エピローグ その後の慶事と凶事(2)
「よかったの?公爵家からの招待状を無視して」
「花嫁を殺した男がいたら、縁起が悪いだろ」
「死んでないわよ、あの子?」
ロロがテレビを指差すと、新郎新婦が教会の前の階段を降り、馬車に乗り込んでいくところだった。画面越しに見るグレネは元気そうで、ライルの顔は自然と柔らかくなる。ロロはテレビの画面を見たまま返事をしないライルの左手をつねった。
「痛っ。死者は死なないけど、グレネはもう普通の女の子だ。 あと100年もしたら死ぬ」
「それはライルが殺したと言えるのかしら?」
「言えるさ」
ライルは左手でジャムを取ろうとしたが、うまく掴めなくて瓶を倒してしまう。ロロがそれを取り、ライルに手渡した。
「ライルを忘れてまで、あの子は何を願ったのかしら」
ロロはライルをじーっと見ている。ライルは一生懸命ジャムを塗り、それに気がつないフリをする。
グレネが何を願ったのかはライルも知らない。しかし知る必要もないだろう。グレネは今、万の群衆から祝福され、笑顔でそれに応えている。
平和な結婚式と、幸せそうな花嫁。これ以上何を望むことがあろうか。
ライルはジャム塗りの出来に満足してうなずいた。
新郎新婦を馬車に乗せ、祝賀パレートが始まった。パレードは新郎新婦を乗せた二頭だての馬車を中央に、100頭以上の馬と1000人近い人間が連なり、整然と進んでいく。沿道に詰めかけた群衆の数は更に増え、テレビ越しにも熱狂の度が伝わってくる。
「すごい人気だ」
「人気というより信仰ね」
「グレネはいるべきところに帰ったわけだ」
ライルはそう言うと、ロロの顔を伺い見た。花のようなきれいな横顔。トップアイドルのロロは新学期以来、青の商都に留まっている。3ヶ月以上、仕事を放っているようだが、ロロがいるべき場所もここではないはずだ。
ロロがライルの視線に気がつく。ライルはじっとロロを見つめている。ロロはライルの言いたいことを察すると、フォークをライルに突きつけた。
「私がいなくなったら、誰がライルのご飯を作るのよ?」
「自分で作れるし」
「左腕が満足に動かないのに」
「どうとでもできるさ」
「だめよ。私はあの子と違って、絶対にライルを忘れないからね」
ライルは自分の胸を指で叩いて言った。
「それが作り物だとわかってるのにか?」
ロロは少しびっくりしたようにして、それから美しく笑う。
「ライルの記憶の中の妹さんは本物?」
毒の棘を持ったバラのような笑顔。ライルは何も言わず、その笑顔を見つめている。ロロはフォークをサラダのトマトに突き刺す。
「本物だから正しい、なんて思い込むほど子供じゃないわ」
ロロは「あーん」とフォークに刺したトマトをライルに差し出す。ライルがロロの手からフォークを奪いトマトを食べると、ロロはくすりと笑った。
ライルがフォークをテーブルに置こうとすると、ガチャリと音を立てて落としてしまった。
「おっと、失礼」
「左手はまだだめ?」
「んー」
ロロが心配して言うと、ライルが左手を握ったり開いたりを繰り返す。
ライルの左腕はヴェロニク・ブランキーが作成した義手になっていた。ヴェロニクは「ロロの体と比べたら簡単なものさ」と言っていたが、ずっと感覚がぼやけた感じだ。
「マダムが、ちぎられた方の腕を見せろっていうんだけど、あれどこに行った?」
「ワタナベタもわからないって。私もそこまで気が回らなかったし」
ロロはテーブルに肘をついて、首をひねる。
祝賀パレードは終点の王宮に到着した。新郎新婦がテラスに登ると、広場を埋め尽くした群衆が一斉に湧く。
第二皇子とグレネの周りには、皇家とコンラディン家双方の親族が顔を揃えていた。あの映画俳優のように気取ったチビでデブでハゲのグレネの兄、カーフィンクの顔もある。
その中にもう一つ、ライルのよく知っている顔があった。それはその場にいるはずのない顔だったので、ライルは「へ?」と抜けた声を漏らし、見間違いではとまばたきを繰り返し、さては録画かと疑ったが、テレビの右上には「中継」と出ている。
新郎新婦とその親族に混じってそこにいたのは、目の冴えるような赤い髪、黒く大きな瞳、人形のようなスタイルで、グレネよりもグラマーな美少女だった。
ライルにはその美少女が、どう見てもいま食卓を囲んでいるはずのロロ・セロンに見えるのだ。
「なにこれ………」
「事務所がこの仕事はどうしてもやれって言うから」
「じゃあ、ここにいるのは?」
「私はこっちで、あっちはスペア。こういう仕事はお固い型どおりにやればいいから、あれでもいけるのよ」
「胸が大きいように見えるんだけど」
「営業用よ」
「へー……」
