現代
00
「センセー、未来旅行ってできるようになりますかね?」
そんなことを、一人の少女が何気なしに口にした。
「どうでしょうね。たぶん、不可能ではないと思いますが」
「あ、へえ。センセーはそう考えるんだ。なんでです?」
「もう原理があるなじゃないですか。既に、光の速度は、時間的な速度を超越しているんですから。衛星などに使われている技術です」
「え、もう使われてましたっけ? その辺は知らないなあ」
「まあ、その辺は私も分かりませんが。それでも、相対性理論に従って論ずることは可能なのでは?」
「光の速さはっていうアレですね。まあですねセンセー。わたしが言っているのはそれとはまた別なのです」
「珍しい。科学の話しかと思いましたが」
「いいえ。というか、アレですよ。夢の話しですね」
「夢、ですか」
はあ、とその人物は室内にある家具の一つに腰掛けながら答える。
「あ、もしかしてその手の作品を見たとか?」
「そうなのです。大昔の映画なんですけど。ほら、あのごみを燃料にして走る奴」
「別に大昔でもないですよ、それ」
「いいじゃないすか。で、その作品で時間軸を移動するのを見て、ひらめいたのですね」
「何を?」
「だから、時間を移動をですよ」
「あれ。さっき夢の話しって言ってませんでしたか?」
「そりゃあ、夢ですよ。さっきの相対性の話しで、現在、わたし自身が時を越えられる筈がないじゃないですか。その為には、少なくとも、わたし自身がその速度を超越しなければらならない。でもですね、そんなことしたら、わたし、空気摩擦で黒焦げですよ。それどころか衝撃波で周りごとバラバラです」
「そこまで現実的な考えができるなら、もう夢ではないと思いますが」
ふむ、とそのセンセーと呼ばれた人物は、卓上の上でカップを持っているその少女に向き直る。
「それで、時間を越えられたら?」
「あ、それですね。それがですね、あのー、ほら、あるじゃないですか。かの有名なサイエンティフィックロマンが」
「――――もしかして、パラドクス?」
「祖父の話しでしたね。空想上の話しには違いないんですが。でもあれって、やっぱり未来と過去は繋がっているって理論だと思うんです。結局、過去に飛ぼうが未来に飛ぼうが、その結果と物事はすべて決定しなければ、あの間違いってことにはならないんじゃないすかねえ」
「また難しいことを」
「分かってるくせに」
「過去の出来事が間違いと確定されるのは、つまりはその未来があるからであり、時間を遡ってきた人間がいるかぎり、それは揺るがない」
「でもやっぱ、それは未来に行っても変わらないでしょお。自分が時間移動ができたってことはつまり、自分より未来の人間の、そのまた未来の人間すらいるわけでしょお? だったら、わたし達にすでに自由意思はなくて、最初からすべて起こるべきことと、成されるべきことは決定しているってことじゃないですか」
「運命論になりましたね。それで?」
「センセー。この世の中には、若しかしたら本当に時間移動が出来るかもしれないってことですよ」
そういう少女を、一人の女性は困ったように見つめる。
「虚言妄想癖」
「あー、またそういう大人の発言で包む」
「時間移動までなら認めましょう。それをおこなおうとする大人もいるでしょう。でも、その理論をいくら提唱したころで、私たちが未来や過去に行ける保証なんてありませんよ」
「保証なんてどうでもいいです。あのですね、わたしが言ってるのはあくまで夢の話しなんですから、そんな風に嫌な顔しないでください。まずっすね? このわたし達がいる地点を0として、グラフで表すと、過去がマイナスで、未来がプラス数値になるわけです」
「そりゃあ、まあ」
「でも、今わたしが言った通りだと、わたしのいる地点は数値化なんてできないわけです。0どころか、数値すら不明です。完全な『 X 』なわけです」
「まあ、そうですね」
「で、この『 X 』が、他の部分に行くとしたら、そこもまたXです。つまり、この時点で未来と過去という区分は、その『 X 』にいた当人にとって、時間的未来か過去か、ということにしかならないんですよ。だから、時間移動は何も特別なことじゃなくて、単なる移動なわけです」
「まあ、ですね」
