彼女の壁破り
「ざざ……ざ……」
あれ、モニタの調子が悪い。僕はバンバンと液晶画面の角っこを叩いた。この前まで全く普通に表示されていたのに、ここ数日やたらと画面にノイズが入る。
「おっかしいなあ、買ってからまだそんなに経ってないぞ」
最新型大画面液晶モニタに買い替えたのがつい数か月前の事。ゲームプレイと動画視聴を快適にするために、大枚をはたいたのだ。こんなにすぐに壊れてもらっては困る。
「まだ保証期間内だし、店に電話して交換してもらうか……ん?」
ざあざあと乱れていたモニタの画面がさらに乱れ、ついにただの砂嵐画面になる。ここで僕は何だか妙な違和感を覚えた。砂嵐であれ何であれ、映っているならモニタは正常なのだ。画像の信号がちゃんとモニタに来てないのかな。ならばケーブルか、それなら交換も簡単だけど……。
「だめだなぁ」
いろいろいじっても、やっぱりモニタが映すのは砂嵐だけ。何が原因かさっぱりわからない僕は、無意識にモニタの角を叩き続けていた。
「こりゃいよいよ、交換か」
そう思った、その時。突然画面が切り替わり、モニタがある人物の画像を映し出した。といっても人影がぼんやりと映るだけで、誰が映っているのかよくわからない。
「おっ、直ってきたか? なんか映ってるみたいだ」
液晶モニタを叩いたり揺らしたりし続けていると、人影はだんだん鮮明になってくる。というか、こっちに近づいてきているような……。僕は手を止めて、モニタに映るそれをじっと見つめた。人影はやっぱりどんどん大きくなる。ますます大きく、ますます鮮明になり、そして。
「ありゃ、女の子?」
砂嵐画面を背景に、高校生くらいの髪の長い可愛い女の子がモニタの向こう側で僕をじっと見つめていた。驚くほど色が白くて、まるで死人のようだ。こんな画像が映るようなソフトもゲームも立ち上げた覚えはないけど……。
「んー、見覚えないなあ……僕の知ってるキャラと全然違う。すごく可愛いけど」
その子は感情の無い表情でじっと僕を見つめていた。僕もモニタに顔を近づけじっと見つめる。何だろう、モニタの再起動テストか何かかな。昨今の萌えブームがモニタ業界にまで及んだんだろうか。そんな事を考えていると。
「………………!」
突然彼女が何かを喋り出した。といっても何も聞こえない。口は動いているから何かを言っているのは確かだけど、モニタからは何も聞こえてこない。
「あの、何言ってんの? 聞こえないんだけど」
繰り返し何かを言っているモニタの向こうの少女。最初は無表情だったその子は、次第にほっぺが赤くなり、身振り手振りを使うようになり、ついに叫びだした……ように見える。
「ああ、そうだ。スピーカーつないだら聞こえるかな」
僕はモニタの裏側についているジャックにスピーカーをつなぎ替えた。本来はパソコンからの音声信号をスピーカーにリレーするためのものだけど、今パソコンからの音声ケーブルはモニタとつながっていない。
「……ください」
声がかすかに聞こえてきた。やっぱり可愛い女の子の声だ。
「えっ? 何?」
スピーカーのボリュームを上げると、声と一緒に雑音まで入る。
「ちょっと、聞こえないよ。もうちょっと大きな声で言ってくれないかなあ」
僕はモニタを見つめ直した。
「設定画面はないだろうか……ええと、このボタン、いや、これかな」
モニタに近づいていろいろいじくっていると。
「だからっ! もうちょっと離れてって言ってるのっ!」
突然の大声。あわてて画面を見ると、女の子は明らかに拗ねていた。
「え、わ、わかった……」
言われるままにモニタから離れると、ブツブツと女の子のつぶやきがスピーカーから聞こえる。
「まったく、女の子の顔に近づいてジロジロ見るなんて……ほんと失礼よ!」
「あ、ごめん……って。何なんだ、これ?」
「せっかくの出だしなのに……。こほん。では、改めて」
そう言うと彼女は身なりを整えて、無表情に戻った。その後の彼女の行動は、僕を色んな意味で驚愕させることになる。
「にゅっ」
彼女が前方に伸ばした腕、それが僕の方に伸びて。
「はしっ」
液晶モニタの角をつかむ。彼女はそのまま自分の顔を前方に押し出すように腕に力を込めた。あっけにとられる僕の前で、彼女が頭をこちら側に突き出し、なんと!
