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望んではいないもの

 少しずつ暖かくなって、春が近付いてきたこの頃。

 ライラがディオル・ベルナールの担当になって二ヶ月、最初はドン引きしていた彼の皮肉屋な態度にも慣れて、ある程度は受け流せるようになってきた。


 未だに彼の記憶は戻らず、手がかりも掴めていない。しかし、時間がかかるのは元より覚悟の上で、特段焦っているわけでもない。


 ――ただ一つだけ。ライラには気になっていることがあった。


「ディオン様。僭越ながら、あなたの外出履歴を拝見しました」


 いつものように協会の応接間で、目の前の彼に向かって言う。


 協会は召喚者に対して基本的には自由行動を認めている。記憶喪失のディオンも、それは例外ではない。ただ召喚者に行方不明になられては困るため、外出する際は協会の窓口に申し出る必要がある。


 そこでライラは、とあることに気付いてしまったのだ。


「この二年間、ずっと協会の外に出ていないってどういうことですか!」

 

 そう。この彼はなんとこの二年間で、協会が取り仕切る魔物討伐以外での外出履歴が、一切残っていなかったのだ!


 そりゃあ召喚者にも、色々な人間がいる。インドア派の人は少なくないし、そもそも知らない世界を出歩くのが怖いというのも分かる。

 しかし一度も私用で外に出ない、という人は初めて見た。流石にこれは、黙って見過ごすわけにはいかない。


「なんだ、そんなことか」

「そんなことじゃありません。重要なことです!」


 あっけらかんと言うディオンに、きっぱり言い返す。しかし彼は納得のいかない顔でライラを見た。


「食事や衣服は協会が用意してくれる。何か問題があるか?」

「問題だらけですよ。たまには自由に外を出歩かないと、精神衛生上良くありません。大体そんな風に引きこもっていたら、思い出すものも思い出せないでしょう!」


 一番問題なのはそこだった。ディオンはずっと代わり映えのしない協会の壁を見続けて、それで記憶が戻るとでも思っているのだろうか。


 (彼には刺激が足りないんだわ。外に出たら、何か思い出せるかも!)


 彼の記憶を取り戻すには、多少の奇跡が必要だ。そして奇跡は、とにかく動かなければ起こせないものなのである。


 そう考えたライラは今日、とある計画を立てていた。口の端をにんまりと上げて、ディオンの方を見る。目が合った彼は、露骨に顔を歪めた。


「それではディオン様、行きますよ」

「は? どこに」

「協会の外に。さぁ、もう馬車は呼んであるので急いでください!」


***


 面倒がるディオンを半分強制的に連れ出し、馬車で小一時間。ライラたちは、この辺り一帯で一番大きな市場にやってきていた。


 人々で賑わう通りの中を、パンの香ばしい匂いや、砂糖を煮詰めたような甘い匂いが通り抜けていく。

 その匂いは、広い道の脇にずらっと並んだ屋台のあちこちから流れてきていた。


「これがこの世界の市場です。どうですか」

「どうと言われても」

 困惑ぎみにディオンは言った。彼は落ち着かない様子で、しきりに辺りをきょろきょろと見回す。その姿は少し子どもじみていて、普段の彼を知る身からするとなんだか可笑しい。

 

「何か買いたいものはありますか? 費用は協会から出ますので、遠慮しないでくださいね」


 言いながらライラは、協会から費用として預かってきたお金のことを思う。その額はそこそこの高給取りである送還師のライラでさえ、持ち運ぶのを躊躇うほどのものだった。

 なにせ召喚者たちは、急にこの世界に拘束された挙句、魔物との戦闘を命じられるのだ。その代わりとして彼らには、よっぽどじゃない限りそれなりの贅沢が許されている。それだけでこちらの勝手な都合による召喚の帳消しになるとは到底思えないが、当然の権利だとは思う。


 しかし彼は、くだらなさそうに首を横に振った。


「買いたいものなんかない。何を食べたって一緒だし、服にも興味無い」

「じゃあ、今までで一番美味しかったものは?」

「…………知らん」

 一瞬の間をあけて、彼はそう言った。その答えにがっくりと肩を落とすライラには目もくれない。


 (どうしたらこの人は、もっと積極的になってくれるのかしら?)