話しについていけなくなっていると見た少女は、そこで発言を止める。
「まあ、じゃあ別の話しにします。例えば、時間的な矛盾をパラドクスとして、それを修正する論が、世界腺の理論だとします。分岐的世界、とかイフとかそんなんですね」
「それも、矛盾に対抗するための苦し紛れの論、という気はしますが」
「すべての原因は、時間移動ができる時点で歪んでいるわけです。その一つを通すために、色々な言い訳を考えなければならないのなら、その実態は、実のところ『証明できない』ってことになるでしょう? 『不可能』なんじゃなく、『証明不可能』です。ってことは、それはまだ不可能かも分からないことなんじゃないですか。で、もしわたしが現在から過去へ飛んで、それでセンセーの少女時代を見ることも可能なんじゃないかということです。センセーの、その大事にしている黒い服の謎も解けるわけですよ」
壁に掛けてある、もうずいぶん古くなったその黒衣を指さして少女は言う。
「それは少し、嫌だなあ」
「謎人間のセンセーの素性を洗えるわけです。でも、その為に必要なものが、まだ速度、ってものしかないのは少しなあ」
「結局は、そこも不明なわけですね。でもどうでしょう。過去や未来に行く必要があるのでしょうか。結局は、一度起きてしまった事柄は、変えようがないと思いますが」
「そんなの関係ないです。ただわたしが楽しければいいんですから」
「貴女らしいですね」
彼女は言って、くすくすと笑った。
「ああ、そうだ。貴女の言葉を訊いて思い出しました」
そこで、その人物は部屋の奥に良き、しばらくし、その中から何かを持って出て来た。
「それは?」
「ああ、昔、知人に貰ったものなのですが、差し上げます」
言って、少女に差しだされたものは、一個の何か、水晶体のようなものだった。
「あ、これ知ってます。キューブ? で、数億年単位で保存がきくヤツ。千年ペーパー? みたいなもんですよな」
「一時期有名だったものです。でも、私達の日常には、貴女の言ったようなものはありませんよ。私達にできることは、文章や行動で、その軌跡を残すことだけなんですから」
そう、その女性は言って、彼女にそれを手渡した。
少女はそれを貰ったことに満足して、その場は引き下がった。彼女はこう言ったことがある度に、彼女が経営している雑貨店に寄ることが趣味であり、また、センセーと呼ばれた女性の方も、それを許可していた。
「あ、でもセンセー、次に来るときはもっとその手の話しを詳しくしてくださいよぅ。センセーほんとはしらばっくれてんのがバレバレですから」
01
時間移動の話は、かつての物語や研究から数あるが、まずは老人のパラドクスの話しがもっとも有名だろう。
まず、自身に時間移動能力があったと仮定する。
そして第二に、自分の親を産み落とした祖父が、まだ青年の時代、つまりは過去に移動できたとする。そのとき、その青年を自分が殺害できたとすれば、それは青年が自分の親を生まなかったことになり、つまりは、今時間移動をしてきた自分は、最初から存在しなかったことになる。
故に、殺害は起こらず、自分は時間を超越する。
この、時間移動によって起こる矛盾の連鎖を、ある時の雑誌ではパラドクスと定義した。
「でもどうなんでしょうねー、別に自分の根源を殺害なんてしたくなりませんけど」
彼女は、自分の部屋において、センセーという人物から貰った記憶キューブの水晶体を眺めていた。
「記録の方式としては、CDとか、HDとかと同じですねー。結局レーザーで読み取って、その内容をこじ開ける。まあ、その中身が、鉄か、水晶化で、劣化の度合いも変わってくるんですが」
記録媒体があったとしても、その記録を読み取る装置がなければ無意味である。
また、この水晶体に記録をしたとしても、それを読みとる装置、というものは、まだ一般には公開されていない。
読み取る装置を見せずに、記録する箱だけを確立する、というのは、どうにも性急だが。
「でも、まあ」
自分の工具の箱の中にあった、レーザーを用いて確認する。
水晶体のキューブの中には、小さな、本当に微量な凹凸が存在している。
「なんか書いてあるのは確かっすね。なんだろ。センセー誰から貰ったんだろうなあ」
