時計
カチ。
カチ。
カチ。
カチ。
音がする。
冷たく硬質な音がする。
冷たく無機質な時計の音がする。
部屋の何処にもない筈の時計の音がする。
でもこれは懐かしい懐中時計の音だ。
だけど此の時計の音では無い筈だ。
何故ならこの音は、以前住んでいた家に置いていたアンティークの懐中時計と同じだからだ。
結婚記念日に買ったあの懐中時計の音だ。
福島震災で家ごと無くなった懐中時計の音なのだ。
だが音だけが今でも聞こえる。
無くなった筈の古い懐中時計の音が。
その日からずーと聞こえる。
耳を澄ませば⋯⋯。
だが……。
カチ。
カチ。
プツン。
音が消えると同時に意識が消えた。
「お父さん、死なないでええええっ!」
消えゆく意識の中で息子の声が最後に聞こえた。
深夜の事だ。
実家で最後の肉親だった父が死んだ。
2026年7月11日。
享年87歳だ。
身内はもういない。
母を含む親戚も全員死んだ。
2011年3月11日の福島震災で私と父以外全員死んだ。
引越しした先で体調を崩しがちだった父。
暫くして病に伏せることが多くなった。
それから通院生活が始まり寝たきりになり先日死んだ。
安らかな死に顔だった。
今日がその御通夜だ。
今、この時間は棺の中の父と僕二人だけだ。
黒ずくめの来訪者の姿はない。
既に全員帰宅した。
来訪者が残した焼香の匂いが部屋に充満している。
お通夜の夜。
残された僕は、遺体に寄り添い「寝ずの番」をしなければならない。
故人が死出の旅において、迷わずに極楽浄土へ行けるよう線香やろうそくの火を絶やさないようにしなければいけないのだ。
残された家族が故人と最後の夜を一緒に過ごす大切な慣習だ。
安全面や体調を考えるなら誰かと交代した方が良いんだが……。
身内も親類も居ないの僕には誰にも頼めない。
近所の人間に頼むのも筋が違うから仕方ない事だ。
一人でやるしかない。
今は、長時間燃焼する線香や、ろうそく型の電池式ライトが有るから何とか1人でもこなせるだろう。
普段着に着替え終えた僕は寝ずの番に入った。
カチ。
カチ。
カチ。
音だ。
時計の音が聞こえる。
聞いた事のない時計の音が。
だが時計の音にしては大きすぎる。
生活音が無いからだろうか?
時計の音が大きく聞こえる。
カチ。
カチ。
カチ。
時計の音が鳴り響く。
音が大きいきがする。
最近の時計はこんなに音が大きかったかな?
カチ。
カチ。
カチ。
時計の音が聞こえる。
その時だ。
来訪者がきた。
黒づくめの来訪者達が。
先程までの、僕と父と関係性のある来訪者達ではない。
これは別の種類の来訪者だと直感した。
音もなく敷地内に立ち入り。
無断でこの部屋に入り込んできた。
僕は泥棒かと思い声を上げようとした。
「……」
声が出ない。
いや。
それどころか全身が動かない。
何故か。
顔が分からない。
何人かが此方を向いてるはずなのに顔が見えない。
黒い蒸気のような霧が黒い来訪者達の顔を覆ってるせいだ。
黒づくめの来訪者は父の棺に近づく。
止める間もなく棺を開けた。
黒ずくめの来訪者達の一人が棺の中の父に手を伸ばす。
そして何処からか見覚えの無い懐中時計を取り出した。
棺に入れた覚えのない無い懐中時計を。
『2026年7月11日享年87歳です』
『寿命通りだな』
海中時計を覗いていた黒ずくめの来訪者が他の者に報告する。
それを聞いた別の黒ずくめの来訪者が頷く。
『起きろ』
その時だ、
死んだ父が起き上がったのは。
生きていた……のではない。
バネ仕掛けの玩具の様に起き上がった。
まるで起上がりこぶしだ。
いや此れは起き上がったというべきなのか?
