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サクラシス

作者: 多奈部ラヴィル

何者かであるっていう妹へのコンプレックス。

けれど一瞬何者かになれたというのは夜に見た白昼夢。

けれど生きていかなければならない。

恋愛によって世界に色があると知る。

空は今にも泣き出しそうだ。それなのに泣くことができないみたいだ。それっていうのはわたしにもよくわかる。

 わたしの部屋は半年前にリフォームされた。八畳だった部屋は十畳に広くなり、出窓のガラスはステンドグラスだ。壁一面がクローゼットになっている。カーテンは重く厚いグレーの無地のカーテンでこれはオーダーメイドだった。母親はわたしの希望を最大限聞き入れてくれて、そんな部屋になった。ベッドはそう高級品っていうわけでもないのだろうが、ヤシの木で編まれたマットレスだ。そしてガラス製のデスクがあって、その上にパソコンが置かれている。

 トイレから出て、玄関の上りかまち、リビングに通じるドアがある場所で、話す母親の声を聞いた。

「だって、お父さん、あの子が家を出れるわけないでしょう? もう四回入院しているのよ。小説家だってなんだか言ってるけど、それが実現されるわけでもないじゃない」

わたしは階段を上がり、自分の部屋に戻って、出窓のステンドグラスを眺めていたら、やっと心がきしんだ。

 別にそんな夜に限ってっていうわけじゃない。そういうこととは全く無関係だ。ただわたしはそんな空を見ながら共鳴するのだ。泣きたいのに泣くことができない。それは私の場合、ヤシの木のベッドの上で起きる。薬も飲み、かすかな眠気を捕まえることができたのに、頭のどこかが冷え切って、どうしても眠れないときなどにだ。そんな時、わたしは涙をこぼせるわけじゃないけれど、泣きまねをする。赤ん坊の泣き声を模写する。一回その赤ん坊の摸写を止めて、デスクで煙草を吸う。そしてベッドに戻り赤ん坊の泣き声を模写して泣く。涙が出るっていうわけじゃない。そうしてやっと眠りにつく。

 

 今、わたしは「ゆめみ野」という場所にいる。わたしは都内の登録派遣会社に登録していて、わたしの住所は草加市なのだが、事務所の関さんは埼玉の地理関係に疎いらしい。草加から片道二時間かかる、ゆめみ野にワインのデモンストレーターとして行くよう、仕事が来た。「ゆめみ野」という地名も初めて聞いたし、ワインだってほとんど飲んだことがない。それでもわたしは仕事を引き受けてしまった。今は師走でそのバイトの日はクリスマスの三日前からクリスマスまでの仕事だ。わたしにはクリスマスに、セブンイレブンで予約するホールのケーキをむっつりと黙って、コタツで母と父と食べるくらいしか用事がない。クリスマスのショッピングモールを歩いてみるのもいいかな? と思えたし、長い間電車に乗っているっていうことも好きだった。電車っていうのは妙に律儀で正確だ。その確かさが、乗降客に無意識を与える。わたしにとってその確かさっていうのは、無意識の領域から少し頭を出していて、それをわたしは心のどこかで知っていて、わたしを安心させる。コートを脱いでしまいたいような、マフラーをほどいてしまいたいような、そんな適度な暖かさもわたしを安心させる。そうやって電車にゆられて、ボンヤリと何も考えていないような、それとも何かを高速で考えているような気もしながら、ゆめみ野についた。

今日一日で仕事を干され、その帰り、その近くの公園でブランコに乗りながらタバコを吸い、空を眺めているわけだ。大きな月の下を右から左へまっすぐに、銀河鉄道999が通っていく。それはちょっとひらめいた想像なのだが、わたしは本当に時折銀河鉄道999の音は聞くことがある。それは冬、気温が低い夜遅く。それ限定の状況でだ。そしてそれには絶対に老犬チロが必要だ。わたしは老犬チロの上にまたがって、イエスのごとく町民にむち打ちの旅に出ると言いたいところだが、残念ながら老犬チロはわたしを乗せて走るなんて芸当はできないらしい。そしてムチも特には持たないわたしだ。

 チロと少し大きな公園まで夜十時過ぎに散歩へ出かける。わたしはブランコに乗って大きく漕ぐ。老いぼれた老犬だからか、それとも老犬ゆえの知恵からなのか、わたしの漕ぐブランコのゆれるすぐそばまでチロは寄ってくるのにチロはブランコにぶつかった子音などない。けれどわたしは、

「チロ、危ないってば」

と声をかけてしまう。チロは動かない。そしてふとチロが耳をぴんっと立てる。わたしはブランコを漕ぐのをやめて、セブンスターに火をつける。すると聞こえるのだ。銀河鉄道999の通る音。どうやら冬の気温の低さは、空気を結晶させ沈殿させる効果を持っているようで、あたりは静まりかえる。そして聞こえる。銀河鉄道999の通る音。この近くには駅も線路もない。だからそれは必ず銀河鉄道999の通る音なのだ。それは目には見えない。月の下を右から左へ通っていくのが見えるわけでもない。多分わたしには見えないほど空高く銀河鉄道999は通っている。そう、冬、夜、チロ、ブランコとタバコ、これらが揃わないと聞えない。だから聞いたことのある人は人はそうはいないのだ。そしてそれはわたしのチロと結託した秘密でもあった。

  

 ワインのことなど何も知らないのだ。知っていることは赤はお肉、白はお魚。それだけだ。それなのに黒いニットに白いエプロンをつけ三角巾を頭に巻いているわたしに、客は、無理難題を言うのだ。きのこのソテーには? きのこ。きのこは肉でも魚でもないな。

「それならば白のこちらのワインがピッタリだと思いますよ」

そう答える。適当である。そしてそういったやり取りを重ねるうちにわかってきたことがあった。それは客だってワインにはほとんど無知だっていうことだ。無知ではない客は三角巾をかぶったわたしなどに相談せず、自分でワインを決める。わたしは客のダウンやコート、靴やブーツなどを見て、勧めるワインの値段を考慮した。そしてそれはそう間違ってもいなかった。

 わたしは大学を中退して入院となった。そして正社員としての職歴など持っていないし、たまにバイトをするだけだった。少ししか眼前に広がっていない社会性。それによってたくさんの恥もかいてきた。そしてその恥を恥だと赤くなる時期はとうに過ぎて、今は何も思わなくなった。リフォームされた部屋に閉じこもり、コーヒーとタバコを吸うことができればそれでいいと思う。バイトだって気まぐれだった。わたしはこのリフォームされた部屋で、ベランダに撒いたフランスパンのカケラを食べに訪れるスズメを見ながらこれからも生活していくのだろう。そしてきっと何も変わらないのだろう。出ていこうとすれば

「挨拶もろくにできないのか」

と言われてあしらわれるだけなのだ。以前、工場でビニールのつるつるした袋に小学生向けの雑誌の付録のシールを入れていくだけのバイトをしたことがある。今だにわからない。なぜ、あのとき工場長は

「お前はハクチか?」

と言って昼休憩にわたしを呼びだし、わたしのカードに午前の時間を記入し、ハンコを押して、帰るよう命じたのか。けれど心には何の傷も受けなかった。その頃のわたしが顔も心もプラスチックでできているみたいだったからかもしれない。顔は笑えばプラスチックに亀裂が入った。わたしは笑わなかった。わたしはもしかしたら全身がプラスチックの青とグレーの混じった入れ物のようなものだったかもしれない。その中には涙一粒だってなかった。空っぽだった。


 休憩時間は一時間だ。とりあえずロッカールームに戻り、エプロンと三角巾を畳んでロッカーに入れ、コートとマフラーをとってきた。そして喫煙スペースに向かう。三角巾をつけたままの叔母さん連中が、明後日と、当日だね、絶対ローストビーフは出るよ、などと話しながらタバコを吸っている。なぜかそのおばさんたちはとても意地悪そうに見える。どうしてなのかはわからない。タバコを吸っているからだろうか? それともフェースラインにたるみがあるからだろうか? それとも三角巾をつけながらタバコを吸い、フェースラインにたるみがあるおばさんは「意地悪である」という世界共通の認識があって、その認識からわたしだって逃れられないっていうわけなのだろうか? 

 わたしは外に出た。ブラウンのダッフルコートを着て、グレーのニットのマフラーを固く首に巻く。これらは今、漫画家として成功している妹からお古でもらったものだ。そのダッフルコートもマフラーも、とてもセンスがいいし、上質だ。それらを身に着けていた妹に

「それ、いいね。コートもマフラーも」

と褒めたら、くれた。なぜかそれを見ていた父が苦々しい顔をしていたのを覚えている。けれど妹はとてもセンスがよくてとても上質な服をいつも着ている。高校の時の同級生に呼ばれた結婚式にも妹のワンピースを借りた。水色のIラインのワンピースでラグジュアリー過ぎないシンプルなものだった。そして上質で布は形が崩れないようにか、固さがあった。それは夏に行われた結婚式で、はじめ、妹は薄いピンクのノースリーブのワンぴーすをクローゼットから持ってきた。それを見たお父さんが、

「長袖にすろ」

とお父さん自身が気づいていない、東北弁を交ていって言った。

 このコートとマフラーを身につけると、なぜか自信が湧いてくる。まるでよくは知らない名刺交換のマナーなのに、名刺交換を今まで何度でも繰り返してきたっていうみたいに。このショッピングモールの二階から外に出ると、歩道橋に通じていて、その歩道橋の真ん中に、大きな広場があって、電飾もつけられている今の季節、歩行者も多く、ストリートミュージシャンが様々、ギターを弾いたり歌ったりしているのだ。けれど大抵のストリートミュージシャンはカバーばかりだった。わたしはホットの缶コーヒーを買って、手袋をポケットにしまって飲んでいた。そういえば、お母さんは

「そのコート、あんたには大きすぎるわよ。肩が落ちてるわよ」

と言っていた。けれどそんなことはわたしは気にしなかった。妹がそのコートを着ている残像が脳裏に浮かんだだけだった。手袋を脱いだ手で、コートの表面をなでてみる。とても気持ちのいい触り心地だ。その確かさを感じてわたしは、その広場をゆっくりと歩いた。二周した。広場の端の方に、十代か二十代前半の少年の二人組がいた。二人ともギターを弾きながら歌っている。

「それ、オリジナル?」

「そうです」

「なんだか素敵な曲ね、けれどちょっと聞きたいわ。ねえ、弦を押さえるとき、力を入れてる?」

「俺は入れてないです」

「俺はまだ、ちょっと力入れちゃいますね」

「わたしね、都内はほとんど、埼玉もね、都心近くはだいたい見てきたけどね」

「そうですか」

「うん。うまいなっていう子はいるのね。でもわたしたちが探したいのは、原石ってやつ」

「スカウトマンさんなんですか?」

「単純に言えばそういうこと」

「どこですか?」

「パイナップルレコード。知ってるかな?」

「いや、僕は知らないです」

「僕も。すみません」

「謝ることなんてないわ。でもギターなんてスタジオにこもればすぐに上達するし、曲作りに関してはいろいろわたしたちからもアドバイスできるって思うし」

「もしかしたら俺たちスカウトされてるんですか?」

「その候補っていう感じかな? 正確に言えば」

「ありがとうございます!」

だいたいが二人組のうちの癖っ毛の少年が先だって話した。髪の毛が緑色の少年は、次にっていう感じで話す。

「大学生なのかな?」

「違います。俺たち大学に進学しないで、プロミュージシャンを目指してて」

「そうなんだ。じゃあ、君たちの連絡先を教えてもらえるかな? でもね、これ会社の携帯でね、わたし操作方法がわからないの。君たちわかる?」

「ちょっと貸してください」

今度は髪の毛が緑の方がそう言って、携帯をいじっている。この携帯はわたしのものじゃない。もちろん会社の物でもない。母のものだ。わたしは携帯を持っていない。だから操作方法もまったくわからないのだ。できることはそらで覚えている電話番号を直接入力して電話をかけるとか、電話がかかってきたら出るとか、それだけだ。

 携帯を返されそれをコートのポケットに入れる。

「ところで君たち何才なの?」

「俺は二十一です」

「俺は二十歳です」

そういう彼らに、

「多分いい知らせをすることができると思うわ。なんでもない人間が、なにかになるって本当に大変なことよ。それは多分ものすごい努力が必要なんだって思う。そしてそんな幸運なチャンス。それも必要だわ。わたしがね、スカウトした子って必ず当たる。そういうスカウトマンになるまでは本当に大変だったな」

「がんばりますのでよろしくお願いします!」

「がんばります!」

わたしはこの少年らと、クモの糸のようなちぎれやすい糸でつながったような気がした。クモの糸を食べたことがないわたしだが、きっと甘いのだろう。そしてそのクモの糸は、ねじれていたからなおさらその「つながり」は淡かった。ルイヴィトンの大量に市場に出回る贋物。そうそれは大量だった。ありふれたことで、ありふれたつながりで、ありふれた出来事だった。

「これ、捨てる場所どこかな?」

わたしは空の缶コーヒーの缶を振ってみせた。

「僕が捨てときます」

髪が緑色の少年が缶をつかんだ。奪い取るみたいだった。


 わたしはショッピングモールに戻った。あと休憩時間は三十分ある。なぜか何を食べようとも思わなかった。そういえば妹の住む吉祥寺にはおいしいパン屋さんがあるってテレビでやっていて、テレビで紹介されていたパンは本当においしそうに見えた。その時感じた食欲は、今はない。

 ショッピングモール内をぶらぶら歩く。バッグの店があって入ってみたら、ポーチがいくつも売られていた。その中の緑色の地にピンクのバラの絵が描かれたポーチがあった。ベッツィージョンソン。わたしはそのポーチを欲しがっていた。値段は五千二百円。まずまずだ。わたしが持ち歩くメイク道具がぴったりと収まりそうだった。中を開けてみると、内側はサーモンピンクの裏地がはられ、ポケットが三つついている。どうやらわたしはこのポーチが欲しいらしいが、その反対のベクトルがその思いを引っ張っている。多分妹は買わないだろう。センスがよくて、いつも上質な服を好んで着る妹は。緑にピンクのバラ柄。そんなポーチは妹は欲しくない。ベッツィージョンソン。それを妹は欲しがらない。     

休憩時間ぎりぎりまわたしはポーチを見ていた。店員が近づいてきて、

「これ、すっごくかわいいですよね」

と声をかけた。そしてその店員を見ると、オフショルダーの白いニットとダメージデニムのミニスカート、黒いタイツ、頭は頭上でお団子にしていた。やっぱりやめておこうか。そう考えてしまう。彼女は妹のような格好をしていなくて、このポーチを「これ、すっごくかわいいですよね」と褒めた。わたしもそう思うの。かわいいって思うの。でもね、妹はね、それをきっとほしがらないの。

「わたしはこの街にスカウトにやってきたの。そのついでのショッピングっていうわけ。明日も来る予定。ちょっと迷ってるの。このポーチ。いいとは思うんだけど、」

「なにか引っかかります?」

「こういうポーチを持つ人間っていうのは何でもない存在なのか、意味を持つ何者かなのか、今わたしにはわからなくって。明日までには決心できると思うけど」

「お取り置きいたしましょうか?」

「取り置きしていただくほど、決定されてるわけじゃない。わたしはね、本当にね、欲しいと思ってるんだけど」

彼女とのつながり。それはとても強固に思えた。明日の約束をしている。

 

 若いころ、ご飯を食べるみたいに読書をしてきた。読書にのめり込むあまり、夜中に冷えたさんまを食べる羽目になったこともある。お風呂では本は読まなかった。本の身を案じてっていうわけじゃなかった。考えることを休憩しようと、お風呂くらいはと思ったのだ。けれどいつもなにかを考えていた。いつも何かに追われていた。そして切羽詰まっていた。けれど今は追われてもいないし、切羽詰まってもいない。もしかしたら考えることすらできていないのかもしれない。ビニールの袋にシールを入れる仕事で「お前ハクチか?」と言われた。ハクチなのかもしれないと、今着ているコートとマフラーを外してしまったら、そう納得しそうな気がする。今、とりあえずわたしはスカウトマンだ。東京からわざわざやってきた。扱い方は今一歩わからないが、携帯だって持っている。そしてエプロンと三角巾をつければ、ワインのデモンストレーターだ。そうなるのが嫌だと思っているわけじゃない。パソコンのワードを開き、デスクの椅子に座り、ワンセンテンスめを考えている。ハクチだからなのか、それとも他の理由があるからなのか、どうしてもそのワンセンテンスが書けない。しばらくそうしてパソコンをにらみ、諦めてセブンスターに火をつけてフランスパンを食べるスズメや、昼間の太陽と夕方の太陽が、違った色に見せる、出窓のステンドグラスを眺めている。胸のうちにはある。小説家になりたいな。

 けれど徐々に諦めていかなくてはならないのだろう。先月、父と母とわたしで車で吉祥寺まで行った。コインパーキングに車を停めると、父が吉祥寺のコインパーキングってのは高いなあと大きな声で言って笑った。わたしたちが歩くその歩道は少し幅が狭かった。妹の指にはいつもプラチナのリングが光っている。ステーキを食べに行くことになって、先頭を妹夫婦が歩き、次を両親が歩き、その最後尾を私が一人きりで歩いていた。どうやら口々に何かをペアで話しながら歩いているようだったが、わたしに話を向けられるわけでもないし、わたしには聞き取れない。いつかわたしの隣を誰かが歩いてくれればいいなと思う。なにかしゃべりながら歩きたい。笑いながら歩きたい。なにか面白いことを言ってくれればいい。ふざけてくれればいい。

 忘れていた。わたしはあの部屋を一生出ないのだ。出なくていいのだ。安心していいのだ。その代わり、隣を歩く男性など現れない。帰省した妹夫婦が「お兄さん」と呼ぶ人なんて現れっこないのだ。そして感じる。戒律。わたしはあの部屋から出てはいけない。

 神に従順であるか抗弁するかは時と場合による。今のわたしは、そう、抗弁などせず、従順だ。さみしさは多分人を弱くする。弱くなってしまったわたしは抗弁せず従順であるということだ。

 

 そして今はスカウトマンではなく、ワインのデモンストレーターだ。コアジのマリネには? モンクレのダウンを着たご婦人に、高いスパークリングを勧める。

 少しワイン売り場を離れ、チーズ売り場に行く。そしてデモンストレーターの女の子から、一切れもらって食べ、これでワインが飲めれば最高なのにね、でもクリスマス当日までわたし仕事なんだ、と言って笑ってワイン売り場に戻る。


 少し考えてみればあのわたしがスカウトした、ギター少年二人組がここを通ってもおかしくないし、クリスマスイブに仲間と飲むワインを買いに来ることだっていくらでも考えられる。その想像で、凍てついた岩に裸で座るみたいなぞっとしない気分になることはなかった。それは少し胸が握りつぶされる様な苦しみをともなった想像で、それでいてさっき感じた少し甘いクモの糸ほどの感情だった。それに伴って、わたしは何かのハプニングを想像した。たとえばその少年二人がわたしを見つけたとき、空が落ちてきたみたいに店中の電気が消えてしまうとか、大きな地震に、すべて棚に置かれたワインが落ちてきて割れてしまって、アルコールの匂いが店内に立ち込めるとか、火事が起き、みなが先を争うように出口を出ようと必死になるあとをついていくとか。そういった偶発的な天災みたいなものは、おそらくあの少年二人組とわたしを平等にさせるだろう。その時、元スカウトマンで、今三角巾とエプロンをつけているわたしをその少年らはきっと笑わないだろう。倒れていたら起こそうとし、路頭に迷ってタバコが切れたら、その少年らいずれかがわたしにタバコを差し出すだろう。きっとそれはわたしがスカウトマンじゃなくってもだ。彼らは人間という自然の本質に従ってそうするのだ。人間は、人間というのは猿じゃない。人間は人間を助けようという本能を持っているのだ。そう、あのわたしをハクチと言った工場長だってすべからく。

 

 店の閉店は十一時だが、わたしの仕事の終了は九時だ。そろそろセッティングされたプラスチックのカップや布巾の置かれた赤いチェックのテーブルクロスをかけられたテーブルを片付けようと思っていたら、ブレザーに首元にチェックのリボンのタイ、ミニスカートっていう女子高生二人がやってきた。

「お姉さん、わたしたちもワインって飲んでみたいな」

「どういうワインが飲みやすいのかな?」

二人ともどうしてか歯並びがとてもよく、真っ白な歯だった。一人は真ん中の二本の歯が、ビーバーみたいでとてもかわいらしい。

「甘いのがいい? 始めてだったら甘いのかな?」

「うん、甘いのがいいかな」

わたしは小さなプラスチックのカップに結構好評な、甘い白ワインを二つ注いだ。

「あなたたちって、わたし二一才よ、って言って芸人とセックスして、のちに恐喝する類でしょう」

と言って笑ったら、

「やだー、そういうシモ」

と言って面白そうに笑っている。

わたしはそんな冗談のやり取りがとても楽しく感じられた。そして彼女らが生まれて初めて飲むワインをわたしが注ぐのなら、きっと彼女らの記憶にわたしは長くとどまるのではないかと思った。たとえば彼女らの片方が結婚してマイホームを建て、ホームパーティーを開き、白いワインを客にふるまうとき、わたしを思い出したりしないだろうか?