ごつん!
「あいたぁ~~!!」
出ていた腕を引っ込め、頭を押さえる彼女。どうやら彼女はこのモニタから出たかったらしい。
「……あの、え、ええっ!」
今見たことがにわかに信じられない僕。モニタの壁を今まさに越えようとする美少女が僕の眼の前に!
「あ、あの、こっちに出て来たいの?」
思い切って聞いてみると。
「……うん」
涙目になりながらコックリうなずく。その姿がとても可愛らしく、僕は彼女の願いをどうしてもかなえてあげたくなった。
「手は出てたじゃないか。もう一回やれば、きっと出られるよ!」
「……うん、でも。おかしいなぁ、すんなり出られるって思ったのに……」
「きっと、勢いつけすぎたんじゃないかな。次元の壁を破るショックウエーブっていうかさ、そういう別の壁みたいなのができたのかもしれないよ」
「んー、難しいことよくわかんないけど……」
「じゃあ、手を出してよ。僕がゆっくり引っ張るから」
「う、うん……えっ、手、つなぐの……?」
彼女が白い頬を赤らめた。うはー、超可愛い!
「引っ張るだけだよ。大丈夫。ちょっと補助するってだけだから」
「……わかった、お願い」
彼女が再び手をこちら側に伸ばす。両手がモニタの壁を突き破り出てきた。僕は彼女の手首をつかんだ。何だか異様に冷たい。
「じゃあ、いくよ。ゆっくり引っ張るから」
「うん」
「せーの、よっ……と」
少しずつ、少しずつこちら側に引っ張ると、彼女の頭がゆっくりとこちら側に向かって出てくる。今度は成功みたいだ。
「大丈夫? 痛くない?」
「う、うん……平気……ちょっと……息が苦しい……けど」
彼女の頭がモニタから出てしまうと、声はスピーカーからでなく直接彼女から聞こえる。そう、彼女は今次元の壁を越えようとしている。
「よし、肩まで出たよ。ねえ、体引き出すには肩を抱えた方がよくない?」
「え、ええっ! 肩って……だって……」
ためらう彼女。でも、このままだと彼女の腕がすごく痛そうだ。
「全部出るまでだから。すぐ終わるよ」
「……こくっ」
彼女は何も答えず、赤い顔をしながらただ軽くうなずいただけだった。それを確認した僕は、自分の腕を彼女の脇の下から肩の後ろに回す。
「ひゃっ!」
変な声を上げる彼女。僕は気恥ずかしさを感じながらも、ゆっくり、ゆっくりと彼女をモニタから引き出した。そしてついに。
「ふはぁ……! やっと出られた!」
「いやあ、はは。よかったね」
二人で床にへたり込んで笑い合う。こんな事って、あるんだな。彼女の可愛い笑顔を見つめていると、突然。
「はっ! いえ、こんなことしてる場合じゃないわ!」
彼女が突然我に返ったような顔をして、それから、急に無表情に戻る。僕に向き直って正座し、そして冷たい口調で言った。
「今日やってきたのは他でもありません。あなたを殺すためです」
「へぇ」
「あなた、見たでしょ。例の動画」
「何?」
「だから、見ちゃいけない動画ですよ」
「どれだっけ」
「へ? 覚えてないんですか?」
「いや、動画なら毎日何十本も見てるからさ」
「な! 私の動画をそんな変な動画たちと一緒に見ないでください!」
「変? 何が変なの?」
「だ、だから……女の子が……その……あんなことされたり……」
「ん? 音楽とかの動画が多いけど。君、何の話してるの?」
「え……えっ! いえっ、あのっ! わわっ……今のはナシっ!」
一人で真っ赤になって手を振っている女の子。天然ボケ……かな。こういう子、すごく可愛いんだけど、彼女は何だか気になる事を言っていた。
「僕を殺すって言ってたけど。何で?」
「……え? だって、そういう決まりだから」
「誰が決めたの?」
