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黒いモザイク(2)

ライル達はジーガでも名前を知っている世界的な高級皮革製品店の前に立っていた。ここは世界中に店舗と顧客を持ち、毎シーズン前衛的なコンセプトで世界のファッションをリードしているブランドだ。


「ここがSMショップ?」


怪訝そうなジーガ達を置いて、ライルはさっさと店の入っていった。



ジーガが店に入る時、仕立てのいいスーツをキッチリと着たチビでデブでハゲてる男と、ショールで顔を覆い、ゆったりとした服を纏った女とすれ違った。ああいう美女と珍獣の組み合わせはこういう店では普通なのだろうか。ジーガは振り返って、すれ違っていくふたりの後ろ姿を見送っていた。


「ジーガ、どうしたの?」


「いい尻だ」


「は?」


アッカの声に怒気がにじむ。


「違う、落ち着け。

 俺が言っているのはあのおっさんの方だ。

 あのおっさんの尻のことを言っているんだ!」


「ちょっと、あんた………」


ジーガの言い訳にアッカは初めはドン引きし、そして泣き出しそうな顔になった。それでもジーガはチビでデブでハゲてる男の後ろ姿を凝視していた。最近あれと同じような尻を見た気がするのだが、それがいつだったか思い出せない。




ライルがたちが入った店の中はベージュの落ち着いたトーンでまとめられていて開放的でリラックスしており、いかにも高級店という雰囲気だった。ジーガ、ソル、アッカがきょろきょろと慣れない様子で店の中を見回しているのをよそに、ライルはどんどん店の奥に進んでいく。



ジーガ達もライルの後を付いて、ふかふかのカーペットの上を歩いてく。黒のスーツを着こなした他の店員が丁寧に頭を下げるのに恐縮しながら店の中を見渡すと、いかにもお金持ちのマダムといった派手で太った女性たちが、商品を手に取りなにやら店員と話し込んでいる。


「ね、ね、ジーガ、見てあれ。かわいい!」


アッカがジーガの袖を引っ張って、ショーケースの一つを指さした。そこには柔らかな色合いのピンクのポーチが展示されていた。ジーガはアッカがショーケースのポーチを食い入るように見ている横から、ポーチに小さく付いている値札の、さらに小さく並んでいる数字を見て思わずうめき声を漏らした。


アッカに気が付かれないよう無音でショーケースから離れようとするジーガ。だが、アッカに手を掴まれてしまった。冷や汗を流しながら振り返ると、アッカが目を潤ませてジーガの腕に胸を当てきた。


「買って♪」


「ピンクはアッカの乳首で十分だろ」


ショーケースから退散するジーガの背中を、アッカが思い切りつねった。


「っ!……それにしても、これのどこがSMショップなんだよ?」



店に並んでいるのは、全て超高級品のバッグや靴、洋服ばかりで、SMグッズなんて何一つない。ジーガはここに来たライル意図をいぶかしく思いながら奥を見ると、ライルが一人の男性店員に何か伝えていた。するとそれから程なくして、店中に低くハリのある女性の声が響いた。



「やあ、ライル坊。いらっしゃい」



声のほうを向くと、吹き抜けの2階部分から黒い髪をリーゼントにまとめ、無数のスダッズがついたレザーライダースジャケットと、ぴたぴたのレザーパンツに身を包んだ女性が顔をのぞかせて手を振っていた。


「マダム?!いらしたんですか?!」


ライルが驚いて声を上げた。


「そりゃあいるさ。ここは私の店なんだからね」


リーゼントの女性は手すりにもたれかかり笑った。


「うそ、ヴェロニク・ブランキー?!」


アッカも驚いて口に手を当てている。

ジーガも驚いてリーゼントの女性を見ている。

ソルはニコニコと笑っている。

ハイソサエティーのファッションには興味の無いジーガでも、この高級ブランドのオーナーであり世界的なデザイナーであるこのリーゼントの女性、ヴェロニク・ブランキーのことは知っていた。



ヴェロニク・ブランキーのメディアへの露出は極端に少なく、ジーガが見た彼女の写真も、もう何年も前に撮られた物だった。しかし目の前に立っているリーゼントの女性は、何年も前の写真と何一つ変わらないどころか、写真にはとても収まらないであろう、強烈なインパクトと美しさをほとばしらせていた。





ライルたち4人は店の奥にあるヴェロニクのオフィスに通された。オフィスに置かれている什器類はどれもモダンで無駄がなく、どれも持ち主によって長い時間、丁寧に使い込まれていることがわかる。壁には一枚のモノクロのヒマワリの写真がかけられていて、その両脇になにも身につけていないマネキンが2体ポーズをつけて立てられていた。



ヴェロニクは奥の小さなキッチンから出てきて「最近、浅煎りのにはまっていてね」と、4人に自ら淹れたコーヒーを振る舞う。


「驚きました。まさかマダムに話を聞いていただけるなんて」


ライルは礼を述べ、率直に驚きを口にした。


「アポを取ったんじゃないのか?」


ジーガが自警団詰め所のときのことを思いだしていった。


「うん、あ、いや。アポを取ったのはアシスタントの人だったんだ」


ライルが指で頬を掻いて答えた。ヴェロニクはミルクをたっぷり淹れたコーヒーを口に含みながら笑っていう。


「痴漢が探しているおっぱいの持ち主をプロファイルするんだろ?

