味方
人数分のカップに白いティーコゼーを乗せたトレイとカンテラを手に執事が地下の部屋に戻りますと、本を読み終えたのでしょう、かなたが何の文字も書かれていない白いページをめくっていました。
執事が入って来たのを見て、かなたがその本を閉じます。
「明日、もう一度セシアさんに会って来ます。会ってここに来て頂こうかと思うのですが、いかかでしょうか」
かなたの瞳に、決意の色がうかがえます。
「本当によろしいのですか」
「はい。先程お借りしたこの本によると、セシアさんの名誉を汚したのは我が王家一族です。ですから、その名誉を快復するのもまた、王家の役目です。僕がどこまで出来るかわかりませんが、少なくとも彼女を僕の客人として迎え入れたいのです」
「私が言うことではございませんが、かなた様がこれからなさることは王家一族の方々にご迷惑をかけることかもしれません。もしかしたらこの国に災いをもたらすかもしれません、それでもよろしいのですか」
「そうかもしれませんが、同じ災いが起きるのであれば頼れる者がいたほうがよいのではないのでしょうか」
執事が持っていたトレイを音も立てずにテーブルに置くとティーコゼーを外します。
そこには、白いティーポットが置いてありました。
「かなた様は本当に物事を素直に見ていらっしゃる」
ポットを持ち上げてカップに紅茶を注ぐとかなたのそばにカップを置きます。
紅茶の優しい香りが部屋中に漂います。
「私はいつでもあのお方を迎え入れる用意は出来ております。あとはかなた様があのお方をこちらに連れて来ていただければよろしいかと」
かなたがうなずきます。
「あらためて、一族を代表して私からお願いいたします」
執事が頭を下げます。
「我が一族はもともとあのお方にお使いしていました。あのお方が森に追放になりました時に、何世代かかってもいい、この館にあのお方をもう一度迎え入れるのが我が一族の願いでした。ですからかなた様、是非ともあのお方をこちらに連れて来て下さい」
それから、手を胸に当ててかなたをまっすぐに見つめます。
「私や、この館の者達も災いを受ける覚悟は出来ております。ですから、かなた様のお好きにおやり下さい」
ようやっとここの人達に認められた。
執事の嬉しそうな顔を見ながらそうかなたは感じていました。
その次の日の午後、緋色の瞳の狼を先頭に森の中を歩いているかなた達の姿がありました。
本当ならば早いうちに行きたがっていたかなたでしたが、地下の部屋で資料をあさっているうちに結局そこで夜を明かしてしまい、昨日歩き回っていた疲れも重なったのでしょうか、朝食のパンを手にうとうととしてしまったのです。
「少し眠ってから行かれてはいかがでしょう」
心配した執事が午後に行くことをすすめたため、かなたもそれを受け入れてこの時間となったわけです。
午後の日差しが背の高い森の木々の間からさんさんと降り注ぎます。その景色が昨日とはまた違った森の一面を見せていました。
そんなのどかな景色の中を緋色の瞳を光らせて歩いている狼を先頭にかなたと、手にアップルパイを入れたバスケットを持ったはやとが続きます。
鳥の鳴き声すらしない静寂の中、かなた達の落ち葉をさくさくと踏む音だけが響いています。
道中、歩きながらかなたは考えていました。
はたして、自分のしていることは正しいのだろうか。
自分ひとりで決めても良かったのだろうか。
そんな思いが頭の中をぐるぐると回っています。
「どうも元気がないようだが、かなたよ、何か気になることでもあるのか」
かなたのそんな気持ちを感じたのか、はやとがたずねます。
歩きながらかなたが振り向き、うなずきました。
「正直、本当にこれでいいのかまだ迷っているのです。今になってこんな大それた事をしてよかったのかなって」
「だが、かなたはそうしたかったのだろう?」
はやとの問いに、前を向いてかなたはうなずきます。
その背中に、はやとは話しかけます。
「我はかなたのする事について行くまで。それに、かなた自身のしている事が間違っていた事だとわかったらそれを正す手伝いをするのもまた、我の役目だと思っておる。
どちらにしても、かなたの後悔のないようにする事だ」
はやとに背を向けたまま、かなたはこっくりとうなずきました。
それからは何一つ話す事もなく歩いて行くうちに、昨日見た小屋へとたどり着きました。
