過去の真実
緋色の瞳の狼を先頭にしばらく歩くと、やがてあたりの木々は少なくなり、背の高い木々の代わりに丈の低い雑草が見えて来ました。
「ようやっと抜けたみたいだな」
雑草が夕焼け空の色に染まっています。
もう少しするとその色も徐々に夜のとばりに覆われる事でしょう。
「結局、我々は丸一日あの森で過ごしてしまった様だ。 私事とは言えかなたまで巻き込み、申し訳なく思う」
すまなそうにしているはやとに、かなたは首を振ります。
「僕は構いません。別館にいても何もする事はありませんし、むしろ、こうして外へと連れ出してくれた事をありがたく思っています」
ここ数日、兄のともしびの事でふさぎこんでいたかなただけに、この出来事は良い気分転換になったのでしょう。
そんなかなたを、はやとは嬉しそうに見ています。
その二人の前を狼が我関せず、と言った風情で歩いています。
その先には、松の木を背にした西の別館の色褪せた赤い屋根が見えていました。
別館に入る扉の前では、紺色のワンピースにシミひとつない白いエプロンを着けた召使いが灯の入ったランプを手に二人の帰りを待っていました。
「お帰りなさい。森へは行かれたのでしょうか」
くりくりとした大きな瞳が興味深そうに二人を見つめています。
「良い方を紹介してもらい、感謝している」
はやとがうなずきます。
「礼を言わせて頂きたい」
不意に、召使いの瞳が大きく見開きます。
「本当に、行かれたのですか?」
心なしか、声がうわずっています。
どうしてそんなに驚いているのだろう、そう思いながらかなたはうなずきます。
召使いの大きく見開かれた瞳が元の大きさに戻ります。
それから二人を交互に見比べてうなずきます。
「失礼しました。夕食の用意が出来ております。まずはお着替えになられましてはいかがでしょうか」
嬉しそうにそう言うと、持っていたランプを扉の脇にある小さな金具に引っ掻けて扉を開けました。
はやととホールで別れて広間に入ると、館を任されている執事が、かなたの姿を見て頭を下げます。
それから、広いテーブルにあるビロードの張られた豪奢な椅子のひとつをかなたが座りやすい様に音もなく引きます。
かなたがそこに座ったのを見て、執事が言いました。
「森の中には入られたのですか」
かなたがはやとと共に森へ行った事は朝のうちに執事に言ってありました。
「魔法使いに会う事が出来ました」
どこか寂しそうなセシアの紫水晶の色をした瞳を思い出してかなたはぽつりとつぶやきます。
「でも、彼女は本当に災いを呼ぶ者なのでしょうか」
そんなかなたを、執事は黙って見ています。それから、そのまま考え込んでいるかなたに、声をかけました。
「もしよろしければ、夕食後に私にお付き合いいただけますでしょうか」
かなたがきょとんとした顔で執事を見つめます。事務的な事を言われた事はあってもこう言ったお誘いの言葉をかけられた事がなかったのです。
「何かあるのですか」
執事はそれに答えず、逆にかなたにたずねます。
「かなた様がおっしゃっていたのは、森の中に住んでいる魔法使いの事なのでしょう」
かなたがうなずきます。
「その疑問に対する答えがそこにあります。丸一日森の中を歩いてお疲れかと思われますが、ほんの少しの時間で構いません、一緒にお付き合いしていただけないでしょうか」
丸一日歩き回ったかなたにとって、本当は食事をしてから眠ってしまいたいところです。
しかし、執事のいつも以上に真剣な態度に知らず知らずうなずいていました。
かなたが半分眠いのを我慢して執事に案内された所は、館の奥にある部屋でした。
あまりにも目立たない場所だったため、かなた自身、そこに部屋がある事自体、気がつかなかったのです。
執事に連れられて、そこに入ったとたん、かなたは言葉を失いました。
そこは、図書室でした。
大きな部屋には壁一面が棚になっていて、全て本で埋まっています。
その棚も、はるか上まで伸びていて、吹き抜けになっているのでしょう、天井が見えません。そして、その本棚に沿うように、踊り場のついた螺旋状の階段が設置してありました。
城にも図書室はありますが、ここまで広くはありません。
「こちらです」
執事が物珍しげにきょろきょろしているかなたを促します。
本棚は壁にそってあるだけで、室内は座り心地のよさそうなソファーが数脚、無造作に置いてあります。
その、ソファーの中を通り抜けて入り口の突き当たりへと行きます。
突き当たりでは、大きな本棚と、中の本達がかなたを迎えます。その足元に、白い狼が気持ち良さそうに眠っていました。
白い狼が二人の気配を感じて眼を覚まします。
「どうやら、眠ってしまった様だ」
前足を突っ張らせて伸びをすると、後足で立ち上がり、はやとへと姿を変えました。
「狼の姿でですか?」
「そのつもりはなかったのだが、長い間その姿でいたせいだろう。我も気がつかなんだ」
人の姿でうとうとしていたらいつの間にか白い狼の姿になっていたと言う事なのでしょう。
