〇〇四 噴水(ふんすい)
『月下噴水図』
障子の隙間から、息を殺して覗き見た光景そのもの。
静寂と湿気。枯淡の味わいと、肌を粟立たせるような妖気。
見る者は、この墨絵の中に、音も色もない世界の、ただならぬ美しさと恐ろしさの前に、ただ立ち尽くすばかりである。
【しおの】
序章:荒廃した屋敷の深夜
それは、莱陽の宋玉叔先生が、都で官吏を務めていた頃に住まいとしていた屋敷での一夜の出来事である。その屋敷は、人の手が入らなくなって久しい、草木も生い茂るままの、荒涼とした場所であった。
ある夜更け、宋先生の母君である太夫人が、二人の召使いの娘を伴い、広間の床に就いておられた。静寂が満ちる中、ふと中庭の方から、まるで職人が布地に霧を吹くような、かすかな水音が聞こえてきた。
太夫人は、傍らで眠る娘たちを小声で促し、共に身を起こすと、障子の破れ目から、息を殺して外の様子を窺った。
現身:月下に舞う妖
月の青白い光の中に浮かび上がったのは、ひとりの老婆であった。
背は低く、腰は深く折れ曲がり、月光に白く映える髪は、まるで乱れた枯れ草のように逆立っている。その頭に結い上げた髷は、二尺もの長さに達しようかという異様な姿であった。
老婆は、中庭をあてもなく巡り歩いている。その足取りは、時にせわしなく、また時には鶴が舞うかのように緩やかで、測り知れぬものがあった。
そして何より不可解なのは、その口元から、絶え間なく水が噴き出していることであった。さながら、その身の内に尽きせぬ泉を宿しているかのようである。
娘たちは言い知れぬ恐ろしさに身を震わせ、部屋へと後ずさり、太夫人に事の次第を告げた。話を聞いた太夫人も、ただならぬ気配に寝床から身を起こし、娘たちの肩にすがるようにして障子のもとへ歩み寄った。三人は身を寄せ合うようにして、固唾を飲んで外を窺った。
終焉:障子越しの飛沫
老婆は、あたかも三人の気配を察したかのように、ふと歩みを止めると、その窓の真下へと静かににじり寄ってきた。
そして、顔を上げたかと思うと、一条の水を鋭く噴きかけてきたのである。
水はたちまち薄い障子を突き破り、その飛沫を浴びた三人は、声も立てられず、その場に崩れ落ちた。屋敷の他の者たちは、この異変に気づくこともなく、静かな夜が続いていた。
やがて東の空が白み始め、夜が明けて家人たちが集まってきた。太夫人の部屋の戸をいくら叩いても、中からの返事はない。案じた末、力ずくで扉を押し開けると、そこには、太夫人と二人の召使いの娘が、部屋に並ぶようにして息絶えている無惨な光景が広がっていた。
しかし、家人たちが亡骸に触れると、ひとりの娘の胸元に、まだかすかな温もりが残っていることに気づいた。人々は急いで娘を介抱し、湯などを口に含ませると、やがて娘はか細い息を吹き返した。そして、震える声で、昨夜の出来事の一部始終を語ったのであった。
結末:土中より湧き出ずるもの
知らせを受け屋敷に戻った宋先生は、母と召使いのあまりに突然な死を前に、悲しみと怒りに身も世もなく打ち震えた。
彼は生き残った娘の証言を頼りに、老婆が姿を消したという庭の一角を、人を集めて丁寧に掘り返させた。土を三尺ほども掘り進めた頃であったろうか、土中から、一筋、また一筋と、白い髪が現れ始めた。
さらに深く掘り進めると、やがて掘り出されたのは、一体の屍であった。それは、娘が語った通りの、深く腰の折れ曲がった姿であり、その顔は、まるで生きているかのように瑞々しく、しかし不気味に膨れ上がっていた。
宋先生は、この忌まわしい亡骸を打ち砕くよう、厳しく命じた。
すると、槌が振り下ろされるや、肉も骨も跡形もなく崩れ、その薄皮一枚を残した内側から、ただ清らかな水ばかりが、尽きることなく溢れ出したということである
この物語の深層に潜む魅力と、その先に広がる可能性について
1. この物語の核心にある「静かなる恐怖」
この物語の不思議さ、面白さ、そして恐怖は、派手な出来事ではなく、むしろその静けさと理不尽さに根差しています。
始まりは日常の音: 恐怖の始まりは、絶叫や衝撃音ではありません。「プツ、プツ」という、まるで裁縫職人が霧吹きを使うような、ごくありふれた生活音です。この日常に紛れ込んだ異質な音が、静かな夜の闇の中で、言い知れぬ不気味さを醸成します。読者は登場人物と共に「何の音だろう?」と首を傾げ、知らず知らずのうちに怪異の世界へと引き込まれていくのです。