小屋の前には、こはくが立っています。
「よく来たね」
その雰囲気が昨日と違うのにかなたは気がつきました。
かなたがそう思うのも無理はありません。何故なら、彼女は質素ながらも皮の鎧を身にまとい、腰の左側にこれまた飾り気のない剣を帯びていたからです。
まるで、今にも戦いに赴いていく、そんな雰囲気を醸し出していました。
「迎えに来たんだろう、セシアが中で待っている」
険しい顔で小屋を見ます。
「どうする、行くか?」
「行きます」
緊張の面持ちでかなたがうなずきます。
我も、と続こうとしたはやとをこはくが押しとどめました。
「はやとはここで私と待っててほしい」
「一緒ではいけないのか」
「用のない者が行っても仕方ないでしょうに」
「つまり、我は用なしと言う事かな」
「すまない、としか言えないのだけどね」
やれやれ、とため息まじりに肩をすくめますと、かなたにうなずきます。
「我としてはかなたと一緒にいたいところなのだが、そう言う事なら致し方あるまいと言うもの」
「過保護すぎるのも考えものだと思うぞ」
苦笑いしながらこはくがはやとを横目で見ています。
「大丈夫です。ひとりで行ってきます」
なおも心配そうにしているはやとにうなずくと、かなたはひとりで小屋の中に入っていきました。
小屋の中に入ってはみたものの、中には誰もいません。
中で待っている、そう言われていただけに、少し拍子抜けしたかなたでしたが、それでもしばらく待っていますと、扉のない入口からセシアが出てきました。
その手に、反物を抱えています。
反物を手に、かなたの姿を見たセシアが微笑みかけます。
「申し訳ありません、少し席を外していました」
「いえ、大丈夫です」
ここに来るまでにセシアに話す内容を考えていたかなたでしたが、実際彼女を目の前にして緊張したのでしょうか、言葉が出ません。
「あの……、その……、何と言えばいいのか……」
緊張のため、固まってしまったかなたを前に、セシアはただ黙ってかなたを見ています。
「その……、何と言えばいいのか……」
セシアの前でしどろもどろしていたかなたでしたが、そうしているうちに落ち着いてきたのでしょう、ゆっくりと話し始めました。
「地下でセシアさんが書いた物を読みました。書いてある事は僕自身全部は理解できませんでしたけど、でも、セシアさんがこの国のためにいろいろとしてくれた事はわかりました」
話しているうちに、考えがまとまったのでしょう、かなたの言葉に力が入ります。
「本当は僕ひとりでこんな事を決めるのはいけないのかもしれません。でも、僕自身はセシアさんを僕の客人として迎えいれたいのです」
しばらくの沈黙が部屋の中を漂います。
その沈黙を破ったのはセシアでした。
「でも私をここから出してしまったら大変な事になるかもしれません。王子様、あなたにその災いを背負う覚悟はできていますか」
「ある、とは言えません」
自信なさげにかなたがうなずきます。
「正直、なってみないとわからないと言うのが本音です。でも、セシアさんの書かれた書物はそうですね、未来を見せてくれているというのでしょうか、どんな災いも乗り越えて行けそうなそんな気がするのです」
そう言い切ってからセシアの様子をうかがいます。
目の前にいるセシアは物静かな眼差しでかなたを見ています。一瞬、その瞳の中に何かが見えたのは気のせいでしょうか。
「ひとつ、おうかがいしてもよろしいでしょうか」
かなたが黙ってうなずきます。
「どうして、私を迎えに来たのですか」
一瞬、何を聞かれたのかわからなかったかなたでしたが、もしかしたら一番大事な事を言っていなかったのではないかと気がつきました。
「僕がそうしたかったからです」
「それだけですか」
「理由はいろいろありますけど、大きな理由はやはりセシアさんの書かれた物を見たからです。あれだけこの国のために貢献しているのに、たったひとつの間違いであなたをこの場所へと追いやってしまった、そして、セシアさんの存在そのものを封印してしまった。僕が「時の少女」の事をよく知らないのがその証拠です」
国に関する歴史はかなた専属の家庭教師から学んだり城にある資料を見ながら勉強しています。
そこでは「時の少女」を、
「先の事を見透し、それによって国に災いをもたらす者」