今度は人の姿で伸びをして大あくびをしています。
その間に、執事が着ていたローブのポケットから鍵を取りだし、本棚の隙間に鍵ごと手を入れます。
かちっ、と本棚の奥で音がしました。
「こちらへどうぞ」
かなたが首をかしげます。それと言うのも、かなたの方からは本棚しか見えなかったからです。
それでも、言われるままに行ってみますと、本棚の影になっていたのでしょうか、かなたの背丈ぎりぎりの扉が、開いていました。
開いた扉の先は、真っ暗で何も見えません。
執事がはやとに灯の入ったカンテラを手渡し、自分もカンテラを手に中に入ります。
「入り口は狭いですが、中は広いです。足元が少々暗いのでお気をつけて下さい」
一言、そう言って中へと入って行きます。
暗い口を開けた入り口を見ながら始め、どうしようかと迷っていたかなたでしたが、後ろではやとが「大丈夫」とうなずいたのを見て腹が決まったのでしょう、意を決して中へと恐る恐る入って行きました。
中ではかなたが暗がりに足をすくわれない様にカンテラ片手に執事が待っていてくれています。
足元を見ながらかなたがゆっくりと中に入って行きます。
身体全体が中に入って大丈夫なのを確認するとかなたは顔をあげました。
明るい所から暗い所へと来たために、回りはカンテラの灯以外暗くて何も見えません。それでもしばらくするうちに少しずつですが、目がなれてきたのでしょう、回りの様子が見えてきました。
執事の持っているカンテラの灯の隅に下り階段の一部が見えます。その先を見るとカンテラのオレンジ色の炎とは違う青白い炎が小さな四角い踊り場を照らしています。
よく見ると、その炎は下へ下へと螺旋状に控え目に踊り場を照らしていました。
間にあるはずの階段が見えないため、まるで、踊り場が空中に浮かんでいる様です。
視線を下から上に向けたとたん、かなたが小さく感嘆の声を上げました。
カンテラの灯の届かない天井には、きらきらと何かが小さな光を放っています。それはまるで、星の瞬いている夜空をそのまま切り取った様です。
「別館の地下にこんな所があるとは思ってもみませんでした」
その幻想的な景色にかなたが素直に感動しています。
「この光っているのはすべて魔力を秘めた石と見たが」
「その通りです」
はやとの問いに執事がうなずきます。
それから、「参りましょうか」と言ってからゆっくりと階段を下り始めました。
執事の後ろにかなた、その後ろにカンテラを持ったはやとが続きます。
カンテラの明かりは二つあってもこの空間全てを照らす事は出来ません。三人の回りを照らすのがやっとと言った所です。
その明かりを頼りに、三人は階段を下へ下へとおりていきます。
青白い炎の灯った踊り場を十ほど抜けた所で執事が立ち止まりました。
執事の立ち止まった所は階段がなくなって平らな地面が見えています。
カンテラの灯りの届かない空間は魔力の秘めた石が淡く輝いているものの、その光はこの空間を明るくするまでには至っていません。
その中、ただ一ヶ所だけ、青白い炎が灯っていました。
執事を先頭に、三人が近づいてみると、青白い炎のそばに、何かが見えます。
カンテラの灯が近づくにつれ、それは重厚な扉だと分かりました。
その扉はまるで、大きな盾を手にした守り人を彷彿とさせます。
執事がカンテラを手に扉のノブを回しますと、音もなく扉がゆっくりと開きました。
「こちらへどうぞ」
大きく扉を開けて、かなた達に中に入る様に促します。
言われるままに、かなたはそこへ足を踏み入れました。
そこは、城でかなたが使っている部屋と同じ位の大きさの部屋でした。
それでも、先程通った図書室より一回り小さい位ですから、この部屋もそれなりの広さがあります。
扉以外の壁は全て本棚になっていて、そこにも溢れんばかりの本が置いてあります。
中央にはテーブルがあり、そこに置かれている小さなランプが部屋全体を照らしていました。
中央のテーブルに近付きながらかなたは執事にたずねます。
「ここはどういった部屋なのでしょうか」
「あのお方が以前使われていた部屋です。ここにはあのお方が今までに書き溜めておきました資料が納めてあります。内容が内容ですのでここから持ち出す事は出来ませんが、閲覧は可能ですので、ご自由にご覧ください」
一瞬、かなたの脳裏に「禁書」の文字が浮かび上がります。
魔法使いが言う所の「禁書」だけに、もしかしたらこの世界を災いに巻き込むかもしれない書物だろうかと思い巡らせていますと、そんなかなたの心を読み取ったかの様に執事が言います。
「そう言った禁書の類いではございません。ここにあるのはこの国の歴史──王家に関する物なのです。外には出せない書物、言わばこの国の影の部分がここにあります」
「この国の、影……」
一瞬、本棚に納められた本から凝縮された闇が執事の言葉をきっかけに出て来そうな錯覚にとらわれます。
「怯えずとも大丈夫です。」
そんなかなたの気持ちが顔に出ていたのでしょう、優しい声で執事が言います。
