地竜鯨
朝早くの陽影学園、生徒たちの取り留めもない会話があちこちで繰り広げられる教室で、大神隆也は激しく落ち込んでいた。それというのも、昨晩に少女から何も聞けなかったから……、ではない。
「何しかめっつらしてんだ?」
「ちょっと昨日ミスっちゃってさ……」
いつもの通り、少し乱暴な口調で話しかけてきた真司への返事も覇気がない。
「何か有りましたの?」
「うーん。実はな……」
心配そうに美弥が声をかけると、ようやく顔を上げたが、その表情は晴れないままであった。それでも、隆也自身も聞いて欲しかったのか、昨日あった出来事を核心部分は伏せて語りだした。
「ふむふむ。要するに、知らない女の子に厨二を暴走させたと」
「要しすぎだろ。俺が変態みたいじゃないか」
「みたいも何も。その通りですわよ」
「むう……。ん?」
反論出来ないことがわかっているので大人しく天井を仰ぐと、周りの生徒達が慌ただしく教室から出て行く姿が目に入った。
「あれ? 今朝はなんかあったっけ?」
「確か学年集会があるらしいぜ」
「多分、例の神隠しについて……ですわね」
そう。隆也は昨晩、その神隠しの真実の一端に間違い無く遭遇した。だが、多くの人達にとって、神隠しは未だに未知の恐怖なのである。事実、美弥の顔からも怖気がうっすらと見て取れる。
「まあとりあえず行こうぜ! 犯人が見つかったって知らせかもしれないしな!」
「そうだな。遅れたらうるせえしな」
美弥の表情に気付き、あえて明るく言った隆也に真司が笑顔で乗る。美弥を気遣っているのが見え見えだが、この友人は異常に気が利くところがある。
「そうですわね。誇り高きわたくしが、遅刻なんて許されませんもの」
美弥もまた、隆也の考えなどお見通しだろうに、それを感じさせない苦笑で答えた。
普通の高校生の普通の会話。隆也の求めるものとは、正反対のこれは、それなのに心地よく感じた。
――間違いなく友人関係は、そこらの物語より恵まれてるな。
そう思いながら、隆也たちは朝礼の行われる体育館へと向かった。
― * ― * ― * ― * ― * ―
高い天井。板張りの床。何の競技に使うのかわからないネットなど。陽影学園の体育館は、その数を除けば一般的な学校のものと変わらない。
陽影学園の朝礼は、それぞれの学年ごとに与えられた体育館で行われる。全校集会は生徒総数的に難しいらしいが、そのせいで同じ学園に通いながら、学年が違う生徒の顔は全く知らないということも珍しくなかった。
「かなり味気ねえよな」
「真司がぼやくのは珍しいですわね」
「だってよ? 先輩とか後輩とか、高校生活の醍醐味じゃねえの?」
「俺はもう中学で諦めたけどな……。なにしろ、同じ学年でさえ顔がわからん」
隆也のように、決して社交的でないわけではない生徒でも、この有様である。如何に学園生が多いかが分かる。
「そんなんじゃあ、例の女の子にはもう会えないだろうな」
「そもそも、この学園生だということくらいしか手がかりがないのです。実質何もわかっていないに等しいですわよ」
「わかってるよ……」
そう。この広い学園で、名前も学年もわからない生徒を探すなどというのは不可能に近い。ましてや朝礼を終え、体育館から出て行く時に、昨夜の少女を見かけるなどということは、隆也には欠片も想定していなかったことである。
「想定していなかったんだけど……」
偶然というのは、思いもよらない事のほうが多いものだ。隆也の視界に映ったのは、生徒の波に飲まれて思うように進めないでいる、少女。紛れもなく昨夜の少女であった。
「ん? どうした隆也。急に立ち止まるなよ」
「どうなさいましたの? ……あの女生徒がどうかしまして?」
突然足を止めた隆也を怪訝に思ったのか、後ろを歩いていた真司たちが覗きこんできた。そして今度は、少女を見つめて硬直する隆也を見て、疑問符を飛ばす。
「いや、実はあいつが……」
「もしかして例の……?」
流石に事情を説明しようとしたが、すぐさま美弥が察したので、黙って頷く。それを受けて興奮したのは真司である。
「まじかよ!? で、なんでお前は黙ってるんだ! 折角見つけたんだから会いに行け!」
そうは言われても、隆也自身も人混みに邪魔されて近づくことが出来ない。そうしている間に、少女の姿はドンドン小さくなっていってしまった。
「ああ、行っちゃった」
「お前がグズグズしてるからだろ。もったいねえなー」
横で勝手なことをいう真司のセリフに反論しようと、隆也が口を開くが、
「あの女生徒は、九家達百合さんですわね」
「「えっ?」」
美弥の発した一言で、真司と揃ってマヌケな声を上げてしまった。
「お前、なんで知ってんの?」
「有名な生徒だったりするのか?」
「そういうわけではありませんけど……。彼女は、九家達神社の前神主の娘さんですの」
「ああ……」
そう言われて、隆也は記憶を引っ張りだした。
九家達神社は、陽影市に古くからある神社で、かつては住民たちの信仰を一心に集めていたらしい。ところが、近年の陽影市の都市開発にあたって、計画における無用の長物とされてしまった。そして、九家達神社を最も邪魔に思っているのが、陽影市の都市計画の主導者にして、美弥の父親が率いる高橋グループなのである。
話題にあげて楽しい人物ではないだろう、という表情を読み取ったか、
「言っておきますが、私個人が九家達神社や九家達さんに思うところはありませんわ」
と、美弥は苦笑を浮かべる。
