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黒い記憶 連載形式  作者: K
3/5

第三話 「黒い蓋」

朝を迎えた。

当然ながら記憶は戻っていないが、何かが違った。

昨日までの焦りとか不安は感じない。

妙に心地良い目覚めだった。

ふとベッドの上で眠っている雪希を見る。


「すー…すー…」


とてもよく眠っていた。

当然相変わらず寝相が悪い。

どこでどう寝違えたのか前後逆に寝ている。

枕は太ももの間に挟まれ布団は彼女の腕の中で丸まって抱かれていた。


「…まったく」


恐らくこの安心感は…雪希のおかげなのだろう。

昨夜気持ちを伝えて、応えてくれて。

たったそれだけの事なのに、まるで世界の色が変わったようだった。

あまり見惚れている訳にもいかないので、自分の布団を片すと俺は雪希を起こした。


「朝だぞ」


「ん~…むにゃ…」


「起きろ」


「う~ん…もう…時間…?」


ゆっくりとベッドから体を起こす。

雪希がちゃんと目覚めたのを確認すると俺は顔を洗うため洗面所へ向かう。

蛇口を捻って水を出すと俺はいつものように顔を洗い始めた。


「………」


何だか調子がいい気がする。

よし、今日の夕飯は少し豪勢なものを作ってみよう。

雪希が喜んでくれそうなものを作ってあげたい。


「よし…」


タオルで顔を包み込み、鏡を見てみると俺の顔は微かに笑っていた。

後ろで気配がしたので振り返ると眠そうな目をこすりながら雪希が立っていた。


「おはよう」


「ん…おはよー…」


昨日と同じ様に冷蔵庫からパックの牛乳を取り出したそのまま口をつけて飲みだす。


「飲む?」


「俺はいいよ」


「そう…」


昨日と似た様なやり取りをすると、ふらふらと雪希も洗面所に向かい顔を洗い始める。

その間に俺は朝食の準備を進めていく。

昨日の残り物のおかずを温めご飯をよそい、出来たものを次々と机の上に並べていく。

準備がほとんど終わった頃にさっきよりも目が覚めた様子の雪希が部屋に戻ってくる。


「あー眠いなぁ…」


二人で机を挟んで座ると手を合わせいただきますと合唱し食事に手をつけ始める。


「今日はどうするの?」


「そうだな…」


もう無理して記憶を探す必要もそこまで感じないし…。


「まぁ…いつもと同じ様に過ごすよ」


その答えを聞くと雪希はそっかと言いながら柔らかい笑みを浮かべた。

朝食が済むと雪希は着替えたり化粧を始める。

あまりそちらを見ないようにして俺は食器を片付け始めた。


「あ、私今日は少し早く帰るからねー」


部屋からそんな声が聞こえてくる。


「分かった」


さて、今日の夕飯はどう豪勢にしようか。

そんなことを考えながら食器を洗う。

食器が洗い終わりその場で一服していると準備を終えた雪希がキッチンに顔を出す。


「それじゃ行って来るね」


「あぁ」


「うーん…」


「…ん?」


何だ…人の顔をじーっと見て…。

顔に何か付いてるのかと思って手を伸ばそうとした瞬間だった。


「ん…」


突然近付いてきた雪希は俺の顔に手を伸ばすと突然俺の唇に自分の唇を重ねてきた。

一瞬何が起きたのか分からず、俺はただ雪希のされるがままになる。

どのぐらいの時間が流れたのかよく分からない。

長く感じたキスだが実際は数秒程度だったと思う。

目を閉じていた雪希はゆっくりと瞳を開き、名残惜しそうに離れた。


「嫌…だった?」


呆気に取られている俺を見てか、雪希は不安げな表情で見つめていた。

一緒にいてこんな表情は初めて見た。

それらに気付いた瞬間、俺は一気に顔が熱くなるのを感じた。


「い、嫌なんかじゃ…ない…!」


慌てて言い繕おうとしたが、それがかえって雪希を喜ばせた。


「あれぇ、照れてる?」


「べ、別に…」


「ふふ…あんたのそんな顔見るの初めて」


そう言って雪希は再び唇を押し付けてきた。

二度目となると少しは落ち着いて考えられる。

俺はそっと雪希の背中に腕を回して優しく抱きしめた。