「ええと、よくわかんないけど……気が付いた時、何となくそう感じたんです」
「困ったな。そんなあいまいな動機で殺されるのは嫌だよ。というか、今まで誰か殺したことあるの?」
「いえ、今回が初めてです。モニタから出るのも初めてだったから、ちょっと手こずってしまって」
確かに彼女がモニタから出る動作は、非常に手際の悪いものだった。
「あのさあ、殺しに来るなら、もうちょっと貫禄持って出てこないとさ。そう思わない?」
「えっ……そう……ですね」
「だって、怖くなかったもん。全然。最初だってなんか無音でわめいてるだけだったし」
「……はい」
「あれじゃ未来のネコ型ロボットが机から出て来るよりもかっこ付かないよ」
「……そうでしょうか」
「現に君が殺そうとしてる人間にモニタ抜ける手助けしてもらっちゃってるし」
「……ぐすっ」
「もう一回やる? 自分だけで」
「……えっ、もう一回……ですか?」
「ほら、モニタに入って。もう一回出てきなよ。ちゃんとできるまで何度もやらせるよ」
「……それは……許してください……ひぐっ」
彼女が怯えたような顔をして泣き出した。きっとモニタを抜けるというのは大変な作業なのだ。さっきだって、モニタに引っかかっている時の彼女は非常に苦しそうだった。
「まあ、許してあげるよ。とにかく出て来れたんだしね」
「……はい……ありがとうございます」
「で? 僕を殺した後どうすんの?」
「……えっ?」
「また君の動画ってやつに戻るの?」
「……ええと……私、初めてだからどうしたらいいか……」
「戻るんだろ? モニターの中」
「ひっ! またっ?」
「だって、僕が死んだ後もここにいるわけにはいかないじゃないか。一人で生活できるの?」
「ええと……家事はできるんですけど……お金とかなくて……」
困った子だ。何も計画しないままこっちに出て来ちゃって。
「だいたい、君の動画って何? 見てみたいんだけど」
「いえっ! もう見なくていいですっ! 恥ずかしいし!」
そんな恥ずかしい動画、見たことあったかなあ。いや、心当たりはないわけじゃないけど、どれだかわからない。
「君、そんな恥ずかしい動画に帰りたい?」
「……正直言うと……ちょっと嫌かなあ……って」
「はぁ……仕方ないな。じゃあ、僕を殺すのやめなよ」
「な! それじゃ私の存在が! 困ります!」
「僕と一緒に暮らせばいいじゃないか。とりあえず食うには困らないし、モニタに帰る必要もないし」
「そんな……そんな……こと」
彼女は激しく動揺しながら、僕を上目づかいでチラチラと見る。まんざらでもなさそうだな。僕だってこんな可愛い子にいてもらったらすごく嬉しい。
「あの、あなたを殺すって前提で来てるので……その……」
「僕が君の前で死ねばいいんだろ?」
「ええと……はい」
「じゃあ、ずっといなよ。いつか僕も死ぬよ。それを見届けてくれればいい」
「あ……そっか!」
彼女の顔が輝いた。それで決心してくれたみたいだ。
「では……ふむ……仕方ありません。あなたの最後の日まで、私はずっとあなたに付きまとうことにします。お覚悟なさい」
そう言って彼女は得意そうな顔をした。
「はいはい。よろしくね」
僕は突然できた伴侶に少し戸惑いながらも、彼女の頭を撫でた。
「あの、じゃあ、お腹すいたので、そろそろ……」
彼女が僕を見上げる。僕は笑った。
「わかったよ。じゃあ飯にしよう。むこうと違って、こっちの世界は腹減るだろ?」
「ええ……あっ、でも私だってご飯作れますからっ! 見せてあげますよ!」
彼女が台所に走る姿を見て、僕は幸せな気分になった。
最近こんな願望ばっかり書いてる気がする。