竜をめぐる三角関係(4)
「私はかわいいくて頭がいいから、こうするのよ」
ロロはそう言うとくるりとアモスの方を向いて言った。
「今日から私をここで住まわせて下さい!」
「ほうっ」
アモスが面白そうに声をあげた。グレネは目を丸くし、口をパクパクさせている。
「何言っているんですか?!自分の家ぐらいあるでしょう?!」
「ライルが右手を怪我したのは私のせいなんだから、その責任も取らなきゃ」
「責任って?」
「身の回りのお世話よ。食事や、お風呂。あと性欲の処理も」
「せ、せ、せ、……」
グレネは顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。
「私も初めてだけど、がんばるから、ね?」
ロロはまた体を密着させてきた。しかしライルは鼻の穴をヒクヒクさせつつ、無理矢理余裕の表情を取り繕ってロロに言った。
「なあロロ。女体と自分の右手は別腹なんだぜ」
「なら、女の体を教えてあげる。どうせ童貞なんでしょ?」
ロロが見透かしてウインクをする。途端にライルの顔がいっぺんに赤くなった。
「なっ?!ど、ど、ど、ど、ど…………」
「童貞だろ。臭うぞ」
「アモス!?」
「ま、いいんじゃないのかな、面白そうだ」
「俺の命はどうすんだよ?!」
「自分で何とかしろ」
そう言って、アモスは肩を揺らして愉快そうに笑った。ライルは、頭が痛くなってきた。この男は快楽主義の暇人だ。面白い事には目がないし、面白い事のためなら少々の犠牲も厭わない。
「とはいうものの、使ってもらえそうな部屋がないなあ」
アモスは頭を掻きながらいうと、
「それじゃあ、無理ですよね」
とグレネが胸をなでおろす。だがロロは不敵に笑った。
「そんなこともあろうかと、準備はしてあるわ!」
ロロがそう言って右手を高々と挙げると、まるでそれが合図だったかのようにドンと何かが激突したようなものすごい音が響き、ライルの家全体が大きく揺れた。あちらこちらがミシミシと音を立てて、天井からぱらぱらと砂が落ちてきている。
「な、なんだ?!」
「……お前の部屋じゃないか?」
アモスがグラスを磨き始めながら、天井を見ていった。ライルは大急ぎで階段を駆け上がり、3階にある自分の部屋のドアを勢いよく開けると、真っ暗な部屋の中からもうもうとほこりがライルの顔を覆ってきた。ライルは左手を口に当てながら手探りで明かりをつけると、魂が抜けたような顔になった。ライルの部屋は大地震の後のように全ての物が散乱し、その上には土ほこりがうずたかく積もっている。そして隣の建物と面している壁に、ドア一つ分の穴がぽっかりと黒い口を広げていたのだ。
「ちゃんとできてるわね」
ライルの後ろからロロが顔をのぞかせて満足そう頷いている。ライルは何も声を出せないままロロを見ると、ロロは親指を立てて誰かに応えている。ロロの視線の先を見ると、壁に開いた穴から誰かが出てきていた。
「ロロー、これでいいかー?」
穴から出てきたのは、夕方ロロと店の前にいたマネージャーらしきサングラスの男だった。男はライルに気がつくと、いそいそとライルの前にやってきて、黒のジャケットについたほこりを払い、丁寧にお辞儀をして腰を低くし、両手で名刺をライルに差し出した。
「初めまして。私、ロロ・セロンの所属事務所のワタナベタと申します。以後、お見知り置きを」
ライルは魂が抜けたままで、その名刺を両手で受け取った。名刺には「株式会社ウォーフル ワタナベタ・ロウ」とある。
「ワタナベタ……さんは、一体なにを?」
「ロロ・セロンのマネージャーをやっております」
「そうじゃなくて!いま、ここで何をしているのかって聞いているんです!」
丁寧なワタナベに、ライルは声を荒げた。
「ああ、ロロがこちらでお世話になるための部屋を用意しようと思いまして」
「それでどうして、俺の部屋の壁に穴が開くんですか?」
「これは連絡通路です」
「はい?」
「今朝、隣の家をロロの住居にと購入しましたので、ライルさんの部屋と行き来しやすいようにと」
ワタナベタはマンションショールームを案内する営業マンのように、姿勢を正しよどみなく答えた。ライルが恐る恐る穴を覗くと、1メートルほどの頑丈そうな屋根付きで赤い絨毯が敷かれた通路が隣の家に繋がっていた。ライルは崩れ落ちそうになるのをこらえて、ロロの方を振り返った。
「ね、これで部屋の問題は解決でしょ?」
ロロはライルにウィンクしてみせる。ライルが口をぱくぱくさせている横から、グレネがロロの肩を掴んだ。
「あなた、何考えているの?」
「なにって、ライルを私の物にすること以外なにも考えていないわよ」
「あなたには常識はないの?」
「男を監禁して洗脳しようとする女がそれを言う?」
「私のは愛だからいいのよ!」
「私のだって愛よ」
ロロはグレネの手を振りほどいて、ライルの右腕に強くしがみつき、ライルを見上げた。
「100年かけてでも、私はあなたを落すし、私もあなたを好きになるわ」
ロロの真剣な目にライルは言葉を出せなかった。
「それって、ストーカーじゃない!」
グレネがロロとライルに割って入るように声を上げた。
「ストーカーはあなたじゃない。私のは押し掛け女房っていうのよ」
