婚約者にこき使われて過労死寸前だったので、開き直って熟睡した結果。~起きたら婚約解消してた~
私は侯爵家の嫡男ティモシーと婚約をしていた。
ティモシーは率直に申し上げてクソだった。
ティモシーの両親……侯爵夫妻もクソだった。
侯爵夫妻はティモシーを甘やかし続け、彼が引き継ぐはずだった執務を侯爵夫人教育として私に押し付けた。
結果、私は毎日のように侯爵家へ通い、朝から晩までティモシーが抱えた仕事を肩代わりする。
時には家に帰してもらえず、深夜まで仕事漬けになった事もあった。
体を壊し、休みを貰おうと遣いを出せば、我が家へ怒鳴り込み、無理矢理私を屋敷から引きずり出した。
そんな婚約者相手に強く出る事が出来なかったのは、我が家が没落寸前の貧乏貴族だからだろう。
私が嫁げば多額の支援金が我が家に入る。
そう思い、頑張り続けてきたのだ。
しかし結果は……毎日三時間睡眠。頭痛眩暈と吐き気に襲われる毎日。
体が訴えていた『そろそろ死ぬ』と。
***
「アンナ」
幼い頃。
私の名を呼んでその手を引いてくれる人がいた。
引っ込み思案で、泣き虫だった私が自室から出たがらない事を心配した兄が呼んだ友人。
彼は偶然貴族同士の集まりで兄と親しくはなったものの、貧乏貴族の我が家とは比べ物にもならない程に高貴な立場のお方だった。
気さくで誠実で、自分の軸となる考えもしっかりと持った、私の憧れの人。
私に外へ出るきっかけを作ってくれたその人は、自ずと私の初恋の人になった。
けれど、互いに年を重ねるにつれて、この近しい関係は徐々に変化していく。
互いに異性として意識するようになって来たのだ。
それを機に、私は両親や兄に相談した事がある。
「あの人と婚約したい」
元引き籠りの本の虫。勉強は出来るけれど、世間知らずの娘の夢物語。
家族はそんな私を憐れむように見て、それから困ったように言い淀んでから言った。
「それは難しい」、と。
「ど、どうしてですか……!?」
私は食って掛かる。
「私は彼を愛しています! 彼だってきっと、私を好意的には見てくれているはずです!」
「……アンナ」
父は目頭を押さえ、苦々しい表情で私の名前を呼んだ。
「お前があの方と親しい関係にあるのは理解している。だが……貴族同士の婚約は、市井や小説の中とは違うんだ」
「……アンナ。私達の家が少し先の未来すら不安定な立場に置かれているのはわかっているでしょう?」
母が、悲しそうに顔を曇らせながら、私の手を握る。
私の手を撫でる母の手は確かに優しいけれど……それは私を宥めているようだった。
「我が家では釣り合わないの。断られるのはわかり切っているし、ご迷惑をおかけしたり、今後疎遠になってしまう方が悲しいでしょう?」
――断られるのがわかり切っている。
母のこの言葉は私の心に重く響いた。
……そうか、この想いはどう足掻いても実らないのだ。
何もないような我が家では婚約を申し出てくれるところがあるだけでもありがたい話で。
ましてや高貴な立場の方が私や我が家を選ぶメリットなどある訳もない。
私の気持ちなどというものは、地位や財力の前では簡単に無意味なものとなるのだ、とこの時漸く理解できた。
……私だって、フラれると分かっていて告白できる程心が強い訳ではない。
はっきりと拒絶されてしまうくらいならば、適切な距離感のまま、長くお付き合いしたい。
「……わ、かりました。……我儘を言って、ごめんなさい」
「いいや。……すまないな、家の事で苦労を掛けて」
「いいえ」
この時、既にティモシーとの婚約の話が我が家には舞い込んでいた。
それもあり、気落ちしている私に両親は、「あの方は難しいけれど、アンナを選んでくれた上位貴族がいる。それも同年代なんだ」と元気付けてくれた。
両親は誇らしそうだったし、家が潰れるのは私は望んでいない。
私が家の危機を回避する足掛かりとなれるならば、それは自分にとってもいい事なのだろうと、そう思うようにした。
……けど、その日の夜だけは流石に泣いた。
自室で、誰にも知られずに声を殺して泣いて、夜を明かして……そして私は決めた。
彼と添い遂げる事は出来ないけれど、それならばせめて、彼と長い付き合いのある者として、彼が私との付き合いを恥じる事がなく、少しでも誇らしく思ってくれるように……努力しようと。
こうして私はこれまで以上に勉学に励むようになったのだった。
***
私は重い瞼を持ち上げる。
窓にはまだ日が差し込んでおらず、真っ暗だ。
