特大のひび 中
スーパーに入ってからも、伊織はまことに引っ張られていた。
伊織本人も特別嫌と言うわけでも無く、そもそも、まことという少女は外見は普通に可愛らしい女の子でありお互いに勝手知ったる仲でもある。殊更に拒否するような理由も見当たらず、故に彼も彼女に振り回されることそのものには異存は無かった。
「キャベツと大根と……何だったかなぁ」
キャベツ1玉、大根2本を入れたかごを伊織に持たせながら、まことはお使いの内容を思い出すことに集中していた。
「…メモとかないの?」
呆れたという態度を隠そうともせず、伊織が訊いた。
お使いを頼まれたなら、その内容をメモに取っておくというのは彼にとっては常識である。
しかし、それは彼にとっての常識であって、そうでない場合があることも彼自身、重々に承知していた。
何と言っても、そうで無い場合の代表格が目の前にいるのだ。
「……えぇと、今回は自宅の机に置き忘れた、って設定でお願い」
「要するにメモしてないんだね?」
えへへ、と苦笑するその表情を見ると、やはり仕方ないなぁといったちょっとした愛嬌と呆れで全てが流れてしまう。
「ほんと、もう少ししっかりしてね?」
「も~、しっかり出来てるなら最初っから成績も良いし、うっかりもしてないよ」
このやりとりももう何年前から続いてきたのか定かでは無い。
そして、これを期にしばらくそのやりとりはなりを潜めてしまうことになるとは、2人とも想像してすらいなかった。
「ありがとうございました~」
レジの店員のその声を背中に聞きながら、2人は店の外に出た。
まことが持参していた買い物袋の中には、キャベツ1玉、大根2本、成分無調整牛乳1本、週刊誌1冊、駄菓子少々。ただし、今その袋を持っているのは伊織である。
「まだ降ってるねぇ」
嫌そうな口調でまことがぼやく。
雪はやまず、足下にはすでに2㎝くらい積もっている。場所によっては地べたが凍っているらしく、雪の下に潜んだ氷に足を取られ、よろめく人の姿もちらほらと見える。
「こういう日に限って男子の制服が本気で羨ましくなる」
案外まじめなトーンでまことはそう言った。
「俺も普段からスカートだけは絶対嫌だなって思ってたけど、今日みたいな日は特にそう思うよ」
伊織も真面目な口調でそう返す。
そして何よりも、今朝の天気予報では夜遅くまで降り続けるという予報であったがために、降り止むまで待つという選択肢を選ぶことが許されないのが酷なところである。
日本の不思議で、台風等の天気予報は結構外すくせに、雨、雪とかの予報は結構正確に当ててくる。
「まぁ、マフラーあるし手袋もあるし。これ以上酷くなる前に帰ろっか」
まことが開き直った口調でそう言い、おもむろに歩き出した。
反論するような要素も無いし、したところで誰も得しないことも分かりきっていたので、伊織も黙ってその後に続いた。
店の駐車場を横切って、店の敷地を出たときだった。
「あ、あの緑のワゴンR。いおのお母さんの車じゃ無い?
あ、詩織ちゃんも乗ってる…あれ、風邪でも引いてるの?」
横断歩道で信号待ちをしているとき、まことがめざとくその車とその中身を見つけた。
「あぁ、うん。昨日の晩に熱だしちゃってね。今日は学校を休ませて病院行くって話だったし」
何ともないような口調で伊織が返す。
「…ほんとさ、いおってほんと自分のこととか自分の周りのことを話さなくなったよね」
真剣さの中に若干の哀愁を匂わせる声色でまことはそう言った。
「そうかな? 結構話してるつもりなんだけど。この間新作のゲーム買ったよ、とか」
ばか。何にも分かってないじゃん…
心の中でそう呟くだけでまことは口では何も言わなかった。
信号が変わるまでの時間を、特に感慨の無い沈黙が通り過ぎる。
それは突然の音だった。
人間の感覚に不快感と警戒心を与えさせるように作られたクラクションのやかましい音。
ハンドルを取られ、ただスリップするだけのタイヤの音。
中型トラックだった。
そして。
中型トラックは暴走の果てに信号待ちで止まっている車の列の中に横転した状態で頭から突っ込んでいた。
それに巻き込まれた車は、ボンネットをへこませて歩道に乗り上げていたり、横を向いていたり。
ただ、その中でも異彩を放つ壊れ方をしていた車があった。
緑の、ワゴンR。
ほとんどトラックの下敷きになるような位置にあり、車体そのものはほぼ潰されていた。
「母さんっ! 詩織っ!!」
久しく聞くことの無かった、感情のこもった伊織の叫びが雪空の下を木霊した。