「ここにあるのはただの資料。王家の亡霊はここにはいらっしゃいません」
「わかってはいますが……」
それでもかなたは不安そうです。
「それはわかってはいますが、やはり気持ちはそうでもないみたいです」
「なら、我がそばにいよう。それなら怖くはあるまい」
はやとが助け船を出します。
はやとがいることを心強く思いながらかなたがうなずきました。
「でも、父王や兄王はここを知っているのですか」
「存じないかと思います。何しろ、ここは我々一族があのお方のために用意した場所なのですから」
そこまで隠さなくてはいけない理由とは一体何なのでしょう。
王家に秘密で用意したこの場所をかなたは改めて見回します。
「王家に関する物なのにどうしてここに隠しておかないといけないのでしょう」
王家の歴史に関する資料は殆どが城にいる学者達が執筆、編纂を行っています。
かなたが勉強に使っている教科書の類いもその学者達が作っている物でした。
「いくら影の部分とは言え、この国の歴史が書いてあるのですから、しかるべき所にあった方がいいと思うのですが……」
「本来ならそうするべきなのです」
かなた同様、執事も部屋の中を見回します。けれども、かなたが好奇心でこの部屋を見ているのに対して、執事のはどこか寂しそうです。
「それが出来なかったのは、彼女が「時の少女」だからです」
一瞬、部屋の時間が止まったかのようです。
その理由を、かなたは知っていました。
「その、「時の少女」とは、何者なのか」
はやとの、少し間の抜けた問いかけをきっかけに、部屋の中の時間が動き始めます。
執事が答えます。
「この国、いえ、この世界のすべての出来事を見通す力を持った少女のことです。そしてかなた様、これがここにある書物を外へ持ち出せない理由なのです」
「そのようですね」
かなたがうなずきます。その表情は心なしか不安そうです。
「すまない、我にもわかるように教えてもらえないだろうか」
ますますわからない、と言った風情ではやとがたずねます。
「ここにある物は多分、セシアさんの「すべての出来事を見通す力」によって書かれた物だと思います。そして、これは僕の想像でしかないのですが、ここに書かれている書物は多分予言書ではないかと思うのです」
「おっしゃる通りです」
執事がうなずきます。
「かなた様のおっしゃる通り、ここにあるのはあの方がずいぶんと昔に書かれた物です。もちろん、かなた様の物もあります」
手に持っていたランタンをテーブルに置いて執事は本棚から一冊の本を取り出します。
藍色のふかふかの生地で綺麗に装丁された本がかなたの目の前に差し出されています。
かなたがそれを手に取り、少しためらった後、ゆっくりと本を開きました。
──そこには、何も書かれてない真っ白なページがありました。
数ページめくってみますが、どこも真っ白です。
「全部、真っ白ですね」
すべてのページをめくったところで、かなたが執事にたずねます。
「これは一体どういうことなのでしょう」
「私にもわかりかねます」
執事が首を振ります。
「ひと通りみたのですが、かなた様のだけ真っ白なのです。それだけではありません」
執事の手が伸びて二冊の本を出します。
「これは国王様とともしび様のものです」
持っていた本をはやとに預けてかなたはその二冊を受け取り、上の本からめくります。
「後ろのページをご覧下さい」
言われるままに、パラパラとページをめくると不意にページが途切れます。
そこには、数ページに渡って破り取られた跡がありました。
ページを開いたまま本をテーブルに置きますと持っていたもう一冊も開きます。
その本も、さっきの本同様後ろの数ページが破り取られていました。
無造作に破り取られて痛々しい本を見ながらかなたはたずねます。
「どう言ったページが破り取られているのでしょう」
「私が見た時からすでにこうでした。ですから、何が書かれているのかは解りかねます。しかし、前に書かれていた内容から推測いたしまして、どうやらかなた様に関することだと思うのです」
かなたが困惑した顔で破り取られたページを見つめています。
無理もありません、かなたにはそうされる理由がわからなかったのですから。
「なかなかどうして、面妖なことではあるな」
テーブルに置かれた本の白いページをめくりながらはやとがつぶやきます。
「それにしても、ここに書かれた資料は本当に起こったことなのか」
「起こったこともあり、そうでもないものもあります。かなた様、もしよろしければひとつご覧になられてはいかがでしょう」
そう言うと、本棚から一冊の本を取り出します。
かなたがそれを受け取り、赤い生地で装丁された表紙をめくります。
かなたがページをめくる音だけが部屋の中に響いています。その様子を見ていた執事が長くなりそうだと思ったのでしょう、お茶を入れに部屋を出ていきました。
はやとはと言うと、しばらく所在なげに本棚を見ていましたが、退屈したのでしょう、かなたのそばに来ますと白い狼の姿になってそのまま眠ってしまいました。