覗き見る恐怖: 物語の最も象G的な場面は、太夫人たちが障子の穴から老婆を覗き見るシーンです。これは、安全な場所から危険なものを観察するという、人間の根源的な好奇心と恐怖心を同時に刺激します。限られた視界の中、月光に照らされた老婆の異様な姿(逆立った白髪、異様に長い髷)と、常軌を逸した行動(水を噴きながら徘徊する)が展開されます。この「覗き見る」という行為が、一方的な観察から、やがて老婆に「見られる」側へと逆転する瞬間、恐怖は最高潮に達します。
理解不能な死: 最も恐ろしいのは、その死の理不尽さです。老婆は家に侵入するでも、刃物で襲いかかるでもありません。ただ、障子を突き破るほどの、わずかな水飛沫を浴びただけで、三人は命を落とすのです。抵抗もできず、理由もわからず、あまりにもあっけなく訪れる死。この理解を超えた現象こそが、人知の及ばない存在への絶対的な恐怖を植え付けます。
終焉のグロテスク: 物語の結末、掘り起こされた屍が生きているかのように瑞々しく、打ち砕くと中から清らかな水だけが流れ出すという描写は、グロテスクでありながらも一種の幻想的な美しさを伴います。腐敗という自然の摂理から外れたこの現象は、老婆がもはや人間世界の存在ではないことを決定づけ、読者に強烈な印象と、決して解明されることのない謎を残します。
2. 文化を超えた「水と死のモチーフ」
この物語のような情景は、日本の文化や他の異文化の中にも、形を変えて存在しています。
日本文化との共鳴:
『雨月物語』の世界観: 上田秋成の『雨月物語』に見られるような、静かで美しく、しかし冷徹な怪異が日常を侵食してくる作風と非常に近いものがあります。特に「蛇性の婬」など、人間の強い情念が異形のものへと変化し、水と関連して描かれる点に共通項が見出せます。
地霊・怨霊としての側面: 特定の土地に縛られ、そこに住む者に害をなすという点で、日本の地霊や怨霊の考え方と通じます。老婆は何らかの理由でその土地で無念の死を遂げ、土地そのものと一体化した「水鬼」のような存在になったのかもしれません。
覗き見の文化: 『源氏物語』の「垣間見」に代表されるように、覗き見る行為は日本の古典文学における重要なモチーフですが、怪談においては、本作のように「見てはいけないものを見てしまった」者の恐怖と破滅を描くための効果的な装置として機能します。
異国文化との比較:
中国の「水鬼」と「僵尸」: この物語の原作は中国の『聊斎志異』であり、その背景を考えると最も近いのは「水鬼」の伝説です。水死した者の亡霊が、次の犠牲者を水中に引きずり込むというものです。また、掘り起こした屍を破壊するという対処法は、死後も活動する死体「僵尸」退治の方法とも共通しており、この老婆がそうした存在の一種として描かれている可能性は高いでしょう。
ヨーロッパのアンデッド伝説: 掘り起こされた屍が腐敗せず、生前の姿を保っているという描写は、ヨーロッパの吸血鬼やアンデッドの伝説にも見られます。これらの伝説でも、心臓に杭を打つ、体を焼くなどして屍を破壊することが、怪異を終わらせる方法として描かれています。文化は違えど、「害をなす死者は、その肉体を完全に破壊しなければならない」という発想は世界共通なのかもしれません。
3. 物語のその先へ:考えられる後日談と別の結末
この物語は謎を残したまま終わりますが、その先に続く物語を想像する余地があります。
考えられる後日談「水の呪縛」:
屍を砕いたことで、老婆の怨念を宿した「水」は解放され、屋敷の井戸、そして地下水脈を通じて村全体へと拡散します。その水を飲んだ人々は、夜な夜な喉の渇きに苦しみ、やがて水を噴きながら徘徊するようになる...。宋先生が良かれと思って下した決断が、より大きな悲劇の引き金となってしまうという、救いのない物語です。唯一、あの水を浴びて生き残った娘だけが、呪いの本質を理解し、その連鎖を断ち切る方法を探す旅に出るのかもしれません。
もう一つの結末「守り神の死」:
実は、あの老婆は邪悪な存在ではありませんでした。彼女が噴き出す水は、この土地の地下深くに封じられた、より強大な「火の悪霊」を鎮めるための聖なる水だったのです。老婆は、永い間、来る日も来る日も水を噴き続けることで、その封印を守ってきた守り神でした。しかし、太夫人たちが彼女を見てしまったことで力が乱れ、結果として彼女たちを死なせてしまったのです。何も知らない宋先生が悲しみと怒りから老婆の亡骸を破壊した瞬間、封印は完全に解かれます。屋敷は乾ききった土の中から噴き出した業火に包まれ、宋先生は、自らの手で真の災厄を解き放ってしまったことを悟り、燃え盛る屋敷の中で絶望に膝を折る...という皮肉な結末です。