と、伝えられていました。
それ以上は何も聞かされず、資料にもなかったのです。
「その、たったひとつの間違いだって、この国のためにしてくれた事なのでしょう?」
かなたの問いに、セシアは何も答えようとしません。
ただ、一言だけ、
「いずれ、お話いたします」
そう、つぶやくだけでした。
「では、用意もできましたことですし、参りましょうか」
きょとんとしているかなたを前に、セシアがにっこりと微笑みます。
「参ります、とは」
「私を迎えに来たのでしょう。かなた様の気持ちは無下にできませんから」
「ありがとうございます」
かなたが頭を下げます。
「正直、断られるかと思いました。セシアさんはあまり外に出たがっていなかったものですから」
「以前の私でしたらそうでしょう。しかし、今は違います」
持っていた反物をテーブルの上に置いて椅子の上に畳んでありました防寒マントを手に取ります。
それから、かなたの方に身体を向けました。
自然と二人、向き合う形になります。
「時が動き始めます。かなた様、これから先、どんな事が起こるかは私の口からは言えません。けどかなた様、あなた様はひとりではありません。ですから、かなた様が思うままの道を進んでほしいのです」
それから、もう一度反物を手にすると、一礼をしてセシアは部屋の外へと出て行きました。
セシアから少し遅れてかなたが小屋を出ますと、はやととこはくが二人、切り株を前にして何かを食べています。
テーブル代わりの切り株の上には、はやとが持ってきていたアップルパイが置かれてありました。
別館のシェフがかな小屋の住人のために大切に作ったであろうホールのパイはすでに半分以上たなくなっています。
「遅かったから先に食べちゃった」
先に食べたことを悪びれずにこはくが言います。
「こんなに美味いお菓子は初めてかも」
「確かに、思ったほど甘くなくて食べやすいな」
手にしていた一切れを口に頬張りながらはやとが同意しています。
そんな二人を楽しそうにセシアが見守っています。
「私達も入りましょうか」
早くしないとなくなってしまいますよ、と微笑むセシアにかなたは頷いて切り株の前に座りました。
切り株の前に座り込んだセシアに入れ替わりにこはくがお茶を入れるために立ち上がります。同時にはやとが残りのアップルパイを二人の前に切り分けました。
かなたとセシアが同時にアップルパイを口に入れます。
ほんのりと甘酸っぱいりんごの味が口いっぱいに広がります。同時にあの別館でアップルパイを食べたことがなかったのに気が付きました。
「懐かしい味ですわ」
食べかけのアップルパイを眺めながらセシアがポツリとつぶやきます。
「食べたことがあるのですか」
「このアップルパイに関しては「いいえ」ですわ。でも、わたしはこの味を知っています」
愛おしそうに眺めては一口、また一口と大切に口にいれています。
セシアとかなたが食べている間に、こはくとはやとが立ち上がり、小屋へと入っていきます。
しばらくして、それぞれ荷物を持って出てきました。
「大切な物だから、落とさないでね」
背負えるように作られたかごには色とりどりの反物が頭を出しています。どちらも色の違いこそあれ、あふれんばかりの反物が入っていました。
「申し訳ございません、かなた様には事後報告になってしまいましたが、こちらの物を持ち込む事を許可してもらえないでしょうか」
「断る理由は僕にはありません。しかし、こんなにたくさんの反物を何に使われるのですか」
「必要になるかと思いまして。本当ならば、これはいらないものであってほしかったのですが、そうも言っていられなくなりました」
これからが大変ですわ、と真面目な顔でセシアが答えます。
そのただならない雰囲気に自然とかなたが不安そうな顔をします。
「今更そんな顔をしてどうするのか」
そんなかなたの不安を吹き飛ばそうとはやとが笑います。
「我はとうに覚悟は出来ておる故、何が来ても動じぬぞ」
「素敵なことですわ。そして、とても大切なことです」
セシアもまた、そんなはやとに微笑みかけます。
二人を見てかなたは改めて自分のしていることがどう言った意味を持つのかおぼろげながら見えてきた、そんな気がしていました。
しかし、現実はそれ以上のものだとは、かなた自身まだ気がついていなかったのです。




