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第46話 第十七次茶会作戦


王宮の西の棟に、侍女長の執務室があった。

窓の大きな、明るい部屋だった。秋の初めの陽射しが、磨き上げられた床に、まっすぐ落ちていた。

その部屋の中央の大きな机の上に、一枚の紙が広げられていた。

紙というより、図面だった。

王宮の小広間の、見取り図。卓の位置。椅子の位置。窓の位置。扉の位置。

その上に、小さな駒がいくつも並べられていた。

白い駒が、十二個。蒼い駒が、一個。それから、焦げ茶色の駒が、一個。

駒と駒のあいだに、細い線が引かれていた。矢印。点線。数字。

軍略図だった。

図面の一番上に、几帳面な字で、表題が書いてあった。


『第十七次茶会作戦』


侍女長のグレタは、図面の前に立っていた。

五十歳。白いものの混じった髪を、一分の隙もなく結い上げている。背筋は、定規を当てたようにまっすぐだった。

その周りに、侍女たちが並んでいた。

十二人。

全員が、若く、美しく、そして真剣な顔をしていた。


「では、作戦の概要を説明します」


グレタは、指示棒を手に取った。


「目標は、二つ。第一に、フェンネル卿を王家の茶会に迎え、王家との縁を深めること。第二に」


指示棒が、蒼い駒を指した。


「姫様を、出席させること」


侍女たちが、頷いた。

全員が、その二つ目の目標の難しさを、知っていた。


グレタは、壁際の書架から、分厚い綴りを取り出した。


『茶会作戦記録』


表紙に、そう書いてあった。

彼女は、それを開いた。


「第一次。初夏、小庭園。フェンネル卿と準男爵夫人をお迎え。姫様、体調不良にてご欠席」


頁をめくる。


「第二次。初夏、東の庭。フェンネル卿のご都合により、準男爵夫人のみ。姫様、ご欠席」


「第三次。夏、温室。姫様、公務の重複にてご欠席」


「第四次。第五次。第六次」


グレタは、淡々と読み上げていった。

場所は、毎回違った。招いた客も、少しずつ違った。

結果は、毎回同じだった。


『姫様、ご欠席』


「第十六次。晩夏、北の露台。フェンネル卿は遠征中のため、ご不在。姫様、ご欠席」


グレタは、綴りを閉じた。


「十六回。すべて、失敗です」


執務室が、静まり返った。


「理由は、明白です」


グレタは、指示棒で図面を叩いた。


「これまでの茶会は、すべて、私的な茶会でした。王家の、ささやかな集まり。出席は、義務ではない。ですから、姫様は、体調を理由に、公務を理由に、いつでも欠席できた」

侍女たちが、顔を見合わせた。


「今回は、違います」


グレタは、机の上の書状を取り上げた。

王家の紋章の封蝋。女王陛下の、直筆の署名。


「凱旋の英雄を、王家が正式に労う。ネーベルフルトの夢魔討伐の功労者を、王家の名において招く。これは、公の茶会です」


グレタの目が、光った。


「公の茶会に、王家の第一王女が欠席することは、許されません」


侍女たちの間に、静かなどよめきが走った。


「ようやく、大義名分ができたのです」


グレタは、図面の上の駒を動かし始めた。


「卓は、円卓。上座に、女王陛下。その右に、姫様」


蒼い駒が、置かれた。


「姫様の、向かいに」


焦げ茶色の駒が、置かれた。


「フェンネル卿」


「向かい、ですか」


侍女の一人が、手を挙げた。


「隣の方が、よろしいのでは」


「隣にすれば、姫様は、椅子を少しずつずらされます」


グレタは、即答した。


「第九次の記録を見なさい。隣の席を用意したところ、姫様は、ご到着前に、ご自分の椅子を、隣の席から一尺離して置き直させました。……ご欠席でしたが」


侍女たちが、黙った。


「向かいなら、ずらしても、正面は変わりません」


グレタは、白い駒を、円卓の周りに並べていった。


「侍女は、六名を給仕に。残る六名は、フェンネル卿の両脇と、背後に。誘いの作法を、全力で」


「全力で」


「全力で、です」


グレタは、指示棒で、焦げ茶色の駒の周りに、ぐるりと円を描いた。


「フェンネル卿は、作法がよく効く方だと、王家の情報網で確認しております。……ただし、一つだけ、留意を」


「何でしょうか」


「姫様の前では、決して、姫様を差し置いて、フェンネル卿に迫りすぎないこと」


グレタは、図面を見下ろした。


「あくまで、姫様と、フェンネル卿のための茶会です。私たちは、その場を、温めるだけ」


