公爵家令嬢とアイドルの下校風景(1)
翌日の放課後、16時20分。
丘の上に立つ高校の校門で、真新しい制服に身を包んだ美少女がひとり佇んでいた。美少女は空を見上げながら小さくハミングをしている。その美少女は目の冴えるような赤い髪、黒く大きな瞳、形のよさそうな胸と、まるで人形のようなスタイルだった。校門を通りすぎる男も女も、皆、その美少女に目も心も奪われる。
しかし、一人だけその美少女をガン無視して、校門を通りすぎていく少女がいた。その少女も銀髪、碧眼、巨乳をもつ度の過ぎた美少女だった。二人の美少女がすれ違う瞬間、周囲の視線と意識のすべてが集中した。形のよい胸の美少女が、だまってすれ違っていこうとする巨乳の美少女に、挑発するように声をかけた。
「あら、コンラディン様。一人でお帰り?」
「いたのね、ロロ・セロン。こんなところで何をやっているんですか?」
ロロに声をかけられて、グレネも無表情で聞き返した。校門の前で公爵家令嬢とトップアイドルの対峙に、それを取り囲む一般庶民は息を飲む。
「私は、ライルを待っているのよ」
「それならそこで永遠に待っていなさい。そして朽ち果てなさい」
「ちょっと、何よそれ」
校門を後にしようとするグレネを、ロロが慌てて追いかけてきた。
「ライルさんは、自警団からの依頼があるとかで先に帰りました。私に黙って……」
グレネは全身から陽炎を立たせる。
「ちょっと、わたしそんなの聞いてない」
「私も聞いていません」
「ん?じゃあ何で知っているのよ?」
「私の愛をもってすれば造作もありません」
「そういう割に逃げられてるじゃない」
からかわれたグレネがロロを睨み返す。
「学校では外との連絡を控えていたんです。その隙を突かれました」
グレネはブツブツと今後の改善策を検討していたが、ふと、ロロが自分たちと同じ高校の制服を着ているのに気がついた。
「あなた、そんな格好をして何をしていたんですか?」
「ライルにこの制服姿を一番に見てもらいたくて、あそこで待っていたのよ」
ロロはミニにしたスカートの裾をつまんで、踊り子のようにくるりと回る。
「コスプレですか?」
「貴族でもそんな言葉を知っているんだ……」
「し、知りません。そんなはしたない言葉なんて!」
ロロはニヤニヤしてグレネの顔をのぞき込む。グレネは真っ赤になって俯きながら心の中で兄を呪った。
「でも、それもいいかもね。今晩もライルに脱がせてもらおうかしら。
ね、聞きたい?
昨日の晩、私とライルがどんな一夜を過ごしたのか?」
ロロはわざと「今晩も」のところを強調していう。グレネはその挑発を冷めた目で受け止め、ふうっと息をついた。
「どんな一夜も何も昨晩私が帰った後、あなたも疲れてそのまま熟睡していたじゃないですか。ちなみにそれは本日の午前0時34分のことです。あなたの起床時間は本日午前10時30分。この間にワタナベタさんが3回ほど迎えに来ていましたが、いずれも寝ぼけたあなたに顔を引っかかれるなどしたので退散しています。
あなたに朝食を用意したのはライルさんですね。メニューはトースト、ゆで卵、サラダ、ヨーグルト、そして野菜のスープ。あなたはスープからニンジンをきれいに取り除いていましたね。子供ですか?」
グレネは秘書官が上官に報告を行うように、淡々と昨日あった事をすべて言って見せた。
「な、なんで……」
ロロが青ざめてグレネを指さす。
「ライルさんに関する事は、すべて私の愛の監視下にあります」
「あなた、かなりアブナイわね……」
「あなたはライルさんの気をひくためだけにその制服を着ているんですか?」
「ちょっと違うかしら。私も明日からライルと同じクラスで勉強する事にしたのよ」
「あなたは確かプロフィールでは19歳じゃ……」
「そんなのいくらでも変えられるわよ。世の中、若いのがいいとかクールなのがいいとか、いろいろニーズがあるからねー」
ロロはアハハと笑う。グレネはそんなロロの真意を探るようにして見ていた。ロロは綺麗な女だ。もちろん自分ほどではないが。その分、見た目から年齢を言い当てる事は難しい。ロロは大人びた14歳とも、また幼い25歳とも見える。