半身を起こせば、鳴りを潜めていた頭痛や耳鳴りが主張を始める。
体は瞼以上に重くて仕方がなかった。
私は深々と溜息を吐く。
「昔の夢なんて、久しぶりに見たな」
甘酸っぱくも苦い、初恋の記憶。
思い出せば未だに胸が小さく痛んだ。
「……さて、持ち帰った仕事でもやりますか」
私は伸びをして、ベッドから下りる。
その時だった。
大きな眩暈と吐き気が私を襲う。
堪らず私はその場に座り込んだ。
「……っ」
目を閉じて、症状が和らぐのを待つ。
ぐわんぐわんと揺れる視界に耐えていた私は、明らかに正常ではない自分の体に危機感を覚えていた。
「……本当に、このままだといつ倒れてもおかしくない気がするな」
笑い事ではないのだが、笑うしかない。
だって私には現状を変える力なんて持ち合わせてはいないのだから。
「寝てしまえ」
お昼時の事だ。
兄の友人である公爵令息のコンスタント様が我が家に遊びに来た。
彼はわざわざ私の部屋まで訪れるや否や、そう言ったのだ。
「え?」
「君に死なれたら困る」
この日は、ティモシーと侯爵夫妻は別の令嬢を連れてオペラの観劇へ向かった。
別の令嬢というのはドーラというティモシーの浮気相手だ。侯爵夫妻公認の浮気相手である。
もうそこで結婚してくれとも思うのだが、ドーラは商人上がりの男爵家の令嬢。
侯爵令息の結婚相手にするにはあまりにも立場が弱すぎる。
それならば曲がりなりにも伯爵令嬢である私をお飾りの妻として据え置いて、婚姻後にドーラを愛人として招いてやればいい、というのがティモシーと侯爵夫妻のお考えだ。
おかげさまで、今日の私は自室にこもりきりだった。
今日中に終わらせろと大量の仕事が送り込まれたのだ。
そんなこんなで仕事を詰め込まれて客人の挨拶にすらいけない私を心配したコンスタント様がわざわざ自室まで足を運んでくださり、今に至る。
「いや、私だって死にたくはないし寝たいですよ。でも」
「なら寝ればいいだろう」
公爵令息にお出しするにはあまりにお粗末な茶葉で淹れた紅茶で顔色も変えずにのどを潤してから、コンスタント様はさも当然のようにそう言った。
だが、事態はそんなに簡単な話ではない。
仕事を放棄したり、押し付け返せるならば、特にそうしている。
それが出来ないからこそ、私はここまで苦しんでいるのだ。
「いや、寝たら仕事が」
「仕事をせずに寝ろ」
「そうしたら我が家の立場が危ういですよ」
「財政的な問題なら相手方から慰謝料をぶんどればいいんだ」
「……慰謝料」
予想だにしていなかった切り返しに、私は唖然とした。
そんな私を見たコンスタント様は呆れたように溜息を吐く。
それから、艶やかな黒髪を搔き上げながら、悩ましいと言わんばかりに片目を閉じる。
「そこまで考えが至らない程に追い詰められていたとはな。いくら優秀な人物であったとしても、睡眠を怠れば正常な判断も困難になるようだ」
「た、確かに、お金さえ入るならこんな仕事する必要もないですね」
「だから、やめてしまえと言っているんだ。いいか、俺に案がある」
「案?」
私が聞き返すと、コンスタント様が不敵に笑う。
その麗しい容姿から社交界で噂の的となり、異性が目を奪われてしまうようなお人だ。どこか意地が悪そうなその顔ですら様になっていた。
「そうだ。君はただ――寝ているだけでいい」
コンスタント様はどこか得意げにそう言った。
***
さて、そんなこんなで三日程経ち。
私はティモシーと共にとあるパーティーへ出席する。
何の変哲もない、普通のパーティーではあるが、だからこそ人目が多く、私にとっては好都合だった。
ティモシーは私と共にパーティー会場の大広間まで辿り着くと、その後すぐにドーラと落ち合い、堂々と浮気をしながら私のもとを離れていく。
さて、こうして独り身になった私は、パーティー会場の壁へ凭れ掛かり……
――寝た。
ここまで溜めに溜めた疲労が私の体を襲う。
直前にウェルカムドリンクのシャンパンを飲んだ事もあり、眠気は限界まで達し、一度閉じた瞼は再び開くことを拒絶した。
「な……ッ、アンナ嬢! どうしたんだ!」
白々しいコンスタント様の声が聞こえる。
「おい、医者を呼んで来い! くそ、何だこの顔色と目の隈は……っ!」
私は誰かに抱き上げられる。
しかしそこまでされても睡魔は消えず……。
「聞けば、彼女は過労で苦しんでいたというではないか! お前の家は彼女が過労で死んでも責任が取れるんだろうな!」
