〇〇六 画壁
序章・画中の美女
江西の士、孟龍潭と朱孝廉。二人が都に滞在していたある日のこと、ふと足を向けた先に、一軒の古びた寺が静かに佇んでいた。本堂も僧坊もことさら大きいわけではないが、そこには一人の老僧が俗世を離れ、穏やかに暮らしているようであった。
老僧は来客の気配に気づくと、衣紋を正して二人を迎え入れ、どうぞ中を、と柔和な笑みで案内した。
本堂に祀られているのは誌公の像。そして両の壁には、息を呑むほど精緻な壁画が広がっていた。描かれた人物たちは、まるで今にも壁から歩み出てきそうなほど、生命の輝きを宿している。
東の壁に描かれているのは、天上の花を散らす天女たちの絵姿。その中に、一人、髪を肩まで垂らした可憐な娘がいた。指先で一輪の花をつまみ、その唇はかすかな笑みをたたえ、桜色に色づいている。潤んだ瞳は、あたかも壁の中からこちらへ何かを語りかけてくるかのようだ。
朱孝廉は、その娘の絵から目が離せなくなった。時が経つのも忘れ、一心に見つめているうちに、魂までもがその絵の中に吸い込まれていくような心地がした。ふと我に返ると、身体は綿雲にでも乗っているかのように軽やかになり、気づけば、彼の身は壁画の世界に溶け込んでいた。
そこは幾重にも御殿が連なる、もはや人の世とは思えぬ荘厳な場所であった。一人の老僧が高座で法を説き、多くの人々が熱心に耳を傾けている。朱もまた、いつの間にかその聴衆の中に紛れ込んでいた。
転入・画中の逢瀬
しばらくすると、ふと、誰かが衣の裾をそっと引くのを感じた。振り返れば、そこに立っていたのは、まぎれもなく、壁に描かれていたあの娘であった。
娘はにこりと微笑み、彼に目配せを送る。その誘いに抗う術もなく、朱は履物を脱ぎ捨て、導かれるままに彼女のあとを追った。入り組んだ欄干を抜け、娘はとある小さな部屋の戸口で立ち止まる。朱がその先へ進むことを一瞬ためらうと、娘は振り返り、手にした花をそっとかざして、彼を招き入れた。
その仕草に心を決め、朱は部屋へと足を踏み入れた。
部屋の中は静寂に満ち、人の気配はない。彼はたまらず娘を抱き寄せ、娘もまた、それを拒むことはなかった。二人の影は、密やかに重なった。
やがて娘は部屋を去る際、決して咳払いなどせぬようにと、朱に固く言い含めた。そして夜の帳が下りる頃、彼女は再び彼の元へ戻ってきた。そんな甘い時間が、二日ほど続いたであろうか。
異変・金甲の使者
しかし、二人の密やかな関係は、娘の仲間たちの知るところとなった。彼女たちは戯れるように娘をからかった。
「ねえ、お腹の子がこんなに大きくなっているというのに、いつまで少女のような髪でいるつもりなの」
仲間たちは口々に言いながら、娘の髪に飾りや簪をあてがい、大人の女性のように髪を結い上げるよう促す。娘は恥じらいに頬を染め、ただうつむくばかりであった。
「さあ、長居は無用よ。野暮な真似はよしましょう」
一人がそう言うと、皆は楽しげに笑いながら去っていった。
朱が改めて娘を見やれば、その髪は雲のように高く結われ、鳳凰の簪が美しく輝いている。髪を垂らしていた頃とはまた違う、艶やかな美しさに、彼は心を奪われた。あたりに漂う甘い香りに酔いしれ、喜びが頂点に達しようとした、まさにその時であった。
突如、硬い武官の履物が床を打ち鳴らす音が激しく響き渡り、続いて鎖の擦れる金属音と、荒々しい怒声が辺りの空気を引き裂いた。
娘は驚きに飛び起き、朱と共にこっそりと外の様子を窺う。
そこにいたのは、金色の甲冑に身を固めた一人の使者であった。漆黒の顔に鋭い眼光を宿し、手には鎖と槌を携えている。天女たちは皆、恐れおののきながら彼を取り囲んでいた。
使者は威圧するように言った。「全員、揃っているか」
天女たちは声を揃えて答える。「はい、揃っております」
「もし、この中に俗世の人間を匿っている者がいるならば、自ら名乗り出よ。さもなくば、災いが降りかかるであろう」
再び、天女たちは「そのような者はおりません」と答えた。
その時、使者がふと顔を巡らせ、朱たちが隠れている方角をいぶかしげに睨みつけた。
娘は恐怖に血の気を失い、死人のように青ざめた顔で、朱にささやいた。
「早く、寝台の下へ!」
そう言うと、彼女は壁の隠し戸から、嵐のように姿を消してしまった。朱は息を殺して身を伏せた。やがて、武官の履物音が部屋の中まで聞こえてきたが、幸いにもすぐに遠ざかっていく。しかし、戸外では人々の往来や話し声が絶えず、彼の心は少しも休まらなかった。
身を縮めているうちに、どれほどの時が過ぎただろうか。耳の奥では蝉時雨のような幻聴が鳴り響き、目蓋の裏では火花が散る。耐えがたい苦痛の中で、彼はただ、娘が戻るのを待つしかなかった。もはや、自分がどうしてこの場所にいるのかさえ、定かではなかった。