そんなことを考えながら、その白ワインをついだカップを二人に渡した。

 そのとき、大きな音がして、高く積み上げられていたチョコレートが倒れ、チョコレートを積んでいた店員が、脚立から一気に飛び降りてきて、わたしたちの元にまるで盗塁みたいに滑り込んできて、その女子高生たちからカップを奪った。キャーッと悲鳴を上げた、ビーバーの女子高生は慌ててカップを落とし、その履いていたスカートと床を汚した。なにもかも一瞬の出来事だったのかもしれない。けれどゆっくりとチョコレートは落ちていき、店員の盗塁も、落ちていく女子高生のワインのカップもとてもゆっくりだった。

「お前な、どう見ても未成年だろうが! 制服着てるだろうが!」

その女子高生は空気を読んだうえで面白がろうとしているのか、わたしをかばっているのか、

「おじさん、これコスプレよ」

「そうよ、クリスマス用のコスプレ。わたしたちデリヘルなの」

などと言って笑っている。

 わたしは布巾で女子高生のスカートを拭いたり、テーブルをかたずけようとしていたが、

「そのままでいい! なんだよお前。気持ちの悪いやつだな」

なぜ「気持ちの悪いやつ」だと言われたのかわからかった。その場ではわからなかった。けれど引きずられるように、事務所へ向かう最中、もしかしたらわたしが笑っていたからかもしれないと、やっと気がついた。そう、わたしは女子高生たちにワインを注ぐときも、猥雑な冗談を言ったときも、積み上げられたチョコレートが倒れてきたときも、店員が滑り込みセーフでわたしたちのところにやってきて、一瞬で女子高生らからワインのカップを奪った際も、その後もずっと、わたしは笑っていたのだ。ハクチ。

 向こうでは女子高生たちが、

「えー、つまんなあい」

「あのお姉さんかわいそう」

などときゃっきゃと騒いでいた。

 

 店長室に入った。店長は、

「簡潔に言う」

そう言って、湯呑をとってお茶を飲んだ。

「お前はもう帰れ。そして二度と来るな。明日も来なくていい。もちろん明後日もだ。そしてこれからお前の所属している派遣事務所にはうちはもう人を頼まない。お前もクビになるだろうな」

そしてメビウスに火をつけ、少し吸って灰皿に置き、またお茶をごくりと飲んで、

「だいたいお前なんなんだ? 三一にもなって家事手伝いじゃな。その顔とその年齢じゃ『恋のから騒ぎ』にだって出れねえよな」

と言った。わたしはそういえばなるほどと思った。このご面相と年齢、そして家事手伝い。確かに恋のから騒ぎに出ることはなさそうだ。

「お前、ほんとのこと言え。頭がおかしいんだろう?」 

店長に頭を下げて謝り、店長室を出ると、若い社員が立っていた。

「お前、すげえことしてくれたな」

そう言って顔を近づけて言う。

「おい、俺の後をついてこい、すぐにだ」

そう言ってその若い社員は走って裏の倉庫に行き、倉庫をどこまでも走る。私は追いかけるので手いっぱいで、ビールや、コーヒー、冷蔵庫、そんなものの在庫があることくらいしか、ほんのちょっとの情報しか得られない。その若い社員の走るスピードは早く、徐々にわたしがどこにいるのか、何のためにこうして走っているのか、なぜ茶色い段ボールたちはわたしの視界を早いスピードで過ぎていくのか徐々にわからなくなっていく。

「任天堂」と書かれている段ボールの陰にその若い社員は立ち止まり、わたしにグレーの冷たい壁を背に立たせた。そしてキスをされ、歯で鼻を噛まれ、着ていた黒いニットとユニクロのブラジャーを一気にたくしあげ、片方の胸を荒々しく扱われた。わたしはどうしてか抵抗しなかった。

「つまんねえ女。せめて『やめてください』くらい言えないのかよ」

と言ってその男は戻っていった。わたしは胸もあらわになったまま、その場でしゃがんだ。そのまま時間は過ぎていった。そして頭の中が変な気持ちでいっぱいになる。世間っていうのは、わたしが体験する世間っていうのは、そういうものだ。それは仕方がないもので、しょうがないと納得するしかないのだ。そう「しょうがない」と。

 寒さに突然気がついた。パートのおばさんに声をかけられたからだった。

「ごめんね、ごめんね、わたし見てたの。でもね、何も言えなかった。ほんとうにごめんね。あの人はね、すっごく怖い人。悪い人なの。だからあなたはもうここに来ちゃいけない。絶対に来てはいけない」

「おばさんはどこで働いてるの?」

「わたし? 中華のお惣菜」

「じゃあ、今度中華のお惣菜を買いにくるね」

「服直しなよ」

「あっ、そうだよね」

わたしは笑いながら服の乱れを直す。おばさんの手と膝はわたしに声をかけたときから今もずっと震えている。多分、そのおばさんの言う「すっごく怖い人。悪い人」は抵抗する女性を凌辱するという性癖を持った人なのだろう。わたしは震えることもなかったし、そう怖いとも思わなかった。世間とはそういうものなのだろうという感想を持っただけだった。そう、しょうがないと。

「おばさん、ごめん。わたしここがどこだかわからない。ロッカールームまで案内してくれないかな?」

「ごめんね。それもできない。あんたと一緒にいるところ見られたくない。わたしシングルマザーなんだよ。去年亭主と離婚してさ、なんだかよくわからないんだよ。同じ時期にお互いに、なんだか一緒にね、お互いを虫唾が走るほど嫌いになっちゃってさ。虫唾が走るっていっても病気ってわけじゃないから、離婚しない方が本当はよかったのかもしれない。中学生のトオルを家に一人にして、朝は駅のゴミ掃除とトイレ掃除、午後からはここで働いてる。トオルにはかわいそうかもしれなかったなって思いながらもね。でもそういう不思議なことってあるんだよ。まだあんたにはわからにかもしれないけど。でも結婚っていうのは体験した方がいいし、子供も産みなさいよ」

 結婚と出産。それはもしかしたらいずれわたしにとっても大きな問題になることがあるのかもしれない。おばさんはわたしよりも長く生きている。そしてわたしとつながろうと人生の知恵をわたしに注いだ。その知恵は、多分おばさんにとって、おばさんの心の内を占めるとても大きな知恵なのだろう。たぶんその結婚や出産はわたしにとって、遠い未来を見たところでとても消えそうなほど透明で緑色の下敷きみたいな、薄っぺらい想像にしかすぎないけれど、おばさんはわたしをそういう風には見なかった。そしてつながった。

おばさんの手と膝の震えは徐々に引いていった。そしてロッカールームに案内する代わりにと言って、近くの段ボールを千切って、ボールペンで地図を書いてくれた。

「ほんとにすまないね。薄情だって思われても仕方ないんだ。トオルは来年高校なんだよ」

「おばさん、本当にありがとう。助かったわ」

そう言っておばさんは戻り、わたしも地図に従って、ロッカールームにたどり着いた。ブラウンのダッフルコートを着てニットのグレーのマフラーを巻く。いつもより固く巻く。それなのに触られた方の胸がずきずきと痛むわけでもないが、違和感が残る。シャワーを強く当てて石鹸をたっぷり泡立てボディータオルでごしごしとこすりたい。口はトイレでハンカチを濡らし、ごしごし拭いた。鼻を鏡に近づけてよく見た。どうやら跡はついていない。そしてそのハンカチで鼻もごしごし拭いた。鼻のファンデーションはすっかり消えた。そしてうがいもした。

 帰りにタバコが吸えるカフェを探して入った。アイスのカフェラテを飲む。わたしの妹はいつもホットだ。そして父方の兄弟の末っ子の叔母さんも、いつもコーヒーはホットで飲む。母方の兄弟の末っ子もだ。なぜか末っ子は熱いものを飲めるようにできているらしい。わたしはホットを飲むとしても、氷を少し入れないと飲めない。ふと末っ子の不幸を感じる。もちろんそれは幸福なことなのかもしれないのに。アイスのカフェラテを飲んだら、ひざががくがくと震えてきた。知らない人にキスされ、胸を触られた。今頃になって、そんな末っ子についての考察などしているうちに、これは現実に起きた出来事だし、人に触られるべきじゃない場所を触られたということが、無性に怖い。かろうじて椅子に座っていたが、それも無理になって、床に膝まづいた。ここは来ちゃいけない場所だ。ここで中華のお惣菜を買うなんて無理だ。あのおばさんの傾けてくれたやさしさに、お礼のしようもない。

 ウエイトレスの一人が

「お客様? お客様? どうかされましたか?」

と尋ねる。

「ううん。わたし結構よく貧血を起こすの。血圧が低いことと関係あるのかな? でもね、もうアイスのカフェラテも飲み終えたし、貧血もおさまりつつあるから、もう大丈夫なの。もうちょっとで立てると思う。だから少しこうしていさせて」

「休憩室にご案内しましょうか?」

「そんな、とんでもないわ。だってこれはわたしにとっての日常茶飯事で、しかもあなたのその気遣いがわたしの凍えているような、めまいや膝の震えが収まっていくみたいなの。本当にありがとう。もうすぐよ」

それでもウエイトレスはわたしと同じ目線になるよう、わたしの横にしゃがんでいたが、それがわたしにとって妙なプレッシャーにもなり、けれどその心配させてしまった、本当は血圧が低くなどない、そんなわたしのウソを簡単に信じてくれているようなウエイトレスを本当に友達になってもらいたいほど、好きになってしまって、わたしはテーブルに何とか手をついてやっと立ち上がり、

「ほら、もう大丈夫。ご心配おかけしてごめんなさい。わたし訳あってもうここには来れないのだけど、あなたのこと忘れないわ。このダッフルコートとグレーのニットのマフラー、ステキでしょう?」

 立ちあがったわたしを見届けてウエイトレスは戻っていった。簡単に信じる。これは尊いことだ。疑うことを自慢するペシミスティックな奴より本当は難しくて、本当は強くなければできないことだ。わたしはそれを知っている。何回裏切られても、もう一回と、もう一回と、信じつづけた人がいたからだ。その人をわたしは知っていた。そして知っていることがわたしのプライドだった。それでもベッツィージョンソンのポーチを決めかねているのだが。

 またさっきのバッグやポーチが入っている店に入った。さっきの店員がそばに来て、

「いらっしゃいませ」

と微笑む。

「まだいらしたのね。今日は遅番?」

「そうなんですよ。でもわたし遅番の方が好きで。早起きできないから」

よくその女性を見るとつけまつげをつけていた。

「明日、来られなくなっちゃったの」

「あ、ご予定が?」

「うん、そんな所」

「じゃあ、こちらのポーチ今日決めなくちゃですね」

「そうなの。ねえ、こういうポーチってどういう人が持つのかしらね」

「そうですね、年齢は問わないと思うし、このポーチがかわいいとか気に入ったとかそう思ったお客様が買われるんでしょうね」

わたしは思わず、その店員の顔を見た。相変わらず微笑んでいて、つけまつげがバサバサと上下する。わたしは赤面した。長い間、恥とか傷を忘れていた。それなのに今顔が熱い。        このポーチがかわいいとか気に入ったとかそう思ったお客様。

 じゃあ、わたしが買おうか買うまいか悩んでいるのはなんなんだろう。わたしが欲しがっていて、決して妹が欲しがらないからわたしは悩んでいるのだ。この世には全世界の女性が気に入るポーチは、そんなポーチはないのだろうか? 

「腹を割って、あなたはこのポーチが好きなの?」

「もちろんです。わたしも買おうかなって思ってるんですよ」

簡単に信じるということの尊さ。さっき思ったばかりだ。その力を。

「今日中にまた来ると思う。閉店までにはね」

顔も耳も熱かった。どうしてそんな風に顔も耳も熱くなったのだろう。わたしはなにか、「恥をかかされた」という感情を抱いたみたいだ。でも彼女の言葉のなにがわたしを赤面させたんだろう。彼女はわたしをバカにしたわけじゃないし、恥をかかせるようなことを言ったつもりもないだろう。でも、妹はセンスがいい漫画家で、実家に帰省する際の服装は、吉祥寺と草加がそんなにも違うのかと思い知らされるような、恰好ばかりだった。

多分その時にわたしはその彼女に世間並な「今日中にまた来ると思う。閉店までにはね」というあまりわたしが使わない、そんな方法で決別を伝えたのと後から思った。その後からっていうのは、だいぶ、「後から」だった。

顔を冷やしたくて、あの歩道橋に出た。そしてもう帰ってしまおうかと半分思いながら、歩いていると、ギター少年二人組にまた出会った。

「もう帰るんですか?」

「だいたいの仕事は終わったの。もう明日からはここには来ない」

「連絡もらえますよね?」

緑の髪の毛の方が言った。弦を押さえるときに少し力が入ると言っていた少年だ。

「わたし決して遊んでるわけじゃない。ふざけてるわけじゃない。仕事をしてるの。連絡するわ」

「すみません」

「ねえ、緑色の地にピンクのバラの絵が描かれたベッツィージョンソンのポーチって好き?」

「うーん、見てみないとわかんないなあ」

「俺もそうだなあ。想像できないです」

「そっか。じゃあ、いいの。世界中のだれが見てもかわいいって思えるポーチって、世界のどこかにあるのかな?」

「うーん」

二人は、しばし沈黙し、癖っ毛の方が、

「世界中を探せばどこかには」

と言うので

「それは日本にあると思う?」

「わからないですけど、日本にいればたいていのものが手に入るような気もします。そういうこと、まだまだ、俺にもわからないですけど」

わたしはそのポーチを買うことをやめた。そう。世界は広い。もしくは日本だって広い。この「ゆめみ野」のショッピングモールだけ、その中の店の一つだけ、そこだけでは決めてはいけない気がする。そう、そうして気がついたのだ。バッグ売り場の店員に、あの時決別の気持ちを伝えていたっていうことを。


 そして今公園にいる。ブランコに乗ってセブンスターを吸いながら。ブランコから足を地面につけ、すこしだけ揺れながらなかなか帰れずにいる。時間が経ってもどうやら銀河鉄道999は月の下を右から左へ横切らない。別に左から右へとだってかまわない。ここは注文の多い料理店ではないからだ。期待するわたしをどうやら銀河鉄道999は裏切るらしい。銀河鉄道999は自然なのかもしれない。自然は簡単にわたしを裏切ってきた。健康を感じ、けれどすぐに赤信号の前でしゃがんでしまう疲労を感じながら、ある種の上昇志向も持ちながら過ごしていると入院になった。そうやってわたしの人生、つまり生まれる前から決まっていたことは、とても自然で、わたしの感情や意志などを簡単に裏切った。これからももしかしたら裏切られるかもしれないと思う。けれどそれにももう諦めている。確かにワインを制服を着た女子高生にふるまうのもキチガイならではのことかもしれない。わたしの範囲の狭い社会性はそれに遅れて気がついた。それらは普通に生きている人たちにとって、その場で瞬時に判断ができ、そして女子高生にワインは渡さないのだろう。

今、あのポーチが色あせている。そして本当はわたしはあのポーチを欲しがっていなかったのではないかとさえ思える。わたしは本当にあのポーチを欲しがっていたのだろうか? そう思うと、顔からプラスチックのカケラが、ぽろぽろと落ちていくような気がする。全部落ちてしまったら、わたしはカケラだけをこのゆめみ野の公園のブランコの下に散らかし、わたしはいなくなる。そんなことはとうに気がついていた。わたしの中にはおそらく何も入っていなくって、あるとすれば世界中の人のため息が詰まった「ため息」という名の空気だけなのだ。わたしが時折、意味も分からないまま憂鬱に陥るのはそのせいなのだ。なにがあってもそうは驚かない。いつの間にかわたしはそういうものになっていた。それはとても悲しいことだった。けれど思うのは、老犬チロ、頑張って長生きしておくれ。

