笑う変態紳士(1)
ライルは橙に光る街灯の下にぽつんと立ってた。
ここは青の商都のなかでも特に古く、かつての戦いの跡やそれらで用いれたトラップなどが多く仕掛けられた場所だ。10年前に封鎖されたはずだが、今でも観光客が迷い込んで失踪の被害が出る。
空はすでに暗く、辺りには幼いグレネも、その前に跪く男たちも、あの魔女もいない。その代わりに路地の暗がりに一人の男が立っていた。男は仕立てのいいスーツをキッチリと着たチビでデブで、映画俳優のように帽子をかぶっている。あの帽子の下はハゲている。ライルはそう直感した。
男はライルに近づいてくると帽子を取ると、ライルに向かって一礼をした。やはりハゲていた。あの手紙にしみついていたのと同じ匂い、竜臥香の匂いがする。
「初めまして、ライル・ロー。
私はカーフィンク・コンラディン。
妹の悪夢は楽しんでいただけたかね」
ライルは目を疑った。このチビでデブでハゲた男があの美しいグレネの兄だと?ただのオッさんすぎる。とてもあの美少女と同じ血が流れているようには見えない。
「B級映画のほうがずっとマシだ」
「君に妹のことを知ってもらえたら十分だよ」
「あれはなんだったんだ?」
「妹に呪いをかけるための儀式だ」
「呪いとはまた穏やかじゃないな」
「正真正銘の呪いなんだからしかたがない。妹は生まれつき心臓が弱くてね。どんな医療を駆使しても、10歳まで生きられないと宣告されていたんだ」
「でもあんなに立派に育っているじゃないか。凄腕の闇医者でも見つけてきたのか?」
ライルは無意識にグレネの胸の辺りを思い浮かべていた。
「私たちが見つけてきたのは医者ではない。魔女だ」
「あの黒モザイクの女か」
「ほう、君にはそう見えているのか」
カーフィンクの目が細くなった。
「グレネの横に立っていた女、あれが魔女だ。
私たちはあの魔女に頼んだんだよ。
グレネの心臓を治してくれと。
魔女は快く引き受けてくれてね。
もちろん彼女が行ったのは治療ではない。
あの魔女はグレネの心臓に呪いをかけて、グレネの命を救ってくれたんだ。
グレネにはかなり苦しい思いをさせてしまっているが、その代わり妹の心臓は今も動き続け、そして本当に立派に育ってくれた」
話しに熱がこもってきたカーフィンクは、両手で無意識に何かを揉みしだくように動かしている。グレネは立派に育った、それにはライルも共感を覚えざるを得ない。
「なあ、あれはどの魔女なんだ?」
「どの魔女?」
ライルの質問にカーフィンクが小さく首をかしげる。
「魔女は様々な場所や時代に現れた。グレネの胸にパイプを突き刺してたあれはどの魔女なんだ?」
「おかしなことを聞くんだね。どれもこれもない、魔女は魔女だよ」
「魔女は一人しかいないってことか?」
「いいや。魔女は常に単数形なんだよ」
「よくわからいな……。俺をヴェロニク・ブランキーの店からここに飛ばしたのも魔女が関係しているのか?」
「その通り。妹の悪夢を実際に見てもらうには夢見の回廊を使うのが一番なのだが、あれは数年前に魔女と一緒に封印されてしまった。だから抜け穴を使うことにしたんだ。あの中の魔女と、私の部下は不本意ながら一部が繋がっていている。それを共振させればああいう芸当ができるんだよ」
「魔女はあそこに閉じ込められていたのか………。
まあ、それらならそれでいいさ。魔女のおかげでグレネの心臓も治ったんだろ?そして彼女は美しく立派に育った。万事解決おめでとう!それでいいんじゃないのか」
カーフィンクはゆっくり首を横に振った。
「万事解決なんかじゃない。
グレネに施されたのは医療ではなくて呪いだ。
そういう物には相応の副作用があるのが相場だ。
まず心臓が生み出す力が強大なために妹は非常に怪力になってしまった。
いまの妹にとっては素手で巨石を割るぐらい造作もない」