なにか突っ込みたそうなライルに、ロロはオレンジジュースを飲みながらこともなげに答えた。ライルはまたしても、アイドルの闇に現実感がガリガリと削られていく。
ロロの言う通り、新郎新婦へのインタビューは淀み無く進んでいく。予め内容が詰められていたのもあるだろう。だが、画面に映るロロのスペアだというのが信じられなかった。声の抑揚、受け答えの自然な間、表情の柔らかさ、身のこなしの滑らかさなど、不自然なところは全く見当たらない。
「でも仕事の半分を任せるのにはまだまだなのよねー」
ロロが画面に映るスペアを見る目は、アイドルというより辣腕のプロダクションの社長といった風だ。
そのロロの目が厳しくなった。
テレビにはロロとグレネの二人が映り、「結婚後の外遊ではどこに行くか」についてインタビューが行われている。笑顔のロロ(スペア)とクールなグレネが並び、画面はとても華やかだが、グレネの表情が少し強張っていた。
ロロに敵意を向けているような、そういう表情だが、グレネはライルの記憶を手放している。ロロに敵意を持つ理由はないはずだ。
横の第二皇子もグレネの変化を感じ取ったのだろう。はしゃぎぶりが一段明るくなった。
「………人形」
マイクが女の小さな声を拾った。それは群衆の歓声にかき消されそうで、誰の声か判然としなかったが、ライルとロロはギクリと身を強張らせた。グレネは自分にインタビューをしている美少女の顔をじっと覗き込む。
「私、あなたに負け………」
またマイクが小さな声を拾おうとしたそのとき、その上からつんざく悲鳴が飛び込んできた。カメラが大きく揺れ、皇家の中年の女性がへたりこんでいる姿が映った。女性が何かを指さしている。
カメラがぐるりと回り込むと、画面いっぱいに茶色く干からびた棒のようなものが映った。長さは約1m。中程で折り曲がっていて、一方の端が少し大きくなっている。
「ミイラだ!」
画面の向こうで誰かが叫んだ。
ライルとロロはテレビを見て固まっていた。
「ね、あれって………」
「うーん」
ロロが途中まで言うと、ライルが悩ましげに唸り、義手の付け根をさする。テレビに写ったそれは人間の左腕のミイラに見える。
テレビの画面の端に、影が写った。ライルとロロが「んー?」とテレビに顔を近づけ、同時に「「あ!」」と声を上げた。左腕のミイラの脇で、黒い猫が行儀よく座り顔を洗っているのが映っていたのだ。
黒猫がカメラを見ると、右目が金色に、左目がルビーのように赤く輝いた。あの黒猫だ。だが、カメラマンも、テラスにいる皇家とコンラディン家の人間達も、黒猫に気がついていない。みな突然放り込まれた左手のミイラを巡って混乱している。
ライルが「あいつが持っていっていたのか」と唸るように呟く。
混乱しているテラスの中、グレネの所作だけが整然としていた。グレネは左腕のミイラに歩み寄り、虫でも払うようにしてから、それを拾い上げた。
グレネはカメラに背を向けた格好で、ミイラを胸に抱き、そっと撫で、雪原のような頬に涙を冷たく光らせた。その姿に、王宮の庭に詰めかけた群衆が、なぜかさらに熱狂した。
反対にライルの背筋は凍った。自分のミイラを抱いたグレネがどんな顔をしているのか、それを想像しただけで恐ろしくなる。
そのライルの顔を見ていたロロがぼそりと言った。
「なにがそんなに嬉しいの?」
「へ?嬉しい?なんで?」
「顔、笑ってるわよ」
「マジ?」
ライルはあたりに鏡を探すが見つからず、顔を両手で鷲掴みにするようにしてもみくちゃにする。
「女に腕を引きちぎられて喜ぶなんて、ちょっと変態過ぎよ」
ロロはじっとりとした目でライルを見ている。ライルはロロの視線を遮るように、マグカップに残っていた牛乳を飲み干す。
確かにミイラを抱くグレネの姿に、また再会するような気がした。しかもそれは苛烈なものになるだろうと第六感が警告していた。
俺がそれを喜んでいるとでも言うのか?そんなことあるはずない。
そしてライルはマグカップをテーブルに置き、吐き捨てるように言った。
「俺はドMじゃねー」
(第一章 完)
第一章が終わりました。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
第一章の結末を書いたあと、「どうしてこうなった……?」と思わず首をひねってしまいました。
完全に作者がキャラに振り回されております。
そんな情けない作者なので、再開までしばしお時間をいただきたく存じます。
年内に第二章と物語を完結できるよう、がんばります。
再開できたそのときにはまた是非読んでください。
ー追伸ー
感想やレビューを草一個からでもいただけると大変嬉しいですので、是非とも書いていって下さい。
入梅