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夜刀

 陽影ひかげ市を古くから見守ってきた、九家達神社。小さな山の中腹に立てられ、周囲を木々に囲まれた由緒正しき社は、人々の信仰を失った今もなお、威厳のある佇まいをしている。

 しかし現在、隆也の眼の前にあるのは、そんな神聖さからも、厳かさからもかけ離れた光景であった。

「なんだこれ……」

 先程まで隆也たちが居た和室は、社務所ごと跡形もなく消え去った。二人揃って唐突に異界へと放り出された格好である。

 先程の説明と、自身の体験から、隆也は目の前に広がるこの光景が、妖魔の作り出す廃退世界とやらであることを察した。

 周囲はまばらに枯れ木が並ぶだけで、先程まで夕日を散らしていた、緑の木々の名残はどこにもない。

 どこまでも続く赤銅色の空は、分厚い極彩色の雲に覆われ、濁った光を降らせている。

 地は同じく極彩に輝き、遥かかなたで空へと吸い込まれていくが、その境は曖昧。

 地平線すら定かで無い、まるで自分が宙に浮いているかのような不快感を抱く此処が、この世であるわけがない。

「自分の家が踏み荒らされているようで、腹立たしいわね」

 余りにも常軌を逸した光景に、呆然とする隆也を他所に――たとえ異界であっても、自分の住居が戦場になることは好ましく思わないのか――百合が舌打ち混じりに呟いた。

 そんな文句に、

「いやいや。何の役割も果たさない神社など、無い方がマシというもの」

 応える声が一つ。

「私の世界にようこそ。安寧をもたらす死と、汚物にまみれた素晴らしき世界に。どうだい? 君のお家より余程素敵だろう?」

 不快な声である。どことなく詩を詠ずるかのような、嫋やかな印象を与えながら、後に残るのは、肌を舐められるような寒気のみ。金属を擦り合わせたような寒気が、二人の背中を走る。

九家達くかたちの娘さん。君の“族律”、『妖神烈化ようじんれっか』をくださいな」

 言って、クスクスと笑う。その笑い声にすら不快さを感じさせるそれは、一人の男であった。

 背は高く、体つきは細い。そこらの女より嫋やかな振る舞いと、妖艶な笑みを持った白髪の男である。肌は気持ち悪いほどに白く、生者のようには見えない。それでいて、その瞳と唇は艶やかなほどの紅。

 そして、自分こそがこの空間の支配者である、とでも言わんばかりに主張をするのは、周囲と同じ極彩色の着物。

「気持ち悪い……」

 男の纏う、遊女のような雰囲気に、隆也は思わず言葉を漏らした。

 

― * ― * ― * ― * ― * ―

 

 一方、隆也とは対照的に、百合の方はというと、男の雰囲気に飲まれた様子は無い。気にする様子すら無い。

(何……? 何なのよ、あれ……)

 男の雰囲気など、気にすることすら出来なかった。そんなもの、些細な事だ。周囲に撒き散らしている、呪力の強大さに比べたら。

 先程、声をかけられた瞬間から、全身の汗が止まらない。呪力を感じることの出来ない隆也と異なり、男の威圧感に丸呑みにされてしまっていた。

「わざわざ此処を狙ってきた、理由はそれか」

「『妖神烈化』狙いでも、ここまでの大物は中々見ねぇな」

 呟くフツとミカヅチの声にも、緊張の色が濃い。

「百合、しっかりしなさい。戦いの度に竦んでいたら、先が思いやられるわ」

 だらしない退魔師を叱咤するアマドリは、言葉とは裏腹に、普段の彼女には無い真剣さを覗かせている。

 そんな人間と神たちの緊張を他所に、

「んー。こいつは酷いと思う。私には夜刀やとって名前があるんだから」

 夜刀と名乗った男は、どこまでも気楽な態度を崩さない。それでいて、その眼差しは百合を強烈な執着で捉えている。それはちょうど、獲物を狙う獣の目のよう。

「でもまあ、いいや――――とっとと食って、終わりにするしね!」

 突如、それまでの淑やかな雰囲気を一変させた夜刀は、竦む二人へと右腕を差し伸ばすと、自身の体に宿した呪力を放出する。

「っ百合! 走れ!」

 その呪力の巨大さに、たまらずミカヅチが指示を出す。それを合図にしたかのように、夜刀の呪力が明確な形を持った。

 霧である。

 中に白銀の煌めきを見せる氷の混ざった、この場に不釣り合いなほど真白い霧が、夜刀の右腕から噴出し、瞬く間に二人を包み込んむ。

「……へえ、結構速いね」

 霧に飲まれた場所に、誰も居ないことを確認し、夜刀が呟く。そのまま流し目を向けた先には、先程立っていた場所から、二百メートルほど横にずれた場所で呼吸を整える百合がいた。