覚醒・現実と幻想の交錯
その頃、現世の本堂では、友の孟龍潭が、忽然と姿を消した朱の行方を案じていた。そばにいた老僧に尋ねると、僧は穏やかに微笑んで答えた。
「説法を聴きに参られたのでしょうな」
「どこへ、と申されますか」
「遠い場所ではござりませぬ」
しばらくして、老僧は壁を指で軽く弾き、呼びかけた。
「朱殿、あまり長居をなされては、お連れ様がお困りになりましょう」
すると、壁画の中、聴衆に紛れていた朱の姿が、ぴたりと動きを止め、何かに耳を澄ましているかのように見えた。
僧は再び壁に向かって呼びかけた。「旅のお連れ様が、もう待ちくたびれておられますぞ」
その声に応えるかのように、朱の姿はふわりと壁から抜け出し、まるで絵の中から降りてきたかのように、孟の目の前に現れた。しかしその様は、魂の抜け殻のように呆然と立ち尽くし、目は虚空を見つめ、足はがくがくと震えていた。
孟龍潭は驚き、何があったのかと静かに問いただした。朱が語るには、寝台の下に身を潜めていた時、雷鳴のような音が轟いたため、恐る恐る外に出てみたのだという。それが、老僧が壁を指で弾いた音であったとは、知る由もなかった。
二人が改めて壁画に目をやると、驚くべき変化が起きていた。肩まで垂らしていたはずの娘の髪が、今は高く結い上げられ、美しい夫人の髪型に変わっているではないか。かつての少女の面影は、そこにはもうなかった。
朱は言葉を失い、老僧に深々と頭を下げてその訳を問うたが、僧はただ微笑むばかりであった。
「幻は人の心より生ずるもの。老僧に、解き明かす術などございませんよ」
朱はあまりのことに声もなく、孟龍潭もまた、この摩訶不思議な出来事にただ茫然とするばかりであった。二人はそそくさと寺の階段を下り、夢うつつの心地でその場を後にした。
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異史氏、ここに記す。
幻は人の心より生ず、とは、まことに真理を射抜いた言葉である。
人の心に淫らな思いが宿れば、たちまちにして艶めかしい世界が現出する。人の心に恐れが生まれれば、そこはかとない恐怖が形を成す。菩薩が衆生を悟りに導かんと示す幾千もの幻も、元をただせば、すべては見る者の心が自ら描き出したものに他ならない。
老僧の慈悲深き導きは、かくも切実であった。惜しむべきは、朱孝廉がこの奇妙な体験の果てに世の無常を悟り、俗世を捨てて仏道に入るには至らなかったことである。
『画壁』という物語が持つ多層的な魅力について、映像化への適性、文化的比較、そして物語の新たな可能性という三つの側面から深く掘り下げてみましょう。
1. 映像化が拓く『画壁』の魅力:幻想と恐怖の視覚体験
『画壁』は、文字で読むだけでも鮮烈なイメージを喚起しますが、その本質は極めて映像的であり、現代の映像技術がこの物語のポテンシャルを最大限に引き出すことができます。
不思議さと面白さ:壁画への「没入」体験
最も象徴的なのは、朱孝廉が壁画に吸い込まれる場面です。これを映像化するならば、単に絵の中に入るというだけでなく、二次元の顔料で描かれた平面世界が、主人公の視界の中で三次元の奥行きを持ち、風や音、香りさえも感じられる空間へとシームレスに変貌していく様を、最新のVFXで描くことができるでしょう。壁に描かれた天女の硬質な微笑みが、生身の人間の柔らかな表情へと変わる瞬間は、観客に魔法のような視覚的驚き(センス・オブ・ワンダー)を与えます。また、朱孝廉との関係を経て、現実世界の壁画に描かれた娘の髪型が変化するという結末は、幻想が現実を侵食した証拠として、静かながらも強烈なインパクトを残す映像的トリックとなるはずです。
恐怖心を煽る場面:静寂から轟音への転換
この物語の巧みさは、甘美な逢瀬の場面から、突如として観客を恐怖の淵に突き落とす点にあります。特に「金甲の使者」の登場シーンは、映像化の腕の見せ所です。
音響による恐怖の増幅:恋人たちの密やかな静寂を切り裂く、硬質な武官の履物音。最初は遠くで響くその音が、徐々に、そして執拗に近づいてくる様は、音響設計によって観客の心臓を直接掴むような緊迫感を生み出します。鎖が擦れる冷たい金属音、威圧的な怒声は、それまでの桃源郷のような世界観を一瞬で破壊し、逃げ場のない恐怖を際立たせるでしょう。
