Merry Christmas from……
Merry Christmas from……
それが一体何月の何日であっても、何の意味も持たない立場というものが存在する。
鶏や兎を入れていた小屋を連想させる金網が張り巡らされた壁。その壁の更に奥にはとても太く丈夫な金属の檻。
プライバシーというモノが存在しない部屋。顔も知らなければ名前も知らなかった人との強制的な共同生活。
虚無。ただひたすらに、虚無。視線。時計の音。
皮肉な事に、そんなに長い事いたわけではないし、そこは規則正しい生活を余儀なくされる場所なので、今日が何月何日かも、何時なのかも手に取るようにわかる。
そんな状態なので、その日が12月24日で、空から舞う白いモノがどんな意味を持つか、否応なくわかってしまった。
吐く息は白く、両腕には冷たい感触。支給された安くて使い古され綻びかかったスウェット、便所サンダルの足に染み入る冷気。
12月24日、クリスマス・イブ。雪が舞うその日、俺は罪を裁かれる為に裁判所へと連行されていた。
今年もクリスマスの時期がやってきた。クリスマスというのはお祭りの一種だが、子を持つ身としては非常に悩ましい時期でもある。
というのも自分の娘はまだ5歳。サンタクロースを信じ、満面の笑顔で父である自分にサンタさんにお願いしてねとねだってきた。
通販でうっかり家に届いた品物があってはバレてしまうだろう。自然と察せるようになるまで、あの娘にはサンタクロースくらい信じていて欲しい。
母親が死に、寂しい思いを日々しているに違いないのに、健気にもそれを俺の前では出さない。あの娘の為なら大概の事は出来る。
しかし。
「………まさかレジで2時間とはな」
大型の家電チェーンを出たのは既にとっぷりと日が暮れた後だった。まだ世のお父さんお母さんでごった返す前に入った筈の店だったが、俺はどうやらクリスマスをナメていたらしい。
今日は12月24日。クリスマス・イヴだ。こんな日にプレゼントを買うなど正気ではないとまで会社の人間には言われた。
何を大袈裟なと笑い、一応クリスマスくらいは夢を持たせたいのだと話すと、全員がいいから今日は一時間でも良いから早く上がって店に行けと言われた。
お目当てのオモチャがどれがどれだかわからず、店員を捕まえるのに四苦八苦。人の波をかき分け手にしたそれを持ち、レジを見て絶句。
テキパキと見惚れるくらいの速度で全員がレジ打ちをしているのが見えているが、俺が支払いを済ませたのは実に20分後。更にラッピングをして貰うカウンターは1時間待ちであった。
窓の外には白いものがパラついているようだった。これはいい。クリスマスには雪がやはり似合う。東京では滅多に味わえない。
保育園に電話をして若干予定より遅れますと伝えると、保母さんは周りから聞こえる音で察したのか、『頑張って下さいねサンタさん』と言ってくれた。
サンタさん、か。人に贈り物をするというのは、とてもいい。ましてそれが、あの子だというのがとてもいい。
今までの人生において、クリスマスだのクリスマス・イヴだのはさしたる意味はなかった。今年はある。
12月24日、クリスマス・イヴ。雪が舞うその日、俺は沢山のサンタの群れと共に満員電車に揺られていた。
冬の凍てつく空気が身を刺す中、手にした缶コーヒーはあまりに暖かく、直ぐに飲んでこの温もりを失うのが辛いほどだった。
時刻はそろそろ午後3時が見えて来る頃。スマフォの天気予報は今日は夕方以降に雪が降るかもしれないと告げていた。
開店が3時。今の並び順だと、多分四時半には地下鉄の中だ。それまでもってくれれば良いやと身勝手な事を願う。
本当にいい娘だよなぁと待ち受け画面のはにかんだ笑顔を見てニヤける。化粧っ気もなく、物凄く美少女というわけでもないだろう。でもとても可愛い。
今日は彼女に招かれ、彼女の父親代わりの人と一緒に食事をする事になっている。刑事だか警官だか判事だか忘れたが、とにかく物凄くカタくて怖い人だ。
でもあの人は凄く真面目で、俺みたいな中卒のしがない鳶の見習いの俺に対しても真正面から話をしてくれた。
真剣に付き合うのか。泣かすような事はしないか。高校を出るまではセックスしないと誓えるか。
物凄くおっかない般若のような顔でそれを問いただされた時には殺されるんじゃないかと思ったが、それが家族愛なのだとわかるまでに時間はかからなかった。
俺はまだ稼ぎも少ないし、親方にも怒鳴られてばかりの半人前だけど、真剣にお付き合いさせて頂きたいと思っていますと言ったらわかってくれた。
