心は叫ぶ 一
「椎名です。よろしくお願いします」
ありきたりな、特徴も何も無い挨拶。
椎名伊織は、高校3年生になっていた。
何かを見ているようで、その実何も見ていないようにも思える瞳は、あの日からずっと変わっていない。
今の彼は、もはや別人といって過言で無いところまでかつての面影を消していた。
新学期を祝うはずの桜は、伊織には感じられなかった。
「ねぇ伊織。最近どう?」
あの日の一件以来、少しよそよそしくなったまことが、それでも心配を隠しきれずに伊織のもとまで寄ってきた。
「どうも無いよ。お金に関してはバイトも許可してもらったし、当分は心配ない」
彼女が聞きたかった返答とは別方向の答え。
もどかしさを覚えながらも、あの日の後ろめたさが彼女をそれ以上動かせなくさせる。
「そう……。ご飯とか、困ったりしたらうちに来なよ。何かご馳走してあげるしさ」
だから、誤魔化すような笑顔でこう返すしかない。
伊織が家族を全員失って以来、彼は本当に別人になってしまっていた。以前まで黒々としていた髪の毛は目立つ程度に白髪が交じり、
目は死んだマグロのように濁り、表情もやつれて目元が落ちくぼんで。
端から見て、明らかに大丈夫で無いのにも関わらず、周りが何か言おうものなら「大丈夫だよ」の一点張りである。
そして、絶対に誰にも何も言わない。
もはや、他人からの干渉を拒否してるとさえ言えるような態度。
それでも、誰かがどうにかして繋ぎ止めていないと消えてしまいそうな危うさがあるから、だからまことは彼に話しかけるのだ。
彼女はクラスにいる誰よりも、椎名伊織と言う人間の本質を理解している。
だからこそ、今の伊織が本当に危ういと言うことも、誰よりも理解している。
「いお…」
ハッキリと分かる程度に周囲に壁を作ってしまっている伊織を見つめながら、後悔を滲ませながら悲しげにその名を呟いた。