ライルはグレネが石畳を踏み割ったり、声だけで周囲の窓ガラスを割って見せたり、片手でテーブルを投げて壁に突き刺してみたりしたことを思いだした。あれはそういうことだったのか。
「その程度なら日常生活には影響ないだろ?」
「そうだね。グレネの機嫌が悪い時、たまたまに近くにいる人間が大けがをする程度だ」
実際に犠牲者が出たのだろうか。
「だがその副作用は強力すぎた。呪いの力は妹一人の体では到底受け止めることができないほど強力だった。だから妹の負担を減らすために、呪いの副作用を他の人間に分散させることにしたんだ」
「それが、グレネの前で跪いていた連中だな」
ライルが夢見の回廊の中で見たのは、椅子に座るグレネと彼女の胸に突き刺された管、グレネの横に立つ魔女、そして管から流れ出る黒い泥を飲み干していく男たちの姿だった。
「彼らは妹から流れ出た魔女の呪いを飲み干したことで、妹の体の一部となった。そのおかげで、妹が背負う苦しみを軽くすることができたんだよ」
カーフィンクはライルの背後に目をやった。するとライルの背後に複数の気配が現れた。ヴェロニクのオフィスに押し入ってきた男たちと同じような雰囲気を持った男がざっと十人、明かりの差さない暗い路地に立っていた。皆の服装はバラバラでどれも地味だったが、それは意図的に印象を薄めようとされているものだった。彼らの目は黒い紙のような物で封をされており、その妙な統一感がかえって彼らの存在感を大きくしていた。
暗がりに立ち目を覆い隠されている彼らの顔はわからない。が、ライルは彼らの顔に見覚えがあった。彼らは夢見の回廊の中で幼いグレネの前に跪いていた男たちだ。間違いない。
「あんたの部下か?」
「そうだ。最近は退職者が多くて困っているんだよ」
「こいつらと、いま街を騒がしている痴漢が全く同じ格好なんだが、あんたが親玉か?」
「おいおい、私はこう見えても紳士なんだ。闇夜に乗じてご婦人を後ろから揉みしだくなんて真似なんてしないよ。もちろん部下にもさせない。大体、私ぐらいになればイメージだけで、女性の下着の色から乳首の位置まですべてわかる。痴漢行為に出るまでもない!!」
「この変態紳士が」
「いやあ、そんなに褒めてくれるな」
「だったら痴漢とあんたは関係ないっていうのか?」
「彼らは私の元部下だ。過酷な任務に耐え切れなくなったのだろう。私が日頃グレネのおっぱいの素晴らしさを語って聞かせていたせいか、ああいう行為に走ってしまった。責任の一端が私にあるのは間違いない。だから事態を収拾するために、自らこの街に出張ってきているんだよ」
「妹のおっぱいを部下に語るってどんなけ変態なんだ。あんたがそんなだから、退職者が多いんじゃないのか?職場環境の改善をお勧めするよ」
「貴重な意見をありがとう」
「さて……、それじゃ俺はそろそろおいとましたいんだけどな」
ライルは背後の男たちを警戒した。この状況では何かされては逃げようがない。だがカーフィンクの口元が影の中でニィと笑う。
「いやいや、これからが本題だよ。お願いがあるんだ。ライル君、我が妹グレネ・コンラディンを殺してくれないだろうか?」
「あんた一体何を………………。まさか、あの手紙の差出人はあんたなのか?」
ライルが言うとカーフィンクは目を炯々とさせ一気に話しはじめた。
「その通りだ、ライル君。
私は君に妹を殺してくれとお願いしたいのだよ。
私はね、ライル君、ツライんだ。
とてもツライんだ。
呪いの力で妹は命を永らえた。
しかし、あの代償は大きすぎる。大きすぎるんだよ。
妹はね、優しいんだ。
妹の心臓を動かし続けるためには、多くの協力者が必要だ。
妹が生き永らえるためには、
この者たちの命を彼女に捧げなければならないんだよ。
妹もそのことを知っている。
知っていてなお、自分だけ生きようとしている。
あの優しい妹がだ。
これは妹にとって身を引き裂かれるよりもツラい事だ。