あいつらのように鳶をバカにもしなかったし、中卒を下にも見なかった。
そして、俺の後ろで彼女は一緒に正座して頭を下げてくれた。
気の利いたプレゼントなんて全然わかんないから、せめて美味いケーキでも買っていこうと思って、今日は半ドンで上がらせてもらってここに並んだ。
たまたま数日前、昼飯を食っている時にテレビで流れていたケーキだ。大人気店らしい。俺は名前も知らなかった。
でもこれだけの人が並ぶんだ。きっと物凄く美味いに違いない。彼女も喜んでくれるだろう。
動き出した列に気づき、手の中で徐々に温もりを失いつつある缶コーヒーを慌てて煽り、俺は頬にあたる冷たい感覚に空を見上げた。
12月24日、クリスマス・イヴ。雪が舞うその日、俺は似合わない街で缶コーヒーの空き缶を握りながら列に並んでいた。
小さい頃の事はあまり覚えていない。
吉川さんが言うには、思い出さなくていいそうだ。どうしても聞きたければ18歳になったら教えてくれると。
吉川さんは元弁護士で、私がまだ小さいころから私を引き取って育ててくれた。一応知っているのだけど、私のお母さんはもう死んでいる。
お父さんが殺したのだと聞いた。どうやら私はその心中に巻き込まれかかったのだと。
どんなに吉川さんが隠しても、それは自然と耳に入り、好奇の悪意と共に私を苦しめてきた。
でもそれは吉川さんに言える事なんかじゃなかった。あの人はお父さんじゃない。何度もお父さんって呼んでは怒られた。君のお父さんは別にいるんだと。
小さい頃にはその言葉が拒絶に思えた。私は家族じゃないんだぞと言われているように。
今はわかる。あの人はどうしようもないくらいに真面目なのだ。お父さんと呼ぶことを許してくれなくても、私にとってはお父さんだ。
だからこそ、彼にも会って真剣に話をしてくれた。聞いていて私が真っ赤になるような質問も散々していたけど、あの目は本気だった。
多分、吉川さんは私を早く巣立たせようとしているのだろう。お父さんではないから。血のつながりがないから。
だからこそ、託すに相応しい相手かを見極めようとしてくれたのだ。当初はギョッとした。ちょっと映画を見てくる相手だというのに家に呼ばされたのだから。
でも、あの不器用なまでの実直さは、多分彼と少し似ているのだ。そう言ったら「俺はあんなにチャラチャラしていない」と言われた。
チャラチャラ、してるかなぁ。確かに髪の毛は脱色してるけど。
携帯が鳴った。彼からのメールだった。こちらに向かうとのこと。ちょうど吉川さんもそろそろ帰ってくる。料理もかなりいい感じになっている。
12月24日、クリスマス・イヴ。雪が舞うその日、私は部屋の中で料理をしつつ、インターホンに気づいて玄関へと向かった。
頭を思い切り蹴り飛ばされた衝撃で目覚めた。血で目がぼんやりする。両手は拘束され寝かされているようだった。さっきから博美の泣き声が聞こえる。
「ヨォシィカァワァア……」
しゃがれた声。落ち窪んだ瞳。忘れようもないその顔。
「テメエ良くも俺を10年も送りやがったなぁ」
片手に持っているサビが走った金属バットは今度はどこから盗んできたのだ。刑務所の十年はこの男を全く更生出来なかったという事だろうか。
「吉川さん!吉川さん!大輔くんがッ」
「うるせェんだよヒロミぃ!テメぇ何が男だ!色気づきやがって!ヤらせたのか!テメエの親父がムショに入ってる時にテメエは男とさかってやがったか!!」
鈍い音と共にバットが博美の腕に叩きつけられる。その光景に何とか立ち上がろうとするも、足も拘束され、口には何かが詰められていて声も出せなかった。
視界の隅に、真っ赤に染まった金髪が見える。彼だ。なんという事だ。あの血の量はマズいし、何よりあの痙攣の仕方がまずい。あのままでは死んでしまう。
「ヘヘヘ……。もうオシマイだ。オシマイだよ。なんだテメエヨシカワこのロリコン野郎。テメエ俺の娘を何か。オモチャにする為に奪って。飽きたからコイツにあてがうのか」
泡を吹きながらバットを振り回す。ちゃぶ台の上の食器が砕け散る音がした。
「フッザッケやがって……俺が尻を掘られてる時にテメエは俺の娘を掘ってたってわけかよ……」
狂気だ。狂気しか見えない。やはり彼は10年では軽すぎたのか。
「でももォいいんだよ……もォ良いんだよ。全部終わりにしてやらぁ。ゼェエンブオワリにしてやんよ。俺が悪かったよ、俺が全部悪いからよ、俺が責任とってやるよ」
彼が蹴飛ばしたポリタンクからは強烈な刺激臭がした。
