承諾
夢だったのか。叫んだ言葉は宙にかき消えた。
いつの間にか寝ていたらしく、頭の中で起こったことを整理しようと試みる。
(私は、妖精の世界に連れて来られて)
妖精が人間と主従契約を切りたいって話をされて。
そのために戦わなきゃいけないから指揮を取って欲しいと頼まれて。
拒否したら脅された。
(もう一度、寝てしまいたい……)
何度でも寝て、ただ夢が覚めることを祈っていたい。この世界を信じるにはこれはあまりにも奇想天外すぎる。
夢の方がまだ平和だ。
妖精を殺すことも、兄と彼を見殺しにすることも、選ばなくて済むのだから。
(はーあ)
なんとかして、逃げられないかな。
そう思ってみるも、昨日からまるでこちらの心を読んだかのようにあの女性が話していたことをふと思い出した。私の考えていることなど全て筒抜けなのかもしれない。下手に何か企んでも、どうにもならないかもしれない。
それにさっと脳を掠めるように浮かんだあのときの女性の哀しそうな顔。
『信じてはくれなかったでしょう?』
馬鹿みたいだと自分で自分を笑った。だってそうでしょう、脅されてまで、女性の哀しそうな顔が気にかかるなんて。
ただ結論としてその二つの要因が、女性の要求を飲むしかないことを告げていることでは一致していた。
「……やるしかないかなぁ」
そういえば、女性の名前はなんだったのだろう。
◆ ◆ ◆
暇な時間というのは、否が応でも人の思考を巡らせてしまう。
何もすることのない部屋でただぼんやりと空を見つめながら、置かれた状況についてとりとめもなく考えていると、不意にとんとんと軽いノック音が聞こえた。
男の声がする。
「入ってもいいですか?」
「……はい」
どなた様ですか。そんな質問は無意味だ。この世界で芽依が知っているのは女性しかいない。
無条件で頷くと、かちゃりと軽い音がして、眼鏡の男性が入って来た。
「初めまして、芽依様。ファーンと申します」
「……初めまして。加宮芽依です」
「隣に座ってもよろしいですか?」
「……どうぞ」
隣に腰掛けたファーンをぼんやりと眺める。
女性が深い青色の羽を持っていたのに対し、ファーンは黄緑に近い緑色の羽だった。髪色は真っ黒で、少し短めに柔らかく整えてある。切れ長の目と銀縁の眼鏡は、随分と賢そうな紳士的な印象を作り上げていた。
何よりも身長が自分より少し低いだけというところに驚く。女性との身長差は相当なのではないか。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「いくつでもどうぞ。そのために俺はここに来たのですから」
「羽の色が違うのはなぜですか?」
あぁ、とファーンは笑った。
「メロディーは真っ青だったでしょう?」
メロディー。
女性のことを指しているとわかるまでに数秒間を要した。戸惑ったように頷くと、ファーンはきょとんと芽依を見つめる。
「もしかしてメロディー、名乗り忘れたとか?」
「……はい」
「あー、あいつかなりのあがり症なんですよね。顔とか真っ赤ではありませんでしたか?」
「あ、真っ赤でした」
くすくすと笑うファーンに、悪い人ではなさそうだとほっと息を吐く。何より暫く振りの話し相手に、少し気が楽になった。
「で、羽の話でしたよね?」
「はい」
「羽の色は、使える魔法のタイプを表すんですよ」
「タイプ?」
「ソーシャルゲームとかよくやったりしてましたか?」
それなりには、と答えると、よかった、それなら話は早いですとファーンがまた笑った。本気になるほどではなかったが友達に付き合っていくつかやっていたことはある、その経験にちょっとだけ感謝した。
「妖精も使える魔法の種類が限られてるんですよ。それによって、炎、水、風、土、光、闇、時、音っていう八つのタイプに分かれてて。さらに接近攻撃型、遠距離攻撃型、防御型、その他に分かれてます。だから例えば俺なんかだと、風タイプの接近攻撃型、みたいな」
なるほど確かにソーシャルゲームに似ている。こくりと頷けば、ファーンは満足げに羽を指で撫でた。
「で、羽の色はそのタイプを表すんです。赤なら炎、青なら水、緑なら風。茶色なら土、黄色なら光、黒なら闇、透明なら時、紫なら音、みたいに」
「じゃあ……メロディーさんは水タイプなんですか?」
「メロディーはちょっと特殊なんですよ。音タイプなんです」
そこを聞いて欲しかったんだとばかりに少し得意げにファーンが微笑んだ。その表情はいささかファーンを幼く見せて、この人になら気を許してもいいかもと思わせる。
「髪の色も実はタイプに関わっているんですよね。例えば俺の場合、父が闇タイプ、母が風タイプなんです。で、俺は風タイプを引いたから、残った闇タイプの遺伝は髪の色に出る。でもあいつ、髪も真っ青だったの覚えてますか?」
「あ、はい」
「メロディーは水タイプと水タイプの子供なんですよ。でも魔法は突然変異で音タイプが生まれた。あまりに遺伝子が近すぎたからとか言われてるんですけどね、本当のところはわからないです」
だからあいつ、結構苦労してて。
哀しげな顔の意味はもしかしてそれも関わっているのかもしれないと、思う。
「そう、だったんですか」
「はい」
「ファーンさんとメロディーさんはどういう関係なんですか?」
やだ、不躾だったかしら。口からポロリと零れた質問に芽依が口を押さえると、気にすることありませんよと優しく言われる。
ファーンは緩く笑って答えた。
「ただの幼馴染です」
◆ ◆ ◆
「お夕飯をお持ち致しました」
音もなくすっと入ってきたメロディーの声に、芽依はファーンと話していた顔をそっちに向けた。
「そして先程は名乗り忘れてしまい申し訳ございません。メロディーと申します」
このポーカーフェイスの裏に、あがり症を隠していたのか。
なんだか少しそれがおかしくてくすりと笑えば、戸惑ったようにメロディーがファーンを見る。
「メロディーの話してたんだよ」
「……えぇー……」
また変なこと言ってないでしょうね。返すメロディーの表情がちらりと動く。
「言ってない言ってない」
「ほんと?」
(あ、)
メロディーは困ったように笑う。さらに数言ファーンが付け足すように話すと、今度は楽しそうに肩を揺らして笑った。
(可愛い)
あんなに冷静で鉄仮面で怖かった女性も、気を許した人の前ではこんなに表情豊かに笑うんだ。
当たり前のことだった。緊張してれば人は怖くなるし、落ち着いていれば人は優しくなる。メロディーだって同じなはずだった。
「あ……加宮様、申し訳ございません、煩かったでしょう」
「あ、いえ大丈夫です!」
それより、と芽依が笑うと、不思議そうな顔でメロディーは芽依を見つめ返す。
「話し相手が欲しくて。夜ご飯、一緒に食べてくれませんか」
◆ ◆ ◆
「加宮様、お気持ちは定まりましたか」
壁に掛けられている時計を見ると22時。時間は人間の世界と同じなのだそうだ。ほとんどの生活習慣は人間に合わせて形成されているらしい。
背筋に緊張が走る。
「……はい」
「では?」
「妖精の戦いの指揮をとらせていただきます」
よろしくお願いします。
助かったと言わんばかりに眉を下げるメロディーに、芽依も肩の力を少しだけ抜いて笑った。
◆ ◆ ◆
「お疲れ様、ファーン」