召喚者と不法滞在
協会の応接間で、ライラは初めて例のディオン・ベルナールと対面した。
金髪のライラとは正反対の艶のある黒髪に、均整のとれた顔立ち。身体はそこそこに鍛えられているようで、元軍人なのかもしれないと想像する。
が、実際どうなのか聞いたところで本人も答えられないだろう。噂が本当なら、彼はこちらの世界に召喚される以前のことを全く覚えていないのだから。
向かいのソファに座るディオンはむすっとした表情で、こちらと目を合わせようとしない。記憶喪失云々の前に、シンプルに厄介な人間な気がする。それか、今の状況が彼をそうさせているのだろうか。
ただこうして黙っていても始まらないので、ライラは意を決して切り出した。
「今回あなたを担当することになりました。ライラ・フローレインです」
できるだけ明るく、にこやかに自己紹介をする。しかし彼は挨拶を返すどころか、頷きもしなかった。
「ご存知かとは思いますが、今年中に元の世界へ還れなければあなたは……」
「説明はいいよ。もう何回も聞いた」
突然ライラの話を遮って、今まで黙っていた彼が口を開いた。それから彼は皮肉めいた口調で、ライラがこれから話そうとしていたことを澱みなく語ってみせた。
「召喚されて三年以内に自分の世界に還らなかったら不法滞在になる。俺はもうここに呼ばれて二年経ったから、あと一年で還らないと犯罪者だ。そうだろ」
「……仰る通りです」
彼のこちらを突き刺すような鋭い目に気圧されて、ライラは咄嗟にそう応えることしかできなかった。
彼が言っているのは本当のことだ。この世界の召喚・送還システムは、そうやって運営されている。
召喚者は三年以内に元の世界へ還らなければならない。そのような縛りが生まれたのは、召喚術が成立して十数年経った後だった。それ以前は送還術が存在せず、ただ必要に応じて魔物と戦える異世界の人間を召喚するだけ。とことん身勝手で、この世界だけに都合がいいやり方だった。
しかしある事件がきっかけで、送還の必要性が謳われるようになった。最初の召喚が行われてからおよそ五年経った頃、次から次へと召喚者たちが死んでいったのだ。
その原因は魔力不足だった。この世界にも魔力自体は存在し、魔物をはじめとする一部のものはそれを自分の身体に蓄えることができる。しかし人間には適合することはなく、魔力で生命を維持している召喚者たちは次第に魔力が減衰して、やがて命を落とす。
そしてさらに問題なのが、そうして死亡した召喚者たちの死体から、この世界の人間には有害な毒素が放出されることだった。それは近付いて毒素を吸い続ければ死に至るほどの危険があるもので、当時の研究者たちはこの現象への対策として送還術を作ったのである。
だから異世界管理協会は三年という期間を設定し、それまでに還らなかった召喚者を不法滞在として扱うことにした。「あと一年で帰らなかったら犯罪者」というのは、そういうわけだ。
「俺は還らないんじゃなくて、還れないんだけどな。お前らは勝手だよ。勝手に呼んどいて、還れなくなったやつは犯罪者扱い。笑えないね」
ディオンはそう吐き捨て、まるで怒りを押さえつけるみたいに脚を組んだ。
(……返す言葉もないわね)
彼の怒りは当然のものだと思う。この召喚システムがどれだけ醜悪で、他の世界の人間のことを蔑ろにするものかということは、ライラだって痛い程よく分かっている。
それでもこの世界で生きていくにはそうするしかない。他の手段を選べるほど、この世界にもライラ自身にも余裕などないのだ。
「この世界の事情にあなたを巻き込んでしまったこと、申し訳なく思います。……しかしあなたを元の世界に還すためには、あなたの協力が必要なのです。どうかあと一年、私と共に還り道を探してはいただけませんか」
還りたくても還れなかった二年間、きっともう彼はこんなやりとりにもうんざりしているのだろう。でも、ここで諦められては困る。送還として不法滞在者を増やすわけにはいかないし、この送還が失敗したらライラはクビになってしまう。
「それは俺のため、ってわけじゃないんだろ」
何かを見定めようとするみたいに彼は訊ねた。少し迷ってから、ライラは正直に答える。
「協会の考えとしては、そうでございます。この世界への脅威を退けることが最優先ですので」
送還術、そしてそれを管理する異世界管理協会は、元の世界に還れない召喚者が可哀想だから存在するのではない。あくまでも召喚者が死んで発生する毒素を広げないための措置として、送還術がある。
だから彼のために一緒に還り道を探す、なんてことは言えない。汚い裏事情を無視してそんなことを言っても、薄ら寒い綺麗事にしかならないだろう。
彼はライラがそう答えるのは分かっていたと言わんばかりに、ため息をつく。
「だろうな」
「ですが」
彼の諦念と軽蔑の混じった声に、ライラは言葉を重ねた。訝しむ彼の目をしっかりと捉えながら、その続きを口にする。
「協会の送還師としてではなく一個人として言うとするならば、私はあなたの力になりたい。……信じてはいただけないでしょうが」
そう言い切ると、ディオンは眉を顰めてライラを見つめた。その疑いに満ちた瞳に思わず逃げ出したくなるけれど、負けじと見つめ返す。
数秒後、彼の方がふっと目を逸らした。その表情は戸惑っているようでも、やり場のない感情を必死に押さえ込んでいるようでもあった。
それから彼はソファから立ち上がり、座ったままのライラを見下ろした。
「……送還に必要なことなら協力はする。俺も犯罪者にはなりたくないからな」
ライラに向けて淡々と話す彼の声はひたすらに冷めていた。そして彼はライラが止める隙もなく、応接間の出口へと向かう。もう今日はこれ以上、ライラと話す気はないようだ。
そう思っていると、ディオンは扉の前で足を止めた。靴音が余韻のように響いて消える。
彼はこちらに背を向けたまま、振り返らずに言った。
「けど一つだけ言っておく。――俺はお前ら送還師も、この世界も気に食わない」