訊いときゃとよかった、と嘆息する少女だが。
センセー、と呼ばれる人物は、ある時から近所に越してきて、そのまま雑貨屋などを営むようになったよくわからない人物だった。
分かっているのは、アレが女性だということ。そして、どうやら身持ちはなく、年齢は二十代の前半くらい。面白がってよった少女は友人として迎え、たまに馬鹿のような話しをしているというだけだった。
それ以外は一切不明。
その素性も、その名前すら、彼女は知らない。
一応表札は下げているが、実際のところは本名ではないと知っている。
彼女がその女性のことをセンセーと呼ぶようになったのは、彼女が大方、その少女の話題をすべて知っていたからではあるのだが。
元々の化学人間。両親とその育ちの影響ではあるのだが、彼女はそういった話題には素直に食いついて行く。
「しかし、時間的な問題かあ。あ、でもどうだろ。あ、なんか出そうアイディア。あ、でも眠い。なんか寝たい。死にたい」
ごろん、とベッドの上に寝転がる。
彼女は今年十七になるが、実際のところ、深夜に映画を見て、そのまま学校に行く、といった生活を送っていた。それも、彼女の生活習慣に影響するのだが。
「ま、ぼちぼち解析だけしていきましょ。あ、でも自分で読み取りの機械を作っちまうってのもいいかも。お金かかるし面倒だけど。でも買うよりいいかもなあ」
そんな、馬鹿のようなことを言っていると、本当に目が塞がって来た。
知人から貰った未知のキューブ。
まあ、その解析に、彼女自身は胸躍らせ、若い人間特有の探究心に身を預けながら眠ったのだが。
「おい。何寝ようとしてんの」
そんな声が、部屋の中に聞こえた。
部屋の向こうを彼女が視ると、一人の男性が立っている。
それを見て数秒、彼女が硬直してから、むくりとそこから起き上がる。
「あー、見た?」
「何を?」
「いや、なんでも」
言って、彼女は自分の部屋の中で立ち上がり、伸びをする。
「風呂湧いたから入れって。最初でいいよおまえ」
「てか、いたんだ」
「帰って来たと言え」
彼女がその顔を見るのは久しい。彼は、彼女よりも十ほど年の離れた兄だった。
どうやら仕事は何か特殊なことをやっているらしく、彼女が知る限りでは、それは一ヵ所に留まって行うようなものではないらしい。
彼女の両親が、その職を好く思っていないのは確実で、そのため、彼女は兄の顔を見る度に、犯罪者の顔に成っていないかを確認するのである。
当然、そんな勘繰りが分かれば、彼女は兄からの侮蔑を受けることは決まっているのだが。
「おまえ、体調悪いんだからさっさと行きなさいよ」
「えー、そりゃー昔のハナシですよ。今は大方落ち着いてきたような」
「そりゃ思ってるだけでしょ」
言って、彼は階段を下って行く。
――――――どうやら、まだ犯罪者にはなっていないらしい。なんとなくだが、それは分かる。
「まあ、まだ、なんですけど」
昔、もう十年ほど前になるが、彼女は体があまり丈夫なほうではなかった。
それこそ、軽い病気にはかなりよくかかった、などというレベルではなく、それこそ、自分の余命はいくつだいくつだと月ごとに言われていた始末だった。
それはまあ、彼女としては、特に気にするところではなかったのだが。
それ故、彼女は幼いころは外で走ったことなどなかった。大方が自分の上に突き刺さっていた注射針の先端などを凝視していた。それが、彼女が幼い時に知っていた世界のすべてだった。
「というと、少し小説っぽいですけど」
実際には、そんな感傷に浸るような人間ではない。
あと少しで終わる、と言われていたのも、彼女には特に興味のないことだった。
両親は、なんだかよく分からない感情を娘にぶつけもしたけれど。
その中で、兄だけは何らかの手段を講じた様だった。
それによって、自分の身が持ち直した、ともどこかで聞いた。
が、正確なことは、彼女には分からなかった。実際に自分を治療したのは医者という職業の人間なのだし、そこに間違いはない。
しかし、それに自分の兄がどのように関わっているのかなど、彼女にはどこにあるかも分からない埋蔵金を掘り当てるようなものだ。
下手に掘り過ぎて均衡が崩れても面倒だし、地雷を掘り当てて家庭が崩壊するはもっと拙い。