 チロ、わたしはね、今日色んな人とかかわって、つながったり、しょうがないと思ったり、好きになったり、決別したり、偽物のルイヴィトンなみの交流を持ったりした。そしてわたしのじゃない、お母さんの携帯に二つの電話番号の記録が残った。けれどその残された電話番号のあとをたどることはあり得ない。だからつながってもいないのかもしれない。そうした人たちとの交流をわたしがたとえどんなに大切に思っても、それは朝、霜柱を踏んだ時、サクサクとした、心地いい感触と音を残すけれど、お昼ごろにはただのぬるぬるとした土に変わっている。それだけのものなの。そうね、もしかしたらそのぬるぬるとした土は明日の朝の天気をはかり、明日の霜柱の約束だってしてくれるかもしれない。わたしにはその霜柱の約束も持っていない。誰とも約束なんてしていない。約束を諦めたくないという気持ちの一方で、約束なんて、もうまっぴらだとも思う。知っている電話番号だって少ないし、もう誰も教えてくれなくても結構だ、とも思う。そしてその気持ちが、今だけでありますようにとも願う。セブンスター一本分、少し遅れてそう願う。


 もう家に帰ろうと思った。けれど帰りたくなかった。もう仕事も来ない。恋のから騒ぎに出ることができるはずもない。

 家に電話した。

「もしもし」

「もしもし、お母さん?」

「なんだ、果歩ちゃん、どうしたの? 仕事終わったの?」

「今日の仕事はなしになったの」

「なにか、しちゃったの?」

「ううん。あんまり感じの悪い職場だったから、自分でもう帰ろうと思ったの。まあ、終了まで仕事はしてきたんだけどね。代わりの子がいなかったから」

「わかった。わかった。もう帰ってきなさい。今日海鮮鍋だよ。かにもたくさん入れておいたから」

「そういう意味じゃなくて」

「いいのよ。わかったから」

「だからね、いやなことをされたりとか、その反対の、一瞬何者かだって、数分の間だったかもしれないけれど、漫画家みたいな、そういうなにかってそういうものになってみて、でも家に帰ってコートとマフラーを取ったら、スズメとステンドグラスの出窓で」

「わかった。お母さんが悪かった。リフォームなんてむごいことしたね」

わたしはそこで電話を切った。やっと泣き出した。きっと空だってもう我慢の限界のはずだ。やっぱりわたしはスカウトマンじゃないし、小説家でもないんだ。派遣会社だってクビになる。世界中の人が気に入るポーチ。これからはそれを探すだけの人生にしようか。そうしてどんどん老いていこうか。あまりおしゃべりではない両親と夕食を共にして。セブンイレブンのクリスマスケーキを囲んで。漫画家かあ、いいなあって思いながら。一日の大半をリフォームされたわたしが一生暮らす部屋で過ごし、夜十時に天気が悪くなければ、老犬チロと散歩して。ああ、狭いなあ。

 もっと大きくて広い所で冒険をしてみたい。もっと高い所であたりを見渡してみたい。冒険みたいな旅をしてみたい。けれど旅に出る理由はまだ見つかっていない。いつか見つかるのだろうか? それとも憧れたままいつか死ぬのだろうか? 

 強い風が吹いた。口の中がざらざらする。やっとブランコから立ち上がった。さっきまで感じなかった寒さを突然感じる。わたしは公園の水道でうがいをしてから、駅に向かった。


 電車に乗る。やっと安全圏に入った。電車を乗り継げば必ず草加に着く。それはほぼ必ずだ。家は歩いて七分ほどのところにある。街灯が一つしかない公園で目をつぶって泣いていたせいか、目をパチパチしたくなるほど、電車の中は明るかった。夜の電車の中、外は暗く、電車内はあくまでも明るく、そんな矛盾のなかにある電車内の広告はとても奇妙に思えるものだ。とても白々しいのだ。それは絶対に昼間には仕掛けられないトラップだ。乗客は少ない。わたしは向かいの車窓を眺めた。わたしが映っている。わたしはバッグからハンチング帽をとって深くかぶり、マスクもした。これ以上わたしの顔がこうであるという現実を見続けるのはいやだった。そして立ってドア越しに外を見る。家々の灯りなのだろう。そしていろんな色とりどりの店の灯りなのだろう。それらが宇宙を眺めているみたいに、さかさまな星空のようにも見える。そしてふっと思う。この電車を公園で老犬と眺めている人がいたら、この電車を銀河鉄道999と間違えるのではないか? そんな想像はとても愉快で気持ちよかった。旅なんてする必要はないのかもしれない。こんな想像が旅であったり、世界を見渡すようなことなのかもしれない。

 わたしはやっと見つけた発明に、一瞬で世界が広くなった気がした。わたしを銀河鉄道999の乗客かなって、思っているそこの女の子。これはね、確かに銀河鉄道999ですよ。本当です。信じるって力が要ることなんです。強くなければ信じられないのです。連れている犬の名前を教えてくれる? そうギンちゃんっていうのね。いい名前だわ。誰がその名前を付けたの? ネーミングセンスがあるわね。わたしそう思うわよ。

 そしてまた座った。楽しい想像の余韻に目を閉じても、目を開けてみればそこには白々しくも精一杯な広告があるだけだ。ちらほらいる乗客の大半がうつむいて目を閉じたり、スマホを見たりしている。それに倣うようにわたしも携帯をポケットから出してみた。おそらくこの携帯には、今日二人の電話番号が新たに追加されたはずだ。それをどうやって呼び出すのかも、消去するのかもわからない。わたしが今日スカウトした二人の少年。だますっていうわけじゃない。一時のスカウトマンとスカウトされたギターの二人組。「そのつもり」を一緒に共有したかっただけ。君たちはわたしなんて忘れるほど、有名なミュージシャンになれるはず。少年に尋ねるのを忘れてしまったな。

「犬は飼ってる?」


一一時半過ぎ、家に着くとお母さんが、リビングに新聞を広げてしゃがんでいる。ただいまっていう声にお母さんはふりかえりもせず、お帰りとだけ、答える。

「あのね、わたしね、しなきゃいけないことができて」

「なあに?」

「誰もが気に入るポーチを探すことなんだけど」

「ふうん。お母さんも応援するよ」

「うん、ありがとう」

 わたしは部屋に戻って、コートとマフラーを取り、床に投げ出すと着替えもせずにベッドにうつぶせになった。唇、鼻、バストに気持ちの悪い違和感が残っている。でももう立てなかった。底の見えない井戸に落ちていく。そんな嫌な空想が浮かぶ。けれどそれに抗いきれずに、頭から落ちていきながら眠ってしまった。その夜、空は泣くのを我慢した。


 翌日は雨だった。空もそうは我慢が出来なかったらしい。それならばいっそ昨夜の内に降ってくれればよかったのに、と思う。昨日の惨めなわたしに雨はとてもよく似合っていただろう。そして身体ごと服もびしょびしょになれたら、人の少しの傾けてくれる優しさや同情を、もしかしたら「悔しい」と思えたかもしれないのだ。今になって思う。軒の下、雨が差し込まないベランダでフランスパンをついばむスズメを見ながら、わたしもフランスパンをマーガリンをつけながらかじっている。いつしか朝食も昼食も、台所で食べることはなくなった。昔はにぎやかな家だった。いつしか誰もが黙って夕食を食べる家になってしまった。妹が出て言ったせいだろうか? とても賑やかだっだ家が自然に寡黙な家になった。それはとてもナチュラルで、自然がそうさせたことだった。そして自然に抗おうとするなんて馬鹿げたことだ。それはできないからだ。自然の本質とはそれだ。たとえそれが奴隷の姿に見えようとも。ただし抗弁することは許されている。わたしには他にするべき術が見つからない。

 わたしなんていなくなってしまえばいい。それはいつもイメージする井戸の底の土の上に裸で座っているわたしにいつもささやきかけられる、そんな言葉だ。そう、このリフォームされわたしの部屋は、とても寒くてとてもしけった井戸の底によく似ている。

 ステンドグラスを見る。その形とその色彩は一日に移ろっていく。その色彩の移ろいは、確かにわたしにだいたいの時を知らせてくれる。今は夕暮れだ。空を見てもいいのかもしれない。わたしは健康だった昔、夕暮れの曇った空が好きだった。高校には片道三五分かけて自転車で通っていた。そんな時家の前に自転車を置いてから、少し歩いて空を見上げた。夕暮れの雲っていうのはその日だけの限定の雲と空だ。同じ色や同じ形の雲は決して再来しない。そして様々に広がる雲は色彩だって様々だ。オレンジの時もあるし、赤い時もある。恐ろしいほどの濃い紫色の雲が空全体を覆っているときもある。それを知っている人はもちろんわたし以外にもいるだろう。それをつながっていなくても共有しているっていう想像は、わたしにとって楽しいものだった。

 けれどもう夕暮れの空も見ない。夏の積乱雲だって見ない。そう、わたしは好きだったものを徐々に捨てていった。そこに拘泥が生まれるのが嫌だった。なにかに拘泥すると、それはしばらくして奪われた。そんなことが多分何回もあった。それにその夕暮れの空だって、夏の積乱雲だって、外に出なければ見ることができない。そしてわたしはもう外に出る気などない。わたしの恐ろしく狭い社会性や、それによる恥や侮蔑。それを始めるときはスタートの予感にワクワクしてうっかり忘れ、気づいたときにはもう身体中が傷だらけになっている。それを繰り返して他の人たちとも両親や妹とも違う、プラスチック製になった。もう恥も傷も感じないようになっていた。そして笑顔すら、ドン・キホーテで買ってきた「笑顔の仮面」を瞬時につけるだけだった。わたしは一周回って戻ってきたのだろうか? それとも途中まで進んで後退したのだろうか? どちなのかよくわからない。そして無防備なシャワーを浴びるときの格好で途上でしゃがみしくしくと泣いているのが、そのわたしなのではないかということもちらっと思う。

 人は「何者かになろう」と思ったとき、そのモチベーションを親を喜ばせたい、安心させたい、もしくはわたしをバカにしてきた人たち、友人たち、その人らを「あっと言わせたい」っていうことを考えないものなのだろうか? わたしはそう思ってしまう。今わたしは小説家をやってる。「なにをしてるの?」と問われたとき「作家やってる」って答えたいのだ。

 アベンヌを長い時間顔にかける。そしてパソコンの前に座る。いつでもスカイプを受けれるよう、パソコンは起動しっぱなしだ。けれどスカイプがきたことは一回しかない。いとこがアメリカに単身赴任をしていた時だ。そのいとこからスカイプがきた。しばらく話した。

 わたしはプラスチックの頭を割る。かけらが部屋に飛散する。わたしは書くべきモチーフを頭から取り出したくてそうしているのだ。出てきたのはただの空気だけだった。それは毎回思う「世界中の人たちのため息」。それに過ぎない。人はどんな時にため息をつくのだろう。毎日洗濯をすることに飽きたのだろうか。毎日掃除することに飽きたのだろうか? 毎日ご飯を作ることに飽きたのだろうか? もしかしたら毎日何かを咀嚼しなければならいことを面倒くさいと感じ、それすらも飽きてしまったとき、そういう時に人はため息を漏らすのだろうか? 

 ため息をついた人たちは、その空虚さにお風呂で溶けてしまうのだろう。それがそのため息という病魔の行きつく先だ。そういなくなる。お風呂で溶けてしまったのだから。それは透明で、一人暮らしであれば誰かがいなくなったことに気づく人だっていない。そして家族や恋人は、その部屋を見て不思議に思う。テレビの前に置かれたカフェテーブルの上には乾いてしまったフランスパンのカケラが残り、バスタブにはもう冷えてしまった透明な水が張られている。そしてそれらは世界中で毎日起こっている。そっと出された静かな失踪届は警察の義務的なファイルの一枚となって、壁に収まり、コンピューターに記録されるが、そのページを開かれることはそれ以後ない。そう、ため息も、空虚も、白でさえない。透明なのだ。だから人は気づくことに遅れる。そして気づいたときはもう後戻りもできないのだ。「飽きる」というのは絶望の一形態で、飽きてはいけないのだ。そこからむしばまれていく。

 わたしはいつも過去をふりかえるとき、「健康だったころ」と今を比べてしまうが、「健康だったころ」にわたしの中に何かがあったかどうかなんて思いだせない。もしかしたら「おぎゃあ」と生まれたときにその時から。もしくは母親の胎内にいたその時から。わたしの生きていく道程は決まっていて、初めからハクチじみた空っぽで透明な頭しか持っていなかったのかもしれない。もう一回母親の胎内に戻ろうか。いやだ。そんなの面倒くさすぎる。

 今のわたしが時刻を知ったところでなんだというのだろう? 今日が何曜日かっていうことを知ったところでなんだというのだろう? 夕食のおかずを母親に尋ねても、それが変更されることもないだろう。たとえば親友に「宝物を見せて」と言われたらわたしはしばらくもじもじして「特には」と答えるだろう。大切なものが今のわたしにあるのだろうか? わたしはいったい何なのだろうか? わたしの身体に大きくて重い、クリスタルの灰皿を何回も打ち付けたらきっとわたしは消えてしまうだろう。そこにいるのは透明人間でさえない。そこにわたしはいないのだ。

 けれど少し感じる。「大きく重い、クリスタルの灰皿を何回も打ち付ける」この想像は少し快感だった。きっと痛みを感じるはずだ。そして痛みを感じながら割れていき、ばらばらになり、いなくなる。その想像は綿菓子を口に含みながら、あのギター少年をスカウトした時よりも、もっと甘かった。口に含んだ綿菓子はこの井戸の底で、長くとどまるものらしい。

 その初めのセンテンス。今日も書けなかった。そしてベッドに横になる。わたしの日常着はパジャマだ。外に出ないのに着替えるなんて馬鹿げている。冬のパジャマは四着持っていて、ピンクのパジャマと、リラックマのパジャマと、エルモのパジャマと、グレーのパジャマだ。グレーのパジャマにはノルディックな模様が刺繍されている。今日のわたしはピンクのパジャマを着ている。そしてメイクをしている。毎日パジャマなのにメイクはする。メイクをしないで日々を過ごす人をわたしは以前知っていた。その女性はどんどん顔がダメになっていった。醜い容貌になるわけじゃない。ただどんどんその女性の顔はダメになっていくのだ。だからわたしはパジャマで過ごす日常に、メイクだけはする。寝る前にはクリームも塗る。外に出ないからといって日焼け止めも怠らない。パジャマだけれど、マスカラもつける。そう、わたしがそれらを怠るようになれば、ものすごいスピードで顔がダメになっていくことをわたしは知っている。


 クリスマスイブ、食卓の上は賑やかだった。二種類のピザ、てんこ盛りのチキン、そしてセブンイレブンのクリスマスケーキだ。お母さんの顔は明るかった。わたしは気づいていた。一昨日、派遣会社の関さんから電話越しに罵声を浴びせられて、わたしがひたすら謝っていたのをお母さんは知っているのだ。そしてせめてクリスマスイブには、とことさら明るくふるまい、テーブルをにぎやかに飾る。

 けれどそんなお母さんのわたしの胸のうちの忖度なんて、はなから無意味なのだ。わたしには悩むという機能も、落ち込むという機能も、あの日、触られるべきではないところを無抵抗に触られていた、倉庫のグレーの壁はとても冷たかった、そして帰ってすぐに眠った。あの日限りで、そういう機能は失われていたのだ。女性には特定の人しか触ってはいけない部分を持っている。簡単に触らせ、お金を得ていたら、いつの間にかその女性は削られているのだ。その削られた部分はとても雑で彫刻刀で子供がいたずらに掘ったような芸術でさえない傷跡が残るだけだ。でも失われていない機能もある。それは「さみしい」「悲しい」その二つの機能だ。

 母はなにかしゃべらなくてはとでも思うのか、隣の家の話をしだした。

「やっぱりね、どこかに出かけると、お隣さんからフルーツとかパーキングで買うようなお土産とかね、そういうのをもらうけど、家は旅行とか、ちょっと遠出をするってこともそうは、ないわけよね。それなのにもらいっぱなしじゃ悪いって思っちゃわない? そういうのって。だから家の庭に咲いてる花をね、適当に手折って新聞紙でくるんでわたし昨日持って行ったのよ。そしたら、案外に喜んでくれてね。だからわたし、来年あの花壇を小さな畑に変えちゃおうと思ってるの。つまりトマトとかナスとかそういうものを植えるわけよね。花よりなんぼか喜ばれるかなって思って」

わたしはお母さんの話を聞き終えて、少し小さな声で言った。

「花壇がなくなったら、さみしいよ」

 夜寝るときにサンタさんがくるといいなって少し思って、なんだ来るはずがないじゃないかと少し笑ってしまった。三一の独身、家事手伝い。そんなわたしにサンタさんなど来るわけがない。そしてそういう想像がわたしをさらにみじめにさせるのだと気づく。だいたいサンタさんなんて実在しないことを、子供のうちに学習済みだったはずだ。

 サンタさんなんていないっていうことに気づいたのは小学校低学年の時だった。わたしがその時何が欲しかったのかも覚えていない。クリスマスの朝、起きて枕もとを見ると、置かれていたのはグレーのチェックのシーツだった。シーツなんてまったくほしくなかった。わたしはがっかりした。そして添えられているメモの切れ端に気づいた。

「果歩ちゃんへ。来年もいい子であれば、またサンタのおじさんがプレゼントを持ってきますよ。サンタより」

と書かれていた。来年はもうサンタさんは来なくてよかった。くれるものがシーツであったからだ。サンタさんにはなんにも期待できないし、そのメモに書かれた文字が、少し癖のあるお母さんの字だっていうことくらい理解できた。ただつまらなかった。昨日と今日が全く別なものに変わってしまった気がした。昨日と今日をはっきりと違うものにさせたのはクリスマスの朝で、シーツとメモ用紙を見たその瞬間だった。それを知ったのだから、わたしはそれを他の同級生がまだ気がついていないかもしれない、「少しオトナな知識」であると、自分の成長であると喜びたかったのに、感じたのはさみしさだった。そして大人になるたびに「さみしさ」感じることが連続していくだけならば、成長っていうのなんて白けたものなのだろうと感じた。

 

 わたしは失ってしまったものばかりを大切にするなと思う。それならば失う前に大切にしていればよかったのにとも思う。中学の時に獨協に検査入院した。同じ小児科の男の子はたいそう照れながら、わたしに貝殻のネックレスをくれた。そして今、家のどこを探したって見つからないだろう。きっと捨ててしまったのだと思う。わたしは時々訪れる、発作のようなものがあって、ゴミ袋を片手に部屋中にある「多分いらないもの」をことごとくゴミ袋に入れてしまうのだ。その中には後で探し回るものも含まれているし、捨ててしまったことを思い出して、後悔することもある。必要なものといらないもの。それも本当はなんなのかわかっていない。つまり大切なものとそう大切じゃないもの、この区別がわからないままなのだ。この年になっても。

 中学生のとき、父親にねだって、小桜インコを買ってもらった。世話もきちんとわたしが行った。手乗りにしたのだが、やけにわたしの手を噛むのだ。そのくちばしの形状上、かまれればえぐられるような傷が手につき、血がにじむ。けれどわたしはそのふみちゃんと名付けた小桜インコが好きだった。次第にそのふみちゃんは自分の羽を自分でむしり取るようになった。わたしはどうしていいか分からなかった。わたしがふみちゃんを飼ったからそういう風になったのだと思った。時間を逆回転させ、ペットショップでわたしがふみちゃんを買うところまでもどればふみちゃんは自分の羽をむしるようなことにはならないのではないかとか、ほかの人がふみちゃんをペットショップで買えばふみちゃんは、ふみちゃんとも名づけられず、ほかの名前を与えられ、こんな風にならなかったのではないかと、毎日、後悔ばかりしていた。そして知ったのは、後悔を初源までさかのぼれば、そこにあるのは「無」であるということだ。そこではプライドさえ役に立たない。この小さな小桜インコに「ふみちゃん」という名を名づけたのは他ならないわたしだ。そう思って、手を傷だらけにして学校から帰ると、ふみちゃんをケージから出し、遊ばせた。

 そしてふみちゃんは煙草の煙を換気しようとしたお父さんの少し開けた窓から、外へ向かって飛んでいった。向かいの家に背の高いヤシの木がある。わたしは裸足で窓から外へ出て、何度も何度も「ふみちゃん!」と、その高いヤシの木に止まっているふみちゃんに呼び掛けた。けれどふみちゃんは戻ってはこず、

「さあ、何もかもから解放された」

っていう風にヤシの木から遠くへ飛んでいった。遠くへ飛んでいくふみちゃんを見て思った。わたしにとってどれだけ、ふみちゃんが必要で大切だったかということに改めて気がつき、さみしくて悲しかった。そしてふみちゃんにとってはわたしが存在しない世界の方が心地よく、楽しいのだ。そしてその時に思ったのだ。読書がもともと好きだったこととも関係あるかもしれないが、わたしの中には語られるべき言葉が渦巻いている。そう思った。それを外に表出すべきだ。わたしは作家になろう。小説家になろう。それはある意味、とてもストイックな欲望だったが、今のわたしの欲望にはストイックさはない。「あっと言わせたい」、親を安心させたい。そんな欲望を何かになろうとしたとき、人はそう思わないのだろうか? 