閉所恐怖と視覚的脅威:寝台の下に息を殺して隠れる朱孝廉の視点から、カメラが使者の足元だけを捉える演出は、観客を主人公と一体化させ、息苦しいほどの閉塞感を体験させます。そして、漆黒の顔を持つ使者の異様な姿が闇の中から現れる場面は、悪夢的なビジュアルショックを与えるに違いありません。
超越的存在としての老僧:すべてを見通しながらも、ただ微笑む老僧の存在もまた、深い恐怖の源です。彼の力は未知数であり、その慈悲深い態度の裏には、人間の心を弄ぶかのような底知れぬ恐ろしさが潜んでいます。彼の表情の微妙な変化を捉えることで、神聖さと不気味さが同居する、超越的な存在としての畏怖を表現できるでしょう。
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2. 文化を超えた共鳴:異界への扉はどこにでもある
「絵の中に入る」というモチーフは、『画壁』独自のものではなく、古今東西の物語に形を変えて存在しています。これは、人間が「ここではないどこか」へ憧れ、同時に畏れる普遍的な心性に基づいているからでしょう。
日本文化における類似の情景
『浦島太郎』:竜宮城という絵のように美しい異界を訪れ、現実世界との時間の流れの違いに翻弄される物語は、「異界訪問譚」という大きな枠組みで『画壁』と共通します。帰還後に待ち受ける喪失感というテーマも通底しています。
『絵姿女房』:絵に描かれた女性が現実世界に出てきて妻となる昔話です。『画壁』とは人間と絵の存在の出入りが逆ですが、二次元の創造物が生命を持つという発想は全く同じです。
屏風や掛軸の妖怪:鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に見られるように、日本の妖怪文化では、屏風や絵図が異界と繋がる「窓」となり、そこから妖怪が抜け出してくるという考え方が古くから存在します。
西洋文化における類似の物語
オスカー・ワイルド作『ドリアン・グレイの肖像』:美貌の青年ドリアン・グレイの代わりに、彼の肖像画が彼の犯した罪と魂の堕落を刻み込み、醜く老いていく物語です。芸術作品が持ち主の「魂の鏡」となり、現実と深く連動するという点で、『画壁』の「幻は人の心から生まれる」というテーマと強く共鳴します。
ルイス・キャロル作『鏡の国のアリス』:少女アリスが鏡を通り抜けて、現実とは理屈が逆転した世界へ冒険に出る物語です。鏡という日常的な物が異世界への入り口となる発想は、『画壁』の壁画と同じ構造を持っています。
これらの比較から、『画壁』が描くのは、単なる中国の怪異譚ではなく、「芸術作品は、我々の精神世界と現実世界を繋ぐ扉となり得る」という、文化を超えた普遍的なテーマであることがわかります。
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3. 物語のその先へ:後日談と新たなる結末の提案
老僧の言う通り「幻は人の心から生まれる」のであれば、朱孝廉のその後の心次第で、物語はいく通りもの続きが考えられます。
考えられる後日談:『画に囚われし心』
現実に帰還した朱孝廉であったが、彼の魂は半分、あの壁画の中に置き忘れたままであった。彼は学問も手につかず、昼夜を問わず、あの寺に通い詰める。髪を結い上げた娘の絵を見つめ、彼女に語りかける日々。やがて彼は、絵の中の娘が自分に向かって悲しげに微笑んでいる、あるいは、金甲の使者が自分を睨みつけているという幻覚を見るようになる。再び絵の中に入ろうと壁に身を投げうつが、硬い漆喰が彼を受け入れることは二度となかった。友人である孟龍潭の懸命の説得も空しく、彼は次第に衰弱し、ある雪の日、愛しい人の描かれた壁画の前で、静かに息絶える。彼の魂だけが、ようやく絵の中の彼女の元へとたどり着いたのかもしれない。
さらなる意外な結末:『誰がための幻か』
寺を後にした朱孝廉と孟龍潭。しかし、安堵したのも束の間、朱孝廉は友である孟龍潭の様子がおかしいことに気づく。博識で冷静だったはずの彼が、時折、下世話な冗談を言ったり、品のない笑い声をあげたりするのだ。ある夜、眠る孟龍潭の顔を月明かりが照らした時、朱孝廉は凍りついた。その寝顔は、紛れもなく、壁画の世界で出会った、あの垂髫の娘の無邪気な顔立ちにそっくりだったのだ。
本当は、孟龍潭こそが壁画の幻に魅入られていた。彼が絵の中の娘に心を奪われ、朱孝廉が見た体験は、すべて孟龍潭の強い思念が作り出し、朱孝廉に「見せた」幻影だったとしたら? あるいは、寺を出る際に、孟龍潭の魂は娘の魂と入れ替わってしまったとしたら?
「幻は人の心から生まれる」。しかし、その「人」とは、一体誰だったのか。本当の恐怖は、体験が終わった後にこそ始まるのかもしれない。