「そ、そんな……! 死ぬだなんて……っ」
「そもそも婚約者が居ながら堂々と別の女に浮気をするような奴だ。アンナ嬢がどのような扱いを受けていたかなど、察するのは容易いだろう!」
コンスタント様に責め立てられるティモシー、そしてドーラの声を聞きながら私は……
――良い夢が見れそうね。
と、意識を手放したのだった。
***
目が覚めるとそこは見覚えのある天井――自室だった。
私の容態を心配してつきっきりでいてくれた家族達は、私の目覚めを喜び、それから何があったのかを話してくれる。
まず、私が倒れた原因は過労が原因だろうとの事。現状は命に別条がないが、これ以上働けばどうなっていたかはわからないと医者は話したらしい。
また、ティモシーとそのご両親、ドーラは、当時私が倒れた現場や、ティモシー達を責めるコンスタント様を見ていた者達によって、『婚約者を虐げた最悪な家と浮気相手』として噂を広げられ、社交界での居場所を失ったとか。
私はティモシーや侯爵夫妻の問題について、心配を掛けまいと家族に相談できずにいた。
時折我が家に送り込まれる仕事を家族が不審に思う事があったし、ティモシーや侯爵夫妻が怒鳴り込みに来た時なんかは、流石に心配された。
それでも私は家族に迷惑を掛けたくない、家の為に出来る事をしたいと、ティモシー達から受けていた扱いについて誤魔化し続けてしまったのだ。
今思えば、コンスタント様の言う通り、私は正常な判断が出来ない程に追い詰められていたのだろう。
私は家族に心配を掛けた事、相談できていなかった事を謝罪した。
家族もまた、助けになってやれなかった事を悔やみ、謝ってくれて……こうして私は心身ともに安らぎの日々を取り戻したのだった。
さて。
他の大切な事というと……婚約と慰謝料について。
このような問題が理由となり、婚約は解消、また我が家は慰謝料をたんまり貰えるようになったそう。
これで暫くは安泰だと家族達もホッとしている様だった。
「と、いう事で、ありがとうございます」
「いいや。俺の為にした事だ。気にするな」
数時間後。お見舞いにやって来たコンスタント様と二人きりになった私は彼に礼を述べる。
すると彼は首を横に振った。
「おれの、ため?」
その言葉にピンと来ていない私を見たコンスタント様は、やれやれと肩を竦める。
それから、気恥ずかしそうに目を伏せ、はにかんだ。
「アンナ、俺と婚約しないか」
「……へっ?」
宝石を太陽にすかしたかのような美しい青色の瞳。
それを最大限に活用する彼は上目づかいであざとく私を見つめた。
「全く、君が選びたい人がいるならばと様子を窺っていたらこれだ。こんな事なら初めから俺から申し出ておけばよかった」
「え、え……っ、コンスタント様……!?」
「皆まで言わないと伝わらないか?」
コンスタント様はそう言って私の手を掬うと、その甲にキスを落とす。
そしてフッと笑みを深めた。
「君を好いていると言っている」
私の頭はすっかり真っ白になってしまった。
だって、相手は公爵令息だ。
私にも我が家にも……到底釣り合う訳がない。
それなのに、彼は。
「そもそも、君からのアプローチだって、あっても良かったんじゃないか? 俺では不満だったのかと、思ってそれなりに凹んだんだが……というか、俺はあんなのに負けたのか……?」
顔を赤らめたり、不貞腐れたように顔を顰めたり、口を尖らせたりと……これまで見せた事もないような私に対する好意を次々と晒してくる。
それに頭が追い付かない。
これが彼の本心で本来の姿だというのならば……彼はずっとそれを私に隠し続けてきたというのだろうか。
ぐるぐると目が回り、思考は突然ショートした。
上手く考えられなくなった私は、結局思考を放棄し、顔が爆発しそうなくらいに熱くなっているのを感じながら……布団に潜り込んだ。
「な、おい!」
「き、きっと都合の良い夢なんですね!」
「夢じゃない! おい、話を聞け……っ」
そんな彼の言葉を聞きながらも、未だ疲れが取れ切っていない私はうっかり眠りに落ちてしまうのだった。
なお、目が覚めた時、改めて婚約の申し出を受けた。
どうやら夢ではなかったようである。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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それでは、ご縁がありましたらまたどこかで!