ふみちゃんがいなくなった翌日、夢中でふみちゃんを題材にした小説を書いた。原稿用紙十枚くらいの作品だった。けれどそれを今探しても見つからないだろう。けれどその時、わたしの中に語られるべきことがあったのは間違いのないことなのだ。 

 そんなセンチメンタルを感じたときは、わたしはジャニスの伝記を読む。そしてさらにセンチメンタルは助長され、さみしくて悲しいなと思って、部屋に掃除機をかける。そして羊毛のマットの上に寝転んで仰向けになり、天井のクリーム色を眺めながら、わたしは昔はあった気がするもの、とてもたくさんだったような気がするもの、それらをなぜ今持っていないのだろうなと考えてみる。捨てる癖、拘泥を怖がる癖、諦めてしまう癖、大切にできない癖。そうしていると背中の痛みも薄れていき、なくなり、酸素すらない宇宙に浮いているような気がする。そしてその場所で徐々に死んでいくような気がする。だって酸素すらないのだから。呼吸ができないという想像はなぜか少しのスリルとともに、わたしにとっては心地がいい。もともと空っぽのわたしは機能をすべて停止して、手の指の先から細胞は死んでいく。一瞬とても明るい灯りが灯る。それは明るすぎて目を開けていられないほどだ。ぱーっんと明るくなるのだ。そしてまた一気に暗くなる。暗闇の中で考える。わたしが死んで、その死体をお向かいのヤシの木の下に埋めてもらえたら、ヤシの木はさらにもっともっと生命力を増し、固くて鮮やかな緑の葉をたくさんつけるのだろうか? そう、わたしは眠ってしまっていたのだ。


 そんな想像を毎日繰り返していた。するとそのせいなのかわたしはどんどん強度を増していった。身体の外装が徐々に固く厚くなっていったのだ。それはただ単にわたしの図々しさとも言えるのかもしれない。わたしはなにによっても傷つくことがなくなっていた。それはもしかしたらとうの昔からそうだったのかもしれないし、今社会を持たないゆえに、そう思いこんでいるだけなのかもしれない。けれどわたしはそうなっていったっていう気がする。わたしはコインで身体を削られても傷をつかない外装を持っていた。大きくて重い、クリスタルの灰皿で一発打ち付けられただけではそうは割れない外装を得ていた。よくわからないがそうなっていくのを感じていた。多分年月なのだろう。過ぎていく時間なのだろう。それらがわたしをいつ間にか去年、女子高生に言われた「お姉さん」ではなく、年月や過ぎていく時間によってわたしは「おばさん」になっていったのかもしれなかった。抗弁できる自然。そういう種類の自然もある。けれど年月や過ぎていく時間は徹底的に抗弁できない自然だ。それらはわたしに年をとらせ、おばさんにし、それによってわたしを慰めた。人は慰められれば年をとる。そして多少図々しくなる。


 図々しさがわたしに勇気を与えたようだ。テンちゃんに電話してみた。テンちゃんとはわたしの妹だ。

「テンちゃん、明日、そうね、三時間とか、二時間とか、一時間とか、そんな時間つくれない?」

「それくらいだったらいいけど、なに? 家に来てもらうのはちょっと困るな」

「違うの。吉祥寺に売っているポーチを買いたくて。そうそう、化粧ポーチなの。テンちゃんにも一緒に選んでもらいたくって」

「ふうん。別にいいけど」

「テンちゃん、明日っていうのはどんなアウター? テンちゃんにもらったダッフルコートでいいのかな?」

「あれじゃ、寒いと思う。ダウンの方がいいんじゃない? 二月の頭だし」

「そっか。じゃあ、そうする。つまらない黒いダウンを着ていくね」


 電車に乗るのも久しぶりだった。あの去年、夜電車で銀河鉄道999に乗って家に帰った時とは電車内はがらりと変わっていた。朝だからだろうか。わたしはつり革につかまったままきょろきょろと電車内を見回した。車内の広告たちはとても己の価値の大きさについて鮮やかなほど主張している。俺が俺が、わたしがわたしがっていうみたいに。泡の立つジョッキに入ったビールの広告を見ていたら、まるでその泡がどんどん膨らんでいって、電車内に、あふれてくるみたいだった。背の高い女性がピンヒールのロングブーツを履いて、ウールのコートを着て立っていた。もしかしたらこの女性は孤独なのかもしれないと思った。

 外を歩いたり自転車を漕いだり車を運転している人のたいていが、この吉祥寺に向かう電車に関心を抱かないだろうし、電車に乗っている人だってその自分が乗っている電車にそう関心は持たないだろう。吉祥寺に向かっているせいかもしれない。そしてテンちゃんとの待ち合わせには少し早い時間に家を出た。それは去年テレビで見た、吉祥寺のパン屋さんで、朝食のパンを買って、井の頭公園のベンチで食べようと思っていたからだった。そんな想像も楽しいからかもしれない。漫画を一生懸命書いて、漫画家になったテンちゃんと、会えるからかもしれない。そのテンちゃんとポーチを手に取ってみたりしながら、選んだりできるからかもしれない。そのすべての想像がわたしに心地よく、電車の揺れにその心地よさは拍車をかけられるみたいだ。

 わたしはこう感じていた。この電車はフレームの中にいる。いつの間にかその中にいる。 それに多くの人は気づいていないだろう。でもその人たちだって、フレームの中の電車、その乗客としてフレームの中にいるのだ。わたしはせっかくフレームの中にいるのだからと微笑もうとした。でもそれは不可能だった。なぜってすでに微笑んでいるのにさらに微笑むっていうのはちょっと無理だったからだ。それはドン・キホーテで買った微笑みの仮面でもなかった。スタートの予感はいつもワクワクと心地よく、不幸も裏切りも孤独の実感も、想定することをわたしはいつも忘れる。けれどそれでいいと思う。スタート地点に立ったとき勇気あるものは、その先にあるかもしれない不幸や裏切りや孤独の実感など、想定しないのだ。強く勇気があり、プライドのある人は。何回も裏切られて、そこからプライドだけで立ち上がり、何回だって信じた人をわたしは知っている。それを知っているということだけが、わたしのプライドなのだ。

 吉祥寺で電車を名残惜しく降り、パン屋へ向かった。クロワッサンとアップルパイを買った。だいたいわたしは食にたいして冒険ができない方だ。創意工夫に満ちたおいしそうなパンもたくさん置かれていたが、わたしはそれらを選べなかった。けれどテンちゃんは面白そうなアイスとか辛そうなカップ麺やらスナック菓子、奇妙なパンなどどんどん冒険し食べてみるタチだった。

 公園のベンチ。ハトがたくさん寄ってくる。老人の群れが、ちりぢりに解散するようだ。おそらく何かの体操でもした後なのだろう。その老人たちの大半はわたしの方へ向かって、歩いている。一瞬、牛乳を飲みながらパンを食べているっていうスキをついて、わたしを取り囲み拉致されるような気がした。けれど老人たちはただわたしのベンチをわけて解散していくだけだった。わたしに関心もなさそうだ。わたしはそれほどの珍客っていうわけでもないらしい。

 けれど一人の老いた男性がベンチのわたしの隣に腰を下ろした。

「君はいろんなことを諦めてきたんだろう?」

「諦めるつもりなんてなくても諦めなくちゃならないことなんかもあって」

「でも一回諦めても胸にその思いを沈殿させ、その時期を過ぎたらもう一回諦めない方がよかったんだ」

「でも少し強くなれたんです。それって年齢だった。わたし今年三二になるんです」

「君は何者かになりたいと思っているんだろう?」

「確かにそうなんです。このまま親を心配させたまま、そして馬鹿にしてきた人たちや友人を『あっと言わせたい』そんなことを考えてしまうんです」

「何者か、の何者なのかはもう決めているのかい?」

「小説家です。でも最初のセンテンスが浮かばないから、一文字だって書けない」

「じゃあ、一文字書いてごらん。俺が提案しようか。そうだな『そ』はどうだい? きっと世界が一気に変わるはずだ。見えなかったものも見えるようにきっとなる」

「そうでしょうか?」

「正直に言って、君は捨てることの天才で、片付けの天才で、捨ててしまって少し後悔しても、また買えばいい、そう思っているような気がするんだ。欲しがるっていうことはとても大切なことなんだ。君くらいの歳ならね。俺の場合もうそれは違っている。俺は六七で妻は六五なんだ。去年ペットの犬を失くしてね。いわゆるペットロス症候群っていうやつなのかな。それからは妻と俺二人、静かに笑うこともなく暮らしている。また犬を飼おうかとも考えた。けれど俺は六七で妻は六五だろう? その犬にたいして責任を持てるかわからない歳なんだ。確かに娘はいる。西荻窪のマンションに住んでいる。けれどそのマンションはペット不可なんだ」

「ねえ、おじさん、真冬の空や空気の冷たさは、気分をすっきりさせますね。そこでおじさんの言葉を聞きながらとってもシンプルな言葉が浮かんだんです。『まだ勝敗はついていない』。それはもっともっと先なんです。これからどう生きていくのかもわからない。なにも変わらないまま生きていくのかもしれない。でもさっき言った、勝敗っていうのは、三途の川から見ないとわからない、そういうことなのかもしれない」

おじさんが返事をしないので、わたしはパンを食べすすめた。クロワッサンもアップルパイも生地がウールのハーフパンツに落ちる。わたしは食べ終わり、牛乳の残りを一息に飲んだ。目の前を白い犬がリードをつけ、引きずりながら横切っていく。わたしはパン屑を払おうと、立ち上がってハーフパンツをはたいた。そして隣を見るとおじさんはいなかった。

 妹との約束は一一時だった。妹のマンションへ向かう。チャイムを押すと細くドアを開け、テンちゃんはちょっと待っててと言ってドアを閉めた。

 テンちゃんのダウンは襟元にボリュームがあり、下半分に羊毛の毛があしらわれていて、とてもかわいかった。そして黒いクロップドパンツを履いている。

 わたしはテンちゃんに憧れていつつも、テンちゃんがわたしを決して許さないっていうことを知っていた。過去、家族の一人ひとりに刺身包丁を順番に向けたことがある。そしてその時電話が鳴って、わたしが出ると、それは病院の仲間からで、わたしは大きく笑ったり、冗談を言ったり、家族衆目のもと長電話をした。そしてその長電話が終わったのは、かなりの夜更けで、わたしは電話を置くと左腕に刺身包丁を押し、右にすっと引いた。わたしの左腕からぽたぽたと血が流れ続けた。両親は強さと弱さを同時に大きくしていく一方で、テンちゃんだけはわたしをいつまでも疑い続け、ビバホームで買ってきた鍵を自分の部屋につけ、家に置かれていたウイスキーやブランデー、日本酒さえもいつの間にかなくなっていった。そしてテンちゃんが都内に勤めるOLとなりながら漫画も書いていた頃、この家から出ていけ、と言ったのはお父さんだった。その時わたしが思ったのは、父が身に着けた弱さから、そういう風に言うのだろうと思った。そしてテンちゃんは出ていった。そして漫画家になった。今は少し違うと思っている。父の言葉はわたしもテンちゃんも両方を守ろうという強さからの言葉、「この家から出ていけ」だったのだと思う。そして帰省すると大げさなほどはしゃぐテンちゃんに今更どう、何を言えばいいのかわたしにはわからなかった。

 テンちゃんが

「ポーチだよね?」

と聞くので、

「もちろん、吉祥寺で古着とか、バッグとか、靴とかね、そういうのも見たいけど、テンちゃんも忙しいだろうから、今日はとりあえずポーチだけ手に入れればいいかなって思ってる」

「わたしがよく行く雑貨屋さんでいい? そこってカフェも一角にある大きな雑貨屋さんだから、お姉ちゃんの気に入るポーチだってあるんじゃないかって思うし、寒いけどオープンテラスだったら、休憩にタバコを吸いながらコーヒーも飲めるしね」

「もちろん。そこへ連れてって」

その雑貨屋は本当に広かった。テンちゃんによれば、デザイナーが、作った雑貨をこの店に置いてくれと頼み、OKが出た雑貨だけが並べられている店らしかった。たくさんのポーチが並んでいる。うろうろと歩きながら見るが、もう「どれでもいい」という気分になっていた。テンちゃんは手に取ってみたり、ジッパーを開けて中を見たりしている。

「ねえ、テンちゃんはどのポーチが気に入ってるの?」

「コーヒーでも飲もうよ。少し早いけど」

テンちゃんはアメリカンを、わたしはアイスコーヒーを頼み、オープンテラスでタバコを吸う。

「お姉ちゃんは、どのポーチがいいって思ってるの?」

「正直、わたしにもわたしが気に入るポーチがどれだってことわからないの」

「ふうん」

「そしてね、テンちゃんがいいって思うポーチとか世界中の人がいいって思うポーチとかってのもよくわからないでいるの」

「ふうん、そうなんだ」

 わたしもアイスコーヒーを飲み終え、テンちゃんがアメリカンを飲み終えるころ、わたしはタバコを三本吸い終えていて、テンちゃんは二本吸い終えていた。そしてトレーに灰皿を置きながら

「この寒い外で、よくアイスコーヒーなんて飲めるね。お姉ちゃん極度の猫舌だもんね。お母さんがわたしに謝ってた。お姉ちゃんの子供の頃の写真はやたらあるのに、わたしの写真はあまりないらしいの。それをね、お母さんが謝ってきた」

わたしはその言葉をぼんやり聞いていた。そして思わず

「ごめん」

なんて言ってしまった。その時テンちゃんはものすごい苛立ちを表情に見せた。

 

 わたしの目にはかっちりとした長方形のポーチが目に入った。リアルなヤシの木とパイナップルが転写されている。そして暗い色のナイロンのコーティングがしてある。わたしは思わず手に取り、ファスナーを開け中を見た。

「そういうのがいいの?」

その言葉に、さっとファスナーをしめ、元の位置に置く。

「特にこういうのがいいって思ったわけじゃなくって、ただなんとなく。固そうだったでしょう? あのポーチ。ところでテンちゃんはどのポーチが気に入ったの?」

「わたしはね、これがいいと思った」

それはなんでもない袋状に上にファスナーがついた形のポーチで赤い地に白い大きすぎない、上品な白い水玉が描かれていて、端の方にはリアルな黒い猫と白い猫が刺繍されていた。

「ほんとだ! これいいね」

けれどヤシの木とパイナップルが転写プリントされたポーチは心のどこかにあるみたいだ。

「でもさ、お姉ちゃんが気に入ったポーチってどれなの? 誰が気に入ったところで、お姉ちゃんのポーチなんだから、お姉ちゃんが気に入らなければ話にならないでしょう?」

その言葉にわたしは頭の中がパンっと明るくなり、そこには何の影も映っていない。不在だからだ。

「わたしは気に入っているのだろうか? またはわたしが気に入っているのだろうか? 二人のわたしに問いかけるわたしがいるのだから、少なくとも三人のわたしがいる。そのうちのどのわたしが、このポーチを気に入り、気に入らないのか。そしてわたしは他者も含んでいるらしい。代表はテンちゃんだ。どうやらテンちゃんはこのポーチを気に入っている。けれどわたしの中には確か世界中の人が含まれていたって思う。その人口の統計に疎いわたしだ。わたしの中のわたしという他者はだいたい何人くらいいるのだろう。ねえ、テンちゃん、世界の人口ってどれくらいなんだろうね。テンちゃんも知らない? テンちゃんが知らないこともあるんだね。そうなんだ。じゃあ、わたしが知っているわけもないよね。テンちゃんは名刺交換の経験もあるのでしょう? わたしは今年三二歳になるけれど、まだ名刺交換ってしたことないな。でもね、してみたいと年がら年中思ってる。そういう立場に憧れてる。憧れてるの。何もしないくせしてね。運動すらしないの。本だって読まない。わたしの部屋の出窓はステンドグラスでしょう? ちょっと考えるの。夜暗くなって、路地も暗くなって、わたしの部屋には灯りが灯ってる。そんな時通行人が、ちょっと上を見たりしたとき、そのステンドグラスをどう思うのかなって。どうも思わずに通り過ぎる人もたくさんいる。でもちょっと素敵だなって思う人だっているかもしれない。テンちゃんが選んだポーチならば、世界の人たちだって、そんなちょっとしゃれた刺繍を発見したとき、なるほどって思うと思う。この方センスがいいポーチを持ってる、そう思うと思う。そして今よくよく考えてみたけど、わたしはそのポーチを気に入っているし、わたしがそのポーチを気に入っているらしいの。それを感じるこのわたしも今完全にこのポーチを気に入っているっていうわけ。だから、つまり、一件落着なのよ。テンちゃんアシスタントさんが待ってるんでしょう? そういうアシスタントさんとかいるんでしょう? これに決めたわ。テンちゃん、ありがとう。私これに決めたわ」

