「さらば恋人」に思うこと
夏の終わりに友人に勧められて見た音楽番組で、懐かしい昭和歌謡がいくつか歌われていた。堺正章さんが歌って大ヒットした「さらば恋人」も若い実力派の歌手達が今風のアレンジでうたっていた。
子どもの頃は、何も考えずに聴いてなんとなくセンチメンタルな気分になって、何度も歌っていた曲だけれど、歌手の歌声に聞きほれながら、歌詞をじっくり聞いていたら、途中から ん?と思った。
「さよならと書いた手紙テーブルの上に置い」て、恋人の「眠る顔見て黙って外に飛び出し」ていった彼氏が歌う歌。
「悪いのは僕のほうさ、君じゃない」と歌う。
その歌詞を聞いて、“あったりまえじゃー! その上、とんでもないヘタレな卑怯モンじゃー!”と叫びたくなった。
一緒に寝る仲のくせに、なぜ彼女にちゃんと説明しないのか。
泣かれるのも詰られるのも困るからだろう。うまく説明できる自信も無いから。それが辛いから。
もしかして、彼女がついていきたいと言い出したら面倒くさいから?・・・だとしたら、
・・・ ふ ざ け る な !
都会に憧れるのも、可能性に賭けてみたいのも、若いうちにはあることだと思う。
あの時代なら、”いつか故郷に錦を飾る”と願うこともあったかもしれない。
その決意の表れが「ふるさとへ帰る地図は涙の海に捨ててい」くことなのかもしれない。
それなら「必ず帰って来るよ」とか「胸でさけ」んいるんじゃない。ふるさとに帰る地図は捨てていくくせに。
「必ず帰る」だと?
いつだ。
いつ帰るんだ。
ちゃんと1人で帰るのか?
新しい未来に出会う彼女と一緒なんじゃないのか?
別れるなとは言わない。
ふるさとを出ていくなとも言わない。
だけど、ケジメはキチンとつけなさい。
カッコつけてばかりいないで。
逃げていないで。
若い娘の花の盛りは短いのだ。
ちゃんと泣かれて、詰られて。キミも辛い思いをしろ!
彼女を泣かせた負い目をきちんと背負え。
彼女の思いから逃げるな。
全部受け止めて、償えるものがあるなら、ちゃんと償え。
いつも幸せすぎたのは、ただでいろいろしてもらえた君だけでしょ。今となっては。
彼女はもう、何も知らなかった頃の夢見る無垢な乙女には二度と戻れない。
ただ、捨てられた女という事実しか残らないのだから。
ちゃんと向き合わずに勝手に飛び出してしまうなら。
全部キミが悪い。
最後の最後まで、あんたが悪い。
それを考えようともせずに、歌ってなんとなく済ませてしまおうとするその無責任さが、ほんとうに情けないと思う。
そんなわけで、子どもの頃この歌がけっこう好きでよく口ずさんでいた私は、大分いい大人になってしまった今、この歌がちょっとキライになってしまった。
大好きな歌手が歌ってくれた懐メロでほっこりしていたはずなのに、こんなことを考え始めたらちょっとやり切れない気持ちになって、こんな文を書かずにはいられなくなってしまった。
時は流れ、時代も変わりゆき、子供は大人になり年をとり、考えも変わっていくのだとあらためて思う。
さらに年をとって、あの世に旅立つ頃になってこの曲を聞いたとき、いったいどんなことを思っているのだろうか。少し何かは悟っているのかなあ・・・。
我ながら、謎である。
今の私はまだまだちょっと血の気が多いのかもしれない。




