〇壱七 蛇人(へびびと)
『龍の道行』
小青。大蛇の濃墨に寄り添う、二匹の間には、言葉なくとも通じ合う魂の響きが、見えざる線となって繋がっている。長きにわたる絆と、厳かな別れ、そして自然への畏敬の念が、静かに、そして永遠に込められている。
【しおの】
序章:青い相棒
東郡に、蛇を操ることを生業とする男がいた。
男は常に、手なずけた二匹の青い蛇を連れていた。大きい方を大青、小さい方を二青と名付け、ことのほか可愛がっていた。とりわけ二青は額にぽつりと赤い点があり、際立って賢く人にもよく馴れ、ひとたび芸をさせれば、意のままに妙技を繰り出さぬことはなかった。男はそんな二青に深い愛情を注ぎ、その扱いは他の蛇とはまるで違っていた。
一年ほど経った頃、大青が死んでしまった。男はその穴を埋める新たな蛇を探そうと思っていたが、日々に追われ、まだ果たせずにいた。
ある夜、男は山寺に宿を取った。翌朝、旅支度を整えようと籠を開けると、そこに二青の姿がない。男は悲しみとやるせなさに、身もだえするほどであった。
必死になって辺りを探し、声を枯らしてその名を呼び続けたが、姿は影も形もなかった。しかし、二青には以前にも、草むらへ放ってやると、ひとしきり戯れたのちに自ら戻ってくるという習性があった。男はすがるような思いで、二青がひょっこり帰ってくるのを座して待った。
だが、陽がすっかり空高く昇っても、その願いは叶わなかった。ついに望みを断ち、男は力なく寺を後にした。
再会:小さな伴侶
山門を出て、数歩も行かぬうちである。薪が積まれた茂みの奥から、かさかさ、と葉の擦れる音がした。驚いて足を止めると、そこにいたのはまさしく二青であった。
男はまるで至宝でも手に入れたかのように喜んだ。道端に荷を下ろすと、二青もぴたりと動きを止める。見れば、そのすぐ後ろに、さらに小さな蛇が一匹、寄り添うように従っているではないか。
男は二青の体を優しく撫でながら言った。
「もう二度と会えぬものと諦めていたぞ。この小さな連れは、お前が誘ってきたのかい」
餌を取り出して二青にやると、二青はそれを小さな蛇にも分け与えようとした。小さな蛇は、男から離れはしないものの、どこか恐れるように身を縮こませ、なかなか餌に口をつけようとしない。すると二青は、一度口に含んだ餌を、そっと小さな蛇の前に差し出した。その様は、まるで主人が客をもてなすかのようであった。
男が改めて小さな蛇に餌を与えると、今度はようやく食べ始めた。食事が終わると、二匹は寄り添うようにして、仲良く籠の中へと収まった。男は二匹を連れ帰り、小さな蛇に芸を教え込むと、驚くほどすぐに覚え、その見事さは二青と何ら変わらなかった。そこで、小青と名付けた。
これより男は二匹の蛇を連れて各地を巡り、その妙技を披露して、行く先々で多くの富を得た。
別離:深山へ還す
そもそも、男が芸に使っていた蛇は、体長二尺(約六十センチ)ほどが頃合いとされていた。それ以上に育つと重すぎて芸の妨げとなるため、新たな蛇と入れ替えるのが常であった。ただ、二青の賢さと情の深さに、男はどうしても手放すことができずにいたのである。
さらに二、三年が経つと、二青は三尺(約九十センチ)を超えるほどに成長し、籠の中でとぐろを巻けば、もう隙間もないほどであった。男はついに心を決め、二青を自然に還すことにした。
ある日、淄の東山へと分け入り、二青に極上の餌をたっぷりと与え、別れの言葉をかけてそっと野に放してやった。
二青は一度去ったが、しばらくするとまた男の元へ戻り、籠の外で静かにとぐろを巻いた。男は手を振りながら言った。
「行け。この世に終わらぬ宴はないのだ。ここを去り、いずれお前は神龍ともなろうものを。いつまでもこのような籠に収まっているべきではない」
二青は名残を惜しむように、ゆっくりと去っていった。男はその背を見送った。
しかし、二青はまたしても戻ってくる。幾度となく追い払えど、その場を動こうとせず、ただ黙って頭を籠にこすりつけるのだった。すると、籠の中にいた小青もまた、呼応するように、かすかに身を震わせた。
その様子を見て、男ははっと悟った。
「さては、小青に別れを告げたいと見える」
男が籠の蓋を開けると、小青はすぐさま飛び出し、二青と互いの首を絡ませ、舌を出し入れし、まるで尽きせぬ言葉を交わしているかのようであった。やがて、二匹は連れ立って草むらの奥へと消えていった。
男は、小青ももう戻ることはないだろうと思った。だがしばらくすると、小青だけがどこか寂しげな様子で戻り、静かに籠の中へと入っていった。
再会:果たされた約束
それからというもの、男は二青に代わる良い蛇を探し回ったが、あれほど賢い蛇にはついぞ巡り会えなかった。一方、小青もまた日ごとに育ち、芸をさせるには大きくなりすぎていた。後に新しい蛇を手に入れたが、やはり小青の賢さには遠く及ばない。その頃には、小青の胴はもはや子供の腕ほどの太さになっていた。