そもそもロロ・セロンという女は、一見まっとうなトップアイドルなのだが、詳しく調べようとすると次々に謎が現れてくる。グレネの情報網を持ってしても、未だロロ・セロンの生い立ちや正体を掴み切れていない。
「ロロ・セロン。あなたは何者なんですか?」
「永遠の17歳です☆」
ロロはキャピンっとアイドルっぽいポーズをして見せる。この女は油断ならない。グレネは警戒レベルを引き上げた。ロロはそんなこと気にもしないようにグレネに聞いてきた。
「ライルはどこにいるの?」
「自警団の詰め所だそうです」
「じゃ、あなたに付いていけばライルに合えるのね」
「べつにアモスさんのお店で待っていてもいいと思いますけど?」
「イヤよ。今すぐこの姿を見て欲しいの」
グレネは、楽しげなロロが不思議に見えた。ロロは願いの為にライルを虜にしようとしているが、別ににロロが本気になる必要はない。ライルを勘違いさせれば事足りる。だが、ロロはライルに制服姿を見せるのを本当に楽しみにしているようだ。これも彼女一流の演技なのだろうか。
「ライルって制服が好きじゃない」
「制服が好きってどういう……」
「どうもこうも、ライルは制服姿の私に萌えるってことよ」
ロロはさりげなくライルの欲情の対象を「私」に限定しているが、グレネが反応したのはそこではなかった。
「あなた、どうしてそんなことを知っているんですか?」
「私はライルのそういうことなら何でも知っているわよ。例えばライルが道に迷っている制服姿の女の子に道案内して一緒に登校したこととか、後、パン屋の制服がお気に入りでそこのお姉さんからお釣りをもらう時、手が触れるのを密かに楽しみにしていたとか」
ロロは指折り数えるようにしてライルのフェチぶりを並べていく。その数が増えるたびにグレネの美しい顔が驚愕で歪む。ロロが言い並べたライルの恥ずかしい性癖は、すべてライル本人の胸に秘められている。本人以外でそれを知るのはライルをストーキングしていたグレネだけのはずだ。そう思い込んでいた。
ロロはグレネの表情に構わず、ライルの変態エピソードをさらに言い並べていく。
「そうそう、傑作だったのが組体操で体操服姿の女子に踏み台にされてイっちゃったことね。もうどんなんけ変態だって話だけど、あれって確か……」
「12歳の時」
「そう!…………って、あれ、なんで知っているの?」
ロロは首をかしげた。
「それはこっちのセリフです」
「知っているものは知っているのよ」
「理由になっていません」
「あんたこそ、どうして知っているのよ?」
「わ、私のは愛の力です」
グレネは無意識に魔女の皮の手帳が入っているカバンを抱きかかえて言った。ロロはその仕草に胡乱な目を向ける。
自分だけが知っているはずのライルの秘密を、なぜこの女が知っているのか。ロロの胸にも、そしてグレネの胸にも同じ疑念が湧き上がっていた。ライルがこんな恥ずかしいことを、進んで口外するとは思えない。二人の間の空気が重くなる。
「あなた、ライルさんの事をどう思ってるの?」
唐突な質問に、ロロは一瞬パチクリと目を瞬かせた。そしてゆっくりと視線を宙にさまよわせて、口を開いた。
「そうね。ライルってぱっとしないわよね。
イケメンじゃないし、かといって面白顔でもない。
地味だし、普通だし、童貞だし、自意識過剰っぽいし。
あと、どことなくドMっぽいのもちょっとねぇ」
ロロの口からは、始めはぽつぽつと、最後のほうは流れるようにライルのダメが出てきた。本人がここにいたら泣きだすかも知れない。グレネも同感だったが、左眉がピクピクと動き出していた。
ロロの視線が宙の一点で止まった。
「でもね、昨日人込みの中にいたライルを見つけた時、『ああ、この人だ』ってわかって、夢中で飛びついちゃった。変な話よね。いままで見たこともなかったのに。第一、彼はただの贄で、私は彼を虜にして殺せばいいだけなのに。でも、今とても楽しいよの。なんでだろ?」
そういって振り返ったロロの顔は、恋バナに花を咲かせる普通の少女だった。グレネは昨日の私もこんな顔をしていたのだろうかと、ぼんやりロロを見ていた。
「私、これでもライル・ローに本気だからね」
ロロはグレネと真正面に向き合って挑戦的に宣言した。グレネはロロの宣言を、氷のごとく冷たい無表情で受け止めた。