 彼は嫌なことに対する自己主張だけはハッキリしている。でも、何か欲しい、何かしたい、のような願望を彼が口にするところは見たことがなかった。

 彼はこの世界が嫌いだという。しかし、じゃあこの世界にあるもの全てが嫌いなのだろうか? もしそれが理由で何も望まないのなら……少し勿体ない、とライラは思う。

 

 屋台を横目に、彼は黙々と歩いていく。するとその時、ふいに彼の足が止まった。


「何かありましたか?」


 立ち止まった彼の目線を追う。そこには、瓶詰めされた茶葉が並んだ店があった。

「お茶屋さんですね。気になりますか?」

「いや……茶の香りがするなと思っただけだ。大して興味があるわけじゃない」

 ライラが訊くと、ディオンは目をそらしながら言った。明らかに、興味がないというのは嘘だった。


 そういえば彼は、以前ライラが淹れた紅茶を美味しいと言ってくれた。もしそれを思い出して足を止めたのなら、なんだか照れくさい気持ちになってしまう。


「行きましょうよ。せっかくここまで出てきたんですから、何か買っていかないと損です」

 ライラはそう声をかけて、店の方へ歩き出す。ディオンもしぶしぶ、躊躇いながらもその後についてきた。


 店の屋台に近付くと、お茶の良い香りが先程よりも強く漂ってきた。手前の棚には大きな瓶が並べられ、そこに色々な種類の茶葉が分けて詰められていた。必要な量を頼めば、そこから茶葉をとって袋に詰めなおしてくれるようだ。


「いらっしゃい! どれも良い茶葉だから、ゆっくり見ていっておくれよ!」

 店番に立つ恰幅のいい女性が、にこやかに言った。

「ありがとうございます。ほら、ディオン様」

「はぁ……」

 ライラが手招きすると、彼はようやく隣に立って店の棚に目を向けた。


「いつも飲んでるやつは、どれなんだ?」

 並ぶ茶葉を見比べて、ディオンがはそう訊ねた。その問いにライラは、店主に聞こえないように小声で返す。

「ここにはありませんよ。あれは高級茶葉だって、前に言ったでしょう」

「なんだ。じゃあ、似た種類のものは?」

 また彼が訊く。どうやらあの協会の茶葉を相当気に入っているようだ。


 (気に入ってるのかって訊いたら、否定するんでしょうけどね)


 内心で苦笑しつつ、ライラは数ある茶葉の中から赤みがかった葉を見つけ、それを指さした。

 

「これなら、産地は違いますが同じ種類のものです。風味はいつものお茶と近いと思いますよ」

「じゃあ、これを買う」

 ライラが勧めると、彼はぶっきらぼうに言った。

「そうですか。――すみません、この茶葉をひと袋お願いできますか?」

「まいど! ひと袋三十ゴールドね!」

 店主がテキパキとした動きで、茶葉を詰めながら言った。ライラはそれを聞いてから、ディオンの方へと向き直る。


「はいこれ、お金です」

 肩にかけた鞄から貨幣の入った袋を出して、彼に手渡す。

「なんでわざわざ俺に渡すんだよ」

「あなたが買うものなんですから、あなたがお支払いするのは当然でしょう」

「俺が支払うったって、協会の金だろ」

 ディオンが呆れ顔で言う。

 するとその言葉を聞いた途端、店主がはっとしてこちらを見た。


「協会って、あの? じゃあお嬢ちゃん、送還師さんかい!」

「え、ええ。そうです」

 カウンターから身を乗り出さんばかりの勢いに気圧され、ライラは半歩だけ後ろに下がった。店主はそれを気にすることもなく、次はディオンへと目を移す。

「隣のお兄さんはじゃあ、召喚者さんだね。いつも世話になってるよ」

「……ああ」

 店主から直接的に感謝された彼は、それをどう受け止めていいか分からないようだった。動揺しているのが目に見えて分かる。


 それから彼はその動揺を誤魔化すみたいに、ライラから受け取った袋を店台にどんと置いた。

「代金だ。こっちの金はよく分からんから、適当に取ってくれ」

「じゃあ失礼して。茶葉代の三十ゴールド、頂くよ」

 店主はきっかり三十ゴールドを袋から取り出して、ライラに見せてくれた。

 ディオンに渡した袋には三十ゴールドを遥かに超える額が入っていたから、正直盗まれたらどうしようかとヒヤヒヤしていたのだが……店主がいい人でよかった。

 ほっと胸を撫で下ろして、彼女にお礼を言う。そしてそのまま立ち去ろうとした時、思い出したかのように店主が叫んだ。


「ああっ、ちょっとお待ち!」


 慌てて立ち止まると、彼女はなにやらカウンターの奥から袋を取り出してきた。それをディオンの前に差し出し、彼女は言った。


「これ、おまけのクッキー。大したもんじゃないけど、世界を守ってくれてるお礼だよ」


 ディオンは店主に勢いに押されるまま、そのクッキーの入った袋を受け取った。袋には、送還師の制服とよく似た水色のリボンが結ばれている。


 彼は渡されたクッキーをしばらくじっと見つめ、ややあって小さく「どうも」と呟いた。

 その時の彼の横顔は、戸惑いや罪悪感や遣る瀬なさが綯い交ぜになったような、何ともいえないものに満ちていた。

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