「オラァ!!」
「ぎゃああああああッ!!」
博美の両足に全力でバットが振り下ろされた。足が……足が折れた。見るに絶えず、思わず一瞬目を逸らしてしまう。
「コレでイイヤぁ……」
そう言うと彼はさっき砕いたコップのガラス片を手が傷つくのも気にせずいくつかつまんだ。
「オシマイだ!オシマイだよ!ちょうど十年前もなぁ、こんな風に雪が降ってたなぁ、ヨシカワ!あの日のまんまだ!天も、カミサマもわかってるよなぁ!」
そう叫び、彼はそのガラス片で自らの首を力任せにかききった。
「キャァアアアアアアアアアアアア!!!」
博美の絶叫が聞こえる。そこらじゅうにどす赤黒い液体が飛び散り始める。
「フ、フヒュヘッ」
もう何を言うでもなく、彼は残った力でジッポライターを擦り、それを放り投げた。
ごう、と巻き上がる炎。十年前、博美の母を殺した時と同じに彼は火を放ったのだ。
逃げろ。博美、何とか逃げろ。這いずってでも出られないか。叫びたくても俺はバカみたいにあうあうむうむう言うばかり。
己の無力と油断がうらめしかった。佐々木の出所は二週間前。警戒してしかるべきだった。
近くにあった紙を媒体に炎が一気に勢いを増し、天井に、壁に火種が飛び散り、視界が黒煙で満たされていく。
博美……博美……。お前だけは。お前だけはどうか。
『12月25日未明。
T市R町にあるアパートの焼け跡から、男性三名の死体が発見されました。
被害者は吉川 恵三さん62歳。佐々木 良治さん45歳。堀田 大輔さん17歳。また佐々木 博美さん16歳が重体で発見されました。
警察では佐々木さんによる無理心中ではないかと見て捜査を進めており……』
12月24日。クリスマス・イヴ。窓の外に白いものが散るのが見える。
耐え切れずに私はカーテンを閉めてくれと言った。己のこの自由の利かぬ身体、醜く焼きただれ引き連れた外見が絶対にあれを忘れさせない。
バケモノと呼ばれるのも慣れた。心配そうな顔をしながら銭の種とすり寄るマスコミによって見世物にされるのも、生きるためと割り切った。
何故生きているのか。吉川さんが死に、大輔君が死に、自らがこうも醜く哀れを晒す姿を出し、なぜまだ生きているのか。
決まっている。あの男を許せないからだ。すべてを奪ったあの男と炎を憎むからだ。
もうお父さんは死んだんだ。君も新しい生き方を探さなきゃ。知ったようなことを皆が言う。
あの男は確かにあそこで死んだだろう。だからなんだというのか。それですべてを忘れろとでも言うのか。
全てを奪われ、己の意思で生きるも死ぬも決められぬまでに破壊され尽くした私に、それでも忘れろというのか。
「佐々木さん。先生が……。大丈夫ですか」
呼びに来た。そう。私はこの日を指定した。12月24日を。
全てを奪われたこの日を。全てを破壊されたこの日を。
この地獄を忘れえぬ為に。この地獄の先を見るために。
「ア、ノ。めりィ、クリ、すます」
そう言った私がよほど恐ろしかったのか。スタッフの顔が全員蒼白となる。
意識を集中した。私の身体。何度も見た私のからだを思い出す。
鉄を砕く腕を。肉をひしゃぐ足を。汚く醜いモノに鉄槌をくだせる、今の身体を思い出す。
あの事故で私の身体は消えた。腕を砕かれ、足を砕かれ、半分を焼かれ、目を潰され、鼓膜は裂けた。
私に残ったものは、奇跡的に無事な脳と意思だけだった。
それだけが私を私たらしめる。例えビーカーに浮かぶ脳だけが私でも、私は最後の時まで私であり続ける。
「リンク83%。いけます」
「そうか」
先生が言う。あまりに過激な発言で煙たがられたが、私の事件を含めた何件もの凶悪事件でもって、一気に今の地位にたどり着いた男。
大嫌いな人だけど、乗ってあげる。貴方のオモチャになって、貴方のオモチャを利用して、私はここにいる。
「博美くん。今日は三人だ」
「わかリマした。あノ、はかせ。メリぃ、クリスマス」
「ああ」
にこやかに。おだやかに。博士が笑った。
『東京特別刑務所、TG法実行施設からお送りしております!世紀の悪法とも呼ばれ、余りに惨たらしいそれに賛否両論の中、本日もまた、三名の死刑囚が処刑されます!
執行者は佐々木博美さん。TGマシーン一号として再生手術を受け、TGユニットとなった彼女の鉄槌がまた下ります!
果たして彼女の心に去来するものは、憎しみか、哀れみか、それとも最早完全に機械と化し何も感じないのか!
さぁ、世界に向けてお送りする、真の意味での犯罪撲滅を目指すプログラム、「TOKYO GILTY」開幕です!』