 その左手に掴んでいるのは、突然の事態に目を回している隆也。右手に握られているのは、瞬間移動を可能にする打刀『降魔ごうま』。

 常人ならば決して避け得ない速度で迫ってきた氷霧でも、『降魔』は安々と避けることを可能にした。百合の内心は、安々とはかけ離れていたが。

「見てみろ、百合」

 ミカヅチに促され、霧の直撃した場所を横目に見た百合は、驚愕に息を飲んだ。

 地面がドロドロに溶け、無数の泡を立てている。もし、直撃していたらどうなっていたかは想像に難くない。

「“腐食の氷霧ふしょくのひぎり”と言うんだよ」

 夜刀がそう楽しげに説明してくるが、百合の頭には入ってこない。今までのどんな妖魔とも桁の違う呪力に、まともな思考が――恐怖心すら、麻痺していく。

「『霹靂閃へきれきせん』!」

 目の前の脅威を打倒すべく、瞬時にミカヅチの神体たる弓――必殺の武装を召喚し、黒雷の射を放つ。更に、アマドリの神体たる巫女服『飛鳥緋袴あすかのひばかま』を召喚、眩い光に包まれながら、後方へと飛び退る。

 ついでに足元の邪魔な男を後ろに蹴り飛ばした。醜い悲鳴が上がるが、気にしない。

 これらの一見冷静な対処に浴びせられたのは、フツからの激しい叱責だった。

「馬鹿者! 闇雲に『霹靂閃』を撃つな! 敵が見えぬ!」

 なるほど、確かに百合の放った黒雷は、狙い違わず夜刀へと直撃し、派手な轟音と土煙を上げていた。これでは、夜刀の様子を確認することが出来ない。

「クソ! 経験不足の露呈もいい加減にしやがれ! まだ竦んで動けねぇ方が救いがある!」

「普通の敵ならこれでいいけどね……。並の妖魔なら、倒せているでしょうし……。でも、あいつは並の妖魔どころの騒ぎではないわよ」

「酷いねえ。一生懸命な退魔師ちゃんに、そこまで言わなくてもねえ」

 土煙が晴れた先に立つ、夜刀の姿には傷ひとつ無い。それどころか、塵一つ付いていなかった。

「でもダメだよ、退魔師ちゃん。私の“妖律ようりつ”はとても強力なの。闇雲に攻撃したんじゃ、そこの怖い神様の言う通り、まるで意味が無いよ」

 そう言われ、百合は動揺からの軽率な攻撃と、戦果の乏しさに顔をしかめると、『霹靂閃』を構え直す。

「おい、百合」

「大丈夫、逆に落ち着いたから。……正直、絶望してるけれど」

「魔人にまで高まった妖魔は、正直まだ荷が重いわよね~」

「っつ、いきなり蹴り飛ばすなよ……。魔人ってなんだ?」

 今度は慎重に、攻撃の機を図る百合の思考を遮ったのは、言うまでもなく隆也の間の抜けた声。鬱陶しく思い無視しようとしたが、

「妖魔の中でも、莫大な呪力を蓄え、知性を得た者のことだ」

 何故かフツが解説した。

 無視すればいいのにと思いながら、百合も結局、隆也には目を向けずに忠告する

「いいから、早く離れなさい。あなたに出来ることは一つも無いし……、死ぬわよ?」

「おかしいね。まるで自分には、何か出来るみたいに聞こえるよ」

 茶々を入れてくる夜刀も無視する。余計なことを考えている余裕はない。のんびりとお喋りに興じる趣味もない。

「はっ!」

 覚悟を決めると、百合は全力で駆け出した。夜刀を中心とした円を描く形で、背後へと回りこむ。

「おや?」

 『降魔』の速力で回りこまれた夜刀は、事態を把握出来ないようで、呑気な声を上げている。好機と感じ、背後から『霹靂閃』を三発、叩き込む。

 漆黒の輝きが間を置かずに、夜刀へと襲いかかる。常人であれば、目視すら不可能な速度で迫るそれを感じ、しかし、夜刀は笑ってみせた。

「無駄、無駄」

 夜刀の全身から発せられるのは、強大な不可視のエネルギー――呪力。瞬きほどの間を見せず、それは氷霧の形を取ると、夜刀の周りを漂い始める。そのまま霧は夜刀の背後に密集し、細かな氷の壁を作り出した。

 互いに巨大な呪力の塊である、黒雷と氷霧が激突し、周囲に轟音と砂礫を撒き散らす。“腐食の氷霧”が、黒雷を文字通り雲散霧消させ、着弾時の衝撃で周囲の地面を抉るに留めたのである。

「ほらね、消えちゃった!」

 三本の黒雷全てが初撃と同じ運命を辿った様子を見て、夜刀は芝居がかった調子で両手を大きく広げた。その表情には、余裕と自信が伺える。

 しかしながら、夜刀は百合の本当の狙いには全く気づいていなかった。

 百合は黒雷の連射を行うやいなや、再び『降魔』の神速を発揮、今度は夜刀の側面に回りこんでいたのである。

 『霹靂閃』による雷撃を防がれることは、初撃からも明らか。ならば、

(そっちは囮にして、『降魔』で直接斬り伏せる!)

