでも任せて雑務に専念しよう。)

中敷に厚紙を入れた緑の履物表面には(ひび)の様な(しわ)が入っていて、何十年もの年期を感じる。俺は履物を廊下に落として緑の靴下を履いた足の爪先を履物に入れると、早歩きで廊下奥へ進んで行く。

俺の仕事はこの過激座での雑務。建物内の掃除だけでなく管理人を中心とする関係者の衣類を洗ったり、食事の調理を手伝う事だ。依頼仕事なので期間は定めてなく、基本的に報酬も日払いなので毎日私用人の真似事をする必要は無い。しかし雑務依頼を引き受けているのは俺だけなので、ほぼ毎日掃除と洗濯を続けないと依頼処理が困難になるだろう。

「過激座の家事手伝いに来たぞ管理人 掃除するから窓を開けて置けよ」

俺は炊事場と共に建物裏側に面する畳が敷かれた広い居間に入り、やや薄暗い室内で古い箱型の映像窓で映像放送を見ている管理人の後ろ姿を確認。時事番組を食い入る様に見詰めているスーランを無視して、

映像窓が置いて有る西側と反対側の東壁際に在る木製の掃除用具入れの扉を開けた。

(さっさと掃き掃除を終わらせて便所掃除をしないとスーランの夕飯が遅れてしまう。今日は舞台の掃除と機材の乾拭きを終わらせる予定だから、帰りは夜になるな。)

俺は掃除用具入れから箒と布箒と塵取りの三つを取り出してから扉を閉め、掃除道具を畳みの上に置いてから縁側の窓を開け始める。

縁側の外に在る裏庭の周囲は他の建物に囲まれている。正午をすぎてからまだ二時間しか経過してないので裏庭は昼間と変わらない明るさだが、あと一二時間も経てば夕暮れ前の様に暗くなるだろう。

(日照時間が少ないから土が湿って苔が生え放題だ。花壇辺りの雑草も抜かないと駄目なのか? まぁ今は後回しにして掃除を終わらせないと。)

四つの並行窓を開けて換気を行いつつ、俺は箒と乾いた布箒で畳みの上に溜まった埃等の異物を部屋から除去し始めた。

「ご覧ください これは・・・現在・・・元探索街が在った天空樹の・・・・」

両手と両脇で保持した箒と布箒で畳み上を掃いていると、耳に久しぶり聞いた懐かしい名前が聞こえて来た。俺は作業を続けながら顔の向きだけ変えて、赤い箱型映像窓に映った映像と音声を確認する。

「我々は天空樹に住んでいた集合意識体。現在の古代史において亡者の民と呼ばれ絶滅したと認識された種族の生き残りだ 我々はこの生まれ変わった天空樹に住む正統な種族であり 星暦一万年以上の歴史を経験した・・・・・」

俺は箒と布箒を持ったまま座布団に座る角刈り頭の管理人の後ろに立ち、管理人のスーランと共に時折乱れる映像放送を見続ける。

「我々は古くからこの地を安息の地として根ずき暮らしてきた 浄化都市ソセージが廃墟と化してからも天空樹を支え続けていたが 古き天空樹が寿命を迎えた際に大地へと帰り咲くと決めた 我々は天空樹の再生を望んでいる 故に頂の花園に辿り着いた者達と同様 我々は復興の手助けを提供する意思と能力が有る」

国営放送の電波回線で流されている映像には、二年以上前に虚構世界で遭遇した蟲の王の姿が映っている。姿形はあの時と何等変わってないが、本物の肉体として闇虫の様な姿で登場していた。

(蟲の王が現れたと言う事は、ジャッカスと調査隊が天空樹の頂上に辿り着いてしまったのか。俺が予想したより二年も早い登頂だな。しかし天空樹の変異化が完全に終わってない今、地上に蟲の王が降りて来る理由は無い筈。天空樹に関わる気は無いと言え、少し気になるな。)

俺は録画された映像が終了した時点で掃除を再開し、番組司会者による撮影現場を含めた補足説明を聞きながら居間の掃除を終わらせようとした。

「ようやく事件の混乱が治まりつつあるこの時期に新発見か 学者連中からして見れば大騒動の連続だから仕事が出来て嬉しいだろうな (うち)も何か新しい事を始めてみるべきかもな」

スーランは背筋を伸ばし頭上へ腕を伸ばしながら盛大に息を吐いた。そして映像窓の電源を切り座布団を手に持ち立ち上がる。

「おう仕事熱心だな 前の奴はサボり過ぎて手が回らなくなったから辞めてったが あまり無理するのも駄目だぞ わしみたいに休みながら暇を潰す感覚で気長にやればええ」

右手で首裏を掻き眠そうに欠伸を吐いた管理人。そのまま座布団を壁際に座布団置き場に重ねて置くと、舞台用の台本を持って居間から出て行った。

俺は塵取り箱で管理人だ出したと思われる焼き菓子の粉や破片を回収。部屋内のゴミ箱に塵取り箱の中身を捨ててから、今度は廊下を挟んだ向かい部屋の寝室へと移動する。

(カビ)と埃臭い 洗濯屋に布団を持って行かないと備品の布団にダニが湧きそうだ」

俺は掃除を一時中断。まだ日光が裏庭に注いでいる内に布団を日干ししようと物干し竿を炊事場内隣の倉庫から引っ張り出し、寝室に敷かれた敷布団と掛け布団を両肩に担いで裏庭に出た。

