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森の中で

 今日の授業を終えた家庭教師が一礼をして部屋を出ていきます。

 その姿を見送ってかなたはため息をつきました。

 それから、机の上にあった数冊の教科書を見てまた、ため息をつきます。

 最近のかなたはいつもこうでした。

 その理由は、数日前にありました。

 かなたの父、この国の国王が先日、「平和の儀礼」をかなたの兄に任せる事が決まったからです。

 かなたの兄、ともしびは国王からの信頼も厚く、国民にも人気がありました。そしてかなた自身も、そんな兄を誇りに思っていました。

 その兄が、最近、変わってしまったのです。

 いつもなら、

「君は僕の大事な弟だよ」

 と、言ってくれる兄が何も言いません。

 それどころか、かなたを避けている様にも見えます。

 それを他の人々に言うと、

「きっと儀式を任されたので緊張しているのでしょう」

 と、みな口を揃えていいます。

「平和の儀礼」が終わったら兄はまた自分の所に戻ってくるのだろうか。そう考えてかなたはまた、ため息をつきました。

 それから、部屋のすみにあった剣を手に取り、外へと出ていきました。


 かなたの目の前に、大きな森が見えます。

 森は薄暗く、木々が生い茂っているため、先が見えません。その中を鞘に納めた剣を手にしたかなたが歩いていきます。

 城の裏手一面に広がるこの森は別名「時の樹海」と呼ばれています。

 一部は王家の狩猟場として解放されていますが、そのほとんどは手付かずのままです。

 それと言うのも、この森の中は時間の流れが他とは違うからと言われていたからです。

 そんな噂と、薄暗い森の光景と相まって、この森に進んで入る人はいませんでした。

 ただひとり、かなたを除いては。


 森の中は薄暗く、しん、としています。

 その中を、かなたはゆっくりと歩いていきます。

 しばらく歩くと、不意に、開けた場所に出ました。木々が生い茂った場所にありながら、そこだけ木がひとつもなく、ぽっかりと広い場所になっています。光を遮る木もないため、せの場所はとても明るく、森の中では見かけなかった花が色とりどりに咲いています。