妹はとても優しいからね。
しかし彼女は生きようとしている。
悲願のために、願いを叶えるためだけに生きようとしている。
そのためだけに他人の生を喰らい、
傷つきボロボロになりながら、なお生きようとしている。
私はツライんだ。
ツライんだよ。
そんな妹の姿を見るのには耐えられないんだよ。
私は妹を愛しているんだよ。
わかるか、君にこの気持ちがわかるか?」
堰を切ったように語るカーフィンクの目には不気味な光が灯り、その目を大きく見開いてライルに迫ってくる。
「そんなに妹が不憫なら他人に頼まず、あんたが殺ればいいじゃないか」
カーフィンクはカハっと笑った。
「できない。
私にはできない。
我々にはできない。
私が妹の心臓に鉄の杭を打ち込んでも、妹が望む限り心臓は再生し動き続ける。
我々が妹の身を灰にしても、妹が絶望しない限り心臓は力強く脈打ち復活する。
妹が生きることを望む限り心臓は動き続ける。
あれはそういう呪いだ。
そして我々は妹を絶望させる術をもっていない。
妹にはなによりも大切な願いがある。
その願いを叶えるまで、グレネ・コンラディンが絶望することはない」
「そんな女を絶望させるなんて俺にもできないだろ」
「君ならできる。
なぜなら君は妹の希望だからだ。
君がいるから妹は絶望しないんだ。
だが君が妹の胸に刃を突き立ててくれるなら、彼女は必ずや絶望する」
カーフィンクの顔は、笑っているようだし泣いているようだった。
「グレネの願いは俺を竜に生贄として捧げた後にかなうんだろ?そして希望が消えてしまえば彼女は絶望する。つまり俺が死ねばいいのなら、いま、あんたが俺を殺せば話は簡単じゃないか」
「君は妹のためにその身を贄に捧げてくれるというのかい?」
「それはごめんだ」
カーフィンクは愉快そうに笑う。
「まぁ私が君を殺したところで、妹は絶望しないさ」
「どうして?俺が死んだらグレネの希望もなくなるんだろ?」
「我が妹を舐めてくれては困る。あれは人間一人生き返らせるぐらいやってのけるぞ」
ライルは、笑うカーフィンクの顔にグレネの面影を見てゾッとした。
「なぜグレネは俺にこだわる?」
「言ったろ、君は妹の希望なんだ」
「俺とグレネが出会ったのはつい2、3日前だぞ?そんな男が希望だなんておかしいだろ?」
「いつ出会ったかなど関係ない。大事なのは君がライル・ローであるということで、そしてグレネ・コンラディンの希望はライル・ロー以外にはありえないということだ。なぜ君なのか、その理由は私にもわからないがね」
ライルはよくわからなくなってきた。
カーフィンクが言ってっているのはまるで運命論だ。
だったらそのシナリオを書いたのは一体誰だというんだ。
「あんたの頼みなんて聞きたくない、と言ったらどうなるんだ?」
「今すぐに返事をしてくれる必要はない。もしそんなことされたら君の人間性を疑わないといけないからね。なに、君の妹の首を切り落としたようにやってくれれば十分だ」
ライルははっきり憎悪を込めてカーフィンクを睨む。カーフィンクはその目を正面から見据え、ライルの後ろに向かって目配せした。それに合わせてライルを取り囲んでいた男たちの気配が動いた。ライルは緊張したが、男たちは忽然と消えてしまっていた。
「ライル君。希望がなくなることと希望に拒絶されることは違うんだ。それを覚えておいてくれ。ではまた会おう。いい返事を期待しているよ」
カーフィンクはライルに向けて頭を下げると、背を向けて歩き出した。
「ちょっと待て」
「何だね?」
「グレネはそこまでして、一体何を願う?」
カーフィンクは、ライルを試すような目をしていった
「妹はとても優しい女の子だからね、願いよりも悲願を叶えようとしているのさ」
カーフィンクはなぞなぞを言うように笑うと、チビでデブなその姿を路地の闇に溶け込ませて、そして消えた。辺りには竜臥香の匂いだけが残っていた。