 面白そうじゃないか」


ライルは痴漢についてまとめた資料をヴェロニクに手渡した。ジーガとアッカは、ライルがいつの間にまとめの資料を作ったのかと驚いて顔を見合わせた。ソルはニコニコとコーヒーを飲んでいる。


ヴェロニクは手渡された資料を真剣に読みはじめた。被害者の年齢、バストの大きさ、痴漢のコメント、場所、時間を隅々まで目を通す。読み終えた報告書が一枚、また一枚と、テーブルの上にきれいに重ねられていく。4人は黙ってその様子を見ていた。

オフィスには、ヴェロニクが報告書をめくる音と、コツコツという時計の音だけがしている。緊張した静寂さに我慢できなくなってきてたアッカが、ライルの肩を突っつき耳元に口を寄せた。




「ここのどこがSMショップなのよ?」


「SMショップ?誰がそう言ったの?」


ヴェロニクが眼光鋭くアッカを見た。


「え、あ、あのこのライルが………」


アッカは慌ててライルを指さした。ヴェロニクはゆっくりと視線をアッカからライルに移す。ライルがギクリと体を強ばらせると、ヴェロニクは再びアッカを見て、ぬらりとした笑みを浮かべた。


「確かに、そういうのも作っているわよ」


そう言ってヴェロニクは立ち上がると、オフィスと繋がっている工房から一本の鞭をとりだしてきた。それは乗馬に使う鞭をより長く、細く、しなやかにした物だった。鞭の先端は四角く平坦になっており、叩く面積が広くなっている。ヴェロニクはリーゼントを整えると、黒のハイヒールをカツカツと鳴らしライルの前に立った。


「あ、あの、マダム……」


ライルが言い終わらないうちに、いきなりヴェロニクは鞭でライルの背中をパシンと打った。


「あうっ……」


ライルがくぐもった声を漏らし、イスから崩れ落ちる。ヴェロニクがライルの背中を黒のハイヒールで踏みつけた。


「あうっ!マダム、ちょっと、今は……」


「お黙り」


ヴェロニクの有無を言わせない命令と共に、バシっとライルの背中を打つ鞭の音、そしてライルの呻き声が響いた。自警団メンバー3人の前で、いきなり女王様プレイが始まってしまった。


ヴェロニクが着ている黒のレザーレイダースジャケットとレザーのパンツは完全に体にフィットしていて、その姿はまるでボンテージ姿の女王様だ。ヴェロニクに踏みつけられているライルは抵抗するそぶりを見せるどころか、もう完全に下僕になり切っている。


目の前で始まってしまった女王様プレイにジーガはドン引きしている。ソルは面白そうに目を輝かせている。アッカは両手で顔を覆っているが、指の間からのぞく目は大きく開かれ瞬き一つしていない。




ヴェロニクがライルを踏みつけ、熟れたバラの香のような声で言う。


「いけない子ね。私の秘密をバラしちゃうなんて」


「いや、鞭をとりだしたのはマダムの……」


ビシッ。


ライルが言い終わらないうちに、鞭がライルを打った。


「す、すみません!」


「違うでしょ。ちゃんと教えたわよね?」


「ありがとうございます」


「もう一度」


「ありがとうございます!!」


ヴェロニクはライルの下僕っぷりに満足すると、ライルを踏みつけている脚をそのままに、すこし乱れたリーゼントをきれいに整えてギャラリーの3人を見た。


「これが私の店の裏の顔なの」


そう言って、ヴェロニクは足下で崩れ落ちているライルを無視して、テーブルの席に戻った。ライルも息を荒くなった息と服を調えて、ふらふらとイスに付くと、


「あ~。やっぱりマダムの鞭はいいですね~」


と、うっとりと身をよがらせた。それを見てヴェロニクがプッと噴いた。


「あなた本当に病気ね」


そしてドン引き、好奇、交感と三様の反応を見せているジーガ達に向いて言った。


「ライルが言ったSMショップというのは間違いじゃないわ。ただし普通のではなくて、世界最高級のSMショップだけどね」


ジーガが横でまだうっとりとしているライルを見て、それからヴェロニクに聞いた。


「どうして世界の一流ブランドが、こっち方面もやっているんですか?」


「そうね……SMに使う革製品って直接肌に触れる物が多くて、

 普通のファッションを作るよりずっと高度な技術とセンスが必要なのよ。

 だから、この分野でこそ私の能力をアピールできると考えたわけ。

 それに上流階級で綺麗な顔をしている紳士淑女になればなるほど、

 こういう猥褻な趣味にのめり込む連中も多いし、

 なにより、私はこういうが大好きなのよ」


ヴェロニクは笑って答え、


「この事は他言無用でお願いね」


と、ウィンクして付け加えた。




「まさか、ライルもここの客なんですか?」


アッカが尋ねると、ライルがシャツの乱れを正しながら答えた。


「マダムはうちのお得意さんなんだよ」


「まあ、私がお世話になっているのはアモスさんのほうだけどね」


ライルの祖父、アモス・ローの表の顔は小さなバーのマスターだが、もう一つの表の顔がライルと同じ占い師、兼、情報屋だ。


「アモスさんに占ってもらってたんですか?」


緊張しているのか興奮しているのか、たどたどしく質問するアッカにヴェロニクは柔らかく笑った。


「占いより一緒に飲んだ事の方が多かったわね。

 三日三晩ずっと飲みっぱなしで、アモスさんはその間ずっと

 私の愚痴に付き合ってくれたわ。はみ出し者同士だって言ってくれて。

 店の酒が無くなったら隣近所から強奪してきて、みんなでさらに飲んだわ。

 それでもあの人、全然潰れないのよ。呆れちゃうわ」


ヴェロニクはクスリと笑って、懐かしそうに目を細めた。



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