 黒雷と氷霧の巻き上げた砂礫により、百合の姿は完全に隠されている。

(――いける)

 油断しきった夜刀は、呪力の探知すら行っていない。気づいた瞬間には、最早決して躱せぬほどの至近。最後に大きく踏み込み、

(ここだ!)

 『降魔』を鞘走らせた。快音と共に、高速で白銀の刃が打ち出される。

(獲った!)

 雷撃を囮としての、神速の抜き打ちによる、不意打ちでの決着。この百合の考えは、夜刀の意表を見事に突いた。

 突いただけだった。

「ぁぐっ!?」

 悲鳴を上げたのは、夜刀ではなく百合。 

「無駄な苦労させちゃって、ごめんね」

 対して、夜刀の表情には変わらぬ余裕がある。

「“腐食の氷霧”は、無形にして有形。密度を濃くすれば、雷すら阻む壁になる。体の周りに纏えば、ほら、この通り」

 夜刀の目の前には、蹲る未熟な退魔師。

「痛いでしょ? 腕、焼けただれちゃってるんじゃない?」

 その言葉通り、百合の右腕は正視しがたい有り様となっていた。アマドリの神体たる巫女服――『飛鳥緋袴』――は、無惨にも肘の辺りまで焦げ落ち、右腕は赤く焼けただれて、美しい白磁の面影はどこにもない。

 通常の妖魔であれば、全く反応させずに斬り伏せることが出来たであろう百合の一太刀に、夜刀は驚異的な反応を見せた。再び呪力を放出し、氷霧の壁を生み出すと同時、その周囲を腐食させる瘴気をまき散らしたのである。

 結果、百合は死の霧へと、自ら手を伸ばす形になってしまっったのだった。

「あぁ……、ぐぅ……」

「うんうん、痛いよね。でも、ダメだよ? どんなに痛くても、敵前で刀を取り落とすどころか、蹲っちゃうなんて!」

 腹部に感じる、強い衝撃と内蔵全てを戻してしまいそうなほどの痛み。夜刀の目線の高さまで、蹴り上げられたのだと百合が気づく前に、華奢な首を掴まれた。空中でキャッチされた体勢のまま、百合の白い首が、更に白い指によってぎりぎりと締め付けられる。

「あれ? よく見たら君、中々美人じゃないか」

「何、を……」

 唐突に、首にかけられていた指が離され、支えを失った百合の体が、地面に叩きつけられる。しかし、それが窮地を脱したわけではないことは、誰の目にも明らかであった。

「『妖神烈化』を頂く前に、もっと素敵な悲鳴を聞いておきたくなっちゃってね。なかなか素晴らしい声で鳴いてくれそうだ」

「なんだと、この外道が……」

「なんとでもいいなよ。一人じゃ何も出来ないカス神が。――――とりあえず、その腕を完全に腐らせてみようか」

「百合! 逃げろ!」

「起きなさい、百合!」

 神々の必死の呼びかけにも、百合の反応は鈍い。

 生まれて初めての、圧倒的な強敵。自身の作戦も完全に無意味。自慢の神体の攻撃力も、防御力も、速力も、全て無意味。

 これらの絶望的な状況に、精神が限界を迎えていたのである。

(もう……、ダメ。怖いし、痛いし……)

 退魔師になってから、それほど日が経つわけではなく、さして勇敢でもない十六歳の少女は、完全に抵抗を諦めていた。

 夜刀が手を伸ばす。

 巨大な呪力が渦巻く。

 死の霧が収束し、自身へと放たれる。

 その気配を感じるが、何も出来ない。ミカヅチたちの叫びも、何も頭にはいらない。死の恐怖から目を固く閉じ、その瞬間を待つ。

「……………………?」

 しかし、いつまで経っても死はおろか、激痛すら感じない。不思議に思い、目を開いて夜刀を見上げる。

「なっ!」

 夜刀を見上げることは出来なかった。百合を背にする形で、隆也が夜刀の前に立ち塞がっていたからだ。

「うわ、凄いね、君。女の子の盾になるなんて。……無駄なのにねえ」

「嘘……」

 百合の四肢を奪う目的で放たれた氷霧は、隆也の体を破壊するに十分足り得るものだったようだ。後ろからでも、体が溶けた傷跡から、血が滴り落ちていることが分かる。百合からは見ることが出来ない、体の前半分がどのような有り様になっているのかは、想像に難くない。

「百合!」

「っあぁぁぁぁ!」

 その姿は百合に、悲鳴ではない絶叫を上げさせた。その勢いのまま、左手で隆也を、痛みを堪えながら右手で『降魔』を、手繰り寄せる。

 瞬間『飛鳥緋袴』へと呪力を込め――、

「ん? ああ、逃げた、か」

 呟く夜刀を残して、廃退世界から跡形もなく消滅した。

説明回に比べると、動きがある方が書きやすいんですね

でも、まだまだ精進します

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