「つっても、お前の親父さんの宿敵みたいなもんだろ」
「それはあくまでお父様達の問題ですわ。もちろん、高橋家としての意向はありますが、私自身は特に悪感情を抱いているわけではありません」
真司の半ば煽るような発言にも、美しく巻いた金髪をかきあげながらさらりと答えた。確固たる自己を持ち、家名に飲まれずおごらず、ただ誇りに思う。どこまでも貴族らしい少女である。
「とはいえ、無視出来る存在ではありませんので、顔と名前くらいは知っているのですけど……」
「んで? お前はどうするんだよ」
「ん? そうだな……」
美弥が瞳で、真司が言葉で隆也の意思を確認してくる。そして、答えは決まっていた。
「とりあえず放課後に会いに行ってみるよ。神社に行けば会えるだろ。謝らなくちゃいけないし、……それに」
「ん? なんだって?」
「いや、なんでもない」
聞きたいこともあるしな、と心の中で付け加え、隆也は教室へと再び歩き出した。
― * ― * ― * ― * ― * ―
朝の一件以外は特に変わったこともなく放課後を迎えると、隆也は校舎を後にした。
余談であるが、陽影学園に校門は存在しない。校舎を出れば、そこはすぐに一般道であり、閑静なオフィス街を思わせる景色が広がっている。もっとも、立ち並ぶビルはほぼ全てが校舎などの学業施設である点で、通常のオフィス街とは一線を画す。
そのまさしく学園都市そのものの景色の中、隆也は真っ直ぐに南に向かっていた。
市の北部はほぼ陽影学園で占められているため、学園関係者以外は北部には先ず立ち寄らない。事実、辺りを見渡しても居るのは学生ばかり、時折散歩をしている老人を見かける程度である。
学生の波の中を、隆也もその一部となりながら進んでいく。時折、道を塞ぐように並んで歩く連中を鬱陶しく思うが、その学生たちは隆也などには目もくれない。文句を言おうかとも思ったが、似たようなことをしているグループは他にも多数あるし、面倒なことになるな、と思い直し――早く言えば日和って、大人しく後をついていくことにした。
ところで、このように仲間内以外を廃絶することによる楽しみ――いわゆる慣れ合いは誰にでも経験があるだろうが、この年代では特にそれが顕著である。故に、滅多なことでは彼らは周囲に対し、関心を向けない。
だから、そんな学生たちですら、目を向けざるを得ないことがあったとしたら、それはまさしく異常と呼べるだろう。
「え? 何だこの砂」
「ちょっと、やだ~」
先ず彼らはビル街に不釣り合いな量の砂が、突如として吹き荒れていることに気付いた。目を開けることすら困難な砂塵。
しかし、本当の意味で学生たちの足を止めたのは、砂嵐などではなかった。砂嵐を「日常の異常気象」として、笑みすら浮かべていた学生たちは、
「は? ここどこだ?」
「意味分かんないし……」
自らがいる場所が、見たこともない場所であることに気付いた瞬間、凍りついた。先程までビル街を歩いていた彼らの視線の先に広がっていたものは、
「砂漠……?」
スポーツ刈りの少年が呟いたとおり、眼前、どころか四方全てが砂の海。猛烈な砂嵐は太陽すら半ば遮り、十メートル先を見ることも難しい。
この、理解の出来ない事態に対し、この段階ではまだ、学生たちの反応は様々であった。ある者は友人と囁きあい。ある者は呆然と立ち尽くし。ある者は大声で騒ぎ立てた。
そんな彼らの反応は、更なる異常によって統一されることになる。
「は? ちょっと何よあれ!?」
「おい! あっちになにかいるぞ!」
少女らが指差す方向では、砂漠の一部が隆起し、移動していた。それは学生たちを囲むように円運動を行い、少しずつ速度を速めていく。あたかも獲物を狙う猛禽のように。
「なんだあれ?」
「ちょっと見てくるか?」
立て続けに起きた異常事態に感覚を麻痺させた学生が数人、集団を抜けだして隆起に近づこうとする。
結果として、隆起の正体を見極めんとした彼らの行動は、徒労ともそうでないものとも言い難いものとなった。というのも、学生たちが集団を抜けだした瞬間、隆起自身が全貌をさらけ出したのである。
砂を割って飛び跳ねた、巨大な鯨の姿として。
興味本位で自身に近づいていた学生たちを、数人まとめて飲み込むという形で。
「……え?」
「き……、きゃああああああああ!」
今、目の前で起きた事態を正確に理解できたものはいない。せいぜいが、砂から出てきた鯨に人が食べられた、くらいにしか認識できていない。しかし――あるいはだからこそ――唐突に心中に湧き上がった恐怖は素直な行動を促した。すなわち、なりふり構わぬ鯨の化け物からの逃走である。
もはや完全な非日常によって、学生たちは等しく阿鼻叫喚の渦となった。皆が混乱するまま、何をしていいのかも分からずにただ走りだす。
完全なる異常。
そんな中、隆也だけは――これも異常なことに――一線を画す思考をしていた。
皆が恐怖に支配される中。それより遥か前、最初の突風が吹いた瞬間に、隆也の心はある感情で満たされていた。
その感情とは、楽観と期待。つまるところ、
――これで、またあの子に会える。
という下心。
そして。
「地竜鯨だったかしら。それで良いわよね」
荒れる砂塵の中でもはっきりと聞こえる澄んだ声を響かせて。
狂気の砂漠に少女が一人、降り立った。
次回はようやく戦闘です。
やっぱり書いてて一番楽しいですよね。
まあ、私が言葉遊びが苦手というのがありますが