一話「目覚めし者」
アヴァロンと呼ばれるこの世界では、「魔法」と呼ばれる謎の現象が存在している。作用や性質が解っても原理は謎とされ、長い間その牙城に挑む研究者達をことごとく跳ね返してきた。
魔法は世界中で存在しているが大半は道具として認識されており、真にその力を体験するには「魔法迷宮」と呼ばれる領域に入らなければいけない。何故ならその領域が魔法世界の中心なのだから。
何時からか「探索者」と呼ばれる職業が存在し、魔法迷宮で得た素材や道具を持ち帰る者達が居る。迷宮の玄関口に築いた探索街に住み着き商人や各種職人に戦利品を売り捌く市場、別命「売り手市場」は最早当たり前の如く世界に魔法を供給し続ける。
魔法が在るなら当然「神」も居る。個人や偶像を祀り上げるのではなく、魔法迷宮自体を神とその使いと認識してきた。長すぎる魔法の歴史の重荷に耐えれず、「始まりの魔法」とその時代を示す証拠は失われてしまった。それでも人々は「神の遺産」と伝わる巨大構造体(生物)を崇め続けるだろう。
とある魔法迷宮へ続く近辺の街道で、創られし死神の鎌が目を覚ます。道端で目を擦り、宝物を収穫する次の担い手は幼さが残る少年だ。
「此処は。僕は?」
火が入ったばかりの釜戸に記憶の燃料が燃え上がる。拡大する勢いは納まらず、黒髪の少年は草原を漠然と見ながら立ち尽くす。
「ああ、そうだった。」
釜戸の炎に炙られる記録の塊が溶け出し、断片的な情報で人格が形成される。
「こんな場所で寝ちゃったのか。無用心すぎたな、次から気をつけよう。」
少年は短い頭髪を右手で掻きながら、街道の先に存在する巨大な樹を眺める。自身に纏わり付く草や土と同じ様に、巨大樹の周りに浮かぶ雲の塊が気流に流される光景を目に焼き付けた。
少年の目的地であり魔法迷宮の一つ「天空樹」。文字どおり雲海を貫き天で頂く広葉樹は、本に記載された絵と同じだ。今にも歩きそうな巨大樹は、此処からでも判る巨大な根をしならせて大地に君臨していた。
「ああ、孤児院のみんな。不肖エグザムはようやく到着したよ。」
全て虚構の記憶だと知る筈もない若い鎌。死神の名には程遠い風格が、空と同じ青さを茶色の瞳に映らせる。だが伝説への可能性は確かに今、芽を開いた。後は待ち続けるとしよう。
アヴァロン。五つの国と二つの大陸に存在する世界及び、「天空樹」「浮遊島」「大墳墓」「迷宮都市」「巨神」の五大迷宮が創った文明の総称。
対応に来た制服の受付嬢から一枚の用紙を受け取ったエグザム。受付台に置かれた万年筆を手に取った。
「新規加入申請書に記載された情報をお願いします。」
古紙を再利用した茶色い紙に個人情報を書き込むエグザム。料金を添えて、十四歳の人間が冒険と秘術を求め最初の迷宮に挑む旨を書いた。
「発行の作業を始めるので、しばらく時間が掛かります。」
別の探索組合員は自慢の髭を弄りながら、魔法印の筆で金属板に文字を書き込んでいる。専用のゴーグルを着用し、青い光を放つ受付の奥の作業台を観察するエグザム。宿と変わらない組合の各種手続き所は、なんと街の関所の横に在った。
「税関は反対側ですよ。」
大きな背嚢を背負った商人風の男と受付嬢の遣り取りを観察しながら、エグザムは身分証明を兼ねた探索標が出来上がるのを待つ。探索者より商人や職人を良く見かける事から、話に聞く盛況振りを垣間見た。
「エグザム様。新規探索標が出来ました。」
名を呼ばれるより早く受付に現れた新人に驚きつつ、受付嬢は銅色の小さな金属板を手渡した。これで彼女は一日に数度しかない業務を消化したのだ。
探索者。迷宮で魔法を収集する事を稼業とする者達。古の時代に迷宮を探検した英雄達を崇め、偉業を標傍する者達。戦いを専門にこなす傭兵でもあり、多くの依頼を受ける仕事人でもある。
実力さえあれば一代でも大金持ちに成れる事から憧れる者が多い。ただし現実は非常である。
迷宮で使用する装備の全ては、迷宮で採れた物を使用しなければいけない。つまり持ち込めるものは肉体と衣服のみ。魔法を得るには「魔法の輪」に潜る必要があった。
「聞いたか、鷹の団が螺旋道で消失したらしいぞ。」
巨大な根を壁として仕切られた公園で、同じく根を背後にベンチに座るエグザム。老いた者達の世間話に聞き耳を立てながら街の空気を吸っていた。
「期待していたのに消失かぁ、最近贄に成る奴が多いな。」
三人の話を纏めると、有名な「探索団」の一つが迷宮に飲み込まれたらしく。多くの商工関係者が頭を悩ませる事態に発展するらしい。
「そうだ生贄にされたのじゃ。ここ数年豊作続きじゃから神の身元に呼ばれたのじゃて。」
年長者と見られる入れ歯の老婆が神の御技とやらを力説する。話を聞く老人とエグザムは入れ歯が飛び出さないか心配した。
(生贄の話はあれだな。確か迷宮を生物を仮定した話に出てきたっけ。)
昔の錬金術士の一人が、同学会で魔法迷宮に対する持論を発表し話題に成った出来事が有った。その様にエグザムの記憶野に記録してある。
(結局その話はあの私小説に変わったと聞いたけど、深く考えた事はないな。)
エグザムは「秘境の死神伝説」と呼ばれる全年齢向けの大衆小説を思い出す。呼んで印象に残った年上の主人公の葛藤ばかりが思い出された。
魔法の輪。人間より少し大きな暗黒の鏡。虚像を写さないその先は迷宮へ繋がっている。全ての迷宮共通の入り口であり出口でもある。
魔法迷宮への道は多く有り、器の迷宮や近辺に無数の輪が開いている。「迷宮世界」の範囲を示していると噂されているが、真偽は定かでない。
まるで知性体のみを通す事を目的にしたこれ等の穴は、これからも糧と成る存在を誘い続ける。
エグザムは初心者感丸出しの及び腰で魔法の輪に手を伸ばす。同業者が居なくなるまでベンチで熟睡した結果、深夜の公園に人影すら見当たらない。
「あ、遺書を書くのを忘れた。」
まぁいいかと言わんばかりに覚悟を決め、暗黒の中へ飛び込むエグザム。暗黒の鏡は大きく波打ち、エグザムを虚構の海に取り込んだ。