「帰ろう、お姉ちゃん、取りあえずうちのマンションで横になった方がいい」

「ねえ、テンちゃん、わたしの中には何人のわたしたちがいるのかしらね?」

「お姉ちゃん、つまりはこのポーチが気に入ったっていうわけよね? だったら買いましょう。五千円だって。お金はとりあえずわたしが払っとく」

わたしは口の中で何かをもぐもぐ言いながら、赤いポーチを持ったテンちゃんの後について行く。そうだ、わたしはテンちゃんにひどいことをたくさんしたっけ。お酒を飲ませたのはわたしだっけ。いつもわたし自身の言葉を裏切り、たくさんの人を傷つける結果、たくさんの人を落胆させる結果、そうしてきたのはわたしなのだ。だからこそ、その過程でいくつもの感情の機能のネジを止めてしまった。ドライバーでぎゅうぎゅうしめた。お店の天井からファーのバッグがつるされている。持ち手はゴールドと黒のチェーンだ。

「ねえ、あのバッグ。ファーの。ああいうのはテンちゃんは持たないのでしょう?」

テンちゃんは店員を呼び、あれリアルですか?と聞いている。店員はラムですと答えている。テンちゃんは突然、そのファーのバッグを買ってしまって、持っていた小さなバッグをその中に詰めた。

 そしてもぐもぐと口の中に焼き芋でも入っているみたいに口を動かし続けるわたしの片腕を握り、テンちゃんは歩いていく。そしてテンちゃんのうちのマンションにつくと、テンちゃんの旦那さんが、ああ、お姉さん、どうぞどうぞ、と言って部屋へ招く。

「散らかってるけど。お姉ちゃんもそのうち小説家になればわかるって思う。部屋が散らかるときって必ずあるの。さあ、ソファに横になって。今毛布を持ってくるから」

 さみしいと思う機能と悲しいと思う機能をストップさせようと何度もドライバーでネジを回そうとした。けれどそのさみしさと悲しさのネジはバカになっていて、どうしてもしめられなかった。

 「テンちゃん、買った赤いポーチとって」

テンちゃんに手渡される。てんちゃんは

「あなたは部屋に戻ってて」

と鋭く言って、テンちゃんの旦那さんは何かを得心したような顔をしてどこかへ行ってしまった。

 そして赤いポーチを眺める。この白い水玉の大きさがとても絶妙だと思う。黒い猫と白い猫のリアルな刺繍がとてもセンスがいい。ヤシの木とパイナップルが転写プリントされたあのポーチを買わなくて本当によかったなと思う。そしてその赤いポーチを眺めつづけていると、本当にさみしくて悲しいと思う。バカになってしまったネジはどうしても回せない。

 テンちゃんにホットミルクを手渡された。わたしは起き上がりソファに背をもたせながら座って、ゆっくりとホットミルクを飲んだ。氷が一つ浮かんでいるおかげで、なんとか飲める。

「去年ね、わたし派遣のバイトでワインのデモンストレーターをやったとき、休憩時間にギター少年二人組をスカウトしたの」

「スカウト?」

「そう、スカウト。パイナップルレコードのスカウトマンだった。わたし。でも今思うの。わたしはその時、テンちゃんにもらったブラウンのダッフルコートとグレーのニットのマフラー、覚えてる? そうよ、テンちゃんのお古。それを着てね、スカウトした。パイナップルレコードのスカウトマンのつもりだった。でもね、もしかしたら、パイナップルレコードのスカウトマンでありながら、わたしはテンちゃんになったつもりだったのかもしれない。それともいつも憧れている小説家だったのかもしれないし、それとも『なにか』だったのかもしれない。

そんな風にスカウトした。彼らは大学進学もしないでストリートミュージシャンをしながら、プロミュージシャンを目指していた若者たちだった。そしてわたしがスカウトマン、そして彼らがスカウトをされている、そういうちょっとした夜見る夢みたいなふわふわと甘くて、しゅっと口の中で溶けてしまうような、綿菓子みたいなそう、夢みたいなものを共有した。それだけだった。

わたしがスカウトマンになれたわけじゃないっていうことくらいわかってる。小説家でもないし漫画家でもないし、なんでもない。制服を着た女子高生にワインを渡してしまうような、そんな社会性のない、恋のから騒ぎにも出ることができなさそうな、三十一才だった。

そしてね、徐々にわたしの外装は固くなっていく。面の皮が厚くなるそれと同じ現象よ。おばさんになったの。いつの間にか。おかしいわよね。リフォームされた部屋でパジャマを着たままメイクだけして、顔がダメになるのを怖がり、スズメと一緒にフランスパンの朝食をとる。

いつしかね、わたし、徐々にフランスパンが嫌いになっていくことを恐れるようになった。フランスパンって何回も噛むじゃない? その咀嚼に飽きてしまったらどうしようって思うようになった。実際に飽きてしまって不在という存在になる人たちは毎日毎日大勢いるのよ。多分わたしみたいな人間が、咀嚼に飽きてしまったら、死んでしまうしかないと思う。

ねえ、テンちゃん、人間はただ立っている葦なのかしらね? それともただ立ちつくしながらも考える葦なのかしらね? どうして赤ん坊は神々しいのかしらね? それとも仕事を終え、ため息をつきながら、アパートの階段を上る大人が大事なのかしらね?」

 テンちゃんの企てた、たっぷりの砂糖と一つ氷の入ったホットミルクはやはり効果があるらしくって、わたしはテンちゃんが汲んでくれた水で薬を飲んでしばらくしたら、ソファで胸に赤いポーチを抱きながら眠ってしまった。少しだけ覚えてる。テンちゃんが首のあたりまで毛布を掛けてくれて、それを私がさらに引っ張って、頭まで覆ったこと。


 目を覚ますと両親とテンちゃんがリビングの床に座り、お茶を飲んでいた。そしてぼそぼそと小さな声でしゃべっていた。

「あの子はね、年金をもらってるんだよ。年金ってのは一月六万以上もらえるらしいから、ある程度の自由はきく。それを許してやってもいいものなのかねえ」

「俺がチロの散歩に行っている間に、こいつ出ていったんだ。出かけるときに履く、茶色いブーツがなかったから、電車に乗っていくようなどこかへ行ったことは気がついた。だけどお前のところに来てたとはなあ、迷惑だったか?」

その「迷惑だったか?」の返答が怖くて私は今起きたというアピールに、うーんと言いながら両手を挙げて、伸びをして見せた。

 部屋が突然華やいだ。それは単にわたしが起きたという合図にわたしには聞かれたくはないというような、声をひそめて話すことができなくなったというタイミングを迎えたということだけの意味だ。

「お姉ちゃんたらもう。このファーのバッグ、ちゃんとお金を払ってよね。二万五千円よ」

「やだあ、お姉ちゃんには手痛いよねえ、二万五千円のバッグ」

わたしは床に座ってそのファーのバッグを手に取った。

「わたしこれ、全然欲しくない」

わたしの意外な返答に三人とも戸惑ったような顔をしている。

「テンちゃんが気に入ったんならテンちゃんが使えばいいじゃない」

「そんなこと言われても………」

「だってそうでしょう? わたしは欲しくない。わたしは気に入っていない。でもテンちゃんが買った。それならテンちゃんが使えばいいだけの話でしょう?」

突然お母さんが嬌声をあげた。

「やだ、そのバッグすっごく素敵ね。持ち手がチェーンなんだ。わたし気に入ったな。テンちゃん、わたしにそのバッグ譲ってよ」

 テンちゃんが突然立ち上がった。

「お姉ちゃんは、何にも変わってないじゃない。わたしたちに一人ひとりに包丁を向けた。手に包丁を持ったまま長電話をして大声で笑っている。電話を置いたら止める間もなく、左腕から血を垂らす。お姉ちゃんは何も変わってない。一生スカウトでもしていればいい。お姉ちゃんは何も持っていないのよ。それを病気のせいにしないでね。お姉ちゃんが持っているのは錆びたカッターとカミソリと刺身包丁、自分の持てる時間や、情熱を注ぎこめる何も持っていない。わたしは子供のころから、お姉ちゃんが選ばれた人に見えていた。それは大学までずっとそうだった。わたしはサボらずにお姉ちゃんを追いかけていた。けれど、途中からお姉ちゃんは選ばれているだけの存在だったって気づいた。それは多分お姉ちゃん独特の気質によるものなのかもしれないけれど、選ばれていることにも、ふんだんに与えられているだけっていうことにもぼんやりとしていて気がついていない、お姉ちゃんはただのタバコを誰かが吸えばその煙の香りに、近くに強い香水をつけている人がいればその香水の香りに、そうやって染まるだけの何も持っていない、存在すらしているのかも怪しい、そんな空気みたいなものだって、お姉ちゃんはそうだって、気がついた。だからわたしは努力の方向をシフトした。そして漫画家になって、今更お姉ちゃんは、「漫画家かあ、いいなあ」って買い物に行って混乱をきたす。そうよ。お姉ちゃんは何も持っていないっていうより、いないっていう方が近いのよ」

 テンちゃんはそう言ってダイニングテーブルに座り直し、少しわたしたちと距離を置く。しばらく沈黙が続いた。そしてお母さんが、手の中で湯呑を握ったり回したりしながら言う。

「テンちゃん、そうは言うけどね、お姉ちゃんのこといないなんて言わないでほしいのよ。すべてを水に流そうなんて無理でしょう。でもね、お姉ちゃんは確かにいるのよ。わたしね、天気がいい日は洗濯をするでしょう? そしてね、わたしたちの寝室からベランダに入って、お姉ちゃんの部屋を覗く。ベランダにわたしが洗濯籠を持って現れるとね、ぱっとスズメが一斉に飛び立つの。それってどうしてかっていうと、お姉ちゃんはスズメと一緒に朝食をとっているのよ。わたしね、もしかしたらこの子はコーヒーとタバコだけで生きていけるのかもしれないって、本気で思ったこともあったの。でもその子が、フランスパンを粘り強く咀嚼している。スズメと一緒に。そういうことがね、咀嚼するとかそういうね、それがわたしを安心させるの」

 ダイニングテーブルの上のマグカップを両手で握りしめながら、テンちゃんは言う。

「お姉ちゃんの部屋はだいぶリフォームしてね。わたしの部屋は出ていくまで畳だった。お母さんのタンスが三つも置かれていた。わたしは小学校から使っていた『学習机』で漫画を描いていた。パソコンなんて触ったこともなかった」

「おい、いいかげんにしろ、お姉ちゃんはな、あの部屋で一生過ごすんだ。あの家から出て行けっこないんだ。それは病気だからだ。もうちょっと考えてみろ」

「ごめん」

「テンちゃんごめん。ファーのバッグはお母さんが買って、たまに借りようかな。お母さんから」

するとテンちゃんはどうしてか泣き出した。とても静かな泣き方だった。わたしの寝る前の赤ん坊の泣き声の摸写よりも静かだった。


 ビッグホーンの助手席にお母さんが座り、わたしは後部座席に座った。お父さんは振り向くことはなかったが、

「横になって眠れるなら眠れ」

と言った。そしてお母さんが、わたしにブランケットを渡しながら、

「果歩、あのバッグ、本当にお母さん、気に入ったんだからね」

と笑う。たまには有料で貸してあげるわよなどと付け加える。テンちゃんが悪いわけではない。周囲の人間を本当に大切にできる人間なのだ。テンちゃんは。そのあまりに声が大きくなってしまったり、笑い声も遠くまで届く。一人でいるときのテンちゃんを知っているわけではないが、きっと一人の時のテンちゃんは、「ひとり」という名前を付けたいほどに冬の一月みたいに見えるんじゃないかって想像する。帰省などしたときのテンちゃんを見ていると不思議な気持ちになる。テンちゃんはいつまでもコタツにもぐり込みながら、時々お菓子を食べて、後は漫画雑誌を夢中で読んでいた。それは幼い頃からわたしが病気になる前まではそうだった。わたしが病気になってしまえば、家中の空気、テンションが一気に張りつめた。家族のだれもが肩が凝ると嘆くようになった。お母さんは朝起きると、お父さんにこぶしで背中を叩かせて、それから降りてくるようだった。そしてあの暴力事件のあとは、テンちゃんは部屋に鍵をかけ、家中のお酒を飲んでいた。

なにが悪いのだろう? そう思うわたしは図々しいのだろうか? でもなにかとても大きな力に押されてここまで来てしまったっていう気がする。それは大きな川の濁流に腰までつかり、濁流は邪魔なわたしが立っているその位置に渦を巻き、わたしを濁流ごと流してしまいたがっているみたいだ。けれどわたしは濁流にのまれ倒され流され、ぶよぶよとした身体になってしまうのを、今のところ辛くも耐えている。それは赤ん坊からやり直すべき大きな流れだ。それは自然だ。

数年前、六色入りのボールペンを買って、ノートに色をきちんと順番に変えながら、星印を書き続けたこともあった。そしてある時自分のやっていることに気がついて、ノートもボールペンも紙袋に入れて捨てた。星印を書き続けたのは自然で、それに気がつきノートとボールペンを恥ずかしそうに捨てたのはわたしの自然に対する抗弁ではなかったのだろうか。

 けれど今、そんなお母さんの、たまには有料で貸してあげるわよって言う冗談に力弱く笑うわたしの笑い声とビッグホーンの中の暖かさ、流れているラジオ、それらが今わたしたち一家に、幸福をもたらしている。わたしたちはこのくらいの幸福で十分なのだ。誰がそれ以上の幸福を望むだろう。車の中から空を覗く。オレンジ色の空。こんなオレンジにわたしたちがどうして文句をつけたりしよう。


 もうメイクもしなくなっていった。部屋で鏡をのぞくこともなくなった。ただお風呂に入るときだけ、どうしても鏡を見てしまう。洗面所があるからだ。そこに写る妙に冷めた目をした、口元がだらしない、徐々に顔がダメになっていく過程にいるわたしが映る。でもそれすら気にしなくなっていった。あらゆる感情のネジをしめてしまったせいか、思うことはなんらビビッドではなく、なにもかもフィルターの向こうで小さくこまごまと動いているように見えた。

 わたしはある日、一日中の国会中継をブルーレイに録画した。部屋のテレビで毎日その録画した国会中継を流していた。お父さんもお母さんも多分、諦めろ諦めろと言っているのだと思う。テレビをつけたまま昼間もパジャマでベッドに横たわり、壁の方を向いている。諦めた。スタートには立たないし、なにか特別なことがない限り茶色いブーツなんて掃かない。とはいっても特別なことなどないのだけれど。毎日部屋を流れる国会中継ではあるのだが、それが何について討論されているのかまだ知らない。聞いていないのだ。諦めろと言うお父さんとお母さんだが、それはわたしが何も持っていないからだと思っているだろうが、今気がついている。テンちゃんの言っていることの方が当たっているのだ。わたしはどこにもいない。

わたしの傷つかない厚い外装はとっくに粉々になった。春一番がぬるい突風でわたしの外装のカケラなら、とっくにどこかへ飛ばしていった。わたしの中につまっていた世界中の人のため息は飛散して、世界中を憂鬱にさせた。世界は今憂鬱で、サラリーマンも春の陽気に楽し気になることもなく、ドトールの喫煙席を争って奪い合い、眉間にしわを寄せてタブレットを叩いていたし、学生はカラオケには行っても座って歌い、お酒を飲むことはなかったし、だいたいカラオケ屋は儲からなくなっていったから、単価を上げるしかなく、さらに学生たちはカラオケから離れていった。そうした人々の変化は単に不況からだけではなかった。世界をおおっているため息が皆を憂鬱にさせていたのだ。精神病院とカウンセラーだけが儲かっていた。カウンセラーは憂鬱そうな顧客に、三〇分のカウンセリングの最後に

「君の憂鬱はよくわかる。僕も最近眠れない日が続いていていてね。おや、僕が愚痴を言う立場じゃなかったね。僕もつい君みたいなクレバーな人に対しては、愚痴なんて、立場を忘れてこぼしてしまうらしい。そうだ、友達にならないかい? 僕を君の親友にしてくれとまでは図々しいことを言わないけれど。いつでも来てほしいマイフレンド」

このセリフはカウンセラー養成学校で誰もが教わるセリフだった。「リピート客を増やす方」という章に必ず書いてある。けれどカウンセリングの最後にこう言われた客は思う。この先生と俺にしか通じない何かがあるのでなないだろうか? 俺はもしかしたらこの先生の一番の理解者足りえるかもしれない。そして次の予約をとろうと受付に寄ると、半年先まで予約は埋まっているのだ。


誰もいない十畳の部屋に国会中継が流れている。リラックマのパジャマが乱雑に床に落ちているほかは片付いた部屋だ。ホコリも積もっていないし、床も掃除機がかけられている。そしてレースのカーテンから春の陽光がさしこみ、その模様がベッドのオフホワイトのシーツに影を作り、そしてそれは揺れている。国会中継はというと、さっき、大きなヤジがあがった。それに伴って拍手がパラパラと起きる。女性議員が誰かを責めている。とてもヒステリックだ。こんな女性と結婚する男性がいるのだから驚く。そのとき初春の強い風が部屋に差し込んだ。カーテンが大きく揺れふわりと舞い上がり、オフホワイトのシーツに映る影も大きく揺れた。デスクの上に開かれて置かれていた村上龍の「半島を出よ」のページが何枚もめくれる。アップデートされた「半島を出よ」かもしれないが、それを読んていた誰かは、その間の物語をしらない。誰もいない部屋に起こる小さなずれ。そのずれは大きくなることも小さくなることも多分、ない。