箒の柄で布団を叩くと大量の付着物が舞い上がり、眩しく強い刺激を齎す太陽光によって一部が空気ごと空へ上昇して行く。俺は布団と綿枕の両面を箒で叩いてから屋内に戻り、溜まっている埃や汚れを回収する作業を再開する。


映像窓。市営や国営の電波放送や商業放送を映す映像装置。一般的な物は箱型で大きな凸レンズ状の画面に映像を映し出す形式だが、受信帯により専用の受信機が必要なのでこれ一つでは機能しない。

昔は放送局や電波枠が多く色々な番組が放送されていたが、世界窓信や携帯式魔導及び通信端末の普及による視聴者の激減で放送会社が倒産。操作用の専用端末での操作が必要無くなるほど番組数が減った現在は、天気予報や交通機関情報と時事番組しか受信しない簡易型が普及している。

それでもゼノンの各都市部は世界最高水準の電気機器が普及しているので大衆向けの製品と認知されている。しかし世界に目を向けると、俺が育ったセフィロトの田舎町の様に映像窓や世界窓信端末が普及してない地域の方が多い。未だに古い魔導通信端末や魔導通信器で代替している地域も有る。


過激座で予定していた次回公演の予定と役合わせが別の場所で行われると決まって、管理人のスーランは公演関係者と共に外出してしまった。俺は無人になった施設内の掃除を終わらせる為に作業の優先順を変更。水洗式の堀型便所の掃除を先に終わらせてから二回と三階の廊下を掃き、劇座内の舞台と機材が置いて有る周辺を覗いた板張りの床を雑巾掛けした。

掃き掃除の後は二つの道具部屋と物置を整理整頓し、炊事場の裏側に在る都市ガス配管に巣くった蜘蛛の巣を除去。玄関先を掃き忘れていた事を思い出し靴棚と下に溜まった土埃を外に出してから、客用玄関内と舞台客席周辺に置いてある鉢植えを外に出して水を注いだ。

炊事作業に取り掛かれたのは午後四時二十分過ぎ頃だった。管理人か他の劇座関係者が買って来た野菜類と肉類を使い、大型冷蔵庫に張られている料理を要望に近ずけて調理。完成した野菜炒めと汁物を冷蔵庫に入れて炊事作業の大半を終わらせた。

午後五時過ぎに俺は自分の分の夕食を作る作業を始めた。冷蔵庫の中に有る食材から余り物を選び、調理後で油が残っている平鍋に幾つかの材料を入れて熱し続ける。十数分も加熱すれば十分なので火を止めると、皿を使わず平鍋で熱くなった野菜や肉を長箸でつまんで口に入れた。

俺が食事を済ませた頃に関係者用の東玄関の扉が開き、管理人を含めた舞台関係者が戻って来た。十人近い集団は公演関係の話をしながら廊下を通り劇座内に入った。俺は調理器具を洗い終えると干していた布団を回収してから、開けていた窓を閉める為に建物一階から三階までを歩いて移動した。

依頼された本日の雑務作業を終わらせた俺は、何故か劇座内の舞台前に一列だけ在る客席に座っていた管理人のスーランに報告を行った。そして報酬の賃金を請求すると、どう言う訳かスーランは金ではなく一週間分の浮遊島乗船切符を俺に手渡しやがった。

「何だこれは 報酬を出せ報酬を」

俺には少し酒臭い年寄りの冗談は通じない。こういったやり取りに時間を割く気は無いので、今後の為にも冷徹かつ毅然と振る舞わなければならない。

「それが報酬だぞ 金額換算で七百Gだから一日分の報酬額より少し多いくらいだ お前はまだ未成年だから一人で探索は出来んだろうから 探索する時は内の役者や芸人にでも頼むといい」

スーランの真意はこの切符を使って浮遊島に行き、虚構世界で換金できる消費財の材料を採取して沢山稼いで来いと言う事だろう。年寄りが未成年にお小遣いや施しを恵むのは何も不自然ではないが、生憎と俺は虚構世界に入る事ができない体の持ち主だ。

「親切心が有るなら金を出してくれ こう見えても俺は天空樹大異変の時まで蜜の花虚構世界で探索活動を行っていた元探索者だ 事件時虚構世界に居たらしいが何も覚えてない 転送時に記憶を奪われ廃人に成り下がる状態だったらしいから もう二度と虚構世界に入る意思はないし後遺症で苦しむ思いもしたくない」

