戦の準備
夕暮れがあたりを包み込み、一番星が空に瞬き始める頃、四人は森の外へと出てきました。
昨日あれだけ迷った森は何事もなく四人を外へと出してくれました。
森の外を見た事がないこはくにとって森の外はすべてが新鮮に見えるのでしょう、時々立ち止まってはセシアにあれこれとたずねています。
そのセシアもまた、こはくほどではないにしても、あたりの景色を興味深そうに見回しています。
「以前より人が増えたのではないでしょうか」
「すみません、そこのところはよく分からないのです」
別館には数えるほどしか行ったことのないかなたにとっては別館の中すら分からないことばかりです。ましてや、外はなお分からないと言ってもいいでしょう。
「私が外にいた時はそうですね、もう少し家が少なかった気がします。でも、この土地の風は何ひとつとして変わってはいません」
その顔が一瞬、不安げな表情を見せます。
その一瞬をかなたは見逃していませんでした。
「何か気になることでもあるのですか」
かなたがたずねるものの、セシアはただ首を振るばかりです。
「あまりにも漠然としすぎて私にもわからないです」
「気のせい、とは言えないのだろうな」
「だからこそこれを持ってきたんじゃないの」
こはくがおおいばりで背負っているたくさんの反物に目をやります。
「セシアが端整込めて作った物だからね、ありがたく思いなさいよ」
「自身が作った物でもないのになぜそんなに威張れるのだ?」
「セシアが作った物だから私が威張っていいの」
ため息まじりに「わからんな」たつぶやくはやとを前にこはくが胸を張ります。
そんな二人に自然とかなたの口もとがほころびます。
「何だか、わかる気がします」
「ほら、かなたはわかっているじゃない」
同意してくれる人がいたのが余程嬉しかったのでしょうか、こはくがますます鼻を高くして胸を張ります。
程なく、暗くなり始めてシルエットにしか見えなくなった松の木と別館の屋根が見え始めます。同時に、別館に続く門の前に人影があることにかなたは気が付きました。
手にしたカンテラの数とその明かりでその人影はこの別館で働く者たちと見て取れます。
王家の別館とは言え、そこで働く人々はそう多くありません。おそらく、この別館の者たちがほとんどがこの場に出てきているのでしょう。
その中のひとり、執事が代表して前に出て頭を下げます。
「ようこそいらっしゃいました。偉大なる魔法使い様。かなた様はじめ、館の者達一同歓迎いたします」
「偉大ではありませんわ。私はただのしがない魔法使いなのですから」
「しがない、が聞いて呆れます」と、執事が笑います。
その笑みはかなたが見たこともないほど親しさに満ちていました。
その様子から彼がいかに彼女を待っていたのかが見て取れました。
「お部屋はいつでも使えるようにしてあります。まずは荷物をお預かりいたします」
「その前に、図書室へ皆さんを集めてもらえないでしょうか。皆さんにお願いしたい事がありますので」
かなたにも見せたただならない雰囲気を執事にも向けます。
その雰囲気を感じ取った執事が一言、
「かしこまりました」
と、一礼をして近くにいたメイドにうなずきます。
その意味を感じ取ったのでしょうか、メイドかもう一人のメイドを伴ってこはくとはやとを中へと案内してゆきました。
「さあ、かなた様も」
執事がかなたに中に入るよう促します。
「セシアさんは何をお願いするのでしょうか」
かなた自身何も聞かされていません。
不安気な面持ちで執事にたずねるものの、執事もまた、首を振るばかりです。
「私にもわかりかねます。ですが、そう悪い話ではないかと思います」
「そうなのかな」
「話を聞けば分かる事です。とにかく、中に入りましょう」
執事に促されるまま、かなたもこうこうと明かりのともる別館へと入って行きました。
かなたが図書室に入りますと、すでに先に入っていたこはくとはやとの姿が螺旋階段の途中に見えました。そこから視線を下に向けますと、セシアが館の者を前にしてこまごまと指示を出していました。
少し離れたところから見ているせいでしょうか、セシアの声は聞き取れません。しかし、彼女の顔と指示をもらっている館の者達の真剣な表情から、それが大切なことと見て取れました。
重々しい雰囲気の中、ひと通り話し終えたのでしょう、それぞれが一礼をしますと、ある者は図書室の外へ、またある者は階段を上がっていきます。