なので、彼女は幼さからそのことには口を開かないと決めていた。
それがなんであれ、自分という人間が今生きていればそれでいい。
そういう考えである。
「あ、でもお兄さん。そういやーですけど」
そこで、彼女は居間にいる彼に話しかける。
「この間見せたものはどうなりました?」
「うん?」
そこで、彼は不可思議な顔をする。それは、遠い思い出を反芻しているかのような、それとも、自分の行動を、一つ一つ並べ立てているような。
まあ、つまりは思い出しているような動作だ。
「忘れた?」
「悪い。もう一回言って」
「この間、お兄さんに、センセーとの関係って聞きませんでした?」
そう。彼女の兄と、センセーと呼ばれる女性が知り合いであることを、彼女は知っている。
情報が出来て来た、というだけだったのだが。
「――――ああ」
そこで、彼はなんでもないことのように嘆息する。
「そんなことか」
「そんなことで済みますか」
「そんなことだろ。さっさと風呂入ってよ」
「あー、そういうこと言う。じゃあいいっす。明日休みならとっちます」
「そうですか」
知ったのは最近だった。
兄の仕事に詳しい訳ではないが、そこにセンセーと呼ばれる人物の資料が出て来たのである。
しかし、彼女の姿は今よりかなり幼く、それも小さく見えた。
その資料が画像だったので、それが過去の資料であることは容易に想定できた。
ここまでくれば、大方は予想できる。
元々、仕事の関係なのか私情の関係なのかは分からないが、彼女の兄とセンセーという人物は知り合いだった。
この想定に辿り着くことは、難しくはないだろう。
「………………ミナ」
そこで、彼女の兄は彼女の名前を言う。
「おまえが知りたいなら、明日教える。少し長い話しになるからそれなりの時間は必要だけど」
「センセーと一緒に?」
そこから先は、彼は答えてはくれなかった。そういう人物だ。気難しい、というのだろうか。
まあ、言う通りにしていた方が利口だろう。
風呂を済ませると、居間に両親の姿が見えた。
なにやら話し声、というより話し合いのような声が聞こえる。
どうやら、両親バーサス、兄、のようだ。
「――でね、学校の先生が言うのよ。ミナは病院に預けた方がいいんじゃないかって」
「それは、きちんとした健康上の問題で?」
「いや、なんていうか。クラスっていうの? そこの人間関係が上手く構成できてないんじゃないですかって」
「高校の教師が言うことかな、それ」
「でもねえ。あの子、少し異例の退院してるじゃない? そのことで心配なんじゃないかって」
「ああ、授業中に倒れられてもってことか」
「学校にも迷惑がかかるしねえ」
「私たちも普通の学校じゃなくって、なんか、こう、特別な施設的なものがいいんじゃないかって思ってるんだけど」
「特別な施設って?」
「分かんないけどさ。でも、もっといいところあるんじゃない?」
「まあ、一番はお金の問題なんだけど」
「目途も立ってないのにこういう話しすんなよ。それに、現在は問題ないんでしょ」
「そうだけさ。ほら、何かあってからじゃ拙いわけだし」
「やっぱり、公共の学校じゃ無理があるのかねえ」
「それを判断するのは周りじゃなく、あくまで健康管理の人間だと思う――――――」
そんな声が聞こえた。
やれやれ、という風に首を振って、彼女はゆっくりと階段を上がる。
そうして、自分の部屋のドアを閉めた。
「おふくろも親父も大袈裟ですよ。少し体弱いってだけでこれです」
面倒だ、という風に首を振る。
彼女は幼いころに生死の間をさまようような手術をいくつも受けた。
それでも、彼女はその事柄について、特にどうとも思っていなかった。
「両親は化学の人間なのに、人間の化学には疎いようで」
そんなことを言って、枕の横に置いてある水晶体のキューブを手に持ち、部屋の電気を消して、再びベッドの中に入り込む。
「今なんてどうでもいいんですよ。例え、このまま布団の中で死んだって、それでいいですよ」
そんなことを言って、彼女は眠りに落ちた。
その発言には、何の後悔も、何の強がりもない。
彼女の手の中に握られた、一つの水晶体の箱は。
その暗闇の中で、わずかな光を吸い込んで、そして吐き出していた。