そのまま一年が過ぎた。誰も住まないこの部屋は、それでも毎日国会中継が流れていたし、夏には窓がしめられエアコンがつけられたし、秋はデスクに置かれる本がしょっちゅう変わり、やはり窓が開けられたままの部屋には、国会中継に負けまいとするような枯草や枯葉のかさかさとした音が差し込んだし、太陽の位置は低く、レースのカーテンの影はベッドをはみ出て、ドアの方まで進んだ。冬にはやはり窓も閉められるが、冬の始まりの突風の音は容赦なくこの部屋を揺らすみたいに、入って来た。それでも国会中継は流れ続け、突風の音が鳴る瞬間に大きな笑い声が起こることもあった。そのアンバランスさはどこか歪んでいて、そして奇妙で、部屋を不穏な空気にした。その誰もいない部屋に起こる不穏さを感じて、不安になる人などいなかった。部屋の主はいないし、起動しているスカイプも誰もつなげない。客など来るはずもなかった。


 師走、わたしはトイレから部屋に戻ろうと、台所を通った。もう大晦日も近かった。クリスマスは恒例のセブンイレブンのクリスマスケーキを夕食の後食べただけで、お父さんもお母さんもリビングでテレビを見ているようだった。十時を過ぎると散歩につき合わせていたチロも、わたしが疲弊していくのと比例するみたいに、徐々にご飯を食べなくなって、立てなくなったかと思ったら死んだ。チロはわたしとの散歩が、もうつまらなくなっていたのかもしれない。儀式のように散歩をしたが、いつも行く公園でもうブランコを漕ぐこともなくなっていたし、ただベンチに座って、セブンスターを吸うだけだった。銀河鉄道999を探すことも耳をそばだてることもなかったし、老犬チロはそのわたしのそばでただ座っていただけだった。

 チロは本当はわたしと一緒に、いつまでも銀河鉄道999を探す冒険をしたかったのかもしれない。それが犬の本気の本領だったのかもしれない。でもその飼い主のわたしは冒険も、スタートもしようとしなかった。チロはつまらなくなったのだろう。そして死んでいったのだろう。

 その台所のテレビでベートーベンの第九が演奏されていた。わたしはふっと立ち止まった。そして床にしゃがみ込み、大声で泣いた。随分長い間どこかへ鍵をかけられてしまわれていた涙だった。その涙の蓄えはとても膨大だった。チロは死んだ。何も食べなくなって死んだ。国会中継、レースのカーテンの影、春夏秋、そして冬。春一番、冬の突風、カウンセリングに長い列を作る人たち、世界をおおうため息。なにが悲しいのだろう。その悲しみをせき止めていたのはなんだったんだろう。今更チロの死を悲しみたくなかった。せき止めているのならずっとせき止めていてほしかった。そのままご飯が食べれなくなって、チロの後に死んでもよかった。昔、血は何回も見た。血っていうのは子供の頃に泣いてしまったあと、母親の腕に抱かれて眠くなるようなそんな気持ちにさせるものだった。

 多分、わたしは血を禁じられたのだろう。そして涙の貯蔵庫の鍵が破裂して、血の代わりに涙を流している。血はぽたりぽたりと垂れていくだけでよかったが、涙はそうはいかないようだ。悲しかったのだ。誰もいない部屋はさみしがっていたのだ。そして悲しいと部屋はつぶやいていたのだ。涙はせき止められたまま。

 わたしはゆっくりと感情のネジを元通りに開いていこうと思った。けれどそれはとても怖い想像をともなった。それは妊娠した患者に医者が言うような、「お子さんを産むことには協力します。そのように薬も調節します。けれどそのとき奥さんがどうなるかは責任が持てません」というセリフみたいなものだった。

 冬、寒い外から、エアコンの効いた暖かい部屋に入り、ゆっくりとマフラーを解いていくみたいに、そしてコートを脱ぎハンガーにかけ、きちんとクローゼットにしまうように、そんなふうにわたしは感情のネジを開いていった。とてもゆっくりでとても丁寧に。そして国会中継を流すのをやめ、子供用の電子ピアノを買ってきた。楽譜も買ってきて、一日中鍵盤をたたいていた。そして時折、セブンスターではなく、ピースを吸った。空気にさらされたばかりの感情は、まだ粘膜だ。そこに何か際立って冷たいものや熱いもの

当ててはいけない。だからわたしは感情を少しずつ開きながらも、ずっと聞いていなかった音楽に慣れようとしたり、両親の何気ない言葉を大きく拡大して捕えたりしないように訓練した。そう、そうやって冬は徐々に過ぎていった。そして二月になった。

 正月に帰ってきたテンちゃんは、わたしに優しかった。けれどその頃はまだ感情をどう表出すべきなのかわからないままで、わたしはただおとなしく、お雑煮を食べたりカニの殻を剥いたりしていた。そしてテンちゃんが帰ろうとするその後を追って、玄関で、

「わたし徐々にまた居るかもしれない。そういう存在になるかもしれない。けれど今度は間違わないようにする。けれど、その過去のたくさんの間違いは自然っていう大きな濁流とそれに抗おうとするわたしの意志が、少し間違った方向へ逸れていっただけだったってこともわかってほしい。あのね、吉祥寺で買ったあのファーのバッグ。あれ、お母さんに二万円払って、買ったの。気に入って使ってるっていうか、部屋に飾ってる。わたしはゆっくりとあのファーのバッグを好きになっていったの」

テンちゃんは笑って

「もういいよ」

とだけ言って、ハッピーニューイヤーと叫びながら、門の前に止まっている車の助手席でわたしたちに手を振った。

 わたしはテンちゃんにもらったダッフルコートを着ることはほとんどなくなっていた。その代わりに去年買った、濃いブラウンのピーコートを着ることが多かった。確かにテンちゃんにもらったダッフルコートはわたしには大きすぎることは玄関に置かれた姿見に映せば一目瞭然だった。なぜ去年はそれに気がつかなかったのかわからない。そでが手をすっぽり覆うような借り物じみたダッフルコートを着たわたしをあの少年たちは本当にスカウトマンだと思ったのだろうか。本当は見透かしていて、パイナップルレコードだってさと後で友人らに吹聴して笑っていたのかもしれない。

 わたしは昼間、パーフェクトホイップを買いにドラッグストアまで自転車に乗って行った。わたしがパーフェクトホイップと胡散臭いコラーゲン1000というドリンクを買って、自転車に戻ると、自転車に大きなハチが止まっていた。わたしはどうしていいか分からなくて、店員さんに言おうかとか、誰かに助けてもらおうかとか、様々考えながら、少し自転車から距離を置いて、立っていた。そこにネイビーのディーゼルのダウンとリラックスパンツをはいた男性がわたしの隣の自転車のかごに荷物を載せていた。

「あの、わたしの自転車に大きなハチが止まってて。どうにかならないですか?」

とその男性に訴えると、眼鏡のずれを直しながら、ほら、ここに、とわたしが指さした場所を見ている。

「ほんとだ。随分大きなハチだな」

そう言って、腕をぶんぶんハチのまわりで振り回しながら、おいこら、どけよ、お前なんかあっちへ行け、このやろう、てめぇ、などと独り言を言いながら、ハチを追い払おうと懸命だ。しばらくそうしていて、やっとハチは飛んでいき、ありがとうございましたと頭を下げて、そして頭を上げてその男性を見たとき、わたしの感情のネジがすべて開いたことがわかった。そこには大輪の紫色の花があった。つまりその男性にわたしは恋をしてしまったのだ。わたしはまたスタートを切る。誰にも内緒にしている人、何回裏切られてももう一回、もう一回と信じることができた人、その人を知っていることがわたしを絶望しても死なせなかった、血を見るだけで助かった、そんなプライドを与えてくれた人で、いつかこの男性に、そのわたしのプライドの根源を伝えることもできるかもしれないという予感もした。

「あの、春になるとあの駅の近くの公園がお花見の広場になりますよね。松原駅近くの。もしよかったら、その公園で春になったら一緒にお花見しませんか?」

わたしはやっと何事かを成し遂げたって思った。もうこれで十分にも思えた。

「春まで待たなくても君と僕との休みが合えばお茶でも飲もうよ」

その男性の目が見えない。まぶしいのだ。逆光だからかもしれない。

「いつがお休みなんですか?」

「土日だね。君は?」

「わたし小説家志望なんです。今は家でゆっくり小説書いてます。家事を手伝いながら、その一方で小説を読んだり、小説を書いたりして、たまにアイスコーヒーをブラックで飲んで、そんな風に過ごしてるから、月火水木金土日どれも休みかも」

そう言って笑った。するとその男性も笑ってくれた。その男性は大きなバッグからメモ帳を取り出して、携帯の番号を書き、わたしに渡してくれた。

「電話とかしてもいいんですか?」

「もちろんだよ。でも平日は夜中に帰ることも多いから、出られないかもしれないけど。残業が多いんだ」

「じゃあ、土日のいずれかに電話します」

「待ってるよ」

わたしは自転車をことさらゆっくりと漕いだ。もし月夜だったらETが見えるのだろう。そのETの上を必ず銀河鉄道999は通るはずだ。どうしてかというと秘め事ができたからだ。それは砂漠に大きな芍薬がポツリと大きな花を咲かせたみたいだった。その大輪の芍薬はとても強くって、砂漠の砂が混じる横から吹く風にもびくとも動かない。そんな花が胸のうちいっぱいに広がっていた。

 恋のスタートはとてもうきうきしていて、簡単に思えた。電話をかける、それがスタートとなる。それだけに思える。あの紫の花を手折ってしまって、わたしの部屋の花瓶に活けたいとすら思う。だって、あの男性から「お茶でも飲もうよ」と誘われたのだ。だったら、「お茶するの、いつが都合がいいですか?」という質問につきるような気がする。

わたしは土曜日を待った。いつ土曜がくるのだろうと思った。カレンダーを見るとあと六日後に土曜日らしい。そのカレンダーの情報は正確なのだろうか。わたしはパソコンのカレンダーを見る。やはり土曜日は六日後だ。それは確かに正しい知識なのだろう。それにしても六日とは。長い。その間わたしは何をすればいいのだろう。おしゃれをしてヒールのブーティーを履いて百貨店に行った。不思議なのだが、電車内の広告の賑やかな鮮やかさも、白々しさもどちらも感じない。わたしの視界はとても狭いのに、同時にとてもワイドに広く見渡せるような気もしていた。その一歩先にあるかもしれないトラップはないと断言できるような気がする。その一歩先に待っているのはトラップなんかじゃなく、魔法だ。その魔法は女子をきれいに、レディにさせる。そんな魔法がもう一足先にある。

 わたしはイヴサンローランで紫のパレットと赤のパレットと、ブラウンのパレットのアイシャドウを買った。リップはディオールで、チークはシャネルだ。そしてクレ・ド・ポーボーテまで行き、六日間分のパックのセットも買った。


 わたしは幼い頃、病的なほど「片付け」が好きな子供だった。土曜日や日曜日、わたしはわたしの時間を使って、家じゅうの引き出しを片付けていくのが好きだった。段ボールを買ってきて、細かい仕切りを作り、ペンコーナー、ホッチキスコーナー、ボールペンコーナー、っていう風に分けて整理した。また家にあった爪切り、三本はここっていう風に。先週もやった。でも今週もするのだ。そう体温計はここ、耳かきはここっていう風に。それにはとても長い時間が必要だった。わたしはその頃「暇」というのがわかっていなかった。もしわたしに暇が訪れたなら、それは引き出しの整理に費やしただろう。そして「片付け」が終れば、わたしは読書をした。幼児向けの本から大人が読む本まで。村上龍の「限りなく透明に近いブルー」は小学四年生で読んだ。少し頭痛がしたのは、わたしがセックスに疎かったからだ。

 

 そんな風にお手入れしたり完ぺきにも見えるメイクをしたり、子供の頃の回顧をふとはじめ、家中の引き出しを整理してみても、静かな時間は頑固にそこに横たわっていた。横たわる時間はとても「のろのろと」過ぎていくように思えた。

 何も持っていないわたしも、そこにいないわたしも、知らなかった「暇」をわたしはやっと知った。暇っていうは何かがあるからそこにいるのだと思った。ジャンプして向こう側にたどり着こうとしたって、それは無理なのだ。その不可能さと頑固さが時間の特徴なのだ。

 そしてわたしが知ってしまった暇は、わたしには新しく若々しいものだった。桜の蕾。まだとても固い。そんなものに似ていた。もちろん今は桜は固い蕾さえつけていないが。

 わたしはベッドの上に存在した。エアコンをつけて薄着でベッドにうつぶせになっている。最近は起きるとパジャマを脱いで着替えるように気を付けている。それは着替えによって、少しの暇を使って暇を短くしようというばかばかしい魂胆で、丁寧に服を選び、丁寧に着替え、丁寧にパジャマを畳みしまっても、そう時間はかからなかった。ネイビーのタイツ、チェックのショートパンツ、グレーのカットソー今日はそんな恰好だ。ベッドにうつぶせになるわたしのグレーの背中には、多分、冬の暖かい陽射しがカーテンの模様を写しているだろう。そして冬の外の風は冷たい。けれどその冷たい風はこの部屋に絶対に入ってこないのだ。そんな幸福で富んだスペース。

 わたしは朝起きて、歯磨きと洗面を済ませ、そんな風にゆっくりと着替えると、メイクをする前から、ああ、もう夜になってしまえばいいのにと思い、メイクを済ませると、ああ、もうこのメイクを落としてしまいたいと思うのだ。それは決して絶望の姿でも血を懐かしんでいるわけでもなかった。恋愛の感情を抱く。その有様だった。

 トイレに行こうと、階段を下りると、お母さんが台所で何かを煮ていた。甘いようなしょっぱいような香りが漂っている。

「果歩、最近、随分おしゃれだね。どうしたの?」

「心境の変化よ」

「それはいい方への心境の変化だよね」

「そう。それは間違いなく『いい方への』心境の変化。気にしないで」

「ならいいんだけど」

鍋を覗くと里芋とイカを煮ているらしかった。

 トイレから出て思う。わたしは昔はもっと長い時間、手を洗っていたっていう気がする。洗顔だって泡立てたパーフェクトホイップをいつまでも顔に乗せていた。以前のろのろとしていたのはわたしだし、時間ではなかった。のろのろとしているわたしには時間がゆっくり過ぎていくことなんてわかるはずもなかった。時間について考えることもなかった。国会中継が流れっぱなしの部屋でテレビを背にしてずっとアイボリーの壁を見ていた。抗わなかった。抗弁もしなかった。それはただ従順だったっていうだけじゃなかった。知ろうとしなかった。知ろうとしなかったから、知る機会を持たなかった。知らないだけならよかった。けれどわたしは知ろうとしなかったのだ。知ろうとしないという姿。とても奴隷に似ている。

 

 そうしてやっと六日間が過ぎ、今土曜日の午後一時だ。普通に働き、普通に生活をしている人の午後一時の意味がどうもつかめない。正直言ってもう降参してしまって、お母さんにアドバイスを求めたいという、両親の目の前で服も脱ぎ下着も脱ぎたいような、妙な切迫を感じてしまってしようがない。いまわたしの部屋に手折られた紫の花が、生き生きと飾られていたら、きっとわたしはその花を食べてしまっていただろう。そしてそれだけじゃ満足できなくなって、むしゃむしゃと食べてしまうかもしれない。わたしが大切にし、求め、必要だと感じたものの扱い方はいつだってそうで、それ以外の方法をわたしは知らない。そんな気分なのだ。つまり、わからない。つまり、心細いのだ。人類の誰も知らなかった雷が、今なりだしたとする。ゴロゴロと音がし、空にぴかっと稲妻がジグざくな模様をつけ、どこかに落ちる爆音を響かせる。世界中の人たちは思わず家を出て、頭を押さえながら逃げまどうだろう。今のわたしは多分それが起こったら、すぐに諦念せず、逃げまどう人たちを冷静に見ながら、部屋でコートを着てマフラーを巻き、ウールの靴下を履いて、そしてラグのそばに灰皿を置き、ラグの上に座って、冷静にセブンスターに火をつける。今のわたしはそうなのだ。頭の中はあくまでも冷たい。

 時刻はおそらく午後一時三二分だ。とりあえずわたしの部屋に置かれたデジタルの時計によれば午後一時三二分なのだ。そして思いきって電話をかけようとした。そしてふと気がつく。電話をかけるのはいい。だけどなにか気の利いたことを言いたいものだ。挨拶。話の切り出しかた。上手な喫茶店への誘い方。誘い方? それって誘ったのはあの男性だったはずだ。なにかだんだん腹が立ってきた。電話なんてしてやるものかと思う。そしてもう一回声を聞きたいな、って思ったとき、わたしはどんどん縮小していった。まるでわたしはいないみたいだった。けれど以前存在しなかったわたしとは違う。少し目を凝らして見てみてほしい。わたしは片手に電話の子機を握りしめたまま、コメ粒ほどの大きさで、そこに確かに存在しているのだ。つまり心弱くなってしまった人間は必ず米粒になるらしい。

 わたしはただ時計を見ていた。そして二時になった。いくら残業したとしても、もう起きているんじゃないかって思う。デジタルの時計は二時一〇分に変わった。メモにある電話番号をゆっくり押していった。その時のわたしは米粒なんかじゃなかった。身長一五八センチの、夕べだって、クレ・ド・ポーボーテのマスクをした三二歳の女だった。人類が初めて経験する雷がお隣の家に落ちても、気の毒に、と思ってそれでもタバコを吸うのをやめない、そんな冷たい頭、そんな風に電話をかけた。

チロ、スタートをわたし始めた気がしてる。チロはいつだってわたしのスタートを待っていてくれたんでしょう? そして待ち過ぎて、待つのに疲れ、ご飯が食べられなくなったのでしょう? でもね、わたしもうとっくにスタートはしていたっていう気がしてる。どこにわたしのスタートがあったかなんて、わたしにもわからない。もしかしたらお母さんのお腹にいるときにスタートはしていたのかもしれない。わたしね、チロは知らないかもしれないけど、ただのわがままな人間に見えていたかもしれないけれどね、スタートを切った、そう思ってワクワクした、そうするとね、謝らなければならないの。ずっとね、謝ってきた。社会っていうのはわたしが謝るっていうことだった。謝ることの怖さにもいつの間にか慣れた。はじめのうちは感じていたの。謝っている最中のとてつもない恐怖。それを感じなくなっていく。慣れていく。謝るのなんて、簡単なの。頭を一回下げてまた頭を上げる。「すみませんでした」って言いながらね。