その日の午後。

フェンネル家の玄関に、王宮の使いが現れた。

蒼い封蝋の書状を、恭しく差し出した。

母のマルタが、それを受け取って、封を切った。

読み上げる。


「ネーベルフルトにおける夢魔討伐の功を労い、アズール王家の名において、アルト・フェンネル殿を、王宮の茶会に招く」


母の声が、途中から震えていた。


「女王陛下、ならびに、第一王女殿下、ご臨席」


居間が、静まり返った。

それから、爆発した。


「王家の!」「女王陛下と!」「第一王女殿下!」


エルゼが、立ち上がった。ヘルガが、揚げ菓子の袋を放り投げた。

母は、書状を胸に抱いて、長椅子に崩れ落ちた。


「アルト……あなた、王家に……」


「母上、落ち着いてください」


「落ち着いていられますか!」


母は、書状を握りしめたまま、ぽろぽろと涙を流していた。


「天賦の儀の日、あんなに嘆いたのに。測定不能で、下限が算定できなくて、どうなることかと思ったのに。それが、王家の、茶会に」


「……母上」


「優しい奥さん一人と、穏やかに暮らしてほしかったのに」


母は、泣きながら笑っていた。


「それが、王家だなんて」


エルゼが、母の背中をさすっていた。

ヘルガは、揚げ菓子の袋を拾いながら、アルトの顔をじっと見ていた。


「ねえアルト。王女様って、どんな人?」


「……分かりません」


「会ったことあるんでしょ。叙任式とかで」


「見たことは、あります。でも」


アルトは、少しだけ言葉を探した。


「……分からない人です」


居間の隅で、父のハインツが、懐から小瓶を出していた。

包み紙にくるまれた、中身の見えない小瓶。

一本。

封を切って、飲み干した。

それから、もう一本出した。

朝の三本とは、別に。

父は、黙ってそれも飲み干した。

アルトは、それを見ていた。


(父上、今日、何本目なんだろう)



その夜。

神殿の小鑑定室で、セラフィナが言った。


「王家の、茶会ですか」


彼女は、記録簿から顔を上げていた。

空色の目が、まっすぐにアルトを見ていた。


「断れませんね。王家の、公のお招きでは」


「……はい」


セラフィナは、記録簿を閉じた。

それから、胸の前の鎖を、そっと握った。

六本だった。

遠征から戻って、また一本、増えていた。


「フェンネル様」


「はい」


「第一王女殿下のこと、どれほどご存じですか」


アルトは、少し考えた。


「叙任式で、一度。それから、大通りで、馬車の窓越しに一度。……凱旋の式典で、もう一度」


「三度」


「はい」


セラフィナは、しばらく黙っていた。

鎖を、握ったまま。


「……私も、一度だけ、お見かけしたことがあります」


彼女は、小さく言った。


「大神殿の、新年の祈りの儀で。王家の皆さまが、ご参列なさったとき」


「どんな、方でしたか」


セラフィナは、すぐには答えなかった。

燭台の灯りが、彼女の六本の鎖に映っていた。


「……鎖を、つけていらっしゃらないのに」


彼女は、ゆっくりと言った。


「鎖をつけているように、見えました」


アルトは、黙っていた。


「お気をつけください」


セラフィナは、穏やかに微笑んだ。

いつもの、柔らかい微笑みだった。

ただ、目だけが、笑っていなかった。


「……同じ匂いが、いたしますので」


(同じ、匂い)


(セラフィナと、同じ?)


(……王女……あの、見えない人)


王宮の東の棟。

その一番奥の部屋。

厚い帳で閉ざされた、花のない部屋。

王女は、鏡の前に立っていた。

侍女が二人、その背後に控えていた。

一人が、腕に、ドレスを掛けていた。

秋の茶会のための、新しいドレス。深い蒼の、上質な絹。首元から手首まで、足首まで覆う、王女のための仕立て。

晩夏の凱旋の式典で着たものより、生地が厚かった。


「姫様。明日の、茶会のお召し物です」


侍女が、ドレスを差し出した。

王女は、鏡の中の自分を見ていた。

詰まった襟。長い袖。白い手袋。首筋を隠すように下ろした、蒼い髪。

銀灰色の目が、鏡の中の自分を、静かに見つめていた。

それから、王女は言った。


「もう一枚」


侍女が、目を瞬いた。


「……姫様?」


王女は、鏡から目を離さなかった。


「もう一枚、重ねて」




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