 そこはかなたの、お気に入りの場所でした。

 広場の真ん中、横倒しになった大きな木があります。

 かなたの背丈ほどあるその倒れた幹に寄りかかり、かなたは持ってきた剣をそばに置いて、空を見上げました。

 青い空に所々白い雲がぽっかりと浮かんでいます。

 時々風が吹いてはまわりの木々やかなたの足元に生えている草花を撫でていきます。

 ここに来る度、かなたはいつも時が止まったような錯覚に陥るのでした。

 時の流れが違うと言われているのもわかるような気がしました。

 しばらくの間、流れる雲を見つめた後、かたわらの剣を手にしたその時でした。

 風と共に、歌声が聞こえて来たのです。

 どこから聞こえてくるのだろう、そう思いながら息を殺して耳をすませます。

 どうやら声は、かなたの背後、幹の向こうから聞こえてくる様です。

 剣を片手に、かなたは歩き始めました。

 横倒しになったその大木はかなり長く、この広場を横切っています。

 しばらく歩いて幹が低くなったところを見つけると、そこを登って向こう側へと行きました。

 幹の向こう側も、かなたがいたところと同じく、色とりどりの花が咲いています。

 その中央あたり、ひとりの少女が座って花を摘みながら歌を歌っていました。

 綺麗に切り揃えられた腰まである若草色の髪は時々風になびいてゆっくりと揺れています。

 その光景に時を忘れてかなたが見とれていると、少女がその視線に気がついたのか、顔をあげてかなたを見ました。

 紫水晶の色をした瞳が、かなたを見つめています。

 その瞳に見つめられてかなたが何も言えずにいると、少女の方から、

「こんにちは」

 と、言われました。

 あわててかなたも、

「こんにちは」

 と、返します。

 少女が摘んだ花を抱えて立ち上がると、かなたの前に近づきます。

 それから、片膝をついて頭を下げました。

 これにあわてたのがかなたです。

「頭を上げて下さい」

 少女の前に膝をつき、言います。

「僕は確かに王家の者ですが、あなたに頭を下げてもらう程の者ではありません」

「何故、ですか?」

「何故って僕よりも相応しい人がいるからです。その人達を差し置いて僕に頭を下げてはいけません」

 少女がわからないと言った顔でかなたを見ます。

 そんな少女に、かなたはもう一度言いました。

「ですから、僕は頭を下げてもらう程の者ではないのです」

「私にはわかりません。

 あなたは王家の者なのに、どうして私はあなたに頭を下げてはいけないのでしょうか」

「確かに、僕は王家の者です」

 少女の、かなたに向けられた真っ直ぐな視線を避けるかの様にかなたは少女に背中を向けます。

「でも、あそこに僕の居場所はありません」

 兄のともしびがかなたを避ける様になってから、かなたの回りの世界は一変しました。

 今までかなたの回りにいた人達がその日を境に誰もいなくなりました。

 かなたの側に来る者はいても、それは事務的に仕事をこなす人ばかりで、彼の話相手になれる人は誰もいませんでした。

「僕はあそこにいない人間かもしれません」

 ひゅう、と風が音を立てて吹いていきます。

 しばらくしてかなたが振り向くと、いつの間にかあの少女の姿がありません。

 いついなくなったのだろう、そう思いながらかなたも剣を手に取り、広場を後にしたのでした。


 その次の日です。

かなたが昨日と同じく倒れた大木の幹に寄りかかって空を見上げていました。

 今日の空は雲ひとつなく、よく晴れています。

 ここに来てからすぐかなたは幹の向こうに行き、昨日の少女を探しました。

 しかし、幹の向こう側に、あの少女の姿はありませんでした。

 風になびく若草色の髪と紫水晶の瞳を思い出しながら、かなたはこうして空を見上げていたのでした。

 どの位そうしていたのでしょうか。

 どこからか音が聞こえてきました。

 ヒュン、ヒュンと何かが規則正しく空を切る音がかなたの後ろ、幹の向こうから聞こえて来ます。

 その音を頼りにかなたは大木をぐるっと回って幹の低くなったところから向こう側へと下り立ちました。

 色とりどりの草花が咲いている広場に、昨日とは違う少女が優雅なしぐさで剣を振っています。

 剣を手にしたその少女の動きは、

 時には優しく、

 時には激しく、

 まるで、少女自身が剣と一体化した様な、そんな錯覚に陥らせます。その少女の姿に、かなたが声もなく見つめていると、その気配に気がついたのでしょうか、少女が剣を下ろし、かなたの方を見ました。

 切れ長の、琥珀色の瞳がかなたを見つめています。

「手合わせをお願い出来るか?」

 その言葉の意味がわからずにかなたが首をかしげていると、もう一度少女は言いました。

「剣を持っているのだろう、ならお手合わせをお願いしたいのだが」

 その、横柄なその態度にかなたがあっけに取られていると、少女は持っていた剣をひとふりして、かなたを睨み付けました。

「持っているその剣はただの飾りか。そうだとしたらその剣に失礼だぞ」

「これは護身用です。僕自身は剣が苦手ですから…」

「なら、なおさらだな。自分自身を守るだけの武器なら持たない方がまだましと言うもの」

 剣を鞘に納めて少女はもう一度かなたを睨み付けます。

「それで、お前はいつまでここにいるつもりだ」

「邪魔でしたら、帰ります」

 自分がここにいるのが彼女の気にさわったのだろうか、そう思いながらかなたがすまなそうに言うと、そんなかなたの気持ちに気づいたのでしょうか、少女が首を横にふります。

「そう言う事ではない。お前がここで私の剣技を見ていた所で私は気にしていない。私が聞きたいのは、この楽園にいつまでいるのか、それを聞きたいのだ」

「楽園…」

 かなたの顔が曇ります。

「僕のいる城が、そう、見えますか」

「違うのか」

 静かな声で少女が言います。

「確かに、そうかもしれません」

素直にかなたが認めました。

「でも、あそこに僕の居場所はありません」

 昨日の少女と同じ言葉をかなたは今目の前にいる少女に言いました。

「僕は、あそこにいない人間かもしれません」

「そうか…」

 少女の視線が、かなたから外れて空へと向けられます。

 かなたも、少女と同様に空を見上げます。

「なら、ここから飛んで行けばいい」

「でも、僕は空を飛べません。だって、背中に翼が生えていないもの」

 少女がきょとん、とした顔でかなたを見つめます。

 そして、次の瞬間。

 ふふっ、と笑いました。

 訳もわからずかなたは笑っている少女を見つめています。

 そんなかなたに、少女は笑いながら言いました。

「早く、自分の立場に気づくんだな」

 そう言い残して少女は琥珀色の髪を翻し、森の中へと消えて行きました。


 森から戻ったかなたを迎えたのは、かなたが帰ってきて欲しいといつも思っている兄、ともしびの姿でした。

 城の入口大ホールで、ともしびは壁にかけられた城の歴代領主の大きな肖像画を眺めていましたが、かなたが大ホールに入ってきたのに気がついて、そこから視線をかなたに向けました。

「急で悪いが、明朝、この城を出て行ってほしい」

 その言葉に、かなたは我が耳を疑いました。

「兄王、今なんて言いましたか?」

 不安そうにしているかなたを冷ややかに見ながら、ともしびはもう一度言いました。

「この城を出ていってほしいと言ったのだ。

 ここから西に行った所に別館がある。お前にはそこに行ってもらうのだ」

「西の別館、ですか…」

 そこならかなたも知っていました。

 西の別館とは、この城から丸一日離れた所にある海のそばの小さな屋敷です。

 そして、そこはかつて王家の者が別荘として使っている場所でした。

「でも、どうしてこんなに急にですか?」

 不安そうな顔でかなたはたずねます。

 そのかなたに、ともしびは冷たく言い放ちました。

「お前を、ここに置けなくなった。それだけだ」

 そのまま、表情のない顔でかなたを見つめます。

「置けない、とはどう言う事ですか」

「言葉通りだ。これ以上お前の面倒はここで見る事ができない。だから別荘へと行ってもらうのだ。

 早く身の回りの物をまとめておくんだな」

 それだけ言うと、かなたに目もくれず、ホールを出ていきました。

 ともしびがいなくなり、静かになったホールで、かなたもまた、そこにいたたまれなくなり、逃げる様にそこを飛び出していきました。


 どこをどう走ったかわかりません。

気がつくと、いつの間にかかなたは森の中にあるあの広場に来ていました。

 そしてそのまま、倒れた大木の幹の前に立ち、そのまま泣き崩れたのでした。


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