おかしい。
いや。
これは明らかに異常だ。
その立ち上がった父の様相は⋯⋯。
土気色の肌に、腐った血の詰まったどす黒い血管が浮かぶ。
死後硬直が解けたような異常な動き。
そして防腐処理特有の匂いが僕の鼻腔に漂い。
「コールタール」や「クレオソート油」などの防腐・防虫成分独特の匂いが充満する。
ギシギシと音がする。
関節が軋む鈍い音だ。
ミシミシと音がする。
不自然に曲がった肘が何かに抵抗するかのような音だ。
……。
父は。
父は。
今の父は。
間違いなく父は死んでいる。
だが今の父は生ける死者の様だ。
その悍ましい光景に眩暈を覚える。
『行くぞ』
黒ずくめの来訪者達は家の外に出て行こうとする。
『……』
黒ずくめの来訪者達についていこうとする父。
それを金縛りにあった僕は見守る事だけしか出来なかった。
カチ。
カチ。
カチ。
『待て』
『どうしました?』
もう用事は終わったとばかりに、僕に視線を合わせようともせず、立ち去ろうとしていた黒ずくめの来訪者達の足が止まる。
先頭の黒ずくめの来訪者が周囲を見回す。
『他にも余命が少ない寿命の懐中時計の音がする』
いや違う。
手を当て耳を澄ませているみたいだ。
『確かに』
他の黒ずくめの来訪者が頷く。
『これは何処だ? 探せ』
『はい』
『分かりました』
黒ずくめの来訪者達が周囲を伺う。
カチ。
カチ。
カチ。
『いた』
『あいつだ』
『こいつの息子みたいだな』
黒ずくめの来訪者達がこちらを振り向く。
そして僕は初めて来訪者達の顔の奥が分かった。
顔を覆っていた黒い蒸気のような霧が晴れたからだ。
そこには丁寧に磨かれた象牙の彫刻の様な骸骨が現れた。
骸骨の隙間から夜にも似た墨の様な色の闇が眼窩から溢れていた。
黒づくめの来訪者達は。
骸骨たちは初めて僕という存在に気が付いたのかの如く手を伸ばす。
そして僕に触ってきた。
『同じ寿命の懐中時計なら少し拝借してもバレんだろう』
『無論山分けで』
『当然だ』
ザワリとした。
悍ましい何か。
明らかに人では無い者達に怖気を感じた。
この手に掴まったら不味い。
何かが起こる。
そう思い追い払おうとした。
だが遅かった。
胸に手首まで突っ込まれた。
体内に怖気にも似た悪寒の塊が侵入してくる感じがする。
無遠慮に侵入してくる冷たく不快感の塊。
この瞬間僕は死んだと思った。
普通に致命傷だ。
普通ならば。
自分の胸に大穴が開いてるのに痛みもなく血すら出ていない。
自分の体温がみるみるうちに吸い取られるようだ。
冷たい金属の様な質感が体の芯まで感じられる。
今までの人生で有りえない冷たさだ。
冬の寒さに感じる冷たさではない。
何か体の熱の源を吸い取られてるかのようだ。
骨の髄まで感じる冷たさだ。
『こいつの寿命の懐中時計から少し貰っても良いな』
『はい』
『山分けですな』
僕の胸から懐中時計が引き抜かれた。
それは先程の死んだ父の棺から取り出した懐中時計と同じ音の物だ。
だが骸骨が取り出したものは若干違うものにも見える。
いや。
良く見れば別物だ。
だが其の懐中時計はとても大切な物だと感じる。
失ってはいけない物だと感じた。
その時だった。
異変に気が付いたのは。
僕の手の皺が酷く多い。
まるで老人のようだ。
カチ。
カチ。
カチ。
カチ。
カチ。
ピタッ。
時計の音が止まる。
その時だった。
『バレないように一年残します』
『戻せ』
『はい』
象牙の彫刻で出来たような骸骨達はそのまま家を出て行った。
後には僕だけが残された。
僕は恐る恐る手を見なおした。
いつもの手だ。
いつもの皺一つ無い手。
あれは何だったんだ?
それよりもアレは。
あの骸骨達は何だったんだ?
まあいい。
助かった。
カチ。
カチ。
カチ。
再び時計の音が聞こえ始める。
それはそうと我が家の時計からはこんな音が出てたかな?
そう思い居間にある鏡を偶然見たら僕は凍り付いた。
鏡の中の僕は老人の姿をしていたからだ。
胸に先程の懐中時計を埋め込んだ姿で。
その姿に僕は悲鳴を上げる。
鏡の中の老いた自分という有りえない幻覚が最後の光景だった。
胸の懐中時計の音を聞きながら僕は意識を失った。