昔はね、わたしの外装は薄っぺらい、くにゃりと曲がる童謡の読み聞かせが入った緑色のレコードみたいなものだった。だんだんね、固く厚くなっていった。その中に入っていたのはもちろん世界中の人たちのため息だったけれど、もちろんわたしのため息だって混じっていた。わたしため息はとても深くて大きかった。とてもとても大きなものだった。そして重かった。そのとも深くて大きな、そして重いわたしのため息は底の見えない暗い井戸の底にたまっていくだけだった。それは多くの人を自殺させた。

わたしは自殺だって、血だって、とうに禁じられていた。わたしの姿っていうは微細によく見ると、後ろ手に荒縄で両腕を縛られていた。パジャマを着たままでね。そしてそれが私がいないっていうことだった。テンちゃんの言っていたことは確かに当たっていたのよ。

スタート。人はどうスタートするのか知らないし、スタートがどこだっていうこともよくわからない。でも今子機のボタンをゆっくりと正確に、確かに押している。

 「もしもし」

「もしもし?」

「わたし、あのセイムスでハチをおいはらってもらった、」

「ああ、君か」

「なんだか寝てたみたいね。ごめんなさい」

「違うんだ。俺は何時まで残業したって六時には目が覚める。インコを飼っているんだ。六時にケージのカバーを開けなきゃならない。だけどお昼ご飯を食べると少し眠くなってくる。っていうか少し何かを意識することを中断すると俺っていうのは眠ってしまうんだ」

「そうなんだ。意識してないと寝ちゃうんだ」

少し笑った。

「この前、土日のいずれかに電話するってわたし言ったでしょう? 今日は土曜日だから」

「うん。確かに土曜日だ。俺だって君からの電話を待っていた」

「喫茶店に行きましょう」

「明日でもいいかい?」

「それは構わないけれど」

「今日は洗濯しなくちゃならないんだ。一週間分の洗濯だ。夕方以降ならいいけど、喫茶店でお茶を飲むって、なぜか昼間の方がいいって気がする」

「そうかもしれない」

「そうだろ? そして俺はタバコを吸うんだけど、君は?」

「わたしは、時々ヘビースモーカーになる」

「俺も本を読んでいるとき、ヘビースモーカーになる」

「わたしはね、この前話した通り、小説を書いているでしょう? そのときにね、とってもヘビースモーカーになっちゃうの」

「作家っぽくてかっこいいね」

「じゃあ、明日ね。三時にドトールの喫煙スペースで待ってます」

 電話を終了したわたしに残っていたのは疲労と虚無感だった。けれどその疲労は病気に引きづり回されて、越谷レイクタウンの喫煙所でしゃがみ込むような疲労ではなかったし、昔、抱き、どうすることもできなかった動けずに消えていくだけの虚無感とも違った。今抱いている虚無感は、なにもかも、わたしの内にあった情熱のすべてを、緊張しながら、けれど冷静に、そう使いきった後の虚無感だった。

 わたしは子機を返そうと、下に降りていった。お母さんがそのわたしの姿を見て言う。

「ねえ、果歩、朝着替えるっていうの、いいでしょう? 朝ね、着替えるとね、比喩だけど、身体が軽くなって朝を感じるでしょう?」

「そんな気もする」

わたしはあまり言葉をたくさん言いたくなかった。部屋に戻って今のあの男性との会話を反芻したかった。たくさんの言葉がその間に挟まれ、その電話の会話が薄められていくのが嫌だった。

「そろそろ、スマホでも持つかい?」

「うん」

そういって部屋に戻り、ベッドにどさっと横になる。電話の内容がほとんど思い出せない。午後三時ドトールの喫煙スペース。わたしはベッドで大きく寝返りをうち、

「キャーッ」と叫んだ。


 彼の名は近藤浩一といった。段ボール会社で働いている。工場は夏、とても暑く、冬は指が動きにくくなるくらい寒いそうだ。

「段ボールって侮れないんだ」

浩一君はそう言って少しアイスコーヒーを飲む。

「紙って案外手が切れる。段ボールだって例外じゃないんだ。危ないんだ。夏でも長袖を着て作業するのはそのためなんだ。そして段ボールって軽いっていうイメージがあるだろう? けれどそれも勘違いなんだ。まとめて肩に担ぐ段ボールは結構重い。昼飯は弁当が出るけれど、その中の白米の割合が俺は気に入らない。だから夜ご飯を炊いておいて、朝タッパーにたっぷりと詰めて、職場に持って行くんだ。そう、1Kの部屋で一人暮らしをしている。そりゃあそうだろう。三四にもなる男が実家に住んでちゃ気持ちが悪くないかい? そう、だから俺はどんなに遅く帰っても、ご飯を炊いてタイマーを一時間一五分後にセットして、転寝をして、タイマーが鳴ったら、ご飯をかき混ぜてまた眠る。そして朝タッパーにご飯を詰める。その毎日が気に入っていないわけででもないんだ。ご飯がおいしく炊けるかどうか。それはとってもスリリングな出来事でね。こんな話つまらないかな?」

「白米のスリリング。とっても興味深いわ」

「君の日常にスリリングはあるかい?」

「去年まではね、スリリングだった。それなのにわたしはスリルを感じていなかった。壊れやすい殻の中にため息はたまっていった。ただの気体にしか過ぎないため息たちは、なぜかとてもわたしの身体を重くした。それはわたしが求めたスリリングではなかった。けれど年末に、ベートーベンの第九に救われた。その時にたくさん泣いたの」

「うん」

「そしてね、なにによってなのかもわからない。いまわたしは確かに存在しているっていう気持ちにもなれるし、わたしの中にはわたしがいて、それはわたしが思うわたしとこのわたしは全くの同一人物だって思える」

「君の中にバラバラな君が以前はいたんだね」

「そう。でもその中にはわたし以外の他者だっていた」

「確かにドトールの中は暖かいけれど、どうして君はこんな季節にアイスカフェラテを飲むんだい?」

「極度のね、猫舌なの。浩一君だってアイスコーヒー」

「俺もなんだ。俺も極度の猫舌でね。俺っていうのは極度の猫舌を持つやつと、とっても気が合うっていうことが統計上、わかってる」

二人で笑った。それは真っ青な空に浮かぶ積乱雲のような笑い方だった。わかれた。そして来週も日曜日のこの時間のここで、って約束もした。

自転車にまたがろうとしていた浩一君に大きな声で言う。

「あのね、わたしスマホ持つことにしたの。使い方わからないかもしれないから教えてね」

「そしてね、だからね、浩一君と確かに繋がれるって、スマホを持ったら思えると思う」

浩一君は振り向き、

「了解!」

と言って自転車を漕ぎだした。

 つながることを拒否されなかった。浩一君はとても柔らかく、ふんわりとそれを受け止めてくれた。わたしはそんなことを実感もともなわず、特にうれしいとも感じないままマフラーを取り、いつもは適当にイケアで買ったボックスに、帽子なんかと一緒にいれてしまうのに、今日は丁寧に畳んでみた。だからどうしたっていうわけでもない。畳まれたマフラーも、適当にボックスに入れられたマフラーも別にしわができるっていうわけでもない。普遍的なマフラーの収納法についてしばらくコートを着たまま羊毛のラグに座って考えていたが、答えは出なかった。そしてふと我に返り、コートを脱いでホコリをブラシでとって、クローゼットにしまった。その脱いだコートにブラシをかけてからクローゼットにしまうっていうことも珍しいことで、わたしはいざ着ようと思ったときに、クローゼットから出したコートにブラシをかける。今日はただいまとも言わず、部屋に戻ったが、なにかぎくしゃくしている。歯車の一つが油をさされずぎしぎしとゆっくりとしか動かないせいで、ほかの歯車も調子が狂っているみたいだ。

そしわたしはもう一回、調子が狂ったまま回顧する。「つながることを拒否されなかった」。わたしはしかめっつらでベッドに座り、腕を組んでいた。そうしていたら突然馬鹿みたいに笑い出した。そして背中をベッドに倒す。わたしの実現。かかわったり、つながることで実現されたわたし、そう思うと、大声で笑わずにはいられない。多分わたしの大きすぎる喜びの表現っていうのは馬鹿みたいに笑う。そういうことみたいだ。デジタルの時計を見ると現在の時刻は午後五時一七分。そこに意味などないのだろう。意味があるとすれば今日本はおそらく午後五時一七分であるということだけだ。

 そして何回も読んでいるジャニスの伝記を読んだ。多分ジャニスの伝記っていうのは、読んでいるそのときの気分を増幅させるような作用があるだが、その日のジャニスはもしかしたら幸福で、わたしもきっと今幸福で、そんなあたたかい涙がポタリと本にたれ、慌ててティッシュでその涙の玉をふき取った。

たまには土曜日のこともあった。けれどだいたいは日曜日の午後三時にドトールの喫煙スペースで毎週会うようになった。そして季節は春を迎えた。そしてスマホが金曜日の夜に鳴った。

「日曜日、お花見に行こうか。あの君が言ってた松原で」

「うん。あそこで店も出るんだ。だいたい毎年、一人であの公園でお花見をしてた。必ず、イカのポッポ焼きと、たこ焼きは食べる。今年は浩一君と行ける。でもそれでもイカのポッポ焼きとたこ焼きは食べると思う」

「俺は必ずやビールを飲むだろう」


四月のちょっと前、三月二九日、日曜日に、わたしたちは大きな、横に太い枝を大きくはる、桜の木の下に小さなブルーシートを敷いた。わたしは予言通りイカのポッポ焼きと、たこ焼きを買ってきて、そのわたしと入れ替わるように浩一君は広島焼きとチョコバナナのクレープと、ビールを二本買ってきた。そしてそのうちの一本をわたしに渡す。

「なんだかそれほど冷えてないような気がするけど。別に飲めるんだろう?」

「ありがとう。でもそのクレープってなんだかおかしい」

「おかしくないよ。食前酒を飲み、広島焼きの食事を済ませたあとのスイーツさ」

風が吹いた。けれどわたしたちが飲むビールに水をさすようなそんな冷たい風じゃない。義務教育の間、体操着を着てグラウンドを走っているときに、吹くような風で、それはその頃のわたしに何回も「あ、今春がきた」と思わせた、そんな風だった。

 三月の終わりの桜はそんな風にもざっと音をさせて花びらを舞いさせる。

「あの、わたし実は病気をね、もってて。身体じゃないの。心の病気。長い間わたしのいる場所が明るいのか暗いのかそれだけを知ろうとしていた。けれどそれすらわからなかった。けどね、今はわたしは明るい所にいるって知ってる。それが間違いじゃないっていう自信もある。そんな風にね、産んでくれたのって、確かにね、浩一君なんだ」

「うん」

「わたしはね何回も血をね、床に垂らしたの。ぽたりぽたりとね。血っていうのはすぐに固まってしまうものだから、すぐにね、拭かないといけないの。そしてフローリングの床を拭いていると、また床に血が落ちていく。それにイライラしたりはしないの。ただ血を見ながら安心するだけ。そして血を垂らしながら血を拭くっていう矛盾をいつまでも飽きない。矛盾だとすら気がつかない。そしてね、それは幼い頃、思い切り泣いた後、母親に抱かれて安心を得ることととても似ているの。でもね、わたしの記憶がそれをたまに固まらせることがあるの。その固まりは鉄のチェーンで身体中を縛り付けられる感じと、とてもよく似てる。どうしてかっていうとね、私は五歳まで青森で育ったの。そう、父の実家。三歳ころからの記憶だって思う。その青森の家の縁側でね、母はわたしを抱き、ゆっくりと揺らしながら、

『ああ、かわいい。ああ、かわいい。ああ、食べちゃいたい。ああ、食べちゃいたい』

と繰り返すの。わたしはその『食べちゃいたい』っていう言葉の意味をわかっていたし、食べられるのがわたしだってこともわかっていた。身体が固まるの。足が突っ張って動けなくなるの。それはとても長く続いた。そして母がおばあちゃんになにか呼ばれるまで続く。そこで終わるの。でもね、鉄のチェーンでいつも縛り付けられている感覚はずっとあったな。身動きが取れなくって、自由が利かないの。おねしょもしなかった。反抗もしなかった。けれど少しわがままできれい好きだった。そういう子供だった。でもね、だいぶ後になって知ったの。母はいろんな、そう、母親とか兄弟とかそういうね、懐かしい存在に、毎日無言電話をかけてた」

わたしはたこ焼きを一つ口に入れ、ビールを飲んだ。そしてイカを口にいれようとしたら、イカについているお醤油とマヨネーズが口の周りを汚した。そしてそれをわたしは舌でなめとった。浩一君は広島焼きを食べながらビールをおいしそうに飲み、わたしの言葉を聞いている。

「でもさ、今小説家を目指してるんだろう? それって俺にはとって、ものすごいって思える。小説家であることももちろんすごいんだけど、それを目指しているっていうのもすごいって俺には思える。俺は高校を、まあバカ校だったんだけど、そこを卒業する前、例えばケーキ屋の配達員とか、コンビニの弁当工場の作業員とかそういう面接を受けて、受かったのが、段ボール会社だった。そしてそこで働いて、そう、今だって働いている。俺はスポーツカーも趣味だし、釣りも趣味だし、プロレスも好きなんだ。でもさ、果歩ちゃんが小説を読むっていうことが好きで、そして疑いも挟まず、小説を書こうっていう、小説家になろうっていう、そういう風に思えることがさ、俺にはできないことで、果歩ちゃんにはできることで、それってなんだかすごいなあって思えるんだ」

「そういうことって考えたこともなかった。わたしが小説家になろうって思うのって、当たり前のことだと思ってた。妹も多分漫画が好きだったから漫画家になったんだって思う」

「それって当たり前のことではないよ」

「そっかあ。でもね、わたしの作家修行ってのは、ワードを開いて『そ』って書いて消し書いて消し、それだけだよ。今のところ」

「『そ』かあ。そ。ドレミファソラシド。ソラ? そうだ! 『そ』の次に『ら』を書いて変換してごらん。空。ほら見えるだろう青い空が。登場人物は果歩ちゃんと俺だ。花見をしながら、ビールを飲む。さくらが舞って、その中で内緒の話をするっていう物語」

「内緒の話?」

「なあ、結婚しないか?」

「結婚?」

「うん。結婚。はじめから果歩ちゃんをきれいでかわいい子だなって思ってた。それがドトールで会うたびに掛け算されるように、もっときれいでかわいい子だなっていう気持ちは強くなっていった。弱さを見せられるそんな強さをどこで修行したのだろうとも思った。『お付き合いしましょう』って言った方がよかったのかな。でもそれって段ボール会社で段ボールを運んでいる三四歳が言うようなセリフにも思えなかった。だから、俺は大根の味噌汁が好物で。それをたまには作ってほしいんだ」

「じゃあ、わたしも秘密を打ち明けるわ。あのね、わたしたちの上に枝をはる大きな桜の木、あの根元にはね、もうとっくに朽ちたわたしが埋まってるの。わたしの身体には植物には向かない毒素が充満してる。それをあの木はゆっくりと吸いこんでいる最中で、だからゆっくりとあの桜の木の枝の先は色が変わり始め、それはその木全体に及ぶ。そしてね、今それを後退できないっていうことに、あの桜の木は気づき始めていて、どう後悔しても仕方ないと、下を向いてうなだれている。そして梅雨になったら色が変わってしまって、枯れた木は湿気を吸い取って腐っていく。そして夏のある日、大きなどずんっていう音とともに、あの桜の木はね、根元から倒れてしまう。そして犬を連れて散歩をしていた人が通りかかって、早朝に気がつく。夏の早朝、木の根に白骨死体が見える。『あ、白骨死体だ』って犬のリードを持ったままその通行人はつぶやいて、そのまま散歩を続け、家に帰る。そして朝食を食べながら、『ああ、そういえば白骨死体を今日見たなあ』と心の中で思う。そして朝食のほうれん草のおひたしを口に運ぶ」

「なるほど」

 わたしは浩一君が食べているチョコバナナのチョコが口の端についているのをぺろりと舐め、

「結婚してあげてもいいよ」

と言ってどさっとブルーシートをはみ出て芝生に横になって、スプリングコートが汚れるのもかまわずに、浩一君とは反対側に寝返りをうって、肩だけを震わせて笑っていた。あの井の頭公園にいた六七歳のおじさんの言った通りだったのかもしれない。ワードを開いて「そ」って書いた。おじさん、そうなの。「そ」をずっと心の中に沈殿させてた。それは意識できないほど深い所にだった。でもずっと離さなかった。そしたら紫の花が最初に咲いて、次に赤い花が咲いた。そして今頭上には桜が舞っていて、世界の時間の進み方も、色合いもみんな変わり始めた。おじさん、「そ」の次は「ドレミファソラシド」の「ソラ」なんだって。「そ」の次は「ら」。つまりそこで変換すれば「空」っていうわけ。

浩一君は、笑いながら

「ラッキー!」

と言って、また更に笑う。


 両親に相談したところ夫婦二人でなにか眉毛を八の字にして「これは弱ったな」という顔をしている。お父さんは妙にお茶をお代わりしたし、いい加減色もついていないようなお茶のつもりの湯をお母さんは飲んでいる。そしてお父さんは、まるで結論でも出すような顔をして、特大の湯呑を妙な迫力でコタツの上にどんと置き、

「先生に相談するしかないだろう」

と結論にもならないような結論を出した。

 病院へはいつも一人で電車とバスに乗って行っているが、その日はお父さんがビッグホーンを運転し、お母さんは助手席で黙ってた。そうかと思うと、「お父さん、この前この子が言ってたんだけど、あの暴れん坊将軍の松平健だっけ? あの人がおかまだなんてウソよねえ。だってなんだかりりしい顔してるって思わない? ねえ、」

などと言ってみるが、お父さんは革ジャンを着たまま

「俺は知らねえ」

とにべもなく言うばかりで、そういう態度をとられれば、たいていの人は少し頭にくるもので、お母さんも例外ではなかったらしく、ぷいと反対側の窓に顔を写している。

 病院に着くとお父さんは運転席で革ジャンを着たまま腕を組み、お昼の情報番組を見ていて、お母さんとわたしは待合室で診察の順番を待った。

 わたしたちの順番がきて、わたしは診察室に入ると、ひたすらにやにやしていたが、お母さんは先生に困ったような顔をしながら、

「先生、うちの子、一回くらい結婚させてもいいんでしょうかねえ」

と言うので、先生は

「お母さん、普通結婚っていうのは一回しかしないものですよ」

と先生が笑った。


 そうして籍を入れるのは浩一君の、こうちゃんの誕生日にしようということになり、それに先立つ七月に引っ越すことになった。大きな和食の店で身内だけの食事会は開かれ、わたしはゆっくりと引っ越しの準備をしていた。お母さんが洗濯物を取り込みながら、わたしに言う。これからはこういうことを果歩がやるわけよね。果歩、本当に七月にこの部屋から出ていくの? ときょとんとした顔で言って、それは七月の一〇日、引っ越しの前夜にも、夕方台所に立つお母さんは背中だけでわたしの気配を感じ取ると、