俺は撮影機の転写体(フィルム)の様な乗船切符をスーランの目の前に突き出し、有無を言わさず引き取らせた。本音を言うと俺は既に期限指定された安い切符束を二週間分だけ購入していた。今更一週間分の乗船切符を渡されても使うのは二週間後なので、貴重な一日分の金と比べるとどうしても見劣りしてしまう。

「そんな事情があったのか 元気そうに見えるがあの事件から二年も経ってるのにまだ怖いのか もしかしてお前 体が魔素切れのまま元に戻らない重度の消失後遺症患者か」

少し前まで流行した流行語の様な病名を聞き、俺は首を横に振って違うと返答した。相手が白髪角刈りの浮浪服(アロハシャツ)を着た老人と言えど、此処の管理人に怪しまれるのは避けねばならない。

「俺は目覚めた時の事も覚えてない 幸運だったのは名も判らないまま引き取られ古都ベルスに運ばれた事だ もし幸運によって死から免れた経験が有る奴なら俺の気持ちも解るだろう とりあえず同情は要らないから適切な報酬を払うんだ」

俺はスーランのポケットに入っていた硬貨を受け取り、そのまま劇座から出て炊事場横の倉庫内に置いた背嚢袋を取りに戻った。本日の報酬は最初に渡された切符と同じ額で、幾つかの硬貨を背嚢服から取り出した財布に入れてから関係者用の狭い東玄関に向かった。

玄関前の廊下で現在の時刻が気になり俺は懐中時計を確認。時刻は午後五時二十三分で昨日よりは早く終わったが、これで午後に予定していた適格者の追跡調査は諦めるしかない。

(依頼作業だから仕方ない。今日は予定を変えて浮遊島調査を行おう。)

玄関に辿り着いた俺は履物を脱ぎ、重ねた履物を厚紙箱の中に入れてから自分の靴を左手で掴んで足場に降ろした。

「イクサム君は居るか 話が有るからちょっと待ってくれ」

玄関先の段差に越し掛け靴を履こうとしていた時に名前を呼ばれ振り返る。声は関係者用の道具部屋へ続く奥側通路ではない横通路から聞こえたので、俺は一体誰が来るのだろうと考えつつ旅行者用革靴をはき終える。

「呼び止めてすまない まだ居てくれて助かったよ 君にはこの小包を学園都市内の第三高等学校機械工学科に運んでもらいたい その工学科にはうちの大道具係を手伝ってくれているアカネ・ミクジラと言う一年生の女子生徒が在籍していてね 今は私達が依頼した菓子製造機の製作で学校に寝泊りしているんだ 依頼料を先に払うから今日中に出切るだけ早く小包を学校内の事務所に届けて欲しい 引き受けてくれるかな」

そう言い俺に依頼を出したのは名前を知らない初対面の男だった。眼鏡を掛け黒系緑茶色の髪が特徴で歳は三十代前後だろう。背は俺より高く海坊主級の背丈だが、会社員か文系教師の様な細い両腕で木箱を掴み俺に差し出そうとしている。

「此処の管理人より気前が良いな いいだろうこの依頼を引き受ける」

俺は骨董品が入っていそうな十数センチ四方の木箱を快く受け取り、箱の上に置いてあった地図と一枚千G紙幣一枚を懐に入れた。

「第三高等学園の機械工学科のアカネ・ミクジラ 確かに承ったぞ」

俺は予定していた浮遊島探検予定を一時間程後回しにすると決め、紫色の紐で十字に結ばれた木箱を抱えて過激座から出た。そのまま迷う事無く金栗通りを西に進み、最も近い都市内便の停留所を目指す。

【たった千Gでは都市便の搭乗代金だけで報酬が四割も減ってしまいます。せめて運賃分の代金を貰わないと割に合わないと思いますが。】

ユイヅキの言う分はとても正しい。予想される運賃から報酬から差し引けば手取りは六百Gしか残らない。

(依頼稼業をする場合は一番最初にある程度の信頼関係を築くのが重要なんだ。特に地方だと雑務や小間遣いで稼ぐのに人との面識が必要な場面が有る。まだ都市生活に馴染めた訳じゃないが機会を窺っているだけじゃ解決には成らない。)

俺はユイヅキと脳内で会話を続けながら網だくじ町を走り、斜めに傾斜した曲がり角や階段を通って町の東端に面した大通りの幹線道路へと抜け出た。

走ったとは言え網だくじ町から出るのに十分近い時間を要してしまった。ユイヅキにはこの辺りの停留所の運行表を記録させてあるので、都市内を回る箱型の中型動力車が到着する時間までに停留所へ辿り着けるはず。

幹線道路には街路樹の殻豆の木が車道と歩道の境目に等間隔で植えられある。道が四車線の幹線道路なので都市内便の停留所だけ歩道と一体化している。俺は南方向二百メートル未満の距離に在る網だくじ街停留所へと走り、背後から接近して来た中型動力車の減速排気音を聞きながら残った距離を箱を抱え疾走した。


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