それに応えるかのように雪希も俺の首へ腕を回し、優しく頭を撫でてくれる。

決して情熱的ではないキスだが、空っぽだった何かが一瞬で満たされていくような気分だった。

ただ唇を合わせ、お互いを抱き寄せ温もりを感じることが、こんなにも幸せだったなんて知らなかった。

今度はどちらともなくゆっくりと離れ、お互いを見詰め合う。

そして恥ずかしそうに笑う雪希を見ると俺もつられて笑みが漏れた。


「好きだよ」


うっとりした表情で告げる雪希に言葉でなくおでこにキスをして俺は応える。


「じゃ、じゃあ行って来るねっ」


少し小走りで玄関に向かうとそのまま雪希は仕事へと向かった。


「………」


まだ唇に雪希の感触が残っている。

抱き締めた時の雪希の香りが俺を興奮させる。

自分が男だと改めて認識させられた。

煙草を口元に持っていくが、何だか勿体無いような気がして箱に戻すとそのまま居間でテレビをつける。

昨日と同じニュースが流れていたのでぼーっと眺める。

すると天気予報が始まった。


「今日の夕方から明日の昼にかけてまで大雨が降るでしょう」


そういえば昨日は降らなかったが、今日はどうなんだろうか?

窓から空を見ていると、昨日と違い遠くに薄暗い雲が広がっていた。

これは駅まで雪希を迎えに行ったほうがいいのかもしれない。

天気予報が終わり、そのまま今日の星座占いを見る。


「山羊座のアナタ、今日の恋愛運は最高潮! 人生で最良のパートナーに出会

えるかも!?」


人生で最良のパートナーか…。

俺がもし山羊座だとしたら…最良のパートナーって…


「あぁ…何言ってるんだ…」


妙に気恥ずかしくなり煙草に火を点ける。

その時、煙草が残り数本しかない事に気付いた。

…買出しのついでに新しいのを買ってみよう。

雪希の金だけど、そこは今のところ気にしないようにしておく。


「何かバイトでも始めようかな…」




外に出るとまだ空は晴れていた。

そして今までと違って買出しに出掛けるのが楽しかった。

視界に映る世界も心なしか今までに比べて色がついているというか、輝いているように感じる。

思わず笑顔になりそうになるのを堪えて、商店街に向けて足を進ませた。

今日の献立を何も考えずにスーパーに入ってみたが、野菜などが特売だったし今夜は冷え込むと予想し鍋をチョイスしてみた。

雪希の好き嫌いが分からないため、とりあえず一般的に好まれそうな物を買い込んでいく。


「重………」


そして帰宅の途中。

俺の両手には鍋の材料が詰め込まれたビニール袋が握られていた。

買いすぎた気がするが、残ったら明日の朝に少し調理して丼物にしてもいい。

そんな事を考えながら歩いていると煙草の販売機が目に入った。

俺は煙草の自販機の前に立って自分が吸っている煙草と同じ銘柄のボタンを押す。

何だか初めてのおつかいをした気分で新鮮だった。

今思えばこうして自分の欲しいものを買ったのは初めてだ。

何だか煙草が過去と現在の俺を繋ぐ何かのような気がして少し嬉しくも感じる。

新しい煙草をビニール袋の中に放り込み再び歩き出そうとした時、突然後ろから声をかけられた。


「もしかして…信二か?」


その名前を聞いた瞬間に頭に一瞬亀裂が生まれたかのよう痛みが走る。

そして何処かで聞いたことのある声。

体中から汗が噴き出し、瞳孔が開かれていく。

だがそれでも俺は確かめなければならない。

恐る恐る振り返ると、そこにいたのはスーツを着た見知らぬ男性だった。


「………」


「お前生きてたのかよ…良かったぁー!」


男は安堵の息を洩らし、満面を笑みを浮かべていた。

しかしその笑みが、酷く恐ろしいものに感じる。


「マジで心配したんだぜ。お前どうしてたんだよ?」


「いや…その…」


「おいおい、どうしたんだよ…どっか調子悪いのか?」


そう言って心配そうな顔を向けてくる男性。

どうやらこの男は俺の事を知っている様だ。

だが何かがマズい。

俺が生きていることがバレてしまった。


「おい信二…大丈夫かよ?」


「お…俺は…」


バレて何がマズい?