皆がそれぞれ自分達の持ち場に向かったのを見届けてセシアはかなたの前へと近づいていきます。
「失礼いたします。よろしければ採寸させていただけますか」
「採寸ですか?」
セシアがうなずきます。
「かなた様の服をお作りいたします。そろそろ平和の儀礼も近いことですから礼服はいかがでしょうか」
平和の儀礼と聞いて、城のホールで兄王であるともしびとの会話を思い出したのでしょう、かなたの顔が寂しさと不安の入り混じった表情になります。
そんなかなたをなぐさめるかのように、セシアが微笑みかけます。
「それでは、採寸させていただきます」
巻尺を手に、かなたの後ろに立ちますと、肩幅を測ります。
図書室の空間を通して賑やかな声が上の方から聞こえてきます。こはくの声がよく聞こえているところを見るとどうやら彼女が中心になって話をしているのでしょう。
「楽しそうですね」
楽しそうな笑い声が時々、静かな図書室の中に響きます。
心なしか、その声を聞いているセシアも楽しそうです。
「私たちも、と言いたいところですが、かなた様には大切な話をしないといけません、今しばらく私にお付き合いしていただけないでしょうか」
「大切な話なのですか」
どんな話をするのだろう、そう考えているかなたに、セシアは真面目な顔で答えます。
「この世界に存在することわりです。お尋ねしますが、かなた様は魔法の勉強をなさっていますか」
かなたが首を振ります「いいえ、僕には魔法使いの素質がないと言われました。ですから魔法に関する事はほとんど習っていません」
「それはとても勿体ない事ですわ。かなた様には素晴らしい素質がありますのに」
「でも、魔法使いには向かないと言われました。僕自身もそう思っていましたし」
「それは向かないと言ったほうがかなた様の素質を知らないからだと思いますわ。それも含めてこの私がいろいろお話いたします」
寸法を全て紙の束に書き写し、それを腰のに下げていた皮のポーチにしまいますと、かなたについてくるよう、促します。
彼女について行きますと、そこは先日あの執事がかなたを連れてきた地下へと続く扉の前でした。
かなたの前でセシアが本棚へと手を入れます。
本棚の中でカチッ、と何かが外れる音がしました。
「こちらですわ」
扉を開けてかなたに中に入るよう促します。
「灯りを持ってきましょうか」
「その必要はありませんわ」
そう言いながらもう一度、かなたに中に入るように促します。
大丈夫かな、そう思いながら一歩足を踏み入れると同時にセシアが自らの手に小さな炎の玉を作り、目の前に浮かべます。そして、かなたが中に入ると同時にそれはゆっくりと中へと入っていきました。
そのまま、かなたの前を道案内するかのようにゆっくりとただよっています。
「熱くはありませんので触れても大丈夫です」
輝きを放ちながら漂うその炎の玉は、かなたのそばをただよっているにも関わらず、かなた自身熱さを感じません。
カンテラの灯りより明るいため先日は見えなかった踊り場の間にある階段がよく見えます。しかし、その魔法によって作られた光も天井までは届かないのでしょう、魔法を秘めた石で作られた星空は昨日見たままの姿でそこにありました。
セシアが先に立ち、階段を降り始めます。かなたもまた、その後をついて歩き始めました。
階段を降りながら、かなたが自分のそばに漂う炎の玉を不思議そうに眺めています。
「気になりますか」
そんなかなたに気づいたのでしょうか、かなたの方を向いてセシアがたずねます。
「熱くない炎は見た事がなかったものですから」
「私が一番始めに覚えた魔法です。魔法使いが一番始めに習うのがこれでしたから。でも、かなた様が知らないとなりますと、もしかしたらこの魔法はもう使われていないのでしょうか」
「多分、そうだと思います」
かなたが最初にして最後に教えてもらった魔法、それは対象物を燃やす炎の魔法だった事を思い出していました。
結局、その魔法は何度やっても炎の欠片すら出す事が出来なかったために、魔法の勉強はそれ以降されていなかったのです。
「炎を出す魔法は初歩なのでしょうか」
「魔法と言いましても、その種類は千差万別です。この魔法が使えなくても他に使える魔法があればそれがその人にとって「初歩の魔法」となる事もあるのですから」
地下に降り立ち、青白い炎のそばにある扉を開きますと、セシアが扉を押さえてかなたを中に招き入れます。
かなたが中に入りますと、セシアはその扉をゆっくりと閉めました。