「それを、自分で言うのか……」
ライルが呆れた声で何とか突っ込んだ。
「言ったでしょ?もう絶対に離さないって」
「そんなこと言って、隙を見てライルさんを殺すつもりなんでしょ!」
グレネがロロを指さしていった。
「あなただって、拉致監禁しようとしてたじゃない」
ロロはそう言って、べえっと舌を出した。3人のやり取りを、横で黙って見ていてたワタナベタが、
「私はまだ片づけがありますので、ここで失礼します」
そう言ってワタナベタはライルに一礼すると、部屋に開いた穴に戻っていった。
「片づけなら、この部屋を何とかしてくれよ……」
ライルは無残な状態の部屋を見回して、がっくりと肩を落した。
「私も一緒に片づけます」
グレネが膝を曲げ足下に散らばっている本を手に取ろうとすると、ロロがその手をぴしゃりと叩いた。
「余計なことはしなくていいから、あなたはもう帰りなさい」
グレネはそれだけで人を射殺せそうな目でロロを見上げた。
「ロロ・セロン。いい加減私の邪魔をしないでいただけますか?」
ロロはグレネの威嚇をさらりと受け流す。
「はっ、あなたこそ消えなさい。なんなら永遠にいなくなっても構わないわ」
ロロがその胸を突き出して、グレネにプレッシャーをかける。グレネも負けじと胸を突きだして、ロロを睥睨する。巨乳と偽乳の正面対決。巨乳が偽乳を押す。
「あなたは愛だとか言うけど、本当は願いが叶いさえすればライルさんのことなんてどうだっていいのでしょう?」
今度は偽乳が巨乳を押し返す。
「あんたこそ、願い事の為に第二王子を袖にしてライルの前に現れるなんて、どれだけ強欲なのかしら。それともライルをさっさと殺して、王子への手土産にするつもり?」
ロロの挑発に、グレネは顔から怒気を吹き出し肩を震わせ、ロロの目を睨み言った。
「うちの手勢を使って、根絶やしにしてやりましょうか?」
「情報操作で、社会から抹殺してあげてもいいのよ?」
ロロは顔に笑う余裕を見せ、言い返す。グレネとロロの対決は、それぞれが背景とする軍事力と政治力を使ったものにまで拡大しようとしていた。そこまでして俺を殺したいのか。ライルは心から震えた。
しかし、ここで二人に好き勝手させるわけには行かない。このままだときっとグレネもロロも手段を問わずにお互いを消しにかかるだろう。片方が殺されれば、その原因はライルにある。もし万が一この話の一端でも世間に流れてしまえば、ライルは公爵家令嬢や現役トップアイドルが死んだ原因を作った男になってしまう。そうなればライルの人生はハーレム物から一転してスーパーハードモードに突入だ。そんな事態は何としてでも阻止しなければならない。
ライルは大きくパンッと両手を叩いた。
「二人ともストップだ」
グレネとロロが驚いてライルを見た。そして一瞬の間を空けて同時に
「「でも、この女が……」」
とお互いを指さす。ライルははっきりと言った。
「もし、君らの一方がもう一方を殺すようなことがあれば、その時は俺が残っている一人
の首を切り落とすからな」
「えっ……」
ライルの声には、なんら緊張も誇張もない。その声は「雨が降ったら傘をさす」とでも言うようにとても機械的だった。これにはグレネもロロも一瞬でおとなしくなった。グレネにはライルの顔が、妹の首を切り落とした話をしているときと同じに見えた。
「グレネ様もロロも握手しようか」
グレネは左眉を大きくピクピクとさせながらライルを睨んだ。明らかに何か機嫌が悪い。
「どう…しました?」
「さっきから、グレネ様、グレネ様って……。あなたにそう呼ばれるのも、敬語を使われるのもイヤだと言ったはずです!」
おっかなびっくりなライルに、グレネが指を突き立て、阿修羅のごとく怒っている。
「いや、でも……」
「『でも』じゃありません!」
グレネの怒声が壁と窓を振るわせた。なぜこんなに怒るのか、ライルにはよくわからなかった。何かその呼ばれ方に、イヤな思い出でもあるのだろうか。
「わかった。わかったから」
「本当ですか?」
「ああ」
「約束ですよ?」
グレネの表情はすでに阿修羅ではなく、小さな女の子のように上目づかいでライルに念を押した。
「粗雑に扱って欲しいなら、私がいくらでもしてあげるわよ」
ロロの無遠慮な声が、ライルとグレネの間にできた何となく良い空気をぶち壊した。
「そんなことしたら、あなたをボロ雑巾にしてあげます」
すかさず反撃に出るグレネには、もう小さな女の子の面影は欠けらもない。
「いいから、握手して」
ライルがそう言っても二人はしばらくにらみ合っていたが、しぶしぶお互いの右手を握った。
「アイドルなのに、手汗が気持ち悪いですね……」
「あんたの手だって、べたべたじゃない……」
ライルは二人のいがみ合いに苦笑いしながら今朝届いた手紙のことを思いだしていた。
(「君には今日、少女との出会いがある。その彼女……殺……くれないだろうか?」)
あれは「彼女を殺してくれ」ではなくて「彼女に殺されてくれ」じゃねーか!冗談じゃない。人殺しになるのも嫌だが、殺されるのも嫌だ。嫌に決まっている。ライルは二人に聞こえないように、「俺の事を諦めもらうにはどうしたらいいんだ……」と、途方に暮れて一人ため息をついた。