二青が山中にいることは、山に入る木こりたちの間で、時折噂にのぼるようになっていた。さらに数年が過ぎ、二青は数尺にも及ぶ大蛇となり、その胴は椀のように太くたくましくなっていたという。次第に人を見かけると追いかけるようになり、旅人たちはその道を避けて通るよう、互いに戒め合っていた。
ある日のこと、男がその道筋を通りかかると、突如として巨大な蛇が、一陣の風のごとく男の前に躍り出た。男は度肝を抜かれ、夢中で逃げ出した。蛇は猛然と追いすがり、振り返れば、その牙がすぐそこまで迫っている。
まさに捕らえられんとしたその時、男は蛇の頭に、あの見慣れた朱い点があるのをはっきりと見て取った。そう、二青であった。
男は荷を下ろすと、意を決し、大声で呼びかけた。
「二青! 私だ、二青!」
蛇はぴたりと動きを止め、鎌首をもたげてじっと男を見つめている。やがて、かつての芸をなぞるように、しなやかな体で男の体にゆるやかに巻き付いてきた。男は二青に悪意がないことを感じ取ったが、あまりの巨体とその重さに、とても耐えられそうにない。男が許しを乞うように身を固くすると、二青はするりとその体を解いた。
そして、二青は静かに頭で籠に触れた。男はその意を察し、籠を開けて小青を出す。再会を果たした二匹の蛇は、飴のようにしなやかに絡み合い、しばしの時を過ごした。
男は小青に語りかけた。「いつかお前を自由にしてやりたいと、ずっと思っていた。これで、良き伴侶と共にゆけるな」
そして、今度は二青に向かって言った。
「もとより小青を私のもとへ連れてきたのはお前だ。どうか今度は、お前が小青を連れていってやってくれ。だが一つだけ頼みがある。この深い山には食うに困ることはあるまい。無闇に旅人を脅かし、天の咎めを受けるようなことだけはしてくれるな」
二匹の蛇は、その言葉を理解したかのように、深くこうべを垂れた。
やがて二匹は身を起こし、大蛇が先、小蛇が後となり、山の奥深くへと去っていった。二匹が過ぎた後には、あたかも林の木々が左右に道を譲ったかのように、一本の筋ができていた。男はただ立ち尽くし、その姿が見えなくなるまで、いつまでも見送っていた。
それ以来、かの道で旅人が危険に遭うことはなくなったという。二匹がどこへ行ったのか、それを知る者は誰もいない。
異史氏(作者・蒲松齢)曰く
蛇は、言葉を持たぬただの生き物にすぎない。しかし、それでもなお、旧き友を思う情の深さを持っている。与えられた忠告を、さながら手のひらを返すかのように素直に聞き入れた。
それにひきかえ、万物の霊長たる人間はどうであろうか。十年も親しく肩を並べ、幾代にもわたる恩を受けた相手を、平気で奈落の底へ突き落とし、あまつさえ石を投げつけることさえある。
あるいはまた、良薬ともなるべき忠言に耳を貸そうともせず、かたくなに顔をそむけ、あろうことか相手を逆恨みする者さえいる。
そのような人間は、この蛇の姿を前にして、深く恥じ入るべきではないだろうか。
この『蛇人』という物語は、短い中に人の心の機微と、人ならざるものとの交流の妙が凝縮されています。
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物語の深掘り分析
この物語が我々の心を捉えるのは、様々な感情を巧みに織り交ぜているからです。
1. 不思議さと人情味
物語の根幹にあるのは、**「種族を超えた絆」**という人情味あふれるテーマです。しかし、その絆を結ぶ相手が「蛇」であるという点に、不可思議な魅力が生まれます。
不思議さの源泉:
二青が新しい仲間(小青)を自ら連れてくる場面。これは単なる偶然ではなく、二青の明確な意思と知性を感じさせ、物語を単なる動物寓話から幻想的な領域へと引き上げます。
言葉を交わさずとも、互いの意図を察し合う蛇人と蛇たち。特に、二青が小青との別れを告げるために戻ってくる場面や、最後の再会で籠に触れる仕草は、言葉以上に雄弁なコミュニケーションであり、不思議な感動を呼び起こします。
人情味の極致:
蛇人が、芸の効率よりも情を優先し、大きくなった二青をなかなか手放せない葛藤。これは、ペットや我が子を思う親の心にも通じる、普遍的な愛情の姿です。
最後の別れの場面。蛇人が二匹の未来を願い、「神龍となれ」と送り出す言葉は、もはや主人と使い蛇の関係を超えた、対等な存在への敬意と祈りに満ちています。
2. 滑稽さと皮肉
物語には、緊張を和らげる微笑ましい場面と、人間の愚かさを突く鋭い視点が共存しています。
滑稽な場面:
