第25話
私は病院で叫んで強制退場させられてから、ずっと涙が止まらないでいた。
類君が来てくれなかったら…。
私はあそこで暴れてしまったかも知れない。
それに彼が他人の振りをしてくれたことにも感謝しなくちゃ。
ここで私達がグルだってバレては、全てがダメになっちゃう。
でも…、辛い…、辛いよ…。
剣道で腕は磨けても、心技体を鍛えるのは難しいと思った。
彼に会いたい…、
声が聞きたい…、
思いっきり抱きしめて欲しいよ…。
その想いが一気に溢れて制御できなかった。
今も窓から侵入出来ないかとか、竹刀があれば突破出来るとか、もう考えていることが無茶苦茶なのはわかってる。
だけど会いたい気持ちは止められない。
誰かにこの想いをぶちまけたい。
そして賛同して欲しい…。
何か意見が欲しい…。
でも…。
そんな友人は一人もいなかった。
家族もいなかった。
源五郎おじいちゃんや梅婆さんなら…。
でも、きっと頑張れとしか言ってくれない。
いや、それ以外に何も言えないよね。
妖怪と殺し合いをするような孫に、何を言えっていうの?
類君なら聞いてくれるかも知れない。
だけど彼に伝えても、彼の負担が増えるだけだよね…。
今は必死になって、親友のために頑張ってくれているのだから。
帰りのバスの中でも考えがまとまらなくて、堂々巡りになっている。
駅に着いた事に気付かなかったほど思い悩んでいた。
運転手さんに声をかけられ、やっと我に返ってバスを降りる。
家に帰る路線のバス停のベンチに腰を降ろす。
涙が膝の上に落ちる。
ボロボロと落ちている。
その膝の前に人影が映ると声をかけられた。
「どうした?瞳。」
彩だった。
周囲を見渡すと、人はいたけど、ベンチでボロボロ泣いている女の子の隣に座る人はいないよね。
そこへ彩が隣に座る。
こんな状況でも、特に何かを聞き出そうとはしてこない。
彩はそういう人だ。
「あのね…、あのね…。」
私は何か言わなくっちゃと焦っていた。
ボロボロ泣いているところを見られたから。
「無理に言わなくてもいいよ。」
「私、どうしたら良いか分からなくなっているの…。」
彼女の反応をみた。
嫌そうなら無理に聞いてもらうつもりはなかったから。
「バスが来るまで時間あるし、話したいなら聞いてあげる。」
それだけの優しさが逆に嬉しかった。
思春期で好奇心の塊のようなクラスメイトにはとてもじゃないけど言えない。
「もう4年近く彼に会えないの…。面会謝絶で…。本当に生きているのかさえも分からなくなっちゃって…。」
「ふむ…。他人から見ると、瞳がカウンセリングを受けた方が良いと思うけどな。」
私がカウンセラーを目指している事を知っている彩だからこその皮肉だ。
つまり彼女は、本当に彼氏がいるのか?という部分から信じられないでいる。
それは告白される度に相手から言われいて自分でも分かっている。
疑われる度に強く否定する自分がいる。
確かに出会って1週間で恋に落ち、離ればなれになり、それからほとんど会っていない。
顔つきがどう変わったのか、
背は伸びたのか、
どんな髪型なのか、
声も変わったのか…、
何一つ知らない。
これで彼女です、と言える方がおかしいと言われても否定できない。
「もし良かったら、私の部屋に来ない?見て欲しい物があるの…。」
私の《《家》》とは言えなかった。
自分の家は源五郎おじいちゃんの家で、今いるところは寮か、シェアハウスみたいな場所だと思っている。
「瞳がいいなら、いいよ。」
彩は絶対に無理強いをしない。
これは彼女のポリシーなのだろう。
二人でバスに揺られ、私の部屋に向かった。
家に着き玄関をくぐり階段を上がる時、叔母がいて彩が挨拶した。
向こうは特に意に返さず家事をすすめていた。
部屋の前で彩に、お母さんか?と尋ねられ、親戚とだけ答えた。
やはり彼女はそれ以上を聞かない。
部屋に入る。
「殺風景だな。」
と苦笑いしていた。
部屋は四畳半で押入れもない。
畳まれた布団と、小さなテーブルがメイン家具。勉強机などない。
他にあるのは、制服と私服を引っかけてある衣類ラックと、時計と、小さな本棚。
本棚には参考書の類しか入っていない。
ぬいぐるみや雑誌、テレビといった、誰の部屋にでもありそうな物は一つもない。
唯一不釣り合いな物がある。
鍵付きの鉄箱だ。大きさも結構あるし重そうだ。
女子高校生の部屋とは思えない場所ではあったが、やはっり彩は余計なことは言わなかった。
私は殺風景と言われた意味を考えながら、いつも持ち歩いている鍵で鉄箱を開ける。
ちなみに合鍵は源五郎おじいちゃんが持っている。
そもそも、この鉄箱自体おじいちゃんが準備してくれた。
これに大切な物を入れておけと言いながら。
その中から額に入れられた絵を取り出す。
その絵は、あの事件があった日のお祭りの時にかかれた振り返る私。
「これを見てみて。」
突然出された絵を、彩は不思議そうに見ていた。
だけど直ぐに真剣な目つきになり、そして食い入るように見ていた。
「どう?」
感想を求めたが、彼女は気付かない。