「では始めましょう。その前にかなた様にお尋ねしますが、魔法の基礎となる元素はいくつありますか」
「四つ、いえ、六つですか」
そう言いながらかなたは頭の中でその元素を思い出します。
赤を象徴とした「炎」
青を象徴とした「水」
黄を象徴とした「地」
緑を象徴とした「風」
紫を象徴とした「光」
橙を象徴とした「闇」
思い浮かんだことをそのままセシアに伝えます。
かなたの答えにセシアは嬉しそうにうなずきました。
「光と闇をご存じとはさすがです。この二つの元素は使い方が未知数なうえにそれ自体も見つかっていませんから知識すら知らない方がほとんどなのです」
「僕も同じです」
かなたも正直に答えます「つい最近まで知らなかったのですから」
「光と闇の元素は使う人を選びます。ですからこれを魔法にすることはおろか、その元素を見つける人はそういないでしょう」
そう言いながらセシアは近くの本棚に歩み寄りますと本を数冊取り出し、その奥からさらに二冊の本を取り出します。
どうやらそこは隠し本棚になっていて、そこにも本を入れているようです。
それまで立ちっぱなしだったかなたも手近な椅子に座りました。
「これらの元素をもとに魔法は作られます。その作り方は様々で、元素を秘めた物質を媒介としたり、あるいは元素を人の姿にしてそこから魔法を行使したりなどあります。そこまではわかりますか」
かなたがうなずきます。
「では、本題に入りましょう。
魔法の元素は六つあると先程言いましたがもし、これが七つあるとしましたらその最後のひとつは何だと思いますか」
突然のこの問いにかなたはとまどいます。
無理もありません、自分が考えもしなかったことをセシアは聞いてきたのですから。
同時に、これは大切なことなのかもしれない、とかなたは思い始めていました。
「七つ目、と言われましても皆目見当がつきません」
「もちろん、急にそう言われてもわからないと思いますので、 助言を。
その元素はすべてに関わっていて、すべてに関わっていないと言えばわかるでしょうか」
セシアが微笑みかけます。
セシアから助言をもらったものの、かなた自身ますますとまどうばかりです。
「さらにわからなくなりました。でも、すべてに関わっていてすべてに関わっていない、そんな元素があるのでしょうか」
「象徴となる色がそれを物語っています。すべてに関わっていてすべてに関わっていない色は何だと思いますか」
「元素で考えるより、色で考えた方がいいと言うことですね」
セシアがうなずきます。
セシアの顔を少しの間うかがっていたかなたでしたが、視線を彼女の前の本に目を移した時でした。
「白と、黒ですか」
セシアが机の上に置いた二冊の本はそれぞれが白い布、黒い布で装丁されています。
両方とも題名は書かれていません。
「どうしてそう思われたのですか」
「その本を見たからです。すべての色を合わせれば黒になりますし、どの色を合わせなければそれは白になります。どうでしょうか」
不安そうな顔でセシアを見つめます。そんなかなたにセシアは微笑みかけました。
「その通りです。でもどうしてこの二色だと思われたのでしょう。どちらか一色だとは思わなかったのですか」
「そうなのですか?」
さらに不安そうな顔でかなたが答えます。
「そんなに不安そう顔をなさらないでください、かなた様。別に責めている訳ではありませんから。でもこれでかなた様の魔法に対する知識がわかった気がします。そして、これは私にとってむしろ好都合なのかもしれません」
そう言うとかなたの前にその二冊の本を差し出します。
「手に取ってご覧ください」
言われるままかなたは恐る恐るその黒い表紙の本を手に取りページをめくります。それから白い表紙の本をもう一度手に取り読み返します。
「どちらも同じ内容なのですか?」
「その通りです」と、セシアが頷きます。
黒い表紙の本を開いたままかなたはそばに置かれている白い表紙の本をながめます。
「どうして同じ内容の本が二冊あるのでしょう。同じ内容の本なら同じ表紙でいいと思います」
「読んでいけばわかると思います。まずはその本の内容を私と共に学んでいきましょう。そうですね、明日からでいかがでしょう」
「今日ではないのですか」
「私の準備がございますので。かなた様がどこまで魔法に精通しているかそれを確認したかったのです」
「これだけでわかるのですか」
かなたが話した事と言えば元素に関することと七つ目の元素があるか、それだけです。