「ねえ、果歩? 明日本当にあの部屋から出ていくの?」

と言って、炒め物をじゃっといわせてから

「なんだか天変地異が起きたみたいよね」

と言った。

 そして結婚した。八月三日、こうちゃんの誕生日に籍を入れ、暮らし始めてもう三か月になる。そのころはわかっていなかったのだが、わたしは素直になれなかった。そんなことを誰も思ってはいなかったのかもしないが、わたしにはハンデがあると思っていた。こうちゃんは健康でわたしは病気、盲腸やインフルエンザと意味が全く違う病気を負っていたからだ。なにもかもわたし自身がやろうとしたし、こうちゃんに手伝わせることに苦痛を感じないではいられなかった。


そして一応持ってきた例のヤシの木で編まれたベッドだったが、思えばそれはシングルで、三年の間にわたしは二回ベッドから落ちた。わたしはこうちゃんが一人暮らしの部屋から持ってきた布団をベッドの横に敷いて眠ると主張したが、こうちゃんは

「絶対にいやだ」

と言ってきかなかった。


わたしたちのモルタルのアパートの窓から侵入したのは蛾かと思ったらモンシロチョウだった。そう言ってこうちゃんは両の掌で柔らかくなにかを隠している。そしてわたしのそばに来て、ほらね、と言って手を広げた。とげとげしくない灯りの元、そのモンシロチョウはわたしに見つめられ、そうして見つめられていることに照れたのか、静かに羽を震わせ、外の暗闇の中に飛んでいった。

「モンシロチョウにとって、この掌の中の方が安全だと、思ったとしても、飛んでいかなければならなかったんだろうな」

とつぶやいた。わたしは

「わたしもそう思う」

と答えた。




 結婚して一一年目だ。わたしはワードに「空」とだけ書いたわけじゃない。結婚して多分、八年くらい経ったころ、やっと思い出したのだ。昔とても大切だった存在を失ったこと。その大切だった存在とは小桜インコのふみちゃんだ。失った瞬間、わたしの中に語られるのを待っている言葉がたくさん詰まっていることに気がついた。それを思い出したのだ。それは隣にとても大切だと思う人が寝ているっていうことがそれを思い出させたのだ。眠るときシングルベッドゆえどうしても身体がこうちゃんと触れてしまう。それをこうちゃんはいやがらない。それは昔「なにか」っていうだけで憧れていた、テンちゃんのダッフルコートとグレーのニットのマフラーを身に着けているそんなスカウトマンでもなかったし、漫画家でもなかったし、「なにものか」でもなかったし、わたしはわたししかいなかったし、わたしは小説家を目指していた。そして三年書いては文芸誌の公募に応募してみるが、いつも落選している。けれどだからと言って、諦めようとは思わない。

「なにものか」に憧れることを否定はしない。たくさんの人はその過程を踏む。一週回るだけで済む人もいるだろう。スタート地点に戻ってケロッとした顔をする。わたしはといえば、何週も回った。回りすぎて歩き疲れ、スタート地点に戻れなくなり、長い間、その場所にしゃがんでいた。とても長い間しゃがんでいた。


忘れ物を目視して確認する癖と、家を離れると火事になるんじゃないかっていう、胸からついて出てくるようなそんな焦燥を感じる癖以外はとくにどうということもなかった。洗濯もたまにしかやらないし、完璧な掃除なんて最近はまれだ。夕飯がホットモットになることだってある。それでもわたしたちは、なんというか、そう、機嫌がいいのだ。

いつかこうちゃんに尋ねたことがある。どんな小説が好きなの?

「それっていうのはさ、必ず図書館にあって、本屋で買うにしても安く買えるもの。つまりなんていうか、手あかが何層にもついた古典と村上龍、村上春樹なんだ。その文庫になった評価の定まったそういう本を俺は読む。面白いっていう保証がついている気がするんだ」

その言葉に発見してしまう。名作っていうのは安いのだ。

 「ねえ、散歩に行かない? なにかわたしの頭、すっきりしなくって」

今日は金曜日の夜で、わたしは起きて文章を書いていたけれど、こうちゃんはソファで転寝をしていた時だ。

パジャマから少し秋めいた格好に着替え、外に出た。玄関でヒールのブーティーを履くわたしを、こうちゃんが不思議そうに眺めている。

「脚をね、鍛えようと思って。ほら、なかなか長く歩くことないの。わたしの普段って。だからさ。ね、セイムス行こう。アベンヌも怪しいし、ジェルボールも切れそうなの」

「ふうん。いいけどさ」

セイムスはわたしたちのアパートから歩いて十五分くらいのところにあるドラッグストアだ。

わたしたちはまだ空の暗い下を歩く。別に鼻歌なんて出てきやしない。こうちゃんと手をつなぐ。こうちゃんの手はざらざらしている。多分毎日の食器洗いのせいだろう。そうだ、セイムスでロコベールを買おう。そうロコベール。こうちゃんが食器洗いの係になる前はわたしがお世話になっていた。朝と晩につければいいだけのハンドクリームだ。こうちゃんがショートカットで行こうと言う。

「別にさ、散歩のついでなんだから、明るい道を通ろうよ。ショートカットの必要もないじゃない」

「それがさ、果歩ちゃんのミスしやすい所だ。散歩にスリリングを求めて何が悪い? それが結果ショートカットになるにしたって」

「スリリングかあ」

「生活と芸術はスリリングを求めるんだ」

「結婚してもう一一年経ったんだな。俺は今まで言わなかったけれど、本当は言うべきだったことがあるんだ。俺はね、二十歳くらいまで吃音を持ってた。そうどもりだ。けれど俺はその吃音を『どもり』って正直いいたくない。どうしてかはわからない。けれどそう言いたくないし、言われたくもなかったんだ。特に小さい頃はすごく吃音が激しかった。小学生の時もさんざんからかわれたし、いじめみたいなものにもあった。学校を進学するたびに期待はしたんだ。進学で環境が変わり、それによって魔法みたいに吃音が消えることを願った。サンタさんだってそんなに大盤振る舞いではないらしい。クリスマスイブが明けて、クリスマスになってみても俺の吃音は治らなかったんだ。高校に入った。そこに通うのは自転車では無理で、電車に乗る必要があった。俺はまた期待したんだ。またその電車通学っていう環境の変化に、もうサンタを頼るのをやめた俺は、電車っていうもの。電車通学っていうものに期待した。それはやはり裏切られたんだ。一八で就職した。俺はまた期待したけれど、でも安直にそれに乗っかることはしないって、慎重さも身に着けていた。俺は寡黙な新人だった。そして少しの金はたまり実家を二十歳で出た。そのとき期待していたのかそれともしていなかったのか、思い出せない。何度も裏切られたせいかもしれない。その生まれたときからの自然みたいなものに。でももしかしたら俺は期待していたのかもしれないんだ。だってその時からぴたりと吃音は収まったんだ。そしておしゃべりになった。俺は多分しゃべりたいこと、伝えたいことが山盛りに俺の中にあったのだって気がついた。それを口から湯おけで汲みだすように、あふれるほど言葉は出てきた。俺は高校の頃、両親とともに俺も一緒にと、母方のいとこから、結婚式の招待状が届いたことがある。オヤジは

『みっともなくて、こんなやつを結婚式なんかに連れていけるか』

とおふくろに怒鳴ったんだ。俺は両親に背を向けたのはその頃からだったと思う。『みっともない』そう言われたんだ。

 俺は二十歳から生きているような気がしてしょうがないんだ。いくら汲めども尽きることのない言葉。それと体力を使い、白米の量が少ないと文句を言える、そんな俺に生まれたような気がするんだ。二十歳。アパートを借りて、コメを研ぎ、一時間一五分のタイマーに起きて、夜中にご飯をかき混ぜるようになった時からね」

そう言ってこうちゃんは笑う。

「わたしが今、奇跡的に生きているわけを教えてあげる。あのね、昔こうちゃんみたいな、何度裏切られても、もう一回、もう一回と信じることの繰り返しをやめない、とても強い人がいたの。その日とはとても優しくて強い人だった。強かったから優しくなれたのかもしれなかった。その人をね、わたしは知っていた。その人のね、本当は冷め切ったような目も知っていた。それがね、わたしのプライドだった。そのプライドがね、わたしをもう一回立ち上がらせてくれてたんだって思う。そして今はこうちゃんの、そんな強いこうちゃんの奥さんでいられることもわたしがこの先、たとえば絶望することがあったとしても、もう一回立ち上がるその根源になるって思う。そのわたしのプライドはとても今強固で、美しいの。それは直立しているもので、黄砂が吹こうと決して汚れない。そしてその死んでしまったその人は悲劇的なロッカーだった」


そしてショートカットの道へ入っていく。真っ暗だ。この道は両側に戸建てが立っているのにも関わらず、電燈一つなく、そのちょっと先には貧しい、トタンの屋根の平屋の戸建てが続く。とても暗くて狭い道だ。人が通ることなどほとんどない。犬の散歩をしている人さえいない。そしてその道は三回曲がらなくてはならず、道自体が蛇行している。カラスが鳴く。けれどスズメは鳴かない。どうやらスズメよりカラスの方が早起きらしい、と考えて、もしかしららカラスっていうのは普段のわたしたちみたいに宵っ張りなのかもしれないとも思う。

 セイムスに着くといつもよりも商品がフレッシュに見える。そんな時間というマジック。そんな早起きなのか宵っ張りなのかわからない時間に何かがトラップを仕掛ける。わたしはいつも使っているジェルボールさえ、新商品に見えてしょうがない。かごにジェルボールを入れる。お手入れコットン、こうちゃんのあせもの薬、アベンヌ、トイレ掃除の洗剤、それらを入れてレジへ向かう時、ああ、とロコベールもかごに入れた。あとからやってきたこうちゃんが百円のトマトジュースを二つ入れる。

 外の空気を吸う。タバコを吸うことがなにかもったいないと感じる。やっぱりまだ少し暗い。でも前が見えないっていう暗さじゃない。外の景色は季節のせいか、そう鮮やかじゃない。でもさっきまで見ていたセイムスの中はとてもとても鮮やかだった。色とりどりに主張する色々。それらに賑やかされた店内。赤も緑もピンクもオレンジ色もあった。ブルーだって水色だってあった。ない色なんてないみたいだった。そんな鮮やかさ。それが胸の中のどこかにしまわれる。

 そして帰りもスリリングなショートカットを通る。けれど今、午前四時半の朝はそうは暗くない。スリリングは少し控えめだ。とうとうスズメも泣きだした。さっきまでセイムスでしゃがんだり歩いたりしながら、様々に彩られていた商品を見ていた時間は結構長かったらしい。そしてこうちゃんに言う。

「あのね、化粧品がさ、たくさん並んでいたでしょう? 自分で選べるものもあれば、カウンセリング化粧品とか何とかいっちゃう種類の化粧品とか。たとえばそういうもの。それよりもっとと思えば百貨店まで足を運ばなければならない、そんな化粧品もある。化粧品ってね、とっても不幸なの。一方通行なのよ。一方通行のくせして終点がない。化粧品って時間も要するし労力も要するものが大勢ある。化粧品の不幸はその一方通行と、時間と労力も必要とすることに疑問を感じない人の不幸っていう意味もあってね」

「うん」

「それを前に行きすぎようとする人はね、何も持っていない人なの。その人はね、多分何も持っていないの」

「うん」

「そしてね、一方通行の道をバッグミラーで確認しながら後退していくとき、その時その人はやっと不幸を知るのだし、その時のその人は本物の不幸っていう姿なの」

「うん」

そして二人とも黙った。こうちゃんは何か考えているように見えた。

「不幸っていうのは、ちょっとまっすぐ行くべき道を、曲がってしまうとそこには迷子がついてまわって、そして不幸が存在するのだろうな」

「うん」

「俺と知り合う前に、間違えそうになったことはあったのかい?」

「間違ってしまったことも、間違いそうになった瞬間にクラクションを鳴らされて気がついたこともあった」

「そうか」

「あやうく不幸になるところ、けれど壊れるわけじゃない、そんな所だったんだな」

「ううん。やっぱりわたしは不幸だったんだと思う。昔。わたしは空っぽの身体で、引っ掛かりもないつるつるしたピラミッドを、どうやってか上ろうとしていただけだって思う。その滑稽さはやっぱり不幸で、わたしはある場所でギター少年二人組、若い性癖の変わったショッピングモールの正社員、女子高生二人、中華の惣菜を売っていたシングルマザーのおばさん、親切なウエイトレス、バッグ売り場の店員、そのほかもろもろの人たち、電車の中でわたしを一瞥した人、ひどい人もいけど、たいがいは優しかった、それは世間並みにね。中にはわたしを徹底的に見下した人も多分いた。すれ違うだけだとしても、そういうことってある。わたしが悪いのかもしれない。甘い気分でふわふわとなんの社会性だってないまま世間に出ればそういう目に合う、それがわかった時だってあった。そしてそれを後悔したり、恥ずかしいと思うこともなかった。それっていうのは慣れもある。何回も頭を下げ続けながら謝っていれば、それもどうとも思わなくなる。外装が固く厚くなってコインで削られても傷もつかないし、割れにくくなる。その割れにくさは見透かされり、バカにされたりしても割れない。そういう固いものだった。でもわたしがいなくなる時には当然カケラになった」


 そんなことを話しながら、こうちゃんは左手にセイムスの買い物袋を下げ、右手を私とつないでいる。いい加減、二人で並んで歩くとき、手をつなぐのを止めたいものだと思うが、二人ともそれがいつのタイミングなのかわからないでここまできてしまった。平屋のバラックが終るころ、柿の木があり大きな日本家屋の戸建てがある。その庭にはネギ畑がある。

 わたしたちはその立派な日本家屋が近づくと黙ってしまった。行きももちろんその道は通った。その時は二人とも黙り込んでいたかどうかなんて思い出せない。けれど今、わたしは何かを言いたいような言えないような気分でいる。

見ると柿の木のスズメに交じり、黄色いセキセイインコがいる。わたしはつぶやいた。

「インコノソメイヨシノ」

特にこうちゃんの反応はない。

そしてやっとこうちゃんが話し出す。

「セイムスで万引きをする奴って大勢いると思うんだ。だけどそれは性欲のはけ口に過ぎないのだから、」

そう言ってまた、黙る。

「ニキビができることと同じくらい不幸っていう意味で」

そう言ってまた、黙る。

「提案なんだけど」

わたしたちが今考えていることは一緒だという奇妙な確信があった。

「うん。やるか。今までだってずっと考えてきたことだろう?」

「うん、やろう。そう、ずっと思ってた」

 

 わたしたちはサンダルとブーティーで畑に入っていった。土の中に足を突っ込む、ずぶりという感触と土の不思議な冷たさが、なぜか心地いい。そしてそれをもう一回味わいたいとでもいうようにもう一歩足を進める。ネギに触れる。空は曇天。明らかに夜の始まりではなく、一日の始まりだ。初秋の早朝の空ををはじめて知ったような気持ちになる。ネギはみずみずしく冷たい。きっとこうちゃんもそう感じているだろう。初秋の早朝のネギとは、みずみずしく冷たいと。こうちゃんもそう、同じことを同じペースで向き合ってやっている。胸が高鳴る。熱すぎるような身体の中心と氷みたいな身体の外側を感じながら、ネギに集中する。快感ではないのだろうが、それに近いようなめまいのようなものを感じる。とてもホットでとてもクールなのだ。それでいて、何もかもを俯瞰しているような感覚を同時に伴う。わたしはネギをずぼりと一本抜いた。案外簡単だった。

二十代前半の暴力事件。わたしはきっと家族の誰をも傷つけようとしたわけではないのだろう。ただはらいたくてそうしたのだ。死んだネコの顔に群がる蟻を長い時間はらい続けた経験がある。わたしはその猫ではなく、蟻だった。わたしが蟻だった。蟻を払い続けた。蟻がこの世からなくなってしまえばいいと思った。それと同時に強烈に生き切りたかった。血を見れば気が済んだ。それは自分の血で十分だったし、ほかの人の血であればわたしは多分今生きちゃいないだろう。

そしてもう一本抜いた。と同時にものすごい恐ろしさを感じた。こうちゃんは三本目に手を出そうとしている。撤退。目線を合わせる。そしてわたしは首を横に振る。こうちゃんは泥のついた手の甲で額の髪の毛を払い、目線で首肯する。そして二人で畑の外に出たかと思うと、こうちゃんはサンダルを脱ぎ捨て、わたしは何回も転び、立ち上がって、走り出した。

 アパートの玄関のドアをそっと閉める。そして鍵をかけた瞬間、二人で大爆笑してしまった。こうちゃんもわたしも息も切れ切れに、笑いながら話す。

「本物のスリリングだな」

「ほんと、万引きは性欲の発露なんだっけ?」

笑いが止まらない。わたしたちはなおも笑い続けて、お風呂場で足とネギを洗う。

「あのサンダルだけどさ、一万二千円したんだぜ。ネギと交換かあ」

わたしたちはシャワーのお湯をかけあってみたり、ネギでこうちゃんの頭を叩いてみたり、とにかく笑っていた。

「こうちゃん、ネギを納豆に入れよう。そしてお味噌汁にもネギ入れよう」

「大賛成だ」

わたしはネギを刻みながら涙を流し、途中で鼻をかんだ。

「どうしたんだ?」

「ネギが新鮮すぎるのよ」

「そうか」

そのこうちゃんの「そうか」は何もかも知っていて、今のわたしの心の内もなにもかもわかっているみたいに聞こえた。

 こうちゃんがいてよかったな。今年こそ小説家になれるかな。それとも来年かな。もしくは再来年? でもそんな風に持てる情熱のほとんどを傾けるものそれを持っているわたしって、なんて幸せなんだろう。そして少し大きな声で、こうちゃんに尋ねる。

「ねえ、社会性を持つってどういうこと?」

「挨拶。そして知らないことを『知りません』って言えること」

「そっか」

だってネギが新鮮すぎる。目にどうもしみるのだ。

                                   了                                     

ずいぶん前に書いたものです。私小説的要素もあります。

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