「彩?」
その声でハッと我に返ったみたい。
「当然のことながら、あたしは絵のことなんか知らないのだけれど、素朴な祭りを心の底から楽しむ少女と…、あぁ、そうか、この絵の作者はこの少女が好きなんだ。だけど、どこか切なそうに見ているような気がする。そこにどんどん惹き込まれる。自分まで切なくなってきて、心苦しくて…。なんだこれ…。」
そして彼女は涙を流した。
「もしかして、この二人は離ればなれになる運命で、本当は来年も一緒に来たい作者と、同じ思いだけど今日の祭りを精一杯楽しむ少女の儚い話なんじゃないかな?」
ちょっと驚いた。
そこまで正確に読み取る人は少ないからだ。
「うんとね、ほとんど正解。」
その言葉に彼女は驚きを隠せないでいた。
「まさか…。」
「その絵の少女は私。書いたのは彼なの。」
彩は再び絵を見ている。
「私は高確率で…、んーん、絶対に死ぬ病気にかかっていたの。でも、こうして生き永らえた。だけど、それと同時に彼は目を怪我しちゃって…。」
そこまで言うと、彩はだいたい察してくれた。
「そうか…。それで病院に…。と、言うことは、彼は目が見えなくなったことで絵が描けなくなって病んでいると?」
私は小さくうなずいた。
面会謝絶という情報から、相当酷い状況だと推測しているようだ。
「そうなの…。それだけなら回復に向けて色々と考えられるのだけど、絵で彼の元気を取り戻そう、目が治ったらまた絵を描こうって気持ちになってもらおうと思って、画材を持っていったら発狂しちゃって…。それで精神科に移動しちゃったのだけれど、その精神科の担当医がちょっと問題で…。」
「ふーん。あの大きな総合病院だよね?」
「そう。その担当医がね、ちょっと悪い噂のある人らしくて…。絵に関する人は、家族すら面会謝絶だし、一向に回復傾向にならないし、むしろ酷くなっているようで…。あの人から彼を取り戻したいのだけど、それはもう自分がやらないとって思っていて…。」
「なるほど。それで精神科医だの、カウンセラーだのが目標なわけだ。だけどそれ、彼が回復したらどうするの?」
「彼次第だけど…。辞めてもいって思ってる。」
彩は私の言葉に顔つきが真剣になった。
「ちょっと医者をバカにしてる感じに見えるよ?」
「そう言われるのは覚悟してる。というのはね、私の病気は彼のおかげで回復したし、彼の目は私のせいで怪我したの…。私がいたばかりに彼は…、命より大切な絵を…。彼は、東京の美大の理事長さんにまで認められて、大学推薦を中学生で内定していたのよ…。それを私は全て台無しにしたの…。だから…。」
私の言いたいことは伝わったと思う。
彼女は少し考えていたけど、静かに口を開いた。
「わかった。彼の為だけに今、あれだけ努力しているってことね。あなたの覚悟はこの部屋にも見て取れる。何せ、彼のためだけの物しかこの部屋にはない。女の子が興味をもちそうな物は一つもない。いや、必要ないのか。そこまでして…。」
そこまで言うと彼女は私の目をジッと見つめた。
「あなたの覚悟見せてもらった。私にも何か手伝えることがあったら協力してもいい?」
「うん、ありがとう。その気持だけで心強いよ。」
自然と笑と涙がこぼれた。
「いい笑顔。恋ってすげーなー。」
彩がちょっと怪しげな素振りを見せたから突っ込んでみる。
「彩も恋をしてるでしょ?」
彼女はあからさまに動揺した。
こんな彩はみたことないぐらい。
「まぁ、瞳も話してくれたしな…。なんていうか、実は、私の親父がその総合病院で働いているんだ。」
ちょっと驚いた。
もしかして一緒のバスに乗っていたのかも?
「だから協力って言ったんだけどね。まぁ、それはちょっと相談してみる。で、ある先生なんだけどな、そいつがとにかくだらしなくてだな、私がいないと何もできないっちゅうか…。いっつもふざけてるし頭ボリボリ掻いてるし…、まぁ、その、ついつい世話しちゃうって言うか…。」
ちょっと微笑ましかった。
「でもな、私みたいな子供は相手にされてないというか…。そこがもどかしいというか…。」
あれ?何故かとても知っている人のような…。
「もしかして、山岡先生?」
「…。」
彼女は目を見開き耳まで真っ赤にしながら、どうしてそれをといった顔をして口をパクパクしていた。
ということは当たりかな?
「えっと、山岡先生は、私が病気だった時の主治医なの。」
「そ…、そう…。でも、あいつ頼り甲斐ないでしょ?」
「そんなことなかったよ。沢山勇気ももらったし、色んな気遣いしてくれていたし。彩が好きになっちゃうのもちょっとわかるかも。」
「ななな何を言っているのか、よく分からないけど…。」
「ふふふ。」
私の笑みで彼女が吹っ切れる。
「誰にも言わないでよ。」
「うん、わかってる。」
「絶対よ!」
「約束するよ。」
そして彼女は笑い出した。
私もつられて笑った。
それから、光司が出会って最初に描いてくれた絵や、お泊りした時の写真を一緒に見たりした。
こうして二人は、一生涯の友人となった。
光司、こんな私にも親友が出来たかもしれないよ。