笑う変態紳士(2)
オレンジに光る街灯がジジジと点滅する。路地から見える小さな空は真っ黒で星一つ見えない。ライルはしばらくカーフィンクが消えた闇を見て大きくため息をついた。
「なんで俺が……」
ライルは魔女と呼ばれる黒モザイクの女の事を思い出していた。あれを知っている気がする。ただ確証はない。何せ顔がよくわからないのだから、あれが妹の時と同じ魔女かどうかわからない。
それにグレネが叶えようとしている願いとは何か、それもわからない。。カーフィンクは何を言おうとしていたのだろうか。願いと悲願と、いったい何が違う?
ライルはもう一度大きくため息をつくと、カーフィンクが消えたのとは反対の方向へ歩き始めた。街頭のオレンジの光が届かない路地はお先真っ暗だ。
目の前の暗闇から大きな風船のようなものが二つ、リズミカルに揺れながらこちらに近づいてくるのが見えた。ここ最近になってよく見かけるようになった物体だった。その物体がだんだん近づいてくると、二つの物体の上に美しい顔がだんだんと浮かび上がってきた。
「ライルさーん!」
グレネ・コンラディンはライルを見つけると大きく手を振り、大きな胸を揺らしながらライルのそばまで走ってきた。
「ご無事ですか、ライルさん?」
グレネは軽く息を弾ませながら、ライルの体を見回して怪我などがないか確かめている。
ライルはグレネがどうやってここに駆けつけることができるのかが不思議だった。ライルはヴェロニクのオフィスからいきなりここに飛ばされてきた。いわば瞬間移動をしたようなものなのに。グレネはそのライルの疑問を感じ取った。
「あの黒猫が来たんです」
「あいつが?」
「はい。それで、その……、魔女……のせいでここに飛ばされたというので」
グレネは「魔女」という言葉を口にするのを躊躇っているようだった。それにしても、あの黒猫はいつもはどこにもいないくせに、いきなりどこにでも現れる。いまライルが瞬間移動したのと同じようなものなのだろうか。
「一人で来たのか?」
「いいえ、ロロとジーガさんも一緒に来ています」
グレネの言う通り、だいぶ向こうのほうから人影が走ってくるのが見えた。ライルはじっとグレネを見つめた。
「なあ」
「はい?」
「辛くないか?」
グレネは可愛らしく首をかしげてライルを見たが、右腕をあげて力こぶを作るポーズをして笑った。
「体力には自信があります」
その笑顔を見て、ライルはいま自分がどういう顔をしているのかわからなかった。
グレネから遅れて数十秒、ロロはライルの所まで走ってくると、息を切らせて相場にへたり込んだ。
「ちょ……、んた……、速すぎ……!」
「鍛え方が違います」
「わたしだって……、レッスンとかで……結構…………、って、ライル、何をしているの………?」
ラへたり込んでいたロロが、ライルの様子に不機嫌丸出しの声で言った。ライルは無意識にグレネの胸を凝視していて、ロロの方には目もくれていなかったのだ。
「あっ……悪い」
ライルは慌ててグレネの胸から目をそらした。グレネも赤くなってライルから胸を隠すように身をよじった。ロロはライルとグレネの間のできている妙な雰囲気を感じ取り、急速に機嫌の気圧を下げていった。
「なによ、そんなにその脂肪の塊がいいっていうの!?」
「いや、そういうわけじゃなくて……」
ライルはさっき夢見の回廊で見た幼いグレネと、目の前のグレネを無意識に重ねていた。
「本物の勝利です」
「うるさい!」
グレネの余裕の笑みに、ロロが肩を小さく震わせる。
「いまに見てなさい……絶対に見返してやるんだから」
ロロは半泣きで赤くなった目でライルを見ると、見せつけるように制服のシャツのボタンを外した。ライルは目をそらすふりだけしているが、ロロはそれに構わず谷間に手を突っ込んで端末をとりだし、背を向けて誰かと何か話しはじめた。電話をかけてどうにかできるような物なのか?
ゆっくり追いついてきたジーガがライルの肩を叩いた。
「モテる男はツライな」
「お前な、こんなところに女をつれてくるなよ」
ライルはからかうジーガを軽く睨め付けた。
「まあそう言うな。二人ともお前のことを心配していたんだから」
「心配……か」
ライルが肩越しに振り返ると、グレネと目が合った。グレネは慌てて目をそらす。グレネの見ている先はカーフィンクが立っていた場所だった。
「なんで俺なんだろうな」
「それはお前がライル・ローだからだろ」
ライルは誰に言うでもなくそう呟いたつもりだったので、驚いてジーガの顔を見た。ジーガはニカっと笑うとライルの背中を思いきり叩いて止めてある車へと歩いていった。