第三章
【松井】
今日の鹿島さんはおかしいな。
普段なら、俺の膀胱は無限大だ!なんて、
冗談を言うくらい、
1日中張り込みの最中でも、
ずっとトイレには行かないのに。
まして、捜査の最中に他所のお宅のトイレを借りるなんて。
【松井】
岬さん、私もトイレお借りします。
出かける前に缶コーヒーを飲みすぎまして、
揃いも揃ってお恥ずかしいかぎりで、
どうもすみません。
【ナレーション】
鹿島の後を追って、松井も階段を降りていく。
【鹿島】
松井、俺はいいから、
お前が先にトイレをお借りしろ。
俺は、その間ちょっと署に連絡することがあるから。
【松井】
了解です。
鹿島さんの膀胱の容量は、
もちろん承知の上ですよ。
私はもう我慢できなくて、
出しきるまで時間がかかりそうです。
【鹿島】
そうか、なら、ゆっくりしていけ。
【ナレーション】
二階の静子と菜々。
【菜々】
お母さん、あの鹿島さんという刑事さん、大丈夫かしら。
さっきから言葉少なめだったけど。
【静子】
そうね菜々、ちょっと下へ降りて、
刑事さんに温かいお茶を入れ直してあげて。
お身体が冷えているようだから、
それから台所にあるものも忘れずにね。
【菜々】
ええ、わかったわ。
【ナレーション】
松井の長〜いトイレを待つ間に、
鹿島は廊下の右の扉を開けた。
豆腐屋の店内は、
今日は事件があったために臨時休業だった。
豆腐や油揚げなどの商品も並んでいない。
【ナレーション】
そのとき、鹿島の携帯電話が鳴った。
【ナレーション】
署からの連絡だった。
【ナレーション】
鹿島は電話を終え、
空になった豆腐の水槽を眺め身震いし、
着たままだったコートの襟を立て、
そそくさとトイレに戻り、
出るはずのない小便を済ませ、
2階へと上がった。
【鹿島】
静子さん、ありがとうございます。
長居してすみません。
菜々さん、またアドバイスいただきたいことがあれば出直します。
【ナレーション】
鹿島は、帽子のひさしを少し押さえ会釈をした。
【鹿島】
おい、松井、行こう。
次の現場へ迎えと、
今さっき署から連絡が入ったぞ。
【ナレーション】
松井は、飲みかけていたお茶を置き立ち上がった、
しかし…。
【松井】
あれれ…足が痺れて…
【ナレーション】
松井はその場に座りこんでしまった。
【鹿島】
おい松井、大丈夫か!しっかりしろ!
【ナレーション】
そのとき、鹿島の後頭部に激痛が走った。
【鹿島】
うう…
【ナレーション】
しかし、鹿島は倒れずに、身を翻し、
後ろから襲ってきた者に反撃した。
【菜々】
なぜ!ど、どうしてナイフが刺さらないの?
【ナレーション】
果物ナイフを手から落とし、
怯えている菜々を、鹿島は見据え、
帽子を脱いだ。
【鹿島】
こんなこともあろうかと…思いまして。
【ナレーション】
鹿島は、帽子の後頭部と、
コートの襟の間に隠していた文庫本を取り出し、
菜々に見せた。
【鹿島】
『歯ぎしり刑事』の7巻は、600ページと、
普段より増量ページの分厚い本だったのが幸いしましたな。
【菜々】
ああ…
【ナレーション】
菜々はうなだれ、その場に座りこんだ。
しかし、そのとき静子は、
痺れて立てない松井を羽交い締めにし、
一気に締め落としていた。
松井は、糸の切れた操り人形のように崩れおちた。
(第四章へ続く)