何故俺はそんな事を思った?

それよりこの男は何者だ?

その場からすぐに逃げ出したい衝動を必死に堪える。

答えがあった。

俺の正体を知る、一番の手掛かりが今目の前にある。

探し求めていたはずの物が手の届く場所にあるにも関わらず俺は躊躇っていた。

だが頭の中に入った亀裂から徐々に溢れ出すかのように、記憶の断片が勝手に呼び起こされる。


「き…じま…」


「あぁ、そうだよ木島だよ。おいおい…しばらく会わないうちに親友の面も

忘れちゃったのかー?」


木島…そうだこいつは木島…。

俺の…橋場信二の…敵だ。


「久しぶり…だな」


「ホントだよ、携帯に連絡しても繋がらないしさ…。それより信二、親御さんがお前のこと心配してたぜ?」


親。


その言葉を聞いた瞬間にどす黒い感情が俺を支配した。

喉は渇き、頭の中は蒸発した様に何も考えられないのに体からは血の気が引き自分から自分が失われそうな錯覚に陥る。

それでも意識は保ち、俺は慎重に言葉を選び木島に尋ねた。


「…お前は俺を探しに来たのか?」


その言葉で僅かに変化した木島の表情を俺は見逃さなかった。


「そうか…そうなのか…」


「そりゃ親友が失踪したって聞いたら探しもするだろう?」


「親友…そうだな…」


反吐が出そうだ。

親友、家族、友達、そんなものは俺にとって全て虚構の存在。


「おい信二…お前本当に大丈夫なのか? 今何処に住んでるんだよ、とりあえ

ず移動して…」


「大丈夫…あぁ大丈夫さ…」


そう告げて俺は歩き出す。

しかし当然の如く木島は俺に寄り添ってきた。

だが俺はそれを跳ね除ける。


「今更…そんな真似しなくていいんだよ。木島…出世は出来たか?」


「おい信二、お前何言って…」


「茶番は終わりにしよう。報告したいならすればいい。ただな、俺を親友と

呼ぶなら残された時間ぐらい好きにさせてくれ」


「何言ってんだよ…信二…」


「悪いな、親友…」


呆然と立ち尽くす木島を置いて、俺は飛びそうになる意識を必死に堪えて歩き出した。

追跡を警戒して、普段とは違うルートを進んでいく。

歩を進める度に記憶がどんどんと溢れ出す。

今になってみれば、何故こんなにも記憶を失っていたのか不思議で仕方ない。

だがこれらの記憶だけを失った理由というのも今なら納得出来る。


細い路地に入り、追跡者の影を探すがどうやらいないようだった。

一安心して雪希の家へ歩き出すと、天気予報通り夕立のような強い雨が降り出した。

しかし俺は足を止めようとはしない。

冷たい雨がのぼせた頭を冷やしてくれるようで心地良かった。

冷静さを取り戻し、記憶を失った日の事を思い出す。


「…死ねなかったのか」


俺は死に損なった。

記憶を失ったあの日、路地に倒れていた俺。

あれは飛び降り自殺を謀ったためだ。

しかし結果はこの通り、失敗に終わった。

しかも奇跡的に外傷はほとんどなく、一時的な記憶喪失だけで済んだようだ。

良かったのか悪かったのかは分からない。

ただ…生きていた事に感謝する部分はある。

雪希との日々だ。

記憶を失ってからの日々は、人生の中でも至福の時だった。

それを思えば死にたくない。

だがしかし、このままでは下手をすれば雪希も橋場の犠牲となる。

…やはり俺が出て行くしかない。

苦しむのは俺だけで十分だ。

雪希からはたくさんのものをもらった。

死ぬはずだった俺が生き延び、夢のような日々を過ごせた。

俺はもう…それだけで十分だ。

そう思うと不思議と心が軽くなった。

しかし頬には雨と涙が混じり流れた。

このまま雪希と一緒に過ごしていけたら、そんな淡い夢を夢見れば見るほど涙は止まらなくなる。

しかしもう二度と、誰も俺に巻き込まないと決めたのだ。

由香里の悲劇は二度と繰り返させない。

今度こそ…確実に終わらせる。

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