〜Prologue〜
やはりこれは夢だと、ありきたりな台詞を口の中で口ごもってみる。
加宮芽依。
ごく普通のーー変人と他者から評されることもないほど普通のーー女子高生であった彼女が、それ以外のリアクションを取れるはずもなかった。
「ですから」
駄目押しのように目の前の女性は芽依に語りかける。
「貴方にはもう選択肢がないと思ってください」
◆ ◆ ◆
数分前のことだった。
唐突に意識を失った芽依が目を覚ましたのはガラス張りの部屋の中。
「あ、起きましたねー。たまに目を覚まさない人がいるので」
ぼんやりと辺りを見回した芽依はそのぼんやりとした顔のまま声のした方向をただ見つめる。少し強く眠らせすぎたかな、なんて物騒なことを吐く唇はそこに立つ少女のものだった。
「……あれ……?」
「こんにちは。加宮芽依様、ですよね」
ふんわりと癖のない顔、強いて言うなら少し頬が熟れて紅いりんごのような色をしているかもしれない。特徴的なのはその髪だった。青と黒の中間くらいの、長くて真っ直ぐで艶やかな髪は明かりの下ではおそらく本来より少し青みがかって見えている。
そこまで認識して、やっと芽依は目を見開いた。
(誰……)
「さぞかし様々な疑問があるかとは思いますが、ここはどこ、からお答えします」
少女と呼ぶには些か背の低すぎる、小人の女性は語り始める。顔は背ほどにあどけなくはないのでこれで成人なのだろう。
するりと女性は芽依の寝かされているベッドに近づいた。見えますか。問われてーー唇を抑える。
「ご覧の通り私は妖精です。そしてここは妖精の国です。加宮様はある目的でここに召喚されて来ることになったのです」
目を凝らさなければ見えない薄色の羽。髪の色と同じ深い青で微かに色づいたそれは女性が息を吸うとともに揺れる。
嘘でしょう。言おうとした言葉を見透かされたかのように次の言葉。
「信じられないのも無理はないことですが、実際問題信じるしかないのではないですか?」
意識を失って、目が覚めたと思ったらガラス張りの部屋の中で寝かされていて、目の前に、背が低く羽根を持つ女がいたら。淡々と記憶を塗り替えるように意識を支配していく声がする、引きずられるように頷けば微かに満足げに女性は微笑んだ。
「では、何故貴方をここに呼んだのか説明させていただきます」
再度頷く。
女性の唇がさっきよりもはっきりと動きだした。
「私たち妖精は、人間と長いこと主従関係の契約を結んで来ました」
淡々と本を読み上げているような声が鼓膜を通じて脳に届けられる。優しくも冷たくもない声。
「ですが、昨今の妖精に対する人間の態度の悪化、また妖精内の勢力の高まり、更には魔女と妖精の戦いが勃発しかねないことから、私たちは人間との主従関係の契約を切ろうという結論に達しました」
(態度の悪化……?)
「加宮様は態度の悪化というところに関しては信じることができないでしょう。私たちが言っているの別に人間に暴力を振るわれたとかいう類のことではございません」
見抜かれた。
背筋に一瞬の震えが走る。
「人間の妖精に対する無関心、具体的に言えばファンタジーを読む人が減ったことに対して何も対策が行われなかったこと。そこを問題にしております。何故なら私たちの存在が知られない限りは私たちは自由に動けないのですから。人間からの命令がないと動けない身なのですから」
声が踊る、物語を紡ぐような声。声と裏腹な哀しげに伏せられた視線が芽依の目を見つめた。
「加宮様だって、私のことを信じてはくれなかったでしょう?」
(あ……)
「ですから、私たちは主従契約を切りたいのです」
「それで私は、」
どうしたらいいの。
そう言いそうになっている自分に気がついて口を閉じた。信じそうになっている自分もいるが未だに信じられないと囁く自分もいる。哀しそうな顔になぜ簡単に騙される。
「……続けてもよろしいですか?」
「……ごめんなさい」
「私たち妖精は二つの派閥に分かれています。主従契約を切ってもそれを悪用することなく平和に共存していこうと主張する派閥と、主従契約を切り人間を支配してやろうと主張する派閥です。私が所属しているのは前者です。両者が同時に主従契約を切れればまだ問題はないのですが、どちらか一方が先に主従契約を切ることになった場合、片方の派閥がもう片方の派閥を殲滅させることができます」
女性は芽依の顔を見て微かに笑った。聞くまでもない。混乱しているのだ。
眉根を寄せて理解しようと必死になっている姿が少しおかしかった。
「簡単に例えましょう。喧嘩している二人の人が縛られているとします。片方の人が先に縄を解かれたらその人はもう片方人を殴ることができますよね?」
「あ、……なるほど」
「そのため派閥同士で戦いが起きているのです」
女性が真顔に戻ったのに合わせ、きゅっと芽依は顔を引き締める。
空気が急に重くなる。ずっしりと肩に酸素がのしかかってくるようなそんな雰囲気。
「私は加宮様に、その戦いの指揮をとっていただきたい」
ぽかんと口を開けた芽依を見ながら女性は続ける。
「妖精は人間の命令によってのみ魔法を使うことができます。正直にいえばもう時間がないのです。向こうの派閥は指揮を取る人を見つけているわけですから」
戦いの指揮を取る。
自分の命令で、妖精が魔法を使い、自分の命令で、妖精が殺される。
芽依は首を慌てて左右に振った。
「そう言われましても……」
「無理です、絶対に無理ですってば!」
「……そういうことなら、」
芽依の顔が輝くーー僅か一瞬だけ。ガラス張りの壁に映された映像に芽依は目を見開いた。
「加宮様を脅すしかありません」
「……嘘、?」
「加宮様の大切なお兄様と、加宮様の彼氏様であってますよね」
先ほども言ったと思います。
冷たい冷たい声がした。
「向こうの派閥に指揮を取る人がいるのです。加宮様のお兄様と彼氏様の情報を向こうに流せば、どうなるかは私たちにもわかりません。でも仕方ないですね」
「待っ、待って、どうすればいいの、指揮を取ればいいの?」
女性はこくりと頷いた。
「それさえしてくだされば、私たちは加宮様の大切な人を全力でお守りしましょう」
ですから。
「貴方にはもう選択肢がないと思ってください」
女性はぱたりと部屋を出て行く。
一人取り残された芽依は、ぐったりとベッドに倒れこんだ。