二青が、おびえる小青に「主人が客に譲るように」餌を分け与えるシーン。小さな体で繰り広げられる人間社会さながらの儀礼は、読者を思わずにこりとさせる、愛らしくも滑稽な一幕です。
痛烈な皮肉:
物語の締めくくりである「異史氏の曰く」。ここがこの物語の真骨頂です。忠義を尽くし、忠告を素直に聞き入れる蛇の姿と、恩を仇で返したり、忠言に耳を貸さなかったりする人間の姿を対比させます。これは、動物を通して人間の本質を映し出す鏡であり、物語全体を単なる美談から、社会風刺にまで昇華させています。
3. 恐怖心
人情味あふれる物語の中にも、人知を超えた存在への根源的な「畏怖」が巧みに描かれています。
恐怖心を煽る場面:
成長した二青が「人を見かけると追いかけるようになった」という噂。かつて愛玩していた存在が、制御不能な脅威へと変貌していく過程は、人間のエゴや自然の摂理について考えさせると同時に、未知なるものへの恐怖を掻き立てます。
蛇人が巨大化した二青に追われる場面は、物語のクライマックスです。風のような速さ、椀のような胴体という描写は、圧倒的な力の差をまざまざと見せつけ、読者に蛇人と同じ恐怖と絶望を体験させます。この恐怖があるからこそ、その後の和解がより一層感動的なものになります。
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文化的な背景と比較
この物語は、日本や他の文化圏の物語とも響き合う要素を持っています。
日本文化との共通点:
異類恩返し譚: 『鶴の恩返し』や『舌切り雀』のように、人間と動物(人ならざるもの)との交流、そして最終的な別れを描く物語の系譜に連なります。助けられた動物が恩を返すという筋立ては、日本の昔話で非常にポピュラーなテーマです。
蛇信仰と龍神変化: 日本では、蛇は古来より水神の使いや山の主とされ、畏敬の対象でした。また、蛇が修行を積んで龍になるという「登龍門」の思想も広く共有されています。この物語の結末は、まさに日本の蛇信仰や龍神信仰の世界観と見事に合致します。
異国文化との比較:
中国文化(原作の地): この物語の源流である中国では、蛇(特に白蛇)は霊的な存在とされ、人間と恋に落ちる『白蛇伝』のような物語が有名です。人間以上の知性と情を持つ存在として蛇を描く素地が豊かにあります。
インド文化: ヒンドゥー教では、蛇の精霊「ナーガ」が神聖な存在として崇拝されています。ナーガは財宝を守り、天候を操り、時には人間の姿をとって交流することもあり、この物語の二青の神聖化されていく姿と重なります。
西洋文化との相違: キリスト教文化圏では、蛇はエデンの園での逸話から「誘惑」や「悪」の象徴とされることが多いです。しかし、ギリシャ神話のアスクレピオスの杖のように「再生」や「知恵」の象徴ともなり、一面的な見方はできません。ただ、本作のような深い情愛で結ばれるパートナーとしての蛇の物語は、東洋文化圏のほうがより親和性が高いと言えるでしょう。
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考えられる後日談と意外な結末
この美しい物語の続きを想像するのは、大きな楽しみです。
【後日談:人情味あふれる続き】
年老いた蛇人は、芸の世界から身を引きました。ある年、彼の故郷がひどい干魃に見舞われます。人々が天に祈りを捧げる中、蛇人はかつて二匹と別れた東山へと一人向かいました。山の頂で天を仰ぎ、「二青、小青よ。お前たちが神龍となったのなら、この地の人々を救ってはくれまいか」と呟きます。
すると、にわかに空が曇り、雷鳴と共に大粒の雨が降り注ぎました。雲の切れ間から、一瞬だけ巨大な二つの影が天を駆けるのが見え、その先頭の龍の額には、確かに見覚えのある朱い点が輝いていました。恵みの雨は三日三晩降り続き、村は救われました。蛇人は、静かに山に向かって深く頭を下げ、それ以来、山には二柱の龍神を祀る小さな祠が建てられたということです。
【意外な結末:皮肉と畏怖に満ちた結び】
蛇人が二青に「旅人を脅かすな」と忠告したのには、裏がありました。実は、彼の商売敵である別の芸人が、近々その道を通ることを知っていたのです。蛇人の言葉の真意は、「(一般の)旅人は脅かすな。(しかし、あの男は別だ)」というものでした。
数日後、その芸人が山中で忽然と姿を消したという噂が流れます。人々は大蛇の仕業だと恐れましたが、不思議なことに他に被害者は出ませんでした。蛇人は、二青が自分の言葉の裏にあるどす黒い願いを正確に読み取り、実行したことを悟ります。彼は二匹との美しい思い出の裏に潜む、人知を超えた存在の恐ろしさに気づき、その後の人生を、二匹への畏怖と罪の意識に苛まれながら生きていくことになりました。もはや、彼の芸が人々を喜ばせることは二度とありませんでした。




