歪む(2)
「惜しいことに、お前には男をひきつける影が足りないんだよな」
「失礼な」
グレネは自分に魅力が足りないと言われたような気がして、腹を立てた。カーフィンクはふっとどこか詫びるように笑っていった。
「そうだな。お前には影が足りないないんじゃない。影を作るための光が無いんだ」
グレネはぎくりと体をこわばらせた。見たくないものに背を向けるように、グレネ話題を切り替えた。
「それにしてもあの下着とブルマのサイズがぴったりだったのには引きましたよ。私の寝室でも覗いているのですか?」
グレネが普段いわない軽口をカーフィンクはじっと聴いていた。そしてやはり詫びるようにして言った。
「お前は不自然な人間だからな。体の変化は計算できる」
グレネは刹那泣き顔になり、すっと人間らしさが消えた。その顔は氷の彫像のようで、冷厳さをもって万民を従える女王を思わせた。カーフィンクはグレネの美しさに見入りながら、奥歯を噛み締め顔を歪めた。あの優しい妹にこの氷の仮面をかぶせたのは我々なのだ。だからこそ、ここではっきりとさせなければならない。
「兄様はなぜこの青の商都にいらしたのですか?ライル・ローを籠絡し竜の力を得ることは私の役割です。私では力不足だというのですか?」
3人しかいない公園にグレネの声がしんと広がる。グレネは「私の役割」という部分を強く言っている。カーフィンクはくくくっと喉を鳴らして笑った。
「お前の力を疑ったことなんてない。お前はあの皇都の第二皇子ですら虜にしたんだ。この世でお前の魅力と体を前に理性を保てる男なんてどれほどもいないだろう」
「ではなぜ白の皇都を離れてここに……、いや、なぜ直接ライル・ローと接触されたのですか?」
カーフィンクの顔からそれまでの軽薄さがなくなり、自分よりも身長が高いグレネを見上げた。
「我々は間違ってる」
カーフィンクは一言、はっきりと言った。反射的にグレネは糾問するように兄を見据え次の言葉を待った。カーフィンクが言葉を続ける。
「コンラディンの悲願、白の神を殺すという悲願が間違っているというのではない。あの死の神から逃れない限り、我々に自由はない。お前の魂にも安らぎは訪れない。だが、そのための手段として我々はお前の生と死を利用しようとしている。それは間違っている」
「一族のために命を賭すのは当たり前ではないでしょうか」
「お前の命は10年前に失われているじゃないか」
カーフィンクの口からグレネが必死に目を背けていた現実が突きつけられる。だがグレネの氷の表情はすこしも揺らがない。
「失われた命が役に立たつのですよ。何がご不満なんですか?」
「お前が私の目の前で、こうして苦しむ姿を晒していることが不満だ」
「そのことと、兄様がライル・ローに接触したこととがどう関係するのでしょうか」
「私は彼に依頼したんだよ。我が妹、グレネ・コンラディンを殺してくれ、と」
そのとき、氷の彫像のようなグレネの表情がほんの少し緩んだ。
「兄様、お気は確かですか?」
グレネはそういうと、とうとうこらえきれなくなって「あははは」と声を出して笑った。
「ライル・ローはただの人間ですよ?なんの訓練もされていないひ弱な高校生です。少々不思議な術を使えるようですが、ただそれだけ。私に傷一つつけられません。それなのに兄様ともあろう方が、そのような戯れをするのでしょう。私にはまったく理解できません」
グレネの言葉は、最後の方は笑い声と半分半分になっていた。カーフィンクはだまってグレネの笑い声を聴いていた。グレネの笑い声が途切れてから、カーフィンクはゆっくりと言う。
「この世でお前を殺せる人間なんていないかもしれない。なにせ、お前はもうすでに死んでいるんだからな」
「私は生きています。確かにこの身は普通の人のそれとは違います。ですが、この体は私の意志で動き、私の心はここにあります。私は死んでなんかいません!」
グレネは言下に叫んだ。カーフィンクにはそれが氷の女王ではなく、夜の暗闇に怯える子供のように見えた。