かなたがこう言うのも無理ないことでした。
「だいたいわかります。明日から楽しみですわ」
意味ありげな笑顔を浮かべてセシアが答えます。
「それからかなた様、私のことはセシアと呼んでいただいて構いません。かなた様は私より位が上なのですから」
「セシアさんは僕の客人です。ですから今は僕より位が上ですよ」
「あら、私は参謀だと思っていましたわ」
そう真面目に言うセシアにかなたは返す言葉もありません。
そんなかなたを尻目にセシアは扉を開けてかなたに外に出るように促します。
「その本はお持ちください。かなた様には目を通していただきたいものですから」
「わかりました」
二冊の本を大事に抱えてかなたはセシアとともに部屋を後にしました。
その次の日からセシアとの授業が始まりました。
セシアとの授業はその日にもよりますが、主に図書室で本二冊を手に勉強をしています。
その図書室は数人の使用人が出たり入ったりを繰り返していますがそれでもこの図書室という場所からでしょうか、それとも本棚の本達の持つ雰囲気からでしょうか図書室全体の静けさをかき乱すにはいたっていません。
城で家庭教師と一対一でする静けさとはまた違ったものをかなたは感じ取っていました。
授業の内容も多岐にわたります。
ただひとつ、かなたには気になることがありました。
「魔法の実践はやらないのでしょうか」
図書室での休憩中、飲み物の入ったマグカップを両手に抱えながらかなたはたずねます。
午後の日差しは図書室の中まで届かないまでもその日差し特有の気だるさはこの図書室の中に漂っています。そのせいでしょうか、図書室の上の方から聞こえて来るはずの物音が聞こえてきません。
「今のかなた様には不要です」
かなたの隣で同様にマグカップを持ったセシアが答えます。
「もちろん、実践も大切ですが、かなた様には他に覚えてもらうことがたくさんあります。今はそちらを重視してください」
静かな、しかし有無を言わせぬその物言いにかなたが何も言えずにいると、その様子を見て気を悪くしたと思ったセシアが頭を下げます。
「申し訳ございません、お気を悪くなされましたか」
「いえ、気になさらないで下さい。僕もただ聞いただけですから」
かなた自身もセシアが気を悪くしたと思ったのでしょう、慌てて首を振ります。
「ここで勉強していたら本当にどんな魔法でも使えるような気がしていたものですから」
白と黒の表紙の違いや内容のいくらかの違いはあるものの、この二冊の本には魔法に関する基本中の基本である元素に関することがこと細かに書かれてあります。かなたも城で魔法の勉強はしていたもののここまで詳しくは書かれていませんでした。
「どんな魔法も使えるように教えていますから。元素の持つ意味がわかればおのずと使える魔法もわかってきますわ」
確かに、とかなたはうなずきます。
同時に、セシアが言っていた七つ目の元素の意味もおぼろげながら分かり始めていました。
かなた自身、魔法使いに向かないと言われながらもそれでも諦めきれずに魔法に関する本を読み漁っていた時期がありました。
魔法に関する元素を知ったのももそう言った本からです。ただ、元素に関する事やその元素を元にどう言った魔法が出来るかと言った事は大まかには書かれていましたが、この二冊の本のように二つ以上の元素を合わせた魔法の事は書かれていませんでした。
セシアの授業を始めた頃はこんな魔法の使い方もあるのだとただただ驚くばかりだったかなたでしたがいろいろと学んでいくうちに二つ以上の元素を合わせる何かがあるのでは、そしてその合わせる何かが七つ目の元素に関係しているのではないか、そう考えていました。
それをセシアに話しますと、
「まさにその通りです」
と、嬉しそうにうなずくのでした。
「魔法の実践はいずれいたしましょう。それで、七つ目の元素はもうお分かりなになりましたか」
「まだまだです」とかなたが首を振ります。
「元素から作られる魔法の種類が分かり始めたばかりなのですから」
「「平和の儀礼」が近いとは言え、まだ時間はあります。それまでに出来る事はいたしましょう」
気だるい空気をかき乱すように上の踊り場から賑やかな声が聞こえてきます。どうやら休憩を終えたメイド達が各々自分の仕事を始めたのでしょう。その動きを感じたセシアがカップをテーブルの脇によせます。
「私達も行きましょうか」
かなたもうなずき、立ち上がりました。




